第四章 Specter’s Shot
恭子は、自分の真の雇用主、…と思っているだけで、あちら側は支配者と考えている相手が、現総理『紫雨ユナ』である、という文言は、この場では絶対に言わなかった。…それを白状してしまえば、ユナから約束されている三十億の報酬金はおろか、この窮地を救ってくれる手立てさえ失ってしまう。―――…それなのに。
「どうして…、どうしてよ…!?」
信じられないと言った風に、そう呟き続ける恭子は、ローザリンデが指揮するセリカ隊に半ば引っ張られるようなカタチで、室内を退場させられていた。恭子が証言したのは、「自分には、さくらとは別の雇用主が居て、そのひとから三十億を約束されたのを条件に、ペルシ内で国会議員の紫雨百合花のヘイトとアンチ感情を煽り、彼女へのネガティブキャンペーンを行え」と指示されたこと。…それだけである。ユナの名前を、恭子は頑として出さなかった。故に、尋問が必要と考えた琉一が、ROG. COMPANY、引いては、Room ELが有する隔離シェルターへ、恭子を閉じ込めるよう、ローザリンデに進言したのである。そして、彼女は助けの一手を打ってくれないユナが、一体、何処でどうやってこの状況を把握しているのか、また様子見しているのかをさっぱり理解することが出来ないまま、セリカ隊に移送される羽目に陥った。
輝が片耳に嵌めていた通信機から、八槻の声が入ってくる。
『ずっとこちらを見ていた、あの男たち。…そのコスプレっ子の移送が始まった瞬間、去って行ったよ。張っていた『案山子』によると、彼らは8ナンバーの車に乗り込んで行ったようだね』
八槻の言葉は、当然とばかりに、琉一にも共有されていた。通信が入った瞬間、輝が通信機の出力を切り替えて、スピーカーモードにしたからである。それは八槻も承知している前提で、輝は彼に応対した。
「8ナンバー…、法的に許可が降りた改造車…。ちゃんと調べれば、車の名義人くらいは分かりそうですね。僕たちは、そこから辿っていくしかなさそうです」
『同感だよ。…引き上げておいで。その現場は、今の君にはちょっと苦しいだろう?
本社に帰って、リーグスティ会長から正式に、Room ELとの情報共有を打診しよう。どの道、あのコスプレっ子の尋問を担当するのは、琉一くんだろうしね』
「…、了解です」
輝はそこまで言ってから、ほぼ一方的に通信を切る。そして、腑に落ちない、と顔に書いた状態で、琉一に向かって、軽く頭を下げた。
「お邪魔しました。…それでは、後ほど、弊社の会長からご連絡申し上げますので、よろしくお願いいたします。お疲れ様でした」
「はい、お疲れ様でした」
琉一が手短に返すのをキッチリと聞き届けてから、輝はその場をさっさと後にしてく。―――様子は大分違えど、…この現場の混迷さと、ドス黒さに中てられて、機嫌が悪くなっているのは、ソラと同じようだった。
…。
それから、発狂めいた金切り声を上げるさくらに、ローザリンデが、その場で医療係のロボット兵士と対応している傍らで。
茫然と、放心状態で、此処までの地獄の真実を見せられていたアケルの拘束を、琉一が丁寧に解いていく。傷になっているところに応急処置を施していると、アケルが虚ろな眼で、琉一を見ながら、乾いた唇を動かした。
「敢えて、同じ男同士として、質問させてください。…弁護士さんも、結婚していますよね…?…同じ匂いがする。弁護士さんにも、愛する妻(ひと)がいる人間だって、分かりますから…」
「肯定します。事実婚ではありますし、妻からの態度は、まあ、世間的に褒められたものではありませんが。…それが何か?」
琉一の言葉を聞いて、アケルは上げていた視線を僅かに下げてから、続ける。
「俺の何がいけなかったんでしょうか…。ゲーム時間を確保したこと?高収入を笠にさくらを家庭に縛ったこと?
それなら、いっそ今のキャリアを捨てて、さくらともっと深く話し合ったり、触れ合ったりする時間を、たくさん持つべきだったんでしょうか…?
俺が、俺が悪かったんだ…。だって、そうすれば、さくらが不倫騒動を捏造してまで、こんな大それた犯罪に手を染める必要なんてなかったはずで―――、いてっ!?」
アケルの萎びた告解は、突然の軽い衝撃と痛みで、遮られた。吃驚したアケルが視線を琉一へと向けると、そこには、左手用のユースティティアの銃身の方を持ち、グリップの先をアケルへと差し向けた、琉一の姿。…どうやら、逆手持ちの状態で銃を持ち換えて、アケルの額を小突いたようだ。「え、え?」と眼を白黒させるアケルに向かって、琉一はかなり珍しい表情をしながら、これまたソラしか知らなかったような口調で、彼に囁くように喋り始める。
「…結婚すると決めた以上、亭主のキャリアと収入をアテした女なんて、…生活と娯楽に必要なカネだけ渡して、さっさと放置しておけよ。
それ以上を求めるのは、時に『愛』かもしれないが、…度が過ぎると、正直、こっちとしてはウザったいし、更に仕事の邪魔されると、マジで腹立つくないか?
捨てちまえ、そんなもん。お前には、もっと相応しい女がいる。いや、案外と男だったりして?ま、この世界は広いし。…ああ、捨てるのは、あのトンデモ女であって、お前のキャリアじゃない。良い収入と、理想の出世コースを夢見て、邁進すればいいさ。この国の男って生き物は、どうせ、働くことで社会に貢献することが最適解みたいだし」
琉一はそこまで言うと、目尻を細めて、唇の端だけを釣り上げて、密やかに笑った。……琉一の激励と、彼のその態度を真芯から受けたアケルは、首がもげるのではないかという勢いで、縦に思いっきり振りながら。「はい!はい…!そうします!ありがとうございます!」と涙ながらに言いながら、琉一の手を取って、感謝極まる余りに、語彙力が消失した言葉を述べる。
…。
男二人が奇妙な友情を温めている横で。ローザリンデは、ひたすらさくらを宥めようと、あれこれと手を尽くそうとしていた。
もうこれは、鎮静剤を投与するしか…?と、ローザリンデが考えたときだった。
さくらが、怒り、妬み、憎しみ、哀しみ、…あらゆるネガティブな感情を綯い交ぜにして闇鍋と化した視線を、ローザリンデに向けて、その口を開く。
「…恭子以上の美貌と、私以上の知性と、…誰にも負けない家柄もカネも職位を権力も、全部、全部、ローザリンデは持っているくせに…!どうして…?!どうして、貴女は正義側に立っていられるの…?!何も手を汚さず!社会の闇なんて知らずに!ぬくぬくと温室で育った薔薇風情が!!さも簡単に、安泰した未来を約束されているのは、どうしてなの?!」
「―――…!!」
ローザリンデが瞠目した。今はもう無事な左眼だけが見開かれて、暫し、彼女は茫然とした後。……すぐに、その残された眼の方に、強い感情を宿した。
「…さくら。オマエだって、おれの何を知ってるつもりだ…?
どうして、おれがこの地位に居るのか、そこに至るまで何を犠牲にしてきたのか、どんな理不尽を味わってきたのか、…おれの前で誰が涙して、誰が怒り狂って、誰が嗤っていたのか…、……オマエは知らないだろうよ。ああ、知らなくて当然だ。言ってないからな?」
ローザリンデの脳裏に、数々の過去の映像が、切り替わっては、流れていく。
幼馴染として仲の良く、仕事仲間としても信頼しているソラ。―――彼が、ローザリンデを取り巻く過酷な状況を、謂わば受動喫煙した結果、…彼は最後の最後で、あのときの黒幕を殺しかけた。
誰よりも愛している家族、凌士お兄様。―――ある種のナマモノカプ厨という趣味嗜好の癖は強いが、彼自身は根っからの平和主義であり、合理と平等と未来を重んじる。その凌士が人質に取られたとき、胸が張り裂ける思いだった。
初めての推し活友達にして親友だったツバサ。―――彼女が、悲惨な交通事故に遭って、全身を管に繋がれ、病院のベッドで昏睡している姿。怪我の肩代わりをしたい、助けて欲しい、ツバサがこんな眼に遭うような、この理不尽な世界を壊してやりたい!と願ったとき……。
あの青い影は、現れた。
―――「キミにも壊したいモノがあるの?」―――、と言いながら…。
「…、さくらの狙いは知っていたよ。サレ妻を演じきった後、おれからの同情票を頂戴して、再就職先として弊社、…ROG. COMPANY本社の事務あたりのパートに口利きして貰いたかったんだろ?」
さくらにとって、それは図星だった。まさか此処まで読み取られていたなんて…、と呑気に考えている隙もなく、ローザリンデは更にさくらへと詰める。
「だがな、おれはもう、誰かに利用されるのはゴメンだった。オマエが途中で、少しでも歩みを止める素振りを見せていたら、…おれから「こんなことやめろ」って説得するつもりだったさ。だが、オマエは止まるどころか、嘘に嘘を重ねてエスカレートさせていくばかりで。そのうえ、自己中心的な考えで、周囲を攻撃する始末…」
「ひっ…?!ろ、ろろ、ローザリンデ…!?」
さくらが急にか細い悲鳴を上げたのも当然。彼女は、ローザリンデから、額に銃口を突き付けられたからだ。だが、周囲のセリカ隊は止めに入らない。
隻眼のローザリンデのそれが、燃えている。烈火の如く、怒っている。―――自分の意思に関係なく温室で育てられ、半ば狂った人生の歯車のままに荒野に出荷され、そこから再び根を張ってから咲き誇る『薔薇の淑女』こと、ローザリンデ・テイスワートは、その薔薇の色に似たリップを塗った唇から、修羅の言葉を紡ぐ。
「ああ、こんな醜い女には、確かに『桜』なんて名前は似合わねえな?―――ほら、嬉しいだろ?喜べよ?やっと自分の欲しかった評価が貰えたんだ。どうした?笑えよ、さくら?」
ローザリンデは腹の底から呻くように言いながら、ぎりり、と銃口をさくらの額にめり込ませる。ひぃ、ひぃ…、と震えていたさくらだったが、…やがて、ふ、と気を失い、後ろに倒れて、……一拍の後、周囲に漂い始める、独特のアンモニア臭。
駆け回るオフィスの為にと、常時フルオーダーで作らせている拘りのヒールの先を汚されても、尚、ローザリンデの隻眼は。生き恥の限りを晒し尽くした、かつての女友達の無様な失神した姿を、睨みつけるように、焼き付けるように、見下ろしていたのだった。
――――…。
出来る限りの全ての事後処理を終えた琉一は、撤退準備を始めているセリカ隊と眺めながら、それを見守っているローザリンデの隣に立った。何事かと、琉一に視線を寄越すローザリンデに対して、彼はしれっとした表情で、告げた。
「最後の最後で、さくらさんに啖呵を切ったのは、実にお見事でしたが。…せめて、突き付けていた銃のセーフティーロックは、外していた方が良かったかもしれませんね」
「…うるせー。間違ってトリガー引いちまったら、それこそ、大惨事だろーがよ」
「さあ?仮に『暴発』したとしても、我々の保険は未だ利いていたみたいですし。…何とかしてくれてたのではないでしょうか?」
ローザリンデの言い訳に対して、これまた涼しい顔で『保険』の話をする琉一の台詞の意味を、彼女は数秒間かけて、じっくりと咀嚼してから、きちんと理解した。してしまった。途端、あああ…ッ!、と慌てふためくローザリンデは、視界が利かない分、身体ごと琉一に向けてから、畳み掛けるような勢いで言う。
「オマエ、それマジで言ってるのか?
いやいや!ソラってあのとき、帰ったんじゃあ―――」
「―――なんだ?呼んだか?お転婆ローズ」
「うぎゃあああ!!出たな物の怪ぇぇぇ!!」
「稀代のイケメンである俺に向かって、物の怪呼ばわりするな。失礼にも程がある」
ソラ、再登場。不機嫌オーラは薄まってはいるものの、…何処か漂い続けるアウトローなオーラ。だが、ローザリンデは伊達に、この男の幼馴染を公言し、今もその関係値の維持を可能とする女ではない。つまり、このソラに向かって、かなり強気で食い下がることが出来る。
「どっちが失礼だって?事あるごとにおれの死角から現れるソラには言われたくねーーッ!」
「は?大して射撃も上手くないくせに、護身用と銘打って小型拳銃を持ち歩いているのは、誰だったか?ローズ?
そんなに自信があるなら、抜けば良いだろう?」
「はあ??射撃の能力だけの話だと、おれとオマエは、どんぐりの背比べだろーが!
「上手くなれないなら、訓練の時間とて無駄だ」とか言って、早々に斧使いに転身したのは、誰だったっけ?ええ?!」
「うるさい。非常にうるさい。マトモな戦績を挙げているだけ、マシと思え。
俺が現場で斧を振るったことで、どれだけ弊社に、―――ルカに貢献していると思っている?」
「ああ、イヤすぎるわー!成果主義なのは現代人の宿命だけどよー?それを笠にマウント取ってくるの、ほんっと男所帯の社畜ってカンジでイヤだわー!さっさとデスクワークに戻りなァ、冷徹秘書官殿ォ?」
ぎゃあぎゃあ、と幼馴染同士の口喧嘩が始まった。それをBGMに、琉一は、陽が傾きかけた天を、静かに見上げたのである。
【本土 琉一&アデリー邸】
帰宅して、いつものようにリビングに入って。周囲の使用人が、YESサインを出した瞬間。
アデリーは、琉一に正面から抱き着いた。
「あああーーー!!五日ぶりの琉一さん!!琉一さん、琉一さん、琉一さんんん!!今度こそきちんとお休みが取れているのですか?!夫婦の時間はありますか?!」
「安心してください。所長から、きちんと、二日間の連休を頂きました。ゆっくり出来ると思いますよ」
抱き着くアデリーの頭を撫でながら、琉一はゆっくりとしたペースで喋る。その声音を聞いたアデリーは、ふふ、と微笑み、琉一の腕の中から、他でもない彼のことを見上げた。
「嬉しいですわぁぁ~~。今回は、琉一さんに電話はおろか、メッセージの一通も送れなかったこと、とてもとても寂しくて…。
ですが、このアデリー。琉一さんのお仕事は邪魔しませんの。愛する旦那様を支える良妻となるため、この家を守る決意をしましたから…!」
「いつも、ありがとうございます。貴女が居るから、自分も安心して、仕事に打ち込めます」
琉一からの言葉を聞いて満足したのか、アデリーは得意げな顔で、やっと彼から離れる。…風呂の支度は、既に終わっているからだ。
「今日のお夕食は、ラム肉のステーキだそうですわ。久しぶりに、とても鮮度の良いモノが入ったと、シェフがそれはもう大喜びですの。
さあ、お風呂へ行きましょう?」
「…、行きましょう、とは?自分は一人で入れますが?」
アデリーの言葉から放たれた違和感を、琉一は素早く拾い上げる。ガンマンたる彼は、照準がブレないからこそ、見逃さない。だが今は、それが仇となった気もする。
現に、アデリーは妖しい笑みを浮かべながら、琉一の腕に自分のそれを絡めながら、続けた。
「あらあら?もしかして、まだ、改造の手術痕が気になると仰いますの?
それは、あのルカ三級高等幹部という御仁が提供なさったハイテクノロジーで、すっかり綺麗に治されたのではなくって?」
「…、……段々と逃げ場を失くさせるのは、止して貰いたいのですが…」
「あら?逃がしませんわ?……このアデリー、愛する琉一さんの妻として、今夜こそ、『その気』にさせてみせますの…♡」
「―――……。」
とうとう、あの琉一が言葉を失った。
銃も理屈も一切通じない相手こそ、彼の弱点。その究極地点に立つ人物こそ、―――彼の妻たる女、このアデリーである。
アデリーの無限の愛こそ、外では鬼才の弁護士であり、武力を持つ改造人間として振る舞う琉一が『ただの夫』に戻れる瞬間にして、『無力だったあの頃の自分』を想起しては、アデリーに対して『無条件降伏』したくなるターニングポイントを、幾度となく迎えては乗り越える、大きすぎる峠なのであった。
どれだけ腕の良いガンマンとて。撃ち抜けない標的は、世界に一つや二つくらい、存在するものだ。
それこそ、亡霊のようにカタチの無い、見せない、姿を現さない、―――愛憎や、欲望だったり。そのあたりが、そうである。
――fin.
「どうして…、どうしてよ…!?」
信じられないと言った風に、そう呟き続ける恭子は、ローザリンデが指揮するセリカ隊に半ば引っ張られるようなカタチで、室内を退場させられていた。恭子が証言したのは、「自分には、さくらとは別の雇用主が居て、そのひとから三十億を約束されたのを条件に、ペルシ内で国会議員の紫雨百合花のヘイトとアンチ感情を煽り、彼女へのネガティブキャンペーンを行え」と指示されたこと。…それだけである。ユナの名前を、恭子は頑として出さなかった。故に、尋問が必要と考えた琉一が、ROG. COMPANY、引いては、Room ELが有する隔離シェルターへ、恭子を閉じ込めるよう、ローザリンデに進言したのである。そして、彼女は助けの一手を打ってくれないユナが、一体、何処でどうやってこの状況を把握しているのか、また様子見しているのかをさっぱり理解することが出来ないまま、セリカ隊に移送される羽目に陥った。
輝が片耳に嵌めていた通信機から、八槻の声が入ってくる。
『ずっとこちらを見ていた、あの男たち。…そのコスプレっ子の移送が始まった瞬間、去って行ったよ。張っていた『案山子』によると、彼らは8ナンバーの車に乗り込んで行ったようだね』
八槻の言葉は、当然とばかりに、琉一にも共有されていた。通信が入った瞬間、輝が通信機の出力を切り替えて、スピーカーモードにしたからである。それは八槻も承知している前提で、輝は彼に応対した。
「8ナンバー…、法的に許可が降りた改造車…。ちゃんと調べれば、車の名義人くらいは分かりそうですね。僕たちは、そこから辿っていくしかなさそうです」
『同感だよ。…引き上げておいで。その現場は、今の君にはちょっと苦しいだろう?
本社に帰って、リーグスティ会長から正式に、Room ELとの情報共有を打診しよう。どの道、あのコスプレっ子の尋問を担当するのは、琉一くんだろうしね』
「…、了解です」
輝はそこまで言ってから、ほぼ一方的に通信を切る。そして、腑に落ちない、と顔に書いた状態で、琉一に向かって、軽く頭を下げた。
「お邪魔しました。…それでは、後ほど、弊社の会長からご連絡申し上げますので、よろしくお願いいたします。お疲れ様でした」
「はい、お疲れ様でした」
琉一が手短に返すのをキッチリと聞き届けてから、輝はその場をさっさと後にしてく。―――様子は大分違えど、…この現場の混迷さと、ドス黒さに中てられて、機嫌が悪くなっているのは、ソラと同じようだった。
…。
それから、発狂めいた金切り声を上げるさくらに、ローザリンデが、その場で医療係のロボット兵士と対応している傍らで。
茫然と、放心状態で、此処までの地獄の真実を見せられていたアケルの拘束を、琉一が丁寧に解いていく。傷になっているところに応急処置を施していると、アケルが虚ろな眼で、琉一を見ながら、乾いた唇を動かした。
「敢えて、同じ男同士として、質問させてください。…弁護士さんも、結婚していますよね…?…同じ匂いがする。弁護士さんにも、愛する妻(ひと)がいる人間だって、分かりますから…」
「肯定します。事実婚ではありますし、妻からの態度は、まあ、世間的に褒められたものではありませんが。…それが何か?」
琉一の言葉を聞いて、アケルは上げていた視線を僅かに下げてから、続ける。
「俺の何がいけなかったんでしょうか…。ゲーム時間を確保したこと?高収入を笠にさくらを家庭に縛ったこと?
それなら、いっそ今のキャリアを捨てて、さくらともっと深く話し合ったり、触れ合ったりする時間を、たくさん持つべきだったんでしょうか…?
俺が、俺が悪かったんだ…。だって、そうすれば、さくらが不倫騒動を捏造してまで、こんな大それた犯罪に手を染める必要なんてなかったはずで―――、いてっ!?」
アケルの萎びた告解は、突然の軽い衝撃と痛みで、遮られた。吃驚したアケルが視線を琉一へと向けると、そこには、左手用のユースティティアの銃身の方を持ち、グリップの先をアケルへと差し向けた、琉一の姿。…どうやら、逆手持ちの状態で銃を持ち換えて、アケルの額を小突いたようだ。「え、え?」と眼を白黒させるアケルに向かって、琉一はかなり珍しい表情をしながら、これまたソラしか知らなかったような口調で、彼に囁くように喋り始める。
「…結婚すると決めた以上、亭主のキャリアと収入をアテした女なんて、…生活と娯楽に必要なカネだけ渡して、さっさと放置しておけよ。
それ以上を求めるのは、時に『愛』かもしれないが、…度が過ぎると、正直、こっちとしてはウザったいし、更に仕事の邪魔されると、マジで腹立つくないか?
捨てちまえ、そんなもん。お前には、もっと相応しい女がいる。いや、案外と男だったりして?ま、この世界は広いし。…ああ、捨てるのは、あのトンデモ女であって、お前のキャリアじゃない。良い収入と、理想の出世コースを夢見て、邁進すればいいさ。この国の男って生き物は、どうせ、働くことで社会に貢献することが最適解みたいだし」
琉一はそこまで言うと、目尻を細めて、唇の端だけを釣り上げて、密やかに笑った。……琉一の激励と、彼のその態度を真芯から受けたアケルは、首がもげるのではないかという勢いで、縦に思いっきり振りながら。「はい!はい…!そうします!ありがとうございます!」と涙ながらに言いながら、琉一の手を取って、感謝極まる余りに、語彙力が消失した言葉を述べる。
…。
男二人が奇妙な友情を温めている横で。ローザリンデは、ひたすらさくらを宥めようと、あれこれと手を尽くそうとしていた。
もうこれは、鎮静剤を投与するしか…?と、ローザリンデが考えたときだった。
さくらが、怒り、妬み、憎しみ、哀しみ、…あらゆるネガティブな感情を綯い交ぜにして闇鍋と化した視線を、ローザリンデに向けて、その口を開く。
「…恭子以上の美貌と、私以上の知性と、…誰にも負けない家柄もカネも職位を権力も、全部、全部、ローザリンデは持っているくせに…!どうして…?!どうして、貴女は正義側に立っていられるの…?!何も手を汚さず!社会の闇なんて知らずに!ぬくぬくと温室で育った薔薇風情が!!さも簡単に、安泰した未来を約束されているのは、どうしてなの?!」
「―――…!!」
ローザリンデが瞠目した。今はもう無事な左眼だけが見開かれて、暫し、彼女は茫然とした後。……すぐに、その残された眼の方に、強い感情を宿した。
「…さくら。オマエだって、おれの何を知ってるつもりだ…?
どうして、おれがこの地位に居るのか、そこに至るまで何を犠牲にしてきたのか、どんな理不尽を味わってきたのか、…おれの前で誰が涙して、誰が怒り狂って、誰が嗤っていたのか…、……オマエは知らないだろうよ。ああ、知らなくて当然だ。言ってないからな?」
ローザリンデの脳裏に、数々の過去の映像が、切り替わっては、流れていく。
幼馴染として仲の良く、仕事仲間としても信頼しているソラ。―――彼が、ローザリンデを取り巻く過酷な状況を、謂わば受動喫煙した結果、…彼は最後の最後で、あのときの黒幕を殺しかけた。
誰よりも愛している家族、凌士お兄様。―――ある種のナマモノカプ厨という趣味嗜好の癖は強いが、彼自身は根っからの平和主義であり、合理と平等と未来を重んじる。その凌士が人質に取られたとき、胸が張り裂ける思いだった。
初めての推し活友達にして親友だったツバサ。―――彼女が、悲惨な交通事故に遭って、全身を管に繋がれ、病院のベッドで昏睡している姿。怪我の肩代わりをしたい、助けて欲しい、ツバサがこんな眼に遭うような、この理不尽な世界を壊してやりたい!と願ったとき……。
あの青い影は、現れた。
―――「キミにも壊したいモノがあるの?」―――、と言いながら…。
「…、さくらの狙いは知っていたよ。サレ妻を演じきった後、おれからの同情票を頂戴して、再就職先として弊社、…ROG. COMPANY本社の事務あたりのパートに口利きして貰いたかったんだろ?」
さくらにとって、それは図星だった。まさか此処まで読み取られていたなんて…、と呑気に考えている隙もなく、ローザリンデは更にさくらへと詰める。
「だがな、おれはもう、誰かに利用されるのはゴメンだった。オマエが途中で、少しでも歩みを止める素振りを見せていたら、…おれから「こんなことやめろ」って説得するつもりだったさ。だが、オマエは止まるどころか、嘘に嘘を重ねてエスカレートさせていくばかりで。そのうえ、自己中心的な考えで、周囲を攻撃する始末…」
「ひっ…?!ろ、ろろ、ローザリンデ…!?」
さくらが急にか細い悲鳴を上げたのも当然。彼女は、ローザリンデから、額に銃口を突き付けられたからだ。だが、周囲のセリカ隊は止めに入らない。
隻眼のローザリンデのそれが、燃えている。烈火の如く、怒っている。―――自分の意思に関係なく温室で育てられ、半ば狂った人生の歯車のままに荒野に出荷され、そこから再び根を張ってから咲き誇る『薔薇の淑女』こと、ローザリンデ・テイスワートは、その薔薇の色に似たリップを塗った唇から、修羅の言葉を紡ぐ。
「ああ、こんな醜い女には、確かに『桜』なんて名前は似合わねえな?―――ほら、嬉しいだろ?喜べよ?やっと自分の欲しかった評価が貰えたんだ。どうした?笑えよ、さくら?」
ローザリンデは腹の底から呻くように言いながら、ぎりり、と銃口をさくらの額にめり込ませる。ひぃ、ひぃ…、と震えていたさくらだったが、…やがて、ふ、と気を失い、後ろに倒れて、……一拍の後、周囲に漂い始める、独特のアンモニア臭。
駆け回るオフィスの為にと、常時フルオーダーで作らせている拘りのヒールの先を汚されても、尚、ローザリンデの隻眼は。生き恥の限りを晒し尽くした、かつての女友達の無様な失神した姿を、睨みつけるように、焼き付けるように、見下ろしていたのだった。
――――…。
出来る限りの全ての事後処理を終えた琉一は、撤退準備を始めているセリカ隊と眺めながら、それを見守っているローザリンデの隣に立った。何事かと、琉一に視線を寄越すローザリンデに対して、彼はしれっとした表情で、告げた。
「最後の最後で、さくらさんに啖呵を切ったのは、実にお見事でしたが。…せめて、突き付けていた銃のセーフティーロックは、外していた方が良かったかもしれませんね」
「…うるせー。間違ってトリガー引いちまったら、それこそ、大惨事だろーがよ」
「さあ?仮に『暴発』したとしても、我々の保険は未だ利いていたみたいですし。…何とかしてくれてたのではないでしょうか?」
ローザリンデの言い訳に対して、これまた涼しい顔で『保険』の話をする琉一の台詞の意味を、彼女は数秒間かけて、じっくりと咀嚼してから、きちんと理解した。してしまった。途端、あああ…ッ!、と慌てふためくローザリンデは、視界が利かない分、身体ごと琉一に向けてから、畳み掛けるような勢いで言う。
「オマエ、それマジで言ってるのか?
いやいや!ソラってあのとき、帰ったんじゃあ―――」
「―――なんだ?呼んだか?お転婆ローズ」
「うぎゃあああ!!出たな物の怪ぇぇぇ!!」
「稀代のイケメンである俺に向かって、物の怪呼ばわりするな。失礼にも程がある」
ソラ、再登場。不機嫌オーラは薄まってはいるものの、…何処か漂い続けるアウトローなオーラ。だが、ローザリンデは伊達に、この男の幼馴染を公言し、今もその関係値の維持を可能とする女ではない。つまり、このソラに向かって、かなり強気で食い下がることが出来る。
「どっちが失礼だって?事あるごとにおれの死角から現れるソラには言われたくねーーッ!」
「は?大して射撃も上手くないくせに、護身用と銘打って小型拳銃を持ち歩いているのは、誰だったか?ローズ?
そんなに自信があるなら、抜けば良いだろう?」
「はあ??射撃の能力だけの話だと、おれとオマエは、どんぐりの背比べだろーが!
「上手くなれないなら、訓練の時間とて無駄だ」とか言って、早々に斧使いに転身したのは、誰だったっけ?ええ?!」
「うるさい。非常にうるさい。マトモな戦績を挙げているだけ、マシと思え。
俺が現場で斧を振るったことで、どれだけ弊社に、―――ルカに貢献していると思っている?」
「ああ、イヤすぎるわー!成果主義なのは現代人の宿命だけどよー?それを笠にマウント取ってくるの、ほんっと男所帯の社畜ってカンジでイヤだわー!さっさとデスクワークに戻りなァ、冷徹秘書官殿ォ?」
ぎゃあぎゃあ、と幼馴染同士の口喧嘩が始まった。それをBGMに、琉一は、陽が傾きかけた天を、静かに見上げたのである。
【本土 琉一&アデリー邸】
帰宅して、いつものようにリビングに入って。周囲の使用人が、YESサインを出した瞬間。
アデリーは、琉一に正面から抱き着いた。
「あああーーー!!五日ぶりの琉一さん!!琉一さん、琉一さん、琉一さんんん!!今度こそきちんとお休みが取れているのですか?!夫婦の時間はありますか?!」
「安心してください。所長から、きちんと、二日間の連休を頂きました。ゆっくり出来ると思いますよ」
抱き着くアデリーの頭を撫でながら、琉一はゆっくりとしたペースで喋る。その声音を聞いたアデリーは、ふふ、と微笑み、琉一の腕の中から、他でもない彼のことを見上げた。
「嬉しいですわぁぁ~~。今回は、琉一さんに電話はおろか、メッセージの一通も送れなかったこと、とてもとても寂しくて…。
ですが、このアデリー。琉一さんのお仕事は邪魔しませんの。愛する旦那様を支える良妻となるため、この家を守る決意をしましたから…!」
「いつも、ありがとうございます。貴女が居るから、自分も安心して、仕事に打ち込めます」
琉一からの言葉を聞いて満足したのか、アデリーは得意げな顔で、やっと彼から離れる。…風呂の支度は、既に終わっているからだ。
「今日のお夕食は、ラム肉のステーキだそうですわ。久しぶりに、とても鮮度の良いモノが入ったと、シェフがそれはもう大喜びですの。
さあ、お風呂へ行きましょう?」
「…、行きましょう、とは?自分は一人で入れますが?」
アデリーの言葉から放たれた違和感を、琉一は素早く拾い上げる。ガンマンたる彼は、照準がブレないからこそ、見逃さない。だが今は、それが仇となった気もする。
現に、アデリーは妖しい笑みを浮かべながら、琉一の腕に自分のそれを絡めながら、続けた。
「あらあら?もしかして、まだ、改造の手術痕が気になると仰いますの?
それは、あのルカ三級高等幹部という御仁が提供なさったハイテクノロジーで、すっかり綺麗に治されたのではなくって?」
「…、……段々と逃げ場を失くさせるのは、止して貰いたいのですが…」
「あら?逃がしませんわ?……このアデリー、愛する琉一さんの妻として、今夜こそ、『その気』にさせてみせますの…♡」
「―――……。」
とうとう、あの琉一が言葉を失った。
銃も理屈も一切通じない相手こそ、彼の弱点。その究極地点に立つ人物こそ、―――彼の妻たる女、このアデリーである。
アデリーの無限の愛こそ、外では鬼才の弁護士であり、武力を持つ改造人間として振る舞う琉一が『ただの夫』に戻れる瞬間にして、『無力だったあの頃の自分』を想起しては、アデリーに対して『無条件降伏』したくなるターニングポイントを、幾度となく迎えては乗り越える、大きすぎる峠なのであった。
どれだけ腕の良いガンマンとて。撃ち抜けない標的は、世界に一つや二つくらい、存在するものだ。
それこそ、亡霊のようにカタチの無い、見せない、姿を現さない、―――愛憎や、欲望だったり。そのあたりが、そうである。
――fin.
