第四章 Specter’s Shot
【翌日。 紫水党本部 百合花の執務室内】
「…はあ、またこれなの…。一体、どれだけの暇を持て余した人間が、この世には居ると言いたいのかしら…」
百合花は、呆れ果てた声でそう言いながら。手元に広げていた手紙やハガキの数々の内容を検めた後。秘書たちに指示を出して、専用の保管場所へと移動させた。
あの百合花が呆れるほどの書簡類の内容。それは、―――百合花本人への殺害予告や、紫水党本部に対する爆破予告、…果ては、彼女の周囲の人間にも危害を及ぼすと脅迫する文章たちである。
政治の世界の身を置いていると、こういう類のモノは日常茶飯事だった。しかも百合花は、現総理・紫雨ユナの姪っ子であり、かの大いなる先祖・紫雨順二郎の直系の末裔たる女。アレコレと難癖、嫉妬、根も葉もないことなどから、勝手極まる言いがかりをつけられては、顔も名前も声も知らぬ相手から、一方的に脅迫されるのは、悲しいことに、百合花自身が慣れ切っていた。
…はずだったのが。これが一体、どういうわけか。最近の脅迫文章たちは、今までのモノたちと様相が違うのである。
『ペルシ』。幸福劇場が運営している、『完全匿名性』を叶えた、新型のSNS。―――…百合花のもとへ届く脅迫文章の数々は、どうやら、このペルシの世界と連動している。その証拠の第一歩ともいえる文言が、彼女の手元に届く脅迫文たちのなかに、必ず書いてある。―――『お前は悪党だ!ペルシでも、皆がそう言っているぞ!』と…。
当初はペルシとはいえ、SNSで起こっていることと、現実世界で起こっていることの混同に驚愕していたものの。すぐさま百合花は、ペルシ内での自分が、不当な評価を受けていると判断した。そして即座に、秘書から一人、広報から一人を抜擢し、ペアを組ませて、ペルシ内にて『政治情報の収集目的』を掲げたアカウントを作らせた。そして、そのペアにアカウントを通して、百合花に関するペルシ内での投稿内容を確認することを、正式な仕事として与えた。
結果、上々、……が過ぎるくらいに、成果が挙がってきた。…その経緯を隠すこともあるまい。何故なら、アカウントを設立させ、そこから情報を観測させてから、たったの三十分足らずで。―――百合花のペルシ内の扱いが、かなり不当、を通り越して、最早、捏造レベルの情報が平然と蔓延っていることが発覚したのだから。
それらは、ユナの総理就任時に上がっていたデマの蒸し返しは勿論のこと。そこから突飛な連想レベルで、勝手な憶測が飛び交っていた。
「百合花は、今も尚、ユナの転覆を狙っている。何故なら、彼女はユナとは違い、あの紫雨将軍の正当な末裔だから」。―――…今も昔も、そんなことを望んだ事実は無いし、自分とユナの間に、かの先祖の血脈の事情が問題視されたことは無い。
「百合花が独り身を貫いているのは、同性愛の趣味があるに違いない。だから、同性婚を認める法律を議題にした国会で、賛成派に立っていたのだ。実際、彼女は恋愛遍歴を口にしたこともない」。―――…自分は同性愛者ではない。恋愛対象は異性だ。しかし、恋人らしい存在を持った経歴がないことは認めるが、その情報をわざわざ公にする必要性は皆無だろう。…そして、そこから飛躍して、自分が同性婚を認める法律の賛成派に立ったことを非難するのは、あまりにもお門違いではないか。
「百合花が若くして上り詰めたのは、どうせ枕営業をしているからだ。汚いおじさんに抱かれて、汚い椅子に座ってるだけ」。―――…枕営業を誘われた事実は、確かにある。しかし、その場できっぱりと断ったうえに、警備に通報もさせた。該当の元男性議員は、今は塀の向こうだ。あと半年は出てこられない。あれから、そういう類の話は、自分の周囲からは消えた。ユナが自身の発言力を生かして、守ってくれていたのも大きい。…そう考えると、やはり恩を感じることはあれど、ユナのことを恨むことは、この先も無いだろう。
「(百合花の顔写真が使われた、際どいベッドシーン風の合成写真)(画質は粗く、不明瞭な点が多いが、百合花の顔が映っているところだけ妙に分かりやすい)」。―――…言語道断。最早、救えぬ者たちの所業でしかない。スキャンダルを捏造するなど、人の心が無さすぎる。……この画像に対するコメントの内容も、見るに耐えない、猥雑なモノばかりだ。…正直、辟易する…。
はぁ…、と百合花の唇から溜め息が漏れ出た。謂れなき誹謗中傷に晒されるのは覚悟の上であり、それを承知したからこそ、彼女は政治家への道を選んだ。…とはいえ、『有名税』という言葉は、既に太古のモノである。有名人だからと言っても、所詮は、たった一人の、生きている人間。感情があり、心がある。根拠の無い噂から、事実無根の情報、そして単純だからこそ悪意と敵意が研ぎ澄まされた悪口などを浴びせられ続けては、流石の百合花とて疲弊はする。ましてや舞台は、ペルシ。完全匿名性を実現した、まさに夢のような地。
だが、夢の実態は、言いたい放題にして、言われ放題。誰一人として、ペルシ内での自分の発信と、それを浴びた相手に対する責任を持たない、無法地帯だ。魑魅魍魎が跋扈する、という言葉が、これほど相応しい場面も、そうそうないだろう。
百合花は、決めあぐねていた。自分の身は護衛係が守ってくれる。…しかし、脅迫文のなかにあった、「百合花の周囲の人間に危害を加える」旨の事件が、本当に起こった場合は?一体、誰がそのひとを守っているというのか?
割ける人員も予算も限りがあり、百合花自身の権限とて有限である。未然の脅威の全てを防ぐのは、到底、無理だろう。…かといって、何も対策をせずに放置して、本当に事件に一つでも起こってしまったら…、…それこそ、百合花の失脚に繋がる。
「…今こそ、私はこの舞台から降りることが出来ない…。幸福劇場は、私が招致した使徒たち…。それならば、私が一番前に立って歩き、国民たちが安心して渡れる橋を創る葦にならなければ…」
百合花がそう呟いたのを、室内にいた誰もが聞いていた。そして、胸中で深く同意すると同時に、痛ましい思いも抱く。
何か、百合花へ良い知恵を授けてくれる賢者は、この世に居ないのだろうか…?
皆がそう思っていたとき。執務室の扉が開いて、他の議員のもとへ書類を提出しに行っていた秘書の一人が戻ってきた。その秘書は、帰りの挨拶もそこそこに、百合花のデスクへと一直線へ向かう。そして、何事かと顔を上げた百合花へ、そっと耳打ちした。
「トルバドール・セキュリティーの輝・リーグスティ氏と、雪坂矢槻氏が、紫水党本部にお見えになっているようです。本部の警備システムの視察にいらしたようですが…。どうも先代の社長から引き継いだ仕事に慣れる練習…、つまり形ばかりの視察のようです。
…ですので、「相談したいことがある」という名目で、急遽こちらにお招きしてもよろしいかと…」
「…!! ええ、お願い…!すぐに手配して…!」
秘書からの報告に、百合花はすぐに反応を示し、そして即断してみせる。―――…天からの叡智は、やはり信じるものに降ってくるのだ、と。
――――…。
秘書の見立て通り、輝と矢槻の視察は形式上のモノだったようだ。その証拠に、百合花が秘書に持たせたメモ書きを、その場で読んだ輝は、顔色を変えたらしい。そして、彼の様子を素早く把握した矢槻が、俳優として積み重ねた口先と仕草を駆使して、視察の案内係という名の「品定め役」を自分たちから引き剝がした。
そうして。輝と矢槻は、現在、百合花の執務室に併設されている応接室にて、彼女から事情を聞いている真っ最中である。
情報収集係から貰った、ペルシ内での百合花への捏造極まる、謂れなき情報の数々を、彼女は隠し立てもしなければ、おかしな言い訳も個人の解釈も付けず。つまびらかに輝と矢槻へ公開した。そのうえで、「お二人から、今後の私の身辺と、周囲の人間の安全をより強固に守るための案が欲しい」と伝えた。
てっきり、百合花は。二人はその案を持ち帰ると思っていた。…が、矢槻がトルバドール・セキュリティーの社内情報が入っているらしいタブレットを取り出して、それを見た輝が「では、今この場で思いつく限り、挙げていきますね」と言った途端。
怒涛のアイデアラッシュが始まった。
第一案。『百合花の周囲に、ロボット兵士を配置する』
「SNSで吠えているだけの弱者は、眼に見える、つまり現実に存在する脅威を恐れます。なので、手っ取り早いのは、トルバドール・セキュリティーから、最新のロボット兵士を派遣することでしょうか?」
「それは確かに抑止力としては、手っ取り早いし、コスト面も安定する。しかし、ネット上でしか吠えられない連中だからこそ、現実に脅威が発生した途端、更に仮想空間で暴走を始めかねない。ペルシ内での彼らの言動は、あまりにも短絡的だから、…それこそ、「紫雨先生は、自分たちの発信を怖がっている。だからロボット兵士を使い始めた。自分たちの言うことは正しかった。だからもっと攻撃してしまおう」となる可能性が大きいね」
輝の提案は、実に真っ直ぐなモノ。矢槻の言う通り、『単純な工程を持つ、安定した作戦』。しかし、矢槻の指摘の通り、眼に見える武装勢力を百合花がチラつかせてしまえば、ペルシ内での反発はより強まるであろう。最悪、現実世界のメディアにも飛び火しかねない。却下。
第二案。『街頭の監視カメラを利用して、不審者を炙り出す』
「トルバドール・セキュリティーが握っている、街中の監視カメラを利用できないでしょうか?紫雨先生の周囲に犯罪的な動きがあれば、保全侵害として、弊社でも容疑者を取り押さえることは可能です」
「眼に見えない防御を張る…、素晴らしい。だが、それではこちら側が後手に回るだろうね。こういう連中の犯行は衝動的だったり、計画性があったとしても杜撰すぎて、逆に我々からは想像もできないパターンに発展することもある。紫雨先生の身に何かあった瞬間、容疑者を取り押さえる必要があるのなら、監視カメラで見張るだけでは足りないね」
トルバドール・セキュリティーは、民間の軍備会社だ。法人向けの取引がメインではあるものの、一般市民の生活の安全を陰から守るのも、この会社がもたらす社会的なインフラである。故に、輝はそこを利用して、街中の至るところに設置しているトルバドール・セキュリティーが管轄している監視カメラを使い、外勤中の百合花を見守る作戦を出す。だがやはり、矢槻の返答にあるように、いざ不審者が百合花に近付いた際、そのホシを抑えるための即効性には欠ける。却下。
第三案。『輝は詳細をド忘れしてしまっているが、トルバドール・セキュリティー内で新開発された武装兵器を投入する』
「あー、アレ、なんていう名前でしたっけ…?あの、僕の雷翅に搭載されているバリアシールドの、単発バージョンの、アレ。…確か、個人の警備用に調整されているはずですから、デフォルトで紫雨先生についている護衛係に配備するのはどうでしょうか?」
「…残念だが、輝くん。そのシールド武装機は現在、鋭意調整中のもので、且つ、まだ非公開情報だよ。つまり社外秘だ。…帰ったら、始末書だね。おつかれ」
「あっ…、え、マ?」
「申し訳ございません、紫雨先生。今の輝くんの話は、聞かなかったことにしてください」
「も、申し訳ございませんでした…!」
無理。輝が曖昧な記憶の底から引っ張り出してきた武器の話は、まだまだ開発途中だったうえに、社外秘の情報であった。情報漏洩(一応、未遂)として、本社に帰り次第、輝は始末書を提出して貰うとしよう。
自分の不始末とはいえ、帰社すれば罰が待っていると分かった手前、若干、意気消沈、というか、明らかにテンションが下がっている輝の表情を見た百合花は、―――思わず、ふふ、と笑い声を零してしまった。だが直後、我に返って。
「し、失礼いたしました。リーグスティさんが、あまりにも年相応だったものでして、つい…」
百合花は相手に非礼を詫びる。咄嗟に出たものだったとはいえ、乙女ゲームの主人公のような言い訳を述べてしまったことが恥ずかしい。…ここ最近。仕事で疲れた心が癒しを求めるあまり、趣味の乙女ゲームにのめり込むことが増えてしまっているからだろうか…。とはいえ、先の言い訳は間違いなく、百合花の本心でもあった。
すると、矢槻が不意に口を開く。
「紫雨先生は、弊社の次期社長候補を…、輝くんを、信用に値する人間だと思っていただけますでしょうか?」
唐突な質問であった。だが、返答は容易い。百合花はすぐに答える。
「ええ、勿論です。
でなければ、政治家としての私の立場が危ういとはいえ、たかだかSNS内での不当な扱いに関するご相談など、いたしません」
その百合花の言葉を聞いた矢槻は、ふむ、と満足そうに頷いた後。隣に座っている輝へと視線を寄越して、告げた。
「輝くん。紫雨先生の護衛として、彼女の傍についてあげようじゃないか。あ、僕も同行はするけれど、それは君の相談役だからであって、決して戦力としては数えないでくれたまえ。
名目は、そうだな…、『要人警護訓練 ハードモード』とかで良いんじゃないかな?知らんけど」
矢槻の提案に、百合花は「え」と短すぎる、しかし、あまりにも人間味のある反応が出力されて、…すぐに消える。輝が即座に喋り出したからだ。
「知らないんですね、ハイ、もういいですよ。…そんな流れになる気がしてましたし、ワンチャン、そうならなかったら僕から言い出そうとも思ってましたし…」
そうなの?!と百合花は、今度は胸中で叫ぶ。これはつまり、輝が自分の護衛として配備される、ということ…?
現時点での、百合花から見た、輝・リーグスティとは?
白色の騎士服を着こんだ、金髪の少年。武器は、雷翅(らいし)という名がついた、弓型の最新兵器。だがどうやら普段は剣型にして、腰から下げている。実力は言うまでもなく、かといって、それに胡坐をかくこともない。自分より立場も権力も上の人間に対して、臆せず物を言える胆力の持ち主。一方で、自分に非があると思えば、時間差は生じるとはいえ、きちんと謝罪を入れる。そうして、縮まった精神的な距離から、今は彼なりに誠意あるアプローチをしてくれている。
そこまで秒速で考えた百合花は、ある結論に至った。
(……これは……、乙女ゲームで、散々見てきた、『お約束』では……??)
…。彼女の名誉のために断っておくが。百合花は決して、ゲームと現実を混同してしまったわけではない。ただ単に、「あ!これ、進〇ゼミで習ったやつだ!」の現象に陥り、結果、己の中で自己完結してしまっただけである。もっと簡単に、且つ、あけすけな表現で言い直せば、「輝に対して、心が傾きかけている」。
一方、自分の思考の海に嵌りかけている百合花のことには気が付いていないらしい輝は、矢槻に話しかけていた。
「社用のスマホのものだったら、メッセージアプリのID交換っていけます?」
「そうだね。社用だったら問題はないんじゃないかな?そもそも個人間のやり取りは、本来、外野が首を突っ込む領域ではないからね。知らんけど」
「これも知らないんですね、ハイ、こっちで判断しておきます。
ということで、紫雨先生、社用のスマホ同士で、メッセージIDを交換しておきませんか?」
会話の矛先が、急に百合花へと向けられる。思わず肩を跳ねさせた彼女ではあったが、すぐに平静を装い、秘書が持ってきた鞄の中から、私用のスマートフォンを取り出すものの…。…どうしても、引っかかる点がある。
「まあ…、社用のものならば、雪坂さんの言う通り、問題はなさそうですが…。…あの、その…、嫌ではないの?護衛のためとはいえ、年上の女性に、貴方ほどの年頃の御方が、連絡先を知られるなんて…」
「? 仕事関係の連絡先なら、性差や、年齢の上下って、特に関係がない気がしますけれど…?だって、メッセージアプリも含めて、SNS全般の中では、それらってただの記号でしょう?」
百合花の疑問は、輝のあっさりとした回答に流されるように消え去る。…なるほど。これが現代っ子という生き物…。百合花は無理やりでも納得しておく。だがしかし。
「……これが、ジェネレーションギャップというモノかしら…?」
殆ど無意識で呟かれた、百合花のその言葉は。またしても、あっさり&サッパリした、SNSネイティブ世代・輝の台詞に、すぱん、と潔く切り分けられる。
「そうですか?…いいえ?現代ネットリテラシーというか、…ただの『SNS版常識問題』では…?
あ、これが僕のIDのQRコードです。読み取ってから、追加しておいてください」
「…、…勉強になりますわ。ええ、とっても…。
あ、読み取れました。追加、っと…」
実情、あまり自分の手で他人と連絡先を交換するという機会に恵まれてこなかった、というか、諸々の事情で秘書や世話役を仲介する身の上のため、百合花は少し新鮮な気持ちだった。新しく追加された輝の連絡先を示すアイコンが、数多の政治家や、社交界の有力者たちのそれらの中に並び立つ。が、百合花の眼には、輝のアイコンが、恒星のように、一際、強く瞬いて見えた。
――――…。
あれから、本格的な打ち合わせの日程をすり合わせる約束をしてから。輝と矢槻は、百合花の執務室を後にして行った。
残された百合花は、秘書の一人が淹れてくれた紅茶を、まだ湯気が立っているうちに、一口、頂く。
いつもと違う味がする気がした。
to be continued...
「…はあ、またこれなの…。一体、どれだけの暇を持て余した人間が、この世には居ると言いたいのかしら…」
百合花は、呆れ果てた声でそう言いながら。手元に広げていた手紙やハガキの数々の内容を検めた後。秘書たちに指示を出して、専用の保管場所へと移動させた。
あの百合花が呆れるほどの書簡類の内容。それは、―――百合花本人への殺害予告や、紫水党本部に対する爆破予告、…果ては、彼女の周囲の人間にも危害を及ぼすと脅迫する文章たちである。
政治の世界の身を置いていると、こういう類のモノは日常茶飯事だった。しかも百合花は、現総理・紫雨ユナの姪っ子であり、かの大いなる先祖・紫雨順二郎の直系の末裔たる女。アレコレと難癖、嫉妬、根も葉もないことなどから、勝手極まる言いがかりをつけられては、顔も名前も声も知らぬ相手から、一方的に脅迫されるのは、悲しいことに、百合花自身が慣れ切っていた。
…はずだったのが。これが一体、どういうわけか。最近の脅迫文章たちは、今までのモノたちと様相が違うのである。
『ペルシ』。幸福劇場が運営している、『完全匿名性』を叶えた、新型のSNS。―――…百合花のもとへ届く脅迫文章の数々は、どうやら、このペルシの世界と連動している。その証拠の第一歩ともいえる文言が、彼女の手元に届く脅迫文たちのなかに、必ず書いてある。―――『お前は悪党だ!ペルシでも、皆がそう言っているぞ!』と…。
当初はペルシとはいえ、SNSで起こっていることと、現実世界で起こっていることの混同に驚愕していたものの。すぐさま百合花は、ペルシ内での自分が、不当な評価を受けていると判断した。そして即座に、秘書から一人、広報から一人を抜擢し、ペアを組ませて、ペルシ内にて『政治情報の収集目的』を掲げたアカウントを作らせた。そして、そのペアにアカウントを通して、百合花に関するペルシ内での投稿内容を確認することを、正式な仕事として与えた。
結果、上々、……が過ぎるくらいに、成果が挙がってきた。…その経緯を隠すこともあるまい。何故なら、アカウントを設立させ、そこから情報を観測させてから、たったの三十分足らずで。―――百合花のペルシ内の扱いが、かなり不当、を通り越して、最早、捏造レベルの情報が平然と蔓延っていることが発覚したのだから。
それらは、ユナの総理就任時に上がっていたデマの蒸し返しは勿論のこと。そこから突飛な連想レベルで、勝手な憶測が飛び交っていた。
「百合花は、今も尚、ユナの転覆を狙っている。何故なら、彼女はユナとは違い、あの紫雨将軍の正当な末裔だから」。―――…今も昔も、そんなことを望んだ事実は無いし、自分とユナの間に、かの先祖の血脈の事情が問題視されたことは無い。
「百合花が独り身を貫いているのは、同性愛の趣味があるに違いない。だから、同性婚を認める法律を議題にした国会で、賛成派に立っていたのだ。実際、彼女は恋愛遍歴を口にしたこともない」。―――…自分は同性愛者ではない。恋愛対象は異性だ。しかし、恋人らしい存在を持った経歴がないことは認めるが、その情報をわざわざ公にする必要性は皆無だろう。…そして、そこから飛躍して、自分が同性婚を認める法律の賛成派に立ったことを非難するのは、あまりにもお門違いではないか。
「百合花が若くして上り詰めたのは、どうせ枕営業をしているからだ。汚いおじさんに抱かれて、汚い椅子に座ってるだけ」。―――…枕営業を誘われた事実は、確かにある。しかし、その場できっぱりと断ったうえに、警備に通報もさせた。該当の元男性議員は、今は塀の向こうだ。あと半年は出てこられない。あれから、そういう類の話は、自分の周囲からは消えた。ユナが自身の発言力を生かして、守ってくれていたのも大きい。…そう考えると、やはり恩を感じることはあれど、ユナのことを恨むことは、この先も無いだろう。
「(百合花の顔写真が使われた、際どいベッドシーン風の合成写真)(画質は粗く、不明瞭な点が多いが、百合花の顔が映っているところだけ妙に分かりやすい)」。―――…言語道断。最早、救えぬ者たちの所業でしかない。スキャンダルを捏造するなど、人の心が無さすぎる。……この画像に対するコメントの内容も、見るに耐えない、猥雑なモノばかりだ。…正直、辟易する…。
はぁ…、と百合花の唇から溜め息が漏れ出た。謂れなき誹謗中傷に晒されるのは覚悟の上であり、それを承知したからこそ、彼女は政治家への道を選んだ。…とはいえ、『有名税』という言葉は、既に太古のモノである。有名人だからと言っても、所詮は、たった一人の、生きている人間。感情があり、心がある。根拠の無い噂から、事実無根の情報、そして単純だからこそ悪意と敵意が研ぎ澄まされた悪口などを浴びせられ続けては、流石の百合花とて疲弊はする。ましてや舞台は、ペルシ。完全匿名性を実現した、まさに夢のような地。
だが、夢の実態は、言いたい放題にして、言われ放題。誰一人として、ペルシ内での自分の発信と、それを浴びた相手に対する責任を持たない、無法地帯だ。魑魅魍魎が跋扈する、という言葉が、これほど相応しい場面も、そうそうないだろう。
百合花は、決めあぐねていた。自分の身は護衛係が守ってくれる。…しかし、脅迫文のなかにあった、「百合花の周囲の人間に危害を加える」旨の事件が、本当に起こった場合は?一体、誰がそのひとを守っているというのか?
割ける人員も予算も限りがあり、百合花自身の権限とて有限である。未然の脅威の全てを防ぐのは、到底、無理だろう。…かといって、何も対策をせずに放置して、本当に事件に一つでも起こってしまったら…、…それこそ、百合花の失脚に繋がる。
「…今こそ、私はこの舞台から降りることが出来ない…。幸福劇場は、私が招致した使徒たち…。それならば、私が一番前に立って歩き、国民たちが安心して渡れる橋を創る葦にならなければ…」
百合花がそう呟いたのを、室内にいた誰もが聞いていた。そして、胸中で深く同意すると同時に、痛ましい思いも抱く。
何か、百合花へ良い知恵を授けてくれる賢者は、この世に居ないのだろうか…?
皆がそう思っていたとき。執務室の扉が開いて、他の議員のもとへ書類を提出しに行っていた秘書の一人が戻ってきた。その秘書は、帰りの挨拶もそこそこに、百合花のデスクへと一直線へ向かう。そして、何事かと顔を上げた百合花へ、そっと耳打ちした。
「トルバドール・セキュリティーの輝・リーグスティ氏と、雪坂矢槻氏が、紫水党本部にお見えになっているようです。本部の警備システムの視察にいらしたようですが…。どうも先代の社長から引き継いだ仕事に慣れる練習…、つまり形ばかりの視察のようです。
…ですので、「相談したいことがある」という名目で、急遽こちらにお招きしてもよろしいかと…」
「…!! ええ、お願い…!すぐに手配して…!」
秘書からの報告に、百合花はすぐに反応を示し、そして即断してみせる。―――…天からの叡智は、やはり信じるものに降ってくるのだ、と。
――――…。
秘書の見立て通り、輝と矢槻の視察は形式上のモノだったようだ。その証拠に、百合花が秘書に持たせたメモ書きを、その場で読んだ輝は、顔色を変えたらしい。そして、彼の様子を素早く把握した矢槻が、俳優として積み重ねた口先と仕草を駆使して、視察の案内係という名の「品定め役」を自分たちから引き剝がした。
そうして。輝と矢槻は、現在、百合花の執務室に併設されている応接室にて、彼女から事情を聞いている真っ最中である。
情報収集係から貰った、ペルシ内での百合花への捏造極まる、謂れなき情報の数々を、彼女は隠し立てもしなければ、おかしな言い訳も個人の解釈も付けず。つまびらかに輝と矢槻へ公開した。そのうえで、「お二人から、今後の私の身辺と、周囲の人間の安全をより強固に守るための案が欲しい」と伝えた。
てっきり、百合花は。二人はその案を持ち帰ると思っていた。…が、矢槻がトルバドール・セキュリティーの社内情報が入っているらしいタブレットを取り出して、それを見た輝が「では、今この場で思いつく限り、挙げていきますね」と言った途端。
怒涛のアイデアラッシュが始まった。
第一案。『百合花の周囲に、ロボット兵士を配置する』
「SNSで吠えているだけの弱者は、眼に見える、つまり現実に存在する脅威を恐れます。なので、手っ取り早いのは、トルバドール・セキュリティーから、最新のロボット兵士を派遣することでしょうか?」
「それは確かに抑止力としては、手っ取り早いし、コスト面も安定する。しかし、ネット上でしか吠えられない連中だからこそ、現実に脅威が発生した途端、更に仮想空間で暴走を始めかねない。ペルシ内での彼らの言動は、あまりにも短絡的だから、…それこそ、「紫雨先生は、自分たちの発信を怖がっている。だからロボット兵士を使い始めた。自分たちの言うことは正しかった。だからもっと攻撃してしまおう」となる可能性が大きいね」
輝の提案は、実に真っ直ぐなモノ。矢槻の言う通り、『単純な工程を持つ、安定した作戦』。しかし、矢槻の指摘の通り、眼に見える武装勢力を百合花がチラつかせてしまえば、ペルシ内での反発はより強まるであろう。最悪、現実世界のメディアにも飛び火しかねない。却下。
第二案。『街頭の監視カメラを利用して、不審者を炙り出す』
「トルバドール・セキュリティーが握っている、街中の監視カメラを利用できないでしょうか?紫雨先生の周囲に犯罪的な動きがあれば、保全侵害として、弊社でも容疑者を取り押さえることは可能です」
「眼に見えない防御を張る…、素晴らしい。だが、それではこちら側が後手に回るだろうね。こういう連中の犯行は衝動的だったり、計画性があったとしても杜撰すぎて、逆に我々からは想像もできないパターンに発展することもある。紫雨先生の身に何かあった瞬間、容疑者を取り押さえる必要があるのなら、監視カメラで見張るだけでは足りないね」
トルバドール・セキュリティーは、民間の軍備会社だ。法人向けの取引がメインではあるものの、一般市民の生活の安全を陰から守るのも、この会社がもたらす社会的なインフラである。故に、輝はそこを利用して、街中の至るところに設置しているトルバドール・セキュリティーが管轄している監視カメラを使い、外勤中の百合花を見守る作戦を出す。だがやはり、矢槻の返答にあるように、いざ不審者が百合花に近付いた際、そのホシを抑えるための即効性には欠ける。却下。
第三案。『輝は詳細をド忘れしてしまっているが、トルバドール・セキュリティー内で新開発された武装兵器を投入する』
「あー、アレ、なんていう名前でしたっけ…?あの、僕の雷翅に搭載されているバリアシールドの、単発バージョンの、アレ。…確か、個人の警備用に調整されているはずですから、デフォルトで紫雨先生についている護衛係に配備するのはどうでしょうか?」
「…残念だが、輝くん。そのシールド武装機は現在、鋭意調整中のもので、且つ、まだ非公開情報だよ。つまり社外秘だ。…帰ったら、始末書だね。おつかれ」
「あっ…、え、マ?」
「申し訳ございません、紫雨先生。今の輝くんの話は、聞かなかったことにしてください」
「も、申し訳ございませんでした…!」
無理。輝が曖昧な記憶の底から引っ張り出してきた武器の話は、まだまだ開発途中だったうえに、社外秘の情報であった。情報漏洩(一応、未遂)として、本社に帰り次第、輝は始末書を提出して貰うとしよう。
自分の不始末とはいえ、帰社すれば罰が待っていると分かった手前、若干、意気消沈、というか、明らかにテンションが下がっている輝の表情を見た百合花は、―――思わず、ふふ、と笑い声を零してしまった。だが直後、我に返って。
「し、失礼いたしました。リーグスティさんが、あまりにも年相応だったものでして、つい…」
百合花は相手に非礼を詫びる。咄嗟に出たものだったとはいえ、乙女ゲームの主人公のような言い訳を述べてしまったことが恥ずかしい。…ここ最近。仕事で疲れた心が癒しを求めるあまり、趣味の乙女ゲームにのめり込むことが増えてしまっているからだろうか…。とはいえ、先の言い訳は間違いなく、百合花の本心でもあった。
すると、矢槻が不意に口を開く。
「紫雨先生は、弊社の次期社長候補を…、輝くんを、信用に値する人間だと思っていただけますでしょうか?」
唐突な質問であった。だが、返答は容易い。百合花はすぐに答える。
「ええ、勿論です。
でなければ、政治家としての私の立場が危ういとはいえ、たかだかSNS内での不当な扱いに関するご相談など、いたしません」
その百合花の言葉を聞いた矢槻は、ふむ、と満足そうに頷いた後。隣に座っている輝へと視線を寄越して、告げた。
「輝くん。紫雨先生の護衛として、彼女の傍についてあげようじゃないか。あ、僕も同行はするけれど、それは君の相談役だからであって、決して戦力としては数えないでくれたまえ。
名目は、そうだな…、『要人警護訓練 ハードモード』とかで良いんじゃないかな?知らんけど」
矢槻の提案に、百合花は「え」と短すぎる、しかし、あまりにも人間味のある反応が出力されて、…すぐに消える。輝が即座に喋り出したからだ。
「知らないんですね、ハイ、もういいですよ。…そんな流れになる気がしてましたし、ワンチャン、そうならなかったら僕から言い出そうとも思ってましたし…」
そうなの?!と百合花は、今度は胸中で叫ぶ。これはつまり、輝が自分の護衛として配備される、ということ…?
現時点での、百合花から見た、輝・リーグスティとは?
白色の騎士服を着こんだ、金髪の少年。武器は、雷翅(らいし)という名がついた、弓型の最新兵器。だがどうやら普段は剣型にして、腰から下げている。実力は言うまでもなく、かといって、それに胡坐をかくこともない。自分より立場も権力も上の人間に対して、臆せず物を言える胆力の持ち主。一方で、自分に非があると思えば、時間差は生じるとはいえ、きちんと謝罪を入れる。そうして、縮まった精神的な距離から、今は彼なりに誠意あるアプローチをしてくれている。
そこまで秒速で考えた百合花は、ある結論に至った。
(……これは……、乙女ゲームで、散々見てきた、『お約束』では……??)
…。彼女の名誉のために断っておくが。百合花は決して、ゲームと現実を混同してしまったわけではない。ただ単に、「あ!これ、進〇ゼミで習ったやつだ!」の現象に陥り、結果、己の中で自己完結してしまっただけである。もっと簡単に、且つ、あけすけな表現で言い直せば、「輝に対して、心が傾きかけている」。
一方、自分の思考の海に嵌りかけている百合花のことには気が付いていないらしい輝は、矢槻に話しかけていた。
「社用のスマホのものだったら、メッセージアプリのID交換っていけます?」
「そうだね。社用だったら問題はないんじゃないかな?そもそも個人間のやり取りは、本来、外野が首を突っ込む領域ではないからね。知らんけど」
「これも知らないんですね、ハイ、こっちで判断しておきます。
ということで、紫雨先生、社用のスマホ同士で、メッセージIDを交換しておきませんか?」
会話の矛先が、急に百合花へと向けられる。思わず肩を跳ねさせた彼女ではあったが、すぐに平静を装い、秘書が持ってきた鞄の中から、私用のスマートフォンを取り出すものの…。…どうしても、引っかかる点がある。
「まあ…、社用のものならば、雪坂さんの言う通り、問題はなさそうですが…。…あの、その…、嫌ではないの?護衛のためとはいえ、年上の女性に、貴方ほどの年頃の御方が、連絡先を知られるなんて…」
「? 仕事関係の連絡先なら、性差や、年齢の上下って、特に関係がない気がしますけれど…?だって、メッセージアプリも含めて、SNS全般の中では、それらってただの記号でしょう?」
百合花の疑問は、輝のあっさりとした回答に流されるように消え去る。…なるほど。これが現代っ子という生き物…。百合花は無理やりでも納得しておく。だがしかし。
「……これが、ジェネレーションギャップというモノかしら…?」
殆ど無意識で呟かれた、百合花のその言葉は。またしても、あっさり&サッパリした、SNSネイティブ世代・輝の台詞に、すぱん、と潔く切り分けられる。
「そうですか?…いいえ?現代ネットリテラシーというか、…ただの『SNS版常識問題』では…?
あ、これが僕のIDのQRコードです。読み取ってから、追加しておいてください」
「…、…勉強になりますわ。ええ、とっても…。
あ、読み取れました。追加、っと…」
実情、あまり自分の手で他人と連絡先を交換するという機会に恵まれてこなかった、というか、諸々の事情で秘書や世話役を仲介する身の上のため、百合花は少し新鮮な気持ちだった。新しく追加された輝の連絡先を示すアイコンが、数多の政治家や、社交界の有力者たちのそれらの中に並び立つ。が、百合花の眼には、輝のアイコンが、恒星のように、一際、強く瞬いて見えた。
――――…。
あれから、本格的な打ち合わせの日程をすり合わせる約束をしてから。輝と矢槻は、百合花の執務室を後にして行った。
残された百合花は、秘書の一人が淹れてくれた紅茶を、まだ湯気が立っているうちに、一口、頂く。
いつもと違う味がする気がした。
to be continued...
