第三章 現実は創作より奇なり
【二日後。 紫水党本部 百合花の執務室内】
つつがなく休暇を終えた百合花は、紫水党本部に出勤し、自分の執務室で、いつものように冷静に、且つ、責務への正義を秘めて、仕事をしていた。が、妙に慌てた様子の秘書たちが、彼女のもとへ一通の書簡を持ってきたことで、百合花の心に、一筋の動揺が走る。
真っ白な封筒に入った、これまた真っ白な便箋に綴られた、一糸乱れぬインクの文字列。それが告げるのは、衝撃的な告知だった。
『幸福劇場は、きたる第二脚本の演出に関する準備を始めますことを、此処に宣言します。
つきましては、下記の皆様に於いて、召集を命じます。
尚、幸福劇場に於いては、皆様の却下や棄権の想定をしてはおりません。何卒宜しくお願い致します。
-召集対象-
紫水党本部所属 紫雨百合花議員殿
ROG. COMPANY本社 前岩田レイジ代表取締役社長殿
社長秘書兼五級高等幹部 ローザリンデ・テイスワート殿
特殊対応室所属 ツバサ事務員殿
トルバドール・セキュリティー所属 輝・リーグスティ次期社長候補殿
同上 イヴェット・リーグスティ名誉会長殿
同上 雪坂八槻殿
-召集場所-
出席のお返事を頂き次第、各位、場所を記した情報を送付致します。』
――――…一方的な召集命令、だと…?!
動揺した百合花の肘が当たったことで、机の上のティーカップが倒れ、中身の紅茶がぶちまけられる。しかし、今の百合花にそれを構う暇は無い。
文章内に『きたる第二脚本の演出に関する準備』と銘打っているということは、……もう間も無く、あの地獄のような施策の第二歩が、スタートラインに立っているという事実。…だが、そのために召集を課すのは、もう良いとして、―――この面子は、一体、何を意味すると言うのか?!
ROG. COMPANY本社の社長が呼ばれているのは、何となく想像が出来た。…恐らく、ルカの代わりだろう。ヒルカリオの中心たるルカは、現在、機体の不具合が見つかり、修理と調整に入っていて、実質の不在状態だ。彼の代わりに、ヒルカリオに関する決定権を持つとすれば、それはもう、ROG. COMPANYの若社長たる、あのダウナー気質の御曹司しか有り得ないだろう。そうなると、社長秘書を兼務している、ローザリンデ五級高等幹部が来るのも、分かる。
だが、そこに一緒に名前を連ねている『ツバサ事務員殿』という存在は、妙に引っ掛かった。特殊対応室とは、ルカが指揮・統括している部署の正式名称。そこに所属している社員にまで声が掛かるのは、…百歩譲って、まあ、想定も出来よう。だが、ルカの専属秘書官である、あの『冷徹秘書官・ソラ』を差し置いて、ただの事務員らしき人間が呼ばれている理由は、一体、何処に…?
ぐるぐると考える百合花であったが、……やはり、彼女の心を一番に騒がしくしているのは、輝の名前が書いてあることであった。
青いネモフィラの前で、真芯からの誠実な姿を見せてくれた、あの高潔な騎士服を纏う少年が、―――政治の舞台に…、百合花が居るべき場所に、無理矢理、引っ張り出されようとしている―――…!
絶望に似た感情を覚える百合花の眼が、文末を見届ける。
『我々、幸福劇場と、皆様が、より良き新時代の風を吹き込む一助となることを、願います。
幸福劇場こと、劇場型幸福舞台演出隊列 特務将軍・マルギット拝』
―――それを読んだ直後。百合花は、人目も憚らず、手紙を机に叩きつけて。その花唇が割れんばかりの絶叫を、執務室内に迸らせたのだった。
【数日後。 本土 某所】
幸福劇場にて押さえられた、とある高級ホテルの一室に集ったのは、―――…あの一方的な召集命令に応じたメンバーたち全員だった。
召集された人間たちの中では、一番最後に入室した百合花は、皆に軽く会釈をしながら、ノアに誘導されて、招かれたメンバー内で一番の上座に腰を下ろす。それは良い。彼女は、我が国の政治家たる女性だ。―――百合花が引っ掛かったのは、対面に座る、…つまり、政治家である自分とほぼ同じ立場として扱われている上座の椅子に、静かに座し、手元のノートパソコンを弄っている、一人の女性の存在感だった。…顔立ちが、マルギットに似ている。というか、もうそっくりさんレベルだ。そんな彼女の隣に座っているのは、間違いなく、あの前岩田レイジ。更にその隣が、ローザリンデ。ということは…―――?
百合花も議事録を取るためのノートパソコンを起ち上げる作業をしながら、さり気なく、対面の女性の胸元にある社員証を盗み見た。
『ROG. COMPANY本社 特殊対応室 TSUBASA』
そう印字されているのを確認した百合花の背中に、激震の冷や汗が伝った。―――彼女が、『ツバサ事務員』…?
社長よりも、五級高等幹部よりも、上の位置に座っておきながら、それも当然とばかりに、澄ました顔をしているではないか?何たる担力だろうか…。最早、豪胆と評しても、過言ではないかもしれない…―――。
百合花がそこまで考えたとき、扉が開く音が聞こえた。そちらを向くと、マルギットが入室してくる姿が見える。
皆がすぐさま立ち上がり、沈黙と無表情を以て歓迎し、彼女が席に座るのを待ってから、各々の椅子へと直った。
マルギット隣にはノアが、キャットは部屋唯一の出入り口である、扉の前に立つ。―――…どうやら、途中で離席することさえ、許さないらしい。
全員がそう悟ったとき、マルギットが早速とばかりに、口を開く。
「ごきげんよう、皆様。幸福劇場であります。本日は我々の召集に応じて頂けましたこと、感謝申し上げます。。
ちなみに、既にお手洗い等はお済みでしょうか。…ご覧の通り、キャットが扉を守ります故、会議が始まってから以降、緊急時以外の理由で中座をすることは、不可能と予測します」
どの口が言っているのか。白々しいにも程がある。一方的に却下不可能の召集を命じた時点で、かなりの強引さが垣間見えるものの。…やはり、先日の第一脚本が世間に与えた悪影響も相まって、この幸福劇場への評価は、正直、此処にかき集められたメンバー全員、かなり下火…、というより、マイナスだ。公の場として集合させられていなければ、ヘイトスピーチすら厭わない人物さえ居る。…本人の名誉のため、名前は伏せさせて貰うが…。
マルギットは淡々と続ける。
「…では、始めましょう。
まず、先んじてお伝えしました通り、我々は、今現在、第二脚本の演出開始の準備をしております。
本日は、その準備の最後のピースを用意するため、…そして、その用意されたピースを嵌めた瞬間を、皆様に見届けて頂きたく存じます。よろしくお願い致します」
マルギットがそう言うと、ノアが手に持っていたスティック型のリモコンを操作して、彼女の背後のスクリーンに画を映し出す。
―――『第二脚本 ペルソナ・システム』―――
白地のキャンパスに、黒字でそう書かれただけの、無機質な画像。…だが、その冷たさが却って、幸福劇場が敷く『脚本』の恐ろしさを想起させるようだ。
全員が議事録やメモなどを取り始めたのを確認したのか、マルギットが、本格的な説明をスタートする。
「ペルソナ・システム。こちらが、次に演出予定とされている脚本の題名であります。
内容は、至ってシンプルに説明しますと。―――…『完全匿名性SNSの試験運用』。
一般常識ではありますが、インターネットには、『IPアドレス』というモノが存在します。こちらは『インターネット上の個人住所』と言われ、匿名性が高いSNSに於いても、このIPアドレスが振られている以上、発信元である個人は、公的機関が行う『特定』からは、決して逃れられません。
…我々、幸福劇場の第二脚本『ペルソナ・システム』は、―――この『IPアドレスの完全非公開をもとに運営される独自のSNSを、全国民を対象に解放する』ことを、脚本の演出内容としています」
淡々と説明している口調が、恐怖の助長になっているのは、マルギットには自覚が無いらしい。その証拠に、幸福劇場の三人衆以外の全員が、皆、顔色を悪くしている。…敢えて、比較的平気そうな表情をしている人物を挙げるとすれば、…それは、ツバサだった。
マルギットは更に続ける。
「脚本上、『IPアドレスの完全非公開』とは銘打っているものの、いざというときの保険は掛けるべきであります。無論、SNS運営の責任そのものは、幸福劇場が負いますが、…我々はあくまで舞台装置であります故、現場への即時対応という側面で、とある方々への協力を強く望みます。
―――…トルバドール・セキュリティー様。御社に、この新しいSNSに発生するIPアドレスを保管するサーバーを、即時設置させて頂きます。
あくまで目的は保管だけですので、常時管理・監視等は必要ありません。問題が発生すれば、ノアとキャットが対応しに参ります。
勿論、御社にも、この保管サーバーにアクセスする権利を、お渡しはします。…ただし、御社広しと言えど、二人だけ、という条件付きであります」
話題を振られたトルバドール・セキュリティーの三人が、緊張した面持ちで、その話を受け取った。…三人が瞬時に目配せをし合った後、ミセス・リーグスティが、挙手をしながら、発言をする。
「…承知しましたわ。名誉会長として、このイヴェット・リーグスティが、その提案を受け入れましょう。
そのサーバーのアクセス権とやらは、この私と、こちらの雪坂八槻さんに、是非ともお願い致しますわ」
ミセス・リーグスティの決定内容に、意外な反応を示したのは、百合花だけだった。勿論、彼女の胸中だけのものではあったものの…。彼女はてっきり、輝がアクセス権を握らされるとばかりに思っていたからだ。しかし、輝の身のことを考えると、驚愕はすれど、至って安心したという気持ち、…本音に等しい感情が、百合花の中で湧く。
「英断であります。流石、かつてシンデレラ女帝と呼ばれた女傑様であらせられます。…ノア。サーバーのアクセスコードを、あちらへ」
マルギットが命じたことで、ノアが動く。立ち上がったミセス・リーグスティと八槻に、ノアは二枚の硬質カードを手渡した。
カードを受け取ったミセス・リーグスティと八槻が、座り直すのと、ノアが自分の隣に戻ってくるのを待ってから、マルギットは今度は、ツバサへと視線を向けた。
「ツバサ事務員殿。幸福劇場が運営する新しいSNSと、あちらのアクセス権カードは、未だ実行されておりません。あなたの発する『許可』が必要です。何故なら、このSNSの対象は全国民、すなわち、あなた方のヒルカリオにも影響が出ることが、十割で予測されるからです。
故に、ルカ三級高等幹部が不在の今、ヒルカリオに関する正式な許可を出せるのは、―――あの軍事兵器への絶対的な命令権を持つ『ホルダー』という役割にある、ツバサ事務員殿。…あなたでありましょう?」
マルギットの言葉に、百合花は今度こそ、動揺を隠しきれなかった。…―――ホルダー…?!あのルカの命令権を持つ人間が、…この女性だと?
なるほど。道理で、この場に呼ばれているわけだ、と百合花が納得しかけたときだった。ツバサが光の差さない緑眼をマルギットに向けながら、はっきりと言う。
「いいえ。そのようなことは、全くございません」
「「「……えっ?」」」
複数人分の反応、―――おそらく、幸福劇場と百合花の声―――が、綺麗に重なった。直後、ツバサはマルギットへ話し始める。
「何を勘違いしているかと思えば…。そういうことだったのですね…。私の席次が、前岩田社長よりも上の時点で、言及するべきでした…。
…ですが、そちらから誤解を示してくださったので、改めて、特殊対応室の事務員として、そしてルカ三級高等幹部のホルダーとして、訂正をさせて頂きます」
ツバサの言葉に、マルギットは傾聴の姿勢を見せた。ツバサは続ける。
「まず、私はルカ三級高等幹部に対する命令権を持つホルダーではありますが、決して、彼の代弁者ではありません。彼への理解は他人よりは、まあまあ深いでしょうが…、その真意までは、正直、知ったこっちゃありません。…キリが無いですし…。
つまり、我が国の統制機関が、ルカ三級高等幹部へ敷いたルールに沿えば、私という存在は、『ルカの抑止力』でしかなく、断じて『ルカと同じ立場・目線で、ヒルカリオに対する発言が出来る存在』ではないのです。…ご理解頂けましたでしょうか、マルギット将軍」
そこまで言い切って、…睨んだ。ツバサが。あのマルギットに向かって。薄らではあるが、睨みを利かせた。それほど、この状況は、ツバサにとって気に食わないことだったのだ。
そして、そのツバサの反応を含めて、彼女の主張を丸ごと受け取ったマルギットは、冷静に頷きながら、答える。
「なるほど…。不肖マルギット、浅学非才の己を恥じております。……つまり、幸福劇場が許可を求めるべき相手は、ツバサ事務員殿ではなく…、あの軍事兵器の檻の主たる、前岩田社長でありましたか…。
大変申し訳ございませんでした。我々の勝手な解釈により、席次どころか、重要な交渉の相手を間違えるとは、…このマルギット、幸福劇場の特務将軍として、心よりお詫び申し上げます」
「はい。迅速な対応ありがとうございます、マルギット将軍」
マルギットの修正と詫びに対して返すツバサの声と視線にも、既に冷静さが戻っていた。切り替えの早さが、人間のそれを越えている気がしてならない。
「では、改めまして。…前岩田社長、ご許可を頂戴できれば幸いです」
マルギットが告げると同時に、全員の視線が、レイジに向く。彼は一瞬だけ、生来のダウナー気質の視線に戻った後、…すぐさま、社長としての己を取り戻して、発言する。
「ええ、どうぞ」
レイジがしかと、許可を出した。―――その瞬間、マルギットの眼前に、ホログラム画面が出現する。
―――『サウザンド・メガロポリス計画 第二脚本 ペルソナ・システム』―――
幸福劇場以外の皆が、驚愕するなか。マルギットが画面をスワイプしていくと、最後のページに空白の署名欄が現れる。
そして彼女は、その空白の署名欄に、指先で自分のサインを書き込んだ。すると。
画面が僅かにチカチカと明滅したかと思えば、次に軽いノイズパターンが入り、それが晴れると。真っ白になった画面に、無機質なフォントの文字が表示された。
――『第二脚本を承認しました。演出を開始します。』
途端。
――≪幸福劇場から、全国民の皆さまへお知らせを致します。繰り返します。幸福劇場から、全国民の皆さまへお知らせを致します。≫
各家庭のテレビ、ラジオ、防災無線のスピーカー、動画配信サービス、街頭テレビ、駅構内のデジタル掲示板に至るまで。音と画を出力するための、全てのツールから。一斉に、無邪気な少女のような声が響き渡る。
そしてこのホテルにも、防災無線として、地域FMの電波を引っ張っているスピーカーが、各部屋に設置されている。故に、この場にも、その音声が響き渡っていた。
―――アンチ・アグリーのときと、全く同じ現象だ―――!!
誰もが、あのときのことを鮮明に思い出し、戦慄する。
無邪気な少女を模した声が、発信を続けた。
――≪幸福劇場による第二脚本『ペルソナ・システム』の演出を開始致します。こちらに関しての詳しい説明は、後ほど表示されるコードからご覧いただける公式ページにて、ご確認ください。
繰り返します。幸福劇場による第二脚本『ペルソナ・システム』の演出を開始致します。こちらに関しての詳しい説明は、後ほど表示されるコードからご覧いただける公式ページにて、ご確認ください。≫
そこで皆が思い出す。
そうだ、マルギットは、最初に言っていたではないか。「本日は、その準備の最後のピースを用意するため、…そして、その用意されたピースを嵌めた瞬間を、皆様に見届けて頂きたく存じます。」と。―――つまり、最後のピースとは、新しいSNSの運用に必要不可欠だった、IPアドレスの保管用サーバーの設置と。脚本の影響をヒルカリオに持ち込むための許可だったのだ。そして、見届けて頂きたい、と表現してはいるものの、―――…実際は、この場に招集した人間たちを『ピースを集めるための要員』として扱いながらも、それが終われば、今度は『脚本の演出を開始させるための証人』として、即時にすげ替えせた。
マルギット自らが、「我々はあくまで舞台装置であります」と、強く自称するだけのことはある。
幸福劇場は、恐るべきアドリブ能力と、徹底した筋書きと言う名の伏線回収能力を、確かに持っているようだ。
――≪それでは皆さま、どうか素敵な幸福を。≫
スピーカーから響いていた無邪気な少女を模した合成音声は、そう締め括る言葉を残して、沈黙した。そして間も無く、スピーカからは、公式サイトに繋がるURLの音読が始まる。前例通りに行っているのであれば、街の外に設置されている、あらゆる画面内には、このURLに該当する、スキャン専用のコードが浮かび上がっていることだろう。
それをしかと聞き終えたマルギットは、おもむろに椅子から立ち上がり、敬礼をした後。全員に向かって、静かに言う。
「皆様のご協力に、心からの感謝を申し上げます。
我々、幸福劇場は、この国のより良い未来のために、常に新しい風を呼び込むことを、改めて、お約束致しましょう。
本日は貴重なお時間を頂きまして、誠にありがとうございます。―――それでは、この場は解散であります。お疲れさまでした」
ほぼ一方的に、そう告げてから。マルギットは、当然とばかりに我先にと、その場を立ち去って行った。
そして、残された人間たちは。各々の大きさと重みで、その口々から、溜め息を吐いたのである。
――fin.
つつがなく休暇を終えた百合花は、紫水党本部に出勤し、自分の執務室で、いつものように冷静に、且つ、責務への正義を秘めて、仕事をしていた。が、妙に慌てた様子の秘書たちが、彼女のもとへ一通の書簡を持ってきたことで、百合花の心に、一筋の動揺が走る。
真っ白な封筒に入った、これまた真っ白な便箋に綴られた、一糸乱れぬインクの文字列。それが告げるのは、衝撃的な告知だった。
『幸福劇場は、きたる第二脚本の演出に関する準備を始めますことを、此処に宣言します。
つきましては、下記の皆様に於いて、召集を命じます。
尚、幸福劇場に於いては、皆様の却下や棄権の想定をしてはおりません。何卒宜しくお願い致します。
-召集対象-
紫水党本部所属 紫雨百合花議員殿
ROG. COMPANY本社 前岩田レイジ代表取締役社長殿
社長秘書兼五級高等幹部 ローザリンデ・テイスワート殿
特殊対応室所属 ツバサ事務員殿
トルバドール・セキュリティー所属 輝・リーグスティ次期社長候補殿
同上 イヴェット・リーグスティ名誉会長殿
同上 雪坂八槻殿
-召集場所-
出席のお返事を頂き次第、各位、場所を記した情報を送付致します。』
――――…一方的な召集命令、だと…?!
動揺した百合花の肘が当たったことで、机の上のティーカップが倒れ、中身の紅茶がぶちまけられる。しかし、今の百合花にそれを構う暇は無い。
文章内に『きたる第二脚本の演出に関する準備』と銘打っているということは、……もう間も無く、あの地獄のような施策の第二歩が、スタートラインに立っているという事実。…だが、そのために召集を課すのは、もう良いとして、―――この面子は、一体、何を意味すると言うのか?!
ROG. COMPANY本社の社長が呼ばれているのは、何となく想像が出来た。…恐らく、ルカの代わりだろう。ヒルカリオの中心たるルカは、現在、機体の不具合が見つかり、修理と調整に入っていて、実質の不在状態だ。彼の代わりに、ヒルカリオに関する決定権を持つとすれば、それはもう、ROG. COMPANYの若社長たる、あのダウナー気質の御曹司しか有り得ないだろう。そうなると、社長秘書を兼務している、ローザリンデ五級高等幹部が来るのも、分かる。
だが、そこに一緒に名前を連ねている『ツバサ事務員殿』という存在は、妙に引っ掛かった。特殊対応室とは、ルカが指揮・統括している部署の正式名称。そこに所属している社員にまで声が掛かるのは、…百歩譲って、まあ、想定も出来よう。だが、ルカの専属秘書官である、あの『冷徹秘書官・ソラ』を差し置いて、ただの事務員らしき人間が呼ばれている理由は、一体、何処に…?
ぐるぐると考える百合花であったが、……やはり、彼女の心を一番に騒がしくしているのは、輝の名前が書いてあることであった。
青いネモフィラの前で、真芯からの誠実な姿を見せてくれた、あの高潔な騎士服を纏う少年が、―――政治の舞台に…、百合花が居るべき場所に、無理矢理、引っ張り出されようとしている―――…!
絶望に似た感情を覚える百合花の眼が、文末を見届ける。
『我々、幸福劇場と、皆様が、より良き新時代の風を吹き込む一助となることを、願います。
幸福劇場こと、劇場型幸福舞台演出隊列 特務将軍・マルギット拝』
―――それを読んだ直後。百合花は、人目も憚らず、手紙を机に叩きつけて。その花唇が割れんばかりの絶叫を、執務室内に迸らせたのだった。
【数日後。 本土 某所】
幸福劇場にて押さえられた、とある高級ホテルの一室に集ったのは、―――…あの一方的な召集命令に応じたメンバーたち全員だった。
召集された人間たちの中では、一番最後に入室した百合花は、皆に軽く会釈をしながら、ノアに誘導されて、招かれたメンバー内で一番の上座に腰を下ろす。それは良い。彼女は、我が国の政治家たる女性だ。―――百合花が引っ掛かったのは、対面に座る、…つまり、政治家である自分とほぼ同じ立場として扱われている上座の椅子に、静かに座し、手元のノートパソコンを弄っている、一人の女性の存在感だった。…顔立ちが、マルギットに似ている。というか、もうそっくりさんレベルだ。そんな彼女の隣に座っているのは、間違いなく、あの前岩田レイジ。更にその隣が、ローザリンデ。ということは…―――?
百合花も議事録を取るためのノートパソコンを起ち上げる作業をしながら、さり気なく、対面の女性の胸元にある社員証を盗み見た。
『ROG. COMPANY本社 特殊対応室 TSUBASA』
そう印字されているのを確認した百合花の背中に、激震の冷や汗が伝った。―――彼女が、『ツバサ事務員』…?
社長よりも、五級高等幹部よりも、上の位置に座っておきながら、それも当然とばかりに、澄ました顔をしているではないか?何たる担力だろうか…。最早、豪胆と評しても、過言ではないかもしれない…―――。
百合花がそこまで考えたとき、扉が開く音が聞こえた。そちらを向くと、マルギットが入室してくる姿が見える。
皆がすぐさま立ち上がり、沈黙と無表情を以て歓迎し、彼女が席に座るのを待ってから、各々の椅子へと直った。
マルギット隣にはノアが、キャットは部屋唯一の出入り口である、扉の前に立つ。―――…どうやら、途中で離席することさえ、許さないらしい。
全員がそう悟ったとき、マルギットが早速とばかりに、口を開く。
「ごきげんよう、皆様。幸福劇場であります。本日は我々の召集に応じて頂けましたこと、感謝申し上げます。。
ちなみに、既にお手洗い等はお済みでしょうか。…ご覧の通り、キャットが扉を守ります故、会議が始まってから以降、緊急時以外の理由で中座をすることは、不可能と予測します」
どの口が言っているのか。白々しいにも程がある。一方的に却下不可能の召集を命じた時点で、かなりの強引さが垣間見えるものの。…やはり、先日の第一脚本が世間に与えた悪影響も相まって、この幸福劇場への評価は、正直、此処にかき集められたメンバー全員、かなり下火…、というより、マイナスだ。公の場として集合させられていなければ、ヘイトスピーチすら厭わない人物さえ居る。…本人の名誉のため、名前は伏せさせて貰うが…。
マルギットは淡々と続ける。
「…では、始めましょう。
まず、先んじてお伝えしました通り、我々は、今現在、第二脚本の演出開始の準備をしております。
本日は、その準備の最後のピースを用意するため、…そして、その用意されたピースを嵌めた瞬間を、皆様に見届けて頂きたく存じます。よろしくお願い致します」
マルギットがそう言うと、ノアが手に持っていたスティック型のリモコンを操作して、彼女の背後のスクリーンに画を映し出す。
―――『第二脚本 ペルソナ・システム』―――
白地のキャンパスに、黒字でそう書かれただけの、無機質な画像。…だが、その冷たさが却って、幸福劇場が敷く『脚本』の恐ろしさを想起させるようだ。
全員が議事録やメモなどを取り始めたのを確認したのか、マルギットが、本格的な説明をスタートする。
「ペルソナ・システム。こちらが、次に演出予定とされている脚本の題名であります。
内容は、至ってシンプルに説明しますと。―――…『完全匿名性SNSの試験運用』。
一般常識ではありますが、インターネットには、『IPアドレス』というモノが存在します。こちらは『インターネット上の個人住所』と言われ、匿名性が高いSNSに於いても、このIPアドレスが振られている以上、発信元である個人は、公的機関が行う『特定』からは、決して逃れられません。
…我々、幸福劇場の第二脚本『ペルソナ・システム』は、―――この『IPアドレスの完全非公開をもとに運営される独自のSNSを、全国民を対象に解放する』ことを、脚本の演出内容としています」
淡々と説明している口調が、恐怖の助長になっているのは、マルギットには自覚が無いらしい。その証拠に、幸福劇場の三人衆以外の全員が、皆、顔色を悪くしている。…敢えて、比較的平気そうな表情をしている人物を挙げるとすれば、…それは、ツバサだった。
マルギットは更に続ける。
「脚本上、『IPアドレスの完全非公開』とは銘打っているものの、いざというときの保険は掛けるべきであります。無論、SNS運営の責任そのものは、幸福劇場が負いますが、…我々はあくまで舞台装置であります故、現場への即時対応という側面で、とある方々への協力を強く望みます。
―――…トルバドール・セキュリティー様。御社に、この新しいSNSに発生するIPアドレスを保管するサーバーを、即時設置させて頂きます。
あくまで目的は保管だけですので、常時管理・監視等は必要ありません。問題が発生すれば、ノアとキャットが対応しに参ります。
勿論、御社にも、この保管サーバーにアクセスする権利を、お渡しはします。…ただし、御社広しと言えど、二人だけ、という条件付きであります」
話題を振られたトルバドール・セキュリティーの三人が、緊張した面持ちで、その話を受け取った。…三人が瞬時に目配せをし合った後、ミセス・リーグスティが、挙手をしながら、発言をする。
「…承知しましたわ。名誉会長として、このイヴェット・リーグスティが、その提案を受け入れましょう。
そのサーバーのアクセス権とやらは、この私と、こちらの雪坂八槻さんに、是非ともお願い致しますわ」
ミセス・リーグスティの決定内容に、意外な反応を示したのは、百合花だけだった。勿論、彼女の胸中だけのものではあったものの…。彼女はてっきり、輝がアクセス権を握らされるとばかりに思っていたからだ。しかし、輝の身のことを考えると、驚愕はすれど、至って安心したという気持ち、…本音に等しい感情が、百合花の中で湧く。
「英断であります。流石、かつてシンデレラ女帝と呼ばれた女傑様であらせられます。…ノア。サーバーのアクセスコードを、あちらへ」
マルギットが命じたことで、ノアが動く。立ち上がったミセス・リーグスティと八槻に、ノアは二枚の硬質カードを手渡した。
カードを受け取ったミセス・リーグスティと八槻が、座り直すのと、ノアが自分の隣に戻ってくるのを待ってから、マルギットは今度は、ツバサへと視線を向けた。
「ツバサ事務員殿。幸福劇場が運営する新しいSNSと、あちらのアクセス権カードは、未だ実行されておりません。あなたの発する『許可』が必要です。何故なら、このSNSの対象は全国民、すなわち、あなた方のヒルカリオにも影響が出ることが、十割で予測されるからです。
故に、ルカ三級高等幹部が不在の今、ヒルカリオに関する正式な許可を出せるのは、―――あの軍事兵器への絶対的な命令権を持つ『ホルダー』という役割にある、ツバサ事務員殿。…あなたでありましょう?」
マルギットの言葉に、百合花は今度こそ、動揺を隠しきれなかった。…―――ホルダー…?!あのルカの命令権を持つ人間が、…この女性だと?
なるほど。道理で、この場に呼ばれているわけだ、と百合花が納得しかけたときだった。ツバサが光の差さない緑眼をマルギットに向けながら、はっきりと言う。
「いいえ。そのようなことは、全くございません」
「「「……えっ?」」」
複数人分の反応、―――おそらく、幸福劇場と百合花の声―――が、綺麗に重なった。直後、ツバサはマルギットへ話し始める。
「何を勘違いしているかと思えば…。そういうことだったのですね…。私の席次が、前岩田社長よりも上の時点で、言及するべきでした…。
…ですが、そちらから誤解を示してくださったので、改めて、特殊対応室の事務員として、そしてルカ三級高等幹部のホルダーとして、訂正をさせて頂きます」
ツバサの言葉に、マルギットは傾聴の姿勢を見せた。ツバサは続ける。
「まず、私はルカ三級高等幹部に対する命令権を持つホルダーではありますが、決して、彼の代弁者ではありません。彼への理解は他人よりは、まあまあ深いでしょうが…、その真意までは、正直、知ったこっちゃありません。…キリが無いですし…。
つまり、我が国の統制機関が、ルカ三級高等幹部へ敷いたルールに沿えば、私という存在は、『ルカの抑止力』でしかなく、断じて『ルカと同じ立場・目線で、ヒルカリオに対する発言が出来る存在』ではないのです。…ご理解頂けましたでしょうか、マルギット将軍」
そこまで言い切って、…睨んだ。ツバサが。あのマルギットに向かって。薄らではあるが、睨みを利かせた。それほど、この状況は、ツバサにとって気に食わないことだったのだ。
そして、そのツバサの反応を含めて、彼女の主張を丸ごと受け取ったマルギットは、冷静に頷きながら、答える。
「なるほど…。不肖マルギット、浅学非才の己を恥じております。……つまり、幸福劇場が許可を求めるべき相手は、ツバサ事務員殿ではなく…、あの軍事兵器の檻の主たる、前岩田社長でありましたか…。
大変申し訳ございませんでした。我々の勝手な解釈により、席次どころか、重要な交渉の相手を間違えるとは、…このマルギット、幸福劇場の特務将軍として、心よりお詫び申し上げます」
「はい。迅速な対応ありがとうございます、マルギット将軍」
マルギットの修正と詫びに対して返すツバサの声と視線にも、既に冷静さが戻っていた。切り替えの早さが、人間のそれを越えている気がしてならない。
「では、改めまして。…前岩田社長、ご許可を頂戴できれば幸いです」
マルギットが告げると同時に、全員の視線が、レイジに向く。彼は一瞬だけ、生来のダウナー気質の視線に戻った後、…すぐさま、社長としての己を取り戻して、発言する。
「ええ、どうぞ」
レイジがしかと、許可を出した。―――その瞬間、マルギットの眼前に、ホログラム画面が出現する。
―――『サウザンド・メガロポリス計画 第二脚本 ペルソナ・システム』―――
幸福劇場以外の皆が、驚愕するなか。マルギットが画面をスワイプしていくと、最後のページに空白の署名欄が現れる。
そして彼女は、その空白の署名欄に、指先で自分のサインを書き込んだ。すると。
画面が僅かにチカチカと明滅したかと思えば、次に軽いノイズパターンが入り、それが晴れると。真っ白になった画面に、無機質なフォントの文字が表示された。
――『第二脚本を承認しました。演出を開始します。』
途端。
――≪幸福劇場から、全国民の皆さまへお知らせを致します。繰り返します。幸福劇場から、全国民の皆さまへお知らせを致します。≫
各家庭のテレビ、ラジオ、防災無線のスピーカー、動画配信サービス、街頭テレビ、駅構内のデジタル掲示板に至るまで。音と画を出力するための、全てのツールから。一斉に、無邪気な少女のような声が響き渡る。
そしてこのホテルにも、防災無線として、地域FMの電波を引っ張っているスピーカーが、各部屋に設置されている。故に、この場にも、その音声が響き渡っていた。
―――アンチ・アグリーのときと、全く同じ現象だ―――!!
誰もが、あのときのことを鮮明に思い出し、戦慄する。
無邪気な少女を模した声が、発信を続けた。
――≪幸福劇場による第二脚本『ペルソナ・システム』の演出を開始致します。こちらに関しての詳しい説明は、後ほど表示されるコードからご覧いただける公式ページにて、ご確認ください。
繰り返します。幸福劇場による第二脚本『ペルソナ・システム』の演出を開始致します。こちらに関しての詳しい説明は、後ほど表示されるコードからご覧いただける公式ページにて、ご確認ください。≫
そこで皆が思い出す。
そうだ、マルギットは、最初に言っていたではないか。「本日は、その準備の最後のピースを用意するため、…そして、その用意されたピースを嵌めた瞬間を、皆様に見届けて頂きたく存じます。」と。―――つまり、最後のピースとは、新しいSNSの運用に必要不可欠だった、IPアドレスの保管用サーバーの設置と。脚本の影響をヒルカリオに持ち込むための許可だったのだ。そして、見届けて頂きたい、と表現してはいるものの、―――…実際は、この場に招集した人間たちを『ピースを集めるための要員』として扱いながらも、それが終われば、今度は『脚本の演出を開始させるための証人』として、即時にすげ替えせた。
マルギット自らが、「我々はあくまで舞台装置であります」と、強く自称するだけのことはある。
幸福劇場は、恐るべきアドリブ能力と、徹底した筋書きと言う名の伏線回収能力を、確かに持っているようだ。
――≪それでは皆さま、どうか素敵な幸福を。≫
スピーカーから響いていた無邪気な少女を模した合成音声は、そう締め括る言葉を残して、沈黙した。そして間も無く、スピーカからは、公式サイトに繋がるURLの音読が始まる。前例通りに行っているのであれば、街の外に設置されている、あらゆる画面内には、このURLに該当する、スキャン専用のコードが浮かび上がっていることだろう。
それをしかと聞き終えたマルギットは、おもむろに椅子から立ち上がり、敬礼をした後。全員に向かって、静かに言う。
「皆様のご協力に、心からの感謝を申し上げます。
我々、幸福劇場は、この国のより良い未来のために、常に新しい風を呼び込むことを、改めて、お約束致しましょう。
本日は貴重なお時間を頂きまして、誠にありがとうございます。―――それでは、この場は解散であります。お疲れさまでした」
ほぼ一方的に、そう告げてから。マルギットは、当然とばかりに我先にと、その場を立ち去って行った。
そして、残された人間たちは。各々の大きさと重みで、その口々から、溜め息を吐いたのである。
――fin.
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