第三章 現実は創作より奇なり
【百合花邸】
翌日。ユナによって数日間の休暇に入っている百合花ではあったが、本日は、あの輝が申し入れてきた、私用の面会に行く。
公務を休んだ時点で、こちらから「予定を調整させてほしい」という旨の連絡を入れようとしていた百合花だったのだが。…マルギットとの会食が終わり、ユナが休暇届を紫水党本部へ提出した、その帰りの車内。気が緩んだせいか、百合花はついつい、ユナに対して、輝との面会予定の話を零してしまったのである。
すると、それを聞いたユナは、「これは完全に女の勘だけれど…。その面会は予定通りに行った方が良いわ。いま先延ばしにすると、貴女も、リーグスティのご子息も、きっと後悔する日が来る…。そんな気がするの」と、妙にチカラ強い口調と気迫で、百合花に面会の延長をしないように薦めてきた。
そして、結局。この国の総理大臣であり、百合花の叔母であり、ただ一人の女として放たれたユナの言葉に、背中をぎっちりと押されるカタチになった百合花は。現在、百合花専用の支度部屋にて、割と気合いの入ったセッティングをされている。
公務は一旦、休職中。しかし、面会の内容はあくまで『私用』。仕事中のスーツ姿より、カジュアルに。しかし華美な装いになってはいけない。公人としてTPOに常に意識して、それに準拠した背格好と振る舞いを、自分自身に求めるべき。……と、まあ、難しいことをつらつらと考えるのは、簡単ではあるが。要するに、百合花は面会に着て行くために用意され、召し替えられた洋服と髪型に、現在進行形で、落ち着かない気持ちを抱いている。
ライドベージュのワンピースは、スカートに細やかなドレープが入っている。きっと百合花が歩く度に、それらは優雅に、上品に、彼女を引き立てるだろう。
髪型も、仕事中はオールアップに近い状態にして貰うが。今日は、逆におろされており、毛先にはアイロンを当てられて、ゆるめに巻かれた。
最後に「出先で冷えないように」と、肩から総レース素材のストールを掛けられてから、百合花の支度は終わったのである。
****
面会の場所は、本来ならば紫水党本部であったが。そこは、休暇中の百合花に立ち入るお許しが、ユナから出るはずもなく…。敢え無く、場所だけは、紫水党本部の近くにある、国営の洋風庭園の中へと変更を余儀なくされた。
百合花が八槻へと訂正というカタチで再指定した区画は、ネモフィラが植えられているゾーン。……正直、ネモフィラという花が、この庭園を訪れる客層にあまり人気が無いことを知っているからこそ、この場なら人通りが少ない=私用の面会とはいえ、不用意な衆目に晒される危険が少ない、という理由で、百合花はこのネモフィラゾーンを選んだ。
百合花がネモフィラゾーンに到着したとき。背が低く、青色のネモフィラが咲き乱れる一面を望める場所に、――――いつもの白色の騎士服を着込んだ、輝の立ち姿が、既に見えた。…八槻を通したとはいえ、輝が申し込んできた面会なので、彼が先に場についているのは、当然と言えば当然なのだが。何故か、その凛々しい騎士服とは相反する、悲哀と不安の入り混じったような輝の横顔を見た瞬間。……百合花は彼を待たせたことへの罪悪感を、理由も無く、そして意識も無く、覚えたのである。
ネモフィラを眺めていた輝が、百合花の来訪に気が付いた。輝の視線が、百合花に向けられると同時に、彼女側には見えなかった位置、―――正確に言えば、輝の背後あたりから、八槻が姿を現す。……相変わらず、他人の視界に入るも消えるも自由自在で、「人生を賭して俳優でありたい」という八槻の信念が垣間見えた。
百合花の体感で、五歩ほどの距離を置いた状態で、彼女は立ち止まり。輝に向かって、挨拶をする。
「ごきげんよう。お待たせしたようで、申し訳ございませんでした」
「いいえ。僕も先ほど、到着したばかりです」
輝からも、至って模範的な答えが返って来た。…きっと、嘘なんだろう。と、百合花は直感するが。社交辞令とて、せっかくの輝の気遣いに、わざわざ水を差す気はなれなかった。
そんなことよりも、本題に早く行き着いたいのが、百合花の何よりの本音である。―――…先日の国会議事堂のテロ事件を鎮圧した直後に等しい、あの場で。あらゆる面に於いて、圧倒的なパワーで自分を怒鳴りつけた輝が、…何故、このようなタイミングで、私用の面会など申し込んできたのか?
もし、万が一、もう一度、…あの怒りを蒸し返す気で居るのならば。また、国会議事堂を護る警備員たちを非難するような真似をするというのであれば、……トルバドール・セキュリティー本社に、百合花の名義で、正式な抗議文を送りつけても構わない。相手は国内一の規模を誇る軍備会社とはいえ、所詮、民間企業である。国の政治の一端に座る百合花からの抗議が入れば、いくら輝が次期社長候補とて、いち企業として、彼の挙動のあれこれを、もう無視は出来ないだろうに…―――。
そう、冷たい打算をする百合花の胸中は知らないとばかりに。輝が、口を開く。
「…本日は、面会を許可してくださり、ありがとうございます。紫水党本部の事務員からは「休暇中」だとお聞きしましたが…、何処か優れないのでしょうか?
先ほど、屋内スペースに配置している、弊社から連れて来たSPから「今は屋内は空いている」と連絡を受けました。椅子に座った方がよろしいのでしたら、SPに場所を確保させますが…?」
「え、…あ、いいえ、そんなことはありません。休暇を取っているのは、体調不良ではなく、…その、スケジュール調整のためですから。
お気遣い頂きまして、ありがとうございます。どうぞ、このまま続けてください」
意外な言葉の温度に、百合花は少しばかり面食らう。輝が権威的にも物理的にも強いことを知っているが故に、…この、たった十六歳の少年が、此処まで百合花を気遣う素振りを見せることすら、彼女にとっては予想外。…正直、同じ政治家である年配の男性たちや、社交界で出くわす半端者たちより、―――今、百合花の眼前に立っている輝の方が、何千倍も誠実な態度を取っている節すらある。
途端、百合花は背筋に冷や汗が流れるのを感じた。――――…もしかして自分は、…私は、彼に対して。何か大きな誤解をしているのではないのだろうか…?何か、此処に至るまで、取り返しのつかない間違いを犯しているのでは…?
またも勝手に心中で、己の考えを反芻する百合花だったが。やはり、輝はそれには知らないと言わんばかりで、―――本当に分からないのだろう―――、百合花の「続けて」の言葉を受けた通りに、要件を述べ始める。
「先日の国会議事堂を襲ったテロ案件について、……その、紫雨先生に、僕個人として謝りたいと、思いまして……」
「……え?」
輝の台詞に、百合花は虚をつかれたかのような声を出した。――――……個人として謝りたい?…軍備会社のトップ候補として、意見を言い直したいとか、警備への修正案とかではなく……?
百合花がぽかんとしているのを、何かマズイ空気を作ったかと勘違いした輝の表情が、不用意に曇る。同時に、両者の間でやはり不用意な沈黙が落ちようとした。ところで、瞬時に、八槻が百合花には絶対に見えない角度と速度で、輝の身体を小突いたおかげで、輝の止まりかけた思考回路に冷静さと現実が戻ってきた。
いま此処で会話を止めれば、全てが停止したまま、終わってしまう。それを避けたくて、八槻を通して、百合花に面会の時間を設けて貰ったのである。
輝は襟を正す勢いで、誠意を込めた言葉を紡いだ。
「……あの場で、僕はかなり感情的になっていました。警備に粗があったからと、自分一人がテロを制圧してしまったからと、驕り高ぶっていました。
あのときの僕が発した怒鳴り声は、警備のスタッフたちには勿論、紫雨先生に向けるべきものではなかったと、深く反省しています。……本当に、申し訳ございませんでした」
そう言うと、輝は腰を折る。騎士服として仕立てられた裾が揺れ、彼の金髪も顔の上に落ちて、表情が見えなくなった。しかし、その声は確かに本気の謝意が込められているのが、百合花には分かった。むしろ、彼女自身が普段から、形ばかりの謝辞を交わし合う場に居るからこそ、輝の言葉が持つ純真さに気がついたとも言えるだろう。
抗議文?政治的圧力?駆け引き?――――……百合花の中に渦巻いていた冷たい打算の数々は、この瞬間、その存在意義を失った。代わりに溢れてくる自然な感情が、彼女を突き動かす。
「私も、あのときの現実が、見えておりませんでした。警備に穴があったことは分かり切っていて、自分の命が狙われたことも把握していながら、……結局、「政治家として良い顔をしていた紫雨百合花」という、一人の愚かな女だったのです。
……あの場で、輝さんが私に対して仰った「貴女が警備スタッフたちに優しい言葉をかけていられるのは、今回のテロで犠牲者が出なかったからだ」という旨の発言の真意。今やっと、本当の理解の域へと至りました。
本当に、ありがとうございます。私に、このような貴重な機会を授けてくださった輝さんには、私個人として、我が一族の先人たちのご加護が賜らんことを、お祈りしましょう」
百合花はそう言い終えると、おもむろに指先を組み、祈りの言葉を呟いた。
「紫雨一族の開祖たる、紫雨潤二朗(しぐれ じゅんじろう)帝国将軍閣下よ。この若き騎士に、栄光と繁栄の道をお示しください。
かの湾内に沈んだ将軍閣下の、大いなる犠牲を忘れてはおりません。なのでどうか、後継の我々に、将軍閣下のご加護をお与えくださいませ」
滔々と囁くような祈りの言葉が、ネモフィラの波間に消えていく。祈る故に、視線を下げていた百合花は気が付いていなかった。――――その祈りの言葉を聞いた輝の顔が、ほんの一瞬だけ、曇ったことを…。だが、それもすぐに元に戻る。
短い祈りが終わり、百合花が視線を上げる。そうして今度こそ、輝と百合花、…二人の眼と心が、本当の意味で交叉した。
「恐れ入ります。これからも日々精進して行きます」
「ええ。私も、輝さんに期待しています」
そうして。二人の面会は、静かに終わった――――…。
――――…。
トルバドール・セキュリティーの送迎用ワンボックス、……に見立てた、実は防弾に特化した装甲を積んで運用されている車輌に、輝と八槻が乗り込んだ。
座席に落ち着いてから、ミネラルウォーターのペットボトルの蓋を開けた輝を横目に、八槻が自分のジャケットの襟の社章バッジに擬態させた、ボディカメラのスイッチを切る。――――念には念を入れて。輝のことも、百合花のことも、彼は信用していたが。二人以外の外野に関しては、このご時世、悪いが、八槻にとっては全く信用に値しない。…特に、こういった面会の場に横槍を入れるかもしれない輩への対策は、いくらでも張って構わない。と、八槻は思っている。故に、彼は過保護と評されようとも、念を入れることには、決して妥協しない。――――…そして、この八槻という男が、絶対に欠かさない『護るための行動』が、もう一つ。
「輝くん、大丈夫そう?………紫雨先生の、あの祈りは、正直、僕も想定外だったわけだけど…」
八槻が当然とばかりに声をかけたのは、やはり輝の精神状態である。戦士として鍛えられてから、明らかに、その辺の十六歳とは一線を画すメンタルの持ち主には成長しているものの。やはり、社会経験が浅く薄いという点に於いて、『不意打ち』には非常に弱い。その不意打ちに該当するのが、先ほどの、百合花が見せた『祈り』であった。八槻が心配してくれていることに対して、感謝の態度は見せるものの、……やはり、輝の中では、新たに生まれた自責の念が消えないようだ。
「事前にもっと情報を入れておくべきでした…、甘かった……。そうだった、あの紫雨ユナ氏が総理になったとき、大きなニュースになってたのに…」
呟くように言いながら、輝はペットボトルを呷る。大きく飲み込んだせいで、若干量、口の端から溢れてきた水の筋を、彼は些か乱雑に騎士服の袖で拭う。
その様子を見た八槻が、宥めるような声を出した。
「あまり自分を責めすぎなくてもいいんじゃないかな?現総理の就任発表がされた頃、輝くんは未だ中学生だったはずで、……政治とか興味なかっただろう?」
「………後付けの言い訳にしかなりませんよ、それ……」
戦士として成熟した分、反動か、なかなかに頑固な一面が、輝にはある。……八槻は口に出さないだけで、「この頑固っぷり、琉一くん譲りだよねえ。何だか似なくて良い部分が、似てるんだよねえ」と思ってたりする。絶対に、口には出さないが。割と短気な琉一の性格は、よくよく知っているつもりだから。
……そんなことを考えているなんていうのはおくびにも出さず、八槻は、輝の肩を軽く叩きながら、ゆっくりと事実確認だけをしていく。
「まあまあ、せっかく紫雨百合花先生とのわだかまりが解けたんだから。まずはそこを喜ぼうじゃないか。
あの祈り――――……、「紫雨潤二朗帝国将軍閣下」について考えるのは、また明日以降にしよう。……どうせ、裏取りがしたくても、肝心のルカ三級高等幹部は、現在お留守にしておられるのだから、ね?」
八槻のその言葉を聞き、そして飲み込んだ輝は、無言で頷いた後。ペットボトルの蓋を閉めた。
――――「紫雨潤二朗帝国将軍閣下」とは――――……?
覚えているだろうか。今から。約二百年前。ヒルカリオが建設される前の、ヒルタス湾で行われた、『軍事兵器・ルカの初出撃』の話を…。
作戦の目的は、湾内を好き勝手に跋扈していた海賊や違法船の、一斉拿捕であった。しかし、軍事兵器として、初めて動いたルカが、最初の攻撃の出力計算を間違えてしまい、――――結果、ルカは全てを吹き飛ばした。
拿捕する目的だった海賊と違法船たちは勿論。ルカの後方支援として、彼と一緒に出撃していた戦艦と、それに乗っていた軍人、船の整備士や医療関係者など、全員が殉職の運びと相成った。
誰一人の骨も、本土へは帰って来ず。後のヒルカリオの最東端となる地から、当時、ヒルタス湾へと飛び立ったルカは。結局、たった一人で帰還してきた。「攻撃の衝撃と余波が収まった後、海底に潜って、かろうじて拾ってきたよ?」と言いながら差し出してきた、当時の我が国の軍隊の証が入った、もう誰のものかも分からぬ、ボロボロの軍帽……、そのたった一つだけを、手に持って……。
そして、悲惨な結果だけを残した作戦を、当時、最前線で指揮していたのが、百合花が口にした『紫雨潤二朗』、そのひとである。
潤次郎の作戦参加時の年齢は、六十二歳。我が国の軍事の基礎を築き上げたと言われている、叩き上げの武闘派将校であった。戦場主義だったこともあり、部下は勿論、必要ならば上官にも噛みつき、時に銃、時に剣、時に拳を振り上げることも厭わなかったという。しかし、そんな恐ろしい戦鬼だった潤二朗とて、心まで修羅ではなかった。
お見合いで結婚した妻を一筋に愛し、生まれた息子三人と、娘二人には正しい愛と鞭を与えた。仕事に行くときは、黙って背中だけを見せ、玄関を潜るだけだった。
そんな潤二朗が、「我が軍人生涯、最後の任務」と公言し、参加したのが。先のヒルタス湾での惨事となった作戦である――――……。
…………――――。全ての涙が流れきった後。ヒルカリオとなった島の最東端には、慰霊碑が建てられた。あの日の犠牲者を弔う文言と、その名前が、しかと刻まれている。その一番上に、殉職に対する特進と、潤二朗自身のこれまで多大な功績を讃え、『帝国将軍閣下』という、後にも先にも彼以外には付けられないであろう階級と共に、彼の名が大きく掘り刻まれているのだ。
もうお分かりだろう。百合花は、その潤二郎の末裔にあたる女性である。勿論、その叔母のユナも、血筋に含まれているものの、『直系』という肩書きは、あくまで百合花の方であった。
…故に、ユナが総理に初就任した、およそ三年前。ユナが「あの帝国将軍閣下の子孫である」ことは、大沙汰に各メディアに報道された反面、…「直系は、姪の百合花の方であり、一族の威光や尊厳は、ユナではなく百合花にある」や、「『軍神・紫雨将軍』の直系でないからこそ、ユナは、その一族の末端の七光りのみに縋り付いている」や、「直系の百合花を贔屓にすることで、虎の威を借りる狐として化けている」などと、あることないこと、言われ放題であった。
しかし、『大炎上』したのは、確かな事実ではあったが…。
移ろいゆく季節と共に、政治的な話題は勿論、娯楽的情報、世俗的な犯罪報道、地域性の高いエンターテインメントニュースなど、…眼先の新鮮なテーマに飛びついて、手を変え品を変え、視聴率や、閲覧数、情報の拡散率を求める、メディアたちは。…結局、ユナに関する、分かり易いスキャンダルが一切出てこないことに、勝手に飽きて。彼女に対する、いい加減な報道や、情報の拡散をするのを、止めてしまった。
そうして、メディアに踊らされていた憐れな国民たちも、いつしか、ユナが「将軍閣下の子孫である」ということを、忘れ去る。―――……たった一部の人間たちを、除いて。
ご存じの通り。輝が所属している、トルバドール・セキュリティーは。ROG. COMPANY本社に於ける軍備・警備に関するロボット兵や武器類をはじめ、社内を巡回する警備員から、正面ゲートにつく守衛まで、…文字通り、全てのセキュリティーの配備を、一手に引き受けている。―――……そう。ルカを閉じ込める檻たる、その基礎部分を…、トルバドール・セキュリティーは担っているのだ。そこのトップに立ちたいと邁進している輝や、その関係者である八槻が、ルカ関連の情報として処理されている、『ルカ初出撃の悲劇』を知らないわけがない。むしろ、忘れてはならない過去として、初出時は、強烈な衝撃と共に、教え込まれているまでもある。
「―――……武器って、兵器って、…一体、何なんだろうな…」
そう呟いた輝の言葉は、完全な独り言だった。八槻は何も返答しなかったし、曖昧な相槌すらも、己に許さなかった。
to be continued...
翌日。ユナによって数日間の休暇に入っている百合花ではあったが、本日は、あの輝が申し入れてきた、私用の面会に行く。
公務を休んだ時点で、こちらから「予定を調整させてほしい」という旨の連絡を入れようとしていた百合花だったのだが。…マルギットとの会食が終わり、ユナが休暇届を紫水党本部へ提出した、その帰りの車内。気が緩んだせいか、百合花はついつい、ユナに対して、輝との面会予定の話を零してしまったのである。
すると、それを聞いたユナは、「これは完全に女の勘だけれど…。その面会は予定通りに行った方が良いわ。いま先延ばしにすると、貴女も、リーグスティのご子息も、きっと後悔する日が来る…。そんな気がするの」と、妙にチカラ強い口調と気迫で、百合花に面会の延長をしないように薦めてきた。
そして、結局。この国の総理大臣であり、百合花の叔母であり、ただ一人の女として放たれたユナの言葉に、背中をぎっちりと押されるカタチになった百合花は。現在、百合花専用の支度部屋にて、割と気合いの入ったセッティングをされている。
公務は一旦、休職中。しかし、面会の内容はあくまで『私用』。仕事中のスーツ姿より、カジュアルに。しかし華美な装いになってはいけない。公人としてTPOに常に意識して、それに準拠した背格好と振る舞いを、自分自身に求めるべき。……と、まあ、難しいことをつらつらと考えるのは、簡単ではあるが。要するに、百合花は面会に着て行くために用意され、召し替えられた洋服と髪型に、現在進行形で、落ち着かない気持ちを抱いている。
ライドベージュのワンピースは、スカートに細やかなドレープが入っている。きっと百合花が歩く度に、それらは優雅に、上品に、彼女を引き立てるだろう。
髪型も、仕事中はオールアップに近い状態にして貰うが。今日は、逆におろされており、毛先にはアイロンを当てられて、ゆるめに巻かれた。
最後に「出先で冷えないように」と、肩から総レース素材のストールを掛けられてから、百合花の支度は終わったのである。
****
面会の場所は、本来ならば紫水党本部であったが。そこは、休暇中の百合花に立ち入るお許しが、ユナから出るはずもなく…。敢え無く、場所だけは、紫水党本部の近くにある、国営の洋風庭園の中へと変更を余儀なくされた。
百合花が八槻へと訂正というカタチで再指定した区画は、ネモフィラが植えられているゾーン。……正直、ネモフィラという花が、この庭園を訪れる客層にあまり人気が無いことを知っているからこそ、この場なら人通りが少ない=私用の面会とはいえ、不用意な衆目に晒される危険が少ない、という理由で、百合花はこのネモフィラゾーンを選んだ。
百合花がネモフィラゾーンに到着したとき。背が低く、青色のネモフィラが咲き乱れる一面を望める場所に、――――いつもの白色の騎士服を着込んだ、輝の立ち姿が、既に見えた。…八槻を通したとはいえ、輝が申し込んできた面会なので、彼が先に場についているのは、当然と言えば当然なのだが。何故か、その凛々しい騎士服とは相反する、悲哀と不安の入り混じったような輝の横顔を見た瞬間。……百合花は彼を待たせたことへの罪悪感を、理由も無く、そして意識も無く、覚えたのである。
ネモフィラを眺めていた輝が、百合花の来訪に気が付いた。輝の視線が、百合花に向けられると同時に、彼女側には見えなかった位置、―――正確に言えば、輝の背後あたりから、八槻が姿を現す。……相変わらず、他人の視界に入るも消えるも自由自在で、「人生を賭して俳優でありたい」という八槻の信念が垣間見えた。
百合花の体感で、五歩ほどの距離を置いた状態で、彼女は立ち止まり。輝に向かって、挨拶をする。
「ごきげんよう。お待たせしたようで、申し訳ございませんでした」
「いいえ。僕も先ほど、到着したばかりです」
輝からも、至って模範的な答えが返って来た。…きっと、嘘なんだろう。と、百合花は直感するが。社交辞令とて、せっかくの輝の気遣いに、わざわざ水を差す気はなれなかった。
そんなことよりも、本題に早く行き着いたいのが、百合花の何よりの本音である。―――…先日の国会議事堂のテロ事件を鎮圧した直後に等しい、あの場で。あらゆる面に於いて、圧倒的なパワーで自分を怒鳴りつけた輝が、…何故、このようなタイミングで、私用の面会など申し込んできたのか?
もし、万が一、もう一度、…あの怒りを蒸し返す気で居るのならば。また、国会議事堂を護る警備員たちを非難するような真似をするというのであれば、……トルバドール・セキュリティー本社に、百合花の名義で、正式な抗議文を送りつけても構わない。相手は国内一の規模を誇る軍備会社とはいえ、所詮、民間企業である。国の政治の一端に座る百合花からの抗議が入れば、いくら輝が次期社長候補とて、いち企業として、彼の挙動のあれこれを、もう無視は出来ないだろうに…―――。
そう、冷たい打算をする百合花の胸中は知らないとばかりに。輝が、口を開く。
「…本日は、面会を許可してくださり、ありがとうございます。紫水党本部の事務員からは「休暇中」だとお聞きしましたが…、何処か優れないのでしょうか?
先ほど、屋内スペースに配置している、弊社から連れて来たSPから「今は屋内は空いている」と連絡を受けました。椅子に座った方がよろしいのでしたら、SPに場所を確保させますが…?」
「え、…あ、いいえ、そんなことはありません。休暇を取っているのは、体調不良ではなく、…その、スケジュール調整のためですから。
お気遣い頂きまして、ありがとうございます。どうぞ、このまま続けてください」
意外な言葉の温度に、百合花は少しばかり面食らう。輝が権威的にも物理的にも強いことを知っているが故に、…この、たった十六歳の少年が、此処まで百合花を気遣う素振りを見せることすら、彼女にとっては予想外。…正直、同じ政治家である年配の男性たちや、社交界で出くわす半端者たちより、―――今、百合花の眼前に立っている輝の方が、何千倍も誠実な態度を取っている節すらある。
途端、百合花は背筋に冷や汗が流れるのを感じた。――――…もしかして自分は、…私は、彼に対して。何か大きな誤解をしているのではないのだろうか…?何か、此処に至るまで、取り返しのつかない間違いを犯しているのでは…?
またも勝手に心中で、己の考えを反芻する百合花だったが。やはり、輝はそれには知らないと言わんばかりで、―――本当に分からないのだろう―――、百合花の「続けて」の言葉を受けた通りに、要件を述べ始める。
「先日の国会議事堂を襲ったテロ案件について、……その、紫雨先生に、僕個人として謝りたいと、思いまして……」
「……え?」
輝の台詞に、百合花は虚をつかれたかのような声を出した。――――……個人として謝りたい?…軍備会社のトップ候補として、意見を言い直したいとか、警備への修正案とかではなく……?
百合花がぽかんとしているのを、何かマズイ空気を作ったかと勘違いした輝の表情が、不用意に曇る。同時に、両者の間でやはり不用意な沈黙が落ちようとした。ところで、瞬時に、八槻が百合花には絶対に見えない角度と速度で、輝の身体を小突いたおかげで、輝の止まりかけた思考回路に冷静さと現実が戻ってきた。
いま此処で会話を止めれば、全てが停止したまま、終わってしまう。それを避けたくて、八槻を通して、百合花に面会の時間を設けて貰ったのである。
輝は襟を正す勢いで、誠意を込めた言葉を紡いだ。
「……あの場で、僕はかなり感情的になっていました。警備に粗があったからと、自分一人がテロを制圧してしまったからと、驕り高ぶっていました。
あのときの僕が発した怒鳴り声は、警備のスタッフたちには勿論、紫雨先生に向けるべきものではなかったと、深く反省しています。……本当に、申し訳ございませんでした」
そう言うと、輝は腰を折る。騎士服として仕立てられた裾が揺れ、彼の金髪も顔の上に落ちて、表情が見えなくなった。しかし、その声は確かに本気の謝意が込められているのが、百合花には分かった。むしろ、彼女自身が普段から、形ばかりの謝辞を交わし合う場に居るからこそ、輝の言葉が持つ純真さに気がついたとも言えるだろう。
抗議文?政治的圧力?駆け引き?――――……百合花の中に渦巻いていた冷たい打算の数々は、この瞬間、その存在意義を失った。代わりに溢れてくる自然な感情が、彼女を突き動かす。
「私も、あのときの現実が、見えておりませんでした。警備に穴があったことは分かり切っていて、自分の命が狙われたことも把握していながら、……結局、「政治家として良い顔をしていた紫雨百合花」という、一人の愚かな女だったのです。
……あの場で、輝さんが私に対して仰った「貴女が警備スタッフたちに優しい言葉をかけていられるのは、今回のテロで犠牲者が出なかったからだ」という旨の発言の真意。今やっと、本当の理解の域へと至りました。
本当に、ありがとうございます。私に、このような貴重な機会を授けてくださった輝さんには、私個人として、我が一族の先人たちのご加護が賜らんことを、お祈りしましょう」
百合花はそう言い終えると、おもむろに指先を組み、祈りの言葉を呟いた。
「紫雨一族の開祖たる、紫雨潤二朗(しぐれ じゅんじろう)帝国将軍閣下よ。この若き騎士に、栄光と繁栄の道をお示しください。
かの湾内に沈んだ将軍閣下の、大いなる犠牲を忘れてはおりません。なのでどうか、後継の我々に、将軍閣下のご加護をお与えくださいませ」
滔々と囁くような祈りの言葉が、ネモフィラの波間に消えていく。祈る故に、視線を下げていた百合花は気が付いていなかった。――――その祈りの言葉を聞いた輝の顔が、ほんの一瞬だけ、曇ったことを…。だが、それもすぐに元に戻る。
短い祈りが終わり、百合花が視線を上げる。そうして今度こそ、輝と百合花、…二人の眼と心が、本当の意味で交叉した。
「恐れ入ります。これからも日々精進して行きます」
「ええ。私も、輝さんに期待しています」
そうして。二人の面会は、静かに終わった――――…。
――――…。
トルバドール・セキュリティーの送迎用ワンボックス、……に見立てた、実は防弾に特化した装甲を積んで運用されている車輌に、輝と八槻が乗り込んだ。
座席に落ち着いてから、ミネラルウォーターのペットボトルの蓋を開けた輝を横目に、八槻が自分のジャケットの襟の社章バッジに擬態させた、ボディカメラのスイッチを切る。――――念には念を入れて。輝のことも、百合花のことも、彼は信用していたが。二人以外の外野に関しては、このご時世、悪いが、八槻にとっては全く信用に値しない。…特に、こういった面会の場に横槍を入れるかもしれない輩への対策は、いくらでも張って構わない。と、八槻は思っている。故に、彼は過保護と評されようとも、念を入れることには、決して妥協しない。――――…そして、この八槻という男が、絶対に欠かさない『護るための行動』が、もう一つ。
「輝くん、大丈夫そう?………紫雨先生の、あの祈りは、正直、僕も想定外だったわけだけど…」
八槻が当然とばかりに声をかけたのは、やはり輝の精神状態である。戦士として鍛えられてから、明らかに、その辺の十六歳とは一線を画すメンタルの持ち主には成長しているものの。やはり、社会経験が浅く薄いという点に於いて、『不意打ち』には非常に弱い。その不意打ちに該当するのが、先ほどの、百合花が見せた『祈り』であった。八槻が心配してくれていることに対して、感謝の態度は見せるものの、……やはり、輝の中では、新たに生まれた自責の念が消えないようだ。
「事前にもっと情報を入れておくべきでした…、甘かった……。そうだった、あの紫雨ユナ氏が総理になったとき、大きなニュースになってたのに…」
呟くように言いながら、輝はペットボトルを呷る。大きく飲み込んだせいで、若干量、口の端から溢れてきた水の筋を、彼は些か乱雑に騎士服の袖で拭う。
その様子を見た八槻が、宥めるような声を出した。
「あまり自分を責めすぎなくてもいいんじゃないかな?現総理の就任発表がされた頃、輝くんは未だ中学生だったはずで、……政治とか興味なかっただろう?」
「………後付けの言い訳にしかなりませんよ、それ……」
戦士として成熟した分、反動か、なかなかに頑固な一面が、輝にはある。……八槻は口に出さないだけで、「この頑固っぷり、琉一くん譲りだよねえ。何だか似なくて良い部分が、似てるんだよねえ」と思ってたりする。絶対に、口には出さないが。割と短気な琉一の性格は、よくよく知っているつもりだから。
……そんなことを考えているなんていうのはおくびにも出さず、八槻は、輝の肩を軽く叩きながら、ゆっくりと事実確認だけをしていく。
「まあまあ、せっかく紫雨百合花先生とのわだかまりが解けたんだから。まずはそこを喜ぼうじゃないか。
あの祈り――――……、「紫雨潤二朗帝国将軍閣下」について考えるのは、また明日以降にしよう。……どうせ、裏取りがしたくても、肝心のルカ三級高等幹部は、現在お留守にしておられるのだから、ね?」
八槻のその言葉を聞き、そして飲み込んだ輝は、無言で頷いた後。ペットボトルの蓋を閉めた。
――――「紫雨潤二朗帝国将軍閣下」とは――――……?
覚えているだろうか。今から。約二百年前。ヒルカリオが建設される前の、ヒルタス湾で行われた、『軍事兵器・ルカの初出撃』の話を…。
作戦の目的は、湾内を好き勝手に跋扈していた海賊や違法船の、一斉拿捕であった。しかし、軍事兵器として、初めて動いたルカが、最初の攻撃の出力計算を間違えてしまい、――――結果、ルカは全てを吹き飛ばした。
拿捕する目的だった海賊と違法船たちは勿論。ルカの後方支援として、彼と一緒に出撃していた戦艦と、それに乗っていた軍人、船の整備士や医療関係者など、全員が殉職の運びと相成った。
誰一人の骨も、本土へは帰って来ず。後のヒルカリオの最東端となる地から、当時、ヒルタス湾へと飛び立ったルカは。結局、たった一人で帰還してきた。「攻撃の衝撃と余波が収まった後、海底に潜って、かろうじて拾ってきたよ?」と言いながら差し出してきた、当時の我が国の軍隊の証が入った、もう誰のものかも分からぬ、ボロボロの軍帽……、そのたった一つだけを、手に持って……。
そして、悲惨な結果だけを残した作戦を、当時、最前線で指揮していたのが、百合花が口にした『紫雨潤二朗』、そのひとである。
潤次郎の作戦参加時の年齢は、六十二歳。我が国の軍事の基礎を築き上げたと言われている、叩き上げの武闘派将校であった。戦場主義だったこともあり、部下は勿論、必要ならば上官にも噛みつき、時に銃、時に剣、時に拳を振り上げることも厭わなかったという。しかし、そんな恐ろしい戦鬼だった潤二朗とて、心まで修羅ではなかった。
お見合いで結婚した妻を一筋に愛し、生まれた息子三人と、娘二人には正しい愛と鞭を与えた。仕事に行くときは、黙って背中だけを見せ、玄関を潜るだけだった。
そんな潤二朗が、「我が軍人生涯、最後の任務」と公言し、参加したのが。先のヒルタス湾での惨事となった作戦である――――……。
…………――――。全ての涙が流れきった後。ヒルカリオとなった島の最東端には、慰霊碑が建てられた。あの日の犠牲者を弔う文言と、その名前が、しかと刻まれている。その一番上に、殉職に対する特進と、潤二朗自身のこれまで多大な功績を讃え、『帝国将軍閣下』という、後にも先にも彼以外には付けられないであろう階級と共に、彼の名が大きく掘り刻まれているのだ。
もうお分かりだろう。百合花は、その潤二郎の末裔にあたる女性である。勿論、その叔母のユナも、血筋に含まれているものの、『直系』という肩書きは、あくまで百合花の方であった。
…故に、ユナが総理に初就任した、およそ三年前。ユナが「あの帝国将軍閣下の子孫である」ことは、大沙汰に各メディアに報道された反面、…「直系は、姪の百合花の方であり、一族の威光や尊厳は、ユナではなく百合花にある」や、「『軍神・紫雨将軍』の直系でないからこそ、ユナは、その一族の末端の七光りのみに縋り付いている」や、「直系の百合花を贔屓にすることで、虎の威を借りる狐として化けている」などと、あることないこと、言われ放題であった。
しかし、『大炎上』したのは、確かな事実ではあったが…。
移ろいゆく季節と共に、政治的な話題は勿論、娯楽的情報、世俗的な犯罪報道、地域性の高いエンターテインメントニュースなど、…眼先の新鮮なテーマに飛びついて、手を変え品を変え、視聴率や、閲覧数、情報の拡散率を求める、メディアたちは。…結局、ユナに関する、分かり易いスキャンダルが一切出てこないことに、勝手に飽きて。彼女に対する、いい加減な報道や、情報の拡散をするのを、止めてしまった。
そうして、メディアに踊らされていた憐れな国民たちも、いつしか、ユナが「将軍閣下の子孫である」ということを、忘れ去る。―――……たった一部の人間たちを、除いて。
ご存じの通り。輝が所属している、トルバドール・セキュリティーは。ROG. COMPANY本社に於ける軍備・警備に関するロボット兵や武器類をはじめ、社内を巡回する警備員から、正面ゲートにつく守衛まで、…文字通り、全てのセキュリティーの配備を、一手に引き受けている。―――……そう。ルカを閉じ込める檻たる、その基礎部分を…、トルバドール・セキュリティーは担っているのだ。そこのトップに立ちたいと邁進している輝や、その関係者である八槻が、ルカ関連の情報として処理されている、『ルカ初出撃の悲劇』を知らないわけがない。むしろ、忘れてはならない過去として、初出時は、強烈な衝撃と共に、教え込まれているまでもある。
「―――……武器って、兵器って、…一体、何なんだろうな…」
そう呟いた輝の言葉は、完全な独り言だった。八槻は何も返答しなかったし、曖昧な相槌すらも、己に許さなかった。
to be continued...
