第三章 現実は創作より奇なり
ツバサは喫茶店の前でマルギットと別れた後、自宅へ帰るための道を歩いていた。途中、今日の夕飯の支度が面倒だと感じてしまい、コンビニエンスストアに寄り道して、電子レンジで温めるだけのラーメンを購入した。エコバッグを揺らしながら歩いていると、……ふと、道の少し先に立っている電柱に寄り掛かっている長身の人影が見えて、…次に、ツバサの背後から、猫耳ヘアーの男が、音もなく現れる。――――幸福劇場の、ノアとキャットだ。
「何か御用でしょうか。仕事のお話でしたら、既に私は勤務時間外のため、Room ELへ直接、お問い合わせください」
ツバサが己の役職らしく事務的な声で告げると、ノアは静かにせせら笑い、キャットはつまらなさそうに鼻を鳴らした。
「将軍は、あんたのこと、いたく気に入ったみたいだけど…?何処が良いわけ?オレには、まるっきり分かんないね。キャットは賛成派?」
「やめておけ。将軍の美的センスを論じる暇があるなら、一秒でも多く働いた方がマシだろう?……ああ、ちなみに、割と賛成寄りではある」
ノアとキャットは、ツバサを置いてけぼりにするかのように、勝手に会話を始める。さっさと通り過ぎてしまおう…と、ツバサが二人を無視して、歩き始めようとしたとき。
「無視なんて、良い度胸してんじゃん?流石、あの荒唐無稽な軍事兵器が背後に居ると、そういうひとの心が無い、ちょっとした行動も厭わないってこと?」
ノアがそう言いながら、ツバサの前を通せんぼした。キャットもまるで逃がす気がないという雰囲気丸出しで、彼女を睨んでいる。
「ルカが荒唐無稽ということは、残念ながら否定は出来ませんが…。ひとの心が無い行動、という観点では、むしろ私より貴方たちの方が余程、眼に余る気もします。…ああ、勘違いしないでください。これは幸福劇場としての貴方たちへの評価ではなく、…今こうして、たった一人の女性事務員を相手に、男二人が寄ってたかって詰め寄っている、という意味です」
ツバサがそこまで反論すると、ノアとキャットは、一瞬だけ、ぽかん、とした後、……これまた一瞬だけ互いにアイコンタクトを取ってから、二人して「なるほど…」と溢しあって。再び、ツバサへと視線を戻したのである。
そして、二人はツバサの眼を覗き込むようにして、彼女へ口を開いた。
「追い詰められて悲鳴を上げてくれれば、……そうでなくても、せめてあの軍事兵器にSOSのサインを出すとか、そんなことしてくれると思ってたけど。…なーんだ、案外と冷静な女の子じゃん?でも正直、それって、つまらないんだか、面白いんだか…。ねえ、事務員殿?生きてて楽しい?」
「この国全体の人間に言えるものの、お前も随分と平和ボケしているようだな。……考えないのか?軍事兵器が不在の今、お前の命なんて、俺たち二人で散らしたうえに、遺体も、殺した痕跡すらも残さず、むしろ事故に見せかけて処理することは造作もない、…という予想は出来ないと?」
畳み掛けるかのように言い募るノアとキャットの視線には、多大な悪意と、一欠片の殺意と嫉妬が入り交じっている。だが、ツバサはそれらを正面から受け止めたうえで、決して逸らすことはしなかった。むしろ、ツバサは二人に向かって、心の底から疑問視している、と言わんばかりの表情をしながら、己の意見を述べ始める。
「お二人共も、随分と失礼、且つ、物騒な話をしてくれるものです。此処が人通りの少ない閑静な住宅地近くということを考慮していると予想はしても、……些か、配慮やリスクマネジメント、その他項目に該当するべき管理能力に欠けていると、評価をせざるを得ません。
……ええと?それで、何でしたっけ?私自身が生きてて楽しいか、どうか。と、私がこの場でお二人に殺されるかもしれないけど、どうする?とか何とか…、でしたか?」
ツバサの口調こそ事務員らしい平坦なモノであったが、…明らかに挑発的な色味が混じっていた。結構、珍しい光景だ。
――――…腹違いとはいえ、あのソラの妹として、彼女は確実に、兄側の性格へ似て寄って来ている。そう例えば、今のように。淡々を事実を述べて、本質を問いかけつつ、人間味のある挑発や文句を混じらせ、相手を煽ってから、こちらのペースへと引っ張り込む。……ルカは「正解しか言わない」ので、彼自身に相手を煽っているという自覚は一切無い。故に、今回のサンプルデータとしては除外だ。
話を戻そう。
ツバサに煽られたノアとキャットは、明らかに苛立った。ノアは不機嫌な表情を隠さず、キャットに至っては武器が仕込んである場所に手を伸ばしかけている。
「キャットさん、でしたか?…そこに隠されているであろう武器を手に取ってみてください。その瞬間、貴方たちには検知が出来ない距離や角度から、私という存在の安全を護るためのセキュリティーが発動します。ルカの手から離れている現在の弊社に於いて、再構築されたセキュリティーシステムに対して、キャットさんがご興味があるのでしたら、まあ、止めませんけれど…」
「……、ッ」
物の見事に指摘を受けたキャットが、グッと詰まった顔をして、……そうして、武器に伸ばしかけていた手を引っ込めた。
だが、ノアは引かないどころか、もう半歩ほど踏み出す勢いで、更にツバサへ向かって、物理的にも、心理的にも詰める。灰水色のリップを塗ったノアの唇が、ツバサに対して、言葉を紡ぐ。
「将軍から、うちの国の事情や、浄化酸素の話、聞いてたじゃん?あれの本当の意味、分かってんの?まあ、将軍は「私の故郷の話を、茶請けの代わりとして、どうぞ聞いてください」ぐらいのレベルで、話題に出したんだろうけどさあ?
……ちょっと敵陣の上官の間合いに踏み込めたからって、調子に乗んな?オレたちが、事務員殿に手が出せない状況は理解したけどさあ。……環境汚染も、酸素問題も、選民思想も、何一つ知らない人間の一人である、そっち側のあんただって、幸福劇場のオレたちに対して、言って良いことと、悪いことがあるのぐらい、あんたも理解しなよ?………………立場さえ関係なければ、本当に殺してやりたい……!」
そう言うノアの表情にも声にも、明らかな負の感情が宿っているうえに、彼はそれを隠そうともしなかった。キャットもノアを制止するような素振りは見せず、むしろ彼に同調しているのが、その双眸からも見て取れる。
ツバサはそこまで観察し終えてから、身長的な意味で、上から自分を睨み落とすノアを、真っ直ぐに見つめてから。今度は私の番だと言わんばかりに、口を開いた。
「ノアさん、キャットさん。まず、お二人の中で生じている誤解を、二点ほど、解いておきましょう。
まず、一点目。私は、Room ELの事務員としても、そしてツバサ個人としても、マルギット将軍の間合いに踏み込んだとは思っておりません。
おそらくですが、それは、将軍も同じではないでしょうか。彼女はきっと、私に仲間意識など感じてはおらず、ただただ、日用品の買い出しを手伝ったこと、そしてその後のお茶と食事の場を手配したことに対して、……それこそ、ノアさんが仰った通り、「茶請けの代わりとして、どうぞ」程度の感覚で、貴方たちの国のお話を、他でもない、マルギット将軍視点でのみ、私にお話してくださった。それだけです」
ツバサの言葉を聞いたノアが、反射的に黙り込む。やはり、というか。幸福劇場の面々は、何処か不意打ちに弱い一面が在りそうだ。ツバサは続ける。
「次に、二点目。私は、貴方たちの国のお話を将軍から聞いたとき、そちらの情勢がどのようなものなのかを、ある程度、自分の中で予想を立てました。どうぞ、お聞きください。
まず、政府が、国民を上層民と下層民とで、分けている点について。これは、国全体の環境汚染が深刻化及び、常態化していることで、国が政策として打ち出した、苦肉の策とでも言いましょう。では何故、国民を選び取り、そこに上下や優劣をつける必要があるのか?答えは簡単です。――――はい、浄化酸素の存在です。
マルギット将軍は、浄化酸素は政府主導で開発され、配給されているという主旨のことを仰っていました。故に、シェルターシティという政府に護られている側に住んでいる上層民たちには、緊急用と称して無料支給されている反面、将軍自身が「浄化酸素は市場に出回っている」という発言も残している…。では、何処の市場で販売しているのか?――――はい、下層民向けの市場のことです。
下層民が入れないシェルターシティの外では、浄化酸素が無いと生きてはいけないほどの環境汚染が蔓延っている……。つまり、政府は下層民に対して、その浄化酸素を販売することで利益を生み出し、その売上等から、浄化酸素の量産に加えて、改良、調整、研究を進めていると考えられます。しかし、そうなると、様々な懸念点が生じます。――――はい、浄化酸素の転売や、正規品ではないモノが出回る危険性です。
将軍は上層民出身故に、下層民のに於ける浄化酸素の市場の真相を知らないのでしょう。故に、下層民が生きるために必携とは言ってはいても、その重要性や真相に基づく情報やデータについて、彼女が語ることはありませんでした。幸福劇場の特務将軍として、先のアンチ・アグリーのような、あれだけの大きな施策の指揮を執りながら、いざ自分の国の実情を、まるであずかり知らずだと言いたげに、何も説明しないのは、却って不自然です。
…………申し訳ございません。長く喋り過ぎてしまったようです。何かご質問等は、ございますか?」
ツバサがそこまで言い切り、ノアとキャットを見やった。二人して表情を引き攣らせては、ツバサに対して、まるで未知の生物とでも遭遇したかのような視線を送っている。
やがて、数秒の沈黙の後。…ノアが、ははっ、と不意に笑い声を零し落とした。そのまま、ツバサに向かって、口を開く。
「あんた……おかしいだろ?将軍の話を聞き齧っただけで、……なんで、そこまでこっちの事情を察してんの?頭が良いとか、賢いとか、そんなモンじゃないわ。……化け物すぎる…。普通に生きてたら、あれだけの情報量で、こっちの国の情勢はおろか、オレたち下層民の実情まで把握するとか、あり得ないって…!」
ノアが絞り出すように震えた声を出すのとは、対照的に、今度はキャットが妙に攻撃的な声音を出しては、ツバサに詰問を始めた。
「……どういうことだ?事務員、お前は一体、ナニを仕掛けた?
…………まさかオレたちの眼を掻い潜って、将軍に……マルギットに、何か変な取引とか持ちかけていないだろうな?」
キャットの警戒心が高まっているのが分かる。これは危ない予感がする、と思ったツバサは、即時、彼を落ち着かせようと試みた。
「私は誓って、マルギット将軍に対して、おかしな仕掛けを施したり、ましてやお二人の警戒網の掻い潜って、彼女に取引などを持ちかけてはいません。
私が此処まで推測と予測を重ね、そうして真実まで辿り着けたのは、……これまで積み重ねてきた経験や勉学、……子どもとして、大人として、学生として、会社員として、……そうして私自身があらゆる変遷を経て、得てきた知識や仮説を、いま此処で実証した結果に過ぎないのです。
――――…だからキャットさん、落ち着いてください。手が、また、伸びかけています…。いま武器を取り出せば、貴方は確実に怪我をします。
私は、Room ELの一員として、幸福劇場のメンバーである貴方たちへの対策案を考えているのは、事実です。ですが、その関係の無い時間や世界で、貴方たちを不用意に傷付けるのは、本意ではありません。これは、私だけの意思ではなく、ルカの軍事兵器としての信条でもあります」
ツバサに指摘を受けたキャットが、ハッとしたかのように我に返るが…。しかし、一度でも強く芽生えた警戒心を解くのは難しいらしい。現に、武器へ手は伸びかけたままだし、ツバサを睨む眼もそのままだ。…正直、彼自身、葛藤しているかのようにも見えた。そのとき。
「――――帰ろう、キャット。これ以上、此処に留まる意味なんて、もう無い。それに、この事務員殿を護る、再構築されたセキュリティーとやらも検証もいらない。どーせ、この地点から半径七キロメートル以内に、それっぽい脅威や外因が居ないことは、リアルタイムで確認しているんだし。
…………それに、これ以上、帰りが遅くなると、マルギットが心配する」
ノアが打って変わって、静かな声で、キャットを宥める。何より、ノアの手が、キャットの武器に伸びかけている手そのものを制していた。
獰猛な警戒心を湛えていたキャットの両眼から、段々と、その感情が薄れていく。文字通り、眼に見えて、落ち着いていくのが分かった。
キャットが冷静さを取り戻したのを確認したノアは、何処か安心したかのような表情をする。……のも、本当に一瞬だけで。
すぐさま、いつもの他者への敬意が一切無い、あの笑みと態度に戻った。そして、ツバサに向かって、これが最後の話だと付け足すように、己の事情を手短に語る。
「そんだけ勘が良いと、まあ、もう知っているだろうけどさ。一応、付け足しておいてあげるよ。
――――…オレとキャットが、マルギットに付き従ってるのは、別にあの子に忠誠を誓ってるからじゃないし、ましてや、幸福劇場に関しては手段としか思ってない。……何の手段かって?分かるよね?――――、出世、だ」
ノアがそう言うと同時に、キャットもツバサの方へ視線を再び向けた。その瞳が先ほどとは違い、凪いでいる分、これは真実を話してくれていることを理解する。
「ええ、予想の範囲内です」
ツバサがそう返事をすると、ノアは更に続けた。
「上層民のマルギットに招待されただけの下層民出身の立場のままじゃあ、オレたちはいつまで経っても、シェルターシティ内で差別されるだけ。ただでさえ、上層民は下層民の事情を知らないうえに、変なバイアスを自分たちに掛けちゃってるし。おかげさまで、オレたちはシェルターシティに移った後でさえ、日雇い仕事すら「下層民出身だから」と門前払いを受けることなんてザラだったよ。明日食べるモノは勿論、その日の飢えや渇きを凌ぐことすら、結局、下層民の貧民街からシェルターシティ内に移住しても、変わらなかった…。
……だから、今回の仕事で、何としても成果を挙げて、上のヤツらに認めて貰う必要があるわけ。マルギットが見ている前で、分かり易い成績を残せば、流石にあのボンヤリ娘だって、オレたちの評価を上に正確に伝えざるを得ないでしょ?
――――ね?だから、そっちもさ、オレもキャットも、そしてマルギットのことも、ちゃーんと幸福劇場の三人衆として、見ていてよ?」
ノアはそこまで言うと、愉快そうに笑う。そして、ツバサは淡々と答える。
「承知しました。以後、そのように取り扱いをさせて頂きます」
――――…。
【某所 雑居ビル屋上】
ほぼ建物全体が空室でしかない雑居ビルの屋上で。
普通の人間ではまず扱えない、規格外の遠距離用の狙撃銃を手にした琉一が、その望遠レンズを覗き込みながら、インカムに報告をする。
「妹姫の帰宅を確認。部屋の電気も点灯しました。どうぞ。―――……了解。八分以内に、この場より完全撤退します。オーバー」
通信相手―――ソラからの撤退指示を受けた琉一は、即座に手に持っていた狙撃銃の分解を始めた。傍で控えていたグレイス隊兵が、狙撃銃専用のケースを開いて、パーツになったそれらを手渡された端から仕舞い込んでいく。
「撤退します。幸福劇場による追跡や尾行、その他警戒行動に対して、一切の隙を見せないように。以上。では、行動開始」
『了解しました』
神速で狙撃銃を分解し終えた琉一が、ロボット兵士たちに命令を出して、――――……間も無く、ビルの屋上はおろか。その周囲から、彼らの気配は完全に消えた。
「大切な我らが妹姫のためとはいえ、…「彼女が危険に晒された場合、半径九キロメートル以上先の標的を、死なない程度に撃ち抜け」などと…。ソラも案外と過保護が過ぎますね。…まあ、それを引き受けてしまえる自分も、大概ですけれども」
一般人の視界には到底入らない、裏も裏めいた道なき道を行きながら。任務を終えた琉一は、そんな独り言を零したのであった。
そう。幸福劇場の、ノアとキャットの警戒範囲は、半径七キロメートル以内であったのに対して。Room EL、引いては、ROG. COMPANYがツバサのために敷いた「再構築されたセキュリティー」というのは、その更に二キロメートル以上は、広いモノだったのだ――――……。
to be continued...
「何か御用でしょうか。仕事のお話でしたら、既に私は勤務時間外のため、Room ELへ直接、お問い合わせください」
ツバサが己の役職らしく事務的な声で告げると、ノアは静かにせせら笑い、キャットはつまらなさそうに鼻を鳴らした。
「将軍は、あんたのこと、いたく気に入ったみたいだけど…?何処が良いわけ?オレには、まるっきり分かんないね。キャットは賛成派?」
「やめておけ。将軍の美的センスを論じる暇があるなら、一秒でも多く働いた方がマシだろう?……ああ、ちなみに、割と賛成寄りではある」
ノアとキャットは、ツバサを置いてけぼりにするかのように、勝手に会話を始める。さっさと通り過ぎてしまおう…と、ツバサが二人を無視して、歩き始めようとしたとき。
「無視なんて、良い度胸してんじゃん?流石、あの荒唐無稽な軍事兵器が背後に居ると、そういうひとの心が無い、ちょっとした行動も厭わないってこと?」
ノアがそう言いながら、ツバサの前を通せんぼした。キャットもまるで逃がす気がないという雰囲気丸出しで、彼女を睨んでいる。
「ルカが荒唐無稽ということは、残念ながら否定は出来ませんが…。ひとの心が無い行動、という観点では、むしろ私より貴方たちの方が余程、眼に余る気もします。…ああ、勘違いしないでください。これは幸福劇場としての貴方たちへの評価ではなく、…今こうして、たった一人の女性事務員を相手に、男二人が寄ってたかって詰め寄っている、という意味です」
ツバサがそこまで反論すると、ノアとキャットは、一瞬だけ、ぽかん、とした後、……これまた一瞬だけ互いにアイコンタクトを取ってから、二人して「なるほど…」と溢しあって。再び、ツバサへと視線を戻したのである。
そして、二人はツバサの眼を覗き込むようにして、彼女へ口を開いた。
「追い詰められて悲鳴を上げてくれれば、……そうでなくても、せめてあの軍事兵器にSOSのサインを出すとか、そんなことしてくれると思ってたけど。…なーんだ、案外と冷静な女の子じゃん?でも正直、それって、つまらないんだか、面白いんだか…。ねえ、事務員殿?生きてて楽しい?」
「この国全体の人間に言えるものの、お前も随分と平和ボケしているようだな。……考えないのか?軍事兵器が不在の今、お前の命なんて、俺たち二人で散らしたうえに、遺体も、殺した痕跡すらも残さず、むしろ事故に見せかけて処理することは造作もない、…という予想は出来ないと?」
畳み掛けるかのように言い募るノアとキャットの視線には、多大な悪意と、一欠片の殺意と嫉妬が入り交じっている。だが、ツバサはそれらを正面から受け止めたうえで、決して逸らすことはしなかった。むしろ、ツバサは二人に向かって、心の底から疑問視している、と言わんばかりの表情をしながら、己の意見を述べ始める。
「お二人共も、随分と失礼、且つ、物騒な話をしてくれるものです。此処が人通りの少ない閑静な住宅地近くということを考慮していると予想はしても、……些か、配慮やリスクマネジメント、その他項目に該当するべき管理能力に欠けていると、評価をせざるを得ません。
……ええと?それで、何でしたっけ?私自身が生きてて楽しいか、どうか。と、私がこの場でお二人に殺されるかもしれないけど、どうする?とか何とか…、でしたか?」
ツバサの口調こそ事務員らしい平坦なモノであったが、…明らかに挑発的な色味が混じっていた。結構、珍しい光景だ。
――――…腹違いとはいえ、あのソラの妹として、彼女は確実に、兄側の性格へ似て寄って来ている。そう例えば、今のように。淡々を事実を述べて、本質を問いかけつつ、人間味のある挑発や文句を混じらせ、相手を煽ってから、こちらのペースへと引っ張り込む。……ルカは「正解しか言わない」ので、彼自身に相手を煽っているという自覚は一切無い。故に、今回のサンプルデータとしては除外だ。
話を戻そう。
ツバサに煽られたノアとキャットは、明らかに苛立った。ノアは不機嫌な表情を隠さず、キャットに至っては武器が仕込んである場所に手を伸ばしかけている。
「キャットさん、でしたか?…そこに隠されているであろう武器を手に取ってみてください。その瞬間、貴方たちには検知が出来ない距離や角度から、私という存在の安全を護るためのセキュリティーが発動します。ルカの手から離れている現在の弊社に於いて、再構築されたセキュリティーシステムに対して、キャットさんがご興味があるのでしたら、まあ、止めませんけれど…」
「……、ッ」
物の見事に指摘を受けたキャットが、グッと詰まった顔をして、……そうして、武器に伸ばしかけていた手を引っ込めた。
だが、ノアは引かないどころか、もう半歩ほど踏み出す勢いで、更にツバサへ向かって、物理的にも、心理的にも詰める。灰水色のリップを塗ったノアの唇が、ツバサに対して、言葉を紡ぐ。
「将軍から、うちの国の事情や、浄化酸素の話、聞いてたじゃん?あれの本当の意味、分かってんの?まあ、将軍は「私の故郷の話を、茶請けの代わりとして、どうぞ聞いてください」ぐらいのレベルで、話題に出したんだろうけどさあ?
……ちょっと敵陣の上官の間合いに踏み込めたからって、調子に乗んな?オレたちが、事務員殿に手が出せない状況は理解したけどさあ。……環境汚染も、酸素問題も、選民思想も、何一つ知らない人間の一人である、そっち側のあんただって、幸福劇場のオレたちに対して、言って良いことと、悪いことがあるのぐらい、あんたも理解しなよ?………………立場さえ関係なければ、本当に殺してやりたい……!」
そう言うノアの表情にも声にも、明らかな負の感情が宿っているうえに、彼はそれを隠そうともしなかった。キャットもノアを制止するような素振りは見せず、むしろ彼に同調しているのが、その双眸からも見て取れる。
ツバサはそこまで観察し終えてから、身長的な意味で、上から自分を睨み落とすノアを、真っ直ぐに見つめてから。今度は私の番だと言わんばかりに、口を開いた。
「ノアさん、キャットさん。まず、お二人の中で生じている誤解を、二点ほど、解いておきましょう。
まず、一点目。私は、Room ELの事務員としても、そしてツバサ個人としても、マルギット将軍の間合いに踏み込んだとは思っておりません。
おそらくですが、それは、将軍も同じではないでしょうか。彼女はきっと、私に仲間意識など感じてはおらず、ただただ、日用品の買い出しを手伝ったこと、そしてその後のお茶と食事の場を手配したことに対して、……それこそ、ノアさんが仰った通り、「茶請けの代わりとして、どうぞ」程度の感覚で、貴方たちの国のお話を、他でもない、マルギット将軍視点でのみ、私にお話してくださった。それだけです」
ツバサの言葉を聞いたノアが、反射的に黙り込む。やはり、というか。幸福劇場の面々は、何処か不意打ちに弱い一面が在りそうだ。ツバサは続ける。
「次に、二点目。私は、貴方たちの国のお話を将軍から聞いたとき、そちらの情勢がどのようなものなのかを、ある程度、自分の中で予想を立てました。どうぞ、お聞きください。
まず、政府が、国民を上層民と下層民とで、分けている点について。これは、国全体の環境汚染が深刻化及び、常態化していることで、国が政策として打ち出した、苦肉の策とでも言いましょう。では何故、国民を選び取り、そこに上下や優劣をつける必要があるのか?答えは簡単です。――――はい、浄化酸素の存在です。
マルギット将軍は、浄化酸素は政府主導で開発され、配給されているという主旨のことを仰っていました。故に、シェルターシティという政府に護られている側に住んでいる上層民たちには、緊急用と称して無料支給されている反面、将軍自身が「浄化酸素は市場に出回っている」という発言も残している…。では、何処の市場で販売しているのか?――――はい、下層民向けの市場のことです。
下層民が入れないシェルターシティの外では、浄化酸素が無いと生きてはいけないほどの環境汚染が蔓延っている……。つまり、政府は下層民に対して、その浄化酸素を販売することで利益を生み出し、その売上等から、浄化酸素の量産に加えて、改良、調整、研究を進めていると考えられます。しかし、そうなると、様々な懸念点が生じます。――――はい、浄化酸素の転売や、正規品ではないモノが出回る危険性です。
将軍は上層民出身故に、下層民のに於ける浄化酸素の市場の真相を知らないのでしょう。故に、下層民が生きるために必携とは言ってはいても、その重要性や真相に基づく情報やデータについて、彼女が語ることはありませんでした。幸福劇場の特務将軍として、先のアンチ・アグリーのような、あれだけの大きな施策の指揮を執りながら、いざ自分の国の実情を、まるであずかり知らずだと言いたげに、何も説明しないのは、却って不自然です。
…………申し訳ございません。長く喋り過ぎてしまったようです。何かご質問等は、ございますか?」
ツバサがそこまで言い切り、ノアとキャットを見やった。二人して表情を引き攣らせては、ツバサに対して、まるで未知の生物とでも遭遇したかのような視線を送っている。
やがて、数秒の沈黙の後。…ノアが、ははっ、と不意に笑い声を零し落とした。そのまま、ツバサに向かって、口を開く。
「あんた……おかしいだろ?将軍の話を聞き齧っただけで、……なんで、そこまでこっちの事情を察してんの?頭が良いとか、賢いとか、そんなモンじゃないわ。……化け物すぎる…。普通に生きてたら、あれだけの情報量で、こっちの国の情勢はおろか、オレたち下層民の実情まで把握するとか、あり得ないって…!」
ノアが絞り出すように震えた声を出すのとは、対照的に、今度はキャットが妙に攻撃的な声音を出しては、ツバサに詰問を始めた。
「……どういうことだ?事務員、お前は一体、ナニを仕掛けた?
…………まさかオレたちの眼を掻い潜って、将軍に……マルギットに、何か変な取引とか持ちかけていないだろうな?」
キャットの警戒心が高まっているのが分かる。これは危ない予感がする、と思ったツバサは、即時、彼を落ち着かせようと試みた。
「私は誓って、マルギット将軍に対して、おかしな仕掛けを施したり、ましてやお二人の警戒網の掻い潜って、彼女に取引などを持ちかけてはいません。
私が此処まで推測と予測を重ね、そうして真実まで辿り着けたのは、……これまで積み重ねてきた経験や勉学、……子どもとして、大人として、学生として、会社員として、……そうして私自身があらゆる変遷を経て、得てきた知識や仮説を、いま此処で実証した結果に過ぎないのです。
――――…だからキャットさん、落ち着いてください。手が、また、伸びかけています…。いま武器を取り出せば、貴方は確実に怪我をします。
私は、Room ELの一員として、幸福劇場のメンバーである貴方たちへの対策案を考えているのは、事実です。ですが、その関係の無い時間や世界で、貴方たちを不用意に傷付けるのは、本意ではありません。これは、私だけの意思ではなく、ルカの軍事兵器としての信条でもあります」
ツバサに指摘を受けたキャットが、ハッとしたかのように我に返るが…。しかし、一度でも強く芽生えた警戒心を解くのは難しいらしい。現に、武器へ手は伸びかけたままだし、ツバサを睨む眼もそのままだ。…正直、彼自身、葛藤しているかのようにも見えた。そのとき。
「――――帰ろう、キャット。これ以上、此処に留まる意味なんて、もう無い。それに、この事務員殿を護る、再構築されたセキュリティーとやらも検証もいらない。どーせ、この地点から半径七キロメートル以内に、それっぽい脅威や外因が居ないことは、リアルタイムで確認しているんだし。
…………それに、これ以上、帰りが遅くなると、マルギットが心配する」
ノアが打って変わって、静かな声で、キャットを宥める。何より、ノアの手が、キャットの武器に伸びかけている手そのものを制していた。
獰猛な警戒心を湛えていたキャットの両眼から、段々と、その感情が薄れていく。文字通り、眼に見えて、落ち着いていくのが分かった。
キャットが冷静さを取り戻したのを確認したノアは、何処か安心したかのような表情をする。……のも、本当に一瞬だけで。
すぐさま、いつもの他者への敬意が一切無い、あの笑みと態度に戻った。そして、ツバサに向かって、これが最後の話だと付け足すように、己の事情を手短に語る。
「そんだけ勘が良いと、まあ、もう知っているだろうけどさ。一応、付け足しておいてあげるよ。
――――…オレとキャットが、マルギットに付き従ってるのは、別にあの子に忠誠を誓ってるからじゃないし、ましてや、幸福劇場に関しては手段としか思ってない。……何の手段かって?分かるよね?――――、出世、だ」
ノアがそう言うと同時に、キャットもツバサの方へ視線を再び向けた。その瞳が先ほどとは違い、凪いでいる分、これは真実を話してくれていることを理解する。
「ええ、予想の範囲内です」
ツバサがそう返事をすると、ノアは更に続けた。
「上層民のマルギットに招待されただけの下層民出身の立場のままじゃあ、オレたちはいつまで経っても、シェルターシティ内で差別されるだけ。ただでさえ、上層民は下層民の事情を知らないうえに、変なバイアスを自分たちに掛けちゃってるし。おかげさまで、オレたちはシェルターシティに移った後でさえ、日雇い仕事すら「下層民出身だから」と門前払いを受けることなんてザラだったよ。明日食べるモノは勿論、その日の飢えや渇きを凌ぐことすら、結局、下層民の貧民街からシェルターシティ内に移住しても、変わらなかった…。
……だから、今回の仕事で、何としても成果を挙げて、上のヤツらに認めて貰う必要があるわけ。マルギットが見ている前で、分かり易い成績を残せば、流石にあのボンヤリ娘だって、オレたちの評価を上に正確に伝えざるを得ないでしょ?
――――ね?だから、そっちもさ、オレもキャットも、そしてマルギットのことも、ちゃーんと幸福劇場の三人衆として、見ていてよ?」
ノアはそこまで言うと、愉快そうに笑う。そして、ツバサは淡々と答える。
「承知しました。以後、そのように取り扱いをさせて頂きます」
――――…。
【某所 雑居ビル屋上】
ほぼ建物全体が空室でしかない雑居ビルの屋上で。
普通の人間ではまず扱えない、規格外の遠距離用の狙撃銃を手にした琉一が、その望遠レンズを覗き込みながら、インカムに報告をする。
「妹姫の帰宅を確認。部屋の電気も点灯しました。どうぞ。―――……了解。八分以内に、この場より完全撤退します。オーバー」
通信相手―――ソラからの撤退指示を受けた琉一は、即座に手に持っていた狙撃銃の分解を始めた。傍で控えていたグレイス隊兵が、狙撃銃専用のケースを開いて、パーツになったそれらを手渡された端から仕舞い込んでいく。
「撤退します。幸福劇場による追跡や尾行、その他警戒行動に対して、一切の隙を見せないように。以上。では、行動開始」
『了解しました』
神速で狙撃銃を分解し終えた琉一が、ロボット兵士たちに命令を出して、――――……間も無く、ビルの屋上はおろか。その周囲から、彼らの気配は完全に消えた。
「大切な我らが妹姫のためとはいえ、…「彼女が危険に晒された場合、半径九キロメートル以上先の標的を、死なない程度に撃ち抜け」などと…。ソラも案外と過保護が過ぎますね。…まあ、それを引き受けてしまえる自分も、大概ですけれども」
一般人の視界には到底入らない、裏も裏めいた道なき道を行きながら。任務を終えた琉一は、そんな独り言を零したのであった。
そう。幸福劇場の、ノアとキャットの警戒範囲は、半径七キロメートル以内であったのに対して。Room EL、引いては、ROG. COMPANYがツバサのために敷いた「再構築されたセキュリティー」というのは、その更に二キロメートル以上は、広いモノだったのだ――――……。
to be continued...
