第三章 現実は創作より奇なり

その日。ツバサは半休日であった。色々と忙しい時期を迎えているときではあるものの、仕事にかまけて、己への「ご自愛」を忘れてはならない。良い仕事は、良い休憩から成立する。

そんなわけで、ツバサは昼前で退勤してから。その足で、商業区画へと訪れていた。特に明確な目的が在るのではない。ウィンドウショッピングをするも良し、美味しいものを食べ歩くも良し、何処かに腰を落ち着けても良し、である。
しかし、やはり。此処に来ると、どうしても訪れたくなる店が、ツバサの中に思い浮かんでしまい。結局、彼女は。お目当てを見つけた足取りに切り替えて、目的地へと歩き始めたのであった。



【リリーハウス 店舗前】

間も無く、ツバサがやってきたのは、彼女のお気に入りの美容ブランド『リリーハウス』の実店舗。正直、自宅の在庫の量を考えると、特段、今すぐに買い足さなければいけないようなものはない。だが、そんなことは関係ない。ご自愛がしたい。忙しい仕事をこなしている自分に、ご褒美が欲しい。
ツバサは胸中で本音をぶちまけながら、リリーハウスの店内に入る。すぐに店員が出迎えて、――――明らかに、ギョッとした顔をした。

「えと、…お連れ様でしょうか?」
「? 何のことですか?私は一人行動をしていますので、誰も連れてなどいません…」

店員の質問に、ツバサは純粋な疑問を抱きながらも、すぐさま疑いだけは晴らしておく。そして、立っている出入り口付近から店内を見回したとき、――――彼女の緑眼が捉えた人物を見て、「ああ、なるほど…。そういうことか…」と即座に納得をする運びとなった。

ヘアケア用品の棚の前に、自分と同じ顔の女性が居た。――――…幸福劇場の特務将軍こと、マルギットである。
どうやらツバサを出迎えた店員は、先に来店していたマルギットと、後からやってきたツバサの顔がそっくりだったことで、二人が連れ同士だと勘違いしたらしい。よりもっともらしい理由をあげるとすれば、「双子の姉妹が、この店で待ち合わせでもしていた」とでも考えたのが、妥当だろうか。

すると、不意に、マルギットがツバサの方を見た。視線が交叉する。
ツバサがどう行動しようかと考えていると、…マルギットが彼女へ手招きをしてきた。「こちらへいらっしゃい」と言わんばかりである。その動作一つで、彼女が『将軍』として、他人を扱う作法を身に着けているのが分かった。

幸福劇場のサウザンド・メガロポリス計画が世間に及ぼしている悪影響を鑑みると、いま此処で、ツバサがマルギットと不用意に接触するのは、よろしくない。
だがしかし、ツバサの中には、マルギットと一対一で話をしてみたい欲は在った。……その可能性が、この瞬間に発生したというのならば、賭けてみようではないか。
ツバサは店員に軽めの会釈だけして、マルギットの方へと歩いていった。「やはり連れ同士だったのでは…?」という顔をしている店員の表情は、見ないフリ。

「ご機嫌よう、ツバサ事務員殿。今お時間、よろしいでしょうか?少々、ご相談したいことがあります」

ツバサが近付くと、マルギットがそう問いかけてくる。…否、問いかけているように見せかけて、既に「自分の傍につけ」と暗に命令している。

「…ええ、今は社外ですし、私も半休で退勤した身ですので、構いません。それで、相談したいこととは、一体何でしょう…?」

マルギットに従うような感覚には嫌悪の気持ちが湧くが、このチャンス、背に腹は代えられぬ。ツバサは努めて冷静な声を出しながら、マルギットの反応を見た。すると、マルギットは、ヘアケア商品の棚に陳列されている、寝癖直し用のスプレーを手で示し、ツバサに向かって口を開いた。

「こちらの寝癖直し用のスプレー、どれがオススメでしょう?」
「…、え…?」

マルギットの質問に、ツバサは思わず、呆気に取られたような声を出してしまった。何かの冗談か?試し行動か?、と一瞬だけ身構えたが。マルギットの眼は、凪いだ湖面のように、波紋が無い。つまり、純粋に疑問をぶつけてきている。…寝癖直し用のスプレーのオススメを教えろ、と。

マルギットが指し示した先の寝癖直し用スプレーを、ツバサも見やる。三種類のボトルが在った。同じ寝癖直し用と称しているものの、これらは微妙に目的が異なる。ツバサはとりあえず、無難な質問を飛ばしてみることにした。

「寝癖にお悩みなのは理解しました。…マルギット将、…失礼、マルギットさんの寝癖の状態を、教えていただけますでしょうか」
「? 寝癖の状態…?その言い方では、まるで寝癖に種類が在るように聞こえますが?」
「…。」

無難な質問のはずが、思わぬ変化球が返ってきてしまったではないか。だが、こんなモノでめげていては、マルギットの対話するどころか、Room ELの事務員としても、この先はやってはいけない。故に、ツバサは根気強く、付き合う決心をした。

「…、ええ、一重に寝癖と言っても、そこには個人差があります」
「個人差?
 種としての個体差というのであれば理解が出来ますが、…たかが髪の毛に個体差など、我々の常識では有り得ません」

マルギットの言葉は、本音だろう。現に、やはりその眼に嘘を吐いているような揺れが無い。

「…常識の有無や齟齬については、此処では一旦、置いておきましょう…。
 マルギットさん、まず、起きたときの貴女の寝癖が、どんな状態であるのかを教えてください。
 寝癖がつくのは、毛先だけですか?それとも、髪の毛全体に寝癖が広がっていますか?
 あとは、髪の毛が乾燥したりしてはないでしょうか?」

ツバサは順序を立てて、マルギットに問いかける。すると、マルギットは淀みの無い口調で、答え始めた。

「寝癖は、髪の中ごろから毛先にかけて、全体的に広がっています。乾燥もしています。特に、毛先に行けば行くほど、乾燥が酷く、軽く濡らしたタオルで拭いてから櫛を入れないと、ヘアセットが始まりません」

…分かり易い、というより、最早、模範的と言っても良い回答の仕方である。
しかし、その内容自体は、すごく人間的に見えるものの、語り口が全く人間的ではない。必要な情報を、過不足なく、感情を挟まず、整理して提出してくる。…仕事の場では完璧な対応として称賛されるが、個人的な買い物をしているシーンには不釣り合い、と言うより、現実感が酷く薄い。
故に、マルギットにとって、寝癖を直す=朝の身だしなみを整える、という行為は、きっと『生活の一部』ではなく、『ただの作業の一環』なのだろう、と、ツバサは胸中で帰結した。

「それでしたら、…このスプレーが個人的なオススメです。乾燥タイプの寝癖直し用のスプレーとして、リリーハウスの公式レビュー欄では、常に高評価をキープしていますし、私自身も使ったことがありますし…」
「なるほど。AIや運営スタッフによる介入が認められる公式レビュー欄の評価なるものは、個人的に信用に値しませんが…、ツバサ事務員殿の経験から来るオススメであるのならば、こちらを試すといたしましょう」

ツバサの言葉を聞いたマルギットは、やはり常識の齟齬を見せつけつつも、案外と素直な態度を取る。そして、傍の店員を呼びつけ、ツバサが指定したスプレーを手で指し示しながら、指示を出した。

「こちら、包んでくださいますか。過度のラッピングは不要です。日用品程度に資源を無駄使いするのは、私の本意ではありません。簡易な手提げさえくだされば、充分にございます」

……やはり、何処かズレている。ツバサは内心、げっそりとした。



――――…。

マルギットと揃ってリリーハウスを出たツバサは、これから何をしようかと考える。結局、マルギットにかまけてしまい、自分の買い物は出来なかった。ならばせめて、美味しいものくらいは食べたいと思う。
そう考えながら、何気なく、隣のマルギットの方へ視線を向けると、…彼女の様子がおかしいことに気が付いた。リリーハウスのロゴマークが入ったショッピングバッグを、マルギットはまるで「未知なるもの」を見るかのように、まじまじと観察しているではないか。

「マルギットさん、どうかしましたか…?何か、不備でもありましたか…?」

ツバサがそう問いかけると、マルギットは首を小さく横に振った後、これまた小さな声で呟き始めた。

「…これほど頑丈な紙製の手提げを、無料で配っていると…?たかだか日用品一つを購入した程度で?高価なものでもない、むしろ安価すぎる商品だったのに?
 どういうこと…?この国は、深刻な資源問題を抱えていると聞いていたのに…。まさか、紫雨議員からの情報に誤りがあった…?」
「…、…。」

ツッコミたい衝動には駆られるものの、此処では衆目に晒され過ぎる。
とりあえず、ツバサはスマートフォンを取り出し、一番近くの個室専門の喫茶店にweb予約を入れる。ルカとしょっちゅう訪れていたことが幸いして、店側からすっかりVIPと認識されているツバサは、すぐに店内に通して貰えるように、手配が出来た。(ありがとう、ルカ…)と、この場に居ない、愛しき軍事兵器に胸の中だけで感謝の言葉を述べながら、ツバサは未だに、ショッピングバッグを観察し続けるマルギットへ向けて、「とりあえず、お昼も兼ねて、喫茶店へ向かいましょう」と提案したのであった。



【個室専門喫茶店 Moonlight】

案内された個室に入り、腰を落ち着けたのは良いものの。…マルギットの奇行(…敢えて、この言い方をする…)は止まらなかった。

「自分で食事内容を決める?そのようなこと有り得な…、え?この店には、こんなに豊富な数のメニューがあると言うの…?お茶を提供するだけの店なのに、軽食だけで十種類以上も?お茶だけではなく、ソフトドリンクもあるの?」

メニュー表を眺めながら、マルギットが言葉を羅列していく。その大部分を躱しつつも、「何が飲みたいですか?お腹はどれだけ空いていますか?」とツバサは的確に質問していき、メニュー表に指を差しながら、お茶と食事を選んでいくマルギットの意思を尊重し、注文用のタブレット端末を操作していく。勿論、自分の注文も忘れない。

その後。主にツバサ主導で適当に会話をしていた、ものの数分間で。注文したものが全て、配膳された。その光景にも、マルギットは眼を見開いている。

「お食事は冷める前に頂くのが流儀です。さあ、食べましょう」
「…え、ええ。…いただきます」

食事を始めたツバサに倣い、マルギットも自分が選んだサンドイッチの盛り合わせに、手を伸ばした。ハムサンドを小さな一口で齧ったマルギットは、途端、驚きに満ちた声を出す。

「パンが、こんなにも柔らかい…!いくら白いパンでも、これだけの柔らかさ…。しかも湿気ているわけでもない。
 ハムも薄切りだと言うのに、味がしっかりとついている。……何より、このレタスの鮮度の高さは一体…?」

そう言いつつ、ハムサンドを嚥下したマルギットは、続いて、ティーカップに口を付けた。すると。

「…え、熱くない…?むしろ、これは適温では?…この店は、客がお茶を口にするとき、既に冷めていない前提で、提供していると言うの?確かに、此処の空調は快適な温度ではあるけれど…」

…よくもまあ、すごい発言がぽんぽんと飛び出してくるものだ。
しかし、ツバサは、まず自分の食事を第一優先とし、マルギットへ溜まった数々のツッコミは後回しにすることにしたのである。


二人して、食事を終えた後。
食後のサービスとして出された、何の変哲もないバニラ味のアイスクリームにすら、マルギットは驚愕しつつも、そのアイスクリームを掬うスプーンは止まらない。なんだかんだと色々な奇行や発言を繰り返していたものの、マルギット自身、出された食事の一切を残すような真似はしなかった。むしろ、後半になるにつれて、「此処のお茶も食事も、なんて美味なの…!」と感嘆していたほどである。

アイスクリームを綺麗に平らげて、更に追加でオーダーしたお茶を飲みながら。ツバサは遂に本題を切り出した。

「…マルギットさん。リリーハウスのショッピングバッグへの評価から始まり、この店…、Moomlightのサービスに、ことごとく驚きを示していました…。
 我が国と、幸福劇場の間に、常識と技術的レベルに関する深い溝や齟齬が存在しているのは、既に理解しています。しかし、貴女の此処までの反応を見ていると、…常識のズレとか、技術レベルの問題とか、…そういう難しい話ではなく、もっと簡単なテーマや問題提起が存在している気がします…。
 マルギットさん、もしかして貴女自身ないし、貴女の国には、我が国の政治家たちの招致に応じたことに、何か事情があるのではないでしょうか?…勿論、幸福劇場の特務将軍として答えられないことが在るのは、重々承知しています」

ツバサ自身、かなり突っ込んだ切り出しをしているのは自覚している。正直、突っぱねられるだろうとも思っている。だがしかし、マルギットは静かな瞳をして、答え始めた。

「確かに私の立場では、貴女に対して、政治的な議論は出来ません。貴女は、Room ELのツバサ事務員殿。あくまで、ルカ三級高等幹部の部下の一人に過ぎません。
 …ですが、幸福劇場の特務将軍としてではなく、不肖マルギットとして…、私個人の周辺事情を、貴女に掻い摘んでお話することくらいは、可能でありましょう」

ツバサが沈黙を以て肯定すると、マルギットは滔々と話し始める。

「私が生まれたとき、私の国では既に政府公式の政策により、国民同士の間で、『上層民』と『下層民』と呼ばれる格差が在りました。ちなみに私は、上層民の生まれであり、ノアとキャットは下層民の生まれであります。
 ノアの家庭環境については、ノア本人が話したがらないので聞いておりませんが…、少なくともキャットは、自分の親の顔を覚えていると発言しております。…此処まで、何か質問はありますか?」

問われたツバサは、首を横に振った。それを受けたマルギットは、ティーカップの中身を一口飲んでから、続ける。

「私の国では、深刻な環境問題を抱えております。私を含む上層民たちは『シェルターシティ』…、汚染された外気を弾く、大型都市級シェルターのもとで発展した街で暮らしているため、基本的に環境汚染による影響は受けませんが…、ノアやキャットなどの下層民たちは、シェルターシティに住むどころか、少しの時間だけ入る権限すら与えられることが、まずありません。
 …ですが、下層民がシェルターシティに入るチャンスを得ることに関しては、一部の例外が存在します。それは、シェルターシティに住む上層民に『招待』されることです。私がノアとキャットと行動を共にしているのは、幼い頃の私が下層民の街で出逢った彼らを、シェルターシティへ招待したからです」

マルギットはそこで一旦、言葉を切ると。おもむろにポケットから端末を取り出して操作すると、その画面をツバサに見せてきた。白色の筒状のものが映っている。ツバサが明らかに疑問符を飛ばしたのを確認したマルギットは、この筒についての説明をする。

「政府が国民を、上層民と下層民に分けていたのは事実でありますが、深刻な環境汚染に対して、政府側は何も対策をしていなかったわけではありません。
 こちらをご覧ください。―――このボトルは、『浄化酸素』と呼ばれるものです。政府主導で開発された、個人携帯用の酸素ボトルであります。新鮮な酸素の吸引が出来るのは勿論、軽微ではありますが、汚染に影響された肺や気管支などを浄化する作用があります。故に、下層民の生活必需品として、市場に広く出回っております。
 上層民にも『非常用』として、各家庭の人数分ほど、政府から無料支給はされておりますが、…少なくとも私は、その非常用の浄化酸素を使用したことはありません」

淀みの無い口調だ。嘘は吐いていない。つまりこれは紛れもない、マルギット側の事情の片鱗だ。それを確信したツバサは、初めて質問をする。

「幼かったマルギットさんが手ずからシェルターシティに、ノアとキャットを招待した経緯やきっかけを、お伺いしてもよろしいでしょうか?」

それを聞いたマルギットは「ええ、構いません」とだけ呟いてから、ティーカップの残りを飲み干して、ツバサの問いに対する回答を寄越してきた。

「私が二人と出逢ったのは、私の両親が、下層民の日常生活の視察に行く任務の際、幼い私を社会勉強の為と同行させたときです。
 視察中の安全は保障されているはずでしたが…、飢えた野良犬の群れが、警備の隙をかいくぐって、私に襲い掛かってきました。ですが、ノアとキャットが路地の陰から飛び出してきて、その野良犬の群れを制圧してくれたのです。
 幼いながらに二人に恩義を感じた私は、視察から帰宅した後、両親に二人の『招待』を打診しました。無論、最初は反対されましたが、…何度か交渉を続ける後、両親は「あくまでマルギットの管理の下でなら」という条件のもと、許可を出してくれたのです。それから私は、政府にノアとキャットの招待するための手続きを行い、それは無事に許諾されました。
 以降、ノアとキャットはシェルターシティの中で一番安価なアパートの一室で共同生活をしながら、日雇いの仕事をこなしつつ、私を友人として扱ってくれるようになったのです」

そこまで話し終えてから、マルギットはふと、ツバサの手元、より正確に言うならば、彼女のティーカップへ視線を落とす。…その中身は、既に空っぽになっている。

「私個人が、ツバサ事務員殿にお話することが出来るのは、此処まででありましょう。
 …お互い、お茶も飲み干してしまいました」
「そうですね…。本日は貴重なお時間を頂きまして、誠にありがとうございました」

マルギットとツバサは、そう言い交わしながら。同じ顔と、同じ瞳の色を、互いに交叉させたのであった。


―――お茶も食事も冷めてしまう前に食べ終えるのが、流儀である―――…。



to be continued...
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