第三章 現実は創作より奇なり
百合花が、秘書から「トルバドール・セキュリティーの雪坂八槻様から、私用の面会を求めるメールが届いています。急ぎ、内容の確認をお願いします」と告げられたのは、事務所に出勤してから、始業した直後であった。
トルバドール・セキュリティーと聞いた直後、百合花は思わず、先日のテロ事件のことを思い出して、身を硬くしそうになったが…。すぐさま、己を叱咤して、メールの内容を確認した。
……曰く、百合花に面会を求めているのはメールを送ってきた八槻ではなく、彼が相談役としてついている輝の方らしい。
(……あの、輝・リーグスティが…?私に会いたいと…?わざわざ私用と銘打って…?あのとき、鬼の形相で私に詰めておきながら?)
そう考える百合花の脳裏には、国会議事堂がテロ事件に見舞われたあのときのことを、ありありと思い出していた。
テロを鎮圧したのは、国会議事堂の正式な警備たちではなく、あの場の警備列にたまたま「実習訓練」という名目で混ざっていた、輝だった。それは周知の事実。…百合花が問題視しているのは、そこではない。
落ち込む警備スタッフたちに対して、あのときの百合花なりに誠心誠意を込めて、労りの言葉をかけていたとき。あろうことか、輝が、警備スタッフたちに向かって怒鳴ったのだ。「一体、何を守っているつもりなのか?!」と。勿論、百合花は反論した。「彼らは傷付いているのだから、そんなことを言ってはいけない!」と。
だがしかし、警備スタッフたちの庇い立てをする百合花に向かって、次に輝が放った一言に、彼女は大きなショックを受けた。
――――「貴女こそ、失敗した警備スタッフたちへ、こんな状況でも優しい言葉を掛けている姿は、確かに尊敬に値します。…ですが、それは先ほどのテロ事件に、一切の犠牲者が出なかったからだッ!!」――――
輝の怒号と、あの修羅のような表情が、リフレインする。スケジュール管理のためのノートを開く指先が、少しだけ震えた。
(駄目よ、しっかりしなくては…。こんなことで動揺していては、これからの我が国を背負っては行けない…。
輝・リーグスティが何故、面会を求めているのかは不明だけれど…、…トルバドール・セキュリティーの次期社長候補である彼と、一度くらい、会話してみる価値はあるはず…)
百合花はそう割り切り、スケジュールノートを捲る。…ちょうど、明後日の午後に時間が空いていた。四十分程度だが、『私用の面会』であるならば、妥当な時間だろう。相手がいくら大企業の跡継ぎ候補とはいえ、十六歳の少年と、国会議員である百合花が長く立ち話をしすぎた結果、外部からおかしな噂を立てられても困る。
百合花は、八槻から送られてきたメールにそのまま返事を打つカタチで、新規メールを作成し、メールソフトに登録されている数多の定型文から、該当するモノをクリックした。真っ白だったメール画面に、定型文が入力される。そして、穴埋めと書き換えが必要な部分にだけ、直接、キーボード入力で単語を入れた。最後に、署名をつければ、終わり。
たまたま傍を通りがかった秘書の一人に声を掛けて、チェックをして貰った後、許可が降りたところで、百合花は「面会に応じる」という内容のメールを、送信したのだった。
――――…。
百合花のその日のランチは、会食も兼ねていた。相手は、幸福劇場の特務将軍、マルギットである。会食の席には、総理大臣である紫雨ユナの姿も在った。
ユナがマルギットに「何が食べたいか」という旨の話題を事前に振っておいたらしい。なので現在、百合花は、マルギットが希望した『寿司』を提供してくれる、高級和食店の最奥に在る、VIP専用の個室の席に、座っている。
眼にも楽しい色とりどりの寿司を眺めつつ、マルギットは無表情ながらも、満足そうなオーラを出して、ちびちびと頬張っていた。百合花もユナも、彼女にペースを合わせながら、ゆっくりと寿司を楽しむ。
その間に交わされる、幸福劇場の第一脚本『アンチ・アグリー』の、具体的な成果についての話題は、百合花の胸中に影を落とすばかりであった。
マルギットとユナの会話が、一区切りついたところを見計らって、百合花はマルギットへ、今日の本題を突き出した。
「アンチ・アグリーが及ぼした影響は、計り知れません。本土では混乱を極める余りに、数人の負傷者が出ています。また、あのヒルカリオでも、大なり小なり、アンチ・アグリーから影響を受けた国民が、暴動紛いの騒ぎを起こしたことを、聞いています。気になったので個人で調べましたところ、どうやらヒルカリオの商業区画に臨時で出店をしていたフラッペ屋の若き店主が、アンチ・アグリーに感化された国民が起こした騒動に巻き込まれてしまい、精神的に著しく憔悴したと…。現在、彼は本土の病院で治療を受けているようです。…当然、フラッペ屋を続けられる容体などではなく、店を維持するためと貯蓄していた資金は、今や彼自身の治療費に回されているようです。
…私は、国の政治の一端を担う人間として、この店主をはじめとする、この度のアンチ・アグリーに関して不利益を被った国民に対して、幸福劇場自らが、何らかのアクションを起こすべきだと、進言します」
百合花は敢えて畳み掛けるように言い切る。幸福劇場に対して、こちらの常識は通用しないことは既に分かっていた。余計な隙を見せたくはない。すると、口直しにと冷たい烏龍茶を飲んでいたマルギットが、答える。
「それは、不要でしょう。…失礼しました。より正確に表現します。「キリがない」、です。
幸福劇場の脚本は、この国の全国民に対する演出です。同じような事案は、これから数多く発生することは、容易に予測が可能です。故に、どうしても、最初は戸惑いや疑惑が勝つでしょう。…ですが、裏を返せば、脚本が数を重ねるごとに、国民たちは徐々に慣れていくこともまた道理、と取れます。
分かりますか?最初の犠牲者に、無暗に補償や権利の担保を掲げてしまうと、後続に対しても、同じことを行わなければなりません。予算も人材も、有限です。それ故に、幸福劇場が提唱するサウザンド・メガロポリス計画は、より最適化された、無駄のない動きをすることが、一番に求められるのです」
「―――…?!」
マルギットの淡々とした口調と、それによって語られる冷たい台詞の数々に、百合花は思わず絶句してしまった。動揺したせいで、余計な身じろぎをしてしまったのだろうか。百合花の箸が転がり、床へと落ちる。近くに控えていたスタッフにより、落ちた箸はすぐに回収され、新しい箸が百合花の箸置きにセットされた。
それを見ていたマルギットが、再度、百合花に視線を合わせて、口を開く。
「紫雨先生は、何か勘違いをされているご様子ですので…、幸福劇場の在り方たるモノを、今一度、特務将軍である私から、再定義…、いいえ、復唱させて頂きます。
我々、幸福劇場は、『この国に新しい風を吹かせるためにやってきた使徒』であります。そのために我々を招き入れたのは、他でもない、紫雨先生をはじめとする、志高き政治家の皆さまでしょう。
つまり、幸福劇場が行動範囲が、あくまで提唱したサウザンド・メガロポリス計画の演出の領域を飛び越えることは、あり得ません。それ以外の事案、…そう、例えば、先ほど貴女が仰った、『アンチ・アグリーに関して不利益を被った国民に対して、幸福劇場自らが、何らかのアクションを起こす』というのは、我々の役割ではないのです。
幸福劇場の脚本を理由に、この国の民たちが傷付いたと主張されましても、…何も出来はしません。何故なら、我々は、脚本を演出するための装置だからです。ただの装置に対して、そちらの皆さまが、利己的な利益以外を求めることなど、まず無いでしょう?
…ですので、幸福劇場の脚本に影響されて不利益を被った国民に対するアクションを行う、というのは、我々がこの国に来た本来の論点から外れます。同じことを繰り返すようで恐縮ですが、我々は、『新しい風を吹かせに来た使徒』に過ぎませんので…。
特務将軍である私からの見解は以上となりますが、何かご不明な点はありますでしょうか?」
「―――…、いいえ…。貴重なご意見ありがとうございます…」
振り絞るように百合花が返答したのを受けたマルギットは、ふ、と彼女から視線を逸らして。近くに控えていたスタッフを呼びつける。
「こちらのお寿司…、同じメニューのものを二人前、テイクアウト用のお弁当にしてください。お箸と保冷材もつけて、それぞれ別の袋に小分けにしてくださると、助かります」
「かしこまりました。すぐにご用意致します」
マルギットとスタッフがそう応酬するのを、何処か遠くに聞いていた百合花は。意識が混濁しそうな中でも、(ああ…、マルギット将軍とて、あの部下二人に、お土産を持って帰る優しさぐらいは…、持ち合わせているのね…)と、妙に安堵したのである。
――――…。
帰宅中の車内。百合花は、ユナ専用のリムジンに同乗させて貰うカタチで、事務所へと送られていた。
「百合花…、少し、休暇を取りなさい」
「え…」
唐突に対面から言われた台詞に、百合花はハッと我に返るような態勢で、ユナを見やる。ユナは、優しさと険しさが半々と綯い交ぜになった表情で、彼女を見つめながら、言葉を重ねる。
「幸福劇場の招致に成功してから、大きな疲れが出ているのでしょう?…その証拠に、先ほどのマルギット将軍への質問の仕方は、普段の貴女らしかぬ、冷静さを欠いた内容だったわ。将軍が丁寧に対応してくださったおかげで、何もおかしなことが起こらなかっただけで…、下手をすれば、マルチバースを越えた国家間の大問題に発展しかねなかったわ」
「…は、はい…。申し訳ございませんでした…、私の不徳の致すところです…」
ユナの追及に対して、百合花は静かにこうべを垂れた。しかし、ユナはそれ以上、彼女を詰めるのはやめて、『総理大臣』としてではなく、『百合花の叔母』として、彼女へ優しい台詞を紡ぐ。
「百合花の家には、自宅待機しているお医者さまが居るわね?心身困憊につき自宅療養、…として、今から診断書を頂きましょう。私はそれを紫水党本部に持ち帰って、事務方に受理させるわ。
数日でも良いから、しっかりとご飯を食べて、しっかりと寝て、英気を養いなさい。我が国の未来を担うのであれば、戦いの最中に休息を選び取ることも立派な策よ、百合花」
ユナの申し出は有難いモノではある。しかし、百合花にはどうしても投げ出せない責任感が在ったが為、つい、反論してしまう。
「でも、それでは…、幸福劇場の脚本の影響を、誰が注視すると…?」
百合花が言ったことに対して、ユナは、コロコロと笑うと、まるで幼い子をあやすかのような口調で、続けた。
「まあ、この子ったら、何を言っているのかしら?我らが紫水党には、他にもたくさんの優秀な議員たちが居るでしょう?大丈夫よ。心配しないで。
…良いこと?百合花だけが、全てを背負う必要はないの。苦しいことも楽しいことも、分かち合ってこそ仲間であり、家族でしょう?
紫雨一族の人間として、貴女が、かつてのヒルタス湾の悲劇のことを、深く、深く、胸に刻み込んでいるのは、分かるけれど、ね…」
「…、…。」
そこまで言われた百合花が、こくん、と小さく頷くのを見たユナは、運転手へ行先の変更を告げる。―――…そのまま、百合花は、事務所ではなく、自宅へと送られたのであった。
*****
【本土 某所 高級ホテル ロイヤルスイートルーム内】
マルギットの帰りを待っていたノアとキャットは、彼女が帰ってきて早々、差し出してきた土産の寿司折を見て。二人揃って、僅かに眼を輝かせたのであった。
今は、マルギットがこれまた足早にシャワールームへと行ってしまったので、室内に残されたノアとキャットは、各自の分の寿司を頬張っている。
「生の魚が食べられるって、案外と面白い体験じゃんね?キャットもそう思わない?」
「ああ。確かに、総合的な文化技術レベルは、こちらの世界が下ではあるものの…、このようなナマモノを毒見も、検査機を通すこともなく、平気なツラをして口にすることが出来るのは、…非常に興味深い。
俺たちの国では、上流階級の人間たちですら、ナマモノは忌避するし、例え食べたくても、提供されたその場で、軽く十種類は越える安全検査を踏まないといけないからな」
なんてことないと言った会話をしながら、ノアとキャットは綺麗に寿司を平らげた。そして、ゴミを片付けようと、二人してソファーから立ち上がろうとしたとき。
――『本国より通信です。至急、対応してください。繰り返します。本国より通信です。至急、対応してください。』
二人の眼前に、ホログラム画面が立ち上がったかと思うと。そこから、AI音声が鳴り響く。
本来ならば、マルギットが通信に出るべきだ。しかし、彼女は今、シャワールームに入っている。
ノアとキャットは、一瞬だけアイコンタクトを交わした。そして、ノアの指先が、通話に出ろ、と耳障りな音声で催促する画面を、軽くタップする。
すると、ノイズパターンだらけのホログラム画面の向こうから、しわがれた男性の声が聞こえてきた。
『マルギッt…、ん?ノア、キャット…?
…マルギット将軍は何処だ?何故、お前たちが通信に出た?勝手な行動は控えろと、送り出した際に、あれほど言って聞かせたというのに…』
しわがれた声は、難色を示すと、ノアとキャットを咎め始める。だが、ノアは「はいはい」といなし、キャットは肩を竦めただけであり、即時、二人して画面に向かって、反論した。
「将軍ならシャワータイムだよ。女子が身体を綺麗にしている最中なんだから、残ったオレとキャットが通信に出るしかないじゃん?」
「で、本題は?さっさと言え。俺たちとて、暇ではないんだ。
大体、至急だ、早く出ろ、と急かしながら、いざ繋がったら、通信の相手を選り好みする余裕はあると?勝手なことを言っているのは、どちらだろうな?」
ノアとキャットの強火な反抗に、ぐ…、と画面の向こうの存在は、息を詰まらせる。しかし、それも一瞬だけで。男はすぐに持ち直して、続けた。
『…では、マルギット将軍に伝えろ。「第二脚本の演出開始は、暫く待て」と。
理由は、第一脚本『アンチ・アグリー』の影響力が、本国で予測していた数値より、遥かに大きいからだ。よって今より、本国では、第二脚本の加筆修正を行う。
修正と、予測シミュレーションが終わり次第、こちらから指示を出すので、それまで待機せよ。
…良いか?くれぐれも正確に伝えたうえで、マルギット将軍の独断を防げ。でなければ、お前たちのような下層民を、わざわざ見出した意味が―――』
「―――何の意味を見出した、と仰るのでしょうか。不肖マルギット、大師の今のご発言の意味が、まるで分かりませんが…?」
その声が聞こえた瞬間、ノアとキャットが同時に振り向くと、そこには、―――バスローブ姿のマルギットが立っていた。濡れた髪の毛もそのままに、彼女は無機質な瞳で、ホログラム画面を見据えている。一方、大師と呼ばれた男は、刹那の沈黙の後、わざとらしい咳払いをしてから、場の空気の切り替えを試みる。
『入浴中の入電、大変失礼した、マルギット将軍。だが、気を悪くしないで頂けると助かる。何せ、貴女も知っている通り、私は常に忙しい。とはいえ、重要な連絡事項とて蔑ろには出来ない。対話の相手を選ぶ、というのは上の立場に立つ者として当然の仕事だ』
大師の仰々しい物言いには、確かに彼の言う『上の立場に立つ者』らしき威圧感が在った。…だが、マルギットは大して動じることはなく、淡々と返して見せる。
「伝言は、直接聞きましたうえに、承知もいたしました。大師に於きましては、第二脚本の加筆修正を行うとのことで、ご多忙中と存じます。
私はともかく、演出の全面を担当するノアと、彼の補佐を一手に担ってくれているキャットは、日々、苦労と疲労を積み重ねておりますので、一秒でも早く休ませたいのです。
双方、これ以上に意見が一致している場面がございますでしょうか、大師?」
マルギットの台詞を聞いた大師は、再度、数秒の沈黙を置いてから、答えた。
『…ごもっともだ。では、マルギット将軍の懐の深いお言葉に甘えて、私は仕事に戻るとしよう。では、失礼する』
大師がそう言ったと同時に、通信が切れる。ホログラム画面が、瞬時に消え失せた。
「ノア、キャット。お寿司は、お口に合いましたか?」
マルギットが、ノアとキャットに話しかける。まるで先ほどまでの通信内容など、もう業務時間外とばかりだ。だが、それは。ノアのキャットも同じで。
「うん、面白い体験だったよ。アリガト、将軍」
「ナマモノの味の一端でも知れて、とても興味深かった。感謝する」
ノアとキャットは、揃って、マルギットへ感謝の言葉を口にした。マルギットを含め、幸福劇場の三人衆の態度は、ごく自然な空気感があり、Room ELのメンバーたちや、百合花を食って掛かっていたような、あの悪役めいた雰囲気は見当たらない。
「じゃあ、オレたち、自分の部屋に帰るよー。第二脚本の演出開始、実質の延長宣言でしょ?だったらちょっとでも多くの時間、寝ていたよねー」
「ああ、ノアの言う通りだ。貴重な休憩時間と思って、ゆっくりとさせて貰おうか。
…将軍、髪の毛は、きちんと乾かすこと。お前の寝ぐせは、昔から酷いからな」
「ええ、分かっています。二人共、おやすみなさい」
ノア、キャット、マルギットは、そんなやり取りを終えてから。マルギットは、自分の部屋から去って行く部下二人を見送った後。
「寝ぐせ…。やはり、何とかしないといけないかしら…?」
そう呟いてから、濡れた己の髪の毛の先を、ちょん、と摘まんだのであった。
to be continued...
トルバドール・セキュリティーと聞いた直後、百合花は思わず、先日のテロ事件のことを思い出して、身を硬くしそうになったが…。すぐさま、己を叱咤して、メールの内容を確認した。
……曰く、百合花に面会を求めているのはメールを送ってきた八槻ではなく、彼が相談役としてついている輝の方らしい。
(……あの、輝・リーグスティが…?私に会いたいと…?わざわざ私用と銘打って…?あのとき、鬼の形相で私に詰めておきながら?)
そう考える百合花の脳裏には、国会議事堂がテロ事件に見舞われたあのときのことを、ありありと思い出していた。
テロを鎮圧したのは、国会議事堂の正式な警備たちではなく、あの場の警備列にたまたま「実習訓練」という名目で混ざっていた、輝だった。それは周知の事実。…百合花が問題視しているのは、そこではない。
落ち込む警備スタッフたちに対して、あのときの百合花なりに誠心誠意を込めて、労りの言葉をかけていたとき。あろうことか、輝が、警備スタッフたちに向かって怒鳴ったのだ。「一体、何を守っているつもりなのか?!」と。勿論、百合花は反論した。「彼らは傷付いているのだから、そんなことを言ってはいけない!」と。
だがしかし、警備スタッフたちの庇い立てをする百合花に向かって、次に輝が放った一言に、彼女は大きなショックを受けた。
――――「貴女こそ、失敗した警備スタッフたちへ、こんな状況でも優しい言葉を掛けている姿は、確かに尊敬に値します。…ですが、それは先ほどのテロ事件に、一切の犠牲者が出なかったからだッ!!」――――
輝の怒号と、あの修羅のような表情が、リフレインする。スケジュール管理のためのノートを開く指先が、少しだけ震えた。
(駄目よ、しっかりしなくては…。こんなことで動揺していては、これからの我が国を背負っては行けない…。
輝・リーグスティが何故、面会を求めているのかは不明だけれど…、…トルバドール・セキュリティーの次期社長候補である彼と、一度くらい、会話してみる価値はあるはず…)
百合花はそう割り切り、スケジュールノートを捲る。…ちょうど、明後日の午後に時間が空いていた。四十分程度だが、『私用の面会』であるならば、妥当な時間だろう。相手がいくら大企業の跡継ぎ候補とはいえ、十六歳の少年と、国会議員である百合花が長く立ち話をしすぎた結果、外部からおかしな噂を立てられても困る。
百合花は、八槻から送られてきたメールにそのまま返事を打つカタチで、新規メールを作成し、メールソフトに登録されている数多の定型文から、該当するモノをクリックした。真っ白だったメール画面に、定型文が入力される。そして、穴埋めと書き換えが必要な部分にだけ、直接、キーボード入力で単語を入れた。最後に、署名をつければ、終わり。
たまたま傍を通りがかった秘書の一人に声を掛けて、チェックをして貰った後、許可が降りたところで、百合花は「面会に応じる」という内容のメールを、送信したのだった。
――――…。
百合花のその日のランチは、会食も兼ねていた。相手は、幸福劇場の特務将軍、マルギットである。会食の席には、総理大臣である紫雨ユナの姿も在った。
ユナがマルギットに「何が食べたいか」という旨の話題を事前に振っておいたらしい。なので現在、百合花は、マルギットが希望した『寿司』を提供してくれる、高級和食店の最奥に在る、VIP専用の個室の席に、座っている。
眼にも楽しい色とりどりの寿司を眺めつつ、マルギットは無表情ながらも、満足そうなオーラを出して、ちびちびと頬張っていた。百合花もユナも、彼女にペースを合わせながら、ゆっくりと寿司を楽しむ。
その間に交わされる、幸福劇場の第一脚本『アンチ・アグリー』の、具体的な成果についての話題は、百合花の胸中に影を落とすばかりであった。
マルギットとユナの会話が、一区切りついたところを見計らって、百合花はマルギットへ、今日の本題を突き出した。
「アンチ・アグリーが及ぼした影響は、計り知れません。本土では混乱を極める余りに、数人の負傷者が出ています。また、あのヒルカリオでも、大なり小なり、アンチ・アグリーから影響を受けた国民が、暴動紛いの騒ぎを起こしたことを、聞いています。気になったので個人で調べましたところ、どうやらヒルカリオの商業区画に臨時で出店をしていたフラッペ屋の若き店主が、アンチ・アグリーに感化された国民が起こした騒動に巻き込まれてしまい、精神的に著しく憔悴したと…。現在、彼は本土の病院で治療を受けているようです。…当然、フラッペ屋を続けられる容体などではなく、店を維持するためと貯蓄していた資金は、今や彼自身の治療費に回されているようです。
…私は、国の政治の一端を担う人間として、この店主をはじめとする、この度のアンチ・アグリーに関して不利益を被った国民に対して、幸福劇場自らが、何らかのアクションを起こすべきだと、進言します」
百合花は敢えて畳み掛けるように言い切る。幸福劇場に対して、こちらの常識は通用しないことは既に分かっていた。余計な隙を見せたくはない。すると、口直しにと冷たい烏龍茶を飲んでいたマルギットが、答える。
「それは、不要でしょう。…失礼しました。より正確に表現します。「キリがない」、です。
幸福劇場の脚本は、この国の全国民に対する演出です。同じような事案は、これから数多く発生することは、容易に予測が可能です。故に、どうしても、最初は戸惑いや疑惑が勝つでしょう。…ですが、裏を返せば、脚本が数を重ねるごとに、国民たちは徐々に慣れていくこともまた道理、と取れます。
分かりますか?最初の犠牲者に、無暗に補償や権利の担保を掲げてしまうと、後続に対しても、同じことを行わなければなりません。予算も人材も、有限です。それ故に、幸福劇場が提唱するサウザンド・メガロポリス計画は、より最適化された、無駄のない動きをすることが、一番に求められるのです」
「―――…?!」
マルギットの淡々とした口調と、それによって語られる冷たい台詞の数々に、百合花は思わず絶句してしまった。動揺したせいで、余計な身じろぎをしてしまったのだろうか。百合花の箸が転がり、床へと落ちる。近くに控えていたスタッフにより、落ちた箸はすぐに回収され、新しい箸が百合花の箸置きにセットされた。
それを見ていたマルギットが、再度、百合花に視線を合わせて、口を開く。
「紫雨先生は、何か勘違いをされているご様子ですので…、幸福劇場の在り方たるモノを、今一度、特務将軍である私から、再定義…、いいえ、復唱させて頂きます。
我々、幸福劇場は、『この国に新しい風を吹かせるためにやってきた使徒』であります。そのために我々を招き入れたのは、他でもない、紫雨先生をはじめとする、志高き政治家の皆さまでしょう。
つまり、幸福劇場が行動範囲が、あくまで提唱したサウザンド・メガロポリス計画の演出の領域を飛び越えることは、あり得ません。それ以外の事案、…そう、例えば、先ほど貴女が仰った、『アンチ・アグリーに関して不利益を被った国民に対して、幸福劇場自らが、何らかのアクションを起こす』というのは、我々の役割ではないのです。
幸福劇場の脚本を理由に、この国の民たちが傷付いたと主張されましても、…何も出来はしません。何故なら、我々は、脚本を演出するための装置だからです。ただの装置に対して、そちらの皆さまが、利己的な利益以外を求めることなど、まず無いでしょう?
…ですので、幸福劇場の脚本に影響されて不利益を被った国民に対するアクションを行う、というのは、我々がこの国に来た本来の論点から外れます。同じことを繰り返すようで恐縮ですが、我々は、『新しい風を吹かせに来た使徒』に過ぎませんので…。
特務将軍である私からの見解は以上となりますが、何かご不明な点はありますでしょうか?」
「―――…、いいえ…。貴重なご意見ありがとうございます…」
振り絞るように百合花が返答したのを受けたマルギットは、ふ、と彼女から視線を逸らして。近くに控えていたスタッフを呼びつける。
「こちらのお寿司…、同じメニューのものを二人前、テイクアウト用のお弁当にしてください。お箸と保冷材もつけて、それぞれ別の袋に小分けにしてくださると、助かります」
「かしこまりました。すぐにご用意致します」
マルギットとスタッフがそう応酬するのを、何処か遠くに聞いていた百合花は。意識が混濁しそうな中でも、(ああ…、マルギット将軍とて、あの部下二人に、お土産を持って帰る優しさぐらいは…、持ち合わせているのね…)と、妙に安堵したのである。
――――…。
帰宅中の車内。百合花は、ユナ専用のリムジンに同乗させて貰うカタチで、事務所へと送られていた。
「百合花…、少し、休暇を取りなさい」
「え…」
唐突に対面から言われた台詞に、百合花はハッと我に返るような態勢で、ユナを見やる。ユナは、優しさと険しさが半々と綯い交ぜになった表情で、彼女を見つめながら、言葉を重ねる。
「幸福劇場の招致に成功してから、大きな疲れが出ているのでしょう?…その証拠に、先ほどのマルギット将軍への質問の仕方は、普段の貴女らしかぬ、冷静さを欠いた内容だったわ。将軍が丁寧に対応してくださったおかげで、何もおかしなことが起こらなかっただけで…、下手をすれば、マルチバースを越えた国家間の大問題に発展しかねなかったわ」
「…は、はい…。申し訳ございませんでした…、私の不徳の致すところです…」
ユナの追及に対して、百合花は静かにこうべを垂れた。しかし、ユナはそれ以上、彼女を詰めるのはやめて、『総理大臣』としてではなく、『百合花の叔母』として、彼女へ優しい台詞を紡ぐ。
「百合花の家には、自宅待機しているお医者さまが居るわね?心身困憊につき自宅療養、…として、今から診断書を頂きましょう。私はそれを紫水党本部に持ち帰って、事務方に受理させるわ。
数日でも良いから、しっかりとご飯を食べて、しっかりと寝て、英気を養いなさい。我が国の未来を担うのであれば、戦いの最中に休息を選び取ることも立派な策よ、百合花」
ユナの申し出は有難いモノではある。しかし、百合花にはどうしても投げ出せない責任感が在ったが為、つい、反論してしまう。
「でも、それでは…、幸福劇場の脚本の影響を、誰が注視すると…?」
百合花が言ったことに対して、ユナは、コロコロと笑うと、まるで幼い子をあやすかのような口調で、続けた。
「まあ、この子ったら、何を言っているのかしら?我らが紫水党には、他にもたくさんの優秀な議員たちが居るでしょう?大丈夫よ。心配しないで。
…良いこと?百合花だけが、全てを背負う必要はないの。苦しいことも楽しいことも、分かち合ってこそ仲間であり、家族でしょう?
紫雨一族の人間として、貴女が、かつてのヒルタス湾の悲劇のことを、深く、深く、胸に刻み込んでいるのは、分かるけれど、ね…」
「…、…。」
そこまで言われた百合花が、こくん、と小さく頷くのを見たユナは、運転手へ行先の変更を告げる。―――…そのまま、百合花は、事務所ではなく、自宅へと送られたのであった。
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【本土 某所 高級ホテル ロイヤルスイートルーム内】
マルギットの帰りを待っていたノアとキャットは、彼女が帰ってきて早々、差し出してきた土産の寿司折を見て。二人揃って、僅かに眼を輝かせたのであった。
今は、マルギットがこれまた足早にシャワールームへと行ってしまったので、室内に残されたノアとキャットは、各自の分の寿司を頬張っている。
「生の魚が食べられるって、案外と面白い体験じゃんね?キャットもそう思わない?」
「ああ。確かに、総合的な文化技術レベルは、こちらの世界が下ではあるものの…、このようなナマモノを毒見も、検査機を通すこともなく、平気なツラをして口にすることが出来るのは、…非常に興味深い。
俺たちの国では、上流階級の人間たちですら、ナマモノは忌避するし、例え食べたくても、提供されたその場で、軽く十種類は越える安全検査を踏まないといけないからな」
なんてことないと言った会話をしながら、ノアとキャットは綺麗に寿司を平らげた。そして、ゴミを片付けようと、二人してソファーから立ち上がろうとしたとき。
――『本国より通信です。至急、対応してください。繰り返します。本国より通信です。至急、対応してください。』
二人の眼前に、ホログラム画面が立ち上がったかと思うと。そこから、AI音声が鳴り響く。
本来ならば、マルギットが通信に出るべきだ。しかし、彼女は今、シャワールームに入っている。
ノアとキャットは、一瞬だけアイコンタクトを交わした。そして、ノアの指先が、通話に出ろ、と耳障りな音声で催促する画面を、軽くタップする。
すると、ノイズパターンだらけのホログラム画面の向こうから、しわがれた男性の声が聞こえてきた。
『マルギッt…、ん?ノア、キャット…?
…マルギット将軍は何処だ?何故、お前たちが通信に出た?勝手な行動は控えろと、送り出した際に、あれほど言って聞かせたというのに…』
しわがれた声は、難色を示すと、ノアとキャットを咎め始める。だが、ノアは「はいはい」といなし、キャットは肩を竦めただけであり、即時、二人して画面に向かって、反論した。
「将軍ならシャワータイムだよ。女子が身体を綺麗にしている最中なんだから、残ったオレとキャットが通信に出るしかないじゃん?」
「で、本題は?さっさと言え。俺たちとて、暇ではないんだ。
大体、至急だ、早く出ろ、と急かしながら、いざ繋がったら、通信の相手を選り好みする余裕はあると?勝手なことを言っているのは、どちらだろうな?」
ノアとキャットの強火な反抗に、ぐ…、と画面の向こうの存在は、息を詰まらせる。しかし、それも一瞬だけで。男はすぐに持ち直して、続けた。
『…では、マルギット将軍に伝えろ。「第二脚本の演出開始は、暫く待て」と。
理由は、第一脚本『アンチ・アグリー』の影響力が、本国で予測していた数値より、遥かに大きいからだ。よって今より、本国では、第二脚本の加筆修正を行う。
修正と、予測シミュレーションが終わり次第、こちらから指示を出すので、それまで待機せよ。
…良いか?くれぐれも正確に伝えたうえで、マルギット将軍の独断を防げ。でなければ、お前たちのような下層民を、わざわざ見出した意味が―――』
「―――何の意味を見出した、と仰るのでしょうか。不肖マルギット、大師の今のご発言の意味が、まるで分かりませんが…?」
その声が聞こえた瞬間、ノアとキャットが同時に振り向くと、そこには、―――バスローブ姿のマルギットが立っていた。濡れた髪の毛もそのままに、彼女は無機質な瞳で、ホログラム画面を見据えている。一方、大師と呼ばれた男は、刹那の沈黙の後、わざとらしい咳払いをしてから、場の空気の切り替えを試みる。
『入浴中の入電、大変失礼した、マルギット将軍。だが、気を悪くしないで頂けると助かる。何せ、貴女も知っている通り、私は常に忙しい。とはいえ、重要な連絡事項とて蔑ろには出来ない。対話の相手を選ぶ、というのは上の立場に立つ者として当然の仕事だ』
大師の仰々しい物言いには、確かに彼の言う『上の立場に立つ者』らしき威圧感が在った。…だが、マルギットは大して動じることはなく、淡々と返して見せる。
「伝言は、直接聞きましたうえに、承知もいたしました。大師に於きましては、第二脚本の加筆修正を行うとのことで、ご多忙中と存じます。
私はともかく、演出の全面を担当するノアと、彼の補佐を一手に担ってくれているキャットは、日々、苦労と疲労を積み重ねておりますので、一秒でも早く休ませたいのです。
双方、これ以上に意見が一致している場面がございますでしょうか、大師?」
マルギットの台詞を聞いた大師は、再度、数秒の沈黙を置いてから、答えた。
『…ごもっともだ。では、マルギット将軍の懐の深いお言葉に甘えて、私は仕事に戻るとしよう。では、失礼する』
大師がそう言ったと同時に、通信が切れる。ホログラム画面が、瞬時に消え失せた。
「ノア、キャット。お寿司は、お口に合いましたか?」
マルギットが、ノアとキャットに話しかける。まるで先ほどまでの通信内容など、もう業務時間外とばかりだ。だが、それは。ノアのキャットも同じで。
「うん、面白い体験だったよ。アリガト、将軍」
「ナマモノの味の一端でも知れて、とても興味深かった。感謝する」
ノアとキャットは、揃って、マルギットへ感謝の言葉を口にした。マルギットを含め、幸福劇場の三人衆の態度は、ごく自然な空気感があり、Room ELのメンバーたちや、百合花を食って掛かっていたような、あの悪役めいた雰囲気は見当たらない。
「じゃあ、オレたち、自分の部屋に帰るよー。第二脚本の演出開始、実質の延長宣言でしょ?だったらちょっとでも多くの時間、寝ていたよねー」
「ああ、ノアの言う通りだ。貴重な休憩時間と思って、ゆっくりとさせて貰おうか。
…将軍、髪の毛は、きちんと乾かすこと。お前の寝ぐせは、昔から酷いからな」
「ええ、分かっています。二人共、おやすみなさい」
ノア、キャット、マルギットは、そんなやり取りを終えてから。マルギットは、自分の部屋から去って行く部下二人を見送った後。
「寝ぐせ…。やはり、何とかしないといけないかしら…?」
そう呟いてから、濡れた己の髪の毛の先を、ちょん、と摘まんだのであった。
to be continued...
