第一章 メガロポリスの徒

今まで、ヒルカリオを中心に描いてきた、この物語ではあるものの。
当然だが。ヒルカリオを統治している、この国にも、政治があり、法律がある。国家として、当然のシステムを有しているのだ。

とはいえ、残念ながら。この国を動かす人間たちには、ルカに気を取られているモノが多すぎる。
しかし、ルカという大きな爆弾を抱えているが故に、盲目になりがちな政(まつりごと)の使者たちのなかにも、――ー…革命の御旗を掲げるために、一念発起したいと努力と研鑽と、一縷の神頼みをしてきた人間が居た。

伝統長き礼拝堂にて、祈りを捧げる女性は。己が信じる神に向かって、聖典の言葉を紡ぎ、信仰のシンボルマークがついたネックレスを手に掲げる。

「我が神の息吹が、この国の祝福へとなりますように…―――」

女性がそう呟くと同時に、祈りの時間は終わった。彼女は立ち上がり、ステンドグラスから分け入ってくる虹色の光を背にして、礼拝堂を去って行こうとする。

「この世界に、革命をもたらさん。
 ―――…、さあ世界よ、ついて来なさい。この私、紫雨百合花(しぐれ ゆりか)の名のもとに…!」

女性―――百合花は、そう宣言するかのように言いながら。身に纏っている高貴な布地のスーツのフレアスカートを翻した。
そうして、百合花を見送った礼拝堂の扉は、重々しい音を立てて閉じたのである。



【ヒルカリオ地下鉄駅構内 購買スタンド】

「おはようございます」
「あら、いらっしゃい。今日も素敵ね、鈴ヶ原先生。今朝も、いつものカフェオレで良かったかしら?そろそろだと思って、温めるだけにしておいたから、ちょっと待ってて」

通勤途中のナオトが、スタンドに慣れた態度で現れる。それと同じく、手慣れた声と姿勢、しかし、接客業としての礼節は忘れずに、『シメニ』と刻印された名札をつけた老齢の女性店員が、彼に対応をする。
お気に入りのカフェオレを手早く用意して貰えることに喜んだナオトは、素直にお礼を述べた。

「ええ、いつもありがとうございます、シメニさん。それと、朝刊データを一部分、お願いいたします」
「オーケーよ。…はい、このQRコードから読み込んで、電子マネーでお支払いに進んで」

シメニがナオトの注文を聞いて、裏返しにしていたコードの印刷面を提示する。ナオトはそれをスマートフォンでスキャンして、電子マネーで支払いをした。間も無く、求めていた朝刊のデータがダウンロードを開始する。
すると、シメニが出来上がったカフェオレを入れたカップを運んで来ながら、ナオトに向かって、質問をした。

「朝刊を買うだなんて、珍しいわね。本土の主要な新聞は会社で読めると言っていたのに…。天下のROG. COMPANY様も、とうとうシステムエラーを起こしたのかしら?」
「シメニさんのその想像力は変わらずに素晴らしいですが…、残念ながら、そのようなエラー報告など、僕には回ってきてはおりません。
 ただ、今朝の新聞の見出しくらいは、手元に置いておこうかと思いまして。謂わば、個人的なコレクションのようなものです」

シメニの疑問点に対して、ナオトは出向先の情報の一片未満であっても、その核心を越えるような答えは出さず。かといって、曖昧にして誠実さに欠ける対応もしなかった。

カフェオレを受け取ったナオトは、その代金を現金で支払った後。朝刊データが完全にダウンロードされたことを確認する。新聞を模したアイコンをタップすれば、今日の一番の見出しが出てきた。

≪紫雨百合花議員、一世一代の快挙か?!うら若き淑女議員の孤高な戦い、此処に極まる!!≫

その見出しだけを確認したナオトは、ふむ…、と暫し思案してから。スマートフォンの画面をオフにした。端末を鞄に仕舞い込んでから、カフェオレを手にして、スタンドを後にする。

「ありがとうございました。またよろしくお願いします、シメニさん」
「ええ、気を付けていってらっしゃい、鈴ヶ原先生」

穏やかな会話は、間も無くホームに滑り込んでくる地下鉄の車両情報を報せるベルとアナウンスと、それに従って歩き続ける雑踏の中へと、紛れ込んで行った。




【Room EL】

ナオトが出勤すると、そこには世にも珍しい光景が広がっていた。

ソラがコーヒーの入ったマグカップ片手に、パソコンの立ち上げ作業をしている。ツバサも同じくパソコンを構いつつ、今日の仕事に使うであろう文具やバインダー類などの整理をしている。琉一は、今日は午後からの出勤予定なので、未だその姿は無い。だが、それよりも。

ルカが、居ない。

誰よりも早く来て。誰よりも仕事の準備を済ませて。いつもソファーに座って、紅茶の入ったカップを傾けているのが、ルーティンであるはずの、あのルカが。
今日は、何処にも見当たらない。気配すら感じ取れないのは、その方面には素人のナオトにだって、よく分かった。

ナオトがとりあえず、自分のデスクにつくと。ソラが傍までやってきて、「おはよう」と挨拶した後、口を開いた。

「ルカは今朝一番で、急用の外勤が入ったらしい。だが、詳細は伏せられているうえに、要請が出た時点で社長からの許可も即効で降りている。
 そのうえ、秘書官の俺はおろか、ホルダーのツバサさえ連れて行かないと見ると、…外勤というのはただの書類上の名目で、実態は、ルカ本人の私用と考えても良いだろう。
 まあ、『軍事兵器の気まぐれなお散歩』なんぞ、余計な詮索はしないほうが身のためだ」

手早く、そして完結に、ソラは今の状況をナオトに知らせる。その仕事振りたるや、言葉選びから、表情の動かし方まで、何から何まで完璧超人そのもの。
そして、事の次第を理解したナオトは、いつもの温和な笑顔を浮かべてから、しかと返事をする。

「そうですか。承知いたしました。では、ルカさんが不在の間は、ソラさんに指示を仰ぎましょう」
「ああ、頼む。何せ、いつ帰ってくるかも分かっていないからな。
 とはいえ、さすがのルカも、丸一日、此処を空けるほどの無神経な行動はしないと信じたいが…」

ソラの会話の繋げ方だけを鑑みれば、ルカの気まぐれ自体を余り信用していないような素振りを見せているものの、…ソラのことだ、裏ではしっかりとフォローも回れるように、彼なりの準備をしているのは、わざわざ言及しなくとも分かった。

間も無く。室長不在のまま、Room ELは始業を告げるベルと共に、通常業務に入ったのであった。




【本土 国会議事堂 第八議場内】

議場内は、にわかにざわついていた。誰も彼もが、己たちの属する党派を超えて、議員席の真正面に立つ百合花に、視線を一点集中させている。「その連帯感、今の今まで何処に隠していたのかしら?」と、彼女は内心、深く思えど。今はそこを論点にすることはない。時は来たのだ。満を持して、この場面を迎えることが出来たのである。百合花は、今一度、言葉を発する。

「我が紫水(しすい)党は、総裁が選挙時に掲げた公約通り、そしてこの紫雨百合花が同じく提示した誓いのもと、―――いま此処に、マルチバースからの使者を我が国へと迎え入れます。使者殿の詳細は追って説明致します。私たち紫水党は、我が国民たちの平和と幸せのために、世間から秘匿された技術能力を駆使して、この惑星とは別の世界から来たる、限りなく有能にして、そして果てしない技術力を持った方々を、お招きするのです。
 使者殿は、我が国に新時代の叡智を与えてくださり、そして凋落した栄誉の復活と、衰退していく現代社会の再なる繁栄を約束すると、この私の前で宣言してくださいました。
 皆さま、新しい風に恐れてはなりません。この国の政治を任されている我々が、最前線に立ち、国の誉と祝福をもたらす扉を開けずして、一体誰が、その代替わりをしてくれると言うのでしょうか?」

百合花の演説には、確かな熱量があった。それはひとの心という名の感情を揺さぶり、議員席で眼を白黒させていたはずの議員たちの胸中へ、奮起の灯火を燻らせていく。百合花の舞台が、クライマックスへと差し掛かった。

「皆さま、私と同じ志を持ち、国会議員となった皆さま!どうか、この紫雨百合花が繋ぐ、新時代への架け橋を、共に渡り、共に進み、――そして、我が国の民たちに、不朽の幸福をもたらしましょう!我々の責務とは、それに尽きるはずです!
 さあ、参りましょう!新しい未来を築くための第一歩を、我々は一致団結して、踏み出すべきなのです!全ては我々を信じて、その清き一票を投じてくださった、国民たちのために!」

百合花の堂々とした演説は、議員席中から拍手喝采を浴びたと同時に、終わる。彼女は優雅にお辞儀をした後、マイクの前から辞そうとした。そのとき、議長席に程近い場所に座っていた、紫水党の党首にして、現総理である、紫雨ユナ(しぐれ ゆな)が、百合花に向かって歩いていき、握手を求める仕草を見せる。総理による百合花への、直接的な称賛にして、この場に居る議員たちへ発信するべき、絶対的な舞台装置。百合花は微笑みを浮かべて、ユナの手を握った。

ファンファーレの如く、鳴り響く拍手と、礼賛する声。その渦中に立った百合花は、己の中の旅路が、今やっと始まったのだと。しかと胸中で刻銘したのである。


――――…。

第八議場の隅。正式な警備たちの中に混じっているのは、輝・リーグスティと、雪坂八槻のふたりである。輝は、トルバドール・セキュリティーの次期社長として育成されている今こそ、要人警護の現場を見学し、少しでも実地経験を積んでおくように、というバルドラの指示で、この場にやってきた。そして、百合花の圧倒的な演説を聞きながらも、議場内に眼を配り、不審な動きを見せる輩が居ないかどうかを、彼なりに判断していた。議論の賛否に関わらず、気が昂ると、人間というのはどうにも、いつもとは違う行動を取りがちである。特に、このような劇場型とも言える、演説の場では熱狂に揉まれる余り、瞬間的にタガを外すという前例は、枚挙に暇がないと評しても過言ではない。

だが、今この場に於いて。輝が憂慮しているようなことは、起こりそうにない。皆が皆、百合花の見事な弁論に胸を打たれ、足並みを揃えて、彼女への賛辞を奏でている。それは警備たちにも言えることで。彼らは決して表情一つ、行動一つに乱れは生じないものの。百合花への隠しきれない尊敬と感激の念が、議場の空気と混じる形で、仄かに表面化している。

八槻は、輝が冷静に事を観察しているのを、心の底から感心していた。十六歳という若さ、否、子どもに値する年齢の少年である輝が、次期社長の未来を掴む道半ばという前提のもとであっても。まさかこんなにも早く『可能性』の芽が萌えてくるとは…、と思っている。とはいえ、それは輝自身の性質が十割という話ではなく、…あくまで、彼に戦士としての素質を見出し、拉致紛いの事件を引き起こしてでも、バルドラに輝を戦士として育成するようプランニングした、琉一の功績が大きく占めるであろう。勿論、厳しい訓練と修行の日々で、決して脱落しなかった輝の根性は、手放しで褒められるべきである。

議場内の拍手喝采は収まりつつあり、熱狂も僅かに鎮火の予兆を見せていた。此処が引き時と見定めた八槻は、輝に声をかけてから。彼に伴う形で、正式な警備たちに笑顔で会釈をしながら、議場を出たのであった。


――――…。

(あ…、行ってしまわれたわ…。警備に紛れていたから、てっきり最後まで残るのかと思っていたのに…)

百合花は、胸中でそう零した。彼女は、ユナからの握手を終えてから。自分の議席に戻る途中にて、さり気なく様子見していた輝と八槻が、警備の列から離れる場面を見た。残念な気持ちで一杯である。
百合花は先ほどの素晴らしい演説の最中にも、口では議員たちを鼓舞する言葉を紡ぎながら、その視界の端でずっと二人を、――…正確には、輝のことを気にし続けていた。

きちんとした職人の鋏が入れられている、煌めく金髪。清廉とした白色の騎士服のような装い。かなり若い、というより、未だ子どもとも言えるであろう幼さはあるものの。凛とした戦士の顔付きは、確かに、この議場内の一抹の治安を憂い。有事が起こればすぐにでも鎮圧するとばかりに、しかと眼を光らせていた。

隣に居た青年には、百合花にも見覚えがあった。というより、今の社交界では結構な有名人である。彼はユキサカ製薬の社長の甥、雪坂八槻だ。異常な性癖の持ち主であり、手が付けられないほどの乱暴者として、社交界を荒らしていた問題児。……だったはずなのに、実はそれは本人による本人のための『渾身の演技』であり、八槻の本性は、非常に理知的、且つ、紳士的な好青年であった。それを社交パーティーの場で勝手に暴露したのが、ROG. COMPANYの若社長こと、あの前岩田レイジ。その際、八槻は一度、勝手に演技の事実をカミングアウトしたレイジに怒り狂ったという噂は流れたものの。…その噂が砂のように消える頃には、既に八槻は開き直ったというか、割り切ったらしく。かつての問題児扱いから、今やすっかり社交界の高嶺の花として、レイジと肩を並べている様子。どうやら、八槻が『演技』をするうえで、レイジは彼の共犯者だったようだ。暴れる八槻と表立って対峙するフリをして、実際は、周りに無益な被害が出ないように仕向ける。確かに、レイジの生まれ、担力、当時から現在までの立場や役職などを鑑みれば、その役割は至極妥当である。そして何より、そうなるように采配したのは、恐らく『企業軍師』と名高い、ユキサカ製薬の社長・雪坂玄一であるという、予想一割・正解九割の答えには、少し考えれば簡単に行き着く。

そんな八槻が同伴するに値する、あの金髪の少年。白色の騎士服が、本当に眩しかった。そう言えば、八槻は最近、トルバドール・セキュリティーの相談役に就任したのではなかっただろうか…―――…。

そこまで考えてから、百合花は、ハッと思考の海から帰ってきた。実際、考えていた時間は、たったの数十秒程でしか無かっただろうが。それでも、今の自分の立場を忘れることを許容する理由にはならない。

トルバドール・セキュリティー関連の情報を探れば、あの少年の身元は分かるだろう。これは、秘書たちには決して任せてはいけない。個人都合、つまりプライベートこそ、自分自身で管理・制御が出来なくて、何が一流の人間と言えようか。

百合花は今一度、襟を正す思いを刻んで。与えられた自分の議席へと、静かに座り込んだのであった。


――――…。

【国会議事堂内 セキュリティールーム】

「…未だ、ご満足頂けませんでしょうか、ルカ三級高等幹部殿?」
「そんなに不安にならなくてもいいよ。最初に約束した通り、オレはキミたちの仕事の邪魔はしてないでしょ?」

セキュリティールームの指揮官が、薄らと渋い表情で問うた相手は。―――そう、ルカだった。百九十センチメートルを超える長駆故に、スラリと伸び切った脚を持て余した状態で、指揮官専用の椅子に腰かけている。そしてそこから、ルーム全体に広がる監視カメラの映像たちと、その他危機管理のための装置が動いている様子を伺えるインジゲーター類を、悠然と眺めていた。
つい先ほどまで、メインモニターには、百合花の演説の様子も大きく映されていた。これはあくまで蛇足の域を越えない情報ではあるが、その演説に関して、ルカは珍しく、「アレは後世に語り継がれるかもね~」というコメントを残している。それに限っては、最初から今までずっとルカの隣に立っては、彼に厳しい視線を送り続けている指揮官であっても。そこだけは大いに同意したと言えよう。

そうこうするうちにルカは、空になったティーカップを机に置いてから。おもむろに立ち上がった。傍に控えていた警備員に預けておいたジャケットを受け取りつつ、指揮官に向かって、口を開く。

「とはいえ、本土の政治を司る場所を護るための、堅牢な警備員たちの指揮系統に対して、オレが精神不安を助長させるのは、宜しくないだろうし。そもそも、オレが見たいモノはちゃんと見れたしね。お望み通り、オレはこの辺りで失礼させて貰おうかな。
 あ、お茶、ありがとう。ヒルカリオでは中々味わえない風味を感じて、楽しかったよ」

ルカはほぼ一方的な台詞を言いつけるだけ言うと。そのまま、セキュリティールームを颯爽と後にしていった。

そして、ルカの姿が扉の向こうに消えた瞬間、セキュリティールーム内に振り撒かれていた彼の無意識なる威圧感と、規格外の存在感も諸共、一気に消え去ったのが分かった。
途端、残された室内の警備員たちと、その指揮官は。ほぼ同時に、ドッと肩から脱力して。そうして、長い長い溜め息を吐いたである。


―――あんな化け物、もう二度と来ないで欲しい…!―――


過程に不本意な点が多すぎるだけで。警備側の心臓部たるこの場も、第八議場内の議員たち同様、全員の足並みが揃ったようだ。…納得は、やはり出来かねるが。



to be continued...
4/4ページ
スキ