第一章 復権の母性少女

【Room EL】

ツバサはアンジェリカの接客をしたら疲労困憊になってしまったらしく、急遽、早退をすることになった。ナオトは元々、非番である。
故に、今、Room ELは、ソラと琉一のふたりきり。ルカが居ても構いはしないし、どうせ室外であっても彼に此処の会話は筒抜けだ。だが、見える視界全域にルカが居ない、という事実だけ踏まえて、琉一はソラに話しかけた。

「妹姫(いもうとひめ)の、かつての担当弁護士だった木島氏と、接触が出来ました」
「…その妹姫と言うのは、…まあ、良い。それで?木島氏の反応は?」

ツバサのことを独特な呼び方をし始めた琉一の感性にツッコミを入れるのは野暮、むしろ無駄と考えたソラは、続きを促す。どうやら、ツバサのかつての担当弁護士・木島の捜索と接触を、ソラは琉一に頼んでいたようだ。確かに、『ルカの専属秘書官』のソラが訪ねるよりは、『同じ弁護士』の肩書きを持つ琉一の方が、外聞的はごく自然にも見える。ヴィレアンダにて、ツバサに言っていた『俺やお前でなく、少し違うアプローチで進める』というのは、このことだったらしい。
琉一が続ける。

「ソラが探偵から辿っていた住所には、既に木島邸はなく、更地になって売りに出されております。そして、木島氏は弁護士を辞職し、現在は日雇い仕事で食いつなぐ日々を過ごしておられました」
「ん?割と予想外な答えが返ってきたな…」

ソラの予想が外れるのは、割と珍しい。彼はまだ木島が弁護士の立場に居ると思っていたからだ。探偵というもの、余りアテにならないものか。まあ、いま思えば、やけに依頼料が安かったのは、情報の精度が甘かったが故か。とも、ソラは考え直した。

「ならば、木島氏は、いま何処に住んでいた?」
「現在は、本土の市営住宅に住んでおられます。
 こちらの身分と事情を明かすと、非常に友好的に接して頂けましたが。…それには、正当な理由がありました。
 自分の発言を、否定。正当な理由ではなく、明らかな問題です。
 それで、問題というのが、木島氏が抱えている借金。こちらから、それを指摘すると、木島氏は「その返済を、無条件で肩代わりしてくれるなら、こっちが知っていることは何でも話す」と仰いました」
「その要求をする心理、それすなわち、木島氏は、公では言えない情報を持っていることの裏返しだな。借金の肩代わりと同時に、身の安全も求めていると同義だ。
 彼の借金の額面は?」

ソラの質問に対して、琉一は手元の資料に視線を落としてから、答える。

「およそ四千万です。
 ヒルカリオの繁華街、それもかなり上等なクラブで拵えたもののようでした。自分との接触中は大人しかったですが、木島氏の部屋の外には、取り立て屋の気配が、確かに」

個人の債務としては、とんでもない金額だ。だが、ソラが気にしているのは、そこでは無い。彼の翡翠の眼は、平凡な論点を射抜くつもりは毛頭なかった。

「四千万か。俺の私財で払えないわけでもないが…、…赤の他人の肩代わりをするには、とても現実的な数値とは思えん。ましてや、無条件、…いや、言外に保身付きだったな。
 オマケに、債務の発生源は、飲み屋のツケと来たか。悪い未来しか予測が出来なくて、大根役者の芝居でも聞いている気分になりそうだ」
「顧問弁護士の自分が、ソラと木島氏の間に立ち会えば、正式な書類の作成は可能です。ソラが予測している未来の不安要素は、大抵、それで乗り切れるかと」

頭痛を堪えるかのようなソラの仕草と台詞にも、琉一はあくまで理知的な姿勢で返答をする。それだけで、ふたりの友情関係が垣間見えるし、琉一なりの誠意も感じ取れる場面だった。その証拠に、ソラが、ぎろり、と微かに琉一を睨むという理不尽な態度も、この場では許される空気。

「だからと言って、四千万の借金の肩代わりを請け負えるわけがあるか。相手が多重債務者というだけで、どれだけ社会的信用が失墜しているか…、分からないお前でもないだろう」
「肯定します。ごもっともな見解です」

琉一にしかと肯定されたことで、ソラの思考回路も少しクリアになってきた。

「…ああ、此処でうだうだと考え込んでも、仕方がない。一旦、この件は保留としよう。多額のカネが絡むのであれば、この場で即決できる案件ではない。木島氏には「慎重に検討している」とだけ伝えてくれ。希望を持たせすぎると、余計な誤解を生む。向こうから何を問われても、「極めて繊細な情報を扱っているため、上司に厳しい視線を向けられている」とでも言って、濁しておいていい」
「かしこまりました」

ソラは琉一へ、そう指示を飛ばすと、デスクの上に散らばりつつあった書類を始めとした、事務用具などを片付け始める。そろそろ定時だ。社長であるレイジの方針により、「理由なき残業」の一切が、ROG. COMPANYでは認められていない。帰る時間に、帰るべきだ。だが、ソラには個人の思惑があった。

「まずは、木島氏の借金の発生源になった店でも、情報だけは確認しておくとするか」
「…。繁華街へ出るつもりですか?
 極めて高い危険性を、肯定します。一歩でも裏路地に入ると、そこはもう社会の闇です」
「この姿で、そのまま行くわけないだろう。一旦、帰宅して、着替えて、メイクして、出直すくらいの手間を俺が惜しむとでも?」
「否定します。事前準備とアドリブ、両方を怠らないのが貴方です。
 しかし、貴方は黙っていても、人目を惹く存在。大輪の花には、美しい蝶も、毒蜂もたかるものです」

琉一の進言は、実に的確である。故に、ソラは逆に提案を飛ばした。

「なら、お前が護衛でもしてくれるか?その二挺拳銃が飾りではないこと、ルカに証明が出来るかもしれんぞ?
 とはいえ、知っての通り、俺は強いからな。場合によっては、お前のガンが本当に飾りだと、あの男に認知されたとしても、そのときは何も補償は出来かねるが」
「肯定します。自分の拳銃は、ただの量産品です。飾りに見えても、また然りでしょう。
 次いで、否定します。ソラは確かに強いですが、あのバトルアクスを狭い店内や路地裏で回すには、些か不利。故に、自分が同行することを、肯定します」
「理路整然としているのは結構だが、随分と素直にならない口だ。変わらんな、お前は」

やり取りをしながらも、ソラは机の上を片付けて。あっという間に、帰り支度に取り掛かる。勿論、琉一も。

「ルカ三級高等幹部の帰りを待つ必要性は、ありませんか?」
「全く無い。どうせ、ここのセキュリティーの元締めは、ヤツが握っている。最終的な施錠を任せたところで、なんら問題はない」

そう会話をしながら、出入り口の扉を潜り、打刻機に社員証を翳した。


――『おつかれさまでした。現在の時刻、午後6時12分です。』


打刻機から無機質なシステム音声が鳴る。それに踵を返したソラと琉一は、互いに無言のまま、エレベーターへと向かって行った。


*****


【ROG. COMPANY本社 屋上】

日暮れが近い天の下で。深青のロングポニーテールを風に靡かせるままにしている、ルカが。高いフェンス越しにヒルカリオの街並みを眺めるアンジェリカの背中に声を掛ける。

「母さん、定時だよ。帰らないと、復権早々、社長から注意勧告される羽目になるケド?」
「あら、もうそんな時間?愛しいモノを眺めていると、時計というのは、いつも駆け足ね。
 …嗚呼、いつまでも眺めていたいわ、この風景」
「いつの時代も、人間が好き勝手に弄り回してるだけの、ただの鉄筋コンクリートの群像じゃない?」
「それが素敵なのよ。その群像こそ、母が愛するひとの子たちが、命あるべき人生の営みをしている証拠ですもの」
「あ、そう」

アンジェリカの返答に、意味を見出しているのか否か。外部には全く読み取れない表情と声音で、ルカは相槌を打った。左手の指先が、くるくる、と耳元の赤い宝石のピアスをもてあそぶ。

アンジェリカの唇が、開いた。

「My name is ANGELICA.
 I am M.A.M. 
 Mother's Autonomous Management ≪母性自律管理機構≫―――≪マム・システム≫、正式に稼働を開始する。
 このアンジェリカこそ、ヒルカリオに住まう命の母。ひとの子らよ、この母の愛の中に受容されなさい。

 ―――さあ、人間よ。『生まれた責任』を遂行せよ」

すると。アンジェリカの青、アクア、黄の三色に分かれた双眸が、微かだが、不思議な明滅を繰り返し始めた。併せて、機械義足の両脚の機構も、淡く発光する。
それを見聞きしたルカは。―――特に、驚くような素振りはなく。ただただ、いつもの笑みを浮かべているだけだった。


人間たちは、何も、知らない。
この楽園都市に、≪究極の母性≫が、今、完全に覚醒したことを―――。




――fin.
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