第二章 Rumble Angel, Silent Devil
【本土 高級住宅街】
夜の帳が降りた、本土の高級住宅街内の生活道路を、海外産の自動車が走っていく。
ミセス・リーグスティは、帰宅中のその車内にて、昼間にROG. COMPANYで行われた対談インタビューの振り返りをしながら、自分で自分を褒め称えていた。
年若き青年社長・レイジに対して、女社長であり社長業先輩の自分からは、彼へ良い言葉がたくさん言えたものだ、と。インタビュー記事の出来上がりが楽しみだと思いながら、彼女は邸宅への玄関を潜る。
出迎えの使用人たちが一斉に、ミセス・リーグスティへと首を垂れた。
「おかえりなさいませ、奥様」
この光景は日常だが。だがそれこそ、上に立つものとしての特権でもある。
ミセス・リーグスティは脱いだ上着と、手に持っていた鞄を預けながら、口を開いた。
「ただいま。
輝(ひかり)と、優那(ゆうな)は帰宅しているわね?
でも輝はともかく、優那はまた部屋に籠っているのではなくて?
すぐに引っ張り出してきて。この前の定期試験の結果について、本人たちの前で評価しなくてはならないのだから」
そう言いながら、「はあ、お風呂に入りたい」とも独り言ちつつ、リビングルームへと足を運ぶ。使用人が開けた扉から、慣れ親しんだリビングルームへと入った。
「おかえり、お母様」
「…おかえりなさい、お母様…」
大きなソファーに抱かれるように座っていたのは、双子のきょうだい。ミセス・リーグスティの実子である、兄の輝と、妹の優那である。双子といっても二卵性なうえ、母親のミセス・リーグスティ譲りの金髪をそのままにしている輝とは違って、優那は真っ黒に染めている。視力矯正の手術を受ければいいのにとミセス・リーグスティが提案しても、優那は眼鏡をかけるのも、頑なに止めない。
明るく聡明な優等生が、輝。少し後ろ向きで暗い印象が、優那。というのが、母親のミセス・リーグスティを含め、このきょうだいの周りが、彼と彼女に下している評価であった。
「ただいま。
あら、優那ったら、今日はリビングに居たのね。珍しい。まあ、いいわ。使用人たちの手間が省けたというものよ」
そう言うミセス・リーグスティは、座っている双子の対面にある、自分専用の猫足ソファーに腰かけて、パンプスを脱いだ足先をフットレストに置く。すかさず使用人たちがやってきて、パンプスを回収した後、彼女の脚に軽いマッサージを始めた。これもまた、いつもの光景である。
別の使用人が持ってきた、グレープフルーツの香りをつけた炭酸水のグラスに口を付けたミセス・リーグスティは、それで喉を潤してから、双子に向かって口を開いた。
「では、輝、優那。ふたりで揃っているということは、分かっているわね?この前の定期試験の評価を下すわ。心して聞きなさい」
炭酸水のグラスをサイドテーブルに置いてから、ミセス・リーグスティが、『子育て用データ』を纏めたタブレット端末を見つつ、続ける。
「まず、輝。必修科目に於いては、九十二点以上をマークしているようね。今回も学年一位。よくやったわ。
ただし、聖クロス学園の生徒会長という役職を背負っている以上、これは当然のこととも言えてよ。腐っても名門高校の生徒たちの代表を名乗るのだから、この結果に驕らず、今一度、襟を正しなさい」
「はい、ありがとうございます、お母様。今後も、リーグスティ家の長男として、より一層、精進します」
己の母の言葉に、輝は爽やかに微笑んで返した。それを見たミセス・リーグスティは、ひとつふたつと軽く頷いた後。優那に視線を向けた。
「次に、優那。貴女は平均点こそ越えているものの、これでは一歩間違えれば、追試ではなくて?とはいえ、赤点だらけの結果を持って帰られるよりは、何倍のマシね。実際、前回の結果に比べれば、少しは点数も上がっているようだし。
でも、部屋に籠って絵を描く暇があるなら、もう少し、勉強しなさいな。学生は学業が本分。それを蔑ろにするのは、ただの怠惰でしかないわ」
「すみません…、あの、次も…、私なりに、頑張ろうと思います…」
ミセス・リーグスティの評価に、優那は委縮したように、返事をする。眼鏡の奥の視線が、忙しなく泳いでいたが。意を決したように、優那は母親を見つめて、口を開いた。
「お母様…、あの…その…」
「どうしたの?優那、はっきりと言いなさいな」
ミセス・リーグスティの言葉に、優那は、う、と詰まりそうになりながらも。傍らに置いていた通学鞄から、一枚の書類を取り出して、ミセス・リーグスティに掲げて見せる。
「聖クロスの美術部で提出した、イラストコンクールで…、その…、私のイラストが、最優秀賞を、取りました…!」
それは確かに、『最優秀賞 優那・リーグスティ様』と書かれた、立派な表彰状であった。ミセス・リーグスティの言う通り、優那には、絵を描く趣味がある。だが、聖クロス高校の美術部で、顧問の美術教師に、優那が「期待の星」と認められている事実は、彼女の母親と兄は知らないでいる。何なら、知ろうともしてくれない。その証拠に。
「そう、それは良かったわね。
でも、美術は必修外の科目だから、いくらイラストの技術を磨いても、これから進もうとしている大学の受験勉強には、全く関係のない話ではなくて?
せめて輝のように、同じ必修外でも、体育の方が得意だったなら、まだ体力面の補強が出来るというのに…」
そう言い切ったミセス・リーグスティの顔色は、明らかな落胆があった。美術は確かに専門の大学に行くためには必要なものだが。ミセス・リーグスティの教育方針では、優那には経済学部のある大学へ進学させるつもりだ。経済学に、絵のスキルは関係ない。それが、ミセス・リーグスティの結論だった。
母親の態度に、優那の表情が、一層、曇る。そして優那は、すごすごと表彰状を鞄に仕舞い込んだ。
それを見たミセス・リーグスティは、これ以上の『加点』は無いと判断して、その場を締める。
「以上の結果を踏まえて、ふたりの今月のお小遣いを計算すると…。輝は八千、優那は五千、と言ったところでしょうね。
…さあ、受け取りなさい。これも自分への評価がもたらした、れっきとした報酬よ。
くれぐれも、悪いことには使わないように」
ミセス・リーグスティがそう言うと同時に、使用人が持ってきた盆の上に置かれた、ふたつのポチ袋を手に取る。和風の柄の印刷が美しい。ROG. COMPANYの文房具商品のひとつだ。彼女は、輝、優那の順番に、それぞれの金額が入ったポチ袋を手渡す。お礼を述べる双子に対して、ミセス・リーグスティが、「以上よ。ふたりとも、もう下がってよろしい」と告げると、双子はリビングルームを後にしていったのだった。
双子がそれぞれの部屋の前の扉に着いたとき。おもむろに輝が優那の方を向いて、手を差し出す。
「優那。分かってるだろ?ほら、『上納金』、さっさと寄越せよ」
輝の態度が、母親の前とはガラリと変わった。おまけに彼の口にした、上納金、という単語を聞いた途端、優那はビクリと肩を震わせる。だが、彼女は細い声で抵抗を試みる。
「で、でも…、兄さん…八千も貰って…」
「だから?俺に対する正当な評価なんだから、それとお前が俺に渡す上納金は、関係ないだろ?」
反抗してきた優那に対して、輝は明らかに不機嫌そうな表情になった。だが、優那も負けてはいられない。
「でもっ…、兄さんは、先月、「来月の俺の小遣いが上がったら、上納金は一回免除してやる」って…言ってたじゃない…」
優那の言葉には、輝には確かに心当たりがあった。たまたま機嫌が良かった日に、そんなことを気まぐれで言ったような記憶がある。だが、彼はニヤニヤと笑いながら、見下したような視線で優那に畳みかけた。
「へえ?俺、そんなこと言ったかな~?それを証明する誓約書は?契約書は?録音データでもいいぜ?あるのかよ?あるってなら、この場で出してみろよ?」
「…、…。」
黙り込んだ優那を見て、輝は「はい、論破~」と小馬鹿にしながら、改めて優那に命じる。
「自分の立場が分かったなら、ほら、今月分の上納金、さっさと渡せ。むしろ毎月、二千で我慢してやってんだから、優しい俺に感謝しろよって話だっつーの」
「……、早く、あの写真、消して…。こんなの、おかしい…」
「それを決めるのはお前じゃない。俺だ。
お前のエロ写真の処遇は、俺が握ってる。でも、お前が上納金さえ忘れなければ、大丈夫なんだよ。だから、早く寄越せよ、二千」
輝の台詞に、優那の全身が小刻みに震え始めた。その指先で、彼女は自分のポチ袋から、二千を取り出して、輝に差し出す。
「………、はい…どうぞ……お納めください…」
「ったくよー、手間かけさせんな、ノロマ陰キャオタクのくせに。黙ってカネ渡せばいいだけの、簡単なお仕事なのにさ。これだから、馬鹿は嫌いなんだよ」
優那から二千を片手で受け取った輝は、それをぞんざいにズボンのポケットに突っ込んだ。くしゃ、と紙幣が僅かに曲がる音がする。
「……もう、いいかな…?今日の課題も、まだ残ってるし…」
優那は残りのお小遣いが入ったポチ袋を鞄に仕舞い込んで、輝に問う。輝は、はんっ、と鼻を鳴らしながら、答えた。
「俺もカネ以外でお前に興味なんて、あるわけねえよ。
改めて、釘差しておくけど、学校ではお前から話しかけてくるなよ。ただし、俺が話しかけたら、臨機応変に立ち回れ。あと、お母様の前で、余計なお喋りもするな。
これ、破ったら、来月から上納金、今より一千、上乗せして貰うから。あと、エロ写真の製造も増やす。いいよな?」
「………はい」
「そうそう。くだらないお絵描きしか出来ない、お馬鹿な妹ちゃんは、優秀なお兄様である俺の言うことを聞けばいいんだよ。
じゃーな。また来月も、上納金よろしく」
自分の言いたいことだけを主張した輝は、自分の部屋へと戻って行った。それを見届けた優那も、自室へ入る。
勉強机に座った優那は、隣室の輝の部屋から、爆音で響き始めた洋楽の騒音から逃れるように、無線イヤフォンで自身の耳を塞ぐ。好きなアイドルの曲を流しながら、彼女は机の本棚に立てかけてあるお小遣い帳を取り出して、ペンを走らせ始めた。
『お小遣い』と記入した欄に、『5000』と書き込む。次いで、すぐ下の項目に『上納』と書き、『2000』とも記した。続いて、財布から出したレシートを見ながら、『額縁』と『220』を書く。
「今月のお小遣いは、三千…。先月の繰り越しと合わせて…、…新しい画材は…、…今月も買えそうにないなあ…。来月、兄さんが二千で満足してくれれば、何とかなる…?」
優那はそう独り言を零して、はぁ…、と小さく溜め息を吐いた。そして、机の上に置いていた額縁の裏を開いて、そこに先ほどの表彰状を差し込む。それを壁のカレンダーの横に空けておいたスペースに、飾った。
「…多くは望まない方が、きっと幸せになれる…」
イラストコンクールの表彰状を眺めながら、優那は自分に言い聞かせるように、そう呟く。そのとき。
――『あなたの溜め息さえ この街にはひとつの雫でしかなくて』――
無線イヤフォンから流れてくる、男性アイドルの甘い歌声が、そのサビのワンフレーズを歌った。
to be continued...
夜の帳が降りた、本土の高級住宅街内の生活道路を、海外産の自動車が走っていく。
ミセス・リーグスティは、帰宅中のその車内にて、昼間にROG. COMPANYで行われた対談インタビューの振り返りをしながら、自分で自分を褒め称えていた。
年若き青年社長・レイジに対して、女社長であり社長業先輩の自分からは、彼へ良い言葉がたくさん言えたものだ、と。インタビュー記事の出来上がりが楽しみだと思いながら、彼女は邸宅への玄関を潜る。
出迎えの使用人たちが一斉に、ミセス・リーグスティへと首を垂れた。
「おかえりなさいませ、奥様」
この光景は日常だが。だがそれこそ、上に立つものとしての特権でもある。
ミセス・リーグスティは脱いだ上着と、手に持っていた鞄を預けながら、口を開いた。
「ただいま。
輝(ひかり)と、優那(ゆうな)は帰宅しているわね?
でも輝はともかく、優那はまた部屋に籠っているのではなくて?
すぐに引っ張り出してきて。この前の定期試験の結果について、本人たちの前で評価しなくてはならないのだから」
そう言いながら、「はあ、お風呂に入りたい」とも独り言ちつつ、リビングルームへと足を運ぶ。使用人が開けた扉から、慣れ親しんだリビングルームへと入った。
「おかえり、お母様」
「…おかえりなさい、お母様…」
大きなソファーに抱かれるように座っていたのは、双子のきょうだい。ミセス・リーグスティの実子である、兄の輝と、妹の優那である。双子といっても二卵性なうえ、母親のミセス・リーグスティ譲りの金髪をそのままにしている輝とは違って、優那は真っ黒に染めている。視力矯正の手術を受ければいいのにとミセス・リーグスティが提案しても、優那は眼鏡をかけるのも、頑なに止めない。
明るく聡明な優等生が、輝。少し後ろ向きで暗い印象が、優那。というのが、母親のミセス・リーグスティを含め、このきょうだいの周りが、彼と彼女に下している評価であった。
「ただいま。
あら、優那ったら、今日はリビングに居たのね。珍しい。まあ、いいわ。使用人たちの手間が省けたというものよ」
そう言うミセス・リーグスティは、座っている双子の対面にある、自分専用の猫足ソファーに腰かけて、パンプスを脱いだ足先をフットレストに置く。すかさず使用人たちがやってきて、パンプスを回収した後、彼女の脚に軽いマッサージを始めた。これもまた、いつもの光景である。
別の使用人が持ってきた、グレープフルーツの香りをつけた炭酸水のグラスに口を付けたミセス・リーグスティは、それで喉を潤してから、双子に向かって口を開いた。
「では、輝、優那。ふたりで揃っているということは、分かっているわね?この前の定期試験の評価を下すわ。心して聞きなさい」
炭酸水のグラスをサイドテーブルに置いてから、ミセス・リーグスティが、『子育て用データ』を纏めたタブレット端末を見つつ、続ける。
「まず、輝。必修科目に於いては、九十二点以上をマークしているようね。今回も学年一位。よくやったわ。
ただし、聖クロス学園の生徒会長という役職を背負っている以上、これは当然のこととも言えてよ。腐っても名門高校の生徒たちの代表を名乗るのだから、この結果に驕らず、今一度、襟を正しなさい」
「はい、ありがとうございます、お母様。今後も、リーグスティ家の長男として、より一層、精進します」
己の母の言葉に、輝は爽やかに微笑んで返した。それを見たミセス・リーグスティは、ひとつふたつと軽く頷いた後。優那に視線を向けた。
「次に、優那。貴女は平均点こそ越えているものの、これでは一歩間違えれば、追試ではなくて?とはいえ、赤点だらけの結果を持って帰られるよりは、何倍のマシね。実際、前回の結果に比べれば、少しは点数も上がっているようだし。
でも、部屋に籠って絵を描く暇があるなら、もう少し、勉強しなさいな。学生は学業が本分。それを蔑ろにするのは、ただの怠惰でしかないわ」
「すみません…、あの、次も…、私なりに、頑張ろうと思います…」
ミセス・リーグスティの評価に、優那は委縮したように、返事をする。眼鏡の奥の視線が、忙しなく泳いでいたが。意を決したように、優那は母親を見つめて、口を開いた。
「お母様…、あの…その…」
「どうしたの?優那、はっきりと言いなさいな」
ミセス・リーグスティの言葉に、優那は、う、と詰まりそうになりながらも。傍らに置いていた通学鞄から、一枚の書類を取り出して、ミセス・リーグスティに掲げて見せる。
「聖クロスの美術部で提出した、イラストコンクールで…、その…、私のイラストが、最優秀賞を、取りました…!」
それは確かに、『最優秀賞 優那・リーグスティ様』と書かれた、立派な表彰状であった。ミセス・リーグスティの言う通り、優那には、絵を描く趣味がある。だが、聖クロス高校の美術部で、顧問の美術教師に、優那が「期待の星」と認められている事実は、彼女の母親と兄は知らないでいる。何なら、知ろうともしてくれない。その証拠に。
「そう、それは良かったわね。
でも、美術は必修外の科目だから、いくらイラストの技術を磨いても、これから進もうとしている大学の受験勉強には、全く関係のない話ではなくて?
せめて輝のように、同じ必修外でも、体育の方が得意だったなら、まだ体力面の補強が出来るというのに…」
そう言い切ったミセス・リーグスティの顔色は、明らかな落胆があった。美術は確かに専門の大学に行くためには必要なものだが。ミセス・リーグスティの教育方針では、優那には経済学部のある大学へ進学させるつもりだ。経済学に、絵のスキルは関係ない。それが、ミセス・リーグスティの結論だった。
母親の態度に、優那の表情が、一層、曇る。そして優那は、すごすごと表彰状を鞄に仕舞い込んだ。
それを見たミセス・リーグスティは、これ以上の『加点』は無いと判断して、その場を締める。
「以上の結果を踏まえて、ふたりの今月のお小遣いを計算すると…。輝は八千、優那は五千、と言ったところでしょうね。
…さあ、受け取りなさい。これも自分への評価がもたらした、れっきとした報酬よ。
くれぐれも、悪いことには使わないように」
ミセス・リーグスティがそう言うと同時に、使用人が持ってきた盆の上に置かれた、ふたつのポチ袋を手に取る。和風の柄の印刷が美しい。ROG. COMPANYの文房具商品のひとつだ。彼女は、輝、優那の順番に、それぞれの金額が入ったポチ袋を手渡す。お礼を述べる双子に対して、ミセス・リーグスティが、「以上よ。ふたりとも、もう下がってよろしい」と告げると、双子はリビングルームを後にしていったのだった。
双子がそれぞれの部屋の前の扉に着いたとき。おもむろに輝が優那の方を向いて、手を差し出す。
「優那。分かってるだろ?ほら、『上納金』、さっさと寄越せよ」
輝の態度が、母親の前とはガラリと変わった。おまけに彼の口にした、上納金、という単語を聞いた途端、優那はビクリと肩を震わせる。だが、彼女は細い声で抵抗を試みる。
「で、でも…、兄さん…八千も貰って…」
「だから?俺に対する正当な評価なんだから、それとお前が俺に渡す上納金は、関係ないだろ?」
反抗してきた優那に対して、輝は明らかに不機嫌そうな表情になった。だが、優那も負けてはいられない。
「でもっ…、兄さんは、先月、「来月の俺の小遣いが上がったら、上納金は一回免除してやる」って…言ってたじゃない…」
優那の言葉には、輝には確かに心当たりがあった。たまたま機嫌が良かった日に、そんなことを気まぐれで言ったような記憶がある。だが、彼はニヤニヤと笑いながら、見下したような視線で優那に畳みかけた。
「へえ?俺、そんなこと言ったかな~?それを証明する誓約書は?契約書は?録音データでもいいぜ?あるのかよ?あるってなら、この場で出してみろよ?」
「…、…。」
黙り込んだ優那を見て、輝は「はい、論破~」と小馬鹿にしながら、改めて優那に命じる。
「自分の立場が分かったなら、ほら、今月分の上納金、さっさと渡せ。むしろ毎月、二千で我慢してやってんだから、優しい俺に感謝しろよって話だっつーの」
「……、早く、あの写真、消して…。こんなの、おかしい…」
「それを決めるのはお前じゃない。俺だ。
お前のエロ写真の処遇は、俺が握ってる。でも、お前が上納金さえ忘れなければ、大丈夫なんだよ。だから、早く寄越せよ、二千」
輝の台詞に、優那の全身が小刻みに震え始めた。その指先で、彼女は自分のポチ袋から、二千を取り出して、輝に差し出す。
「………、はい…どうぞ……お納めください…」
「ったくよー、手間かけさせんな、ノロマ陰キャオタクのくせに。黙ってカネ渡せばいいだけの、簡単なお仕事なのにさ。これだから、馬鹿は嫌いなんだよ」
優那から二千を片手で受け取った輝は、それをぞんざいにズボンのポケットに突っ込んだ。くしゃ、と紙幣が僅かに曲がる音がする。
「……もう、いいかな…?今日の課題も、まだ残ってるし…」
優那は残りのお小遣いが入ったポチ袋を鞄に仕舞い込んで、輝に問う。輝は、はんっ、と鼻を鳴らしながら、答えた。
「俺もカネ以外でお前に興味なんて、あるわけねえよ。
改めて、釘差しておくけど、学校ではお前から話しかけてくるなよ。ただし、俺が話しかけたら、臨機応変に立ち回れ。あと、お母様の前で、余計なお喋りもするな。
これ、破ったら、来月から上納金、今より一千、上乗せして貰うから。あと、エロ写真の製造も増やす。いいよな?」
「………はい」
「そうそう。くだらないお絵描きしか出来ない、お馬鹿な妹ちゃんは、優秀なお兄様である俺の言うことを聞けばいいんだよ。
じゃーな。また来月も、上納金よろしく」
自分の言いたいことだけを主張した輝は、自分の部屋へと戻って行った。それを見届けた優那も、自室へ入る。
勉強机に座った優那は、隣室の輝の部屋から、爆音で響き始めた洋楽の騒音から逃れるように、無線イヤフォンで自身の耳を塞ぐ。好きなアイドルの曲を流しながら、彼女は机の本棚に立てかけてあるお小遣い帳を取り出して、ペンを走らせ始めた。
『お小遣い』と記入した欄に、『5000』と書き込む。次いで、すぐ下の項目に『上納』と書き、『2000』とも記した。続いて、財布から出したレシートを見ながら、『額縁』と『220』を書く。
「今月のお小遣いは、三千…。先月の繰り越しと合わせて…、…新しい画材は…、…今月も買えそうにないなあ…。来月、兄さんが二千で満足してくれれば、何とかなる…?」
優那はそう独り言を零して、はぁ…、と小さく溜め息を吐いた。そして、机の上に置いていた額縁の裏を開いて、そこに先ほどの表彰状を差し込む。それを壁のカレンダーの横に空けておいたスペースに、飾った。
「…多くは望まない方が、きっと幸せになれる…」
イラストコンクールの表彰状を眺めながら、優那は自分に言い聞かせるように、そう呟く。そのとき。
――『あなたの溜め息さえ この街にはひとつの雫でしかなくて』――
無線イヤフォンから流れてくる、男性アイドルの甘い歌声が、そのサビのワンフレーズを歌った。
to be continued...
