第一章 復権の母性少女
【Room EL】
自分のデスクにて、レイジからのメールを受け取ったルカは、それを開封してからというもの。その深青の瞳は、まるで、面白い玩具でも見つけたかのような、無邪気な子どもの好奇心そのものを、なみなみと湛えていた。
ルカがこういう眼をするときは、大抵、ロクなことが起こらない、と十二分に知っているソラは。「ルカから指示が出るまで、俺は何も知らないふりをする」を決め込み、粛々と、顧問弁護士である琉一に共有するべき、Room ELに関する事務データを作成していた。本来ならツバサに割り振ってもいいような仕事だが。…今の彼女は、それどころではない。どういうことかと言うと。
ソラの視線の先にある、応接用のソファに対面で座っているのはアンジェリカと、…彼女が直に指名した、ツバサだ。
先ほどから、そちら方面から聞こえてくる会話劇が、以下。
まず、初手。
「ツバサちゃん、ダイヤモンドサクラの伝説的ストライカー、エリザヴェスタ・ディッチって知ってるかしら?私ね、ほんの一度だけど、彼女に直接ファンサして貰ったことがあるの。スタジアムへ試合を観戦しに行った際に、私、ディッチ選手の背番号が入ってるキャップを被っていたんだけど…、試合直後にね、彼女、そのキャップにサインをしてくれたうえに、「応援ありがとう!」って言ってくれたのよ」
「ダイヤモンドサクラのエリザヴェスタ・ディッチって、…あの、もう三十年以上前のサッカー選手だった気がしますが…?」
「ええ、そうよ。さすが、ツバサちゃん。元強豪校のサッカー部員だっただけあって、そちらの知識に明るいのね。
でも、そんな不思議そうな顔をしなくても良いのではなくて?三十年前なんて、ついさっきのこと、みたいなものでしょう?このヒルカリオは建造二百年以上よ?ね?」
「???」
次が、こちら。
「前に、シナジス航空の機内食として食べた、鶏肉の料理が、とっても美味しかったわ。家に帰った後、それを再現してみたくて、私なりに色々と試行錯誤したのだけど…、残念ながら、憧れの味には至らなかったわ。
それから何年か後に、不意にそのことを思い出してね。当時の日記帳に記していたシナジス航空の問い合わせ番号に電話を掛けたら、「この番号を現在使われておりません」というアナウンスが流れてきて…。ルカに、どういうことかしら?って聞いてみたら、あの子ったら、からから笑いながら、答えるのよ。「母さん。シナジス航空は、とっく昔に別の航空会社に吸収合併されて、今は名前を変えてるよ」って」
「弓野入一級高等幹部殿…。シナジス航空が、スターラインド航空に変わったのは…、えと、…恐らく、十年くらい前のお話です…」
「あら?そんなに新鮮な話題だったかしら?もうちょっと古い体験談として記憶していたのだけど。
まあいいわ。時の概念なんて、この母の前では、些事よ」
「???」
最後、大詰め。
「ディアンナがヒルカリオに実店舗の第一号を構えたとき、オープニングセレモニーに来賓として出席したことがあったの。当時の我が国は、後世で言うところの、高度経済成長期と呼ばれる時期でね、それはもう国中の子たちが浮かれ飛んでいたものよ。私は行ったことないのだけど…、何でも、煌めくライトが照らす空間で、派手な音楽にノリながら、派手な衣装を纏って、羽根がついた扇子を振り上げては、酒に酔った大人たちが夜通し踊り狂うという、珍妙な光景があったとか…。
あ、そういえば、ツバサちゃんが持っているキャンパスバックも、ディアンナのものだったわよね?あら、その呆気にとられた表情はなに?…ああ、大丈夫よ、母というモノは、子に関しては、目敏いものなの。決して、貴女を監視しているわけじゃないわ」
「……その時代は、…九十年以上前のものになると思われます…。中学校から高校時代の、歴史の教科書で、習いました…」
「あら、教科書で?
人間ってば、自らの歴史を振り返るのが早いのねえ。その割には、歴史から何も学ばないのは、一体どうしてかしら?まあ、何か間違いがあったとしたら、この母が愛を以て叱れば良いのだわ」
「???」
……大真面目に聞いてはいられないし、多くを理解することも放棄はしたい。だが、アンジェリカが、『ルカの母親』である以上、彼女のことを受容する努力はせねばなるまい。少なくとも、それをして欲しいと願っているからこそ、レイジは彼女を復権させたのだろう。よもや、レイジほどの器量の男が、父親への当てつけだけのために、権力を振りかざすだけの真似事はするわけがないのだし…。と、ソラはそこまでは考えていた。すると、モニターから目をそらさず、そして高速でタイピングを繰り返しているルカが、ツバサとアンジェリカの間に割って入っていく。
「母さん?その辺にしておいて?アリスちゃんってば、反応に困る、を通り越して、子兎みたいにぷるぷる震えてるじゃ~ん。
そんなアリスちゃんも可愛いけど、自分の母親にそうされてると思うと、さすがに可哀想が過ぎるよ~」
一応、止める気はあるのか。と、ソラは思った。思うだけで、口には出さない。ただ、モニターの陰から、ルカの方をぎろりと睨んではおいた。それに気が付かないルカでもないが、彼はソラの睨みを、声には出さない一笑に付してから。その深青の瞳をモニターに戻して、口を開く。
「オレは今から秘書課に行ってくるつもりだケド。母さんも、一緒においで。挨拶回りも大切だよ。ましてや母さん、復権なんだから。ブランク、二十八年。社内の誰も、母さんのコト、覚えちゃいないし、何なら知りもしない子ばかりだと思うよ?
ほら、こっち来て?これが、今から捌くお仕事だよ~。みてみて~」
ルカに促されるままに、アンジェリカはソファから立ち上がり、ルカのデスクまで歩いていった。彼女が歩を進める度に、機構が淡く光る、その機械義足。…どれだけ観察しても、ソラの翡翠の双眸には『究極の次世代の一品』のように映る。後は、左耳に嵌っている蝶の羽根を象ったヘッドフォンにマイクが付属しているのを見るに、それが一体、何処に接続されているのかを知りたい所存。…まあ、今は問うても仕方がないだろう、と、ソラは考え直す。ルカのデスクで「ま~、こんな仕事があるの?随分と楽しそうじゃない」と、はしゃぐような笑顔を見せるアンジェリカには、底知れぬ畏怖を感じ取る。簡単に覗いていい深淵ではなさそうだとも、また思うのであった。
――――…。
【本社ビル十七階 秘書課】
ROG. COMPANY本社の秘書課は、いつもより緊張した空気が張り詰めていた。それもそのはず。
急に課長のデスクが、ルカ三級高等幹部名義のメールを受信したかと思えば、その中身は、『今より、弓野入一級高等幹部立会のもと、秘書課の田村秀人さまとの面談を執り行います。』という旨のもの。秘書課の田村と言えば、本社勤務一筋・十二年になる、そこそこの中堅どころ。目立った実績は、特に無い。敢えて言及するなら、常に自分に煙草の匂いを纏わりつかせている点が、若い社員たちにはどうにも受け入れがたい、という所か。そして、何を隠そう。この田村こそ、鞠絵に舌打ちをした張本人である。
そんなことは知らない秘書課の課長は、大慌てでメールに「よろしくお願いします。」の返事を打った、その十分後。本当に現れたルカと、彼にそっくりの髪色をした少女の姿に、秘書課全体が、にわかにざわついた。
一方で、呼び出された田村はというと。秘書課の給湯室のくすんだ鏡で、髪型の最終チェックと、ネクタイの締め直しを終えてから。浮足立った様子で、秘書課を横切る。誰も彼もが、心配そうに田村を見つめるが、その視線すら今の彼には、スポットライトに等しい。
(ようやく俺にも昇進の話が!そうに違いない!!)
田村は、砂のような確信を得ていた。
Room ELのルカ三級高等幹部、と言えば、『化け物集団のリーダー』として、本社内で知らない者はいない。冷酷非道な大量解雇も辞さないような男だが。その一方で、彼に功績を認められた、ROG. COMPANY設置の消費者専用コールセンターのパートタイマーたちが、一斉に本社の一般事務の電話番として、正社員雇用された逸話まであるのは、実に記憶に新しい。
つまり、『地味な花を見初める男なのだ』と、田村はルカを評価していた。そして、地道に此処まで働いてきた自分に、その番が回ってきた。とも。
(地道な草花こそ、俺のような人材こそ、報われるべき!俺が、安い煙草で自分を慰める日々は、もう終わりだ!)
田村は自信満々で、ルカとアンジェリカが座るソファに近付く。気が付いたルカは、ふ…、と田村に微笑んだ。そして、無言で、黒革の手袋が嵌った指先を自分の対面に示す。「座れ」と言いたいのだ。いよいよか…!、と、目を爛々と輝かせる田村。
ルカが柔く微笑んだまま、口を開く。
「オレは、Room ELのルカ三級高等幹部だよ。そして隣の彼女は、弓野入アンジェリカ一級高等幹部。この度、レイジ社長が正式に復権させた、正真正銘の高等幹部のトップたる子。
今日は、彼女のお披露目の挨拶回りも兼ねて、キミに通達を寄越しに来たんだ。それにしても、急に訪ねちゃって、ごめんね。でも、早め早めに言っておかないと、後がつかえちゃうからさあ」
!!??
田村を初めとして、聞き耳を立てていた秘書課の全員が、一斉に息を呑む。
てっきり、関係者の孫でも連れてきたのかと思いきや。あの機械義足の少女―――アンジェリカは、正真正銘の一級高等幹部。しかも、復権ということは、何らかの理由で席を空けていた経緯がある、ということ。だが、明らかにアンジェリカは、子どもだ。外見年齢だけ見ると、十四~十五歳程度にしか思えない。
そんな立場の少女を引き連れてきたルカが、一体全体、田村に何を通達すると?…これはもう、田村以外の秘書課の社員たちも、予測している。「昇進だ」と。
部長か?もしかして、課長?それとも、秘書課より上の部署か役職か?あるいは、本社直轄の支店か実店舗のトップへと栄転?
機械義足の両脚を綺麗に揃えて座っていたアンジェリカが。その膝の上に乗せている封筒を、田村へと差し出した。田村はアンジェリカの容姿には戸惑いつつも、だがしかし、この封筒の中身が自分の花道を照らしてくれると、儚い夢を眺める。そうして、開封した封筒から引っ張り出した一枚の書類を見た彼は―――…
「―――………え……?」
絶望した表情と声を、浮かばせた。何故なら、その書類にあったのは…―――『解雇通知』。
それだけではない。「本社から解雇すると同時に、本土の研修センターへの入所を命じます。」とまで。締めのサインは、『Angelica Yuminoiri』。
社員の解雇を最終的に決めるのは、社長であるレイジだ。だが、このサインが指し示す事実とは、その決定打となった人物の進言が、この一級高等幹部・アンジェリカということである。
顔を真っ青にする田村に対して、アンジェリカが微笑みながら、口を開いた。
「派手な見た目の若い子だからと、子猿呼ばわりしたうえに、舌打ちを寄越すなんて、はしたない真似はおよしなさい。大人でしょう?
弊社とは、ヒルカリオの戴きにある玩具会社、ROG. COMPANY。その社内に、玩具を手にする子どもの夢を守れない大人が座り続ける椅子なんて、用意できないわ。
だから、あなた、此処を辞めてしまいなさい。ああ、大丈夫よ、着の身着のまま放り出すなんて野蛮なことは、この母はしないわ。
本土の研修センターに入り、社会人の基礎をもう一度叩き込んでおいで。そうすれば、八千分の一ほどの確率で、また弊社に勤務が出来るかもしれないわね。
―――悪い子には教育を。愚かな子にはお叱りを。母は、ひとの子が愛おしい。故に、私はあなたへ解雇通知を出すよう、社長に進言して、母たる責任を以て、サインをしたわ。
さあ、この母の躾を受け取りなさい。そして、やれるものならと、もう一度、再起してみれば良いのだわ」
絶望に染まり切った宣告。だが、よく噛み砕いて聞けば、田村が再起する道も残されていると言えば、そう。
「―――……、……。」
顔面蒼白に、絶句した状態になった田村。反して、ルカが笑みを深めて、言う。
「ROG. COMPANYに於いて、『軽んじる』という行為は、何にも代えがたい重罪だよ。それがひとであれ、ものであれ。会社を組成しているモノ、その全てが対象。
自分が報われたいと思うなら、まずは他人の存在を重く見ることを忘れちゃダメだよ、人間。
ひとのココロもカラダも、そして命も。世界を覆す軍事兵器なんていう大層なモノが出てこなくたって…、人間同士の言葉ひとつ、態度ひとつとか、そんな簡単なきっかけで、跡形もなく壊れちゃうコトがあるんだから」
その台詞は、ルカが軍事兵器である己を自嘲したとも取れるものであった。だが、秘書課の全員、その真意までは汲み取れず。しかし、皆が皆、「自分こそ、次の制裁の対象にならないようにしなくては…」と、襟を正すのであった。
*****
「どうだった、母さん?オレから取り上げてまで満喫した、『初仕事』は?」
「なかなか楽しかったわ。長生きはするものね。ヒルカリオにも『檻』以外の役割が、きちんと与えられているのを、この眼でしかと確認が出来て、そこそこに満足よ。
あと、仕事を取り上げた、だなんて、人聞きの悪いことは言わないで頂戴。母はきちんと「その仕事は、この母に譲りなさい」と言ったでしょう、ルカ?」
特別エレベーター内で、ルカとアンジェリカが、そう会話をする。内容だけ聞けば、普通の親子のようなものだが。人外級の美貌を持つ長身の男と、近未来の機械義足を両脚に持つ少女とでは、見た目から、まず脳がバグを起こしそうである。
すると、アンジェリカの指先がおもむろに、エレベーターの最上階である『三十階』を押した。彼女の執務室は、二十三階であるはずだ。ルカが目線だけで理由を問うと、彼女は笑いながら答えた。
「ちょっと屋上で、風に当たりたい気分だわ」と。
奇妙な親子像を乗せたエレベーターは、ヒルカリオを眼下に臨むROG. COMPANY本社ビルの中で、ぐんぐんと上へと昇っていく―――…。
to be continued...
自分のデスクにて、レイジからのメールを受け取ったルカは、それを開封してからというもの。その深青の瞳は、まるで、面白い玩具でも見つけたかのような、無邪気な子どもの好奇心そのものを、なみなみと湛えていた。
ルカがこういう眼をするときは、大抵、ロクなことが起こらない、と十二分に知っているソラは。「ルカから指示が出るまで、俺は何も知らないふりをする」を決め込み、粛々と、顧問弁護士である琉一に共有するべき、Room ELに関する事務データを作成していた。本来ならツバサに割り振ってもいいような仕事だが。…今の彼女は、それどころではない。どういうことかと言うと。
ソラの視線の先にある、応接用のソファに対面で座っているのはアンジェリカと、…彼女が直に指名した、ツバサだ。
先ほどから、そちら方面から聞こえてくる会話劇が、以下。
まず、初手。
「ツバサちゃん、ダイヤモンドサクラの伝説的ストライカー、エリザヴェスタ・ディッチって知ってるかしら?私ね、ほんの一度だけど、彼女に直接ファンサして貰ったことがあるの。スタジアムへ試合を観戦しに行った際に、私、ディッチ選手の背番号が入ってるキャップを被っていたんだけど…、試合直後にね、彼女、そのキャップにサインをしてくれたうえに、「応援ありがとう!」って言ってくれたのよ」
「ダイヤモンドサクラのエリザヴェスタ・ディッチって、…あの、もう三十年以上前のサッカー選手だった気がしますが…?」
「ええ、そうよ。さすが、ツバサちゃん。元強豪校のサッカー部員だっただけあって、そちらの知識に明るいのね。
でも、そんな不思議そうな顔をしなくても良いのではなくて?三十年前なんて、ついさっきのこと、みたいなものでしょう?このヒルカリオは建造二百年以上よ?ね?」
「???」
次が、こちら。
「前に、シナジス航空の機内食として食べた、鶏肉の料理が、とっても美味しかったわ。家に帰った後、それを再現してみたくて、私なりに色々と試行錯誤したのだけど…、残念ながら、憧れの味には至らなかったわ。
それから何年か後に、不意にそのことを思い出してね。当時の日記帳に記していたシナジス航空の問い合わせ番号に電話を掛けたら、「この番号を現在使われておりません」というアナウンスが流れてきて…。ルカに、どういうことかしら?って聞いてみたら、あの子ったら、からから笑いながら、答えるのよ。「母さん。シナジス航空は、とっく昔に別の航空会社に吸収合併されて、今は名前を変えてるよ」って」
「弓野入一級高等幹部殿…。シナジス航空が、スターラインド航空に変わったのは…、えと、…恐らく、十年くらい前のお話です…」
「あら?そんなに新鮮な話題だったかしら?もうちょっと古い体験談として記憶していたのだけど。
まあいいわ。時の概念なんて、この母の前では、些事よ」
「???」
最後、大詰め。
「ディアンナがヒルカリオに実店舗の第一号を構えたとき、オープニングセレモニーに来賓として出席したことがあったの。当時の我が国は、後世で言うところの、高度経済成長期と呼ばれる時期でね、それはもう国中の子たちが浮かれ飛んでいたものよ。私は行ったことないのだけど…、何でも、煌めくライトが照らす空間で、派手な音楽にノリながら、派手な衣装を纏って、羽根がついた扇子を振り上げては、酒に酔った大人たちが夜通し踊り狂うという、珍妙な光景があったとか…。
あ、そういえば、ツバサちゃんが持っているキャンパスバックも、ディアンナのものだったわよね?あら、その呆気にとられた表情はなに?…ああ、大丈夫よ、母というモノは、子に関しては、目敏いものなの。決して、貴女を監視しているわけじゃないわ」
「……その時代は、…九十年以上前のものになると思われます…。中学校から高校時代の、歴史の教科書で、習いました…」
「あら、教科書で?
人間ってば、自らの歴史を振り返るのが早いのねえ。その割には、歴史から何も学ばないのは、一体どうしてかしら?まあ、何か間違いがあったとしたら、この母が愛を以て叱れば良いのだわ」
「???」
……大真面目に聞いてはいられないし、多くを理解することも放棄はしたい。だが、アンジェリカが、『ルカの母親』である以上、彼女のことを受容する努力はせねばなるまい。少なくとも、それをして欲しいと願っているからこそ、レイジは彼女を復権させたのだろう。よもや、レイジほどの器量の男が、父親への当てつけだけのために、権力を振りかざすだけの真似事はするわけがないのだし…。と、ソラはそこまでは考えていた。すると、モニターから目をそらさず、そして高速でタイピングを繰り返しているルカが、ツバサとアンジェリカの間に割って入っていく。
「母さん?その辺にしておいて?アリスちゃんってば、反応に困る、を通り越して、子兎みたいにぷるぷる震えてるじゃ~ん。
そんなアリスちゃんも可愛いけど、自分の母親にそうされてると思うと、さすがに可哀想が過ぎるよ~」
一応、止める気はあるのか。と、ソラは思った。思うだけで、口には出さない。ただ、モニターの陰から、ルカの方をぎろりと睨んではおいた。それに気が付かないルカでもないが、彼はソラの睨みを、声には出さない一笑に付してから。その深青の瞳をモニターに戻して、口を開く。
「オレは今から秘書課に行ってくるつもりだケド。母さんも、一緒においで。挨拶回りも大切だよ。ましてや母さん、復権なんだから。ブランク、二十八年。社内の誰も、母さんのコト、覚えちゃいないし、何なら知りもしない子ばかりだと思うよ?
ほら、こっち来て?これが、今から捌くお仕事だよ~。みてみて~」
ルカに促されるままに、アンジェリカはソファから立ち上がり、ルカのデスクまで歩いていった。彼女が歩を進める度に、機構が淡く光る、その機械義足。…どれだけ観察しても、ソラの翡翠の双眸には『究極の次世代の一品』のように映る。後は、左耳に嵌っている蝶の羽根を象ったヘッドフォンにマイクが付属しているのを見るに、それが一体、何処に接続されているのかを知りたい所存。…まあ、今は問うても仕方がないだろう、と、ソラは考え直す。ルカのデスクで「ま~、こんな仕事があるの?随分と楽しそうじゃない」と、はしゃぐような笑顔を見せるアンジェリカには、底知れぬ畏怖を感じ取る。簡単に覗いていい深淵ではなさそうだとも、また思うのであった。
――――…。
【本社ビル十七階 秘書課】
ROG. COMPANY本社の秘書課は、いつもより緊張した空気が張り詰めていた。それもそのはず。
急に課長のデスクが、ルカ三級高等幹部名義のメールを受信したかと思えば、その中身は、『今より、弓野入一級高等幹部立会のもと、秘書課の田村秀人さまとの面談を執り行います。』という旨のもの。秘書課の田村と言えば、本社勤務一筋・十二年になる、そこそこの中堅どころ。目立った実績は、特に無い。敢えて言及するなら、常に自分に煙草の匂いを纏わりつかせている点が、若い社員たちにはどうにも受け入れがたい、という所か。そして、何を隠そう。この田村こそ、鞠絵に舌打ちをした張本人である。
そんなことは知らない秘書課の課長は、大慌てでメールに「よろしくお願いします。」の返事を打った、その十分後。本当に現れたルカと、彼にそっくりの髪色をした少女の姿に、秘書課全体が、にわかにざわついた。
一方で、呼び出された田村はというと。秘書課の給湯室のくすんだ鏡で、髪型の最終チェックと、ネクタイの締め直しを終えてから。浮足立った様子で、秘書課を横切る。誰も彼もが、心配そうに田村を見つめるが、その視線すら今の彼には、スポットライトに等しい。
(ようやく俺にも昇進の話が!そうに違いない!!)
田村は、砂のような確信を得ていた。
Room ELのルカ三級高等幹部、と言えば、『化け物集団のリーダー』として、本社内で知らない者はいない。冷酷非道な大量解雇も辞さないような男だが。その一方で、彼に功績を認められた、ROG. COMPANY設置の消費者専用コールセンターのパートタイマーたちが、一斉に本社の一般事務の電話番として、正社員雇用された逸話まであるのは、実に記憶に新しい。
つまり、『地味な花を見初める男なのだ』と、田村はルカを評価していた。そして、地道に此処まで働いてきた自分に、その番が回ってきた。とも。
(地道な草花こそ、俺のような人材こそ、報われるべき!俺が、安い煙草で自分を慰める日々は、もう終わりだ!)
田村は自信満々で、ルカとアンジェリカが座るソファに近付く。気が付いたルカは、ふ…、と田村に微笑んだ。そして、無言で、黒革の手袋が嵌った指先を自分の対面に示す。「座れ」と言いたいのだ。いよいよか…!、と、目を爛々と輝かせる田村。
ルカが柔く微笑んだまま、口を開く。
「オレは、Room ELのルカ三級高等幹部だよ。そして隣の彼女は、弓野入アンジェリカ一級高等幹部。この度、レイジ社長が正式に復権させた、正真正銘の高等幹部のトップたる子。
今日は、彼女のお披露目の挨拶回りも兼ねて、キミに通達を寄越しに来たんだ。それにしても、急に訪ねちゃって、ごめんね。でも、早め早めに言っておかないと、後がつかえちゃうからさあ」
!!??
田村を初めとして、聞き耳を立てていた秘書課の全員が、一斉に息を呑む。
てっきり、関係者の孫でも連れてきたのかと思いきや。あの機械義足の少女―――アンジェリカは、正真正銘の一級高等幹部。しかも、復権ということは、何らかの理由で席を空けていた経緯がある、ということ。だが、明らかにアンジェリカは、子どもだ。外見年齢だけ見ると、十四~十五歳程度にしか思えない。
そんな立場の少女を引き連れてきたルカが、一体全体、田村に何を通達すると?…これはもう、田村以外の秘書課の社員たちも、予測している。「昇進だ」と。
部長か?もしかして、課長?それとも、秘書課より上の部署か役職か?あるいは、本社直轄の支店か実店舗のトップへと栄転?
機械義足の両脚を綺麗に揃えて座っていたアンジェリカが。その膝の上に乗せている封筒を、田村へと差し出した。田村はアンジェリカの容姿には戸惑いつつも、だがしかし、この封筒の中身が自分の花道を照らしてくれると、儚い夢を眺める。そうして、開封した封筒から引っ張り出した一枚の書類を見た彼は―――…
「―――………え……?」
絶望した表情と声を、浮かばせた。何故なら、その書類にあったのは…―――『解雇通知』。
それだけではない。「本社から解雇すると同時に、本土の研修センターへの入所を命じます。」とまで。締めのサインは、『Angelica Yuminoiri』。
社員の解雇を最終的に決めるのは、社長であるレイジだ。だが、このサインが指し示す事実とは、その決定打となった人物の進言が、この一級高等幹部・アンジェリカということである。
顔を真っ青にする田村に対して、アンジェリカが微笑みながら、口を開いた。
「派手な見た目の若い子だからと、子猿呼ばわりしたうえに、舌打ちを寄越すなんて、はしたない真似はおよしなさい。大人でしょう?
弊社とは、ヒルカリオの戴きにある玩具会社、ROG. COMPANY。その社内に、玩具を手にする子どもの夢を守れない大人が座り続ける椅子なんて、用意できないわ。
だから、あなた、此処を辞めてしまいなさい。ああ、大丈夫よ、着の身着のまま放り出すなんて野蛮なことは、この母はしないわ。
本土の研修センターに入り、社会人の基礎をもう一度叩き込んでおいで。そうすれば、八千分の一ほどの確率で、また弊社に勤務が出来るかもしれないわね。
―――悪い子には教育を。愚かな子にはお叱りを。母は、ひとの子が愛おしい。故に、私はあなたへ解雇通知を出すよう、社長に進言して、母たる責任を以て、サインをしたわ。
さあ、この母の躾を受け取りなさい。そして、やれるものならと、もう一度、再起してみれば良いのだわ」
絶望に染まり切った宣告。だが、よく噛み砕いて聞けば、田村が再起する道も残されていると言えば、そう。
「―――……、……。」
顔面蒼白に、絶句した状態になった田村。反して、ルカが笑みを深めて、言う。
「ROG. COMPANYに於いて、『軽んじる』という行為は、何にも代えがたい重罪だよ。それがひとであれ、ものであれ。会社を組成しているモノ、その全てが対象。
自分が報われたいと思うなら、まずは他人の存在を重く見ることを忘れちゃダメだよ、人間。
ひとのココロもカラダも、そして命も。世界を覆す軍事兵器なんていう大層なモノが出てこなくたって…、人間同士の言葉ひとつ、態度ひとつとか、そんな簡単なきっかけで、跡形もなく壊れちゃうコトがあるんだから」
その台詞は、ルカが軍事兵器である己を自嘲したとも取れるものであった。だが、秘書課の全員、その真意までは汲み取れず。しかし、皆が皆、「自分こそ、次の制裁の対象にならないようにしなくては…」と、襟を正すのであった。
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「どうだった、母さん?オレから取り上げてまで満喫した、『初仕事』は?」
「なかなか楽しかったわ。長生きはするものね。ヒルカリオにも『檻』以外の役割が、きちんと与えられているのを、この眼でしかと確認が出来て、そこそこに満足よ。
あと、仕事を取り上げた、だなんて、人聞きの悪いことは言わないで頂戴。母はきちんと「その仕事は、この母に譲りなさい」と言ったでしょう、ルカ?」
特別エレベーター内で、ルカとアンジェリカが、そう会話をする。内容だけ聞けば、普通の親子のようなものだが。人外級の美貌を持つ長身の男と、近未来の機械義足を両脚に持つ少女とでは、見た目から、まず脳がバグを起こしそうである。
すると、アンジェリカの指先がおもむろに、エレベーターの最上階である『三十階』を押した。彼女の執務室は、二十三階であるはずだ。ルカが目線だけで理由を問うと、彼女は笑いながら答えた。
「ちょっと屋上で、風に当たりたい気分だわ」と。
奇妙な親子像を乗せたエレベーターは、ヒルカリオを眼下に臨むROG. COMPANY本社ビルの中で、ぐんぐんと上へと昇っていく―――…。
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