第七章 再始動

ミセス・リーグスティの悪事全般、琉一の復讐計画、暴走したマム・システムの討伐、輝と優那への処遇、…今回の一連の騒動として計上される、あらゆる事柄に。とりあえずの落着がつこうとしている。

まず、ミセス・リーグスティこと、イヴェット・リーグスティ。トルバドール・セキュリティーの社長の座を正式に降りてから、そのまま名誉会長として君臨。しかし、これまでの悪事の清算、という名目で、受け取る給与は本来の額面より七割カットされたモノで、契約を結んだ。
どよめく社内の声を尻目に、空座となった社長の席には、彼女の息子である輝・リーグスティが、「次期社長」として就任。同時に、この未来の少年社長の相談役に、サクラメンス・バンクの頭取・乙女樹バルドラと、ユキサカ製薬社長の甥・雪坂八槻が就任。これについては、どよめきを通り越して、暴動が起きかけたのだが。輝は、トルバドール・セキュリティーの役員たち全員に向かって、ハッキリと言い放った。

「次期社長という仰々しい肩書きに騙されて、この若輩者を非難するのは野蛮極まりない行為です。謂わば、「将来的に社長になり得る人材になれるか否か?」と判断し、躾け、育ててやろう!という気概をお持ちの御方は、この会社の役員陣には居ないとでも申しますか?
 さあ、この輝・リーグスティ、一世一代の大勝負をすることを宣言しましょう!
 僕をトルバドール・セキュリティーに相応しい社長に仕立て上げられるか、はたまた、僕自身が本当に社長に成り上がることが出来るのか。…その過程に携わることを、どうぞお楽しみください」

そう堂々と宣言した輝の姿は、十六歳の少年には見えず。しかし、その弁論の術は、元生徒会長として全校生徒の前で何度も繰り出してきた経験値があり、そのうえ、母のミセス・リーグスティ譲りにして、既に完成形とも取れる。だが、まだ輝が伸びしろを秘めているのは、分かった。
『トルバドール・セキュリティーが理想とする社長を育て上げる』―――。…長年、錆び付いていたモノづくりへの情熱に、社内中が湧きたった瞬間だった。




優那・リーグスティは、ROG. COMPANY本社のデザイナー部門に、正式に加入することが決まった。初日に彼女が持ち込んだ、あのスケッチブックの女性像を基にしたキャラクターは、既にプリテトオンラインにて敵キャラクターとして、正式に実装が決定している。優那のデビュー作品は、華々しい道として確定していた。しかし、優那はそんな現状には満足せず、日々ペンを握り、新しいアイデアを練り合わせ、仲間と意見をぶつけ合っている。
不慣れだったはずのデジタルイラストにも、今やスラスラと使いこなし。何なら、先人たちが滅多に使ったことがないような機能同士を組み合わせ、常に斬新な切り口を生み出す。そんな優那の姿に、デザイナー部門の皆々が刺激を受けないわけもなく。

「優那には負けられないね!」

チームリーダーのカナタが、その台詞を毎日のように零すほどに。彼女の存在は、益々と際立って行くである。

そして、活気づくデザイナー部門内を、統括主任である音色は、相変わらずの令嬢趣味の装いのまま、達観していた。

「皆、良い子ね♡あなたたちの働きぶりは、今度、パパにきっちりと言いつけてあげるから♡
 そうすれば、……サクラメンス・バンクが、正式に弊社の資金繰りに手を出せるようになるわね。うちの若社長を苦々しく思っている古狸の役員たちのことを、パパの発言一つで、纏めて引き摺り下ろすことも可能だわ。
 若社長の…、レイジの周りに、本当に必要な人材を配置すること…。それが、このわたしに出来る、弊社への最大限の貢献なのだから♡
 わたしを道具と扱いなさい、レイジ、優那、そして可愛い部下たち。わたしは、悪役令嬢。悪役は主役を引き立ててこそ、その冥利に尽きるものよ…♡」

そこまで呟くと、音色は独り言を閉じて、ティーカップを傾けるのであった。




琉一の換装手術は、無事に成功した。およそ十時間に及ぶ、長丁場であったが。琉一は耐えて見せたし、執刀を担当した軍医たちも、滝汗を流しながら、誠意を込めて立ち向かった。
術後、麻酔による深い眠りから目覚めた琉一が、一番最初に発した言葉は。

「…誰か、眼鏡を、取ってください」

もう見えているはずの視力のことを忘れていたのか。はたまた、日常的な癖だったのか。何にせよ、琉一が生きている証たる発言といえよう。その場に居た全ての医者と看護師は、一斉に涙ぐんだ。
その後。リハビリに励む琉一の周りには、専用の療法士に混じって、軍医たちが常に見守り。琉一のリハビリの成果の記録を片手間に、彼と世間話に花を咲かせる。

琉一との面会の許可が降りる頃合い。真っ先にその申請を出してきたのは、ソラだった。その次は、ルカ、ツバサ、ナオト。次にレイジ率いる、ROG. COMPANY社長室の面々。更に、乙女樹親子、優那、玄一。最後に、多忙極めるために遅刻気味に滑り込んできたのが、輝とミセス・リーグスティ、そして八槻だった。

―――結局。最後まで、琉一の妻たる人物が、その場に顔を見せることはなかったのを。ソラは言葉にすることはせず、胸の内に仕舞っておくこととした。




ユキサカ製薬の社長・雪坂玄一は、自分の後継者探しをすると、社内で公言した。娘の綺子は再起不能。甥の八槻は輝の傍へ付けた。そもそも、玄一は、綺子があのようになったのは、自分の手から離すのが早すぎたのが一番の原因だと、深く自覚しているので。ユキサカ製薬の創業家としての世襲制は、自分の代で終わらせようとしていた。綺子には鈴蘭の院長として、慎ましく生きて欲しいと、密かに願っていただけだった。その分、ナオトに多大な負荷を掛けていた現実にも、自責の念を抱いていた。
だからこそ、このユキサカ製薬の社長の椅子は、本当に能力のある者が継ぐべきだと思っている。家柄や、年功序列には縛られない。本当の意味の、世代交代を目指したい。そう、心から祈っている。
…、だが。現実は、玄一にとって、とても非情であった。

役員を始め、社内中のありとあらゆる部門の社員たちが、一斉に、玄一に縋り始めたのである。「まだ社長の下で働いていたいです!」、「社長!辞めないでください!」、「一生社長で居て!」、「社長が辞めるなら、此処に居る社員全員、退職してやる!」etc...

玄一は面食らった。てっきり、綺子の事件のせいで、自分の権威などとうに失墜していると思っていたから。いつの間にか、表舞台からひっそりと姿を消して、琉一の計画が明るみとなる頃に、その重い腰を上げたのは、…そう。玄一自身が、自分のことを信用していなかったからである。
だが、このリアルな景色は、どうだと言う?
堂々と退職宣言した途端、玄一を引き留める声の数の多さときたら。もう、吃驚した、なんて言葉は、チープすぎて。

世間を騒がせたオーロラの魔女事件に於いて、マスメディアや素人のSNSには、それはもう散々な記事を書かれたものだが…。どうしたものか。ユキサカ製薬の社内には、玄一を悪く見るどころか、彼を慕う声が蔓延っている。
玄一は、そこで、己を恥じた。そして、もう何度目になるかも分からない、罪の意識を感じた。
本当に眼を向けるべき存在たちを、どうやら、自分は見通していなかったらしい。罪悪感にばかり囚われて、視界が曇っていた。…だが、耄碌するには、未だ早かろう。

どの道、世襲制に倣うせよ、自分の血縁者の中で該当する人物は居ない。ならば、後継者探しは、水面下で進めるとして。

「…もう少し、世界を俯瞰させて貰いましょうか」

精緻な細工の施された杖を片手に。玄一は社長室の窓から、目下に広がるオフィス街を眺めるのであった。




レイジの『花嫁探し』が、いよいよ本格的に始まっている。最初は表面だけでも隠れて進めていたはずの関係者たちは。先の戦場でレイジが見せた勇姿に、すっかりボルテージを上げてしまったらしい。「我が社長が若々しく、そして雄々しいうちに、何としても嫁を見つけて貰おうではないか!」と息巻いては、あちらこちらで条件の良い令嬢たちに声をかけまくっているとか。

「若々しいって何だよ…、俺は二十一歳だよ…、まだ十分に若いっての…。雄々しいとか知らん、マジで知らん…、俺はいつでも俺だってば…」

レイジがこの世の地獄にでも行き着いたかのような声で、ツッコミを入れる。だが、それは追い付かない。何故なら、社長専用のデスクの片隅に、山のように積まれた『お見合い写真』や『花嫁候補の情報資料』の束が在るからだ。一体、何年前の漫画の中で見られた光景だろうか。この近未来都市・ヒルカリオの中心で、レトロちっくなお約束的展開を目の当たりに出来る日が来ようとは思わなんだ。ローザリンデはそう思いつつ、口からは、あはは!と豪快な笑い声を出しながら、デスクに突っ伏すレイジの背中を叩く。

「まあまあ。愚痴るのは大事だけどよ?物事を始める前から拒否ってんじゃあ、ただの食わず嫌いと同じだろ?とりあえず、眼だけは通しておけって。
 案外と、若社長のお眼鏡に叶う別嬪さんがいるかもしれねえだろ?ほらほら、機会費用だと思って、ちゃちゃっと片付けちまいな!」

肯定を織り混ぜつつ、しっかりと軌道修正をしようとしたローザリンデのその発言は、若き社長へのエールであった。それをしかと受け取ったレイジは、溜め息だけはしっかりと漏らしつつも、大人しく処理に入ろうとする。そのとき。

「社長~。デザイン部門からお遣いだって。入れて良さげ?」
「ああ、いーよ。相槌が片手間になっても良いならさ…」

毬絵の声が聞こえた。レイジは見合い写真を捲り始める作業に入っているが、入室許可はしっかりと出す。片手間と言ってはいるものの、絶対にそんなことはしない男なので、誰も彼を咎めることはしない。

「失礼致します。デザイン部門の優那・リーグスティです。前岩田社長、今、お時間よろしいでしょうか。乙女樹主任から、急ぎ判子を頂戴するように、と」

優那であった。どうやら、音色から急を要する書類を預かってきたようである。ローザリンデに促されるまま、彼女はレイジのデスクに近寄って、―――その惨状を見止めた瞬間、ぎくり、とばかりに顔を強張らせた。

「あ、あの…?社長、そのお写真って…?」
「え?あー、これなー…。重役たちが勝手に選んできた、俺の花嫁候補だってさ…。こんな山盛りにしやがって…。まじでだるい…。
 てか、優那だって引いてんじゃん…?ありえねーよな、ほんとさ…、これさあ…」

レイジの返答に対して、確かに優那の顔色は悪くなっている。だが、それはレイジを見舞う惨状そのものに関して、というより。もっともっと、別の視点があって…。

「しゃ、しゃちょうの、およめさんこうほが、こ、こんなに、たくさん…?!」

動揺を滲ませる声でそう零す優那は、ふるふるふる、と小鹿のように全身を震わせながらも。その顔は焦燥、驚愕、そして、嫉妬の色が乗っている。
それを確認した、ローザリンデ、鞠絵、それに、掃除しながらもチラ見していたセイラ。社長室におわす女傑三人は…。

(オワァーーーーーーーッッッ)

と、同時に。胸中で、ある種の悲鳴をあげた。

だが、純情な少女絵師・優那の初恋を盗んだ自覚などあるはずもない、文武両道・容姿端麗にして、懐の深い、しかし他人は気遣えど、自分のことになると手を抜く悪癖がある(※尚、育ての親)、巨大企業の若社長様・レイジは。まるで状況がワカラナイと心の底から思っているようで。

「? 優那?あれ…?だいじょうぶそ…?」

などと、のたまいながら。自分にうぶな恋慕を向けてくれている優那に、クソ真面目な顔で、帰り際に医務室にて少しでも休むように進言し始めるのであった。




ROG. COMPANY本社ビル、屋上。
定時を過ぎ、タイムカードを打刻した後に。ルカはツバサを連れて、此処に上がってきた。「ちょっと息抜きしない?」と、誘われて。

陽が傾き、夜の帳が降りようとしている。夕陽が照らす橙色と、夜の訪れを告げる青紫色のグラデーションになった、天を見上げて。そして、眼下に広がる街に視線を戻す。涼しい風が、仕事終わりの身体を、心地よく冷やしてくれた。

「母さんがさ。この景色が好きだって、話してくれたんだよね。オレは、ただのコンクリートの塊だって返したんだケド。
 アリスちゃんは、どう?此処から見える、ヒルカリオの景色は、好き?」

ルカはツバサへ掴みどころのない質問を投げる。日常会話の基準すら、人間側に合わせてくれないのは、もう今後一生、是正されることもなさそうである。

「自分が選んで住んでいる街だし…。此処から本土に対する見方が変わったこともある…。お気に入りのショップや、通いたい場所も、たくさん…」
「オレのホルダーとして、ヒルカリオから出して貰えないっていう事実については?」
「ホルダーとして此処から逃れられないと外野から言われるのは、所詮、結果論に過ぎないと思ってるの…。だって私は、あの日、ルカに選ばれなかったとしても…。きっと違う経緯を辿って、ヒルカリオに来ていた。そんな気がするから…」
「そっか」

ツバサとルカの会話は、そこで終わった。だが、空気は変わらない。
すると。おもむろに、ルカが、ツバサを正面から抱き締めた。むぎゅ、という可愛い効果音でも聞こえてきそう。でも、二人の間に流れる雰囲気には、そんなものは似合わない。

ルカの腕の中で、彼の顔を見上げたツバサは。優しい光を灯す深青の瞳と、見詰め合う。薄付きのグロスが塗られた、ルカの唇が動いた。

「化け物が繋がれた檻の中に自ら飛び込んできた、オレの可愛いALICE。
 此処から逃がすコトは出来ないケド。せめて、キミが望む限り、その時間がいつまでも許す以上。オレはオレとして、アリスちゃんのコト、ずっと護るからね」

ルカはそう告げてから、更に強く、ツバサを抱き締める。彼の胸元に顔を埋める姿勢になったツバサは、確かな温度を感じながら、静かに身を預けた。

楽園都市・ヒルカリオ。その中心に聳え立つ、ROG. COMPANY。そして、その中に繋がれた、史上最強の軍事兵器。彼の傍に付き従う選択肢を与えられた人間たちと、ホルダー『ALICE』こと、―――ツバサ。

栄えある未来の予測は出来ないし、古びた過去は振り返るだけ無駄である。
ハリボテとは言わせない、しかし、息づいていると表現するには余りにも無機質な、このヒルカリオで必要なのは、『今を生きる』ことだ。歩みを止めれば、迷宮入り。死んでしまっては、元の木阿弥。進化と更新を怠れば、枯渇するだけ。

肩書き、職位、種族、年齢、性別、主義、思想etc...

自他共に、型に嵌めるだけのパーツはいくらでも転がっていて、それに気を取られてばかりでは、肝心な真実を見逃すことも多いだろう。
それでもルカは、決して間違えたりなどしないが。

難しい話をするのは簡単で。簡単な話をするのは難しい。つまるところ。
軍事兵器と、その命令権を持つ女性。ルカとツバサの関係に複雑な構造を垣間見るのは、外野だけ。当の二人の間には、至ってシンプルなパワーバランスと、ひと匙の感情が在るだけだ。

「ねえ、ルカ。私、お腹空いたから…、そろそろ帰りたいな…」
「じゃあ、一緒にラーメンでも食べて帰らない?前に二人でいいねって言った、あのお店。今から行けば、まだ余裕なんじゃないかなあ?」
「うん、賛成…」
「最近は特に忙しかったから、今夜は二人でお腹いっぱい食べようね~」

そんな穏やかなやり取りを繰り広げながら、ルカとツバサは、屋上を後にする。

壊れかけた機械の咆哮の残滓も、錆びた戦場のひりつく風も。二人には、もう、届いていない。

お腹いっぱいご飯を食べて。推しや好きなモノを吸収して。布団の中でぐっすりと眠って。そうしてまた明日、いつものように、同じ職場を共有する。

そうして。ルカとツバサの世界は、回っていくのだ。


―――ヒルカリオは、今夜も二人を、受容する。―――



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