第七章 再始動

琉一が負っていた怪我は、一般的に言えば掠り傷程度であった。しかし、琉一が平気な顔色で隠そうとする傷口を目敏く見つけては、処置を施していくナオトの眼は、さながら蛇のようである。心療内科だから専門外だ、という理由はいらない。自分は医者である、という信念で動いている。だが。

「乙女樹頭取が連れてきた仲間は、人間です。怪我をすれば医療的処置が、当然、必要になりますが…。正直、僕一人ではとても…」

そう言うナオトが視線を寄越したのは、イルフィーダ隊が運び込んできた、医療物資。文字通り、山のように積んであるが。いくら薬品や器具が揃っていても、肝心の医者がナオト独りぼっちでは、これから最前線で傷付いて、此処に運ばれてくるであろう何十名もの怪我人を捌くことは不可能だ。そんなこと、火を見るより明らかである。
しかし、ルカは笑っていた。笑いながら、治療中の琉一に冗談めいた会話を飛ばして、彼の気を引こうとしている。それはまるで、学校の保健室でたまたま出くわした、仲の良い後輩をいじるような、そんな無邪気さがあった。

「ルカさん、さすがに何か手を打って頂かないと…。戦場で傷付いた兵士たちへの医療行為に於いて―――」
「―――あ、それ?ダイジョーブだよ。もうそろそろ、彼らも来るんじゃない?」

ルカの台詞の真意は相変わらず読みにくい。そのうえ、悠長な彼の口調が、何処か他人事のようにも聞こえて。ナオトは珍しく殺気立った。

「彼ら、とは?今すぐにも兵士たちが大なり小なり怪我を負って、此処へ撤退してきます。僕たち医者は―――」
「―――こらこら、イライラしなーいのっ。オレが準備を怠ってきたコトなんて、今まで無かったでしょ?」

更生プログラムでRoom ELに出向しているナオトにとって、ルカの言うことには、制度上、逆らうことは許されない。しかし、軍用病棟での緊張感を呼び覚まされた彼は、ひりつくオーラを出し、ルカに追い縋ろうとして―――、

「―――早まるものではない、ナオトくん。
 『医者は現場で最も冷静さを保ち、そして最も仁に沿った選択を求められる。』
 …医師免許を取得した日に、私に向けて、そう決意表明してくれた、きみ自身の言葉だ。覚えているだろうか?」

ナオトにとっては聞き慣れた、しかし、もう半年近くは聞いていなかった声がした。
振り向くと、そこに立っていたのは。精緻な細工の杖を突き、しゃん、と立った老紳士。―――ユキサカ製薬の現社長、雪坂玄一。

「旦那様…?!」

ナオトが茫然とした声で呟く。
玄一の娘・綺子が操っていた大規模転売事件が明るみになり、彼女は裁かれた。それに伴い、ナオトも自身の罪を償うために、更生プログラムに入ることになる。更に、先の大身槍作戦が収束した末に、ナオトは、妹・鞠絵と共に、その身柄を凌士の名のもと、テイスワート家に引き取られていた。つまり、雪坂家とは、事実上、もう何の所縁(ゆかり)を持っていないはず。それでも―――…。

「未だ私を、旦那様と…、そう呼んでくれるのか…。きみは、本当に優しい。優しすぎるが為に、…私の娘の罪すら、背負おうとしてくれている。心を壊したあの子の代わりとばかりに…。
 だからこそ、私はその想いに少しでも応えたい。ユキサカ製薬の社長として…」

玄一がそう言うと。彼の背後から、わらわらとひとの山が出てきた。白衣、術服、看護服…。医師、看護師の団体だ。様々な系統、バラバラな色味の医療用の服だが、皆が皆、その胸に着けている『星』がある。―――アシュヴィンのロゴワッペンと、国軍の勲章。間違いない。彼ら、彼女らは。十年前に、ナオトと海を越えて、あの軍用病棟に赴いた、勇士たちだ。玄一が世界各国へ散らばった彼らへと呼びかけたことで、いま此処に、アシュヴィンのメンバーが集ったのである。

十年という時を感じる顔付きはしているが、皆、変わってなどいない。アシュヴィンのメンバーが次々と口を開いた。

「ナオト!暫く見ないうちに老けたな、……って言いたかったのに、なんだ?その若々しい姿は?!」
「お前の国には、大和魂ってヤツがあるんだろ?さあ、立てよ!」
「そんな湿った顔をするもんじゃあないよ!患者たちが時期に波にように運ばれてくるさね!準備を抜かるな!」
「気合い入れていくぜ!腑抜けたままで居て、ヒートアップした患者からブン殴られても知らんぞ!」

皆が口々に言いながら、ナオトの腕を取り、背中を支え、彼を立ち上がらせる。そして、その中の一人が、ナオトの白衣の懐を捲り。そこに在る、同じ『星』の輝きを見とめた。

「背負うモノは一緒だ、ナオト。怪我人を治療し、化け物退治に貢献する。―――そう、俺たちは『医療従事者』の矜持に賭けて、な!」

医師団長が、そう宣言し、ナオトの肩を、ぽん、と軽く叩く。ナオトのオッドアイから、一筋だけの涙が零れるが、それはもう、一度きり。
白衣の袖で涙の筋を拭い去り、ナオトは目線を真っ直ぐに上げた。

戦場の兵士が銃や剣を掲げるように、その後方で待つ医師たちは聴診器と注射器を、己らが武器と掲げる。
命を救う戦場――…それが、彼らにとっての最前線。

医師団『アシュヴィン』が、再起動の旗印を上げた。


――――…。

最前線。

アンジェリカの鉄蜘蛛の砲台が火を噴き、戦士たちを薙ぎ払おうとする。しかし、大きな火点が故に、軌道を読まれやすく、故に回避も容易い。今のところの人的被害は、然程、酷くはなかった。だが、消耗すれば機動力が衰え、それに伴い、傷を負う者が出てくるはずだ。よって、指揮官のバルドラの命令には「少しでも戦いに支障をきたす怪我をしたら、すぐさま後方で治療を受けろ!」というものと、「前線で戦うのがツラくなったら、後方支援に回れ!その英断が味方を一人でも生き永らえさせる!」という二つのものが、厳しく敷かれていた。
アンジェリカからの攻撃で厄介なのは、砲台より、鎖鎌の方である。割と直線状に飛んで来るモノなので、回避に徹すれば、何とかなると言えば、そうだ。しかし、問題なのは回避した後。アンジェリカが鎖鎌を仕舞う、もしくは、そのまま振り回してしまえば、今度は、それは途端に無軌道な動きを見せる。回避行動のために伏していた戦士たちは、反撃に転じようと立ち上がったり、走り出そうとすると、この鎖鎌を余力に巻き込まれてしまう、というパターンが散見されてきた。
その証拠に、バルドラの命令を厳守している戦士たちは、各自伝達を頼みつつ、怪我の治療のために撤退したり、後方支援に回り始めている。

そもそもの話をしよう。ソラが宣告した、『アンジェリカの討伐』とは?
マム・システムが誕生したのは、大昔、心臓病を患ったが為に選ばれた人間の少女の身体へ、マム・システムを組み込んだことで、生まれた母性の権化である。文字通り、『埋め込まれた』。つまり、あのサイボーグ化したアンジェリカの心臓部分には、マム・システムの『核』が存在する。ベースになった少女の心臓が弱かったのが理由で、それを活性化することを目的として、生きた人間の心臓を、機械であるマム・システムの核へとすげかえた、というのが正解。そして、ソラとバルドラたち戦士が狙うのは、その核をアンジェリカから物理的に引き抜くことである。
だが、マム・システムの核を造ったのは、現代で言うオーバーテクノロジー。その破壊は、人間には到底、無理な話。ならば、引き抜いた後の核は、どうすればいい?

―――忘れることなかれ。『究極の破壊と創造のチカラ』を持った、史上最強の軍事兵器・ルカが、背後に控えていることを。

ルカの持つ能力『同調変換(どうちょうへんかん)』は、その手に触れたモノ全てを分析し、徹底的に破壊、ないし、全く別の物質・物体に造り替えることが可能である。
つまり、同調変換を発動したルカの手に、マム・システムの核を触れさせることさえ出来れば。マム・システムは、彼によって、終わりを迎えることが出来る。

故に、此処に集った戦士たちは、ルカに『マム・システムの終焉へのバトン』を渡すために。人間としての責任とプライド、そして武力を結集させて、アンジェリカへと立ち向かっているのだ。

「バルドラ!!戦線が圧されている!!!!」
「そもそもマム・システムの防御が硬すぎて!!並みの銃弾や擲弾じゃあ、全く歯が立たねえ!!」
「一時退避!退避ー!!対戦車砲が通るぞ!!繰り返す!!イルフィーダ隊の対戦車砲が通るぞーー!!!!退避しろーーー!!!!」

飛び交う戦士たちの叫び声の中で、号令通り、イルフィーダ隊の対戦車砲が、自走機能に基づき、配置につく。同時に、自走していた対戦車砲に乗った形で、レイジが前線まで現れた。味方陣営の人的被害が広がりつつある今、レイジ自身も戦士として投入されるべき兵力と、己で決断し、此処までやってきたのである。勿論、レイジほどの逸材が、何の勝算も無しにやってくるなどという失態は、決して犯さない。

ほぼ全員が退避するなか、唯一、レイジのもとに走ってやってきたのは、バルドラとソラであった。バルドラに関しては全くの無傷であり、ソラに至っては息一つ乱していない。今回の化け物退治の筆頭を担うに、まるで相応しい人間たちである。
レイジが二人に向かって、口を開いた。

「ルカ兄が、マム・システム討伐の裏で調整してたらしい『新型武器』が、お披露目だってよ。それが動けば、マム・システムの防御が崩れるって話。
 マム・システムの防御が崩壊したら、対戦車砲をこの距離から叩き込んで、…そこから、人間は巻き返しをはかれるよ、って言ってた。まあ、相変わらず無神経そうな顔してたけど、あれはマジでヤル気な声色だったから―――」

『―――者共ォ!!おれの――『ROG. COMPANYの薔薇の淑女』こと、このローザリンデ五級高等幹部の声を聴きなッ!!』

レイジの台詞を遮った、戦場の隅々まで轟き渡る、美女の声。本人が名乗った通り、ローザリンデのそれである。どうやら口調は素の方に戻しているらしい。
なんだ?と兵士たちが若干の困惑を見せるなか、ローザリンデはマイク越しに喋り続けた。

『今、おれが喋っている、このマイクとスピーカこそ!人機共存型・超音波攻撃機構!通称『セイレーン』!
 今日が堂々のデビューライブだ!拍手しな!!マム・システム!!』

どうやら、レイジが説明しかけていた新型武器を、ローザリンデが起動し、操作しているらしい。彼女は続けた。

『安心しな!ちゃんと説明してやるよ!
 このセイレーンのシステムを通した人間の歌声が、コイツの機構を通して音波として空間に発声されると…、マム・システム!オマエの防御にダメージが通るってカラクリだ!しかも、音波が高音であればあるほど、オマエの被ダメ効果は約二割の確率で上昇していく!そして、このデバフはスタック可能!つまり!おれたちが高らかに歌えば歌うほど、オマエは弱体化を余儀なくされる!!』

末恐ろしい武器が出てきたものである。だが、物理的な腕力や武力を持たないローザリンデなどには、うってつけの武器とも言える。要するに、歌さえ歌えば、アンジェリカ討伐の一助となれるのだから。「銃はカメラと一緒。狙いを定めてスイッチオンよ」とでも言った先人が、何処かに居た気もするが、それは一旦、横に置いていく。

『マム・システムを知り尽くし、今日まで観測し続け、飽きる間も無く解析を重ねた、ルカの膨大で強大な叡智と、軍事兵器としてのセンスが大爆発した、特別武装品だぜ!!マム・システム、心行くまで堪能しろよ!!コイツは、オマエを倒すためだけに生まれた歌姫ってことだ!!
 さあ、このままステージ開幕だぜ!!そのおぞましいドレスアップ姿で、そのまま特別席を占拠して、この日のためのライブを存分に楽しみな!!』

輝に貫かれた左眼を再生させながら、アンジェリカは苦々しい表情で遥か遠くの陣営を見やる。だが、白熱したカーテンコールは止まらない。

『野郎ども!!おれたちを非力な女と甘く見るなよ?!女神の如き歌声で、あのマム・システムを弱らせてやるから!!オマエたちはアイツから核を引っこ抜け!!いいな?!――おい!!返事は??!!』

ローザリンデがそう喝を入れてから、一拍にも満たない直後。味方陣営の戦士たちから、雄叫びが上がる。セイレーンというカタチで逆転の兆しを携え、勝利の女神として君臨した美女に発破をかけられて、上がらない士気などあるものか。

すると、音楽が鳴り響き始めた。セイレーンが本格的に動く。此処から、人間たちによる、アンジェリカへの逆転が始まるのだ。


――『さあ、駆け抜けよう! あの水平線の向こうへ! 黄金の船が出航するときだ!』


ローザリンデが歌い出した。黄金の島を目指して、大海原を船で冒険する勇者たちの物語を描いた、長編映画の主題歌。

「攻撃再開!!マム・システムの防御が崩壊する瞬間を逃すな!!」

バルドラが作戦の続行を告げると、戦士たちが再び、鉄蜘蛛へと立ち向かい始める。


――『あなたと あなたの胸の中にも きっと黄金色の夢が 咲いているから!』


ローザリンデがセイレーンを通して、高らかに歌う。その音波を浴びた、アンジェリカは己を蝕む違和感をしかと感じ取っていた。
じりじりと全身が焼けていくような、或いは、周囲をじわじわと炎が渦巻いてくるような、そんな感覚。

人間の歌声を変換して、マム・システムの防御力を崩すための音波を出す武器『セイレーン』。―――ルカの能力・同調変換の仕組みを応用したモノであることは間違いない。他でもない、彼自身が造った武器であると言うならば、尚更だ。

戦士たちが得物を手に向かってくる。アンジェリカは迎撃を開始した。

一番効果があった鎖鎌を飛ばし、砲台のチャージを始める。しかし。
砲台に集中させるはずのエネルギーが足りない。アンジェリカは体内のエネルギーゲージが下がっているのを把握するが。既に遅い。セイレーンの発する波は、マム・システムを吞み込もうとしている。


――『宝の在り処は ぼくの地図に! あなたの夢の花は 島の天空に! さあ往こう! 黄金の船は止まらない!』


速度の落ちた鎖鎌は回避される。そして余力で薙ぎ払っていたはずのパターンは、―――効いていない。それどころか、スピードが落ちている分、軌道が読まれやすくなっていて。アンジェリカは鎖鎌を、重厚なガントレットで弾き飛ばしたバルドラを見た瞬間、激しく苦い気持ちを覚えた。すると。

『二番、黒城セイラ。社長室の可愛いメイドさんっすよ~。さ、元気チャージしてこ?』

響いていたローザリンデの歌声が止まり、次いで、セイラのダウナー気味な声が聞こえてくる。セイレーンのマイクが二番手である彼女に渡ったようだ。どうやら、ローザリンデの言っていた「おれたち」というのは、本当に武力を持たない女性陣のことを指している様子。


――『open the door, close the room. Do you khow my heart?』


クールなギターセッションに合わせたロックチューンに、ダウナー系メイドの歌声が合わさる。

アンジェリカは砲台のチャージを諦めて、そのエネルギーを自分の移動に回すことにした。遠距離攻撃が使えないなら、自らの鉄足で轢き潰すしかない。
鉄蜘蛛が、遂に動き出した。巨大な足が振り被られ、銃撃していた戦士の隊列に落とされようとする。が、戦士たちは「待ってました!」、「かかった!!」と笑いながら、即座に散開。予想外の動きを見せつけられたアンジェリカが、一瞬だけ呆気に取られた隙を見逃さない男が、一人。

「砕け散れッッ!!」

ソラがアストライアーを目一杯に振り被り、地面に落とされようとした鉄蜘蛛の足の関節に、その斧の刃を叩き込む。すると、あんなにも堅牢だったはずの鉄蜘蛛の足が、呆気なく折れてしまったではないか。


――『your mind, my emotion, singing our passion.』


セイラの歌声がセイレーンによって、アンジェリカを摩耗させていくのが分かった。その証拠に、ソラによって折られた足は回復する様子を見せない。そのうえ、鉄蜘蛛全体の装甲の表面に、じわじわと錆びが走っていくのが確認できる。

『三番!ウチはマリー!!泣く子も黙る現役JK!!ウチのコードで昇天しな!!』

マイクは三番手に繋がった。今度は、鞠絵。ただ、妹の登壇を告げられた、兄・ナオトが「えっ?!!?」と珍しく大きめな声を出した挙句、ハサミで切ろうとした包帯を手から取り落としたのは、現場内での秘密にしておいて欲しいところ。


――『可愛い素振りで sorry! 隠した努力は infinity! 流した涙は eternity!』


流行のアイドルソングで、軽妙にリリックを紡ぐ、鞠絵の歌声。
アンジェリカはとうとう、頭を両手で押さえて、悲鳴を上げ始めた。マム・システムの内部機構が軋み始めている。セイレーンは確実に、彼女を蝕み、崩壊の呼び風を吹き込んでいた。


――『王子様は来ない? だったら迎えに行くの! ハリボテのドレスはno thank you!』


「対戦車砲、用意!―――撃て!!」

ソラが距離を取ったのを確認したレイジが叫び、準備していた対戦車砲が火を噴く。砲弾はアンジェリカの胴体、足の砲台に叩き込まれた。セイレーン発動前には、びくともしなかったはずのアンジェリカと鉄蜘蛛。だが、今は被弾した部分へ派手にヒビが入る。彼女へのダメージは、確実に蓄積されていた。
鉄蜘蛛の砲台が、煙を上げて、壊れるのが見える。アンジェリカが鉄蜘蛛の上で、目に見えて、ぐったりとし始めていた。


――『このステージから見渡せるの! 今すぐ あなたの居場所まで翔けていくわmy prince!♡』


「次弾装填、ーーうぉッ!?」

対戦車砲で更に畳み掛けようとしたレイジだったが。唐突にアンジェリカから飛んできた複数本の鎖鎌に驚きながらも、華麗に回避を決める。おかげでレイジは無傷であったが、対して、対戦車砲には自走機能のみで、シールドは付与されていないため、砲身が派手に傷付いてしまった。鎖鎌による、大きな亀裂が入ったところから火花が散り始める。

肩から提げていた機関銃をアンジェリカに向けたレイジは、同時に、彼女と眼が合った。―――虚ろな視線。濁った黄金色の瞳には、ノイズパータンが入っており、アンジェリカの限界を物語っている。だが、鉄蜘蛛の方には未だ息があるのだ。故に、攻撃を止めない。止めることが出来ない。

「レイジ社長。決めの一矢は、俺にお任せください」

レイジの背後から、そう言いながら、輝が現れた。自身の得物である弓型武器『雷翅(らいし)』を構えると、エネルギーボウが生成される。すると。

『よ、四番…!優那・リーグスティです…!セイレーンの稼働時間は、私のターンで終わりだそうです。と、とにかく、行きますよ!』

セイレーンから優那の声がした。輝の眼と指先が、一瞬、揺らぐ。だが。


――『夜の風が吹く街で あなたと別れたホームの内側 白線が私達のボーダーライン』


自分の妹が歌うのは、男性アイドルのバラード。輝もヒットチャートからのランダム再生で、よく耳にしていたことを思い出した。

「……、これ、良い曲だよな。そっか…、優那が歌うと、こんなに印象が変わるんだな。知らなかったよ…」

輝の独り言は、レイジには聞こえていたが。…彼は、うら若き戦士の言葉に、返答はしなかった。リーグスティ家の双子の因縁は、レイジは優那から聞きかじっている。それゆえ、兄の輝が、妹の優那へ不条理な仕打ちをしていたことは、把握済みだ。だからこそ、『沈黙』を選んだレイジの優しさが、垣間見える。
輝が構える、エネルギーボウのパワーがチャージされていく。


――『あなたの溜め息さえ この街にはひとつの雫でしかなくて』


「射抜け!翠燕!!」

優那の歌声と、輝が叫びがシンクロした。瞬間、エネルギーボウが放たれる。
低空飛行の燕のように、真っ直ぐに飛ぶ矢が、アンジェリカの左胸を一閃した途端、―――彼女は胴体を激しく仰け反らせた。

エネルギーボウがダメージを与えたと同時に、霧散して。そこに、アンジェリカの胸の中から、文字通り、ぬらぬらと生き物のように蠢く球体が、飛び出してきた。

「マム・システムの核、露出!」

レイジがそう叫ぶ。すると、彼の背後で、更に二人分の靴音がした。それに対して、輝が安心したかのような表情をして、下がっていく。

「マム・システムの本体と核を切り離す。
 人間の出番は、これで最後だ。行くぞ、琉一」
「『マム・システムの本体と核を切り離す』―――作戦内容を、確認。再出撃します」

ソラと琉一だ。彼らは、それぞれの得物を手に、戦場へと再降臨する。ソラの言う通り、「人間がこの戦場に立つのは、二人で最後」と、幕引きをしに来た。

二人が同時に走り出す。アンジェリカは微動だにしないが、鉄蜘蛛の攻撃本能だけが動いて、ソラと琉一を排除しようと試みる。

もう朽ちてしまいそうなほど錆びた鎖鎌が飛んで来るが、ソラと琉一は揃って空中で回避した。琉一に至っては、回転しながら銃撃をし、鉄蜘蛛の最後の一脚の関節部分を撃ち抜いてみせる。その時点で完全に制御機構を失った鎖鎌はバラバラに千切れると同時に、霧散した。

琉一が、二梃一対であるユースティティアの、右手用の方の銃底を押す。


――『Judgment.』


AI音声が鳴ると同時に、エナジーバレットが収束し始めた。キィィイイン…!!という空気が震える音がする。

琉一は、しかと狙いを定めて。もう光を喪うことが分かっているその眼に、撃ち抜くべき対象を、見定めて。―――トリガーを引いた。

風を切り裂き、地を抉るようなビーム砲が放たれて、アンジェリカと鉄蜘蛛の両方が、その光線に晒される。光線が晴れた先には、最早、廃棄寸前の玩具のように錆び付き、ボロボロになったアンジェリカ。同時に、撃った反動が凄まじく、琉一は、その場に膝からくずおれた。だが、まだ終わってはいない。


――『Execute.』


アストライアーの必殺技を起動したことで鳴るAI音声と共に、ソラが飛び上がる。電磁パルスを迸らせた戦斧の柄を握り締め、身体ごと回転させながら、勢いをつけて刃を振り落とす。

「吼えろッ!!アストライアーッッ!!」

ソラが叫ぶと、発光が更に強くなった。そして、その刃がアンジェリカと鉄蜘蛛の接合部分に叩き込まれる。バチバチバチバチ!!!!と電光が激しくスパークしたかと思えば、―――アンジェリカが、鉄蜘蛛から分離した。鉄蜘蛛は瓦礫と朽ち果てたが、気絶したアンジェリカ自身は、切り離された衝撃で、背後の海に投げ出されそうになって―――

そのボロボロの手をがっちりと掴む、人間の手が在る。

「あんたには、まだ、『残って貰わない』と、困るっつーの…!」

レイジだった。

ソラが手伝い、レイジがアンジェリカを引っ張り上げる。…、すると、剥き出しになっているマム・システムの核が、アンジェリカから離れ、高速で海原へと飛び出して行った。
しかし、誰もミスを犯したとは思っていない。むしろ。

「…、やっと、あんたの出番だぜ、ルカ兄」

レイジがそう呟くと。背後からヒールの踵が地を蹴る音がした。いつもは、そんな音は立てないはずなのに。―――そう、ルカという男に限って。

「ありがとう、皆。おかげで、母さん本体は保存しつつ、本当に壊したかったマム・システムの核だけを、オレはようやくロックオンすることが出来るよ。
 さて、人間の子たちが必死にお膳立てしてくれた、せっかく晴れ舞台だね。派手に花火でもあげちゃおうか?」

ルカがそう言いながら、黒革の手袋を外す。隣に立っているツバサがそれを受け取り、彼の目線を合わせた。ルカが微笑む。ツバサが、ホルダー『ALICE』として、彼に命令を出した。

「ルカ、出撃」




to be continued...
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