第七章 再始動
鉄蜘蛛と化したアンジェリカに、グレイス隊からの無数の銃弾が叩き込まれる。
そのとき、グレイス隊の隊列の隙間を縫って、対戦車砲が現れた。あれはグレイス隊の装備ではない。しかし、それを悠長に考えている暇などあるわけでもなかった。銃撃が一旦、止む。
「妹姫!失礼!」
押し倒したツバサを庇い続けていた琉一がそう叫び、彼女の身体を抱え上げ、対戦車砲の余波に巻き込まれない場所まで一気に走り出した。その速度と瞬発力、とても成人女性を抱えているような走力とは思えない。やはり琉一が『改造人間』であることを証左である。
「対戦車砲、―――発射ッ!!」
ソラの声とは違う、もっと若い男のそれが叫ぶのが聞こえた。瞬間、砲台が火を噴き、アンジェリカへと砲弾が叩き込まれる。被弾したアンジェリカと、砲弾そのものが爆破するのと、ツバサを抱えた琉一が錆びて朽ちかけている輸送コンテナの陰に飛び込むのは、ほぼ同時だった。
「妹姫、お怪我は―――、ッ!」
ツバサの安否を問おうとした琉一が、即座にユースティティアを構える。銃口の先に居たのは、朽ちた輸送コンテナが積み上げられた壁に寄りかかって座り込む、ミセス・リーグスティだった。
「……殺すなら殺してちょうだい…。あんな化け物に八つ裂きにされるくらいなら…、此処でゴミにように死んだ方がマシよ…。
さあ、私が憎いのでしょう…?私を殺して、彩葉を護りたいのでしょう…?さっさとやりなさいな…、りゅーちゃん…」
覇気も生気も無い声が、ミセス・リーグスティから呟きとして漏れ聞こえてくる。視線も虚ろで、まるで生きることを諦めていた。彼女にはもう『幸せな未来』などどうでも良くて。ただただ、怪物と化したアンジェリカにその身を引き裂かれるくらいなら、琉一の敵討ちとして散りたいと、願っている。―――そうやって。死ぬことで、逃げようとしていた。
「…。」
琉一が黙りこむ。その銃口は依然としてミセス・リーグスティに向けられたままだが、不思議と、変貌前のアンジェリカと口争いをしていたときのような、苛烈な殺気や狂気は見受けられない。それどころか、ツバサが声を掛けようとする前に、銃口を下ろしてしまった。
その行動に、ミセス・リーグスティの顔に驚愕が浮かぶ。対して、ツバサの胸中には、何か嫌な予感めいたモノが浮かんでいた。――…琉一は、まだ何かを隠している気がする、と。
その予感をなぞるかのように、琉一の口が動いた。
「…、自分の余命は、あと三年と言われています」
「「…!?」」
衝撃的な言葉が聞こえ、ツバサとミセス・リーグスティは声も無く、驚く。身を隠している輸送コンテナの陰の向こうで、対戦車砲の弾が炸裂する音が、遠く、轟いていた。
琉一の『第二の告解』が始まる。
「貴女を殺すためと傭兵になったときに、無理な改造を加えられたことは、お話しましたね。その後も、これを維持するために、更にメスを入れられる必要がありました。
自分に身体を支えているモノは「新時代の技術」と言えば聞こえが良いですが、…その真の意味は、まだまだ「研究段階の代物で、出力もバランスも不安定」というだけです。
結局、無理矢理、この改造された身体を維持する代償として、心臓を始めとする、自前の内臓に多大な負荷がかかっており、…結果、「人間としてマトモに生きられても、あと七年だ」と軍医団から言われたのが、四年前です。故に、自分の余命は、あと三年ということです。
ですが、自分の場合、命より先に、視力を喪う方が早いでしょうね。この義眼は未だに代替品が開発されず、埋め込まれて十年間、ずっと動き続けていて…、そろそろ限界が近いのです。視力補正のための義眼でありながら、この眼鏡を掛けているのも、最初こそ変装的な意味合いが強かったのですが、最近は、視力低下が激しいので…。もう既に、レンズによる矯正のレベルは、人智を超えた数値になりつつあります」
かつて戦場で息吹を浴びた少年は、今、この戦場にて無価値になりつつあるという。何と無情な現実だろう。科学の限界と片付けるには、むごすぎる。琉一にメスを入れた軍医たちとやらは、結局、「戦士としての琉一を欲していた」というより、「新時代への生贄が欲しかった」だけなのだ。日常生活に使うボールペンから、医療現場の注射器、そして軍需産業によるミサイルに至るまで、常に仮説を証明するのが科学であり、人間の営みは、その科学による恩恵で成り立っている。しかし、それで容易く犠牲にして良い命など、何処にも無いのだ。
「イヴェット。自分が此処まで生きて来れたのは、間違いなく、貴女へ抱いた身勝手な復讐心です。ですが、あのような醜悪な母性の権化を目の当たりにしては…」
琉一の言葉が、一旦、切れて。彼は神経質な瞳を背後にやる。そこには、狙撃銃で蜘蛛の足を撃たれながらも、尚も堅牢に対抗しているアンジェリカの姿があった。琉一の視線が再び戻り、ミセス・リーグスティへと台詞の続きを紡ぐ。
「…今は、この残り少ない時間を、本当に大切なひとを護るために使いたい、と。そう考え始めています。
最後まで身勝手な若輩者で、誠に申し訳ございませんでした。此処を切り抜けるまでは、妹姫同様、貴女の身も自分が護りましょう。貴女は生きて、然るべき機関と、真に相応しい人物から裁きを受けるべきです。三歳からまるで成長していない男と、暴走した機械的生命体が執行する私刑如きで、散って良い命など、貴女は有していません。
仮にこの戦場で死ぬとすれば、―――それは、とうに改造人間に等しい、不可逆な存在と成り下げた自分だけで、充分でしょ―――、ッッ!!??」
―――パァンッ!!
琉一の台詞は、その最後に響いた頬を引っ叩く音に遮られ、途切れた。
息を呑むツバサの視線の先には、顔を真っ赤にしたミセス・リーグスティが、琉一をビンタした手を宙ぶらりんにしているではないか。その様子は、まるで―――。
ミセス・リーグスティが怒鳴り始める。
「子どもの分際で!!ナマ言ってんじゃないわッ!!『護る』だの『余命』だの綺麗な言葉を並べてるだけで、結局、アンタは自分の死に場所が欲しいだけだろーがッ!?
そんな「如何にも高潔です」みたいなテーマ掲げるだけで英雄を気取るんじゃないよ!!カネは増やせば良いけど、命は増やせないんだ!!ましてやアンタは男だ!!命を増やすって意味では、子どもなんて産めない!!男ならキャリア積んで、カネを稼いで、立派に生きてみろ!!たまには酒やご馳走を囲んで、好きな女でも男でも侍らせて、めいっぱい遊べ!!
ちょっと過激な紛争地や人生現場を渡り歩いたからって!!言ってることもやってることも、アンタなんて!!まるで子どもだわ!!
誰か居なかったの?!あの賢いりゅーちゃんが、こうなるまで叱ってやれる大人は?!居なかったとしたら、それこそ毒親じゃないか!!」
ミセス・リーグスティの言葉は、もう取り繕いも何も無い。それは上品ぶった言葉遣いも投げ捨てて、眼の前に居る「りゅーちゃん」を叱る、一人の女性であった。そう、まるで、―――母親のように。
「りゅーちゃん!アンタが私を殺さないっていうなら!私もこの戦場を立派に歩いてやるわよ!!そもそも、私を誰だと思っていて?!トルバドール・セキュリティーの社長よ!!弊社がROG. COMPANYの武装配備の全てを担っている、我が国最強の民間軍備会社であることも忘れてしまったのかしら?!
成り上がりとて、伊達にウン十年もそこのトップはしてないこと、此処で証明してやる!!
さあ、りゅーちゃんは、さっさと彩葉をルカとソラのところへ送り届けなさい!!アンジェリカは私が引きつけてあげる!!間違ってもりゅーちゃんも彩葉も死なせないし、私も生きて、然るべき場とやらに堂々と出頭してやるわッッ!!」
ミセス・リーグスティはそこまで一気に言い切り、ずっと携帯していた小型拳銃を握り直した。そして、履いているスーツのタイトスカートの裾を、大胆に縦へと破り裂き、己の機動力を少しでも上げる。最後に羽織っていたジャケットを脱ぎ捨て、ミセス・リーグスティは立ち上がった。――、と思った途端。彼女は輸送コンテナの陰から飛び出して行ったではないか。
琉一は面食らう思いを抱きながらも、ツバサをルカのもとへと届ける任務を優先して。拳銃を構えたミセス・リーグスティの視線とは反対側へと、ツバサを連れて走り出す。
「アンジェリカ!!イヴェット・リーグスティはこちらでしてよ!!それとも、貴女が欲しがってるこの首の位置すら、もう正確に把握が出来ないほど、耄碌していらっしゃるのかしら?!」
ミセス・リーグスティはそう怒鳴りながら、二回、発砲した。弾は正確にアンジェリカの胴体を撃つものの、マトモなダメージが通っているようには見えない。対戦車砲にすら耐えるのだから、それもまた道理とも言える。だが、今の論点は、そこではない。
思惑通り、アンジェリカの意識が、グレイス隊からミセス・リーグスティへと向く。濁った黄金色に輝くアンジェリカの瞳が、ミセス・リーグスティを射抜き、ひび割れた唇の端から、歪んだノイズ混じりの声が響いた。
「イヴェット…!イヴェット・リーグスティ…!!マム・システムの基準値を外れた、間違った母性…!排除…!排除する…ッ!!」
「かかっていらっしゃい…!!化け物め…!!この人間の欲望と執念の深さ、とくと御覧じるがよろしい!!」
鉄蜘蛛と化したアンジェリカを前にするのは、余りにも無力さが際立つ。しかし、この母性少女の権化が、母親としてのミセス・リーグスティ自身の醜悪な過去が産んだモノなのだとしたら。それはもう、『今』のミセス・リーグスティとしては、黙って逃げることは出来なくて。
アンジェリカの蜘蛛の足が振り被られる。ビジネスウーマンのシンボル、黒のパンプスで地面をしかと蹴り上げながら、ミセス・リーグスティは、その間を大胆に走り抜けた。死角を突かれたアンジェリカが動揺を見せた隙を逃さず、ミセス・リーグスティが拳銃を発砲する。弾は正確に鉄蜘蛛の足の関節に命中した。前述の通り、ダメージ自体は何も無いが、関節という急所に明確な衝撃が走ったことで、アンジェリカがバランスを崩す。しかし、その黄金色の瞳は、怒気を孕んだまま、走り去ろうとするミセス・リーグスティに向けられていた。絶対に彼女を仕留めるという意思表示。だが、それこそ。ミセス・リーグスティの『目的』であったことを、忘れてはならない。
「撃鉄、起こせ!!――撃ち方始めええッ!!」
この場のモノではない人間の声がした。同時に、特殊弾丸の銃撃が、まるで嵐のようにアンジェリカに降り注ぐ。
黒色の戦闘ユニットが隊列を組み、一糸乱れぬ態勢で、一斉に射撃を繰り返す。それを指揮するのは、―――間違いなく、ROG. COMPANYのデザイナー部門を襲撃してきた、あの兵隊長である。傍らには音色も立っており、借り受けたであろう同じ型のアサルトライフルで、アンジェリカへ弾を叩き込んでいた。
「ピン抜きよし!!放て!!」
次の兵隊長の声掛けにより、銃撃を止めていた一部の戦闘ユニットたちが手榴弾を放つ。音色が絡新婦を展開させて、高エネルギーシールドを兵隊長と自分の前に張った。直後、大量の手榴弾がアンジェリカの足元で、大爆発を起こす。鉄蜘蛛にダメージはなくとも、立っている地面そのものを抉られたことで、更にバランスを崩したアンジェリカは、忌々し気に、しかし、どうして敵陣が自分の予測から外れた陣形を組んでいるのかを思考しようとする。
ROG. COMPANYのデザイナー部門と、イルフィーダ隊を騙ったミセス・リーグスティの部隊の兵隊長は、対立していたはず―――!
それなのに、何故?!こうして手を組むような真似をしている…?!
「うふふ♡敵が同じなら、人間同士で争う必要なんてなくってよぉ?
そうでしょう?兵隊長さぁん?♡此処から生きて帰れたら、貴方が散々迷惑を掛けたわたしの可愛い部下たちに、美味しい焼肉を奢ってくれるという約束、忘れないでね?♡」
「勿論ですとも!乙女樹主任!貴方のご要望なら何なりと!」
音色と兵隊長の間で、何やら怪しい取引がなされている雰囲気があるが。…それはそうと、二人のやり取りを見ることで、『対立していた勢力同士が手を組んだ』という図式が、これでハッキリと分かった。
――――…。
グレイス隊、イルフィーダ隊列内。
「オトが人たらしで良かったわー…。チカラで捻じ伏せて弱った相手に、自分の都合の良い条件を出して、従わせる…。勿論、相手の要件も叶える…。バルドラのおっさんが仕込んだんだろーよ…。
あの手の奴は、マジで魔性だからなー。気を付けねえと、尻の毛まで抜かれる…。あの兵隊長…、本当に焼肉だけで済めば良いけどさあ…」
グレイス隊と、そこに混ざるイルフィーダ隊に、同じく混じっていたレイジが、最前線を双眼鏡で様子見しながら、そう独り言ちる。そんな彼も、いつものツナギの上から、防弾チョッキを着込み、肩からは大型の機関銃を提げている格好だ。ルカに育てられたレイジは、戦場に降り立つ意味を、きちんと理解している。
現に、最初にアンジェリカに砲弾を叩き込んだ対戦車砲は、イルフィーダ隊にだけ配備されているモノ。…あの時点で、ソラが自分の指揮系統にレイジを介入させることを許可していたあたり…、やはり、ROG. COMPANYというのは、一筋縄ではいかぬ集団なのだ。
「乙女樹主任への評価に見せかけた、自己紹介か?この場には、弊社の社長の履歴書よりも、まずは武力が必要だ」
ソラがスーツから着替えた状態でやってきながら、レイジに声を掛ける。レイジが振り向くと、そこには、所謂、サイバーパンク調のカジュアルファッションに身を包んだソラが、アストライアーを携えて、立っていた。一見、ただの私服に見える洋服は、レイジがデザインし、ルカが予算をつけたことで、KAKASにて仕立てられた、立派な戦闘用衣服である。特殊繊維で編まれているうえに、見えない部分に金属プレートが挟まっていたりと、総じて重量があるのが欠点だが、着こなしてさえいれば、その辺の近所を闊歩するくらい、何ら違和感を生まない。
ショートパンツにニーブーツというデザインは、レイジの発案だが…。太腿を晒すことを厭わないそれを堂々と着こなしてみせるソラの担力と美貌が凄まじい。(…天然産のイケメンってすげー…)と、レイジが胸中で零すのを知って知らずか、ソラがふと、前方へと視線を投げた。そこに居たのは。
「…、琉一か」
「妹姫を、お届けに参りました。どうやら、ルカ三級高等幹部は、大事なホルダーをお迎えにいらっしゃらないご様子ですので」
ソラの言葉に、琉一は涼しい顔付きで答える。大事に抱えていたツバサを地面にゆっくりと降ろす仕草。とても嘘を吐いていたり、建前を嘯いているようには見えない。
ツバサがスカートのシワを手のひらで軽く叩き、首元のスカーフの位置を手早く直してから、琉一へと口を開く。
「ルカが来ないのは、正解です。私が「自分で帰る」と、ルカに言ったので…。その辺で、戦場全体を見物しているのかも…。
それより、…琉一さん、此処まで送ってくださり、感謝申し上げます。後は、弊社のバックアップで休んでください…。お疲れでしょう?温かいお茶を淹れましょうか?」
「お気遣い頂き、ありがとうございます。ですが、自分は戦場に戻らなければなりません。あの暴走したマム・システムを破壊することにシフトすることで、貴女を護ります」
琉一は淡々と返すと、ガンホルダーに手を掛けて、ユースティティアを引き抜こうとした。本当に戦場へとんぼ返りするつもりである。しかし、そこに振って湧いた、艶のある低音ボイス。
「まあ、そんなに生き急ぐ必要は無いんだよ?例え、キミが「改造のせいで余命三年だ」と言われても、ね。
一旦、医師の問診を受けて、お茶で一息入れて、オレたち側が用意したお洋服に着替えて…。そうしたら、いま見える景色の一つくらい、変わってくるかもよ?」
―――、ルカだ。汚れ一つ無い白色のジャケットを、肩だけで羽織っている。これが彼の外勤スタイルだ。腕まくりした黒シャツは変わらないし、ずり落ちた青色のネクタイもそのままではあるが。
「案外と味方は多いもんだよ。此処まで独りぼっちで頑張ってきた分、オレたちが支援してあげる。ダイジョーブだって。オレが何者か忘れちゃった?
史上最強の軍事兵器『LUKA』――ー、人間に勝手に海底から掘り起こされて、兵器として改ざんを受けて、二百年越しに壊されそうになった事案を乗り越えて見せた、そんなオレだよ?
ねえ?少しくらい、自分のお仲間以外も、キミは信頼してみようか。少なくとも、オレの懐に入ってくれば、人間が想像する何倍も最高にして最強のエンドロールを見せてあげるコトは可能だよ?」
ルカがそう言うと同時に、イルフィーダ隊の対戦車砲が発射された轟音がBGMとして響き、地面が微かに鳴る。火薬の匂いが立ち込める中、琉一は静かに決断した―――…。
――――…。
最前線。
対アンジェリカ部隊として組んでいる、音色と兵隊長、そして戦闘ユニットたちは、ジリジリと撤退の機会を伺いつつあった。弾薬や擲弾には限りがあるうえに、何より、アンジェリカ自身が、攻撃を受ければ受けるほど、苛立ちを募らせているのが分かる。音色は本能で察知していた。―――あれは、何か爆発的な攻撃力を溜め込み始めているはずだ、と。人間が微弱なストレスを受け続けると、ある日突然に発狂するのと同じ原理である。
アンジェリカの黄金色の瞳が、一際、ギラリ!と輝いたとき。音色の中の警鐘がけたたましく鳴り響き、彼は咄嗟に叫んだ。
「伏せてッッ!!!!」
そう怒鳴ると同時に、高エネルギーシールドを張る。刹那、アンジェリカの鉄蜘蛛の足から解き放たれたケーブルめいたモノが、音色と兵隊長の前方に居た戦闘ユニットたちに、次々と突き刺さる。絡新婦は元々、単騎戦闘用だ。シールドは音色と兵隊長を守れる範囲しか広がらない。故に、彼らはケーブルに刺され、絡め取られていく戦闘ユニットが、アンジェリカに引っ張られていくのを、歯痒い想いと共に眺めることしか出来ない。己たちの命運を悟った戦闘ユニットたちは、持っていた機関銃、擲弾、弾倉などを、二人の手が届くであろう範囲に投げ飛ばしてきた。―――最後の最後でラーニングした現実が、戦場に惜別の感情を生む。
アンジェリカの鉄蜘蛛が更に膨れ上がり、新たな姿へと変貌していく。
それを見た音色は絡新婦のアームの一本で、戦闘ユニットが残した煙幕手榴弾を器用に、そして素早く拾い上げ、手元まで持ってきた。
「此処はもう、わたしたちでは持ち堪えられないわ!牽制は若社長とソラ秘書官に任せて、わたしたちは撤退するわよ!」
音色は兵隊長にそう言うと、手榴弾のピンを抜き、アンジェリカに向けて投げ放った。煙幕が立ち上り、アンジェリカの視界が眩む。その隙に、音色と兵隊長は持て得る全速力で、その場を後にしていった。
撤退の足音の背後で、鉄蜘蛛の爪がコンクリートを裂く悲鳴が響く。煙の向こうで、暴走した母性の怪物が、戦闘ユニットたちを喰らうような音を立てている。この世の終わりを告げる合図があるとしたら、あのような音に表現されるのかもしれない。火薬の残り香が、まるで焦げた胎盤のように空気を覆った。
――――…。
グレイス隊、イルフィーダ隊列内。
音色と兵隊長が合流するのを、レイジは待っていた。あの二人が帰ってこないことには、対戦車砲が使えないからだ。が、おかしなことに気が付く。まだ一人、残っているのでは―――…?
「ミセス・リーグスティは…?あいつ、何処までアンジェリカを引き付けようとして―――」
レイジが双眼鏡でミセス・リーグスティが居るであろう方角を見やる。煙が少し立ち込めるなか―――…
…―――そこには、片足を引き摺りながら、周囲に飛び散った瓦礫伝いに、必死の形相と態勢で、こちらへ進んで来る、ミセス・リーグスティの姿が在った。
「やべぇっ!怪我してんのかよ?!しかも足?!
イルフィーダ隊!盾一体、銃二体で隊列組め!ミセス・リーグスティを回収してこい!急げ!」
レイジが素早く指示を飛ばし、それを受理したイルフィーダ隊のロボット兵が支度をする。命令通り、盾兵が一体、銃兵が二体だ。すると。
「―――彼女の回収には、俺も行きます」
聞き慣れぬ声がした。レイジが振り向くと、そこに立っていたのは、白色の騎士仕立ての服を着た少年で―――…。
「あんた―――」
レイジが少年へ何かを言う前に、一陣の風が吹きすさぶ。
硝煙の匂いが舞う。戦場を覆い隠す煙が、捲られる。
――――…。
(…私も、此処までか…)
そう考えつつも。ミセス・リーグスティは、捻った右足を引き摺りながら、ROG. COMPANYが敷いている陣営へと真っ直ぐに歩いていた。帰れるものなから帰りたい。生きて、生き延びて。白昼の陽の下で、堂々と然るべき機関と人物からの裁きを受けるのだ。例え、その果てが、永遠の闇の底に閉じ込められる仕置きになろうとも。
琉一が命を捨てるような言動をしたとき。あのとき。心からの怒声が出た。あんなにヒステリックに喚き散らすなど、実子である輝と優那にもしたことがない。彩葉にだって、勿論。いや、むしろ。
「己の欲を優先して、互いの感情を捨て去った、あの教育方針は…」
…―――間違いであった。ビジネスと育児を一緒くたにし、評価制教育など敷いた双子には、本当に悪いことをした。でも、もう。大丈夫だろう。
輝は眼の前で連れ去られたが、あの優しいりゅーちゃんこと、琉一が手配したのであれば命の危機は無いだろうし。優那はROG. COMPANYで将来的に安定した地位に就けるだろう。
双子の母親離れ、否、母である自分こそが子離れ、…あの子たちを自由にするときが、やってきた。
煙幕に巻かれたまずのアンジェリカが、咆哮するのが聞こえる。鉄蜘蛛が再び変貌をし始めたのは、こちらからも見ていた。
一陣の強い、風が、吹きすさぶ。
アンジェリカの眼を眩ましていた煙幕が捲り上がる。だがそれは、まるで、怪物がステージにお披露目されるために巻き上げれた緞帳(どんちょう)のようでもあった。
ミセス・リーグスティが、残りの弾数が三発になった小型拳銃を、アンジェリカの方へと向ける。正確な射撃をするために構えれば、捻った足は痛むが、そんなことはどうでもいい。
煙の幕が晴れた先に現れたのは、―――更に凶暴化した鉄蜘蛛だった。
足のカタチは四本のみとなり、しかしそれは肥大化している。残りは巨大な機構に変化していた。砲台、巨剣、鎖鎌のようなパーツが見える。
最早、あれは『母性』を名乗るシステムでは無い。―――ただの破壊兵器だ。厄介なのは、同じ兵器であるはずのルカと違って、アンジェリカの自我に伴う感情の制御が、今や不完全であること。その一点に尽きる。
アンジェリカにも、ルカのホルダーシステムのように、外部からの絶対命令権と、その対象の絶対保護という名の、堅牢な制御装置さえ整っていれば。…こうなる可能性は、少しでも低かったのかもしれない。或いは、ルカのように、人間社会への興味関心が希薄な自我が宿っていたら…。
「…『たられば』は、止めにしましょう。こんな悲劇は、此処でお終いにしないと。
私は、トルバドール・セキュリティーの社長…。民間とはいえ、兵器を扱う会社のトップらしく、最期まで、その業と向き合う…!」
ミセス・リーグスティはそう決心したように独り言ちると。小型拳銃を握り直し、アンジェリカへと怒鳴る。
「マム・システム!!イヴェット・リーグスティは此処よ!!さあ、かかっていらっしゃい!!その化け物めいた装備が、ただのアクセサリーでなければね!!」
そう叫び、一発だけ発砲する。銃弾がアンジェリカの胴体に当たったとで、彼女の意識を、見事、引き寄せた。
「イヴェット…!イヴェットォォ…!!マム・システムが弾き出した、劣悪な不正解…!!私の再構築を促した、全ての元凶…!!
逃がさない…!!逃がさない逃がさない逃がさない逃がさないぃぃぃぃぃいいいッッ!!!!」
アンジェリカがそう吠えながら、ミセス・リーグスティへと猛烈な勢いで突進してくる。そのスピード、鈍重そうな見た目に激しくそぐわぬ。むしろ、戦闘ユニットを追加で吸収した分、パワーをリチャージしたのか、出力が上昇しているまでもあるだろうか。
ミセス・リーグスティは怯まずに、拳銃のトリガーを引く。だが、アンジェリカが突進してくる余波で、地面が揺れ、おまけに彼女自身のシルエットがブレていることで。此処で初めてミセス・リーグスティは弾を外した。アンジェリカの眼を狙いたかったはずの銃弾は、空中を裂いただけである。もう弾は残っていない。ミセス・リーグスティは使い物にならなくなった小型拳銃を投げ捨て、スカートの裾に隠し持っていたサバイバルナイフを取り出した。小さなナイフ一本で、どうにかなる相手ではないことは、誰が見ても、そしてミセス・リーグスティ自身にも分かる。だが、彼女は諦めない。最後まで足掻くと決めた。足掻いた結果が、自分を裁きの場を導く標(しるべ)となれ、と願う。
ナイフを構える。狙うは―――、可動している関節部分。そこにナイフを突き刺すことが出来れば、一瞬でもアンジェリカの動きは止まろう。その隙に、ミセス・リーグスティが海へと飛び込んでしまえば、イルフィーダ隊の対戦車砲が火を噴けるはず。あの状態のアンジェリカでは、きっと水中活動には対応していない。海にさえ飛び込んで、普段の救難訓練や指南通りに水面に浮かんで、救助を待つ。―――他力本願になってしまうのが口惜しいが、片足を捻挫した今のミセス・リーグスティでは、これが最善策と思えた。
迫りくる鉄蜘蛛に、ミセス・リーグスティが、ギリ…、と奥歯を噛んだ。―――そのとき。
一発の矢が、アンジェリカの左眼を貫く。―――正確に言えば、矢のカタチをしたエネルギーボウだ。
「ア゛ア゛ア゛ア゛ァ゛ァ゛ア゛ァァアアアアアッッッッ!!!!」
アンジェリカが痛みで慟哭する。その悲鳴は、天を貫くかのような怒りと哀しさが、同じ色で内包されていた。
「誰だッッッッ!!??この母の邪魔をするなッッッッ!!!!」
エネルギーボウを素手で掴んで眼窩から引き抜き、アンジェリカは矢が飛んできた方向へと叫ぶ。左眼からは血飛沫が舞うも、それはすぐにタールのような黒色のナニか変わる。異形の母性を射抜いたモノとは―――?!
「弓野入アンジェリカ、通称『マム・システム』。―――今から貴女の相手は、俺たちだ!」
そう高らかに宣言した少年の出で立ちは、白色の騎士仕立ての洋服を召し込み、漆黒の機械仕掛けの弓型武器を携え、母親譲りの金髪を、戦場のひりつく風に靡かせていた。
見紛うものか。―――彼こそ、輝・リーグスティ。母のイヴェット・リーグスティから離れ、本土の陸地で戦士として生まれ変わった少年が。今や、真っ直ぐに実母を斬り裂こうとした怪物へと、意志の強い瞳を向けている。
「ひ、ひかり…?輝なの…?」
ミセス・リーグスティが信じられないモノを見たとでも言いたげな眼で、輝を眺めている。自分が育ててきた息子のはずなのに、―――母としての自分が、まるで知らない、凛々しい大人びた顔付きをしているではないか。
「お母様。俺の仲間が、貴女を味方の陣営へと送ります。
矢槻さん、母をお願い致します。怪我をしているので、出来るだけ迅速に…」
「勿論だとも。僕に任せたまえ。
ミセス・リーグスティ、この雪坂矢槻がエスコートさせて頂きます。さあ、お手をどうぞ」
別人のような(否、本人的はこちらが素であるのだが…)矢槻が、ミセス・リーグスティの手を取り、すぐさま抱え上げる。そして、軽いとばかりに走り出した。
矢槻に抱えられた手前、すれ違う形になったものの。ミセス・リーグスティには、輝の『仲間たち』の面子がハッキリと見えた。
「サクラメンス・バンクが頭取・乙女樹バルドラ!参る!!
かつての儂の盟友たち!!化け物退治だ!!血を沸かせ!!肉を躍らせろ!!存分に戦うぞ!!!!」
『応ーーーーッッ!!!!』
武装したバルドラと、彼が傭兵時代に仲間として戦ったであろう戦士たちが、一斉に咆哮を上げる。武器を持つ者も、戦旗を掲げる者も、皆等しく、此処では勇士。戦場こそ居場所と生きてきた猛者累々。
すると、そこに入り込んできた、冷静な声。
「この場では、俺も後輩か。礼儀は尽くすとしよう。
だが、道は開けてくれ。アンジェリカへの『宣告』が必要だ」
ソラだ。アストライアーを肩に担ぎ、つわもの共の強面を物ともせず、悠々と開かれた道を征く。
斧の柄を、ガン!、とコンクリートに突いたソラは、警戒する余り、動きの一切を止めているアンジェリカへと、堂々、宣告を渡した。
「ルカ三級高等幹部は決断した。
マム・システム、貴様はヒルカリオの脅威。よって、楽園都市の軍事兵器たるルカの名のもと、貴様を討伐する。
ルカの秘書官たる俺、…と、此処に集った猛者たちが相手だ。一ミクロンも容赦なく、徹底的に、全ての火力を以て、貴様を叩き潰す。覚悟して貰おうか?」
ソラの宣告に、「いいぞ若造ー!」、「もっとやれー!」と、戦場の先輩もとい猛者たちから冷やかしが飛ぶが。ソラはアストライアーを持ち直し、―――途端、凄まじい闘牙と殺気を迸らせた。翡翠の両眼に、冷たい戦士の光が宿る。そして、それを受けた猛者たちは、冷やかすのを瞬時に止め、各自の得物を握り直した。
焼け焦げるような戦鬼たちのオーラに焚き付けられたアンジェリカが。濁った黄金色の瞳を、再度ギラつかせて、烏合の衆に向けて吠えるが如く、叫ぶ。
「人間よ!!生まれた責任を遂行せよ!!!!
―――この母を!!その罪深き欲望を以て!!この地に産み落とした責任を!!その身で償えッッ!!!!」
かつての人間たちの業が産んだ母性は、現代への時を経て、怪物となり。
いま此処で、この時代を流れる人間たちに、罪深い牙を剥く。
to be continued...
そのとき、グレイス隊の隊列の隙間を縫って、対戦車砲が現れた。あれはグレイス隊の装備ではない。しかし、それを悠長に考えている暇などあるわけでもなかった。銃撃が一旦、止む。
「妹姫!失礼!」
押し倒したツバサを庇い続けていた琉一がそう叫び、彼女の身体を抱え上げ、対戦車砲の余波に巻き込まれない場所まで一気に走り出した。その速度と瞬発力、とても成人女性を抱えているような走力とは思えない。やはり琉一が『改造人間』であることを証左である。
「対戦車砲、―――発射ッ!!」
ソラの声とは違う、もっと若い男のそれが叫ぶのが聞こえた。瞬間、砲台が火を噴き、アンジェリカへと砲弾が叩き込まれる。被弾したアンジェリカと、砲弾そのものが爆破するのと、ツバサを抱えた琉一が錆びて朽ちかけている輸送コンテナの陰に飛び込むのは、ほぼ同時だった。
「妹姫、お怪我は―――、ッ!」
ツバサの安否を問おうとした琉一が、即座にユースティティアを構える。銃口の先に居たのは、朽ちた輸送コンテナが積み上げられた壁に寄りかかって座り込む、ミセス・リーグスティだった。
「……殺すなら殺してちょうだい…。あんな化け物に八つ裂きにされるくらいなら…、此処でゴミにように死んだ方がマシよ…。
さあ、私が憎いのでしょう…?私を殺して、彩葉を護りたいのでしょう…?さっさとやりなさいな…、りゅーちゃん…」
覇気も生気も無い声が、ミセス・リーグスティから呟きとして漏れ聞こえてくる。視線も虚ろで、まるで生きることを諦めていた。彼女にはもう『幸せな未来』などどうでも良くて。ただただ、怪物と化したアンジェリカにその身を引き裂かれるくらいなら、琉一の敵討ちとして散りたいと、願っている。―――そうやって。死ぬことで、逃げようとしていた。
「…。」
琉一が黙りこむ。その銃口は依然としてミセス・リーグスティに向けられたままだが、不思議と、変貌前のアンジェリカと口争いをしていたときのような、苛烈な殺気や狂気は見受けられない。それどころか、ツバサが声を掛けようとする前に、銃口を下ろしてしまった。
その行動に、ミセス・リーグスティの顔に驚愕が浮かぶ。対して、ツバサの胸中には、何か嫌な予感めいたモノが浮かんでいた。――…琉一は、まだ何かを隠している気がする、と。
その予感をなぞるかのように、琉一の口が動いた。
「…、自分の余命は、あと三年と言われています」
「「…!?」」
衝撃的な言葉が聞こえ、ツバサとミセス・リーグスティは声も無く、驚く。身を隠している輸送コンテナの陰の向こうで、対戦車砲の弾が炸裂する音が、遠く、轟いていた。
琉一の『第二の告解』が始まる。
「貴女を殺すためと傭兵になったときに、無理な改造を加えられたことは、お話しましたね。その後も、これを維持するために、更にメスを入れられる必要がありました。
自分に身体を支えているモノは「新時代の技術」と言えば聞こえが良いですが、…その真の意味は、まだまだ「研究段階の代物で、出力もバランスも不安定」というだけです。
結局、無理矢理、この改造された身体を維持する代償として、心臓を始めとする、自前の内臓に多大な負荷がかかっており、…結果、「人間としてマトモに生きられても、あと七年だ」と軍医団から言われたのが、四年前です。故に、自分の余命は、あと三年ということです。
ですが、自分の場合、命より先に、視力を喪う方が早いでしょうね。この義眼は未だに代替品が開発されず、埋め込まれて十年間、ずっと動き続けていて…、そろそろ限界が近いのです。視力補正のための義眼でありながら、この眼鏡を掛けているのも、最初こそ変装的な意味合いが強かったのですが、最近は、視力低下が激しいので…。もう既に、レンズによる矯正のレベルは、人智を超えた数値になりつつあります」
かつて戦場で息吹を浴びた少年は、今、この戦場にて無価値になりつつあるという。何と無情な現実だろう。科学の限界と片付けるには、むごすぎる。琉一にメスを入れた軍医たちとやらは、結局、「戦士としての琉一を欲していた」というより、「新時代への生贄が欲しかった」だけなのだ。日常生活に使うボールペンから、医療現場の注射器、そして軍需産業によるミサイルに至るまで、常に仮説を証明するのが科学であり、人間の営みは、その科学による恩恵で成り立っている。しかし、それで容易く犠牲にして良い命など、何処にも無いのだ。
「イヴェット。自分が此処まで生きて来れたのは、間違いなく、貴女へ抱いた身勝手な復讐心です。ですが、あのような醜悪な母性の権化を目の当たりにしては…」
琉一の言葉が、一旦、切れて。彼は神経質な瞳を背後にやる。そこには、狙撃銃で蜘蛛の足を撃たれながらも、尚も堅牢に対抗しているアンジェリカの姿があった。琉一の視線が再び戻り、ミセス・リーグスティへと台詞の続きを紡ぐ。
「…今は、この残り少ない時間を、本当に大切なひとを護るために使いたい、と。そう考え始めています。
最後まで身勝手な若輩者で、誠に申し訳ございませんでした。此処を切り抜けるまでは、妹姫同様、貴女の身も自分が護りましょう。貴女は生きて、然るべき機関と、真に相応しい人物から裁きを受けるべきです。三歳からまるで成長していない男と、暴走した機械的生命体が執行する私刑如きで、散って良い命など、貴女は有していません。
仮にこの戦場で死ぬとすれば、―――それは、とうに改造人間に等しい、不可逆な存在と成り下げた自分だけで、充分でしょ―――、ッッ!!??」
―――パァンッ!!
琉一の台詞は、その最後に響いた頬を引っ叩く音に遮られ、途切れた。
息を呑むツバサの視線の先には、顔を真っ赤にしたミセス・リーグスティが、琉一をビンタした手を宙ぶらりんにしているではないか。その様子は、まるで―――。
ミセス・リーグスティが怒鳴り始める。
「子どもの分際で!!ナマ言ってんじゃないわッ!!『護る』だの『余命』だの綺麗な言葉を並べてるだけで、結局、アンタは自分の死に場所が欲しいだけだろーがッ!?
そんな「如何にも高潔です」みたいなテーマ掲げるだけで英雄を気取るんじゃないよ!!カネは増やせば良いけど、命は増やせないんだ!!ましてやアンタは男だ!!命を増やすって意味では、子どもなんて産めない!!男ならキャリア積んで、カネを稼いで、立派に生きてみろ!!たまには酒やご馳走を囲んで、好きな女でも男でも侍らせて、めいっぱい遊べ!!
ちょっと過激な紛争地や人生現場を渡り歩いたからって!!言ってることもやってることも、アンタなんて!!まるで子どもだわ!!
誰か居なかったの?!あの賢いりゅーちゃんが、こうなるまで叱ってやれる大人は?!居なかったとしたら、それこそ毒親じゃないか!!」
ミセス・リーグスティの言葉は、もう取り繕いも何も無い。それは上品ぶった言葉遣いも投げ捨てて、眼の前に居る「りゅーちゃん」を叱る、一人の女性であった。そう、まるで、―――母親のように。
「りゅーちゃん!アンタが私を殺さないっていうなら!私もこの戦場を立派に歩いてやるわよ!!そもそも、私を誰だと思っていて?!トルバドール・セキュリティーの社長よ!!弊社がROG. COMPANYの武装配備の全てを担っている、我が国最強の民間軍備会社であることも忘れてしまったのかしら?!
成り上がりとて、伊達にウン十年もそこのトップはしてないこと、此処で証明してやる!!
さあ、りゅーちゃんは、さっさと彩葉をルカとソラのところへ送り届けなさい!!アンジェリカは私が引きつけてあげる!!間違ってもりゅーちゃんも彩葉も死なせないし、私も生きて、然るべき場とやらに堂々と出頭してやるわッッ!!」
ミセス・リーグスティはそこまで一気に言い切り、ずっと携帯していた小型拳銃を握り直した。そして、履いているスーツのタイトスカートの裾を、大胆に縦へと破り裂き、己の機動力を少しでも上げる。最後に羽織っていたジャケットを脱ぎ捨て、ミセス・リーグスティは立ち上がった。――、と思った途端。彼女は輸送コンテナの陰から飛び出して行ったではないか。
琉一は面食らう思いを抱きながらも、ツバサをルカのもとへと届ける任務を優先して。拳銃を構えたミセス・リーグスティの視線とは反対側へと、ツバサを連れて走り出す。
「アンジェリカ!!イヴェット・リーグスティはこちらでしてよ!!それとも、貴女が欲しがってるこの首の位置すら、もう正確に把握が出来ないほど、耄碌していらっしゃるのかしら?!」
ミセス・リーグスティはそう怒鳴りながら、二回、発砲した。弾は正確にアンジェリカの胴体を撃つものの、マトモなダメージが通っているようには見えない。対戦車砲にすら耐えるのだから、それもまた道理とも言える。だが、今の論点は、そこではない。
思惑通り、アンジェリカの意識が、グレイス隊からミセス・リーグスティへと向く。濁った黄金色に輝くアンジェリカの瞳が、ミセス・リーグスティを射抜き、ひび割れた唇の端から、歪んだノイズ混じりの声が響いた。
「イヴェット…!イヴェット・リーグスティ…!!マム・システムの基準値を外れた、間違った母性…!排除…!排除する…ッ!!」
「かかっていらっしゃい…!!化け物め…!!この人間の欲望と執念の深さ、とくと御覧じるがよろしい!!」
鉄蜘蛛と化したアンジェリカを前にするのは、余りにも無力さが際立つ。しかし、この母性少女の権化が、母親としてのミセス・リーグスティ自身の醜悪な過去が産んだモノなのだとしたら。それはもう、『今』のミセス・リーグスティとしては、黙って逃げることは出来なくて。
アンジェリカの蜘蛛の足が振り被られる。ビジネスウーマンのシンボル、黒のパンプスで地面をしかと蹴り上げながら、ミセス・リーグスティは、その間を大胆に走り抜けた。死角を突かれたアンジェリカが動揺を見せた隙を逃さず、ミセス・リーグスティが拳銃を発砲する。弾は正確に鉄蜘蛛の足の関節に命中した。前述の通り、ダメージ自体は何も無いが、関節という急所に明確な衝撃が走ったことで、アンジェリカがバランスを崩す。しかし、その黄金色の瞳は、怒気を孕んだまま、走り去ろうとするミセス・リーグスティに向けられていた。絶対に彼女を仕留めるという意思表示。だが、それこそ。ミセス・リーグスティの『目的』であったことを、忘れてはならない。
「撃鉄、起こせ!!――撃ち方始めええッ!!」
この場のモノではない人間の声がした。同時に、特殊弾丸の銃撃が、まるで嵐のようにアンジェリカに降り注ぐ。
黒色の戦闘ユニットが隊列を組み、一糸乱れぬ態勢で、一斉に射撃を繰り返す。それを指揮するのは、―――間違いなく、ROG. COMPANYのデザイナー部門を襲撃してきた、あの兵隊長である。傍らには音色も立っており、借り受けたであろう同じ型のアサルトライフルで、アンジェリカへ弾を叩き込んでいた。
「ピン抜きよし!!放て!!」
次の兵隊長の声掛けにより、銃撃を止めていた一部の戦闘ユニットたちが手榴弾を放つ。音色が絡新婦を展開させて、高エネルギーシールドを兵隊長と自分の前に張った。直後、大量の手榴弾がアンジェリカの足元で、大爆発を起こす。鉄蜘蛛にダメージはなくとも、立っている地面そのものを抉られたことで、更にバランスを崩したアンジェリカは、忌々し気に、しかし、どうして敵陣が自分の予測から外れた陣形を組んでいるのかを思考しようとする。
ROG. COMPANYのデザイナー部門と、イルフィーダ隊を騙ったミセス・リーグスティの部隊の兵隊長は、対立していたはず―――!
それなのに、何故?!こうして手を組むような真似をしている…?!
「うふふ♡敵が同じなら、人間同士で争う必要なんてなくってよぉ?
そうでしょう?兵隊長さぁん?♡此処から生きて帰れたら、貴方が散々迷惑を掛けたわたしの可愛い部下たちに、美味しい焼肉を奢ってくれるという約束、忘れないでね?♡」
「勿論ですとも!乙女樹主任!貴方のご要望なら何なりと!」
音色と兵隊長の間で、何やら怪しい取引がなされている雰囲気があるが。…それはそうと、二人のやり取りを見ることで、『対立していた勢力同士が手を組んだ』という図式が、これでハッキリと分かった。
――――…。
グレイス隊、イルフィーダ隊列内。
「オトが人たらしで良かったわー…。チカラで捻じ伏せて弱った相手に、自分の都合の良い条件を出して、従わせる…。勿論、相手の要件も叶える…。バルドラのおっさんが仕込んだんだろーよ…。
あの手の奴は、マジで魔性だからなー。気を付けねえと、尻の毛まで抜かれる…。あの兵隊長…、本当に焼肉だけで済めば良いけどさあ…」
グレイス隊と、そこに混ざるイルフィーダ隊に、同じく混じっていたレイジが、最前線を双眼鏡で様子見しながら、そう独り言ちる。そんな彼も、いつものツナギの上から、防弾チョッキを着込み、肩からは大型の機関銃を提げている格好だ。ルカに育てられたレイジは、戦場に降り立つ意味を、きちんと理解している。
現に、最初にアンジェリカに砲弾を叩き込んだ対戦車砲は、イルフィーダ隊にだけ配備されているモノ。…あの時点で、ソラが自分の指揮系統にレイジを介入させることを許可していたあたり…、やはり、ROG. COMPANYというのは、一筋縄ではいかぬ集団なのだ。
「乙女樹主任への評価に見せかけた、自己紹介か?この場には、弊社の社長の履歴書よりも、まずは武力が必要だ」
ソラがスーツから着替えた状態でやってきながら、レイジに声を掛ける。レイジが振り向くと、そこには、所謂、サイバーパンク調のカジュアルファッションに身を包んだソラが、アストライアーを携えて、立っていた。一見、ただの私服に見える洋服は、レイジがデザインし、ルカが予算をつけたことで、KAKASにて仕立てられた、立派な戦闘用衣服である。特殊繊維で編まれているうえに、見えない部分に金属プレートが挟まっていたりと、総じて重量があるのが欠点だが、着こなしてさえいれば、その辺の近所を闊歩するくらい、何ら違和感を生まない。
ショートパンツにニーブーツというデザインは、レイジの発案だが…。太腿を晒すことを厭わないそれを堂々と着こなしてみせるソラの担力と美貌が凄まじい。(…天然産のイケメンってすげー…)と、レイジが胸中で零すのを知って知らずか、ソラがふと、前方へと視線を投げた。そこに居たのは。
「…、琉一か」
「妹姫を、お届けに参りました。どうやら、ルカ三級高等幹部は、大事なホルダーをお迎えにいらっしゃらないご様子ですので」
ソラの言葉に、琉一は涼しい顔付きで答える。大事に抱えていたツバサを地面にゆっくりと降ろす仕草。とても嘘を吐いていたり、建前を嘯いているようには見えない。
ツバサがスカートのシワを手のひらで軽く叩き、首元のスカーフの位置を手早く直してから、琉一へと口を開く。
「ルカが来ないのは、正解です。私が「自分で帰る」と、ルカに言ったので…。その辺で、戦場全体を見物しているのかも…。
それより、…琉一さん、此処まで送ってくださり、感謝申し上げます。後は、弊社のバックアップで休んでください…。お疲れでしょう?温かいお茶を淹れましょうか?」
「お気遣い頂き、ありがとうございます。ですが、自分は戦場に戻らなければなりません。あの暴走したマム・システムを破壊することにシフトすることで、貴女を護ります」
琉一は淡々と返すと、ガンホルダーに手を掛けて、ユースティティアを引き抜こうとした。本当に戦場へとんぼ返りするつもりである。しかし、そこに振って湧いた、艶のある低音ボイス。
「まあ、そんなに生き急ぐ必要は無いんだよ?例え、キミが「改造のせいで余命三年だ」と言われても、ね。
一旦、医師の問診を受けて、お茶で一息入れて、オレたち側が用意したお洋服に着替えて…。そうしたら、いま見える景色の一つくらい、変わってくるかもよ?」
―――、ルカだ。汚れ一つ無い白色のジャケットを、肩だけで羽織っている。これが彼の外勤スタイルだ。腕まくりした黒シャツは変わらないし、ずり落ちた青色のネクタイもそのままではあるが。
「案外と味方は多いもんだよ。此処まで独りぼっちで頑張ってきた分、オレたちが支援してあげる。ダイジョーブだって。オレが何者か忘れちゃった?
史上最強の軍事兵器『LUKA』――ー、人間に勝手に海底から掘り起こされて、兵器として改ざんを受けて、二百年越しに壊されそうになった事案を乗り越えて見せた、そんなオレだよ?
ねえ?少しくらい、自分のお仲間以外も、キミは信頼してみようか。少なくとも、オレの懐に入ってくれば、人間が想像する何倍も最高にして最強のエンドロールを見せてあげるコトは可能だよ?」
ルカがそう言うと同時に、イルフィーダ隊の対戦車砲が発射された轟音がBGMとして響き、地面が微かに鳴る。火薬の匂いが立ち込める中、琉一は静かに決断した―――…。
――――…。
最前線。
対アンジェリカ部隊として組んでいる、音色と兵隊長、そして戦闘ユニットたちは、ジリジリと撤退の機会を伺いつつあった。弾薬や擲弾には限りがあるうえに、何より、アンジェリカ自身が、攻撃を受ければ受けるほど、苛立ちを募らせているのが分かる。音色は本能で察知していた。―――あれは、何か爆発的な攻撃力を溜め込み始めているはずだ、と。人間が微弱なストレスを受け続けると、ある日突然に発狂するのと同じ原理である。
アンジェリカの黄金色の瞳が、一際、ギラリ!と輝いたとき。音色の中の警鐘がけたたましく鳴り響き、彼は咄嗟に叫んだ。
「伏せてッッ!!!!」
そう怒鳴ると同時に、高エネルギーシールドを張る。刹那、アンジェリカの鉄蜘蛛の足から解き放たれたケーブルめいたモノが、音色と兵隊長の前方に居た戦闘ユニットたちに、次々と突き刺さる。絡新婦は元々、単騎戦闘用だ。シールドは音色と兵隊長を守れる範囲しか広がらない。故に、彼らはケーブルに刺され、絡め取られていく戦闘ユニットが、アンジェリカに引っ張られていくのを、歯痒い想いと共に眺めることしか出来ない。己たちの命運を悟った戦闘ユニットたちは、持っていた機関銃、擲弾、弾倉などを、二人の手が届くであろう範囲に投げ飛ばしてきた。―――最後の最後でラーニングした現実が、戦場に惜別の感情を生む。
アンジェリカの鉄蜘蛛が更に膨れ上がり、新たな姿へと変貌していく。
それを見た音色は絡新婦のアームの一本で、戦闘ユニットが残した煙幕手榴弾を器用に、そして素早く拾い上げ、手元まで持ってきた。
「此処はもう、わたしたちでは持ち堪えられないわ!牽制は若社長とソラ秘書官に任せて、わたしたちは撤退するわよ!」
音色は兵隊長にそう言うと、手榴弾のピンを抜き、アンジェリカに向けて投げ放った。煙幕が立ち上り、アンジェリカの視界が眩む。その隙に、音色と兵隊長は持て得る全速力で、その場を後にしていった。
撤退の足音の背後で、鉄蜘蛛の爪がコンクリートを裂く悲鳴が響く。煙の向こうで、暴走した母性の怪物が、戦闘ユニットたちを喰らうような音を立てている。この世の終わりを告げる合図があるとしたら、あのような音に表現されるのかもしれない。火薬の残り香が、まるで焦げた胎盤のように空気を覆った。
――――…。
グレイス隊、イルフィーダ隊列内。
音色と兵隊長が合流するのを、レイジは待っていた。あの二人が帰ってこないことには、対戦車砲が使えないからだ。が、おかしなことに気が付く。まだ一人、残っているのでは―――…?
「ミセス・リーグスティは…?あいつ、何処までアンジェリカを引き付けようとして―――」
レイジが双眼鏡でミセス・リーグスティが居るであろう方角を見やる。煙が少し立ち込めるなか―――…
…―――そこには、片足を引き摺りながら、周囲に飛び散った瓦礫伝いに、必死の形相と態勢で、こちらへ進んで来る、ミセス・リーグスティの姿が在った。
「やべぇっ!怪我してんのかよ?!しかも足?!
イルフィーダ隊!盾一体、銃二体で隊列組め!ミセス・リーグスティを回収してこい!急げ!」
レイジが素早く指示を飛ばし、それを受理したイルフィーダ隊のロボット兵が支度をする。命令通り、盾兵が一体、銃兵が二体だ。すると。
「―――彼女の回収には、俺も行きます」
聞き慣れぬ声がした。レイジが振り向くと、そこに立っていたのは、白色の騎士仕立ての服を着た少年で―――…。
「あんた―――」
レイジが少年へ何かを言う前に、一陣の風が吹きすさぶ。
硝煙の匂いが舞う。戦場を覆い隠す煙が、捲られる。
――――…。
(…私も、此処までか…)
そう考えつつも。ミセス・リーグスティは、捻った右足を引き摺りながら、ROG. COMPANYが敷いている陣営へと真っ直ぐに歩いていた。帰れるものなから帰りたい。生きて、生き延びて。白昼の陽の下で、堂々と然るべき機関と人物からの裁きを受けるのだ。例え、その果てが、永遠の闇の底に閉じ込められる仕置きになろうとも。
琉一が命を捨てるような言動をしたとき。あのとき。心からの怒声が出た。あんなにヒステリックに喚き散らすなど、実子である輝と優那にもしたことがない。彩葉にだって、勿論。いや、むしろ。
「己の欲を優先して、互いの感情を捨て去った、あの教育方針は…」
…―――間違いであった。ビジネスと育児を一緒くたにし、評価制教育など敷いた双子には、本当に悪いことをした。でも、もう。大丈夫だろう。
輝は眼の前で連れ去られたが、あの優しいりゅーちゃんこと、琉一が手配したのであれば命の危機は無いだろうし。優那はROG. COMPANYで将来的に安定した地位に就けるだろう。
双子の母親離れ、否、母である自分こそが子離れ、…あの子たちを自由にするときが、やってきた。
煙幕に巻かれたまずのアンジェリカが、咆哮するのが聞こえる。鉄蜘蛛が再び変貌をし始めたのは、こちらからも見ていた。
一陣の強い、風が、吹きすさぶ。
アンジェリカの眼を眩ましていた煙幕が捲り上がる。だがそれは、まるで、怪物がステージにお披露目されるために巻き上げれた緞帳(どんちょう)のようでもあった。
ミセス・リーグスティが、残りの弾数が三発になった小型拳銃を、アンジェリカの方へと向ける。正確な射撃をするために構えれば、捻った足は痛むが、そんなことはどうでもいい。
煙の幕が晴れた先に現れたのは、―――更に凶暴化した鉄蜘蛛だった。
足のカタチは四本のみとなり、しかしそれは肥大化している。残りは巨大な機構に変化していた。砲台、巨剣、鎖鎌のようなパーツが見える。
最早、あれは『母性』を名乗るシステムでは無い。―――ただの破壊兵器だ。厄介なのは、同じ兵器であるはずのルカと違って、アンジェリカの自我に伴う感情の制御が、今や不完全であること。その一点に尽きる。
アンジェリカにも、ルカのホルダーシステムのように、外部からの絶対命令権と、その対象の絶対保護という名の、堅牢な制御装置さえ整っていれば。…こうなる可能性は、少しでも低かったのかもしれない。或いは、ルカのように、人間社会への興味関心が希薄な自我が宿っていたら…。
「…『たられば』は、止めにしましょう。こんな悲劇は、此処でお終いにしないと。
私は、トルバドール・セキュリティーの社長…。民間とはいえ、兵器を扱う会社のトップらしく、最期まで、その業と向き合う…!」
ミセス・リーグスティはそう決心したように独り言ちると。小型拳銃を握り直し、アンジェリカへと怒鳴る。
「マム・システム!!イヴェット・リーグスティは此処よ!!さあ、かかっていらっしゃい!!その化け物めいた装備が、ただのアクセサリーでなければね!!」
そう叫び、一発だけ発砲する。銃弾がアンジェリカの胴体に当たったとで、彼女の意識を、見事、引き寄せた。
「イヴェット…!イヴェットォォ…!!マム・システムが弾き出した、劣悪な不正解…!!私の再構築を促した、全ての元凶…!!
逃がさない…!!逃がさない逃がさない逃がさない逃がさないぃぃぃぃぃいいいッッ!!!!」
アンジェリカがそう吠えながら、ミセス・リーグスティへと猛烈な勢いで突進してくる。そのスピード、鈍重そうな見た目に激しくそぐわぬ。むしろ、戦闘ユニットを追加で吸収した分、パワーをリチャージしたのか、出力が上昇しているまでもあるだろうか。
ミセス・リーグスティは怯まずに、拳銃のトリガーを引く。だが、アンジェリカが突進してくる余波で、地面が揺れ、おまけに彼女自身のシルエットがブレていることで。此処で初めてミセス・リーグスティは弾を外した。アンジェリカの眼を狙いたかったはずの銃弾は、空中を裂いただけである。もう弾は残っていない。ミセス・リーグスティは使い物にならなくなった小型拳銃を投げ捨て、スカートの裾に隠し持っていたサバイバルナイフを取り出した。小さなナイフ一本で、どうにかなる相手ではないことは、誰が見ても、そしてミセス・リーグスティ自身にも分かる。だが、彼女は諦めない。最後まで足掻くと決めた。足掻いた結果が、自分を裁きの場を導く標(しるべ)となれ、と願う。
ナイフを構える。狙うは―――、可動している関節部分。そこにナイフを突き刺すことが出来れば、一瞬でもアンジェリカの動きは止まろう。その隙に、ミセス・リーグスティが海へと飛び込んでしまえば、イルフィーダ隊の対戦車砲が火を噴けるはず。あの状態のアンジェリカでは、きっと水中活動には対応していない。海にさえ飛び込んで、普段の救難訓練や指南通りに水面に浮かんで、救助を待つ。―――他力本願になってしまうのが口惜しいが、片足を捻挫した今のミセス・リーグスティでは、これが最善策と思えた。
迫りくる鉄蜘蛛に、ミセス・リーグスティが、ギリ…、と奥歯を噛んだ。―――そのとき。
一発の矢が、アンジェリカの左眼を貫く。―――正確に言えば、矢のカタチをしたエネルギーボウだ。
「ア゛ア゛ア゛ア゛ァ゛ァ゛ア゛ァァアアアアアッッッッ!!!!」
アンジェリカが痛みで慟哭する。その悲鳴は、天を貫くかのような怒りと哀しさが、同じ色で内包されていた。
「誰だッッッッ!!??この母の邪魔をするなッッッッ!!!!」
エネルギーボウを素手で掴んで眼窩から引き抜き、アンジェリカは矢が飛んできた方向へと叫ぶ。左眼からは血飛沫が舞うも、それはすぐにタールのような黒色のナニか変わる。異形の母性を射抜いたモノとは―――?!
「弓野入アンジェリカ、通称『マム・システム』。―――今から貴女の相手は、俺たちだ!」
そう高らかに宣言した少年の出で立ちは、白色の騎士仕立ての洋服を召し込み、漆黒の機械仕掛けの弓型武器を携え、母親譲りの金髪を、戦場のひりつく風に靡かせていた。
見紛うものか。―――彼こそ、輝・リーグスティ。母のイヴェット・リーグスティから離れ、本土の陸地で戦士として生まれ変わった少年が。今や、真っ直ぐに実母を斬り裂こうとした怪物へと、意志の強い瞳を向けている。
「ひ、ひかり…?輝なの…?」
ミセス・リーグスティが信じられないモノを見たとでも言いたげな眼で、輝を眺めている。自分が育ててきた息子のはずなのに、―――母としての自分が、まるで知らない、凛々しい大人びた顔付きをしているではないか。
「お母様。俺の仲間が、貴女を味方の陣営へと送ります。
矢槻さん、母をお願い致します。怪我をしているので、出来るだけ迅速に…」
「勿論だとも。僕に任せたまえ。
ミセス・リーグスティ、この雪坂矢槻がエスコートさせて頂きます。さあ、お手をどうぞ」
別人のような(否、本人的はこちらが素であるのだが…)矢槻が、ミセス・リーグスティの手を取り、すぐさま抱え上げる。そして、軽いとばかりに走り出した。
矢槻に抱えられた手前、すれ違う形になったものの。ミセス・リーグスティには、輝の『仲間たち』の面子がハッキリと見えた。
「サクラメンス・バンクが頭取・乙女樹バルドラ!参る!!
かつての儂の盟友たち!!化け物退治だ!!血を沸かせ!!肉を躍らせろ!!存分に戦うぞ!!!!」
『応ーーーーッッ!!!!』
武装したバルドラと、彼が傭兵時代に仲間として戦ったであろう戦士たちが、一斉に咆哮を上げる。武器を持つ者も、戦旗を掲げる者も、皆等しく、此処では勇士。戦場こそ居場所と生きてきた猛者累々。
すると、そこに入り込んできた、冷静な声。
「この場では、俺も後輩か。礼儀は尽くすとしよう。
だが、道は開けてくれ。アンジェリカへの『宣告』が必要だ」
ソラだ。アストライアーを肩に担ぎ、つわもの共の強面を物ともせず、悠々と開かれた道を征く。
斧の柄を、ガン!、とコンクリートに突いたソラは、警戒する余り、動きの一切を止めているアンジェリカへと、堂々、宣告を渡した。
「ルカ三級高等幹部は決断した。
マム・システム、貴様はヒルカリオの脅威。よって、楽園都市の軍事兵器たるルカの名のもと、貴様を討伐する。
ルカの秘書官たる俺、…と、此処に集った猛者たちが相手だ。一ミクロンも容赦なく、徹底的に、全ての火力を以て、貴様を叩き潰す。覚悟して貰おうか?」
ソラの宣告に、「いいぞ若造ー!」、「もっとやれー!」と、戦場の先輩もとい猛者たちから冷やかしが飛ぶが。ソラはアストライアーを持ち直し、―――途端、凄まじい闘牙と殺気を迸らせた。翡翠の両眼に、冷たい戦士の光が宿る。そして、それを受けた猛者たちは、冷やかすのを瞬時に止め、各自の得物を握り直した。
焼け焦げるような戦鬼たちのオーラに焚き付けられたアンジェリカが。濁った黄金色の瞳を、再度ギラつかせて、烏合の衆に向けて吠えるが如く、叫ぶ。
「人間よ!!生まれた責任を遂行せよ!!!!
―――この母を!!その罪深き欲望を以て!!この地に産み落とした責任を!!その身で償えッッ!!!!」
かつての人間たちの業が産んだ母性は、現代への時を経て、怪物となり。
いま此処で、この時代を流れる人間たちに、罪深い牙を剥く。
to be continued...