第七章 再始動
グレイス隊が、各自の配置に展開する。そこには一分の隙もなく、琉一は勿論、アンジェリカも、ましてや、ミセス・リーグスティの戦闘ユニットさえ、牽制が挟めるような真似など出来やしなかった。
ソラ自身も、アストライアーを持った状態で、鉄火場へと足を踏み入れてくる。そして、互いの間合いギリギリの地点で、歩みを止めて。そこから、琉一へと語りかけた。
「琉一。高校生最後の冬。お前が、クロックヴィール・アカデミーへの首席入学を蹴って、海外へ単身留学したことを、俺はよく覚えている。俺がお前の単身留学を止めようとしたことも、今からでも首席入学を受けるべきだと説得したのも、な。
だが、お前は結局、本土の空港から飛び立って行った。行き先の国名も告げず、ましてや、スマートフォンも、タブレット端末も、学生寮の部屋に置きっぱなしにして…。
しかし、その四年後。何の通告も無しに帰国したお前は…、五か国間を渡り歩き、その過程でロースクールに入学・卒業という土産話と、正式な弁護士の資格を引っ提げた状態で、俺の前に再び現れた」
ソラから語られる、琉一の過去。それは、クロックヴィール・アカデミーの首席を勝ち取ったにも関わらず、単身留学を決意して、連絡手段も絶って、この国から飛び立ったという、かつて少年だった男の『英雄譚』とも取れる。しかし、この場で明かされる真実の一端である以上、これらが普通の物語で終わるはずが無いのだ。
「これだけ見れば、案外と普通だ。…だが、それ以外が、どうにもおかしい。
まず、お前の実家とされる、ステルバス家。我が国及び、周辺隣国の法曹界に於いて、数多の重鎮を輩出している『法律の一族』だ。お前は、そこの息子であると、誰もが信じて疑わない。だが、何故だ?ルカが有する超常的な権限のもと、俺が我が国の戸籍情報を検めると、『琉一=エリト=ステルバス』という人間に対して、『養子』の但し書きがあったのは?…何故と言われることもあるまい。お前は、ステルバス家の血を継いだという意味では、現家督の実子ではないことの証左だ。
次に、お前が海外留学をしていた間…。お前の行動範囲内と思われる国々の出入国の記録、お前が利用した空路・陸路・海路などの情報から割り出された旅路シミュレーションの結果、…お前が渡り歩いている国の数は到底、「五か国間」には収めきれないモノだった。下手をすれば、全世界を回っている勢いだったぞ?ちなみに、弁護士資格を取るために通ったロースクールでは、前代未聞の飛び級をかましたことも分かっている。今もそのスクールの校長室には、お前が卒業式の際に置いて行ったとされる、誉れ高いトロフィーが並んでいるようだな。己の痕跡を残してしまった未熟さは、この場で恥じておくが良い」
隠された現実を突きつける合間に挟まる、痛烈な皮肉。だが、そういうのは料理の中のスパイスのようなモノだ。そう例えば、カレーのルゥに隠し味として放り込む、ひとかけらのチョコレートのように。
だが、いま此処は、ディッシュのカタチをした、裁きの調理場。琉一という男の本性が、如何なるレシピで形作られているのかを解明するステージである。
ソラが続ける。
「お前が渡り歩いていた地には、共通点がある。―――紛争地。つまり、大なり小なりと戦争をしている土地へと、お前は飛び込んでは、一ヶ月半ほどのスパンでそこを離れている。だが、たった一ヶ所だけ、長く滞在していた地があった。お前が『留学』をスタートさせて、すぐのこと。
そこには、国軍指定の軍用病棟が整備されており、最前線で負傷した兵士へのアフターケアが手厚いことで有名な地だ。ユキサカ製薬がその病院に出資していたのも、理由としては大きかろう。…まだ、言わせるか?
ナオト先生が、今から十年前に、アシュヴィンの一員として駐留していた軍用病棟にて出逢ったという少年傭兵。―――それが、琉一、…お前だ。
順当に計算すれば、お前は当時、十七歳。…俺の制止を振り切って、我が国を飛び立った矢先の出来事だったということだ」
その言葉を聞いたナオトが、僅かに顔を上げる。だが、涙に濡れた視界はぼやけて、琉一の表情を上手く捉えられない。
ソラの追求は止まらず、場の空気は益々重くなるばかりだ。
「眼の怪我を負ったお前は、軍用病棟の責任者だった将校から、ある提案を持ち掛けられる。―――新技術の義眼の治験。それは本来、負傷兵に施すための医療だったが、若い傭兵にカネを積ませて行うほうが、担保としては安牌だ。最悪、失敗して何らかの後遺症が残ったとしても、な。
だが、義眼の手術を受けた琉一が叩き出した結果に満足した軍医たちは、更にカネを積み、お前の身体にメスを入れたがる。炭素繊維由来の人工筋肉に、バイオ遺伝子を組み込まれた関節義肢、治癒能力を促進させる細胞技術を用いた人工皮膚、その他諸々…。
お前は、『改造』を受け入れた。それが地獄のような有り様だったのかどうかは、俺には分からん。だが、第三者から見れば、お前の行動は明らかに常軌を逸している」
琉一は最早、視線すら下げている。だが、失意の念を示しているわけではない。その全身からは、未だに闘牙が湧きたっているからだ。ソラに何を言われても、何を問われても、自分は止まる気が無いという、琉一自身の意思表示。それを見ていたソラは、初めて苛立った声を出した。
「母国では親友の声を聞かず、海外の軍医たちの前では人間としての尊厳すら売り払い…、そうして手に入れた戦士としてのチカラで紛争地を渡り歩き、―――最後は、この地に帰ってきた。
一体、何がお前を駆り立てている?アンジェリカを見下した手前、自分は改造人間さながらに成り果てているにも関わらず。そうまでして、イヴェットの首を狙うのは、何が理由だ?あのナオト先生の胸の中にすら焼き付けた、『執念』とやらか?
今一度、聞く。―――琉一…、お前は一体、何処から来た、何者だ?」
怒りを滲ませたソラの声が、琉一に突き刺さる。その場の誰もが、琉一へ視線を向けていた。誰もが、彼の証言を待っている。
長いような、短いような。中途半端な秒数の沈黙が降りた後。…遂に、琉一の唇が動いた。
「自分はただ、…幼い頃にこの眼で見た、たった一つの『命』を護りたいと願っただけです」
そう呟いた琉一は左手の方のユースティティアをホルスターに仕舞い、代わりにその手に端末を握って、出してきた。旧型のスマートフォンだ。画面は派手割れているが、ひとによって丁寧に手入れをされ続け、今日までスマートフォンとしてのカタチを保ってきたのが分かる。
琉一はそれを慣れた手つきで操作し、スピーカーのボリュームを最大レベルにして、音声ファイルを流し始めた。
『…、いっそ、彩葉は孤児院に入れて。あの男から養育費だけを搾り取る方がラクかしら?彼なら騙せそうよね…。そもそも誓約書に、『不要不急の接触を禁ずる』という項目は付け足してあるし…。それに、あの男は自分の出世にご執心だから、私たちの状況など、どうでもいいはず。…要は、あの男の出世の邪魔さえしなければ良いのよね?
そうね…。そうだわ。…手間のかかる赤ん坊を抱えていれば、私の時間が浪費されてしまう。早く幸せになるには、彩葉を手放すことが必要ね。
どうしても養育費絡みで、また彩葉が必要になったら、預けたところから、再度引き取ってしまえば良いのだから…』
『彩葉を手放したのは、正解だったわね。この調子で行けば、一年後には…。養育費と、地主の不労所得で丸儲け。幸せな未来が待っているわ…。
…あ、良いことを思いついたわ。地主になった時点で、彩葉を引き取れば、…『貧しい母子家庭で、やむなく愛娘をさくら園に預けたものの、華麗に転身した結果、愛娘を取り戻した』というテーマとして、信仰的な信頼を得られる可能性も高いわね…。
他人から得る経済力は、信頼による関係値で変わる…。これは良いアイデアだわ。採用ね』
ミセス・リーグスティの顔色が、より一層悪くなる。
何を隠そう。立て続けに再生された二本の音声ファイルから流れてきたのは、若い頃のミセス・リーグスティ、否、イヴェットの肉声であったから。―――覚えている。否、今やっと思い出した。…これは、長屋に居た頃に、自分が窓際で独り言ちた内容のはず…!だが、何故?それが、いま此処で、録音データとして晒されている?
当時、長屋の一室には、ただのイヴェットだった自分と、当時赤ん坊だったツバサしか住んでいなかったし。ましてや、ツバサをさくら園に預けた後に、誰かを招き入れた覚えもない。
琉一が、神経質な瞳をミセス・リーグスティに向けて、口を開いた。
「イヴェット。貴女が赤ん坊だった妹姫と共に住んでいた部屋は、二階でしたね。その真下にあった一階の部屋に住んでいた三人家族のことは、覚えていますか?
…それは、お喋り好きな母親と、無口な父親、そして、大人びた三歳の男児という、ごくありふれた家族でした。
貴女がたった一度きり、あの日だけ差し入れてくださった、スーパーマーケットの格安チョコレートケーキ。…あの甘ったるさは、今でも覚えていますよ」
そこまで聞いたミセス・リーグスティは、雷に打たれたような衝撃を覚えた。長屋の一階に住んでいた家族。大人びた三歳児。差し入れたチョコレートケーキ。それは、つまり。だが、しかし?こんなことって、あり得るのか?
「―――……りゅーちゃん……?」
ミセス・リーグスティの脳裏には、確かに。仕事のために我が子を預けた、一階住みの家族に、チョコレートケーキを渡した。「これも未来への投資だ」と嗤いながら。
あのとき、無口な父親の脚の陰に隠れながらも、こちらへ丁寧にお礼の言葉を述べた三歳児。「りゅーちゃん」と呼ばれては、あの夫婦から、日常的に大層可愛がられていた。思えば、三歳の子どもにしては、妙に知恵の付いたような振る舞いが多かった、ような…?
混乱するミセス・リーグスティに向かって、琉一は更に畳み掛ける。
「三歳にして、既に世界の見え方が、親のそれとは全く違う…。その自覚を持った自分が、幼心に、己自身の才能に恐怖した瞬間。…それが、貴女の妹姫への視線に含まれる、異質な感情に気が付いたときでした。
他人の子とはいえ、赤ん坊を必死にあやす両親とは、真逆の視線。―――そう、まるで「モノ」としか見ていないような感情を、貴女が妹姫に向けていることを察知したときから、自分が貴女へ不信感を抱くのに、そう時間はかかりませんでしたね。
それから、貴女の行動全てに、打算が含まれていることに気が付きました。将来的に何かを企んでいると思うのが妥当だと、そう考えるしか、説明のつかない行動ばかりです。…でなければ、貧しさ極まる生活で、誰もが自分のことで精一杯だった、あの長屋内で。そうそう、差し入れだの、お礼だのと銘打って、値の付くモノを配り歩くなど、普通は考え付きません。それこそ、…生まれたときから心が清らかなシンデレラでもなければ…。
貴女はただただ、妹姫に構う時間を惜しみ、彼女のベビーシッター役が欲しいだけで、長屋内の住人をモノで釣って騙していただけです。そうですよね?」
醜い母親像が、にわかに現像されてきた。だが、琉一は止まらない。彼は旧型のスマートフォンを仕舞うと、また左手にユースティティアを持った。思わず構えようとしたソラだったが、その必要は無いとばかりに、琉一は彼へと一瞬だけ視線を流す。
「貴女の放つ『企みの気配』と、窓辺で零した『独り言』は、自分に知恵の扉を開かせるには充分でした。
見様見真似とは言い難い文字で書き連ねた手記を見ながら、長屋の老齢者からお下がりで貰った百科事典を携え、同じく父親から玩具代わりとして貰ったスマートフォンで録音した貴女の言葉に含まれる、単語の意味の数々を引く。…そして、そこから、あらゆる事象を予測し、貴女が妹姫に対して何をしたのか。そして、一体何を企てているのかを、的中させました。…ですが、全てを知るには早過ぎて…、当時の自分はたったの三歳。何のチカラも無く、悪巧みの糸口を誰かに上手く伝える術もありませんでした。それから、真相の全部を把握したのは、二年後の五歳のときです。
そのときはもう既に、貴女はトルバドール・セキュリティーの社長夫人という地位にすっかりと収まっていたうえに、当時の社長、貴女の亡夫は心臓病に於ける余命を、会見にて正式に告知。…自分は、貴女が天下を取ろうと動き出す日が来ると、察知しました」
個人の感情なんぞ見せてこなかった琉一の声に、やっと『人間味のあるトーン』が乗ってきた。それは彼が過去の記憶を遡行すると共に、彼自身の精神が昂ぶりを見せていることど同意義であり、同時に、その感情が爆発すれば容赦なくユースティティアの銃口が火を噴きかねないという可能性もある。
その気配を察知し、明らかに琉一を警戒し始めたソラを尻目に、琉一はミセス・リーグスティへ、告げ続けた。
「話の時間軸を、少しだけ戻しましょうか。
あの周辺の土地を買い上げて、貴女が地主として君臨するという計画。結局、貴女自身がトルバドール・セキュリティーへ嫁入りしたことで破綻した形になりましたが。…正式に弁護士になってから、改めて、徹底的に調べました。そうしたら、あの辺りの土地を管理していた会社は、何処もかしこも、反社会的勢力に繋がりのある組織ばかりであることが判明しました。貴女はきっと把握していなかったでしょう?貴女が地主になった暁には、その反社会的勢力が、赤ん坊を取り上げて、貴女を脅し、多額のみかじめ料を搾取しようとしていたなんて…。
分かりませんか?地主になる直前になって、貴女がトルバドール・セキュリティーの前の社長に嫁として召し上げられたから良かったものの…、あのまま行けば、妹姫の未来は確実に破滅していたのです。人身売買に出されていたか、或いは、臓器を取られて終わっていたか。もっとむごたらしい未来が待ち受けていたかもしれません。
その可能性に気が付かなかったどころか、のうのうと玉の輿に乗れたと能天気に過ごす貴女のことを…、自分がどれだけ遠くから睨んでいたかなど…!知りもしなかったでしょう…?!」
言葉の最後で感情を滲ませた琉一が、思わずと言った風に握りしめたユースティティアのグリップから、ギリリッ、という音が響く。そんな微弱な波形すら、この場に居る全員の耳に届くほどに。楽園都市の最東端たる地は、静まり返っていた。大昔の英霊たちを祀る石塔が、見守っている。
琉一の瞳が、ふと、ツバサに向けられた。―――此処までの話を聞く限り、彼の執念は、全て、彼女へと帰結していることになる。だが、何故だ?と、皆が考える。そして、それを見抜いたかのように、琉一は、一種、自虐的な口調で語る。
「…だから言ったでしょう。誰に理解されるはずもないと。……生きている狭い世界とのギャップに苦しむ、たった三歳の子どもが…、初めて自分以外の『小さい命』と出逢ったときの感動。…無垢で、純粋で、愛らしい、世界の何も知らない赤ん坊が、ただただ眠っている」
ツバサを見ながら、そう呟く琉一の眼は。現在の彼女を通して、赤ん坊だった頃の「彩葉」を射抜いていた。だが、その目元に闘牙は無く。ただただ、そこにあるのは『家族愛』に似た感情と思しきナニか。しかし、その瞬間だけ。まるで時空が一瞬だけ巻き戻るような錯覚を起こす。琉一という人物がどれほどの年月、たったひとつの想いを抱えて生きてきたのか、その『深度』が一気に伝わってくる。
生半可な決意では無い。それは今でも、きっと、同じである。世界中を敵に回してでも、琉一には叶えたいモノがあった。それこそ。
「―――「この子を護りたい」と、強く願いました。それは大人になってからでも遅くはないと、例え自分の何を犠牲にしても構わないと。…イヴェットが貴女に汚れた欲望を向けていると気が付いてから、自分はずっと、貴女を彼女の呪縛から解放するために生きてきました。
これを他人が『執念』と呼ぶのなら、好きにすれば良いかと思います。あるいは、もっと別の言葉に当て嵌めたいと仰るのであれば、どうぞご随意に」
琉一の告解は、山場を迎えているのだろう。その証拠に、彼は己の心の内を曝け出しすぎたせいで、…もう、口を閉ざす準備をしているかに見えた。
「子どもが抱く未熟な心に根付いた感情を、大人になっても振り翳す。その自分の本質は、我欲塗れのイヴェットと大して変わりません。そして、そこの暴走したマム・システムにも通ずるモノがあります。…故に、これは化け物同士の潰し合い。
―――…もう此処は、『人間』が介入して良い戦場では無いのです」
そこまで言い切って、琉一の視線は、ミセス・リーグスティとアンジェリカの双方へと戻って行く。「もう喋ることはない」。きっとそう言いたいのだろう。
「自分の思い出話は此処までです。現実の問題へと、帰るとしましょう」
そう言う琉一の瞳は、既にいつもの神経質そうなそれに戻っている。だが、その視線は、アンジェリカを見た途端、怪訝そうな色を浮かばせた。
それまで蚊帳の外な状態だったアンジェリカの様子が、明らかにおかしい。三色に分かたれた双眸はコンクリートの地面に向き、色素の薄い唇からは、ぶつぶつと独り言を呟いている。
「…どういうこと?母性は母に宿るのではないの?胎を痛めたわけでもない、ましてや、たった三歳の男児が、他人の赤ん坊に庇護欲を持つ?そして、こんな過激で、破天荒な計画を、人生を賭けて成し遂げるというの?
マム・システムにとって、母性は母に宿るモノではないの?仮に父性と名付けても、片付けがたい…。
理解が出来ない…!マム・システムが再構築したはずの理論が破綻する…!嗚呼…!私の中の定義が瓦解するとでも言うの…?!」
独り言は大きくなっていき、経過と共に、アンジェリカの明らかに様子がおかしくなっていく。
ソラが静かに片手を挙げた。グレイス隊の狙撃兵が、アンジェリカにライフルを向けた、―――そのとき、ルカの艶のある低音ボイスが、その場に落ちてくる。
「ねえ?母さん。機械として壊れちゃう前に、一つだけ確認しておきたいんだケド。
イヴェットを間違った母性と認定したうえに、彼女の殺害に執着したのは、息子というオレを通して、世界を観測し続けたが故、だよね?
オレがアリスちゃんをホルダーにしたから、彼女の身の上が気になって、ジョウに幽閉されていた屋敷で、密かにネットワークを通じて、アリスちゃんのことを監視していた。
そこからイヴェットのことを掴み、調べ、情報を集めて、練り合わせていくうえで、…結局、琉一と同じような意見に行き着いたってコトでしょ?
ラーニングするロボットっていうのは、便利だよ。グレイス隊だって、沢山の経験や学習を積んで、ソラに相応しい兵士たちになってくれてる。でもさ、お勉強熱心が過ぎた結果、母さんはマム・システムの根本を曲解し、再構築という形で、見事に捻じ曲げてくれた。後は、琉一が言っていることと同じだね。
…母さん、いいや、アンジェリカ、―――キミは、もうとっくに壊れてるよ」
ルカの言葉には、正解しかない。それはもう何度も繰り返し、述べてきた。
―――故に、アンジェリカの中のプログラムは、崩壊を進める。
「ぅ、ぅあ、あ、ぁあ、……あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あぁぁぁああぁぁぁあああッッ!!!!!!!」
彼女は細い唸り声を出したかと思えば、次の瞬間。つんざくような悲鳴を迸らせ、かぶりを振った。それと同時に、アンジェリカの機械義足が激しく発光する。
「マム・システムに間違いはあり得ないッ!!マム・システムの再構築は正しいッ!!
この母の愛は絶対!!この母の躾は鉄槌!!この母の審判は必要不可欠!!!!」
アンジェリカの慟哭と共に、この場の誰もが聞き慣れないビープ音が聞こえてきた。…エラーを示す警告音だ。アンジェリカから鳴っている。
機械義足は限界まで発光し続け、煙を出し、―――そして、とうとう、その姿を激しく変え始めた。義足の機構が花開くように展開したかと思えば、何本もの茨のように伸びて、ミセス・リーグスティの傍に居た戦闘ユニットに突き刺さる。その瞬間、ユニットはアンジェリカの元へと引っ張り込まれていった。
命令も無く、無抵抗しか示さない戦闘ユニットのシルエットが融解し、アンジェリカの足元で別のカタチとして生まれ変わろうとしている―――。
―――機械が、ロボットを喰らっている。贄として吸収し、全てを蹂躙するチカラとして、奪い取るのだ。
「グレイス隊!構え!!」
ソラの鋭い指令が飛ぶ。当然、彼は惨劇の始まりを前にして、黙って突っ立っているような男ではない。
銃武器を構えたグレイス隊が、一瞬にして銃撃の態勢に入った。
ソラの声を聞いた琉一が走り出し、ツバサを抱きかかえるようにして、グレイス隊の流れ弾から守るために、地面へと押し倒す。彼女の頭部を己の手でしっかりとガードしているあたり、やはり、ツバサを庇護する想いは強い様子である。
「アンジェリカの頭部、その他急所を正確に狙え!!―――撃てッ!!」
ツバサの安全が確保されたことを視認したソラが躊躇するはずもなく。すぐさま出された射撃命令に、グレイス隊の銃口が火を噴く。ミセス・リーグスティは腰を抜かした状態でも尚、わたわたとよろめきながら、そして情けない悲鳴を上げつつ、埠頭の隅を目指して、何とか逃げおおせることに成功した。
グレイス隊からの銃弾を受けたアンジェリカは衝撃でよろめくものの、戦闘ユニットを吸収する様子は変わらない。それどころか、速度が増している。
間も無く、急速に変貌と進化を遂げた姿が、顕現する。
それは、巨大な蜘蛛を思わせる、邪悪な多足。同じ蜘蛛由来である、音色の絡新婦のような洗練されたモノではなく。もっと生物的で、禍々しい機械の邪態。足の先が地面にめり込むほどの重量でありながらも、ガチャガチャとした玩具のような機械音を響かせる。何ともアンバランスな印象だ。
そして、変貌を遂げたアンジェリカは、機械義足が変化した鉄蜘蛛の足の上から上半身を生やした状態という、最早、異形とも言える姿になる。彼女の瞳は、いつもの青、アクア、黄の三色ではなく、闇に煮え滾った黄金色に輝いていた。
「このマム・システムの再始動に、邪魔者は要らない!!!!
ひとの子らよ!!そして、ひとの子に使われるロボット兵たちよ!!この母に屈服なさい!!!!
邪魔はさせない!!私は全ての母――マム・システム!!母は全てを受容するべくして、故にこの母と相容れぬモノの一切合切を排除するッッ!!!!」
遂に、表面の言語化だけではない、現実にて、明確なる暴走へと至ったプログラムが、咆哮する。
to be continued...
ソラ自身も、アストライアーを持った状態で、鉄火場へと足を踏み入れてくる。そして、互いの間合いギリギリの地点で、歩みを止めて。そこから、琉一へと語りかけた。
「琉一。高校生最後の冬。お前が、クロックヴィール・アカデミーへの首席入学を蹴って、海外へ単身留学したことを、俺はよく覚えている。俺がお前の単身留学を止めようとしたことも、今からでも首席入学を受けるべきだと説得したのも、な。
だが、お前は結局、本土の空港から飛び立って行った。行き先の国名も告げず、ましてや、スマートフォンも、タブレット端末も、学生寮の部屋に置きっぱなしにして…。
しかし、その四年後。何の通告も無しに帰国したお前は…、五か国間を渡り歩き、その過程でロースクールに入学・卒業という土産話と、正式な弁護士の資格を引っ提げた状態で、俺の前に再び現れた」
ソラから語られる、琉一の過去。それは、クロックヴィール・アカデミーの首席を勝ち取ったにも関わらず、単身留学を決意して、連絡手段も絶って、この国から飛び立ったという、かつて少年だった男の『英雄譚』とも取れる。しかし、この場で明かされる真実の一端である以上、これらが普通の物語で終わるはずが無いのだ。
「これだけ見れば、案外と普通だ。…だが、それ以外が、どうにもおかしい。
まず、お前の実家とされる、ステルバス家。我が国及び、周辺隣国の法曹界に於いて、数多の重鎮を輩出している『法律の一族』だ。お前は、そこの息子であると、誰もが信じて疑わない。だが、何故だ?ルカが有する超常的な権限のもと、俺が我が国の戸籍情報を検めると、『琉一=エリト=ステルバス』という人間に対して、『養子』の但し書きがあったのは?…何故と言われることもあるまい。お前は、ステルバス家の血を継いだという意味では、現家督の実子ではないことの証左だ。
次に、お前が海外留学をしていた間…。お前の行動範囲内と思われる国々の出入国の記録、お前が利用した空路・陸路・海路などの情報から割り出された旅路シミュレーションの結果、…お前が渡り歩いている国の数は到底、「五か国間」には収めきれないモノだった。下手をすれば、全世界を回っている勢いだったぞ?ちなみに、弁護士資格を取るために通ったロースクールでは、前代未聞の飛び級をかましたことも分かっている。今もそのスクールの校長室には、お前が卒業式の際に置いて行ったとされる、誉れ高いトロフィーが並んでいるようだな。己の痕跡を残してしまった未熟さは、この場で恥じておくが良い」
隠された現実を突きつける合間に挟まる、痛烈な皮肉。だが、そういうのは料理の中のスパイスのようなモノだ。そう例えば、カレーのルゥに隠し味として放り込む、ひとかけらのチョコレートのように。
だが、いま此処は、ディッシュのカタチをした、裁きの調理場。琉一という男の本性が、如何なるレシピで形作られているのかを解明するステージである。
ソラが続ける。
「お前が渡り歩いていた地には、共通点がある。―――紛争地。つまり、大なり小なりと戦争をしている土地へと、お前は飛び込んでは、一ヶ月半ほどのスパンでそこを離れている。だが、たった一ヶ所だけ、長く滞在していた地があった。お前が『留学』をスタートさせて、すぐのこと。
そこには、国軍指定の軍用病棟が整備されており、最前線で負傷した兵士へのアフターケアが手厚いことで有名な地だ。ユキサカ製薬がその病院に出資していたのも、理由としては大きかろう。…まだ、言わせるか?
ナオト先生が、今から十年前に、アシュヴィンの一員として駐留していた軍用病棟にて出逢ったという少年傭兵。―――それが、琉一、…お前だ。
順当に計算すれば、お前は当時、十七歳。…俺の制止を振り切って、我が国を飛び立った矢先の出来事だったということだ」
その言葉を聞いたナオトが、僅かに顔を上げる。だが、涙に濡れた視界はぼやけて、琉一の表情を上手く捉えられない。
ソラの追求は止まらず、場の空気は益々重くなるばかりだ。
「眼の怪我を負ったお前は、軍用病棟の責任者だった将校から、ある提案を持ち掛けられる。―――新技術の義眼の治験。それは本来、負傷兵に施すための医療だったが、若い傭兵にカネを積ませて行うほうが、担保としては安牌だ。最悪、失敗して何らかの後遺症が残ったとしても、な。
だが、義眼の手術を受けた琉一が叩き出した結果に満足した軍医たちは、更にカネを積み、お前の身体にメスを入れたがる。炭素繊維由来の人工筋肉に、バイオ遺伝子を組み込まれた関節義肢、治癒能力を促進させる細胞技術を用いた人工皮膚、その他諸々…。
お前は、『改造』を受け入れた。それが地獄のような有り様だったのかどうかは、俺には分からん。だが、第三者から見れば、お前の行動は明らかに常軌を逸している」
琉一は最早、視線すら下げている。だが、失意の念を示しているわけではない。その全身からは、未だに闘牙が湧きたっているからだ。ソラに何を言われても、何を問われても、自分は止まる気が無いという、琉一自身の意思表示。それを見ていたソラは、初めて苛立った声を出した。
「母国では親友の声を聞かず、海外の軍医たちの前では人間としての尊厳すら売り払い…、そうして手に入れた戦士としてのチカラで紛争地を渡り歩き、―――最後は、この地に帰ってきた。
一体、何がお前を駆り立てている?アンジェリカを見下した手前、自分は改造人間さながらに成り果てているにも関わらず。そうまでして、イヴェットの首を狙うのは、何が理由だ?あのナオト先生の胸の中にすら焼き付けた、『執念』とやらか?
今一度、聞く。―――琉一…、お前は一体、何処から来た、何者だ?」
怒りを滲ませたソラの声が、琉一に突き刺さる。その場の誰もが、琉一へ視線を向けていた。誰もが、彼の証言を待っている。
長いような、短いような。中途半端な秒数の沈黙が降りた後。…遂に、琉一の唇が動いた。
「自分はただ、…幼い頃にこの眼で見た、たった一つの『命』を護りたいと願っただけです」
そう呟いた琉一は左手の方のユースティティアをホルスターに仕舞い、代わりにその手に端末を握って、出してきた。旧型のスマートフォンだ。画面は派手割れているが、ひとによって丁寧に手入れをされ続け、今日までスマートフォンとしてのカタチを保ってきたのが分かる。
琉一はそれを慣れた手つきで操作し、スピーカーのボリュームを最大レベルにして、音声ファイルを流し始めた。
『…、いっそ、彩葉は孤児院に入れて。あの男から養育費だけを搾り取る方がラクかしら?彼なら騙せそうよね…。そもそも誓約書に、『不要不急の接触を禁ずる』という項目は付け足してあるし…。それに、あの男は自分の出世にご執心だから、私たちの状況など、どうでもいいはず。…要は、あの男の出世の邪魔さえしなければ良いのよね?
そうね…。そうだわ。…手間のかかる赤ん坊を抱えていれば、私の時間が浪費されてしまう。早く幸せになるには、彩葉を手放すことが必要ね。
どうしても養育費絡みで、また彩葉が必要になったら、預けたところから、再度引き取ってしまえば良いのだから…』
『彩葉を手放したのは、正解だったわね。この調子で行けば、一年後には…。養育費と、地主の不労所得で丸儲け。幸せな未来が待っているわ…。
…あ、良いことを思いついたわ。地主になった時点で、彩葉を引き取れば、…『貧しい母子家庭で、やむなく愛娘をさくら園に預けたものの、華麗に転身した結果、愛娘を取り戻した』というテーマとして、信仰的な信頼を得られる可能性も高いわね…。
他人から得る経済力は、信頼による関係値で変わる…。これは良いアイデアだわ。採用ね』
ミセス・リーグスティの顔色が、より一層悪くなる。
何を隠そう。立て続けに再生された二本の音声ファイルから流れてきたのは、若い頃のミセス・リーグスティ、否、イヴェットの肉声であったから。―――覚えている。否、今やっと思い出した。…これは、長屋に居た頃に、自分が窓際で独り言ちた内容のはず…!だが、何故?それが、いま此処で、録音データとして晒されている?
当時、長屋の一室には、ただのイヴェットだった自分と、当時赤ん坊だったツバサしか住んでいなかったし。ましてや、ツバサをさくら園に預けた後に、誰かを招き入れた覚えもない。
琉一が、神経質な瞳をミセス・リーグスティに向けて、口を開いた。
「イヴェット。貴女が赤ん坊だった妹姫と共に住んでいた部屋は、二階でしたね。その真下にあった一階の部屋に住んでいた三人家族のことは、覚えていますか?
…それは、お喋り好きな母親と、無口な父親、そして、大人びた三歳の男児という、ごくありふれた家族でした。
貴女がたった一度きり、あの日だけ差し入れてくださった、スーパーマーケットの格安チョコレートケーキ。…あの甘ったるさは、今でも覚えていますよ」
そこまで聞いたミセス・リーグスティは、雷に打たれたような衝撃を覚えた。長屋の一階に住んでいた家族。大人びた三歳児。差し入れたチョコレートケーキ。それは、つまり。だが、しかし?こんなことって、あり得るのか?
「―――……りゅーちゃん……?」
ミセス・リーグスティの脳裏には、確かに。仕事のために我が子を預けた、一階住みの家族に、チョコレートケーキを渡した。「これも未来への投資だ」と嗤いながら。
あのとき、無口な父親の脚の陰に隠れながらも、こちらへ丁寧にお礼の言葉を述べた三歳児。「りゅーちゃん」と呼ばれては、あの夫婦から、日常的に大層可愛がられていた。思えば、三歳の子どもにしては、妙に知恵の付いたような振る舞いが多かった、ような…?
混乱するミセス・リーグスティに向かって、琉一は更に畳み掛ける。
「三歳にして、既に世界の見え方が、親のそれとは全く違う…。その自覚を持った自分が、幼心に、己自身の才能に恐怖した瞬間。…それが、貴女の妹姫への視線に含まれる、異質な感情に気が付いたときでした。
他人の子とはいえ、赤ん坊を必死にあやす両親とは、真逆の視線。―――そう、まるで「モノ」としか見ていないような感情を、貴女が妹姫に向けていることを察知したときから、自分が貴女へ不信感を抱くのに、そう時間はかかりませんでしたね。
それから、貴女の行動全てに、打算が含まれていることに気が付きました。将来的に何かを企んでいると思うのが妥当だと、そう考えるしか、説明のつかない行動ばかりです。…でなければ、貧しさ極まる生活で、誰もが自分のことで精一杯だった、あの長屋内で。そうそう、差し入れだの、お礼だのと銘打って、値の付くモノを配り歩くなど、普通は考え付きません。それこそ、…生まれたときから心が清らかなシンデレラでもなければ…。
貴女はただただ、妹姫に構う時間を惜しみ、彼女のベビーシッター役が欲しいだけで、長屋内の住人をモノで釣って騙していただけです。そうですよね?」
醜い母親像が、にわかに現像されてきた。だが、琉一は止まらない。彼は旧型のスマートフォンを仕舞うと、また左手にユースティティアを持った。思わず構えようとしたソラだったが、その必要は無いとばかりに、琉一は彼へと一瞬だけ視線を流す。
「貴女の放つ『企みの気配』と、窓辺で零した『独り言』は、自分に知恵の扉を開かせるには充分でした。
見様見真似とは言い難い文字で書き連ねた手記を見ながら、長屋の老齢者からお下がりで貰った百科事典を携え、同じく父親から玩具代わりとして貰ったスマートフォンで録音した貴女の言葉に含まれる、単語の意味の数々を引く。…そして、そこから、あらゆる事象を予測し、貴女が妹姫に対して何をしたのか。そして、一体何を企てているのかを、的中させました。…ですが、全てを知るには早過ぎて…、当時の自分はたったの三歳。何のチカラも無く、悪巧みの糸口を誰かに上手く伝える術もありませんでした。それから、真相の全部を把握したのは、二年後の五歳のときです。
そのときはもう既に、貴女はトルバドール・セキュリティーの社長夫人という地位にすっかりと収まっていたうえに、当時の社長、貴女の亡夫は心臓病に於ける余命を、会見にて正式に告知。…自分は、貴女が天下を取ろうと動き出す日が来ると、察知しました」
個人の感情なんぞ見せてこなかった琉一の声に、やっと『人間味のあるトーン』が乗ってきた。それは彼が過去の記憶を遡行すると共に、彼自身の精神が昂ぶりを見せていることど同意義であり、同時に、その感情が爆発すれば容赦なくユースティティアの銃口が火を噴きかねないという可能性もある。
その気配を察知し、明らかに琉一を警戒し始めたソラを尻目に、琉一はミセス・リーグスティへ、告げ続けた。
「話の時間軸を、少しだけ戻しましょうか。
あの周辺の土地を買い上げて、貴女が地主として君臨するという計画。結局、貴女自身がトルバドール・セキュリティーへ嫁入りしたことで破綻した形になりましたが。…正式に弁護士になってから、改めて、徹底的に調べました。そうしたら、あの辺りの土地を管理していた会社は、何処もかしこも、反社会的勢力に繋がりのある組織ばかりであることが判明しました。貴女はきっと把握していなかったでしょう?貴女が地主になった暁には、その反社会的勢力が、赤ん坊を取り上げて、貴女を脅し、多額のみかじめ料を搾取しようとしていたなんて…。
分かりませんか?地主になる直前になって、貴女がトルバドール・セキュリティーの前の社長に嫁として召し上げられたから良かったものの…、あのまま行けば、妹姫の未来は確実に破滅していたのです。人身売買に出されていたか、或いは、臓器を取られて終わっていたか。もっとむごたらしい未来が待ち受けていたかもしれません。
その可能性に気が付かなかったどころか、のうのうと玉の輿に乗れたと能天気に過ごす貴女のことを…、自分がどれだけ遠くから睨んでいたかなど…!知りもしなかったでしょう…?!」
言葉の最後で感情を滲ませた琉一が、思わずと言った風に握りしめたユースティティアのグリップから、ギリリッ、という音が響く。そんな微弱な波形すら、この場に居る全員の耳に届くほどに。楽園都市の最東端たる地は、静まり返っていた。大昔の英霊たちを祀る石塔が、見守っている。
琉一の瞳が、ふと、ツバサに向けられた。―――此処までの話を聞く限り、彼の執念は、全て、彼女へと帰結していることになる。だが、何故だ?と、皆が考える。そして、それを見抜いたかのように、琉一は、一種、自虐的な口調で語る。
「…だから言ったでしょう。誰に理解されるはずもないと。……生きている狭い世界とのギャップに苦しむ、たった三歳の子どもが…、初めて自分以外の『小さい命』と出逢ったときの感動。…無垢で、純粋で、愛らしい、世界の何も知らない赤ん坊が、ただただ眠っている」
ツバサを見ながら、そう呟く琉一の眼は。現在の彼女を通して、赤ん坊だった頃の「彩葉」を射抜いていた。だが、その目元に闘牙は無く。ただただ、そこにあるのは『家族愛』に似た感情と思しきナニか。しかし、その瞬間だけ。まるで時空が一瞬だけ巻き戻るような錯覚を起こす。琉一という人物がどれほどの年月、たったひとつの想いを抱えて生きてきたのか、その『深度』が一気に伝わってくる。
生半可な決意では無い。それは今でも、きっと、同じである。世界中を敵に回してでも、琉一には叶えたいモノがあった。それこそ。
「―――「この子を護りたい」と、強く願いました。それは大人になってからでも遅くはないと、例え自分の何を犠牲にしても構わないと。…イヴェットが貴女に汚れた欲望を向けていると気が付いてから、自分はずっと、貴女を彼女の呪縛から解放するために生きてきました。
これを他人が『執念』と呼ぶのなら、好きにすれば良いかと思います。あるいは、もっと別の言葉に当て嵌めたいと仰るのであれば、どうぞご随意に」
琉一の告解は、山場を迎えているのだろう。その証拠に、彼は己の心の内を曝け出しすぎたせいで、…もう、口を閉ざす準備をしているかに見えた。
「子どもが抱く未熟な心に根付いた感情を、大人になっても振り翳す。その自分の本質は、我欲塗れのイヴェットと大して変わりません。そして、そこの暴走したマム・システムにも通ずるモノがあります。…故に、これは化け物同士の潰し合い。
―――…もう此処は、『人間』が介入して良い戦場では無いのです」
そこまで言い切って、琉一の視線は、ミセス・リーグスティとアンジェリカの双方へと戻って行く。「もう喋ることはない」。きっとそう言いたいのだろう。
「自分の思い出話は此処までです。現実の問題へと、帰るとしましょう」
そう言う琉一の瞳は、既にいつもの神経質そうなそれに戻っている。だが、その視線は、アンジェリカを見た途端、怪訝そうな色を浮かばせた。
それまで蚊帳の外な状態だったアンジェリカの様子が、明らかにおかしい。三色に分かたれた双眸はコンクリートの地面に向き、色素の薄い唇からは、ぶつぶつと独り言を呟いている。
「…どういうこと?母性は母に宿るのではないの?胎を痛めたわけでもない、ましてや、たった三歳の男児が、他人の赤ん坊に庇護欲を持つ?そして、こんな過激で、破天荒な計画を、人生を賭けて成し遂げるというの?
マム・システムにとって、母性は母に宿るモノではないの?仮に父性と名付けても、片付けがたい…。
理解が出来ない…!マム・システムが再構築したはずの理論が破綻する…!嗚呼…!私の中の定義が瓦解するとでも言うの…?!」
独り言は大きくなっていき、経過と共に、アンジェリカの明らかに様子がおかしくなっていく。
ソラが静かに片手を挙げた。グレイス隊の狙撃兵が、アンジェリカにライフルを向けた、―――そのとき、ルカの艶のある低音ボイスが、その場に落ちてくる。
「ねえ?母さん。機械として壊れちゃう前に、一つだけ確認しておきたいんだケド。
イヴェットを間違った母性と認定したうえに、彼女の殺害に執着したのは、息子というオレを通して、世界を観測し続けたが故、だよね?
オレがアリスちゃんをホルダーにしたから、彼女の身の上が気になって、ジョウに幽閉されていた屋敷で、密かにネットワークを通じて、アリスちゃんのことを監視していた。
そこからイヴェットのことを掴み、調べ、情報を集めて、練り合わせていくうえで、…結局、琉一と同じような意見に行き着いたってコトでしょ?
ラーニングするロボットっていうのは、便利だよ。グレイス隊だって、沢山の経験や学習を積んで、ソラに相応しい兵士たちになってくれてる。でもさ、お勉強熱心が過ぎた結果、母さんはマム・システムの根本を曲解し、再構築という形で、見事に捻じ曲げてくれた。後は、琉一が言っていることと同じだね。
…母さん、いいや、アンジェリカ、―――キミは、もうとっくに壊れてるよ」
ルカの言葉には、正解しかない。それはもう何度も繰り返し、述べてきた。
―――故に、アンジェリカの中のプログラムは、崩壊を進める。
「ぅ、ぅあ、あ、ぁあ、……あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あぁぁぁああぁぁぁあああッッ!!!!!!!」
彼女は細い唸り声を出したかと思えば、次の瞬間。つんざくような悲鳴を迸らせ、かぶりを振った。それと同時に、アンジェリカの機械義足が激しく発光する。
「マム・システムに間違いはあり得ないッ!!マム・システムの再構築は正しいッ!!
この母の愛は絶対!!この母の躾は鉄槌!!この母の審判は必要不可欠!!!!」
アンジェリカの慟哭と共に、この場の誰もが聞き慣れないビープ音が聞こえてきた。…エラーを示す警告音だ。アンジェリカから鳴っている。
機械義足は限界まで発光し続け、煙を出し、―――そして、とうとう、その姿を激しく変え始めた。義足の機構が花開くように展開したかと思えば、何本もの茨のように伸びて、ミセス・リーグスティの傍に居た戦闘ユニットに突き刺さる。その瞬間、ユニットはアンジェリカの元へと引っ張り込まれていった。
命令も無く、無抵抗しか示さない戦闘ユニットのシルエットが融解し、アンジェリカの足元で別のカタチとして生まれ変わろうとしている―――。
―――機械が、ロボットを喰らっている。贄として吸収し、全てを蹂躙するチカラとして、奪い取るのだ。
「グレイス隊!構え!!」
ソラの鋭い指令が飛ぶ。当然、彼は惨劇の始まりを前にして、黙って突っ立っているような男ではない。
銃武器を構えたグレイス隊が、一瞬にして銃撃の態勢に入った。
ソラの声を聞いた琉一が走り出し、ツバサを抱きかかえるようにして、グレイス隊の流れ弾から守るために、地面へと押し倒す。彼女の頭部を己の手でしっかりとガードしているあたり、やはり、ツバサを庇護する想いは強い様子である。
「アンジェリカの頭部、その他急所を正確に狙え!!―――撃てッ!!」
ツバサの安全が確保されたことを視認したソラが躊躇するはずもなく。すぐさま出された射撃命令に、グレイス隊の銃口が火を噴く。ミセス・リーグスティは腰を抜かした状態でも尚、わたわたとよろめきながら、そして情けない悲鳴を上げつつ、埠頭の隅を目指して、何とか逃げおおせることに成功した。
グレイス隊からの銃弾を受けたアンジェリカは衝撃でよろめくものの、戦闘ユニットを吸収する様子は変わらない。それどころか、速度が増している。
間も無く、急速に変貌と進化を遂げた姿が、顕現する。
それは、巨大な蜘蛛を思わせる、邪悪な多足。同じ蜘蛛由来である、音色の絡新婦のような洗練されたモノではなく。もっと生物的で、禍々しい機械の邪態。足の先が地面にめり込むほどの重量でありながらも、ガチャガチャとした玩具のような機械音を響かせる。何ともアンバランスな印象だ。
そして、変貌を遂げたアンジェリカは、機械義足が変化した鉄蜘蛛の足の上から上半身を生やした状態という、最早、異形とも言える姿になる。彼女の瞳は、いつもの青、アクア、黄の三色ではなく、闇に煮え滾った黄金色に輝いていた。
「このマム・システムの再始動に、邪魔者は要らない!!!!
ひとの子らよ!!そして、ひとの子に使われるロボット兵たちよ!!この母に屈服なさい!!!!
邪魔はさせない!!私は全ての母――マム・システム!!母は全てを受容するべくして、故にこの母と相容れぬモノの一切合切を排除するッッ!!!!」
遂に、表面の言語化だけではない、現実にて、明確なる暴走へと至ったプログラムが、咆哮する。
to be continued...