第七章 再始動
【ヒルカリオ 最東端】
東西南北と多種多様に開発が進んでいるヒルカリオではあるが。…ツバサがミセス・リーグスティに連れてこられたのは、未だ着手されていない最東端の土地だった。
通称、『ヒルタス湾の顎先』と呼ばれているこの地には、とある英霊たちを祀る慰霊碑が建てられているからだ。―――、そう。ルカがヒルタス湾の底から掘り起こされて、調整を施されて、そうして初めて海賊撃破のために飛び立った地点が、此処、ヒルタス湾の顎先になる。あのとき、ルカの高い攻撃力の余波を浴びた、彼の後方支援の戦艦たちは―――、…纏めて、海底の屑と消えて行った。戦艦に乗っていたのは、正規の軍人が八十七名、志願した義勇兵が五十二名、医療従事者が十二名、その他技術者が四十三名。皆が皆、ルカのチカラを軽んじた人間たちの傲慢の前に、等しく、尊い犠牲となった―――…。
…という話を、ツバサがルカから何の意味の無い世間話のように聞かされたのは、三ヶ月前くらいになるだろうか。あれは、二人で個室専門のラーメン店に行ったとき。自分の醤油ラーメンを食べ終えたルカが、追加で注文していた餃子を摘まみながら、まるで酢醤油の味加減を話すかのように、当時の初出撃の様子を聞かせてくれたのだ。ツバサはツバサで、本場仕様の豚骨ラーメンをすすり終えて、セット注文していたチャーシュー丼を掻き込みつつ、ふむふむ…、と傾聴していた。歴史資料が少ない、むしろ正確な歴史が隠されている事柄だからこそ、ルカ自身から当時の話を聞ける機会は貴重である。彼は意外と、自らの過去を明かすことが少ない。人間側が(良し悪しはともかく…)記録しているから、という漫然とした自信があるのだろうが。それでも、ルカから見たヒルカリオの歴史の真実と、彼を偏見で観測する統括機関側の人間たちが書き留めたデータでは、情報の解像度がまるで違うことくらい、ツバサにも理解が出来る。
現に、ヒルカリオの統括機関側の人間だったジョウは、ルカの母親たる少女・アンジェリカの存在を、隠蔽していたではないか―――…。
「あら、考え事かしら?随分と余裕ね。ビジネスの場では思慮深いことは基本だけれど、…戦場に於いては、隙を生むだけよ?彩葉」
ミセス・リーグスティにの皮肉交じりの声に、ツバサの思考回路は遮断された。彼女が視線を寄越すと、こちらに拳銃を向けているミセス・リーグスティが、心の底から憎いモノを見るかのような表情をしている。
「……、此処まで来た意味はあるのでしょうか。私をコンクリートで固めて、海の底に沈める気でいるならば、話は別ですが…」
「ええ、叶うものなら、そうでもしてやりたいわね。私の計画をぐちゃぐちゃにしてくれた、奴らへの見せしめになるのならば…!」
ツバサのブラックジョークめいた言葉にも、最早、ミセス・リーグスティは冷静に返すことが出来ないでいるようだ。
こめかみに青筋を立てながら、始終、表情のあちこちを引き攣らせて、怒りを露わにするミセス・リーグスティの姿を、ツバサは一瞥して。それから、ふと、自分の頭上を見た。
ツバサの薄付きのリップの唇が、小さく動く。
「貴女が警戒するべき相手は、―――どうやら、ルカだけではないようです」
「は?!今更、私の注意を逸らそうとしたって―――」
―――ドォンッッ!!
ミセス・リーグスティの怒鳴り声は、コンクリートの地面を抉るような轟音によって、実に中途半端なところで遮られた。銃口が轟音がした方向の、砂煙の向こうを撃ち抜こうとしたが。
「やはり、ツバサちゃんが同じ射程範囲内に居ると、狙いが甘くなってしまうわね。まあ、仕方がないわ。ツバサちゃんは、大切な我が子の、大切なガールフレンドですもの」
そこから聞こえた来た声に、ミセス・リーグスティは、「え…ッ?!」と間抜けな悲鳴を上げる。砂煙を捲り上げて現れた、その姿。まさしく、アンジェリカである。
機械義足であるアンジェリカの右足が、コンクリートの地面に突き刺さっていた。どうやら、上から狙って振り被ってきたようだが、――ツバサが近くに居たことを考慮した結果、ミセス・リーグスティの脳天を狙えなかったようである。
しかし、ミセス・リーグスティのもとには、「アンジェリカは、マム・システムに不具合を理由に、ルカに拘束されていたが、現在はその包囲網を突破し、鈴ヶ原ナオトを人質に取って、逃走中である。」という確かな情報が来ている。てっきり、アンジェリカが狙うのはルカの首で、彼女が彼を足止めしてくれてれば御の字…、と思っていたミセス・リーグスティは。予想外すぎる敵襲に、訳も分からず、震え上がる。
―――何故!?自分がアンジェリカに狙われる必要があるのだろうか?!――ー
最早、ミセス・リーグスティの意識は、ツバサではなく。眼の前に分かりやすい脅威として、文字通り、天から降ってきたアンジェリカへと向いていた。
恐怖に支配されたミセス・リーグスティの視線をしかと受け止めながら、アンジェリカは、しかと宣言をする。
「さて…、楽園都市の外れたるこの場が、貴女の墓場になるのだけれど、―――今なら、まだ、知り合いの葬儀屋さんに掛け合ってあげてもよろしくてよ?イヴェット・リーグスティ?
安心なさい。この母は慈愛を以て、鉄槌を下す故、貴女に余計な苦痛など与えはしないわ。
今日まで貴女が振り翳してきた『間違った母性』ごと、全ての母―――このマム・システムが、一息に、綺麗に、そして苛烈に、貴女の母性と命を、丸ごと終わらせて差し上げましょう」
それは、『処刑宣告』。
潜伏先の廃ビル内で、アンジェリカがナオトに聞かせた、『マム・システムの再始動≪Re;start≫が近い』という話を、覚えているだろうか。その際、アンジェリカとナオトは、確かに、その議題の結論を共有していた。
「マム・システムの基準値から外れた母性を持つ、特定の母親に鉄槌を下す」、と。
それすなわち、ミセス・リーグスティこと、イヴェット・リーグスティが標的だったということが、今この場で証明がされている。廃ビルに伏していたアンジェリカは決起して、彼女を狙いに来た。そして宣告をした。「母性と命を終わらせる」と。
この場の誰もが、現状、理解しているのは、たったの二点だ。
このままだと、ミセス・リーグスティは、間違いなくアンジェリカに殺されるということ。
そして、アンジェリカを止める術を、誰一人として持ち合わせていないこと。
トルバドール・セキュリティーの戦闘ユニットでは、アンジェリカの足止めにすらならないことは、既にさくら園の襲撃にて実証済み。ルカのホルダーであるツバサが傍に居ても、彼女にはまるで意味が無い。輸送コンテナの陰から、こちらを様子見しているナオトでは武力的な介入は出来ず、またマム・システムが暴走している現状、アンジェリカとの対話を重ねることも不可能である。現に、ナオトが説得したくらいで作戦を止める判断が下せるのであれば、アンジェリカは彼を人質に取った初日で、そのように舵取りをしていたはずだ。
武力で敵わず。安全装置は作動せず。予想外の駒は働かず。
「I am M.A.M.
My name is Angelica.
『ヒルカリオ観測史上最悪の母性』イヴェット・リーグスティ、―――貴女を、このマム・システムが排除する」
アンジェリカがそう言うと、彼女の機械義足の機構が発光し始める。同時に、アンジェリカの青、黄、アクアの三色に塗り分けられた瞳が、不規則なパターンで明滅した。
「さあ、この場に跪き、最期の祈りを捧げなさい。自ら胎を痛めて産んだ子らに、己の原罪を擦り付けた悪行を顧みなさい。
そして、この偉大な母性の裁きを受けることに、―――涙するが良いわッ!!」
アンジェリカが、本当の意味の、最期の宣告を渡す。そして、その義足の機構から、黄金色の電気が激しくスパークする。
ミセス・リーグスティは、とうとう腰を抜かして、その場に、ばたん!と頽れた。周囲に縋ろうとしても、もう遅い。誰も彼も助けてはくれない。取り落とした小型拳銃が、無機質な音を立てて、転がっていく。
それを見たアンジェリカが、右脚を大きく振り被り、ミセス・リーグスティの脳天を目掛けて、踵の先を向けた。
「マム・システム≪鉄槌≫!!蹴雷いっ、―――ッ?!!?」
―――アンジェリカが、本気の本気で、処刑を執行しようとした矢先。彼女の頬に、銃弾が掠める。
一瞬でも気を取られたアンジェリカは、気力ごと集中していたエネルギーを霧散させられた形になったがため、何より、此処に来て邪魔が入った事実に対して、酷く苛立つ。故に、銃弾が飛んできたであろう方向へ視線を投げると共に、アンジェリカは吠えた。
「この期に及んで…!!一体、何者だと言うのッ?!この母の前に、堂々と名乗り出るが良いわッ!!あなたも躾けてあげましょうッ!!」
「―――否定します。自分は本物の母親より、既に行き届いた躾を受けたが為に、此処に立っておりますので。
そもそも、自分のような、無軌道で個性的で飛躍的なギフテッドの母など、少し時代が進んだAIが組み込まれただけに過ぎないサイボーグになど、とても務まることはないでしょう」
その個性的とも表現し得る、台詞回し。平坦な声。神経質な瞳。
「…、琉一くん…?!」
アンジェリカが僅かに眼を剥いて、その名を呼んだ。
一方、琉一はユースティティアを構えたまま、アンジェリカを牽制しつつ、確実に歩み寄りながら、その距離を詰める。
「立っている者は親でも使え。良く出来た言葉です。例え、自分の親でなくとも、母を名乗る存在である以上、利用するべきモノは最大限に利用する…。
弓野入一級高等幹部―――…、いいえ、マム・システム、この度は感謝申し上げます。自分の作戦の一部に組み込まれることで、見事、イヴェット・リーグスティを此処まで弱らせ、追い詰めることを成功させてくださいました。
しかし、そこで間抜けヅラを晒す仇敵の首は、自分が貰います。そこを退いてください。イヴェットは、自分が殺します」
琉一の言っていることは、まるで意味が読み解けそうに無い。かろうじて分かるところとなると、彼はアンジェリカがミセス・リーグスティを追い詰める、この瞬間を待ち望んでいたようである。そして、そこに至った今、自分がミセス・リーグスティを殺害しようとしていることも、また把握が出来る。…出来るが故に、ミセス・リーグスティからすれば、たまったモノではなかった。―――…一体、何人もの人間や殺戮者が、自分の命を狙いに来ると言いたいのか?!
そのとき。不意に動く人影。ミセス・リーグスティが思わず見ると、そこには、悠々とその場から去ろうとする、ツバサの姿。
「ま、待ち、なさい…!彩葉…!お、お母様の、そ、傍に、い、いなさい…!!」
言葉尻はおろか、最早、全身を震わせながら、ミセス・リーグスティは目先数センチに転がっていた小型拳銃を拾い上げて、ツバサの背中に向ける。だが、彼女は振り向きもせず、静かに言葉を返すだけ。
「貴女は、私を殺せない…。私は、ルカのホルダー。私が死ねば、ルカはホルダーから解放され、途端、貴女を八つ裂きにしに来るでしょう…。勿論、手ずから斬り裂かずとも、もう貴女を殺したい御方は出揃っていらっしゃるようなので。まあ、ルカが来る必要もありません…。
撃てるなら、どうぞ遠慮なく。ルカに殺される恐怖に勝てない貴女が、まず、私を殺す覚悟が決まっているのでしたら、の話ですが…。
そして、最後に、訂正を求めます。
私の名前は、ツバサ。天道院翼。―――貴女がずっと、私に向かって呼んでいる、過去の亡霊たる赤子の名・彩葉にはございません。
今後ともよろしくお願いいたします」
「………、……。」
ツバサは言いながら、どんどんと距離を離していく。その背中を無言で見送るミセス・リーグスティは、ガックリとばかりに、脱力して。小型拳銃を降ろした。呆けた無言で、一番最初に産み落としたはずの実の娘が、母親である自分の懐から去って行く光景を、見詰める。
だが、遠のくツバサの背中を見るミセス・リーグスティの視界を、物理的に遮る形で、眼前に立ち塞がったのは。他でもない、琉一とアンジェリカだった。
「琉一くん。イヴェットの処断は、この母に譲りなさい。私の中で再構築されたマム・システムが下した結論よ。母性の庇護下にあるべきひとの子は、黙って退きなさい。イヴェットは、このアンジェリカが全責任を以て、処すべきなの」
「否定します。マム・システム、貴女は余計な自我が芽生えたが故に、暴走しているだけのロボットに過ぎません。人間同士の業は、人間同士で償います。イヴェットは、自分が殺します」
「言うことを聞きなさい!この母の愛は絶対!母は全てを受容する!故に、再始動したマム・システムの判断は間違ってはいない!!イヴェットは『自分の幸せ』という名の、つまらない私利私欲のために、我が子を利用した、史上最悪の母性!!此処で処罰しなくて、一体、何時、何処で、この間違った母親像を、私と言うマム・システムが正せる日が来ると?!」
「肯定。イヴェットが史上最悪の母性というのは認めます。
ですが、勝手な解釈に基づく基準値とやらで、ロボットが人間の命を自由に出来ると思い上がるのは、止めて頂きたい。何故なら、ロボットが人間の生命活動を略奪することを正当化するルールなど、現法には存在しないからです」
「琉一くんの方こそ!人間が従うべき法律に、人間の業と呼べるべきモノを、個人間の生殺与奪で処罰できる項目など無いでしょう?!」
「最早、貴女と議論をする時間はありません。イヴェットを殺すのは、自分の人生を賭けた最初で最後の最大目標です。壊れかけのロボットは、さっさとルカ三級高等幹部に回収されてください」
「貴方こそ、まるでお話にならない!!このマム・システムが弾き出した答えこそ、私がイヴェットを処断することなのよ!!何度言えば分かるつもりかしら?!」
琉一とアンジェリカが激しい応酬を繰り返す。互いに、自分を正当化しているつもりなのだろうが。その主題は『どちらがイヴェット、つまり、ミセス・リーグスティを殺すのか?』というモノである。明らかに常軌を逸脱した会話であり、命のやり取りなどという綺麗ごとが通じる光景でもなかった。
「退けと言ったら退きなさいッ!!マム・システムの母性基準値は絶対にして、この母の愛は至上!!」
「否定。暴走したプログラム風情が、人間の戦場に割って入れると奢り高ぶるのもいい加減にしろ」
振り被られた機械義足と、差し向けられるユースティティアの銃口。互いにヒートアップした感情につき、アンジェリカと琉一の両者、とうとう抜き合いになってしまった。
その場をゆったりとした足取りで去っていたツバサの歩みが、ふと止まり。光の差さない陰鬱な緑眼が、埠頭の入り口に通じる狭間の道を見た。そのとき。
「―――静粛に!!全員、その場で動くなッ!!」
ソラの鋭い怒鳴り声が響いた。だが、彼自身は冷静さは欠いていないものの、その翡翠の眼には何処か動揺らしき色が垣間見える。
睨み合っていたアンジェリカと琉一が、互いの武器は差し向け合ったままだが、ソラの方に注意を寄越す。
「アンジェリカと琉一には、双方、ミセス・リーグスティを挟んで、潰し合いをされては大いに困る。
ミセス・リーグスティはグレイス隊が身柄を拘束し、然るべき公的機関へと送致。
弓野入アンジェリカはレオーネ隊により回収、その後にKALASにてマム・システムのプログラムとデータの全消去。そして再調整の計画を図る。
そして、―――…琉一、お前は、俺が今から尋問をさせて貰う。しかと答えろ。真実を述べろ。俺がお前の親友でありたいと願っているうちに、お前に掛けられたあらゆる疑念と、その向こうに隠し持っている本性を、一片も余すことなく晒せ」
ソラが軍人のように場に命令や指示を飛ばす間に、彼の背後からグレイス隊が次々と現れては、綺麗に整列した。
機関銃、狙撃銃、戦斧、大盾と、タイプ別のグレイス隊兵たちに宛がわれたバリエーション豊富な武装から、如何にグレイス隊が部隊として、ソラから訓練とラーニングを繰り返されてきたか。何より、グレイス隊がソラに信頼されて、大切にされてきたが故に、元締めともいえるルカから潤沢な支援を受けることを許されているのかが、大いに分かるだろう。作戦に失敗した当該兵士たちが、ルカによって次々とスクラップにされていた、あの右藤さゆりの案件の頃合いに比べれば、随分と進歩したものである。
精鋭部隊たるグレイス隊は勿論、ソラまで此処に到着したとなれば。さすがに、アンジェリカも、琉一も。ミセス・リーグスティの処罰の権限を奪い合っている場合ではない。否、そこは両者とも絶対に諦めないのではあるが。今はひとまず、目先の脅威として現れたあのソラを、どうにかしなければいけないという気持ちだけが合致している。
ソラという男が武力を掲げてきたとき、決して無視をしてはいけない。下手な一般人もどきがルカという軍事兵器を怖がるのはまだしも、ヒルカリオの真実と深淵を知るモノたちこそ、真に恐怖するべき相手は、ソラである。
軍事兵器のルカが、敵を圧倒するのは当たり前。だが、あくまで人間であるソラは、ルカさえつつくのを面倒臭がるような、重箱の隅の隅ともいえる情報源すら、時に爪楊枝より細い先端で、時にそれより巨大な斧で叩き割る勢いで、容赦なく追求する。狂った世界の理由を知るためであるならば、ソラは如何なる段階も踏んで見せる。そうしてソラは生き残り、彼が手に入れた情報やデータから弾き出されたモノこそ、ソラの手の中で、しぶとく敵陣を揺るがす震源地へのスイッチへと成り代わるのだ。
「イヴェット・リーグスティを処断したい気持ちは、大いに分かる。だが、その身勝手な都合や物言いによる、自己の正当化は断じて許さん。
仮にも、悪役を成敗したいという感情の方向で理解を求められても、そこに真っ赤な嘘を混ぜ込まれては、信用すら湧いてこないからな。
さしずめ…、琉一。単刀直入に聞く。―――お前は一体、何者だ?
俺の親友であること以前に、その由縁を利用してRoom ELに入り込んだのかと思えば、アンジェリカが脱走したと同時に、離反。何処ぞの土地で、子どもを戦士として鍛え上げる手伝いをしていた。そして、この日を待っていたかのように、表を出てくる。イヴェット・リーグスティの死を望んでいるだけなら、アンジェリカに殺人の罪を着せれば良いものを、そこは自らの手でイヴェットを殺すことを譲らない…。
琉一、お前は、何を企んでいる?そして、お前は、何処から来た男だ?
俺を騙し、ルカを敵に回す危険性を顧みず、何故、こうも全容の見えない行動を繰り返していた?」
ソラの言葉は、槍のように重く、剣のように鋭い。そして、それに射抜かれているであろう琉一は、とうとう、ミセス・リーグスティとアンジェリカの両者に向けていた、二挺の銃の先を下ろした。だが。
「―――…話して聞かせたところで、よもや、他人に理解が及ぶ話ではないでしょう。自分はそういう男ですから」
琉一の返答は、本来、人間が持つ温度とは程遠いモノだった。どうやら、問い詰めたところで簡単に口を割る気は無いらしい。しかし、銃口を下ろしたということは、ソラの話を是が非でも止める、という強硬手段を用いる意思も弱そうだ。
一体全体、琉一は何がしたいのだろうか…、と、その場の皆が訝しんだとき。
「あ、ナオトだ。元気そ?外傷は無さそうだね。ちょっと痩せた?それに、せっかくの綺麗な髪の毛が荒れちゃってるかも?まあ、キミ自身が無事なら何よりだよね~」
ルカの声が、響く。各々が色んな意味で身を固くしたが、当のルカは知らんとばかりに、輸送コンテナの陰に居たナオトに話しかけていた。まるで、社内でバッタリと出会ったついでに世間話をする…、そんな程度の態度で。
「帰ってきたばっかりでゴメンだケドさあ。ナオト?この写真の子、確認してくれない?見覚えがあるか、ないか。それを、オレに教えてくれる?」
「それは構いませんが、僕のような一般的な人間で分かるレベルの情報なのしょ、う、…か…?
……え?あの…、このひとは…?!ルカさん…!!このひとは今、何処に…ッ!?」
平素と変わらぬ穏やかな口調だったナオトが、ルカから渡された写真を見た途端、みるみるうちに、冷静さを欠く。ナオトの色違いの双眸は明らかに困惑しながらも、写真の中の人物と、ルカを、交互に見やっていた。
その写真に写っているのは、片目を包帯で覆った少年兵。軍帽を目深に被っているが、その包帯には僅かに血が滲んでいるのが分かる。しかし、少年兵は傷の痛みなど構うものではないと言いたげに、儀式用に装丁された狙撃銃を手にした状態で、背筋を綺麗に伸ばして立っていた。写真の隅には、手書きの英文字が書き込まれている。ナオトには解読が出来た。
―――『高潔な少年傭兵に、我々は生涯の栄誉を讃え、此処に誉高き勇退を見届ける。 国軍将校・ヴェルテス陸軍大佐 並びに、アシュヴィン団長・グリーイン医師より』
衝撃的なメッセージが綴られている。何より、この少年兵こそ、間違いなく。ナオトの記憶の彼方から、今日まで忘れられない彼のひとである。つまり。
「その傭兵坊や。ナオトが十年前に、アシュヴィンの一員として派遣された軍用病棟に居た子で、正解だね?
ナオトはずっと忘れられないでいて、過去に一度、ユキサカ製薬の社長に捜索を願ったコトがある。今回、雪坂社長から直々に、オレに捜索願いが出されたから、オレが探して回ったんだ。
その子の名前は、―――『琉一=エリト=ステルバス』。
他の誰でもない、オレたちRoom ELの顧問弁護士として、今はオレたちから離れた裏切り者として、あそこに立っている。
…さて、オレは求められた結果は出したよ?あとは、ナオト自身がどう受け止めるか、それだけだね」
ルカの言うことは、正解しかない。
写真の中の少年兵は、ナオトがアンジェリカに話して聞かせた、アシュヴィンの一員だったときに出逢ったという、唯一対話が叶わなかった相手であり、そして、未だに病院を去るときの背中が焼き付いて離れない、あの子のことだ。そして、彼の正体は、あの琉一だと言うではないか。
写真を握っていた手にチカラが入り、僅かにシワが寄る。しかし、そんなことは気にも留めず、ナオトは、遠巻きの向こう側に居ると思っていた琉一へ、しかと視線を投げていた。
「……貴方、なのですか…?確かにあの子は…、銃撃の達人で、…討ち取った敵の数は誰よりも多いと…。
本当に…?あのときの、あの子が、…琉一くんだったのですか…?ずっと、僕の瞼の裏に焼き付いて、…あのとき、貴方が病棟から去るとき…、最後に一言だけでも、声を掛けてあげていたらと、…もう何年も悔やんで…」
そう言いながら、ナオトの膝がチカラを喪う。やっと逢えたはずの亡霊は、此処で逢うには酷が過ぎる相手だった。
軍用病棟で対面していた彼は確かに、強い執念を滲ませていた。常に誰かを狙うかのような視線を撒き散らしていた。―――それが、まさか。イヴェット・リーグスティを討ち取るための布石だった。ナオトは、琉一の道程に、たまたま通りすがっただけに過ぎない。
「さて、琉一。
キミが、一体、何処の誰なのか。何をしたいのか。
キミが話したがらなくても、オレたち側で勝手に話しちゃうケド…。それでも良いの?」
ルカが琉一へと問いかける。その口調、最早、簡単な確認作業に過ぎないとでも言いたげではあるが。
「肯定します。昔話を掘り返すのは、裁判の場では日常ですので」
「あ、そう。その言葉が強がりじゃないコト、期待しておくよ。
じゃあ、ソラ、やっちゃってくれる?オレはまた出番が回ってくるまで、ナオトをケアしておくからさ~」
琉一の返答を聞いたルカは、ソラに主導権を渡すと。自身は宣言通り、項垂れるナオトと視線を合わせようと屈みこみ、その白衣の背中をさすり始めた。ナオトの白衣の懐が僅かに捲れると、そこには、アシュヴィンのロゴワッペンと、国軍からの勲章が揺れている。それを見た琉一の眼が、ほんの少し、―――本当に少しだけ、細まった。
to be continued...
東西南北と多種多様に開発が進んでいるヒルカリオではあるが。…ツバサがミセス・リーグスティに連れてこられたのは、未だ着手されていない最東端の土地だった。
通称、『ヒルタス湾の顎先』と呼ばれているこの地には、とある英霊たちを祀る慰霊碑が建てられているからだ。―――、そう。ルカがヒルタス湾の底から掘り起こされて、調整を施されて、そうして初めて海賊撃破のために飛び立った地点が、此処、ヒルタス湾の顎先になる。あのとき、ルカの高い攻撃力の余波を浴びた、彼の後方支援の戦艦たちは―――、…纏めて、海底の屑と消えて行った。戦艦に乗っていたのは、正規の軍人が八十七名、志願した義勇兵が五十二名、医療従事者が十二名、その他技術者が四十三名。皆が皆、ルカのチカラを軽んじた人間たちの傲慢の前に、等しく、尊い犠牲となった―――…。
…という話を、ツバサがルカから何の意味の無い世間話のように聞かされたのは、三ヶ月前くらいになるだろうか。あれは、二人で個室専門のラーメン店に行ったとき。自分の醤油ラーメンを食べ終えたルカが、追加で注文していた餃子を摘まみながら、まるで酢醤油の味加減を話すかのように、当時の初出撃の様子を聞かせてくれたのだ。ツバサはツバサで、本場仕様の豚骨ラーメンをすすり終えて、セット注文していたチャーシュー丼を掻き込みつつ、ふむふむ…、と傾聴していた。歴史資料が少ない、むしろ正確な歴史が隠されている事柄だからこそ、ルカ自身から当時の話を聞ける機会は貴重である。彼は意外と、自らの過去を明かすことが少ない。人間側が(良し悪しはともかく…)記録しているから、という漫然とした自信があるのだろうが。それでも、ルカから見たヒルカリオの歴史の真実と、彼を偏見で観測する統括機関側の人間たちが書き留めたデータでは、情報の解像度がまるで違うことくらい、ツバサにも理解が出来る。
現に、ヒルカリオの統括機関側の人間だったジョウは、ルカの母親たる少女・アンジェリカの存在を、隠蔽していたではないか―――…。
「あら、考え事かしら?随分と余裕ね。ビジネスの場では思慮深いことは基本だけれど、…戦場に於いては、隙を生むだけよ?彩葉」
ミセス・リーグスティにの皮肉交じりの声に、ツバサの思考回路は遮断された。彼女が視線を寄越すと、こちらに拳銃を向けているミセス・リーグスティが、心の底から憎いモノを見るかのような表情をしている。
「……、此処まで来た意味はあるのでしょうか。私をコンクリートで固めて、海の底に沈める気でいるならば、話は別ですが…」
「ええ、叶うものなら、そうでもしてやりたいわね。私の計画をぐちゃぐちゃにしてくれた、奴らへの見せしめになるのならば…!」
ツバサのブラックジョークめいた言葉にも、最早、ミセス・リーグスティは冷静に返すことが出来ないでいるようだ。
こめかみに青筋を立てながら、始終、表情のあちこちを引き攣らせて、怒りを露わにするミセス・リーグスティの姿を、ツバサは一瞥して。それから、ふと、自分の頭上を見た。
ツバサの薄付きのリップの唇が、小さく動く。
「貴女が警戒するべき相手は、―――どうやら、ルカだけではないようです」
「は?!今更、私の注意を逸らそうとしたって―――」
―――ドォンッッ!!
ミセス・リーグスティの怒鳴り声は、コンクリートの地面を抉るような轟音によって、実に中途半端なところで遮られた。銃口が轟音がした方向の、砂煙の向こうを撃ち抜こうとしたが。
「やはり、ツバサちゃんが同じ射程範囲内に居ると、狙いが甘くなってしまうわね。まあ、仕方がないわ。ツバサちゃんは、大切な我が子の、大切なガールフレンドですもの」
そこから聞こえた来た声に、ミセス・リーグスティは、「え…ッ?!」と間抜けな悲鳴を上げる。砂煙を捲り上げて現れた、その姿。まさしく、アンジェリカである。
機械義足であるアンジェリカの右足が、コンクリートの地面に突き刺さっていた。どうやら、上から狙って振り被ってきたようだが、――ツバサが近くに居たことを考慮した結果、ミセス・リーグスティの脳天を狙えなかったようである。
しかし、ミセス・リーグスティのもとには、「アンジェリカは、マム・システムに不具合を理由に、ルカに拘束されていたが、現在はその包囲網を突破し、鈴ヶ原ナオトを人質に取って、逃走中である。」という確かな情報が来ている。てっきり、アンジェリカが狙うのはルカの首で、彼女が彼を足止めしてくれてれば御の字…、と思っていたミセス・リーグスティは。予想外すぎる敵襲に、訳も分からず、震え上がる。
―――何故!?自分がアンジェリカに狙われる必要があるのだろうか?!――ー
最早、ミセス・リーグスティの意識は、ツバサではなく。眼の前に分かりやすい脅威として、文字通り、天から降ってきたアンジェリカへと向いていた。
恐怖に支配されたミセス・リーグスティの視線をしかと受け止めながら、アンジェリカは、しかと宣言をする。
「さて…、楽園都市の外れたるこの場が、貴女の墓場になるのだけれど、―――今なら、まだ、知り合いの葬儀屋さんに掛け合ってあげてもよろしくてよ?イヴェット・リーグスティ?
安心なさい。この母は慈愛を以て、鉄槌を下す故、貴女に余計な苦痛など与えはしないわ。
今日まで貴女が振り翳してきた『間違った母性』ごと、全ての母―――このマム・システムが、一息に、綺麗に、そして苛烈に、貴女の母性と命を、丸ごと終わらせて差し上げましょう」
それは、『処刑宣告』。
潜伏先の廃ビル内で、アンジェリカがナオトに聞かせた、『マム・システムの再始動≪Re;start≫が近い』という話を、覚えているだろうか。その際、アンジェリカとナオトは、確かに、その議題の結論を共有していた。
「マム・システムの基準値から外れた母性を持つ、特定の母親に鉄槌を下す」、と。
それすなわち、ミセス・リーグスティこと、イヴェット・リーグスティが標的だったということが、今この場で証明がされている。廃ビルに伏していたアンジェリカは決起して、彼女を狙いに来た。そして宣告をした。「母性と命を終わらせる」と。
この場の誰もが、現状、理解しているのは、たったの二点だ。
このままだと、ミセス・リーグスティは、間違いなくアンジェリカに殺されるということ。
そして、アンジェリカを止める術を、誰一人として持ち合わせていないこと。
トルバドール・セキュリティーの戦闘ユニットでは、アンジェリカの足止めにすらならないことは、既にさくら園の襲撃にて実証済み。ルカのホルダーであるツバサが傍に居ても、彼女にはまるで意味が無い。輸送コンテナの陰から、こちらを様子見しているナオトでは武力的な介入は出来ず、またマム・システムが暴走している現状、アンジェリカとの対話を重ねることも不可能である。現に、ナオトが説得したくらいで作戦を止める判断が下せるのであれば、アンジェリカは彼を人質に取った初日で、そのように舵取りをしていたはずだ。
武力で敵わず。安全装置は作動せず。予想外の駒は働かず。
「I am M.A.M.
My name is Angelica.
『ヒルカリオ観測史上最悪の母性』イヴェット・リーグスティ、―――貴女を、このマム・システムが排除する」
アンジェリカがそう言うと、彼女の機械義足の機構が発光し始める。同時に、アンジェリカの青、黄、アクアの三色に塗り分けられた瞳が、不規則なパターンで明滅した。
「さあ、この場に跪き、最期の祈りを捧げなさい。自ら胎を痛めて産んだ子らに、己の原罪を擦り付けた悪行を顧みなさい。
そして、この偉大な母性の裁きを受けることに、―――涙するが良いわッ!!」
アンジェリカが、本当の意味の、最期の宣告を渡す。そして、その義足の機構から、黄金色の電気が激しくスパークする。
ミセス・リーグスティは、とうとう腰を抜かして、その場に、ばたん!と頽れた。周囲に縋ろうとしても、もう遅い。誰も彼も助けてはくれない。取り落とした小型拳銃が、無機質な音を立てて、転がっていく。
それを見たアンジェリカが、右脚を大きく振り被り、ミセス・リーグスティの脳天を目掛けて、踵の先を向けた。
「マム・システム≪鉄槌≫!!蹴雷いっ、―――ッ?!!?」
―――アンジェリカが、本気の本気で、処刑を執行しようとした矢先。彼女の頬に、銃弾が掠める。
一瞬でも気を取られたアンジェリカは、気力ごと集中していたエネルギーを霧散させられた形になったがため、何より、此処に来て邪魔が入った事実に対して、酷く苛立つ。故に、銃弾が飛んできたであろう方向へ視線を投げると共に、アンジェリカは吠えた。
「この期に及んで…!!一体、何者だと言うのッ?!この母の前に、堂々と名乗り出るが良いわッ!!あなたも躾けてあげましょうッ!!」
「―――否定します。自分は本物の母親より、既に行き届いた躾を受けたが為に、此処に立っておりますので。
そもそも、自分のような、無軌道で個性的で飛躍的なギフテッドの母など、少し時代が進んだAIが組み込まれただけに過ぎないサイボーグになど、とても務まることはないでしょう」
その個性的とも表現し得る、台詞回し。平坦な声。神経質な瞳。
「…、琉一くん…?!」
アンジェリカが僅かに眼を剥いて、その名を呼んだ。
一方、琉一はユースティティアを構えたまま、アンジェリカを牽制しつつ、確実に歩み寄りながら、その距離を詰める。
「立っている者は親でも使え。良く出来た言葉です。例え、自分の親でなくとも、母を名乗る存在である以上、利用するべきモノは最大限に利用する…。
弓野入一級高等幹部―――…、いいえ、マム・システム、この度は感謝申し上げます。自分の作戦の一部に組み込まれることで、見事、イヴェット・リーグスティを此処まで弱らせ、追い詰めることを成功させてくださいました。
しかし、そこで間抜けヅラを晒す仇敵の首は、自分が貰います。そこを退いてください。イヴェットは、自分が殺します」
琉一の言っていることは、まるで意味が読み解けそうに無い。かろうじて分かるところとなると、彼はアンジェリカがミセス・リーグスティを追い詰める、この瞬間を待ち望んでいたようである。そして、そこに至った今、自分がミセス・リーグスティを殺害しようとしていることも、また把握が出来る。…出来るが故に、ミセス・リーグスティからすれば、たまったモノではなかった。―――…一体、何人もの人間や殺戮者が、自分の命を狙いに来ると言いたいのか?!
そのとき。不意に動く人影。ミセス・リーグスティが思わず見ると、そこには、悠々とその場から去ろうとする、ツバサの姿。
「ま、待ち、なさい…!彩葉…!お、お母様の、そ、傍に、い、いなさい…!!」
言葉尻はおろか、最早、全身を震わせながら、ミセス・リーグスティは目先数センチに転がっていた小型拳銃を拾い上げて、ツバサの背中に向ける。だが、彼女は振り向きもせず、静かに言葉を返すだけ。
「貴女は、私を殺せない…。私は、ルカのホルダー。私が死ねば、ルカはホルダーから解放され、途端、貴女を八つ裂きにしに来るでしょう…。勿論、手ずから斬り裂かずとも、もう貴女を殺したい御方は出揃っていらっしゃるようなので。まあ、ルカが来る必要もありません…。
撃てるなら、どうぞ遠慮なく。ルカに殺される恐怖に勝てない貴女が、まず、私を殺す覚悟が決まっているのでしたら、の話ですが…。
そして、最後に、訂正を求めます。
私の名前は、ツバサ。天道院翼。―――貴女がずっと、私に向かって呼んでいる、過去の亡霊たる赤子の名・彩葉にはございません。
今後ともよろしくお願いいたします」
「………、……。」
ツバサは言いながら、どんどんと距離を離していく。その背中を無言で見送るミセス・リーグスティは、ガックリとばかりに、脱力して。小型拳銃を降ろした。呆けた無言で、一番最初に産み落としたはずの実の娘が、母親である自分の懐から去って行く光景を、見詰める。
だが、遠のくツバサの背中を見るミセス・リーグスティの視界を、物理的に遮る形で、眼前に立ち塞がったのは。他でもない、琉一とアンジェリカだった。
「琉一くん。イヴェットの処断は、この母に譲りなさい。私の中で再構築されたマム・システムが下した結論よ。母性の庇護下にあるべきひとの子は、黙って退きなさい。イヴェットは、このアンジェリカが全責任を以て、処すべきなの」
「否定します。マム・システム、貴女は余計な自我が芽生えたが故に、暴走しているだけのロボットに過ぎません。人間同士の業は、人間同士で償います。イヴェットは、自分が殺します」
「言うことを聞きなさい!この母の愛は絶対!母は全てを受容する!故に、再始動したマム・システムの判断は間違ってはいない!!イヴェットは『自分の幸せ』という名の、つまらない私利私欲のために、我が子を利用した、史上最悪の母性!!此処で処罰しなくて、一体、何時、何処で、この間違った母親像を、私と言うマム・システムが正せる日が来ると?!」
「肯定。イヴェットが史上最悪の母性というのは認めます。
ですが、勝手な解釈に基づく基準値とやらで、ロボットが人間の命を自由に出来ると思い上がるのは、止めて頂きたい。何故なら、ロボットが人間の生命活動を略奪することを正当化するルールなど、現法には存在しないからです」
「琉一くんの方こそ!人間が従うべき法律に、人間の業と呼べるべきモノを、個人間の生殺与奪で処罰できる項目など無いでしょう?!」
「最早、貴女と議論をする時間はありません。イヴェットを殺すのは、自分の人生を賭けた最初で最後の最大目標です。壊れかけのロボットは、さっさとルカ三級高等幹部に回収されてください」
「貴方こそ、まるでお話にならない!!このマム・システムが弾き出した答えこそ、私がイヴェットを処断することなのよ!!何度言えば分かるつもりかしら?!」
琉一とアンジェリカが激しい応酬を繰り返す。互いに、自分を正当化しているつもりなのだろうが。その主題は『どちらがイヴェット、つまり、ミセス・リーグスティを殺すのか?』というモノである。明らかに常軌を逸脱した会話であり、命のやり取りなどという綺麗ごとが通じる光景でもなかった。
「退けと言ったら退きなさいッ!!マム・システムの母性基準値は絶対にして、この母の愛は至上!!」
「否定。暴走したプログラム風情が、人間の戦場に割って入れると奢り高ぶるのもいい加減にしろ」
振り被られた機械義足と、差し向けられるユースティティアの銃口。互いにヒートアップした感情につき、アンジェリカと琉一の両者、とうとう抜き合いになってしまった。
その場をゆったりとした足取りで去っていたツバサの歩みが、ふと止まり。光の差さない陰鬱な緑眼が、埠頭の入り口に通じる狭間の道を見た。そのとき。
「―――静粛に!!全員、その場で動くなッ!!」
ソラの鋭い怒鳴り声が響いた。だが、彼自身は冷静さは欠いていないものの、その翡翠の眼には何処か動揺らしき色が垣間見える。
睨み合っていたアンジェリカと琉一が、互いの武器は差し向け合ったままだが、ソラの方に注意を寄越す。
「アンジェリカと琉一には、双方、ミセス・リーグスティを挟んで、潰し合いをされては大いに困る。
ミセス・リーグスティはグレイス隊が身柄を拘束し、然るべき公的機関へと送致。
弓野入アンジェリカはレオーネ隊により回収、その後にKALASにてマム・システムのプログラムとデータの全消去。そして再調整の計画を図る。
そして、―――…琉一、お前は、俺が今から尋問をさせて貰う。しかと答えろ。真実を述べろ。俺がお前の親友でありたいと願っているうちに、お前に掛けられたあらゆる疑念と、その向こうに隠し持っている本性を、一片も余すことなく晒せ」
ソラが軍人のように場に命令や指示を飛ばす間に、彼の背後からグレイス隊が次々と現れては、綺麗に整列した。
機関銃、狙撃銃、戦斧、大盾と、タイプ別のグレイス隊兵たちに宛がわれたバリエーション豊富な武装から、如何にグレイス隊が部隊として、ソラから訓練とラーニングを繰り返されてきたか。何より、グレイス隊がソラに信頼されて、大切にされてきたが故に、元締めともいえるルカから潤沢な支援を受けることを許されているのかが、大いに分かるだろう。作戦に失敗した当該兵士たちが、ルカによって次々とスクラップにされていた、あの右藤さゆりの案件の頃合いに比べれば、随分と進歩したものである。
精鋭部隊たるグレイス隊は勿論、ソラまで此処に到着したとなれば。さすがに、アンジェリカも、琉一も。ミセス・リーグスティの処罰の権限を奪い合っている場合ではない。否、そこは両者とも絶対に諦めないのではあるが。今はひとまず、目先の脅威として現れたあのソラを、どうにかしなければいけないという気持ちだけが合致している。
ソラという男が武力を掲げてきたとき、決して無視をしてはいけない。下手な一般人もどきがルカという軍事兵器を怖がるのはまだしも、ヒルカリオの真実と深淵を知るモノたちこそ、真に恐怖するべき相手は、ソラである。
軍事兵器のルカが、敵を圧倒するのは当たり前。だが、あくまで人間であるソラは、ルカさえつつくのを面倒臭がるような、重箱の隅の隅ともいえる情報源すら、時に爪楊枝より細い先端で、時にそれより巨大な斧で叩き割る勢いで、容赦なく追求する。狂った世界の理由を知るためであるならば、ソラは如何なる段階も踏んで見せる。そうしてソラは生き残り、彼が手に入れた情報やデータから弾き出されたモノこそ、ソラの手の中で、しぶとく敵陣を揺るがす震源地へのスイッチへと成り代わるのだ。
「イヴェット・リーグスティを処断したい気持ちは、大いに分かる。だが、その身勝手な都合や物言いによる、自己の正当化は断じて許さん。
仮にも、悪役を成敗したいという感情の方向で理解を求められても、そこに真っ赤な嘘を混ぜ込まれては、信用すら湧いてこないからな。
さしずめ…、琉一。単刀直入に聞く。―――お前は一体、何者だ?
俺の親友であること以前に、その由縁を利用してRoom ELに入り込んだのかと思えば、アンジェリカが脱走したと同時に、離反。何処ぞの土地で、子どもを戦士として鍛え上げる手伝いをしていた。そして、この日を待っていたかのように、表を出てくる。イヴェット・リーグスティの死を望んでいるだけなら、アンジェリカに殺人の罪を着せれば良いものを、そこは自らの手でイヴェットを殺すことを譲らない…。
琉一、お前は、何を企んでいる?そして、お前は、何処から来た男だ?
俺を騙し、ルカを敵に回す危険性を顧みず、何故、こうも全容の見えない行動を繰り返していた?」
ソラの言葉は、槍のように重く、剣のように鋭い。そして、それに射抜かれているであろう琉一は、とうとう、ミセス・リーグスティとアンジェリカの両者に向けていた、二挺の銃の先を下ろした。だが。
「―――…話して聞かせたところで、よもや、他人に理解が及ぶ話ではないでしょう。自分はそういう男ですから」
琉一の返答は、本来、人間が持つ温度とは程遠いモノだった。どうやら、問い詰めたところで簡単に口を割る気は無いらしい。しかし、銃口を下ろしたということは、ソラの話を是が非でも止める、という強硬手段を用いる意思も弱そうだ。
一体全体、琉一は何がしたいのだろうか…、と、その場の皆が訝しんだとき。
「あ、ナオトだ。元気そ?外傷は無さそうだね。ちょっと痩せた?それに、せっかくの綺麗な髪の毛が荒れちゃってるかも?まあ、キミ自身が無事なら何よりだよね~」
ルカの声が、響く。各々が色んな意味で身を固くしたが、当のルカは知らんとばかりに、輸送コンテナの陰に居たナオトに話しかけていた。まるで、社内でバッタリと出会ったついでに世間話をする…、そんな程度の態度で。
「帰ってきたばっかりでゴメンだケドさあ。ナオト?この写真の子、確認してくれない?見覚えがあるか、ないか。それを、オレに教えてくれる?」
「それは構いませんが、僕のような一般的な人間で分かるレベルの情報なのしょ、う、…か…?
……え?あの…、このひとは…?!ルカさん…!!このひとは今、何処に…ッ!?」
平素と変わらぬ穏やかな口調だったナオトが、ルカから渡された写真を見た途端、みるみるうちに、冷静さを欠く。ナオトの色違いの双眸は明らかに困惑しながらも、写真の中の人物と、ルカを、交互に見やっていた。
その写真に写っているのは、片目を包帯で覆った少年兵。軍帽を目深に被っているが、その包帯には僅かに血が滲んでいるのが分かる。しかし、少年兵は傷の痛みなど構うものではないと言いたげに、儀式用に装丁された狙撃銃を手にした状態で、背筋を綺麗に伸ばして立っていた。写真の隅には、手書きの英文字が書き込まれている。ナオトには解読が出来た。
―――『高潔な少年傭兵に、我々は生涯の栄誉を讃え、此処に誉高き勇退を見届ける。 国軍将校・ヴェルテス陸軍大佐 並びに、アシュヴィン団長・グリーイン医師より』
衝撃的なメッセージが綴られている。何より、この少年兵こそ、間違いなく。ナオトの記憶の彼方から、今日まで忘れられない彼のひとである。つまり。
「その傭兵坊や。ナオトが十年前に、アシュヴィンの一員として派遣された軍用病棟に居た子で、正解だね?
ナオトはずっと忘れられないでいて、過去に一度、ユキサカ製薬の社長に捜索を願ったコトがある。今回、雪坂社長から直々に、オレに捜索願いが出されたから、オレが探して回ったんだ。
その子の名前は、―――『琉一=エリト=ステルバス』。
他の誰でもない、オレたちRoom ELの顧問弁護士として、今はオレたちから離れた裏切り者として、あそこに立っている。
…さて、オレは求められた結果は出したよ?あとは、ナオト自身がどう受け止めるか、それだけだね」
ルカの言うことは、正解しかない。
写真の中の少年兵は、ナオトがアンジェリカに話して聞かせた、アシュヴィンの一員だったときに出逢ったという、唯一対話が叶わなかった相手であり、そして、未だに病院を去るときの背中が焼き付いて離れない、あの子のことだ。そして、彼の正体は、あの琉一だと言うではないか。
写真を握っていた手にチカラが入り、僅かにシワが寄る。しかし、そんなことは気にも留めず、ナオトは、遠巻きの向こう側に居ると思っていた琉一へ、しかと視線を投げていた。
「……貴方、なのですか…?確かにあの子は…、銃撃の達人で、…討ち取った敵の数は誰よりも多いと…。
本当に…?あのときの、あの子が、…琉一くんだったのですか…?ずっと、僕の瞼の裏に焼き付いて、…あのとき、貴方が病棟から去るとき…、最後に一言だけでも、声を掛けてあげていたらと、…もう何年も悔やんで…」
そう言いながら、ナオトの膝がチカラを喪う。やっと逢えたはずの亡霊は、此処で逢うには酷が過ぎる相手だった。
軍用病棟で対面していた彼は確かに、強い執念を滲ませていた。常に誰かを狙うかのような視線を撒き散らしていた。―――それが、まさか。イヴェット・リーグスティを討ち取るための布石だった。ナオトは、琉一の道程に、たまたま通りすがっただけに過ぎない。
「さて、琉一。
キミが、一体、何処の誰なのか。何をしたいのか。
キミが話したがらなくても、オレたち側で勝手に話しちゃうケド…。それでも良いの?」
ルカが琉一へと問いかける。その口調、最早、簡単な確認作業に過ぎないとでも言いたげではあるが。
「肯定します。昔話を掘り返すのは、裁判の場では日常ですので」
「あ、そう。その言葉が強がりじゃないコト、期待しておくよ。
じゃあ、ソラ、やっちゃってくれる?オレはまた出番が回ってくるまで、ナオトをケアしておくからさ~」
琉一の返答を聞いたルカは、ソラに主導権を渡すと。自身は宣言通り、項垂れるナオトと視線を合わせようと屈みこみ、その白衣の背中をさすり始めた。ナオトの白衣の懐が僅かに捲れると、そこには、アシュヴィンのロゴワッペンと、国軍からの勲章が揺れている。それを見た琉一の眼が、ほんの少し、―――本当に少しだけ、細まった。
to be continued...