第七章 再始動
【社長室】
「その必要はねーよ。よくやった、オト。お前が『乙女樹音色』で、本当に助かった…」
レイジがそう言うと同時に、派手なネイルが施されたミセス・リーグスティの指先が、スマートフォンの通話を切った。ブラックアウトした曇りの無い液晶画面と、レイジの薄水色の瞳の中には、顔色を悪くしたミセス・リーグスティの表情が映り込んでいる。
レイジが長い脚を組み直し、ミセス・リーグスティに向かって、口を開いた。
「で?次はなんだ?
まあ、遠慮すんなって…。うちは二百年以上の歴史を持つ玩具会社だ。多少のエンターテインメントのご提供は、歓迎してやんよ」
そう言い切る姿、余裕の有り様。厳しい顔付きで沈黙するミセス・リーグスティの対応を受けたレイジは、畳み掛けるように、言う。
「イルフィーダ隊の名前と、目先の銃口をチラつかせれば、一般の社員たちが大人しくするだろうとか…?そういうとこやぞ、って話なんだわ。
まあ、あんたとこのトルバドール・セキュリティーにある、軍事戦略シミュレーターは『一般人の制圧向け』だから、事前準備してきたとしても、失敗に終わるのは仕方ないさ…。残念だったな。ウチは然るべき位置に、特殊な人員を配置してる会社だ。…当然だろ?此処は、あのルカ兄を閉じ込める檻の心臓部なんだからよ。
…あんた、ビジネスウーマンとしては完璧だからって、自分の能力を過信しぎるのと、それプラス、自分がこの世の王になる器を持ってるとか勘違いしてる節があるだろ?」
図星の嵐である。だが、ミセス・リーグスティが何かを言い返したいと望む頃には、レイジの追撃が既に始まるのだ。
「あんたが優那に逃げられたのも、これでヒャクパー納得したし…。ついでに、姉ちゃんを甘く見過ぎているのも察したわ。
…さて。今度こそ、姐ちゃんを置いて、撤退して貰うぜ。多少のエンターテインメントは歓迎だとは言ったけど…、万が一、オトが絡新婦を引っ提げて社長室まで来たら、さすがに俺一人じゃ、セイラと姉ちゃんの両方を守りながら、あんたをぶん殴るってことは出来ないんだわ…。ほら、さっさとしな。俺だって仕事があるんだよ。シンデレラの魔法だって有限だろ?ほら、帰る、帰る…。―――っとぉ?!あぶねーだろーがッ!」
レイジの台詞の最後で、ミセス・リーグスティはとうとう屈辱に耐え切れず、持っていたスマートフォンを彼に向かって投げつけた。だが、レイジは物ともせずに躱してみせる。その代わりに、彼の背後に控えていた『本物』のイルフィーダ隊のロボット兵の腹部に、投げられたスマートフォンが叩きつけられた。しかし、たかだか一般女性、ましてや中年どころの人間のチカラ如きで放られた通話用の機械が当たった程度で、ロボット兵のメタルボディーにダメージなど通るはずもない。現に、イルフィーダ隊兵たちは、何事も発せず、姿勢を正して立ち続けていた。
自分都合の勝手な怒りを露わにするミセス・リーグスティの八つ当たりを、文字通り、身体で受け止めた機械。だが、ロボット兵は無機質にアイカメラを光らせるものの、無反応を貫く。
その対比は、レイジの眼の中で、彼に冷静な感情を維持させていた。相手が感情的になればなるほど、この男の精神は堅牢になる。前岩田レイジという男は、そういう人間。そうなるように育てられた。―――紛れもない。人間たちにルカと呼ばれ、彼自身もそう名乗ることを享受した、史上最強の軍事兵器の手によって。
その様を見せ付けられたミセス・リーグスティの爆発した感情が、とうとう真っ赤な口紅の唇から迸り始めた。彼女は前のめりになりながら、レイジに向かって怒鳴る。
「どうして…?!リスクマネジメントをまるで考えていないとでも言うつもり?!
自分の指揮する軍隊と同じ名前の兵士たちが!自分を心から慕っている部下たちに武器を向けたら!普通は怯えるものでしょう?!自分の失脚を危ぶんで、私に命乞いをするはずだわ!!それなのに!!貴方は許しを請うどころか、静観を決め込んだ!!
もし、兵隊長の発砲の方が早かったら?!もし、あの乙女樹主任が絡新婦とやらを上手く扱えなかったら?!もし、優那が真っ先に投降を申し出ていたら?!もし、あの場に誰か一人でも人間の死傷者が出ていたら?!
その瞬間、貴方はこのROG. COMPANYの社長として築いてきた全ての信頼と権威を喪っていたのよ?!その危険性を顧みない経営者なんて!!無能の証のはずなのに!!
それなのに!!どうして私が失敗しないといけないの??!!」
ミセス・リーグスティが、そう喚き散らす。
「怯える、失脚、…俺が、今の立場を喪うことを恐れる、ね…。やっぱり、あんた、何も分かってねーわ…」
レイジが溜め息混じりでそう返したのを聞いた、ミセス・リーグスティは益々ヒートアップする余り。とうとうソファーから立ち上がって、レイジを物理的に見下ろしながら、怒鳴った。
「私が何を分かっていないと?!貴方なんて、子育て一つ、したことも!!生まれてからカネや食べ物の苦労もしたことがないくせに!!社長として年数だって!!私の方が遥かに上なのに!!
この若造めッ!!偉そうに説教を垂れるのもいい加減にしなさいッ!!この私を誰だと思っているのッ?!」
「あんたこそ、―――この俺を、何処の誰だと、思ってるんだ?」
怒髪天のミセス・リーグスティを声を遮ったのは、他でもない、レイジの声である。だが、それは、眼前に広がっている現実を鋭く射抜いた瞳と合わさって、酷く冷たいモノだった。
不意を突かれて、思わず口を閉じてしまったミセス・リーグスティの隙を逃さないレイジは、彼女へ語って見せる。
「確かに、俺は生まれてから、実家の財産を含め、衣食住に全く困ったことは無い。父さんがとんでもない毒親だったことと、物心ついた頃、既に父さんを見限った母さんが完全別居中だったこと以外…、全てが恵まれた状態で生まれてきたさ。
将来は父さんの跡継ぎとして、この会社のトップになることも分かっていたし、それを拒否する権利も、意思も、俺には最初から殆ど無かった…。だからこそ、俺は、失脚なんか怖くないし、誰かのせいで自分の立場が危うくなることに怯える理由も、無い。
分かんねえ?…生まれてきた瞬間から、あんたとは見てきた世界のレベルが違うって話してんの」
レイジにそう言われる通り。彼とミセス・リーグスティでは、過去がまるで違う。だが、『現役で社長の座に居る』という答えは同じ。だが、レイジは。自分と彼女では、見ている世界に別物、と言いたいらしい。レイジが続ける。
「あんたが、極貧の庶民から、今の女社長の地位まで昇り詰めた努力と、それをキープしてきた結果はすげぇよ。でも、あんたは底辺から成り上がった人間だからこそ、再び『そっち』に落とされることを、心の底から怖がってる…。
…最初から何もかも上流である俺からすれば、何かの拍子に立場が落とされるのは、当たり前。常に上に立つモノは、いつかは落とされる前提で、人生を歩んでんだよ。
もう過ぎ去った古い時代に、庶民や反対勢力が巻き起こした革命運動によって、高い椅子から引き摺り下ろされた王族や貴族たちが、次々と処刑台に消えて行った歴史は…、…『俺たち』からすれば、至極、当然の結果に過ぎない。格下に反旗を翻されて、いざ負けてしまえば、高みに居る自分たちは、そいつらの手で死ぬ…。『誰かより上に立つ』って、そういうことなんだよ。
―――だから、俺はあんたの言う失脚とやらは、別に怖くないし、ましてや興味も無い。俺が此処で社長の椅子から落とされるなら、俺がそれまでの器だったことの証明にしかならないから。
いい加減、身の程を知れ、庶民出身。最初から、あんたと俺じゃあ、格が違う。
だからさ、今すぐ此処で、下手な野望を捨てて、真っ当な道に戻れって。…でないと、今度こそ、マジで―――…
―――…あんた、死ぬかもよ?」
レイジの声のトーンが、一層、低くなり、圧倒的な恐怖をもたらす。だが、彼自身の態度は、何処か悠々としており、余裕すら垣間見える。
―――…それは、王の風格、とも言えた。
この世に生命を抱いて産声を上げた瞬間、上流階級の空気を産湯として浸かった。しかし、実の親はレイジには無関心。そんな幼い王者を育てたのは、史上最強の軍事兵器たる男だった。上に立つモノとしての教育を施し、軍事兵器としての訓戒を授け。いつまで経っても、全力で遊んでくれる。
レイジの『強さ』と『王の器』は、単なる御曹司として賜った権威の話では、終わらない。幼いレイジを育ててくれたルカが居た。そして、大人になったレイジを親友として見てくれるツバサが居る。社長に成ったレイジを、個々の社長室のメンバーたちが支えてくれている。
レイジという男は、己の幸せのみを追求するだけのミセス・リーグスティとは、何もかもが違うのだ。
「そ、そんなの…、他人の人生観なんて、し、知るものですか…ッ!わ、私にはッ、し、幸せになる権利があるはず…ッ!」
最早、主導権どころか、己の道の指標さえ握られている気分になっているミセス・リーグスティだったが。それでも、尚、足掻こうとする。
自分は此処までたくさんの苦労と努力を積み重ねてきたはずなのだ。故に、自分が幸せになりたいと願うのは当然であり、それは絶対に叶わなければならないのだ。でないと、―――でないと、今までの自分が必要だと各地に捧げたカネ、感情、その他撒いてきた気遣い、計算してきたアレコレ…、それら全部の意味が、粉微塵も無くなってしまうではないか―――…ッ!!!
「その『幸せ』を掴むために…、自分が産んだからって、赤ん坊だった頃の姉ちゃんを捨てたり、今になって拾おうとしたり…。あるいは、後で産まれた双子たちには、自分好みになるよう、洗脳めいた教育したりするのが、許されるって…、…本気で思ってるわけ…?
あんたが産んできた子どもも、あんたの取り囲む人間たちも、誰も彼も、あんたの『幸せ』のために犠牲になっていい装置なんかじゃねーよ。
…。最初から…、姉ちゃんを産んだ瞬間から、…自分の身の丈に合った幸福だけを見極めて、それさえ求めてれば…、あんた、此処まで落ちぶれることは無かったと思うよ、ほんとさ…」
「~~~~~ッッ!!??」
レイジの宣告は、ミセス・リーグスティからすれば、まるで大きな鈍器で頭を殴られたかのような衝撃だった。打ちのめされそうな気持ちである。悲鳴すらあげられない。だが、彼女は未だ「立っている」。
―――そう、まだ、自分は巻き返せる…!此処に立っているのだから…―――!!
次の瞬間。ミセス・リーグスティは、スーツの袖に隠し持っていた特別製の小型拳銃を取り出し、ツバサに突き付けた。それと同時に、ミセス・リーグスティ側の黒色の戦闘ユニットたちと、レイジの背後に控えているイルフィーダ隊が、一斉に銃口を向け合う。しかし、此処は社長室とはいえ、狭い室内。銃撃戦に持ち込むのは余りにも非現実的であり、現に、互いの陣営は牽制を投げ合うだけに留まる。そのうえ、レイジはソファーから立ち上がりもしなかったし、セイラも給湯室から様子を伺うだけで、特に驚く素振りを見せていない。
ミセス・リーグスティが、ツバサに銃口の先で立つよう促し、出入り口へと歩き出した。戦闘ユニットも、牽制を解かずに、付いていく。このままでは、ミセス・リーグスティはツバサを人質にしたまま、我が身の暴走を止めないだろう。レイジに追い詰められた彼女が、今後、どのような無茶を仕出かすかも心配になってくる。しかし。
「アリスちゃんの外勤のシフトなんて、オレは組んだ覚えは無いケドなあ。ねえ?キミは、オレのホルダーを何処に連れて行くつもりなの?」
その声が社長室の出入り口付近から聞こえた瞬間。ミセス・リーグスティが、ぎくり、と固まった。視線を寄越せば、―――深青の人影。
「―――…ルカ…!!」
ミセス・リーグスティが呟いた名前こそ、この島で一番、敵に回したくない男。―――遂に、現れた。人類に破滅を呼ぶと言われ続けた軍事兵器が、動き出した。
ルカは、にこり、と笑う。その眼は、ツバサに向いていた。
「アリスちゃん、どうする?オレがお迎えに行った方が良いのかな?それとも、都合の良いときに、自分で帰ってこれそ?」
「…自分で帰るから、平気だよ。ルカはルカの出来ることに、集中していて欲しい」
「そっかあ。じゃあ、此処は一旦、お見送りさせて貰おうっか」
ルカとツバサのやり取りは、まるで「今から差し込みの外回りに行ってくる」程度の軽さであり、とても現実味が無い。だが、動揺するミセス・リーグスティに対して、ルカは長身を動かして、あっさりと出入り口へ続く道を譲る。
「ほら、さっさと通れば?ソラが帰ってくるまでに、さっさと社外に出ちゃってくれる?鬼の居ぬ間に、ってね。あれ?この言葉の意味、本当に合ってる?」
どうやら、今はソラが社内に居ないらしい。今のミセス・リーグスティにとって、自分への危険因子は少ないに限るが。肝心の情報源であるルカの口調が余りにも軽すぎて、薄ら寒さすら覚える心地だ。しかし、せっかくのチャンスを見逃すわけにもいかない。ルカのホルダーであるツバサさえ、己の隣で取り押さえておけば、少なくとも彼の攻撃範囲には入らないのだから…―――。
「ヒルカリオに於いて、一番の脅威はオレである。というキミの認識は、間違っていない。本当に、正しい答えだよ。
でも、大きな篝火だけに気を取られて、小さな種火を見逃したままにしておくと、…その火が予想以上の怪物になって、いつの間にか、キミを飲み込んじゃうかもね。怪我をしたときに「痛い」って思ったときには、…もう引き返せない領域に、キミは立っていると思ってね?」
ルカの言い回しは、彼には珍しく、何処か寓話的であった。故に、ミセス・リーグスティは、そこには反応を見せない。間も無く、彼女はツバサを再度促し、戦闘ユニットに周りを固めさせた状態で、社長室から出て行った。
その靴音が聞こえなくなった頃合いになってから。レイジは、重たい溜め息と共に、ルカへ謝罪を述べる。
「ごめん…、ルカ兄…。俺一人じゃあ、姉ちゃんを取り戻せなかったよ…。ほんっと、メンドクセーことになってきたー…、マジごめん…」
だが、当のルカは、何言ってんだこの子は?、とばかりに、眼を丸くした後。からり、と割り切った笑みを見せた。
「え、別にいーよ?謝るコトなんて無いってば。アリスちゃんは無傷だし、レイジもセイラも怯えてないし、何より、この光景をソラが見なかったコトが一番の救いじゃない?オレたち側からしたらさあ、あの子がこの場で怒り狂って、アストライアーを振り回し始める方が、よっぽど怖いって。壁一枚捲れる騒ぎじゃあ済まなかったと思うよぅ?」
「…オトが絡新婦で暴れたことには言及せんのかーい…」
「あっちは、アリスちゃんとは別問題でしょ?
むしろ、音色はバルドラの息子なんだから、弊社内より戦場に居る方が自然だと、オレは考えるね~」
「あ、そ…。まあ、オトは俺の物理的な喧嘩相手だし…、常人より戦場向きなのは、まあ、納得しとく…」
ルカにとって、レイジの謝罪は不要、というより、無意味に等しいようである。音色が絡新婦を振り回す羽目になった状況を招いた結果と、ツバサの奪還の失敗を詫びるが、ルカは受け入れることも、ましてや突っぱねることもしなかった。一見すると、冷血な態度に思えるが。…ルカは、軍事兵器。始まってしまった作戦の進行に関係値が少ない事柄に於いて、彼の判断は絶対である。そう、今は、失敗に終わったことを嘆く時間ではないのだ。
「いっちょ、気合い、入れていくかー…。いつまでも、此処で座り続けてるわけにもいかねーわ…」
レイジはそう言いながら、よっこら、とソファーから立ち上がる。一方、ルカは社長室の窓から、遥か下、ROG. COMPANYの正面玄関から立ち去る、トルバドール・セキュリティーの車列の影を小さく眺めながら、笑う。
「そうそう。戦場では、切り替えが大事なワケ。既に取りこぼしたコトなんて、嘆いたところで変わんないだから。大事なのは、今回の失敗と、現時点の作戦の進行度を鑑みて、次にどうフォローをしていくか、だよ。
…というワケで、オレもそろそろ動かないと、ねえ?」
ルカがそう呟くと。彼の深青の双眸が、僅かに明滅した。
「―――やっと、オレの出番が、回ってきたみたい。
此処まで御苦労様でした、人間たち。…此処からは、化け物同士の喰い合いの時間だよ」
to be continued...
「その必要はねーよ。よくやった、オト。お前が『乙女樹音色』で、本当に助かった…」
レイジがそう言うと同時に、派手なネイルが施されたミセス・リーグスティの指先が、スマートフォンの通話を切った。ブラックアウトした曇りの無い液晶画面と、レイジの薄水色の瞳の中には、顔色を悪くしたミセス・リーグスティの表情が映り込んでいる。
レイジが長い脚を組み直し、ミセス・リーグスティに向かって、口を開いた。
「で?次はなんだ?
まあ、遠慮すんなって…。うちは二百年以上の歴史を持つ玩具会社だ。多少のエンターテインメントのご提供は、歓迎してやんよ」
そう言い切る姿、余裕の有り様。厳しい顔付きで沈黙するミセス・リーグスティの対応を受けたレイジは、畳み掛けるように、言う。
「イルフィーダ隊の名前と、目先の銃口をチラつかせれば、一般の社員たちが大人しくするだろうとか…?そういうとこやぞ、って話なんだわ。
まあ、あんたとこのトルバドール・セキュリティーにある、軍事戦略シミュレーターは『一般人の制圧向け』だから、事前準備してきたとしても、失敗に終わるのは仕方ないさ…。残念だったな。ウチは然るべき位置に、特殊な人員を配置してる会社だ。…当然だろ?此処は、あのルカ兄を閉じ込める檻の心臓部なんだからよ。
…あんた、ビジネスウーマンとしては完璧だからって、自分の能力を過信しぎるのと、それプラス、自分がこの世の王になる器を持ってるとか勘違いしてる節があるだろ?」
図星の嵐である。だが、ミセス・リーグスティが何かを言い返したいと望む頃には、レイジの追撃が既に始まるのだ。
「あんたが優那に逃げられたのも、これでヒャクパー納得したし…。ついでに、姉ちゃんを甘く見過ぎているのも察したわ。
…さて。今度こそ、姐ちゃんを置いて、撤退して貰うぜ。多少のエンターテインメントは歓迎だとは言ったけど…、万が一、オトが絡新婦を引っ提げて社長室まで来たら、さすがに俺一人じゃ、セイラと姉ちゃんの両方を守りながら、あんたをぶん殴るってことは出来ないんだわ…。ほら、さっさとしな。俺だって仕事があるんだよ。シンデレラの魔法だって有限だろ?ほら、帰る、帰る…。―――っとぉ?!あぶねーだろーがッ!」
レイジの台詞の最後で、ミセス・リーグスティはとうとう屈辱に耐え切れず、持っていたスマートフォンを彼に向かって投げつけた。だが、レイジは物ともせずに躱してみせる。その代わりに、彼の背後に控えていた『本物』のイルフィーダ隊のロボット兵の腹部に、投げられたスマートフォンが叩きつけられた。しかし、たかだか一般女性、ましてや中年どころの人間のチカラ如きで放られた通話用の機械が当たった程度で、ロボット兵のメタルボディーにダメージなど通るはずもない。現に、イルフィーダ隊兵たちは、何事も発せず、姿勢を正して立ち続けていた。
自分都合の勝手な怒りを露わにするミセス・リーグスティの八つ当たりを、文字通り、身体で受け止めた機械。だが、ロボット兵は無機質にアイカメラを光らせるものの、無反応を貫く。
その対比は、レイジの眼の中で、彼に冷静な感情を維持させていた。相手が感情的になればなるほど、この男の精神は堅牢になる。前岩田レイジという男は、そういう人間。そうなるように育てられた。―――紛れもない。人間たちにルカと呼ばれ、彼自身もそう名乗ることを享受した、史上最強の軍事兵器の手によって。
その様を見せ付けられたミセス・リーグスティの爆発した感情が、とうとう真っ赤な口紅の唇から迸り始めた。彼女は前のめりになりながら、レイジに向かって怒鳴る。
「どうして…?!リスクマネジメントをまるで考えていないとでも言うつもり?!
自分の指揮する軍隊と同じ名前の兵士たちが!自分を心から慕っている部下たちに武器を向けたら!普通は怯えるものでしょう?!自分の失脚を危ぶんで、私に命乞いをするはずだわ!!それなのに!!貴方は許しを請うどころか、静観を決め込んだ!!
もし、兵隊長の発砲の方が早かったら?!もし、あの乙女樹主任が絡新婦とやらを上手く扱えなかったら?!もし、優那が真っ先に投降を申し出ていたら?!もし、あの場に誰か一人でも人間の死傷者が出ていたら?!
その瞬間、貴方はこのROG. COMPANYの社長として築いてきた全ての信頼と権威を喪っていたのよ?!その危険性を顧みない経営者なんて!!無能の証のはずなのに!!
それなのに!!どうして私が失敗しないといけないの??!!」
ミセス・リーグスティが、そう喚き散らす。
「怯える、失脚、…俺が、今の立場を喪うことを恐れる、ね…。やっぱり、あんた、何も分かってねーわ…」
レイジが溜め息混じりでそう返したのを聞いた、ミセス・リーグスティは益々ヒートアップする余り。とうとうソファーから立ち上がって、レイジを物理的に見下ろしながら、怒鳴った。
「私が何を分かっていないと?!貴方なんて、子育て一つ、したことも!!生まれてからカネや食べ物の苦労もしたことがないくせに!!社長として年数だって!!私の方が遥かに上なのに!!
この若造めッ!!偉そうに説教を垂れるのもいい加減にしなさいッ!!この私を誰だと思っているのッ?!」
「あんたこそ、―――この俺を、何処の誰だと、思ってるんだ?」
怒髪天のミセス・リーグスティを声を遮ったのは、他でもない、レイジの声である。だが、それは、眼前に広がっている現実を鋭く射抜いた瞳と合わさって、酷く冷たいモノだった。
不意を突かれて、思わず口を閉じてしまったミセス・リーグスティの隙を逃さないレイジは、彼女へ語って見せる。
「確かに、俺は生まれてから、実家の財産を含め、衣食住に全く困ったことは無い。父さんがとんでもない毒親だったことと、物心ついた頃、既に父さんを見限った母さんが完全別居中だったこと以外…、全てが恵まれた状態で生まれてきたさ。
将来は父さんの跡継ぎとして、この会社のトップになることも分かっていたし、それを拒否する権利も、意思も、俺には最初から殆ど無かった…。だからこそ、俺は、失脚なんか怖くないし、誰かのせいで自分の立場が危うくなることに怯える理由も、無い。
分かんねえ?…生まれてきた瞬間から、あんたとは見てきた世界のレベルが違うって話してんの」
レイジにそう言われる通り。彼とミセス・リーグスティでは、過去がまるで違う。だが、『現役で社長の座に居る』という答えは同じ。だが、レイジは。自分と彼女では、見ている世界に別物、と言いたいらしい。レイジが続ける。
「あんたが、極貧の庶民から、今の女社長の地位まで昇り詰めた努力と、それをキープしてきた結果はすげぇよ。でも、あんたは底辺から成り上がった人間だからこそ、再び『そっち』に落とされることを、心の底から怖がってる…。
…最初から何もかも上流である俺からすれば、何かの拍子に立場が落とされるのは、当たり前。常に上に立つモノは、いつかは落とされる前提で、人生を歩んでんだよ。
もう過ぎ去った古い時代に、庶民や反対勢力が巻き起こした革命運動によって、高い椅子から引き摺り下ろされた王族や貴族たちが、次々と処刑台に消えて行った歴史は…、…『俺たち』からすれば、至極、当然の結果に過ぎない。格下に反旗を翻されて、いざ負けてしまえば、高みに居る自分たちは、そいつらの手で死ぬ…。『誰かより上に立つ』って、そういうことなんだよ。
―――だから、俺はあんたの言う失脚とやらは、別に怖くないし、ましてや興味も無い。俺が此処で社長の椅子から落とされるなら、俺がそれまでの器だったことの証明にしかならないから。
いい加減、身の程を知れ、庶民出身。最初から、あんたと俺じゃあ、格が違う。
だからさ、今すぐ此処で、下手な野望を捨てて、真っ当な道に戻れって。…でないと、今度こそ、マジで―――…
―――…あんた、死ぬかもよ?」
レイジの声のトーンが、一層、低くなり、圧倒的な恐怖をもたらす。だが、彼自身の態度は、何処か悠々としており、余裕すら垣間見える。
―――…それは、王の風格、とも言えた。
この世に生命を抱いて産声を上げた瞬間、上流階級の空気を産湯として浸かった。しかし、実の親はレイジには無関心。そんな幼い王者を育てたのは、史上最強の軍事兵器たる男だった。上に立つモノとしての教育を施し、軍事兵器としての訓戒を授け。いつまで経っても、全力で遊んでくれる。
レイジの『強さ』と『王の器』は、単なる御曹司として賜った権威の話では、終わらない。幼いレイジを育ててくれたルカが居た。そして、大人になったレイジを親友として見てくれるツバサが居る。社長に成ったレイジを、個々の社長室のメンバーたちが支えてくれている。
レイジという男は、己の幸せのみを追求するだけのミセス・リーグスティとは、何もかもが違うのだ。
「そ、そんなの…、他人の人生観なんて、し、知るものですか…ッ!わ、私にはッ、し、幸せになる権利があるはず…ッ!」
最早、主導権どころか、己の道の指標さえ握られている気分になっているミセス・リーグスティだったが。それでも、尚、足掻こうとする。
自分は此処までたくさんの苦労と努力を積み重ねてきたはずなのだ。故に、自分が幸せになりたいと願うのは当然であり、それは絶対に叶わなければならないのだ。でないと、―――でないと、今までの自分が必要だと各地に捧げたカネ、感情、その他撒いてきた気遣い、計算してきたアレコレ…、それら全部の意味が、粉微塵も無くなってしまうではないか―――…ッ!!!
「その『幸せ』を掴むために…、自分が産んだからって、赤ん坊だった頃の姉ちゃんを捨てたり、今になって拾おうとしたり…。あるいは、後で産まれた双子たちには、自分好みになるよう、洗脳めいた教育したりするのが、許されるって…、…本気で思ってるわけ…?
あんたが産んできた子どもも、あんたの取り囲む人間たちも、誰も彼も、あんたの『幸せ』のために犠牲になっていい装置なんかじゃねーよ。
…。最初から…、姉ちゃんを産んだ瞬間から、…自分の身の丈に合った幸福だけを見極めて、それさえ求めてれば…、あんた、此処まで落ちぶれることは無かったと思うよ、ほんとさ…」
「~~~~~ッッ!!??」
レイジの宣告は、ミセス・リーグスティからすれば、まるで大きな鈍器で頭を殴られたかのような衝撃だった。打ちのめされそうな気持ちである。悲鳴すらあげられない。だが、彼女は未だ「立っている」。
―――そう、まだ、自分は巻き返せる…!此処に立っているのだから…―――!!
次の瞬間。ミセス・リーグスティは、スーツの袖に隠し持っていた特別製の小型拳銃を取り出し、ツバサに突き付けた。それと同時に、ミセス・リーグスティ側の黒色の戦闘ユニットたちと、レイジの背後に控えているイルフィーダ隊が、一斉に銃口を向け合う。しかし、此処は社長室とはいえ、狭い室内。銃撃戦に持ち込むのは余りにも非現実的であり、現に、互いの陣営は牽制を投げ合うだけに留まる。そのうえ、レイジはソファーから立ち上がりもしなかったし、セイラも給湯室から様子を伺うだけで、特に驚く素振りを見せていない。
ミセス・リーグスティが、ツバサに銃口の先で立つよう促し、出入り口へと歩き出した。戦闘ユニットも、牽制を解かずに、付いていく。このままでは、ミセス・リーグスティはツバサを人質にしたまま、我が身の暴走を止めないだろう。レイジに追い詰められた彼女が、今後、どのような無茶を仕出かすかも心配になってくる。しかし。
「アリスちゃんの外勤のシフトなんて、オレは組んだ覚えは無いケドなあ。ねえ?キミは、オレのホルダーを何処に連れて行くつもりなの?」
その声が社長室の出入り口付近から聞こえた瞬間。ミセス・リーグスティが、ぎくり、と固まった。視線を寄越せば、―――深青の人影。
「―――…ルカ…!!」
ミセス・リーグスティが呟いた名前こそ、この島で一番、敵に回したくない男。―――遂に、現れた。人類に破滅を呼ぶと言われ続けた軍事兵器が、動き出した。
ルカは、にこり、と笑う。その眼は、ツバサに向いていた。
「アリスちゃん、どうする?オレがお迎えに行った方が良いのかな?それとも、都合の良いときに、自分で帰ってこれそ?」
「…自分で帰るから、平気だよ。ルカはルカの出来ることに、集中していて欲しい」
「そっかあ。じゃあ、此処は一旦、お見送りさせて貰おうっか」
ルカとツバサのやり取りは、まるで「今から差し込みの外回りに行ってくる」程度の軽さであり、とても現実味が無い。だが、動揺するミセス・リーグスティに対して、ルカは長身を動かして、あっさりと出入り口へ続く道を譲る。
「ほら、さっさと通れば?ソラが帰ってくるまでに、さっさと社外に出ちゃってくれる?鬼の居ぬ間に、ってね。あれ?この言葉の意味、本当に合ってる?」
どうやら、今はソラが社内に居ないらしい。今のミセス・リーグスティにとって、自分への危険因子は少ないに限るが。肝心の情報源であるルカの口調が余りにも軽すぎて、薄ら寒さすら覚える心地だ。しかし、せっかくのチャンスを見逃すわけにもいかない。ルカのホルダーであるツバサさえ、己の隣で取り押さえておけば、少なくとも彼の攻撃範囲には入らないのだから…―――。
「ヒルカリオに於いて、一番の脅威はオレである。というキミの認識は、間違っていない。本当に、正しい答えだよ。
でも、大きな篝火だけに気を取られて、小さな種火を見逃したままにしておくと、…その火が予想以上の怪物になって、いつの間にか、キミを飲み込んじゃうかもね。怪我をしたときに「痛い」って思ったときには、…もう引き返せない領域に、キミは立っていると思ってね?」
ルカの言い回しは、彼には珍しく、何処か寓話的であった。故に、ミセス・リーグスティは、そこには反応を見せない。間も無く、彼女はツバサを再度促し、戦闘ユニットに周りを固めさせた状態で、社長室から出て行った。
その靴音が聞こえなくなった頃合いになってから。レイジは、重たい溜め息と共に、ルカへ謝罪を述べる。
「ごめん…、ルカ兄…。俺一人じゃあ、姉ちゃんを取り戻せなかったよ…。ほんっと、メンドクセーことになってきたー…、マジごめん…」
だが、当のルカは、何言ってんだこの子は?、とばかりに、眼を丸くした後。からり、と割り切った笑みを見せた。
「え、別にいーよ?謝るコトなんて無いってば。アリスちゃんは無傷だし、レイジもセイラも怯えてないし、何より、この光景をソラが見なかったコトが一番の救いじゃない?オレたち側からしたらさあ、あの子がこの場で怒り狂って、アストライアーを振り回し始める方が、よっぽど怖いって。壁一枚捲れる騒ぎじゃあ済まなかったと思うよぅ?」
「…オトが絡新婦で暴れたことには言及せんのかーい…」
「あっちは、アリスちゃんとは別問題でしょ?
むしろ、音色はバルドラの息子なんだから、弊社内より戦場に居る方が自然だと、オレは考えるね~」
「あ、そ…。まあ、オトは俺の物理的な喧嘩相手だし…、常人より戦場向きなのは、まあ、納得しとく…」
ルカにとって、レイジの謝罪は不要、というより、無意味に等しいようである。音色が絡新婦を振り回す羽目になった状況を招いた結果と、ツバサの奪還の失敗を詫びるが、ルカは受け入れることも、ましてや突っぱねることもしなかった。一見すると、冷血な態度に思えるが。…ルカは、軍事兵器。始まってしまった作戦の進行に関係値が少ない事柄に於いて、彼の判断は絶対である。そう、今は、失敗に終わったことを嘆く時間ではないのだ。
「いっちょ、気合い、入れていくかー…。いつまでも、此処で座り続けてるわけにもいかねーわ…」
レイジはそう言いながら、よっこら、とソファーから立ち上がる。一方、ルカは社長室の窓から、遥か下、ROG. COMPANYの正面玄関から立ち去る、トルバドール・セキュリティーの車列の影を小さく眺めながら、笑う。
「そうそう。戦場では、切り替えが大事なワケ。既に取りこぼしたコトなんて、嘆いたところで変わんないだから。大事なのは、今回の失敗と、現時点の作戦の進行度を鑑みて、次にどうフォローをしていくか、だよ。
…というワケで、オレもそろそろ動かないと、ねえ?」
ルカがそう呟くと。彼の深青の双眸が、僅かに明滅した。
「―――やっと、オレの出番が、回ってきたみたい。
此処まで御苦労様でした、人間たち。…此処からは、化け物同士の喰い合いの時間だよ」
to be continued...