第七章 再始動

【ROG. COMPANY 社長室】

セイラがミセス・リーグスティの前に、コーヒーを出す。それに手を付けようとしたミセス・リーグスティだったが、肝心の砂糖とミルクが無い。そのうえ、茶菓子も出されていなかった。
ミセス・リーグスティがセイラに視線を向けると、セイラは非常に冷ややかな眼で、彼女を睨み返して来ただけ。雑用メイドとして仕事熱心、且つ、気配りの塊であるはずのセイラが、来客のコーヒーに砂糖とミルクを付け忘れるどころか、茶菓子も出さず。例え、「出せ」と言外に促されても、一切、応じない。
これが何を示すのか。―――つまり。ミセス・リーグスティが全く歓迎されていない、という圧倒的な事実である。

それに気がつかないほど、むしろ、分かりきっているからこそ。ミセス・リーグスティは、余裕の微笑みと姿勢を崩さなかった。

コーヒーに手を付けることはやめて、対面に座るレイジへを、真っ直ぐに見る。視線が合った薄水色の瞳が、気怠げに瞬き。色素の薄い彼の唇が、開いた。

「それで…?姉ちゃんを連行してまで、うちの社長室までカチコミかけてきた感想は?三行でヨロシク」

レイジは最早、態度を取り繕ってはいない。『戦場に一番不要なのは建前である』ことは、育ての親であるルカから、頭の天辺から足の爪先にまで、しっかりと叩き込まれている。だからこそ、レイジは社長の椅子に座っていられるのだ。だが、肝心のミセス・リーグスティには、それが伝わっていないらしく。事実、彼女はレイジのジョークにわざとらしい苦笑を漏らして、その真っ赤な口紅を引いた唇を動かし、好き勝手な言葉を紡ぐ。

「ルカからの妨害さえ無ければ、此処を手中に収めることなど造作もありませんから。それに、彩葉をルカから取り戻すことも、私の計画の一つですので。
 あら、失礼。三行も必要なかったみたいですわ」
「二行で伝わるような浅知恵だけ働かせて、天下を取った気になってんじゃねーよ…。ルカ兄が黙って笑いながら、見逃してくれている今の内に…、姉ちゃんを解放して、とっとと自分の巣に帰りな。時代遅れのシンデレラがよ…」
「あら?ROG.COMPANYの若社長さまは、所詮、勇退したお父上の後釜に座っただけの弱虫だったということ?女一人が、これだけの数の戦闘ユニットを率いただけで、怖がるなんて。本当に、お若いわねぇ」
「俺が怖いのは、あんたの持ち出したとんでもない無計画さであって…、決してあんた自身には微塵も興味無いんだわ」

ミセス・リーグスティは嘲笑混じりにレイジを挑発しようと試みるが、彼は乗って来る気配が無い。アクアリウム・リゼーラで見せてくれた喧嘩の腕前と、彼の年の頃から鑑みれば、レイジは明らかに「血の気が多い」部類に入ると、ミセス・リーグスティは思っていたのだが。
とはいえ、挑発が効かないのであれば、手持ちのカードを替えるだけ。ミセス・リーグスティは、スーツジャケットの懐からスマートフォンを取り出して、その画面をレイジへと見せつけるかのように翳した。

「始めてちょうだい。無用な怪我人は出さないように」
『了解しました』

ミセス・リーグスティが指示を出すと、スマートフォンのスピーカー越しから、男性の声がした。途端、『動くな!社長直属のイルフィーダ隊だ!デザイナー部門の各員を、弊社の規定違反の疑いで、ただちに拘束する!』という怒鳴り声が、通話状態のスピーカーから聞こえてくる。
レイジの片眉が上がると同時に、彼から猛烈な殺気が迸った。そして、それを見たミセス・リーグスティは、してやったり、とほくそ笑んだ。



【デザイナー部門】

「動くな!社長直属のイルフィーダ隊だ!デザイナー部門の各員を、弊社の規定違反の疑いで、ただちに拘束する!」

そう怒鳴りながら、兵隊長の男性が、黒色を基調としたロボット兵の隊列と共に、デザイナー部門へと雪崩れ込む。
兵隊長とロボット兵たちから一斉に銃口を向けられたデザイナー部門の社員たち一同は、即座に抵抗することは諦めて、大人しく両手を上げた。この軍隊が兵隊長の言う通り、『イルフィーダ隊』ならば。紛れもない、社長であるレイジの意思で、自分たちは武力的圧力を掛けられているということを示すから。

「何か御用でしょうか…?ぼくたち、若様に対して、何もおかしなことをした覚えはありませんが…?」

カナタがチームリーダーとして、敵陣唯一の人間である兵隊長へと問う。正直、冷や汗が止まらない状態だが。現場を任されている立場である以上、今は自分が最も前に出るべきだと判断する。そんなカナタを見とめた兵隊長は、彼がまるで汚いゴミとでも言いたげな視線を向けてから、口を開いた。

「まずは、優那・リーグスティ嬢を渡して貰おうか?先日付けで、こちらに雇われているはずだ。
 統括主任の乙女樹音色は、身柄を拘束したうえで専用の隔離エリアへ、そしてお前たち三下は纏めて、とある場所の地下室へ放り込む。
 さあ、さっさと優那嬢を出すんだ。そして、あのイカレた女装趣味のガキ主任を連れて来い。これは他でもない、社長の命令だ。弱者は大人しく従え」

とんでもなく一方通行で、好き放題が過ぎる主張。―――本当にこれがレイジの指示なのだろうか?―――、室内が妙な緊張に包まれたのが分かった。だが、カナタは負けない。彼は生唾を呑み込んでから、兵隊長と交叉させた視線を決して逸らさずに、しかと言い切る。

「…、乙女樹主任と優那は、大事なお話の真っ最中です。後ほど折り返しをさせて頂きますので、連絡先を頂戴してもよろしいでしょうか」

侮蔑的な言葉しか紡げない兵隊長に対して、カナタの受け答えは、その一枚も二枚も上手を行くモノであった。―――これも全て、音色の教育と指導の賜物であり、何より、彼の生き様を知る人間の一人としての矜持。…だが、それが兵隊長の逆鱗に大きく触れた。こめかみに青筋を立てた兵隊長が、手に持っているアサルトライフルの安全装置を外す。

「一丁前に刃向かう気か?!これは社長からの命令だ!!何回言わせるつもりだ?!
 さっさと優那嬢を出せ!!見せしめに、この場で一人くらい殺してやっても良いんだぞ!?はしたの替えなんて、この世にはいくらでも居る!!思い上がるなッ!!こき使われるだけのゴミ風情がッ!!」

そう感情的に喚きながら、兵隊長がアサルトライフルの銃口をカナタに向ける。それに倣ったロボット兵たちも、一斉に銃を構えた。カナタの表情が引き攣り、周囲の社員たちの口から細い悲鳴が上がる。何処かの、誰かの机の上にあったペンが、床に落ちる音がした。
兵隊長が構えたアサルトライフルのトリガーが、引かれようとした瞬間―――、

「―――大事な商談の邪魔をするのは、誰かしらぁ?粗末な雑音のせいで、契約書の内容が相手に伝わらなかったら、どうするつもりなの?」

蜜のようにねっとりとしつつも、良く通る男声が響く。フリルとレースがたっぷり使われた、天使のようなシルエットの純白ロリータドレス。ウィッグの黒髪は、翠を一滴落としたかのような色味で。その天辺には、薔薇を象った飾りを付けた豪奢なヘッドドレス。―――、誰と間違うものか。音色である。

「若社長のイルフィーダ隊が?わたしのデザイナー部門を拘束する?一人くらい殺しても平気?わたしの部下に銃口を向けても大丈夫だと? 
 一体全体、何のお話をしているのか…、此処の統括主任であるわたしへ、詳しく聞かせてくださる?」

そう言いながら、音色は、革製のワンストラップシューズの踵を鳴らしつつ、カナタの前、すなわちアサルトライフルの銃口の前に、臆することなく立ち塞がった。音色自身が小柄な体躯ゆえ、完全に庇うことは出来かねているが。それは大した問題ではない。いま大事なのは、カナタの命の危機に、上司である音色が盾になるという、彼の持つ気概。

「今なら無傷で見逃してあげるから、さっさと帰って。わたしのデザイナー部門を、これ以上は荒らさせない。
 ―――でないと、今すぐパパに言いつけてやるわよ?それとも、そんなに痛い目に遭いたいのかしらぁ?」

音色がそう言うと、兵隊長は鼻を鳴らして、馬鹿にしたように返す。

「親父の後ろ盾がないと生きていけないガキが!!気色の悪い女装趣味なんぞ、俺の前に晒すな!!さっさと命令に従え!!本気でぶっ殺して―――」


―――スパンッッ!!


兵隊長の罵倒は、突如響いた鋭い音で遮られた。直後、彼が構えていたアサルトライフルの銃身が、ちょうど真ん中から折れて、壊れる。正確には、銃身が斬られている。まるでCTスキャンの断面図かのように、綺麗な斬り口。

だが、兵隊長の視線は、音色に向いていた。その眼の先に立った彼が見せた『本性』に釘付けになっている。

音色が着ている純白のロリータドレスのスカートが大胆に捲れ上がり、その裾の中から、幾本ものロボットアームが飛び出していた。多種類に及ぶブレードたちが閃き、小型機銃がくるくると旋回している。電磁エネルギーの光を発するプレートは、不規則な明滅を繰り返していた。
豪奢なドレスのスカートから、非現実的な武装兵器を展開させた音色は、どす黒い微笑みを浮かべつつ。震撼する兵隊長に向かって、品の良い色味のリップを塗った唇を開く。

「紹介するわぁ。この子は、最強の傭兵だったわたしのパパ、乙女樹バルドラ監修の、外部武装型・人体搭載専用兵器、―――『絡新婦(ジョロウグモ)』。
 弊社におわすルカ三級高等幹部から抽出された、兵器運用のデータを基に設計され、今はパパに頼まれて、わたしが装備させて貰っているの」

蜜のような音色の声に合わせて、ワキワキと蠢く絡新婦。その名の通り、冷血な蜘蛛の足だ。自分の巣に入ってきた獲物を絡め取り、仕留める、狩人たる姿。

「どう?この子、とっても可愛いでしょう?こんなに素敵なモノをプレゼントしてくれたパパに感謝する意味も込めて、―――もっともっと、絡新婦に実戦経験を積ませてあげないと。
 
 ―――…貴方たちが、この子の最初の獲物よッッ!!!!」

音色がそう吼えて宣言した瞬間。戦場の火蓋が切って落とされた。

ロボット兵たちが発砲する。しかし、絡新婦の一脚にある電磁プレートが、高エネルギーシールドを張り、銃弾を防ぐ。その間に、カナタを始めとしたデザイナー部門の社員たちは、一斉に机の下や、棚の陰に身を隠した。
音色が飛び上がる。彼が履いているワンストラップシューズも、普通の靴などではなく。その靴底に仕込まれた重力制御装置が、彼の跳躍力と機動力を底上げさせるのだ。その証拠に、音色は壁と棚の表面を豪速で走り回り、ロボット兵たちの火点を乱れさせる。だが、この靴の重力制御装置の効果は、瞬発的なモノ。現に、数体のロボット兵がリロードに入ったタイミングを見計らっていた音色は、その隙が出来たとき、机の上に着地した。そして、絡新婦のアームを縦横無尽に伸ばし、アームブレードでロボット兵たちの頭部や胸部を貫き、斬り裂く。その間、小型機銃が発砲をして、残っていたロボット兵の牽制をした。ダメージを受けたロボット兵のボディーからオイルが弾け、空中に飛散する。まるで通り雨のようなそれは、音色の純白のロリータドレスに黒い沁みを残す。だが、音色は止まらない。オイルと銃弾の雨は、最早、戦う彼への喝采だ。
そして、我に返った兵隊長が懐からハンドガンを取り出したのを見た音色は、今度は別の机に飛び移ると同時に、靴の重力制御装置を再び発動させて、自身を身体を高速回転させることで、絡新婦の機動そのものを上昇させる。高エネルギーシールドで銃弾を弾き、伸び切った絡新婦のブレードアームが、まだ残存していたロボット兵の首や胴体を、纏めて、地に堕とした。鉄臭いオイルが、より激しい雨雫となって、音色のドレスやアクセサリー、そして彼の肌を汚す。

逃げようとした兵隊長の横っ面スレスレの壁に、アームブレードの刃が突き刺さった。情けない悲鳴を上げて、腰を抜かした兵隊長に、音色は一息の跳躍で距離を詰める。
怯えきった兵隊長と視線を合わせる音色は、今や、『ただの女装趣味の主任』などではない。絡新婦という兵器を操り、戦場で華麗に舞い踊る、残酷極まる『悪役令嬢』だ。

「何処に行くのぉ?♡まだわたしの戦場は終わっていないわよぉ♡♡」

オイルで汚れたドレスも頬も気にせず、ねっとりとした蜜色の声と、恍惚の眼をした音色は、絡新婦の小型機銃を兵隊長に差し向ける。そして、自分の要求を突き付けた。

「通信機器を出しなさぁい♡貴方の背後でふんぞり返っている猿山の大将に、このわたしが直接、話を付けて、あ・げ・る♡」

そう言って、にやぁ♡、と笑う音色の姿を見て、恐怖の極みに達した兵隊長は、文字通り、震えながら、持っているスマートフォンを取り出す。が、強張る余り、指先からそれを落としてしまった。
重たい音を立てながら、自分の靴先に転がってきたスマートフォンを拾い上げた音色は、オンになったままのスピーカーに向かって、喋り出す。状況が変わっていなければ、これに通じている相手は、ミセス・リーグスティのはずだ。
そもそも、この襲撃は、ミセス・リーグスティが「ROG. COMPANYの社長の命令と、イルフィーダ隊の名を騙ったモノ」なのだから。そこに気が付かなかった音色ではない。彼はバルドラの息子にして、レイジと互いを認め合った仲にある人間。ただのお飾りや成り上がりで、此処まで昇り詰めたと思われているのであれば、それはとんだお門違い。音色はたゆまぬ努力の末に、選ばれるべくして、此処に立っているのだ。故に、音色は戦った。そして、今まさに、ミセス・リーグスティの首を、手ずから狙おうとしている。

「さあ、猿山の大将さん?この乙女樹音色がお相手して差し上げるわぁ♡さっさとかかっていらっしゃい♡さもないと―――」

音色の口調は、まるで楽しいお遊戯にでも誘うかのような甘さがあった。だが。


『―――その必要はねーよ。よくやった、オト。お前が『乙女樹音色』で、本当に助かった…』


スピーカーから聞こえてきた声の持ち主は、音色が要求したミセス・リーグスティではなく。
愛する我が社のトップたる男、―――レイジの、冷静なそれだった。



to be continued...
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