第七章 再始動
【トルバドール・セキュリティー 社長室】
ツバサは紅茶、とりわけフレーバーティーを好む。一番好きな香りは、ラ・フランス。二番目は、ストロベリー。それは、色々な香りを試しては、行き着いた答え。だが、唯一、苦手な香りがあることも判明している。それは、マスカット。上品にして、高級な果物である。しかし、ツバサは紅茶の香りとしてのマスカットには、どうにも苦手意識がある。フルーツとして食べるには問題が無いのだが。それなのに。
「これは、フェアリーエメラルドの香りを再現した、フレーバー。フェアリーエメラルドとは、二年前の本土のシャインマスカット品評会で、見事、優勝に輝いた品種のことよ。ご存じ?
彩葉はフレーバーティーが好きと聞いて、取り寄せてみたの。遠慮しないで、味わってみてちょうだい。とても良い香りなうえに、口当たりもまろやかよ。これはノンシュガーで頂くのが正解ね」
そう話すミセス・リーグスティと、沈黙しているツバサの間の机に置かれていたのは。ツバサの苦手な、マスカットの紅茶。有名な品種のモノだろうが何だろうが、苦手なモノは苦手。呼び出した手紙の投函にしろ、ローザリンデとの友情にせよ、ミセス・リーグスティはツバサの身辺情報は粗方洗っているようだが、どうやらツバサの紅茶の好みまでは調べられなかったようだ。何より、ツバサは怨敵を前にして、出されたお茶を呑気に飲み干すような、能天気な女性でもない。何せ彼女は、ルカの部下にして、ホルダー。そして今日、ツバサがミセス・リーグスティの前に現れたのは、ローザリンデの命を盾に、彼女に此処へ呼び出されたからだ。
「本日は、ルカ三級高等幹部直属事務員のツバサとして参りました。余計な時間稼ぎは結構ですので、本題をどうぞ。ミセス・リーグスティ」
―――此処に座っている理由など、それ以外は無い。
口調こそ事務的だが、ツバサの意思は固く、その緑眼には強い気持ちが宿っている。何より、いつものオフィスカジュアルに、水色のスカーフと社章バッジを身に着けて来社したことこそ、「ルカの部下であり、彼のホルダーとして」という、強固な気持ちの表れ。避けられない運命への道筋。鍵を開けられてしまった扉の向こう側への、招待状。
「彩葉。貴女には今から、私と一緒にROG. COMPANY本社へと同伴して貰うわ。道中ないし、社内、ヒルカリオ内に於いて、私から離れることは許しません。…まあ、我が社の戦闘ユニットに囲まれていては、離れるという考えすら、思い浮かばないでしょうけれど」
ミセス・リーグスティの言葉に合わせるように、彼女の後ろに控えている戦闘ユニットが、ツバサを牽制するかのようにアイカメラが光らせた。それは、ROG. COMPANYに配備されているロボット兵と、全く相違の無い同じ型のモノ。だが、ROG. COMPANYに従事するロボット兵がボディカラーを白色を基調としているのに対して、こちらは黒色をベースとしているようだ。しかし、まるで関心の無い民間人が見れば、パッとは見分けがつかないかもしれない。
そしてツバサは、そんなことはどうでもいいとばかりに、大して臆することなく、返す。
「私に何かあれば、ルカは決して黙ってはいません…。
私は、ALICE。ルカのホルダーが私である以上、今の貴女は私に危害は加えられないし、ルカにぶつけようとしている企ても通用しません…」
ツバサは、ルカに唯一の命令権を持つホルダーだ。ホルダーは、ルカにとって絶対死守するべき存在である。その事実は覆らない。だが、ミセス・リーグスティの余裕の笑みは崩れなかった。
「ええ、分かっていますとも。だからこそ、傍に置いておく必要があるの」
「…、なるほど。私を物理的な意味で、近くに置くことで…、却って、自分にルカが手を出させないようにする計画ですね…」
「そうよ。いくら巨大な剣や大砲、それに宇宙衛星を持っていたとしても…、自分のホルダーが敵と同じ射程圏内に居れば、史上最強の軍事兵器――ー…ルカだって、何も攻撃はしないはず。
機械とは難儀なモノね。設定されたプログラムや、組み込まれたアルゴリズムが邪魔をして、柔軟で臨機応変な行動が、何一つ出来やしないのだから。
やはり最期は、人間の知恵が勝つのよ」
そこまで聞いてから、やっとミセス・リーグスティの企んでいることが分かったツバサは。ふぅ…、と小さな溜め息を、然も見せ付けるかのように、吐いてから。薄いグロスを塗った唇を開いた。
「本社に到着するまで、ミセス・リーグスティの傍を離れないことは約束しましょう…。ですが、まずはローザリンデのことが先です。彼女の安全の確認が出来なければ、私は今、此処で、ルカに『命令』を出します。
ルカが有する宇宙衛星ヴィアンカの観測範囲が、今や本土に及んでいることを知らない貴女であるとは言わせません。
ホルダーの私の命令が観測さえ出来れば…、ルカは瞬時に、このトルバドール・セキュリティーの本社ビルの全てのシステムをハッキングして、データを根こそぎ壊滅させるウイルスを打ち込むでしょうね…。そこに立っている戦闘ユニットが、どの回線や指示系統で統率されているのかは、私には分かりかねますが…、恐らく、一瞬で使い物にならなくなることは、確実です…」
ツバサの言葉は事実の羅列であるが、聞いている者によっては脅迫に近い。だが、ミセス・リーグスティは一笑に付すかのような態度で、視線をツバサから手元も携帯端末へと寄せた。数回ほど画面をタップして、それをツバサへと向ける。真っ赤なリップを塗った女社長は、うら若き女事務員を、まるで高みから見下ろすかのようにして、口を開いた。
「前半は良いけれど、後半の脅し方は微妙ね。所詮、まだまだ、子どもの領域。何故ならそれくらいのリスクは、社長である私には予測済みなのだから。
…、…ほら。貴女の大切な親友である、ローザリンデ五級高等幹部の監視を解いたわ。これで満足?それともまだ要望があるのかしら?多少の我儘は、聞いてあげても宜しくてよ。私にも貴女を放置していた責任があるのだから…」
「…、……その責任とやらは、弊社に到着してから、支払って頂くことになるかと」
ミセス・リーグスティが言い放った『責任』という単語に、ツバサの声が、明らかな怒りを混じらせる。何やら地雷を踏んだ気配がしたが、そんなことは些末であると、ミセス・リーグスティは笑って見せた。ホルダーであるツバサがこちらに居る以上、ルカは手を出しては来れない。勝利は我が手に在ると、彼女は玉座を手に入れた気分で居る。
「さあ、参りましょうか。―――いざ、楽園都市の心臓部へ」
ミセス・リーグスティが立ち上がり、誘うようにツバサへと手を差し伸べた。だが、彼女は一瞥をくれただけで、その手を取ることはない。
室内に隊列を組んだ戦闘ユニットたちが入ってくる。皆が皆、銃火器装備。戦闘ユニットチームは、一斉にアイカメラを無機質に光らせて、ミセス・リーグスティの指示を待つのであった。
――――……。
【ROG. COMPANY 本社ロビー 来客用受付窓口】
ROG。COMPANYの本社ロビーに堂々と入ってきた集団に、雑多に行き交っていた社員たちが、ぎょっとする。
トルバドール・セキュリティーの女社長と、化け物集団の一員である事務員が肩を並べて、黒色の戦闘ユニットを従えて、歩いているのだ。最早、一般人の感覚に於いて、それは『異常』としか言えない光景である。
そんな集団が、来客用の受付窓口まで、真っ直ぐに歩いてくるではないか。受付係の社員二人は、震え上がる。「こっちくんな!!」と胸中でハモっている。だが、ツバサが一歩、前に出て、窓口に話しかけた。
「社長室へ通してくださいませ。アポイントメントがありませんが、トルバドール・セキュリティー様曰く、問題無い、とのことです…。
大丈夫です…。何かあれば、特殊対応室のルカ三級高等幹部が責任を取りますので…。彼の事務員として私から、貴方たちには一切のお咎めが及ばないことを、約束いたします」
「そ、それでしたら…」
ツバサの真摯な言葉を聞いた受付係は、どうやら自分たちに叱責は下らないと安心が出来たらしく、来客用の名札を用意して、差し出してきた。ツバサは礼を述べてから受け取り、ミセス・リーグスティの方へと向き直る。
「社長室へご案内いたします。どうぞ、こちらへ」
「では、お邪魔いたしますわ」
ツバサが半歩ほど前で先導する背中を見ながら、ミセス・リーグスティは更に自分の後方へ戦闘ユニットの隊列を従えつつ。ROG. COMPANYの本社内を堂々と闊歩するのであった。
その歩み、まるで覇道を往くが如く。
だが、その行き着く先に。本当の未来が在るのどうかは、誰にも予測が出来ないのである。
to be continued...
ツバサは紅茶、とりわけフレーバーティーを好む。一番好きな香りは、ラ・フランス。二番目は、ストロベリー。それは、色々な香りを試しては、行き着いた答え。だが、唯一、苦手な香りがあることも判明している。それは、マスカット。上品にして、高級な果物である。しかし、ツバサは紅茶の香りとしてのマスカットには、どうにも苦手意識がある。フルーツとして食べるには問題が無いのだが。それなのに。
「これは、フェアリーエメラルドの香りを再現した、フレーバー。フェアリーエメラルドとは、二年前の本土のシャインマスカット品評会で、見事、優勝に輝いた品種のことよ。ご存じ?
彩葉はフレーバーティーが好きと聞いて、取り寄せてみたの。遠慮しないで、味わってみてちょうだい。とても良い香りなうえに、口当たりもまろやかよ。これはノンシュガーで頂くのが正解ね」
そう話すミセス・リーグスティと、沈黙しているツバサの間の机に置かれていたのは。ツバサの苦手な、マスカットの紅茶。有名な品種のモノだろうが何だろうが、苦手なモノは苦手。呼び出した手紙の投函にしろ、ローザリンデとの友情にせよ、ミセス・リーグスティはツバサの身辺情報は粗方洗っているようだが、どうやらツバサの紅茶の好みまでは調べられなかったようだ。何より、ツバサは怨敵を前にして、出されたお茶を呑気に飲み干すような、能天気な女性でもない。何せ彼女は、ルカの部下にして、ホルダー。そして今日、ツバサがミセス・リーグスティの前に現れたのは、ローザリンデの命を盾に、彼女に此処へ呼び出されたからだ。
「本日は、ルカ三級高等幹部直属事務員のツバサとして参りました。余計な時間稼ぎは結構ですので、本題をどうぞ。ミセス・リーグスティ」
―――此処に座っている理由など、それ以外は無い。
口調こそ事務的だが、ツバサの意思は固く、その緑眼には強い気持ちが宿っている。何より、いつものオフィスカジュアルに、水色のスカーフと社章バッジを身に着けて来社したことこそ、「ルカの部下であり、彼のホルダーとして」という、強固な気持ちの表れ。避けられない運命への道筋。鍵を開けられてしまった扉の向こう側への、招待状。
「彩葉。貴女には今から、私と一緒にROG. COMPANY本社へと同伴して貰うわ。道中ないし、社内、ヒルカリオ内に於いて、私から離れることは許しません。…まあ、我が社の戦闘ユニットに囲まれていては、離れるという考えすら、思い浮かばないでしょうけれど」
ミセス・リーグスティの言葉に合わせるように、彼女の後ろに控えている戦闘ユニットが、ツバサを牽制するかのようにアイカメラが光らせた。それは、ROG. COMPANYに配備されているロボット兵と、全く相違の無い同じ型のモノ。だが、ROG. COMPANYに従事するロボット兵がボディカラーを白色を基調としているのに対して、こちらは黒色をベースとしているようだ。しかし、まるで関心の無い民間人が見れば、パッとは見分けがつかないかもしれない。
そしてツバサは、そんなことはどうでもいいとばかりに、大して臆することなく、返す。
「私に何かあれば、ルカは決して黙ってはいません…。
私は、ALICE。ルカのホルダーが私である以上、今の貴女は私に危害は加えられないし、ルカにぶつけようとしている企ても通用しません…」
ツバサは、ルカに唯一の命令権を持つホルダーだ。ホルダーは、ルカにとって絶対死守するべき存在である。その事実は覆らない。だが、ミセス・リーグスティの余裕の笑みは崩れなかった。
「ええ、分かっていますとも。だからこそ、傍に置いておく必要があるの」
「…、なるほど。私を物理的な意味で、近くに置くことで…、却って、自分にルカが手を出させないようにする計画ですね…」
「そうよ。いくら巨大な剣や大砲、それに宇宙衛星を持っていたとしても…、自分のホルダーが敵と同じ射程圏内に居れば、史上最強の軍事兵器――ー…ルカだって、何も攻撃はしないはず。
機械とは難儀なモノね。設定されたプログラムや、組み込まれたアルゴリズムが邪魔をして、柔軟で臨機応変な行動が、何一つ出来やしないのだから。
やはり最期は、人間の知恵が勝つのよ」
そこまで聞いてから、やっとミセス・リーグスティの企んでいることが分かったツバサは。ふぅ…、と小さな溜め息を、然も見せ付けるかのように、吐いてから。薄いグロスを塗った唇を開いた。
「本社に到着するまで、ミセス・リーグスティの傍を離れないことは約束しましょう…。ですが、まずはローザリンデのことが先です。彼女の安全の確認が出来なければ、私は今、此処で、ルカに『命令』を出します。
ルカが有する宇宙衛星ヴィアンカの観測範囲が、今や本土に及んでいることを知らない貴女であるとは言わせません。
ホルダーの私の命令が観測さえ出来れば…、ルカは瞬時に、このトルバドール・セキュリティーの本社ビルの全てのシステムをハッキングして、データを根こそぎ壊滅させるウイルスを打ち込むでしょうね…。そこに立っている戦闘ユニットが、どの回線や指示系統で統率されているのかは、私には分かりかねますが…、恐らく、一瞬で使い物にならなくなることは、確実です…」
ツバサの言葉は事実の羅列であるが、聞いている者によっては脅迫に近い。だが、ミセス・リーグスティは一笑に付すかのような態度で、視線をツバサから手元も携帯端末へと寄せた。数回ほど画面をタップして、それをツバサへと向ける。真っ赤なリップを塗った女社長は、うら若き女事務員を、まるで高みから見下ろすかのようにして、口を開いた。
「前半は良いけれど、後半の脅し方は微妙ね。所詮、まだまだ、子どもの領域。何故ならそれくらいのリスクは、社長である私には予測済みなのだから。
…、…ほら。貴女の大切な親友である、ローザリンデ五級高等幹部の監視を解いたわ。これで満足?それともまだ要望があるのかしら?多少の我儘は、聞いてあげても宜しくてよ。私にも貴女を放置していた責任があるのだから…」
「…、……その責任とやらは、弊社に到着してから、支払って頂くことになるかと」
ミセス・リーグスティが言い放った『責任』という単語に、ツバサの声が、明らかな怒りを混じらせる。何やら地雷を踏んだ気配がしたが、そんなことは些末であると、ミセス・リーグスティは笑って見せた。ホルダーであるツバサがこちらに居る以上、ルカは手を出しては来れない。勝利は我が手に在ると、彼女は玉座を手に入れた気分で居る。
「さあ、参りましょうか。―――いざ、楽園都市の心臓部へ」
ミセス・リーグスティが立ち上がり、誘うようにツバサへと手を差し伸べた。だが、彼女は一瞥をくれただけで、その手を取ることはない。
室内に隊列を組んだ戦闘ユニットたちが入ってくる。皆が皆、銃火器装備。戦闘ユニットチームは、一斉にアイカメラを無機質に光らせて、ミセス・リーグスティの指示を待つのであった。
――――……。
【ROG. COMPANY 本社ロビー 来客用受付窓口】
ROG。COMPANYの本社ロビーに堂々と入ってきた集団に、雑多に行き交っていた社員たちが、ぎょっとする。
トルバドール・セキュリティーの女社長と、化け物集団の一員である事務員が肩を並べて、黒色の戦闘ユニットを従えて、歩いているのだ。最早、一般人の感覚に於いて、それは『異常』としか言えない光景である。
そんな集団が、来客用の受付窓口まで、真っ直ぐに歩いてくるではないか。受付係の社員二人は、震え上がる。「こっちくんな!!」と胸中でハモっている。だが、ツバサが一歩、前に出て、窓口に話しかけた。
「社長室へ通してくださいませ。アポイントメントがありませんが、トルバドール・セキュリティー様曰く、問題無い、とのことです…。
大丈夫です…。何かあれば、特殊対応室のルカ三級高等幹部が責任を取りますので…。彼の事務員として私から、貴方たちには一切のお咎めが及ばないことを、約束いたします」
「そ、それでしたら…」
ツバサの真摯な言葉を聞いた受付係は、どうやら自分たちに叱責は下らないと安心が出来たらしく、来客用の名札を用意して、差し出してきた。ツバサは礼を述べてから受け取り、ミセス・リーグスティの方へと向き直る。
「社長室へご案内いたします。どうぞ、こちらへ」
「では、お邪魔いたしますわ」
ツバサが半歩ほど前で先導する背中を見ながら、ミセス・リーグスティは更に自分の後方へ戦闘ユニットの隊列を従えつつ。ROG. COMPANYの本社内を堂々と闊歩するのであった。
その歩み、まるで覇道を往くが如く。
だが、その行き着く先に。本当の未来が在るのどうかは、誰にも予測が出来ないのである。
to be continued...