第六章 ヴァルキュリア・マナーズ
【四日後 本土 某所】
荒れ狂う動悸に、乱れた呼吸。全身が汗だくと土塗れで、手足の指先は痺れている。そんな状態で、輝は、「だあああーーーーッッ!!!!」と叫びながら、草が深く生えた地面へと、仰向けに倒れ込んだ。傍らには、汗を噴き出しているのは同じでも、呼吸一つ乱れていないバルドラが立っている。
「うむ!輝よ!今のは中々の動きだったぞ!琉一の見立て通り、やはりお前は戦士の資格があるな!!未来は明るいぞッ!!」
バルドラはそう言いながら、豪快に笑った。それを受けた輝は、息も絶え絶えに感謝の言葉を述べるしか出来ない。―――その表情は、非常に明るかった。
正午を告げる位置に昇った太陽の日差しを受けた輝は、きらきらと目を輝かせている。彼は此処に来て、数日。ずっと同じことを考えている。
こんな体験は、初めてだ。これが戦士になるための過程と言うならば、喜んで受け入れよう。むしろ、強くなるためなら、母を倒した後でさえ、此処へ戻って来たいくらいだ。
輝の訓練生活は、以下のような内容である。
朝陽が昇ると共に起床して、腹八分目に朝食を摂る。着替えて、十二分にストレッチをしてから、午前の訓練をこなす。過酷極まる訓練で肉体を叱咤すれば、待っているのは激しい空腹。腹の虫が暴れるままに昼食を摂り、一時間の食休みを置いて、午後の訓練へ。今度は夕陽が傾くまで。陽が落ちてからは撤収し、まずは夕食を摂る。それから風呂にゆっくりと入り、その後は屋敷内で与えられたスペースにて、消灯時間まで自由に過ごす。映画や音楽鑑賞をするもよし。テレビゲームでスコアを競うもよし。カードゲームで一粒チョコレートを賭けるもよし。静かに読書をするもよし。勿論、消灯を待たずして、早めに寝るのもよし。消灯した後は、また次の朝陽が昇るまで、ふかふかのシーツの中で眠る。
そんな生活の中。特に、輝は、矢槻と馬が合うようだった。二人共、生まれながらにして上流階級。幼い頃から周囲に期待され、それに応えようと生きてきた。
だが、聞けば矢槻は「俳優になりたい」という強い夢と憧れを抱き、それが原因で両親と喧嘩別れ。憐れに思った伯父・玄一に拾われても尚、腐っていたところ。矢槻は玄一に投げられた言葉、「私が社交界という舞台を差し出そう。そこで存分に演じなさい」で、我が道を見出す。それ以降、彼は、「変態嗜好を持つダメ男」を演じ続けて。喧嘩の熱が収まりかけていた両親の期待を見事に裏切りつつ。綺子の代わりとばかりに玄一の後釜には座りたくない、自分は自由に演じていたい、という夢を保持している。
一方で、輝は。自身に課せられていたミセス・リーグスティの完全なる評価制教育の実態を、矢槻に聞かせたところ。
「え…、なにそれ…、こわ…、激萎えじゃないか…」
と、存分にドン引きされた。矢槻のその反応を見た輝は、確信する。「ああ、やっぱり異常だったんだな」、と。だが、それと同時に、輝は自分の重ねていた罪も告白した。そう。妹・優那への搾取である。違法な加工写真を餌に、上納金と称して、小遣いを巻き上げていたことを、輝は言い訳も保身の言葉も、一つも述べずに。矢槻と、そのとき同席していた琉一へ、洗いざらい告解した。二人共、「やっちまったな」的な表情や仕草は隠さなかったが、それでも、輝の懺悔を否定はせず。特に、矢槻はこう言った。
「戦士として成長したら、優那嬢へ誠心誠意、謝罪の意を示しに行こう。ぼくもミセス・リーグスティを欺くための演技だったとはいえ、彼女を酷く怖がらせてしまった。事が済んだ後、一緒に謝りに行こうじゃないか、輝くん」
と。そして、それを聞いた琉一は大真面目な顔付きで、補足とばかりに付け足す。
「違法ダウンロードと加工による画像の流布は、現法上、軽犯罪に値します。しかし、貴方が未成年ということを加味すれば、警察機関に出頭し、聴取を受ければ。その後は、優那嬢が被害届を出すか否かで、各公的機関が判断するでしょう。もし優那嬢から被害届を提出された場合、籍を置いている聖クロス学園に通報されてしまうでしょうが、そのときは―――」
「―――もういいよ!真面目かッ!!」
淀みない琉一の台詞に、矢槻がツッコミを入れて。その場は笑い話と終わった。
バルドラの訓練は容赦のないモノだったが。そこには確かに『愛』があった。サディズム・マゾヒズムの話ではない。バルドラは褒めるときは豪快な太鼓の音のように、叱るときは雷鳴の如く怒号を飛ばす。輝が良い動きと知略を見せれば、そこを記録し、次に活かした。出鱈目な動きや、諦めが少しでも湧いたような感情を見せれば、そこを見出し、バルドラは遠慮なく指摘したうえで、改善を促す。だが、いずれも、それが終われば。すぐに彼はこう言った。
「よし!次だ、次!良い所は伸ばせ!悪い所は改めよ!お前の可能性は、その先にあるぞ!!」
褒められても、叱られても。どちらのときも、輝の胸の中には熱い気持ちが湧き出てくる。
バルドラの訓練は輝にとって。評価制教育で、表面の成果しか見てくれなかったミセス・リーグスティとは、正しく対極的であった。
(―――…認められているんだ…!!此処で、再起をはかっても良いんだ…!!俺は、…俺は生まれ変わるッ!!)
深い草の上、息を切らせて寝転がった輝は。傾きかけた夕陽が照らす空を見上げながら、自身の右手を突き上げて。グッと、拳を握り締めたのである。
【ROG. COMPANY デザイナー部門】
自分のデザイン画を確認して貰っている優那は、緊張の極みに居た。眼の前には、プリテトオンラインの企画部の社員たちが、優那の提出したデザイン画―――…あのニケ像とツバサの雄姿からインスパイアされた、女性像の完成図を、しげしげと検めている。
カナタたちからみっちりと指導されながら、時に泣いて、時に喚いて。それでも、完成までこぎ着けた女性像のデザイン画。プリテトオンラインの社員たちは、ゲーム内に新しく実装されるストーリーのボスキャラのデザイン候補として、これを見ている。
主任室に居る皆が、無言。優那も発言することは無い。デザイン画のリテイクは、三十回を数えた。もう心が折れそうと思ったこともある。だが、そう思うたびに優那は考え直してきた。
此処で折れてしまったら、路頭に迷う羽目になる。そうなれば、ミセス・リーグスティのもとへ強制送還されてしまう日が来るだろう。そんなのは嫌だ。私は何としても、このROG. COMPANYで生き延びなくては―――…!
「…、なるほど…。これは、これは…」
一番年の多そうな男性社員が、そう呟き、デザイン画を机に置いた。そして、優那を真っ直ぐに見ると、口を開く。
「素晴らしい。これが貴女の初仕事だと仰るのならば、我々は諸手を挙げて称賛するべきだ。そうだろう?皆さん?」
男性社員がそう言った途端、張り詰めていた主任室の空気が、一気に穏やかになる。企画部の社員たちが口々に言葉を零し始めた。
「いやあ、参った、参った。来る前から、何処から粗探しをしてやろうなどと考えていた、私の浅知恵こそ、浅はか、浅はか。あっはっはっはっ!」
「若い感性、と一言で片づけるには勿体ない。これほどまでの完成度…、今から将来が楽しみで仕方がないですわ」
「このような逸材、一体、何処から掘り出したのですかな?乙女樹主任?」
「やめておきなさい。秘密主義の乙女樹主任が、自分の金鉱脈の場所を明かすわけがないだろう」
冗談交じりな企画部社員たちの言葉に、音色は微笑で答える。
「残念ながら、彼女はわたしが見つけたのではないのです。この優那は、弊社の若社長が見出した、金の卵ですわ」
音色がそう言うと、おお…!、さすが…!、というざわめきと共に、企画部の社員たちの煌めく視線が、優那に向けられた。気恥ずかしさやら何やら一杯だったが、優那はきちんと椅子に座り続けている。此処でしっかりとした印象を植え付けておかねばなるまい。
「とはいえ、若社長のご慧眼もさることながら…。この優那の秘めたるポテンシャルは素晴らしいものです。そのデザイン画が、全てを物語っているでしょう?」
音色はティーカップを持ち上げて、優那への評価を推す言葉を紡ぐ。そこに忖度の色は一切見受けられず、音色が心の底から、彼女を企画部へと売り込みたい意思が現れていた。
それを受けた企画部の社員が、一つ頷いた後、言葉を続ける。
「乙女樹主任の、仰る通りです。…私共とて、デザイナー、引いてはモノづくりの端くれ。優那さんが才能だけではなく、血の滲むような努力を積み重ねてきたこと、この一枚から十分に伝わりますとも。
では、こちらで採用させて頂きます。…優那さん、素敵なアイデアをありがとうございます。後は我々が責任を以て、貴女が魂を込めたこの女性像に、ゲームキャラクターとして命を吹き込みます」
優那の心の中で「採用」という言葉が響いた瞬間。自分の胸の奥が熱くなって涙が込み上げそうになった。しかし、必死に堪える。
「ありがとうございます。よろしくお願いいたします」
堪えた涙の代わりに、優那の口から零れたのは、礼儀正しい言葉と、誠意の篭った一礼だった。
プリテトオンラインの企画部一行が帰った後。
優那は、デザイナー部門に併設されている、テラスで一人、ぼう…、と物思いに耽っていた。
彼女の様子を心配したカナタが、コーヒー片手に割り込もうとしたが、他の皆から「やめろ、やめろ」、「あの手の感傷は、一人の方がいいんだよ!」、「空気よめ」と押し留められている。
紙コップに入った、優那のピーチティーソーダ。デザイナー部門に設置されている従業員専用の自販機で販売されているモノで、優那が一番気に入ったドリンクだった。これを飲みながら、あのデザイン画のリテイクを受け続けて、試作と完成、そしてまた試作…、を繰り返し。今日まで辿り着いてきた。
飲みかけのピーチティーソーダの入った紙コップを持って、軽く回してみる。琥珀色の水面に、炭酸の泡が弾けて、桃の香りが匂い立った。が、それらは、不意に吹いた風が掻き消してしまう。固く三つ編みにした優那の黒色の髪が、揺らぐ。だが、彼女の瞳に、揺らぎはない。ビルの合間の風の向こうに沈もうとする夕陽に向かって、優那はおもむろに右手を突き出して。グッと拳を握り締めた。
(―――…認められている…!!此処で、再起をはかる…!!私は、…私は生まれ変わるッ!!)
そう、チカラ強く。己の胸中で宣言する。
同時刻。本土の某所で。同じ血を分けた兄・輝が、全く同じことを思い、同じく拳を握ったことなど。互いに知りもしないで。
否、今は未だ、知らなくても良いのだ。
運命が交叉する、そのときを迎えるまで、二人は互いの影を知らぬまま―――…。
to be continued...
荒れ狂う動悸に、乱れた呼吸。全身が汗だくと土塗れで、手足の指先は痺れている。そんな状態で、輝は、「だあああーーーーッッ!!!!」と叫びながら、草が深く生えた地面へと、仰向けに倒れ込んだ。傍らには、汗を噴き出しているのは同じでも、呼吸一つ乱れていないバルドラが立っている。
「うむ!輝よ!今のは中々の動きだったぞ!琉一の見立て通り、やはりお前は戦士の資格があるな!!未来は明るいぞッ!!」
バルドラはそう言いながら、豪快に笑った。それを受けた輝は、息も絶え絶えに感謝の言葉を述べるしか出来ない。―――その表情は、非常に明るかった。
正午を告げる位置に昇った太陽の日差しを受けた輝は、きらきらと目を輝かせている。彼は此処に来て、数日。ずっと同じことを考えている。
こんな体験は、初めてだ。これが戦士になるための過程と言うならば、喜んで受け入れよう。むしろ、強くなるためなら、母を倒した後でさえ、此処へ戻って来たいくらいだ。
輝の訓練生活は、以下のような内容である。
朝陽が昇ると共に起床して、腹八分目に朝食を摂る。着替えて、十二分にストレッチをしてから、午前の訓練をこなす。過酷極まる訓練で肉体を叱咤すれば、待っているのは激しい空腹。腹の虫が暴れるままに昼食を摂り、一時間の食休みを置いて、午後の訓練へ。今度は夕陽が傾くまで。陽が落ちてからは撤収し、まずは夕食を摂る。それから風呂にゆっくりと入り、その後は屋敷内で与えられたスペースにて、消灯時間まで自由に過ごす。映画や音楽鑑賞をするもよし。テレビゲームでスコアを競うもよし。カードゲームで一粒チョコレートを賭けるもよし。静かに読書をするもよし。勿論、消灯を待たずして、早めに寝るのもよし。消灯した後は、また次の朝陽が昇るまで、ふかふかのシーツの中で眠る。
そんな生活の中。特に、輝は、矢槻と馬が合うようだった。二人共、生まれながらにして上流階級。幼い頃から周囲に期待され、それに応えようと生きてきた。
だが、聞けば矢槻は「俳優になりたい」という強い夢と憧れを抱き、それが原因で両親と喧嘩別れ。憐れに思った伯父・玄一に拾われても尚、腐っていたところ。矢槻は玄一に投げられた言葉、「私が社交界という舞台を差し出そう。そこで存分に演じなさい」で、我が道を見出す。それ以降、彼は、「変態嗜好を持つダメ男」を演じ続けて。喧嘩の熱が収まりかけていた両親の期待を見事に裏切りつつ。綺子の代わりとばかりに玄一の後釜には座りたくない、自分は自由に演じていたい、という夢を保持している。
一方で、輝は。自身に課せられていたミセス・リーグスティの完全なる評価制教育の実態を、矢槻に聞かせたところ。
「え…、なにそれ…、こわ…、激萎えじゃないか…」
と、存分にドン引きされた。矢槻のその反応を見た輝は、確信する。「ああ、やっぱり異常だったんだな」、と。だが、それと同時に、輝は自分の重ねていた罪も告白した。そう。妹・優那への搾取である。違法な加工写真を餌に、上納金と称して、小遣いを巻き上げていたことを、輝は言い訳も保身の言葉も、一つも述べずに。矢槻と、そのとき同席していた琉一へ、洗いざらい告解した。二人共、「やっちまったな」的な表情や仕草は隠さなかったが、それでも、輝の懺悔を否定はせず。特に、矢槻はこう言った。
「戦士として成長したら、優那嬢へ誠心誠意、謝罪の意を示しに行こう。ぼくもミセス・リーグスティを欺くための演技だったとはいえ、彼女を酷く怖がらせてしまった。事が済んだ後、一緒に謝りに行こうじゃないか、輝くん」
と。そして、それを聞いた琉一は大真面目な顔付きで、補足とばかりに付け足す。
「違法ダウンロードと加工による画像の流布は、現法上、軽犯罪に値します。しかし、貴方が未成年ということを加味すれば、警察機関に出頭し、聴取を受ければ。その後は、優那嬢が被害届を出すか否かで、各公的機関が判断するでしょう。もし優那嬢から被害届を提出された場合、籍を置いている聖クロス学園に通報されてしまうでしょうが、そのときは―――」
「―――もういいよ!真面目かッ!!」
淀みない琉一の台詞に、矢槻がツッコミを入れて。その場は笑い話と終わった。
バルドラの訓練は容赦のないモノだったが。そこには確かに『愛』があった。サディズム・マゾヒズムの話ではない。バルドラは褒めるときは豪快な太鼓の音のように、叱るときは雷鳴の如く怒号を飛ばす。輝が良い動きと知略を見せれば、そこを記録し、次に活かした。出鱈目な動きや、諦めが少しでも湧いたような感情を見せれば、そこを見出し、バルドラは遠慮なく指摘したうえで、改善を促す。だが、いずれも、それが終われば。すぐに彼はこう言った。
「よし!次だ、次!良い所は伸ばせ!悪い所は改めよ!お前の可能性は、その先にあるぞ!!」
褒められても、叱られても。どちらのときも、輝の胸の中には熱い気持ちが湧き出てくる。
バルドラの訓練は輝にとって。評価制教育で、表面の成果しか見てくれなかったミセス・リーグスティとは、正しく対極的であった。
(―――…認められているんだ…!!此処で、再起をはかっても良いんだ…!!俺は、…俺は生まれ変わるッ!!)
深い草の上、息を切らせて寝転がった輝は。傾きかけた夕陽が照らす空を見上げながら、自身の右手を突き上げて。グッと、拳を握り締めたのである。
【ROG. COMPANY デザイナー部門】
自分のデザイン画を確認して貰っている優那は、緊張の極みに居た。眼の前には、プリテトオンラインの企画部の社員たちが、優那の提出したデザイン画―――…あのニケ像とツバサの雄姿からインスパイアされた、女性像の完成図を、しげしげと検めている。
カナタたちからみっちりと指導されながら、時に泣いて、時に喚いて。それでも、完成までこぎ着けた女性像のデザイン画。プリテトオンラインの社員たちは、ゲーム内に新しく実装されるストーリーのボスキャラのデザイン候補として、これを見ている。
主任室に居る皆が、無言。優那も発言することは無い。デザイン画のリテイクは、三十回を数えた。もう心が折れそうと思ったこともある。だが、そう思うたびに優那は考え直してきた。
此処で折れてしまったら、路頭に迷う羽目になる。そうなれば、ミセス・リーグスティのもとへ強制送還されてしまう日が来るだろう。そんなのは嫌だ。私は何としても、このROG. COMPANYで生き延びなくては―――…!
「…、なるほど…。これは、これは…」
一番年の多そうな男性社員が、そう呟き、デザイン画を机に置いた。そして、優那を真っ直ぐに見ると、口を開く。
「素晴らしい。これが貴女の初仕事だと仰るのならば、我々は諸手を挙げて称賛するべきだ。そうだろう?皆さん?」
男性社員がそう言った途端、張り詰めていた主任室の空気が、一気に穏やかになる。企画部の社員たちが口々に言葉を零し始めた。
「いやあ、参った、参った。来る前から、何処から粗探しをしてやろうなどと考えていた、私の浅知恵こそ、浅はか、浅はか。あっはっはっはっ!」
「若い感性、と一言で片づけるには勿体ない。これほどまでの完成度…、今から将来が楽しみで仕方がないですわ」
「このような逸材、一体、何処から掘り出したのですかな?乙女樹主任?」
「やめておきなさい。秘密主義の乙女樹主任が、自分の金鉱脈の場所を明かすわけがないだろう」
冗談交じりな企画部社員たちの言葉に、音色は微笑で答える。
「残念ながら、彼女はわたしが見つけたのではないのです。この優那は、弊社の若社長が見出した、金の卵ですわ」
音色がそう言うと、おお…!、さすが…!、というざわめきと共に、企画部の社員たちの煌めく視線が、優那に向けられた。気恥ずかしさやら何やら一杯だったが、優那はきちんと椅子に座り続けている。此処でしっかりとした印象を植え付けておかねばなるまい。
「とはいえ、若社長のご慧眼もさることながら…。この優那の秘めたるポテンシャルは素晴らしいものです。そのデザイン画が、全てを物語っているでしょう?」
音色はティーカップを持ち上げて、優那への評価を推す言葉を紡ぐ。そこに忖度の色は一切見受けられず、音色が心の底から、彼女を企画部へと売り込みたい意思が現れていた。
それを受けた企画部の社員が、一つ頷いた後、言葉を続ける。
「乙女樹主任の、仰る通りです。…私共とて、デザイナー、引いてはモノづくりの端くれ。優那さんが才能だけではなく、血の滲むような努力を積み重ねてきたこと、この一枚から十分に伝わりますとも。
では、こちらで採用させて頂きます。…優那さん、素敵なアイデアをありがとうございます。後は我々が責任を以て、貴女が魂を込めたこの女性像に、ゲームキャラクターとして命を吹き込みます」
優那の心の中で「採用」という言葉が響いた瞬間。自分の胸の奥が熱くなって涙が込み上げそうになった。しかし、必死に堪える。
「ありがとうございます。よろしくお願いいたします」
堪えた涙の代わりに、優那の口から零れたのは、礼儀正しい言葉と、誠意の篭った一礼だった。
プリテトオンラインの企画部一行が帰った後。
優那は、デザイナー部門に併設されている、テラスで一人、ぼう…、と物思いに耽っていた。
彼女の様子を心配したカナタが、コーヒー片手に割り込もうとしたが、他の皆から「やめろ、やめろ」、「あの手の感傷は、一人の方がいいんだよ!」、「空気よめ」と押し留められている。
紙コップに入った、優那のピーチティーソーダ。デザイナー部門に設置されている従業員専用の自販機で販売されているモノで、優那が一番気に入ったドリンクだった。これを飲みながら、あのデザイン画のリテイクを受け続けて、試作と完成、そしてまた試作…、を繰り返し。今日まで辿り着いてきた。
飲みかけのピーチティーソーダの入った紙コップを持って、軽く回してみる。琥珀色の水面に、炭酸の泡が弾けて、桃の香りが匂い立った。が、それらは、不意に吹いた風が掻き消してしまう。固く三つ編みにした優那の黒色の髪が、揺らぐ。だが、彼女の瞳に、揺らぎはない。ビルの合間の風の向こうに沈もうとする夕陽に向かって、優那はおもむろに右手を突き出して。グッと拳を握り締めた。
(―――…認められている…!!此処で、再起をはかる…!!私は、…私は生まれ変わるッ!!)
そう、チカラ強く。己の胸中で宣言する。
同時刻。本土の某所で。同じ血を分けた兄・輝が、全く同じことを思い、同じく拳を握ったことなど。互いに知りもしないで。
否、今は未だ、知らなくても良いのだ。
運命が交叉する、そのときを迎えるまで、二人は互いの影を知らぬまま―――…。
to be continued...