第五章 Falling Apple
【ROG. COMPANY デザイナー部門】
優那の眼に映る景色が、目まぐるしく変わっていく。つい一時間くらい前までは、慣れ親しんだ本土に居たというのに。今や、レイジに連れてこられるまま、ヒルカリオのひりつくビル群の風を浴び、一切の乱れなく整地された道路を渡り、…そうして、見上げてもキリがないような錯覚さえ覚えるほどの、巨大なROG. COMPANY本社ビル内に立ち入っている。
そして、レイジが優那を伴って、真っ先に足を運んだ場所は―――…。
「あら、可愛い子ね♡レイジにしては、センス良いじゃなぁい。…それで、この子をわたしのデザイナー部門で雇え、って?
辞令なら、せめて自分の出勤日に出しなさいよ。わざわざ公休日に来たと思ったら、急に非正規雇用の候補だ、って。現場のわたしの忙しさを、少しは考えて欲しいわぁ」
デザイナー部門であった。レイジに向かって毒を吐く、統括主任である音色は、今日はパステルカラーの甘ロリ系ドレスで決めていた。ウィッグも金髪のそれに変えて、雰囲気はまるで海外製の精緻な人形。だが、意外にも音色の声が男であることを、優那は驚いていなかった。高校生とて美術に携わる身である以上、色々な素材をスケッチしてきたり、アイデアとして吸収をしてきた。見た目が令嬢、声は男であることぐらい、優那には大した問題ではない。それよりも、レイジが自分を此処に連れてきた理由が気になった。音色は「雇う」と言った。つまり、自分は此処で働くことを強いられてる…?と、優那は思った。
レイジと音色がやり取りを続ける。
「雑用から始めさせても良いし。見込みがあるなら、何か描かせても良いよ…。聖クロス高校の美術部のエースで、コンクールでは何度も入賞経験がある…。道中で見せて貰ったけど、絵は上手い。正直、同世代の中では、頭一つ抜きんでてると思う…」
「ふぅん…。お絵描きが上手いだけじゃあ、デザインは出来ないけれど…。まあ、いいわ。まずは見てから、考えないと。
ほら、貴女の作品を、わたしたちに見せてちょうだい。コンクール常連なら、代表作の一枚や二枚、常に持ち歩いてるでしょう?」
音色の興味関心が、急に優那へと突き刺さった。会話の矛先を向けられた彼女は、あわあわとしつつも、背負っていたリュックサックを一旦降ろして、その中から、持ってきた三冊のスケッチブックを取り出す。新品の一冊も含めて、計四冊も持ち歩いていたのだ。そこに優那が本気で家出を決行したことと、自分の絵に対する愛情が垣間見える。
「カナタ、入っていらっしゃい。そこで聞き耳を立てている暇があったら、この主任の仕事の一つや二つ、手伝うべきよ」
音色がスケッチブックの一冊を取りながら、主任室の扉に向かって、声を掛ける。すると、扉が開いて、音色に名指しされたカナタが「たはは…、バレテーラ」と言いながら、入ってくるではないか。レイジがほぼ無言で、優那の持ち込んだスケッチブックの残りのうち一冊を、カナタに預ける。受け取ったカナタは、すぐにプロの目付きになって、それを捲り始めた。
淡々とスケッチブックの中身を検める大人たちに囲まれて、優那は心の底から縮こまる気持ちで一杯である。だが、此処まで来た以上、もう家にも帰れないし、帰りたくもない。
緊張する優那の視線の先で。それぞれの手で捲り終えたスケッチブックを、再度確認しつつ、音色とカナタが会話を始める。
「なかなか良いスケッチやアイデアが纏まっているわぁ。レイジが称賛するのも頷けるものねぇ」
「主任に同意です。…でも正直、線が少しカタい面があるし、色味も落ち着かない部分があるし…」
「そこはカナタの言う通りだわぁ。コンクールで入賞するには、奇抜や斬新な一面として、充分なのでしょうけれど。
デザイナー部門の主任である、わたしの下で働かせるには、もう一押しが欲しいところねぇ、…って、あら?これは…?」
音色が、おもむろに誰も手をつけていなかった三冊目のスケッチブックを手に取り、最後のページを捲ってから、声を上げた。優那がハッとしたように息を呑む。
そこに描かれていたのは、両翼を持った女性像のイラスト。聖クロス学園に設置されて、象徴にもなっているニケ像と。ツバサが輝との決闘した際に見せた雄姿を掛け合わせて、描き上げた、優那の渾身の一枚。彼女は次のイラストコンクールは、それをキャンパスに描き出したものを提出しようとしていた。
まず、イラストの全体像としては、原典になったニケ像には首から上が無いことで有名であることを前提に、イラスト内の女性は胴体と首から上が一旦、離されている。だが、その僅かな隙間と周囲に、輝く光輪を挟むことで、グロテスクさではなく、神々しさを演出。むしろ、首に枷を掛けられているような見せ方もあり、倒錯的な印象すら持て得る。
そして、その女性は右手には薔薇を、左手には大きな盾を持っていた。薔薇は一輪だけだが、大ぶりに咲いた見事な花弁が美しい。盾には表面にレリーフらしきものが彫られているようだが、此処はラフの段階らしく、現時点で詳細は見受けられない。
女性の髪の毛は長く、緩くウェーブが掛かっている。そのロングヘアーは波打ちながらも、まるでシルクのような光沢が描き込まれていた。頭上には首元と同じ光輪が輝いている。両眼は包帯らしきもので覆われており、詳しい表情は伺えない。だが、この女性が、凛と前を見据えているのだけは分かった。
ほわ…、とカナタが感嘆の溜め息を漏らすのと、音色が優那に向かって微笑んだのは、同時だった。音色の唇が開く。
「わたしたち、今はプリテトオンラインの新しいストーリーに出てくる、敵ユニットのデザインを練っている最中なの。
この女性像のデザイン、是非とも企画案の一つとして、我が部門で採用したいわ♡勿論、原案は貴女であることは、きちんと明記する。当然よねぇ。
どうかしら?絵を描くことを愛する貴女としても、これからの未来に少しでも希望を持ちたい貴女としても、これは決して悪い話ではないはずよ?」
優那は再び、息を呑んだ。手放しで喜べるほど、彼女は無知でもなかったが、それでも自分の絵が高く評価されていることには、天にも昇る心地である。それに優那は、音色が彼女に持ちかけた話が、目先のイラストコンクールよりも、ずっと将来的価値が高いことを瞬時に理解した。故に。
「此処で…、働かせてください!よろしくお願いします!」
優那は勢いをつける余り、思わず声を張る。そんな彼女のことを微笑ましいものを見るかのように眺めながら、音色は続けた。
「ところで、貴女、お名前は?
わたしは、乙女樹音色。ROG. COMPANY デザイナー部門の統括主任よ。そして、彼が…」
「僕は、チームリーダーのカナタ。忙しい乙女樹主任に代わって、現場の直接的な指揮関連を任されてるんだ」
音色とカナタが名乗ったところで、優那は一礼しながら自分も倣う。
「優那・リーグスティと申します。十六歳です。聖クロス高校の美術部に所属しております。水彩画と色鉛筆が得意です。デジタルイラストには不慣れですが、これから勉強していきたいと思います」
「あらあら、随分とお若いお姫様だこと。…良いわ。わたしの下で、しっかりと鍛えてあげる♡
おめでとう、優那。貴女は今日から、わたしのデザイナー部門の一員よ♡泣いても喚いても狂っても…、弊社で働くと決めた以上、中途半端に逃げ出すことは許さないわ。自分で歩くと決めた道は、しかと歩き切りなさい」
音色はその言葉と共に、濃いめの口紅を塗った唇で、弧を描いた。蠱惑的な笑み。
それを見た優那は、これからの己を想像して、もう本当に後戻りが出来ないことを、改めて思い知ったのである―――…。
――――…。
【Room EL】
「ルカ。さくら園で確保した捕虜が、粗方のことは吐いたぞ。ついでに、戦闘ユニットの解析も終わりつつある。とはいえ、ユニットに関しては、ほぼ砕され尽くしているから、正直、これ以上の収穫は望めない段階にある」
ソラの冷たい声による報告が室内に、静かに響く。それを聞いたルカは、にこり、と笑い、言葉を紡いだ。
「お疲れさま。それで、どんな情報が掴めたの?やっぱり、黒幕はミセス・リーグスティって認識で正解なワケ?」
「その通りだ。…まあ、捕虜にした指揮官が、襲撃の現場でツバサのことを「彩葉お嬢様」と呼んだ時点で、確定したようなものだが…。
あの戦闘部隊の目的は、「ツバサの収容」と「琉一の抹殺」だった。ただ、ツバサを手中に収めたいという心理はまだしも、琉一を脅威として認識していて、且つ、排除に向かったのは、些か斜め上な行動パターンだ。…どうやらミセス・リーグスティにとって、先のROYALBEATの取り潰し騒動は、相当に恐ろしかったようだな」
ソラはルカと受け答えをしながら、報告書などのデータが入ったSDカードを手渡す。受け取ったルカは、それを自身のパソコンに読み込ませて、中身を確認した。高速で読み解かれたデータ物は、すぐさまファイルを閉じられる。
「ミセス・リーグスティは、わざと「自分が仕掛けた」って、バレるようにしてたみたいだね。まあ、そうでないと、あんなにずさんな作戦になるワケがないんだケドね」
ルカはそう言って、苦笑いを溢しつつも、机の上のサーモマグに手を伸ばした。ソラが続ける。
「ああ。彼女は最早、我々と全面的に争う姿勢を隠すつもりがないようだ。ツバサを手中に収めたいという思惑も、Room ELを敵に回すことを厭わないという意思も、…そのためには多少の犠牲を強いる計算をしていることも、ミセス・リーグスティは全て認めているも同然だ」
ソラは言いながら、眉間にシワを寄せた。大口の取引相手、引いてはビジネスパートナーとも言える、トルバドール・セキュリティーの社長と全面戦争はしたくないが、…先にこちらへ銃口を向けて、発砲してきたのは、誰でもない。ミセス・リーグスティの方だ。
ルカはサーモマグに入った緑茶を飲みながら、ゆったりとした口調でソラに問う。
「そうだねえ。まあ、あとは、さくら園の雲真院長だっけ?彼の証言も合わせれば、ミセス・リーグスティがクロであることは、猫が見ても分かる話だよねえ。
…それで?保護したさくら園の子どもたちの様子は?ソラは、まだ見てないの?」
ルカの言う「雲真の証言」というのは。文字通り、あの襲撃から逃れた彼から、Room ELが掴めた、今回のことへの関連情報である。
端的に言えば、雲真はミセス・リーグスティに脅されていた。そして、さくら園に面会に来るツバサの収容を手伝え、と命令されていた。従わなければ、さくら園の運営資金の経路を断ち切る、と言われていたらしい。善意と無償の愛だけでは、子どもを養うことは出来ない。雲真は悩み、そして、彼女に従う意思を見せた。…フリをした。
雲真はツバサたちが面会に来る日に、さくら園の子どもたちと、主要スタッフたちを遠足へと行かせて、鉄火場から逃すことを計画。そして、実際に襲撃に遭った際、ツバサを通して、ルカに遠足組の居場所を知らせ、子どもとスタッフたちを保護して貰う流れを、見事、確立させたのだ。
「動物園に遠足に行くと思ってたのが、急転して、ヒルカリオの三ツ星ホテル生活になっちゃったからなあ。でも、ああしないと、さくら園は永遠にミセス・リーグスティに狙われちゃうからね。アリスちゃんを捕まえるためなら、彼女、きっとさくら園の子どもたちですら、人質にしちゃうもん。そういう人間だよ、彼女。
だから、ソラの機転は確かに効いてたんだよ。えらい、えらい。さすが、オレの秘書官だね~」
ルカの言う通り、ソラは見抜いていた。ツバサに電話を掛けてきた雲真が、その場でSOSを出していたことを。でなければ、本来、個人情報や経営情報に繋がるかもしれない、さくら園の遠足スケジュールの情報など、いくら卒園生であるツバサが相手であろうとも、そう簡単に漏らすものか。経営者ならば、尚更、その行動の矛盾点が目についた。だからこそ、ソラは琉一を連れていくと判断し、アンジェリカを武力投入する計画を、咄嗟に捻り出した。
そして、ソラの計画は成功したのである。…ただ、それがまさか。ルカによるアンジェリカの拿捕と隔離に繋がるとは、さすがに予想はしなかったのではあるが。
割と複雑極まるソラの胸中の思いを知ってか知らずか。ルカは相変わらず、ゆったりと寛いでいる。ソラは彼の姿を眺めながら、口を開いた。…気を抜くと、言葉ではなく、溜め息が漏れそうだ。
「ヒルカリオに居る以上、ミセス・リーグスティの魔手からは逃れられる。だが、慣れないホテル生活を強いている分、俺も子どもたちのストレスが心配だった…。
しかし、上がってきている報告を見る限り、皆、快適に過ごしているようだ。健康状態に心配のある者も見受けられないと、ナオト先生より聞いている。ただ、スタッフからは、子どもたちを外へ散歩に連れて行けない、広い場所で遊ばせることが出来ないことで、子どもたちの運動不足と、昼寝時間の不足から来る、健康不安の予測が挙がってきているとも…」
ソラが淡々と報告するのを聞いたルカは、「あーね」と頷いてから。おもむろにパソコンを操作し始める。キーボードを叩く音がした。すると直後に、ルカの背後に並んでいる五機の印刷機のうち、一つが立ち上がる。ソラがトレイから印刷物を取りあげると、ルカが言った。
「その書類に必要なことを書き込んでから、さくら園の子たちが滞在しているホテルへ、FAXで送信してあげて。
そのホテルには屋内プールが三ヶ所あるから、二日置きに一時間っていうスパンで、さくら園に、その一ヶ所を貸し切りにしてあげられるように、手配して貰おうよ」
「了解した。すぐに取り掛かる」
「うん、ヨロシクね。
あと、ソラは少し休むこと。顔色が良くないよ。その書類の送付が終わったら、奥で仮眠を取っておいで?」
「…、分かった。気遣わせて、すまない。……いいや、ありがとう、と言うべきだろうな…」
「そうだよ~。そっちの方が、嬉しいな~」
ルカの真意を汲み取ったソラは、緊張していた己の身体から余計なチカラを抜いて。受け取った書類の処理に入ることにした。
to be continued...
優那の眼に映る景色が、目まぐるしく変わっていく。つい一時間くらい前までは、慣れ親しんだ本土に居たというのに。今や、レイジに連れてこられるまま、ヒルカリオのひりつくビル群の風を浴び、一切の乱れなく整地された道路を渡り、…そうして、見上げてもキリがないような錯覚さえ覚えるほどの、巨大なROG. COMPANY本社ビル内に立ち入っている。
そして、レイジが優那を伴って、真っ先に足を運んだ場所は―――…。
「あら、可愛い子ね♡レイジにしては、センス良いじゃなぁい。…それで、この子をわたしのデザイナー部門で雇え、って?
辞令なら、せめて自分の出勤日に出しなさいよ。わざわざ公休日に来たと思ったら、急に非正規雇用の候補だ、って。現場のわたしの忙しさを、少しは考えて欲しいわぁ」
デザイナー部門であった。レイジに向かって毒を吐く、統括主任である音色は、今日はパステルカラーの甘ロリ系ドレスで決めていた。ウィッグも金髪のそれに変えて、雰囲気はまるで海外製の精緻な人形。だが、意外にも音色の声が男であることを、優那は驚いていなかった。高校生とて美術に携わる身である以上、色々な素材をスケッチしてきたり、アイデアとして吸収をしてきた。見た目が令嬢、声は男であることぐらい、優那には大した問題ではない。それよりも、レイジが自分を此処に連れてきた理由が気になった。音色は「雇う」と言った。つまり、自分は此処で働くことを強いられてる…?と、優那は思った。
レイジと音色がやり取りを続ける。
「雑用から始めさせても良いし。見込みがあるなら、何か描かせても良いよ…。聖クロス高校の美術部のエースで、コンクールでは何度も入賞経験がある…。道中で見せて貰ったけど、絵は上手い。正直、同世代の中では、頭一つ抜きんでてると思う…」
「ふぅん…。お絵描きが上手いだけじゃあ、デザインは出来ないけれど…。まあ、いいわ。まずは見てから、考えないと。
ほら、貴女の作品を、わたしたちに見せてちょうだい。コンクール常連なら、代表作の一枚や二枚、常に持ち歩いてるでしょう?」
音色の興味関心が、急に優那へと突き刺さった。会話の矛先を向けられた彼女は、あわあわとしつつも、背負っていたリュックサックを一旦降ろして、その中から、持ってきた三冊のスケッチブックを取り出す。新品の一冊も含めて、計四冊も持ち歩いていたのだ。そこに優那が本気で家出を決行したことと、自分の絵に対する愛情が垣間見える。
「カナタ、入っていらっしゃい。そこで聞き耳を立てている暇があったら、この主任の仕事の一つや二つ、手伝うべきよ」
音色がスケッチブックの一冊を取りながら、主任室の扉に向かって、声を掛ける。すると、扉が開いて、音色に名指しされたカナタが「たはは…、バレテーラ」と言いながら、入ってくるではないか。レイジがほぼ無言で、優那の持ち込んだスケッチブックの残りのうち一冊を、カナタに預ける。受け取ったカナタは、すぐにプロの目付きになって、それを捲り始めた。
淡々とスケッチブックの中身を検める大人たちに囲まれて、優那は心の底から縮こまる気持ちで一杯である。だが、此処まで来た以上、もう家にも帰れないし、帰りたくもない。
緊張する優那の視線の先で。それぞれの手で捲り終えたスケッチブックを、再度確認しつつ、音色とカナタが会話を始める。
「なかなか良いスケッチやアイデアが纏まっているわぁ。レイジが称賛するのも頷けるものねぇ」
「主任に同意です。…でも正直、線が少しカタい面があるし、色味も落ち着かない部分があるし…」
「そこはカナタの言う通りだわぁ。コンクールで入賞するには、奇抜や斬新な一面として、充分なのでしょうけれど。
デザイナー部門の主任である、わたしの下で働かせるには、もう一押しが欲しいところねぇ、…って、あら?これは…?」
音色が、おもむろに誰も手をつけていなかった三冊目のスケッチブックを手に取り、最後のページを捲ってから、声を上げた。優那がハッとしたように息を呑む。
そこに描かれていたのは、両翼を持った女性像のイラスト。聖クロス学園に設置されて、象徴にもなっているニケ像と。ツバサが輝との決闘した際に見せた雄姿を掛け合わせて、描き上げた、優那の渾身の一枚。彼女は次のイラストコンクールは、それをキャンパスに描き出したものを提出しようとしていた。
まず、イラストの全体像としては、原典になったニケ像には首から上が無いことで有名であることを前提に、イラスト内の女性は胴体と首から上が一旦、離されている。だが、その僅かな隙間と周囲に、輝く光輪を挟むことで、グロテスクさではなく、神々しさを演出。むしろ、首に枷を掛けられているような見せ方もあり、倒錯的な印象すら持て得る。
そして、その女性は右手には薔薇を、左手には大きな盾を持っていた。薔薇は一輪だけだが、大ぶりに咲いた見事な花弁が美しい。盾には表面にレリーフらしきものが彫られているようだが、此処はラフの段階らしく、現時点で詳細は見受けられない。
女性の髪の毛は長く、緩くウェーブが掛かっている。そのロングヘアーは波打ちながらも、まるでシルクのような光沢が描き込まれていた。頭上には首元と同じ光輪が輝いている。両眼は包帯らしきもので覆われており、詳しい表情は伺えない。だが、この女性が、凛と前を見据えているのだけは分かった。
ほわ…、とカナタが感嘆の溜め息を漏らすのと、音色が優那に向かって微笑んだのは、同時だった。音色の唇が開く。
「わたしたち、今はプリテトオンラインの新しいストーリーに出てくる、敵ユニットのデザインを練っている最中なの。
この女性像のデザイン、是非とも企画案の一つとして、我が部門で採用したいわ♡勿論、原案は貴女であることは、きちんと明記する。当然よねぇ。
どうかしら?絵を描くことを愛する貴女としても、これからの未来に少しでも希望を持ちたい貴女としても、これは決して悪い話ではないはずよ?」
優那は再び、息を呑んだ。手放しで喜べるほど、彼女は無知でもなかったが、それでも自分の絵が高く評価されていることには、天にも昇る心地である。それに優那は、音色が彼女に持ちかけた話が、目先のイラストコンクールよりも、ずっと将来的価値が高いことを瞬時に理解した。故に。
「此処で…、働かせてください!よろしくお願いします!」
優那は勢いをつける余り、思わず声を張る。そんな彼女のことを微笑ましいものを見るかのように眺めながら、音色は続けた。
「ところで、貴女、お名前は?
わたしは、乙女樹音色。ROG. COMPANY デザイナー部門の統括主任よ。そして、彼が…」
「僕は、チームリーダーのカナタ。忙しい乙女樹主任に代わって、現場の直接的な指揮関連を任されてるんだ」
音色とカナタが名乗ったところで、優那は一礼しながら自分も倣う。
「優那・リーグスティと申します。十六歳です。聖クロス高校の美術部に所属しております。水彩画と色鉛筆が得意です。デジタルイラストには不慣れですが、これから勉強していきたいと思います」
「あらあら、随分とお若いお姫様だこと。…良いわ。わたしの下で、しっかりと鍛えてあげる♡
おめでとう、優那。貴女は今日から、わたしのデザイナー部門の一員よ♡泣いても喚いても狂っても…、弊社で働くと決めた以上、中途半端に逃げ出すことは許さないわ。自分で歩くと決めた道は、しかと歩き切りなさい」
音色はその言葉と共に、濃いめの口紅を塗った唇で、弧を描いた。蠱惑的な笑み。
それを見た優那は、これからの己を想像して、もう本当に後戻りが出来ないことを、改めて思い知ったのである―――…。
――――…。
【Room EL】
「ルカ。さくら園で確保した捕虜が、粗方のことは吐いたぞ。ついでに、戦闘ユニットの解析も終わりつつある。とはいえ、ユニットに関しては、ほぼ砕され尽くしているから、正直、これ以上の収穫は望めない段階にある」
ソラの冷たい声による報告が室内に、静かに響く。それを聞いたルカは、にこり、と笑い、言葉を紡いだ。
「お疲れさま。それで、どんな情報が掴めたの?やっぱり、黒幕はミセス・リーグスティって認識で正解なワケ?」
「その通りだ。…まあ、捕虜にした指揮官が、襲撃の現場でツバサのことを「彩葉お嬢様」と呼んだ時点で、確定したようなものだが…。
あの戦闘部隊の目的は、「ツバサの収容」と「琉一の抹殺」だった。ただ、ツバサを手中に収めたいという心理はまだしも、琉一を脅威として認識していて、且つ、排除に向かったのは、些か斜め上な行動パターンだ。…どうやらミセス・リーグスティにとって、先のROYALBEATの取り潰し騒動は、相当に恐ろしかったようだな」
ソラはルカと受け答えをしながら、報告書などのデータが入ったSDカードを手渡す。受け取ったルカは、それを自身のパソコンに読み込ませて、中身を確認した。高速で読み解かれたデータ物は、すぐさまファイルを閉じられる。
「ミセス・リーグスティは、わざと「自分が仕掛けた」って、バレるようにしてたみたいだね。まあ、そうでないと、あんなにずさんな作戦になるワケがないんだケドね」
ルカはそう言って、苦笑いを溢しつつも、机の上のサーモマグに手を伸ばした。ソラが続ける。
「ああ。彼女は最早、我々と全面的に争う姿勢を隠すつもりがないようだ。ツバサを手中に収めたいという思惑も、Room ELを敵に回すことを厭わないという意思も、…そのためには多少の犠牲を強いる計算をしていることも、ミセス・リーグスティは全て認めているも同然だ」
ソラは言いながら、眉間にシワを寄せた。大口の取引相手、引いてはビジネスパートナーとも言える、トルバドール・セキュリティーの社長と全面戦争はしたくないが、…先にこちらへ銃口を向けて、発砲してきたのは、誰でもない。ミセス・リーグスティの方だ。
ルカはサーモマグに入った緑茶を飲みながら、ゆったりとした口調でソラに問う。
「そうだねえ。まあ、あとは、さくら園の雲真院長だっけ?彼の証言も合わせれば、ミセス・リーグスティがクロであることは、猫が見ても分かる話だよねえ。
…それで?保護したさくら園の子どもたちの様子は?ソラは、まだ見てないの?」
ルカの言う「雲真の証言」というのは。文字通り、あの襲撃から逃れた彼から、Room ELが掴めた、今回のことへの関連情報である。
端的に言えば、雲真はミセス・リーグスティに脅されていた。そして、さくら園に面会に来るツバサの収容を手伝え、と命令されていた。従わなければ、さくら園の運営資金の経路を断ち切る、と言われていたらしい。善意と無償の愛だけでは、子どもを養うことは出来ない。雲真は悩み、そして、彼女に従う意思を見せた。…フリをした。
雲真はツバサたちが面会に来る日に、さくら園の子どもたちと、主要スタッフたちを遠足へと行かせて、鉄火場から逃すことを計画。そして、実際に襲撃に遭った際、ツバサを通して、ルカに遠足組の居場所を知らせ、子どもとスタッフたちを保護して貰う流れを、見事、確立させたのだ。
「動物園に遠足に行くと思ってたのが、急転して、ヒルカリオの三ツ星ホテル生活になっちゃったからなあ。でも、ああしないと、さくら園は永遠にミセス・リーグスティに狙われちゃうからね。アリスちゃんを捕まえるためなら、彼女、きっとさくら園の子どもたちですら、人質にしちゃうもん。そういう人間だよ、彼女。
だから、ソラの機転は確かに効いてたんだよ。えらい、えらい。さすが、オレの秘書官だね~」
ルカの言う通り、ソラは見抜いていた。ツバサに電話を掛けてきた雲真が、その場でSOSを出していたことを。でなければ、本来、個人情報や経営情報に繋がるかもしれない、さくら園の遠足スケジュールの情報など、いくら卒園生であるツバサが相手であろうとも、そう簡単に漏らすものか。経営者ならば、尚更、その行動の矛盾点が目についた。だからこそ、ソラは琉一を連れていくと判断し、アンジェリカを武力投入する計画を、咄嗟に捻り出した。
そして、ソラの計画は成功したのである。…ただ、それがまさか。ルカによるアンジェリカの拿捕と隔離に繋がるとは、さすがに予想はしなかったのではあるが。
割と複雑極まるソラの胸中の思いを知ってか知らずか。ルカは相変わらず、ゆったりと寛いでいる。ソラは彼の姿を眺めながら、口を開いた。…気を抜くと、言葉ではなく、溜め息が漏れそうだ。
「ヒルカリオに居る以上、ミセス・リーグスティの魔手からは逃れられる。だが、慣れないホテル生活を強いている分、俺も子どもたちのストレスが心配だった…。
しかし、上がってきている報告を見る限り、皆、快適に過ごしているようだ。健康状態に心配のある者も見受けられないと、ナオト先生より聞いている。ただ、スタッフからは、子どもたちを外へ散歩に連れて行けない、広い場所で遊ばせることが出来ないことで、子どもたちの運動不足と、昼寝時間の不足から来る、健康不安の予測が挙がってきているとも…」
ソラが淡々と報告するのを聞いたルカは、「あーね」と頷いてから。おもむろにパソコンを操作し始める。キーボードを叩く音がした。すると直後に、ルカの背後に並んでいる五機の印刷機のうち、一つが立ち上がる。ソラがトレイから印刷物を取りあげると、ルカが言った。
「その書類に必要なことを書き込んでから、さくら園の子たちが滞在しているホテルへ、FAXで送信してあげて。
そのホテルには屋内プールが三ヶ所あるから、二日置きに一時間っていうスパンで、さくら園に、その一ヶ所を貸し切りにしてあげられるように、手配して貰おうよ」
「了解した。すぐに取り掛かる」
「うん、ヨロシクね。
あと、ソラは少し休むこと。顔色が良くないよ。その書類の送付が終わったら、奥で仮眠を取っておいで?」
「…、分かった。気遣わせて、すまない。……いいや、ありがとう、と言うべきだろうな…」
「そうだよ~。そっちの方が、嬉しいな~」
ルカの真意を汲み取ったソラは、緊張していた己の身体から余計なチカラを抜いて。受け取った書類の処理に入ることにした。
to be continued...