第五章 Falling Apple

【翌日 某ファミリーレストラン内】

優那の家出は、スタートは成功だった。大荷物を指摘してきたミセス・リーグスティに対しては、「コンクール作品の制作が大詰めなので…。美術部に道具を持って行くんです」と言えば、彼女は納得したように頷き、それ以上は切り込んではこなかった。そして、最寄り駅までの送迎車が完全に走り去ったのを見た優那は、駅のトイレに入って、制服から私服へと着替えた。制服を捨てていくかどうかを暫し迷った末、…第三者に発見されたら、間違いなく警察事案になることを恐れて、結局、リュックサックへと仕舞い込んだ。
キャップを被り、自分ではないように振る舞いながら、ヒルカリオの入島検閲所前まで、電車でやってきた。…だが、此処で足止めを食らった。

優那が検閲で提示した保険証を検めた保安員が、彼女が未成年であることを理由に、入島を拒否したのだ。「保護者か、もしくは成人済みのお連れ様が居れば」と保安員に言われた優那は、咄嗟にミセス・リーグスティにバレることを恐れて、保険証をもぎ取り、その場を脱兎の如く、去った。

そして、現在。ヒルカリオの検閲所に一番近い、目に付いたファミリーレストランの隅っこの席で。優那は途方に暮れていた。

ぼんやりとした思考回路の中で、まだ温かさが残るポテトフライをちびちびと食べていると、不意に横から「あ、この子です。俺の連れ」という声が聞こえて、顔を上げた。そこには、ファミリーレストランの店員と、―――レイジだった。

突然の登場に、眼を白黒させていると。レイジは店員と適当なやり取りを終えてから、優那の対面に座る。「あ、あの…」と口を開こうとする優那に向かって、手だけで制すると、声を潜めながら、彼女へと言葉を紡いだ。

「おはよ、家出娘」
「…!!」
「あー、逃げなくて良いってば…。俺は別に家出を否定しないし、あんたの母親へ通報もしない…。まあ、此処にいつまでも留まってたら、補導員に見つかる可能性は高いかな…。あんた、明らかに未成年のナリしてるし…。だからこそ、店の外から見えたあんたのこと、放っておけなくて、入って来ちゃったんだけどさ…」

レイジはそう言いながら、注文用タブレットを操作して、その画面にモーニングセットのメニューを表示させる。そして、薄水色がかった瞳を優那に向けて、続けた。

「目玉焼きと、スクランブルエッグと、オムレツ。優那は、どれ派?」
「え…」
「何をするにも、まずは腹ごしらえしないとさ…。子どもの頃から、ルカ兄にはイヤってほど言われたよ。「人間は空腹状態では動けなくなるし、判断力も鈍る。だから、何をするにしても、まずは食事の時間を確保しようね」って。…そんな小さい皿のポテトフライだけじゃ、本土のその辺どころか、ヒルカリオもロクに歩けないって…。
 ほら、選びな。ちな、俺、スクランブルエッグ。ケチャップいらね。サラダは欲しいかも。あ、ライス大盛りで。…で、優那は?」

再度、促された優那は。おどおどしつつも、喉から声を絞り出すようにして、言う。

「……、お、オムレツを…お願いします…。ケチャップありで、サラダも欲しいです…。あ、あの、ライスではなく、パンがいいです…」
「お、ちゃんと言えるじゃん。自分の主張がさ。その調子で行こーぜ」

レイジは優那の返答を聞き、そう言うと。眼を細めて、優しく笑ったのだった。


――――…。

ファミリーレストランで朝食を終えた二人は。レイジの会計を以て、店を出た。そして、その後はコンビニエンスストアに寄ってから、近くの少し大きな公園に入り、屋根付きのベンチを占拠して、ジュースとお菓子を広げている。そこでレイジは、優那の事情を余すことなく聞き出した。

「兄貴が思い通りに使えなくなったからって、今度は妹を結婚させる、ね…。あの女なら考えそうなことだわー…。あー無理、やっぱ無理…。子どもを道具みたいに扱う親は、もう親じゃねえんだよなー…。うっわ、寒気してきた。え?一旦、推しを吸うべき…?これは推しの出番…?」

そう言いながら、カップ型容器からスナック菓子を一つ摘まんで、口に放り込むレイジは、それを咀嚼したあと、サイダーで飲み下す。そして、優那からの情報を整理し始めた。

「しかも優那に婿入りさせようっていう、そのヤツキって…、誰でもなく、雪坂矢槻(ゆきさか やつき)のことだろーが…。アイツ、とんでもねえ人格破綻者だぞ…。結婚生活はおろか、恋人を持つのも向いてねーっつーの…」
「…レイジさん、もしかして、お知り合いですか…?!」

どうやら、ヤツキこと、雪坂矢槻のことを、レイジは知っているらしい。優那は思わず身を乗り出したが、レイジはそれを宥めるかのように、優しい目付きで制した。だが、その口から漏れるのは、矢槻への文句である。

「まーね。知り合いって言っても、社交界では常連客みたいなもん…。ついでに問題児として有名。
 俺からすれば、ありもしない理由で、あっちから喧嘩を吹っ掛けられまくったうえに、逆恨みまでされてる始末でさ…。なんかいい加減、視界から消えて欲しさあるわー…」

レイジはそこまで言うと、不意に視線を真横にずらした。優那もつられてそちらを見ると、―――ブラックスーツ姿の男たちが、集団でこちらに歩いてきているではないか。
本能的に危機を察知した優那は震えあがるが、レイジは「あーね…」と気怠そうに零した後、残り一本になっていたスナック菓子を口に放り込む。そして、ベンチから立ち上がった。

「この子のお迎えなら、呼んでねーよ」

レイジが黒服たちにそう言うと、男たちの陰から、一人の青年が現れた。

「やあ、ぼくの花嫁ちゃぁあん。ぼくは、雪坂矢槻!
 オマエがぼくの花嫁ちゃんの、優那ちゃんだよねえ?写真で見るより可愛いねえぇ。ぼくが好きなだけ着飾って、ぼくが好きなだけ遊んであげるよぉお」

独特のねっとりした口調。見目は悪くない方だが、この何とも言えぬ粘っこい気持ちの悪さが、優那の背筋に激しい悪寒を走らせる。だが、青年――矢槻は、そんなことは見えていないとばかりに、自分の主張を続けた。

「折角、このぼくの花嫁になれるという、とびきりの栄光を授けられるというのに…―――、ぼくに会う前に逃げ出して、別の男に、そのレイジに、浮気するなんて、―――どういう了見かなあぁぁあ?!」

矢槻の主張は滅茶苦茶だ。だが、その狂気めいた言動を一目でも見れば、優那でさえ、レイジが先ほど言っていた「人格が破綻」、「視界から消えて欲しい」という評価も納得が出来るというもの。

「矢槻…、お呼びじゃねーよ…。とっとと帰んな…」
「レイジ!貴様、まだぼくにそんな口が利けると勘違いしているのかぁあ?!ぼくは未来のトルバドール・セキュリティーの婿養子だぞぉお?!貴様の会社なんて、ぼくが潰してやれる未来が待ってるかもしれないんだぞぉお??!ひゃはははははっ!!ひれ伏せええ!!レイジぃぃ!!世界はぼくのものだぁぁあ!!」

うひゃひゃひゃあああああ!!と奇妙な笑い声をひたすら上げる矢槻からは、レイジは重めの溜め息と共に目を背けて、一旦、優那を見やる。

「ああいう奴なんだよ…。こっちの話なんざ、一ミリも通じない…。適当にあしらうから、俺たちはさっさとヒルカリオに行こーぜ…」

レイジが優那にそう呟いた途端、一人で勝手に笑っていた矢槻が、ギロリ、とレイジを睨んだ。

「逃がすものかぁあ!優那ちゃんは、ぼくの花嫁ちゃんだぞ?!ぼくのお人形ちゃんだぞ!?貴様に横取りされて堪るものかぁああ!!」
「女を人形扱いしては怪我させまくる、あんたの致命的な悪癖は知ってるよ…。だからあっちこっちで問題を起こしては、その度に、玄一さんに尻ぬぐいしてもらってんだろーが…。
 もういい加減にしな?俺だって、今や社長なんだ。あんたとは背負ってるモンが違う。…だから、此処は諦めて、さっさと帰んな。ちな、三回目は言わないから…」

レイジはそう言うと、左足を引いて、構える。見たところ、得物らしきものは持っていないし、取り出す素振りをない。それを見た矢槻は、あひゃひゃ!と笑いながら、瞳孔を見開いた視線をレイジに向けて、自分は鞭を取り出した。何処か使い古された印象があるのは、気のせいではないだろう。

「あひゃひゃひゃ!!この鞭でお仕置きするんだぁ!!優那ちゃんを躾けて、ぼくの可愛いお人形にするんだぁああ!!うひゃひゃひゃひゃ!!レイジみたいなゴミも、これでぶっ叩いてやれば、すぐにぼくに跪いて泣いて、許しを請うんだよぉぉおお!!!!
 さあ、やれえええ!!!レイジを引き摺り回してやれよぉぉおお!!!!」

狂った叫びをあげる矢槻の命令に、黒服が一斉に動き出した。レイジを取り囲もうとしたが。

「おっそいなァ。あっちの斧職な秘書官様よりも、そっちの元喧嘩屋JKよりも、全然、遅い」

そう告げたレイジは既に黒服の間をすり抜けて、それらの背後に立っていた。黒服たちが驚いて振り向こうとすれど、既に遅し。
背中を蹴り飛ばされたもの。振り向きざまの横っ面に拳を食らったもの。その隙を突こうとしたが、見破られて躱されたうえに、アッパーカットで一閃されたもの。レイジの背中から襲おうとして、回し蹴りを叩き込まれたもの。
そうして、次々と地面へと伏していく仲間を見た他の黒服たちからは、みるみるうちに戦意が喪失していく。それは矢槻も同じだったようで。彼は鞭を持った手と、紫色の口紅を塗った唇をぶるぶると震わせていた。
矢槻たちの様子を見たレイジは、戦うのを一旦、止めて。そちらを向き、口を開いた。

「これ以上、俺の気が変わらないうちに、消えな。あ、気絶した仲間は拾っていけよ。…ほら、とっとと動く」

薄水色の瞳が、きゅ、と細まる。純粋な殺気が、怒涛の滝の如く、放たれる。

途端。ひぃぃぃぃぃ!!、と恐怖の叫びを喚きながら、矢槻はいの一番にその場を駆け去り。彼の撤退を驚きながらも、黒服たちはレイジの宣告通り、気を失った仲間を拾い上げて、矢槻の背中を追いかけ始めた。

それを見送ったレイジは、やれやれ…、と呟き、優那のもとへと戻ってくる。その途中で、気怠げに呟いた。

「此処がヒルカリオじゃなかったこと、心底、後悔してるわー…。本土で絡まれちゃあ、ルカ兄の観測範囲外だからなー…。チクショー…、ミセス・リーグスティへの足掛かり、一個逃しちまった…」
「ご、ごめんさない…私のせいで…」
「いや?優那のせいじゃねーよ。矢槻を寄越したミセス・リーグスティが十割悪い。ま、どーせ、矢槻のことだから、あの女に焚き付けられる間もなく、話の上澄みだけでも聞いて、勝手に妄想と欲望を拗らせて、こっちに向かってきたんだろーけど」

レイジが荷物を纏め始めるのを見て、優那もお菓子のゴミや、空になったペットボトルを片付け始める。

「でもまあ、おかげでヒルカリオに優那を入れる理由が出来たわ。ルカ兄の観測外だったのがホント惜しい―――、…っと?誰だよ、全く。はい、前岩田―――」

ぶつぶつと独り言を零すレイジのスマートフォンが鳴った。大して相手の名前も確認せずに出る。すると。

『―――そういうコトなら、問題が無いんだよ?レイジ?今のオレは本土のコトも、『見る』だけなら可能になってるワケ』

スマートフォンからルカの軽快な声がした。咄嗟に身構えた優那に対して、レイジは気怠げなまま、続ける。

「…何処から…?レオーネ隊の気配はしないけど…?」
『空高く打ち上げられて、遥か天上より見下ろす、キミたち人間の叡智なる文明機器、ってね』

ルカの言葉は優那には難しかった。だが、何かを悟ったらしいレイジは、片付けの手を止めて、眉間にしわを寄せる。

「……、…おいおい、冗談キツイぜ、ルカ兄…。それってつまり…」

レイジは夏の日差しに変わりつつある太陽がおわす、青空を見上げた。つられて優那を見るが、陽光に眼を眇めただけである。ルカが続けた。

『そう!その名も、宇宙衛星『ヴィアンカ』!オレの新しい玩具~~~!
 うわ~~~い!感度良好、動作確認オールグリーン、全方位監視完備、レイジのイヤそうな顔もバッチリ見えちゃってる~~!あげぽよ~~~!』
「うそだそんなことォォォォ!!」

レイジはそう叫びながら、木製のテーブルに両手をついて、頭ごと突っ伏した。土下座でもしているかのように見えるが、そんなことはない。ただただ、ルカが手に入れた新しい玩具とやらのスケールの大きさに呆れ返っている。

「とうとう、宇宙衛星まで手に入れやがった…、弊社の三級高等幹部…」
『合法だよ?サクラメンス・バンクが資金をバックアップしてくれて、国家機関の何処かが造って、ヒルタス湾から約八十キロメートルの沖合から打ち上げたっていう』
「それ何処かの国の領海に入ってるような…、あーもー、考えるのやめたー…。
 とにかく、優那の家出から、俺と矢槻の騒動まで、あんたが観測済みなら、証拠やら、必要なモノやらを揃えるのも、ヨロシク。俺は検閲の保安員を突破しないといけないから…。優那、一度、弾かれてるだろうからさ…」

優那はびくりを肩を震わせた。今朝の保安員の怪訝そうな顔付きを思い出す。また行ったら、いくらレイジが一緒でも疑われるのでは…?
だが、そんな優那の憂慮は不要とばかりに、ルカは次々と手を打っていく。

『いーよ。今ちょうど、手が空いてるからさあ。なんでもやっちゃう~。あと、入島の検閲なら、レイジの社員証を使えば、通常の手荷物検査だけでダイジョーブなコトにしておくねえ。その代わり、オレが通常では干渉できない、統制機関直轄の出入島の記録も残るからねえ。…あ、もう、できたよ。通れるよぅ』
「…、しごでき is サイコー」
『それほどでも。じゃあ、二人共、気を付けておいでねえ』

ルカはそこまで告げると、一方的に通話を切った。そう言えば、掛けてきたときも挨拶が無かったが、レイジは平然としている。優那は思った。少なくとも、自分の母親が仕事関係で電話をしているとき、最低限の挨拶は交わしていたような気が…。
大人って複雑だな…、と思いつつ、優那はゴミ箱に菓子とペットボトルのゴミを放り込んでから、スマートフォンでメッセージを打ち込んでいるらしいレイジの背中を追いかけるのだった。



to be continued...
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