第五章 Falling Apple
【Room EL】
さくら園での騒動を制圧して、その事後処理を進めるなか。ソラは自らルカに提案した、「アンジェリカの真実を聞くために席」の準備をしていた。
アンジェリカは見た目は十四、十五歳に少女にも関わらず、ルカの母親を自称しているうえに、ヒルカリオ自体がそれを認めている。完全に次世代の開発品であろう機械義足の出所も気になるし、何より、アンジェリカはツバサとの会話の中で自身が長命である匂わせもしていた。彼女が抱えている『マム・システム』なるものの全容も知りたいところ。
尽きぬ疑問と質疑の果てで、地獄を見る羽目になる覚悟はとうに出来ているものの。ソラ自身、これ以上の心労は避けたいのが、純粋なる本音である。
――――…。
「さて、とりあえず。この場にお招き頂いたこと、感謝申し上げるわ。私の好きな紅茶である『蜜和香(みつわこう)』の林檎味も、ご用意してしてくださるなんて。至れり尽くせりね。
この母の過去やいきさつを知りたいという、あなたたち、ひとの子らの好奇心と覚悟、私はしかと受け止めましょう」
アンジェリカは席に着くなり、そう宣言した。この劇場版のような仰々しい言い回しも、そろそろ慣れてきた頃合いである。
だが、アンジェリカは各自無言で続きを促すのを横目に、自身は蜜和香の林檎紅茶では邪道とされる砂糖を入れてから、スプーンでくるくるとかき混ぜていた。どうやらゆっくりと話す気でいる様子。長い目で見る必要がありそうだ。
「…、それで?何から話せば良いのかしら?こういうとき、年表があれば便利だと常々思ってはいるのだけど。此処の技術者たちは、そんなものを作ってくれるほど気の利いた子はいないわ、今も昔も」
林檎紅茶を一口飲んで、アンジェリカは悠々としている。端から見れば、語る気の無さそうな態度にも見えるが、そんなことはないと言い切れる自信が、Room ELのメンバーにはあった。それはやはり、アンジェリカが「人間の規格を越えている存在」というのが明白だから。ルカがそうであるように、彼女もまた、正解しか言わないはずである。何故ならアンジェリカは、ルカの母親。
茶器を持ったまま、アンジェリカは口を開く。
「まあ、想像はしているでしょうけれど。私はとうに人間ではなくなっているわ。この『弓野入アンジェリカのベースになった少女自身の名残』は、既に、この顔立ちと髪の色のみ。
少女の元の名前は知らないし、人格も趣味も嗜好も、ぬいぐるみの好き嫌いだって、とうの昔に、このアンジェリカという存在に上書きを以て消去されることで、完全にこの世から無くなってしまっているの」
確かに想像はしていた話ではある。だが、言葉の軽さのなかでは表現が出来ないほどの重みを感じた。誰もが沈黙するなか、アンジェリカは変わらぬ微笑みのまま、続ける。
「このアンジェリカのベースになった少女とは、当時、ルカの制御システムを研究・開発していた技術者の娘だった、とは聞いているわ。そして、その娘は心臓の病気で長くなかった、というのも。これは私の憶測でしかないけれど、もしかすると、その技術者は、自分の娘の命が長らえるかもしれないと、夢に見たのかもしれないわね。でもそんなことは無かった。
ルカの制御システムとして最有力候補に挙がっていた、『Mother's Autonomous Management』、日本語に訳して、『母性自律管理機構』。そして、現在では『マム・システム』と呼ばれるこのシステムを、その技術者は手ずから、娘の中に埋め込んだらしいわ。
結果、この『偉大なる母性・アンジェリカ』が生まれた。その娘の命と、周囲が僅かに見出していたかもしれない夢と希望を食い破って、ね」
それは、人間の業が生み出したモノである、という告解。母性を名乗るシステムを搭載している、一人の技術者の娘の命の犠牲のうえに成り立った、人造の母。
「母性自律管理機構、当時で言う『M.A.M.』として生まれた私は、すぐに調整中のルカに遺伝子情報を提供。遺伝子情報と、M.A.M.のプログラムを混ぜ込んだハイブリットデータをルカに打ち込むことで、ルカにアンジェリカを「自分の母親」として認識させる。そして、それは成功した。
人間たちが目論んだことは、こうよ。「アンジェリカという母性=母親を制御装置とし、ルカの兵器として能力を完全制御下に置く」。つまり、「母のいうことを絶対に聞く子ども」を再現しようとした、というわけね」
人造の母は、告解を続ける。彼女の手が持つ茶器のなかの林檎紅茶の湯気は、微かなものになっていた。空調が効きすぎているのかもしれない。なにせ、今この部屋には、ロボット兵も控えているのだから。
アンジェリカは、滔々と語る。
「親子を作る。その過程で、人間は余計な欲を出した。ルカと私が親子だから、という理由で、当時はまだ機械的容姿から抜け出していなかったルカの見た目を、完全に人間のそれへとデザインし直したの。アンジェリカと同じ髪の色、瞳も、親子だから似せる。言動パターンも、似せる。親子だから。ルカに私を「母さん」と呼ばせることを固定。親子だから。
そして、人間は自ら生み出すモノには、『美』を見出す生き物。最早、それは執念ですらある。…だからこそ、ルカはこんなにも人間離れした美貌を持ち合わせることになった。私の元になった娘の顔立ちも、きっと良かったのね。その恩恵とも取れるでしょう」
母性、親子とは本来、温かいものであれと願いたい。だが、ルカとアンジェリカの間に作られた母性や親子というモノは、余りにも冷たい現実と、人間の業が煮詰まった、最早、グロテスクなモノ。そのうえ、人間が創作物へ見出す、美への執念が混ざっている過程すら、芸術的とは程遠く。
再現したい。表現したい。創作したい。制御したい。所有したい。―――やるからには、完璧にしたい。
余りにも身勝手な、エゴイズムの塊。だが、何より一番「グロい」のは、これらが生まれる過程で発生した犠牲を乗り越えて、今、此処に悠然と座っている、ルカとアンジェリカの姿、そのものだ。
分かり切っている。この二人は、人間ではない。人間の思考を超越した存在である。そうなるに至らざるを得ないことになったのは、あくまで人間のせいではあるが。
よもや。
よくも。
このような『化け物』を、この世に放ってくれたな。過去の俗物共よ。
史上最強の軍事兵器と、その母親たる存在二つを前にして。Room ELのメンバーたちは、人間にして、化け物の部下をしている己らの立場から。改めて、『人間』を蔑んだ。
その心情は知ってか知らずか。否、知らないのはルカであって、アンジェリカは把握はしているだろう。何故ならば、彼女は、『母』であるから。
「まあ、結局。アンジェリカという母性を前にしても、ルカの完全なる制御は叶わなかったわ。故に、人間はとうとうホルダーの設定に乗り出し、それを成功。
その後のことは、先の大身槍作戦にて、ジョウから聞いているのでしょう?
苦労を掛けたわね。この母が、マム・システムを上手く成長させることさえ出来ていれば、あなたたちを此処までの深淵に至らしめることもなかったでしょうに」
アンジェリカのその台詞だけ聞けば、子を想う母の慈愛そのものであるが。それも制御されたシステムのうえで組み立てられている言葉に過ぎない。
皆が確信した。―――アンジェリカは、人間の心もしくは、それに準ずるものは、持ち合わせていない、と。
だからこそ、アンジェリカは平然とした微笑みのまま、続けるのだ。
「でも、安心なさい。今の母は、ルカの母であることに、完璧。そしてそれは、ルカが庇護するべきひとの子らの母であることも、同意義。
この母は、マム・システムに新しい解釈を加えた後、そこの再構築と、更なる成長を促した。
そして、今まさに、マム・システムは、新しき道へと、再始動≪Re;start≫する」
その瞬間。室内に居た全てのロボット兵が抜刀して、アンジェリカに向かって、その片手剣の切っ先を突き付ける。
だが、当のアンジェリカは「あらまあ、どういう状況かしら?」と驚きながらも、もう冷めたであろう林檎紅茶を飲み干そうとしていた。そこへ、ルカが口を開く。
「やーっと、本性を現してくれたね、母さん?
『マム・システムの再始動≪Re;start≫』、―――オレは、その言葉を、母さんが口にしてくれるのを、ずっと待ってたんだ。
本当はもっと前に動きたかったのに、軍事兵器のオレである前に、母さんの息子であるオレとしてのプログラムが邪魔してくれちゃって、なかなか母さんのことを捕まえられなかったんだよね。だからオレは、母さんが自分からマム・システムのことを話して聞かせてくれる機会を待ってたんだ。―――事実の観測さえ出来れば、この島の中では、オレが絶対的なセキュリティー(安全装置)。危険因子と判断すれば、後はオレの出番でしかない。
あ、勘違いしないで?これは反抗期だとか、感情の暴走だとか、そんな人間臭いモノじゃないよ?単にヒルカリオに危害をもたらす可能性のある、母さんのマム・システムの暴走を、オレは手早く潰しておきたいだけ。だって、もし母さんが本気になったりしたら、オレとて片手間に戦えるワケがないんだからさあ」
アンジェリカは茶器を机に置いて、ルカに視線を移した。青、黄、アクアの瞳は、今まで彼女が表現してこなかった感情が湧いている。そう、『怒り』だ。
「マム・システムの暴走?この母が暴走していると?何を言っているのかしら、ルカったら?おかしな冗談は程々にしておかないと、この母の躾を受けて貰うわよ?」
「その発言自体が、もう暴走の兆しなワケ。マム・システムの定義を勝手な自己都合で解釈して、濫用しようとしている時点で、プログラムとしては崩壊してる。それって、本来の機能が壊れている証拠でしょ?
そーんな怖い眼を、しないの。母さんはただ、回収と収容の対象になっただけ。別にスクラップにしようとか考えてないよ。ただ、マム・システムの初期化か、完全な外部的再構築は必要かもしれないね。だからあ、そんな怖い眼はしないでってば」
初期化と聞いたアンジェリカが、にわかに殺気立ったのを見たルカだったが。彼は、からり、と笑って、それを躱す。ルカは続けた。
「なーんか最初から、おかしいと思ったんだよねえ。母さんの人間へと愛情の深さや、それらを丸ごと包容したいっていう言動パターンは、まあ知ってはいたけど。人間を慈しむと同時に、「生まれた責任を遂行せよ」なんて言葉が出てくるコト、違和感ありまくり。子が愛おしいと思うなら、そこに生じた責任を全うさせるのが、親でしょ?なのに、何で母さんは、その責任を、母である自分の手で解決していくような真似をするの?マム・システムには、他者に必要以上な愛情的干渉をするコトは、プログラムされていないハズ。
少なくとも 『クリーンアップ・ナイアガラ』のとき、オレの違和感は確信に変わった。だから今、こうして、行動に移してる。
オレたちプログラムで動く生命体は、そこが壊れたら、その時点で終了なワケ。後のやり直しなんて、初期化ぐらいしか残ってないの。
そして、母さんの、――マム・システムの暴走の可能性が判明した以上、オレはヒルカリオに繋がれている軍事兵器として、母さんを此処から隔離しないといけない」
ルカがそこまで言うと、ロボット兵たちはアンジェリカに立つよう促す。彼女は大人しく従いつつも、その視線はルカに向き続けていた。まるで、子の失態を責める母のように。
しかし、ルカはそんなアンジェリカの叱責の目線など知らぬとばかりに、ロボット兵へと指示を出す。
「早急に、母さんを隔離して。義足の電磁ケーブルも、数本は切っておくこと。その義足があるから、マム・システムに≪鉄槌≫なんて、ワケわかんない戦闘用のモードが引っ付いてるんだから。母の愛は与えるものであって、それは暴力にしちゃダメでしょ?
今日と明日は弊社にレイジが居ないから、キミたちの指揮権はこのまま、オレが握っておくよ。さ、やっちゃって?」
ルカが命令すると、ロボット兵の一体が、アンジェリカの機械義足に片手剣を当てて、おもむろに膝関節のケーブルを切断した。制御機構の統制を失ったアンジェリカが倒れそうになるが、剣を構えていない方のロボット兵が、その身体を支える。
そして、それからアンジェリカは物言わぬまま、ロボット兵に担がれて、Room ELから隔離される何処かへと連行されていったのだった。
「皮肉だなあ。人間的な感情を宿して、それに基づいた行動を取った瞬間から、プログラムっていうのは崩壊を意味しているんだから。ねえ?
まあ、大部分の人間たちって、結局、『人間らしく生きる機械』と共存したいんじゃなくて、『人間の立場を奪わない従順さを持った、人間よりも高性能である鉄の塊』が欲しいだけなんだよね」
ルカの社会風刺とも取れる皮肉は、ルカが言うことで『正解』になる。
それを痛感しているメンバーたちだからこそ、誰も返事をしないで、しかし、拒絶の意図は一切無く、各々が茶席の片付けを始めるのだった。
ルカがソラに自分の茶器を渡したとき、ソラは彼に問う。
「若社長が、…レイジが今日明日で有給休暇を取ったのは、あくまで偶然か?それとも、イルフィーダ隊を動かせば、余計な魚が釣れるからか?」
それを聞かれたルカは、ふ、と笑って、薄付きのグロスが塗られた唇を開いた。
「母さんの回収と収容に、わざわざ社長直属のイルフィーダ隊が動くようなことはないから、レイジが居るか居ないかは、特に関係ないよ。
まあ、偶然かどうかと問われれば、それにオレに答えられるのは、「それはレイジに聞いて?」、かなあ。
レイジってば、今、何してんだろ?ちょっと聞いてみよっかな?それとも、自宅で爆睡なうかな?」
あっという間に話題を遷移させた、というか、関心のある議題が心移りした、そんなルカを見て。ソラは大人しく、茶器の片付けを再開したのである。
to be continued...
さくら園での騒動を制圧して、その事後処理を進めるなか。ソラは自らルカに提案した、「アンジェリカの真実を聞くために席」の準備をしていた。
アンジェリカは見た目は十四、十五歳に少女にも関わらず、ルカの母親を自称しているうえに、ヒルカリオ自体がそれを認めている。完全に次世代の開発品であろう機械義足の出所も気になるし、何より、アンジェリカはツバサとの会話の中で自身が長命である匂わせもしていた。彼女が抱えている『マム・システム』なるものの全容も知りたいところ。
尽きぬ疑問と質疑の果てで、地獄を見る羽目になる覚悟はとうに出来ているものの。ソラ自身、これ以上の心労は避けたいのが、純粋なる本音である。
――――…。
「さて、とりあえず。この場にお招き頂いたこと、感謝申し上げるわ。私の好きな紅茶である『蜜和香(みつわこう)』の林檎味も、ご用意してしてくださるなんて。至れり尽くせりね。
この母の過去やいきさつを知りたいという、あなたたち、ひとの子らの好奇心と覚悟、私はしかと受け止めましょう」
アンジェリカは席に着くなり、そう宣言した。この劇場版のような仰々しい言い回しも、そろそろ慣れてきた頃合いである。
だが、アンジェリカは各自無言で続きを促すのを横目に、自身は蜜和香の林檎紅茶では邪道とされる砂糖を入れてから、スプーンでくるくるとかき混ぜていた。どうやらゆっくりと話す気でいる様子。長い目で見る必要がありそうだ。
「…、それで?何から話せば良いのかしら?こういうとき、年表があれば便利だと常々思ってはいるのだけど。此処の技術者たちは、そんなものを作ってくれるほど気の利いた子はいないわ、今も昔も」
林檎紅茶を一口飲んで、アンジェリカは悠々としている。端から見れば、語る気の無さそうな態度にも見えるが、そんなことはないと言い切れる自信が、Room ELのメンバーにはあった。それはやはり、アンジェリカが「人間の規格を越えている存在」というのが明白だから。ルカがそうであるように、彼女もまた、正解しか言わないはずである。何故ならアンジェリカは、ルカの母親。
茶器を持ったまま、アンジェリカは口を開く。
「まあ、想像はしているでしょうけれど。私はとうに人間ではなくなっているわ。この『弓野入アンジェリカのベースになった少女自身の名残』は、既に、この顔立ちと髪の色のみ。
少女の元の名前は知らないし、人格も趣味も嗜好も、ぬいぐるみの好き嫌いだって、とうの昔に、このアンジェリカという存在に上書きを以て消去されることで、完全にこの世から無くなってしまっているの」
確かに想像はしていた話ではある。だが、言葉の軽さのなかでは表現が出来ないほどの重みを感じた。誰もが沈黙するなか、アンジェリカは変わらぬ微笑みのまま、続ける。
「このアンジェリカのベースになった少女とは、当時、ルカの制御システムを研究・開発していた技術者の娘だった、とは聞いているわ。そして、その娘は心臓の病気で長くなかった、というのも。これは私の憶測でしかないけれど、もしかすると、その技術者は、自分の娘の命が長らえるかもしれないと、夢に見たのかもしれないわね。でもそんなことは無かった。
ルカの制御システムとして最有力候補に挙がっていた、『Mother's Autonomous Management』、日本語に訳して、『母性自律管理機構』。そして、現在では『マム・システム』と呼ばれるこのシステムを、その技術者は手ずから、娘の中に埋め込んだらしいわ。
結果、この『偉大なる母性・アンジェリカ』が生まれた。その娘の命と、周囲が僅かに見出していたかもしれない夢と希望を食い破って、ね」
それは、人間の業が生み出したモノである、という告解。母性を名乗るシステムを搭載している、一人の技術者の娘の命の犠牲のうえに成り立った、人造の母。
「母性自律管理機構、当時で言う『M.A.M.』として生まれた私は、すぐに調整中のルカに遺伝子情報を提供。遺伝子情報と、M.A.M.のプログラムを混ぜ込んだハイブリットデータをルカに打ち込むことで、ルカにアンジェリカを「自分の母親」として認識させる。そして、それは成功した。
人間たちが目論んだことは、こうよ。「アンジェリカという母性=母親を制御装置とし、ルカの兵器として能力を完全制御下に置く」。つまり、「母のいうことを絶対に聞く子ども」を再現しようとした、というわけね」
人造の母は、告解を続ける。彼女の手が持つ茶器のなかの林檎紅茶の湯気は、微かなものになっていた。空調が効きすぎているのかもしれない。なにせ、今この部屋には、ロボット兵も控えているのだから。
アンジェリカは、滔々と語る。
「親子を作る。その過程で、人間は余計な欲を出した。ルカと私が親子だから、という理由で、当時はまだ機械的容姿から抜け出していなかったルカの見た目を、完全に人間のそれへとデザインし直したの。アンジェリカと同じ髪の色、瞳も、親子だから似せる。言動パターンも、似せる。親子だから。ルカに私を「母さん」と呼ばせることを固定。親子だから。
そして、人間は自ら生み出すモノには、『美』を見出す生き物。最早、それは執念ですらある。…だからこそ、ルカはこんなにも人間離れした美貌を持ち合わせることになった。私の元になった娘の顔立ちも、きっと良かったのね。その恩恵とも取れるでしょう」
母性、親子とは本来、温かいものであれと願いたい。だが、ルカとアンジェリカの間に作られた母性や親子というモノは、余りにも冷たい現実と、人間の業が煮詰まった、最早、グロテスクなモノ。そのうえ、人間が創作物へ見出す、美への執念が混ざっている過程すら、芸術的とは程遠く。
再現したい。表現したい。創作したい。制御したい。所有したい。―――やるからには、完璧にしたい。
余りにも身勝手な、エゴイズムの塊。だが、何より一番「グロい」のは、これらが生まれる過程で発生した犠牲を乗り越えて、今、此処に悠然と座っている、ルカとアンジェリカの姿、そのものだ。
分かり切っている。この二人は、人間ではない。人間の思考を超越した存在である。そうなるに至らざるを得ないことになったのは、あくまで人間のせいではあるが。
よもや。
よくも。
このような『化け物』を、この世に放ってくれたな。過去の俗物共よ。
史上最強の軍事兵器と、その母親たる存在二つを前にして。Room ELのメンバーたちは、人間にして、化け物の部下をしている己らの立場から。改めて、『人間』を蔑んだ。
その心情は知ってか知らずか。否、知らないのはルカであって、アンジェリカは把握はしているだろう。何故ならば、彼女は、『母』であるから。
「まあ、結局。アンジェリカという母性を前にしても、ルカの完全なる制御は叶わなかったわ。故に、人間はとうとうホルダーの設定に乗り出し、それを成功。
その後のことは、先の大身槍作戦にて、ジョウから聞いているのでしょう?
苦労を掛けたわね。この母が、マム・システムを上手く成長させることさえ出来ていれば、あなたたちを此処までの深淵に至らしめることもなかったでしょうに」
アンジェリカのその台詞だけ聞けば、子を想う母の慈愛そのものであるが。それも制御されたシステムのうえで組み立てられている言葉に過ぎない。
皆が確信した。―――アンジェリカは、人間の心もしくは、それに準ずるものは、持ち合わせていない、と。
だからこそ、アンジェリカは平然とした微笑みのまま、続けるのだ。
「でも、安心なさい。今の母は、ルカの母であることに、完璧。そしてそれは、ルカが庇護するべきひとの子らの母であることも、同意義。
この母は、マム・システムに新しい解釈を加えた後、そこの再構築と、更なる成長を促した。
そして、今まさに、マム・システムは、新しき道へと、再始動≪Re;start≫する」
その瞬間。室内に居た全てのロボット兵が抜刀して、アンジェリカに向かって、その片手剣の切っ先を突き付ける。
だが、当のアンジェリカは「あらまあ、どういう状況かしら?」と驚きながらも、もう冷めたであろう林檎紅茶を飲み干そうとしていた。そこへ、ルカが口を開く。
「やーっと、本性を現してくれたね、母さん?
『マム・システムの再始動≪Re;start≫』、―――オレは、その言葉を、母さんが口にしてくれるのを、ずっと待ってたんだ。
本当はもっと前に動きたかったのに、軍事兵器のオレである前に、母さんの息子であるオレとしてのプログラムが邪魔してくれちゃって、なかなか母さんのことを捕まえられなかったんだよね。だからオレは、母さんが自分からマム・システムのことを話して聞かせてくれる機会を待ってたんだ。―――事実の観測さえ出来れば、この島の中では、オレが絶対的なセキュリティー(安全装置)。危険因子と判断すれば、後はオレの出番でしかない。
あ、勘違いしないで?これは反抗期だとか、感情の暴走だとか、そんな人間臭いモノじゃないよ?単にヒルカリオに危害をもたらす可能性のある、母さんのマム・システムの暴走を、オレは手早く潰しておきたいだけ。だって、もし母さんが本気になったりしたら、オレとて片手間に戦えるワケがないんだからさあ」
アンジェリカは茶器を机に置いて、ルカに視線を移した。青、黄、アクアの瞳は、今まで彼女が表現してこなかった感情が湧いている。そう、『怒り』だ。
「マム・システムの暴走?この母が暴走していると?何を言っているのかしら、ルカったら?おかしな冗談は程々にしておかないと、この母の躾を受けて貰うわよ?」
「その発言自体が、もう暴走の兆しなワケ。マム・システムの定義を勝手な自己都合で解釈して、濫用しようとしている時点で、プログラムとしては崩壊してる。それって、本来の機能が壊れている証拠でしょ?
そーんな怖い眼を、しないの。母さんはただ、回収と収容の対象になっただけ。別にスクラップにしようとか考えてないよ。ただ、マム・システムの初期化か、完全な外部的再構築は必要かもしれないね。だからあ、そんな怖い眼はしないでってば」
初期化と聞いたアンジェリカが、にわかに殺気立ったのを見たルカだったが。彼は、からり、と笑って、それを躱す。ルカは続けた。
「なーんか最初から、おかしいと思ったんだよねえ。母さんの人間へと愛情の深さや、それらを丸ごと包容したいっていう言動パターンは、まあ知ってはいたけど。人間を慈しむと同時に、「生まれた責任を遂行せよ」なんて言葉が出てくるコト、違和感ありまくり。子が愛おしいと思うなら、そこに生じた責任を全うさせるのが、親でしょ?なのに、何で母さんは、その責任を、母である自分の手で解決していくような真似をするの?マム・システムには、他者に必要以上な愛情的干渉をするコトは、プログラムされていないハズ。
少なくとも 『クリーンアップ・ナイアガラ』のとき、オレの違和感は確信に変わった。だから今、こうして、行動に移してる。
オレたちプログラムで動く生命体は、そこが壊れたら、その時点で終了なワケ。後のやり直しなんて、初期化ぐらいしか残ってないの。
そして、母さんの、――マム・システムの暴走の可能性が判明した以上、オレはヒルカリオに繋がれている軍事兵器として、母さんを此処から隔離しないといけない」
ルカがそこまで言うと、ロボット兵たちはアンジェリカに立つよう促す。彼女は大人しく従いつつも、その視線はルカに向き続けていた。まるで、子の失態を責める母のように。
しかし、ルカはそんなアンジェリカの叱責の目線など知らぬとばかりに、ロボット兵へと指示を出す。
「早急に、母さんを隔離して。義足の電磁ケーブルも、数本は切っておくこと。その義足があるから、マム・システムに≪鉄槌≫なんて、ワケわかんない戦闘用のモードが引っ付いてるんだから。母の愛は与えるものであって、それは暴力にしちゃダメでしょ?
今日と明日は弊社にレイジが居ないから、キミたちの指揮権はこのまま、オレが握っておくよ。さ、やっちゃって?」
ルカが命令すると、ロボット兵の一体が、アンジェリカの機械義足に片手剣を当てて、おもむろに膝関節のケーブルを切断した。制御機構の統制を失ったアンジェリカが倒れそうになるが、剣を構えていない方のロボット兵が、その身体を支える。
そして、それからアンジェリカは物言わぬまま、ロボット兵に担がれて、Room ELから隔離される何処かへと連行されていったのだった。
「皮肉だなあ。人間的な感情を宿して、それに基づいた行動を取った瞬間から、プログラムっていうのは崩壊を意味しているんだから。ねえ?
まあ、大部分の人間たちって、結局、『人間らしく生きる機械』と共存したいんじゃなくて、『人間の立場を奪わない従順さを持った、人間よりも高性能である鉄の塊』が欲しいだけなんだよね」
ルカの社会風刺とも取れる皮肉は、ルカが言うことで『正解』になる。
それを痛感しているメンバーたちだからこそ、誰も返事をしないで、しかし、拒絶の意図は一切無く、各々が茶席の片付けを始めるのだった。
ルカがソラに自分の茶器を渡したとき、ソラは彼に問う。
「若社長が、…レイジが今日明日で有給休暇を取ったのは、あくまで偶然か?それとも、イルフィーダ隊を動かせば、余計な魚が釣れるからか?」
それを聞かれたルカは、ふ、と笑って、薄付きのグロスが塗られた唇を開いた。
「母さんの回収と収容に、わざわざ社長直属のイルフィーダ隊が動くようなことはないから、レイジが居るか居ないかは、特に関係ないよ。
まあ、偶然かどうかと問われれば、それにオレに答えられるのは、「それはレイジに聞いて?」、かなあ。
レイジってば、今、何してんだろ?ちょっと聞いてみよっかな?それとも、自宅で爆睡なうかな?」
あっという間に話題を遷移させた、というか、関心のある議題が心移りした、そんなルカを見て。ソラは大人しく、茶器の片付けを再開したのである。
to be continued...