第四章 純粋培養

【土曜日 さくら園】

さくら園の受付に座っていたのは、ツバサの知らない顔だった。かなり若い男に見えるが、日除けの帽子を被っているため、詳しい表情は伺えない。長期休暇シーズンで雇われた学生バイトにも見えるが、着ているものは作業服である。このデザインは、さくら園指定のものではない。

「お世話になっております。天道院翼と、兄の戻橋空、そして顧問弁護士の琉一=エリト=ステルバスさんです。本日、十三時より雲真院長先生と面会のお約束をしております」
「お待ちしておりました。ようこそ、さくら園へ。ご案内します」

受付係に青年が前を歩く背中を見ながら、ツバサ、ソラ、琉一の三人は静かについていく。その間に、案内係と同じ作業服の姿をしたスタッフ二人と、すれ違った。彼らがにこやかに挨拶をしてくれるなか、三人は会釈を返す。他には、トルバドール・セキュリティーが民間向けとしてリースしている労働用のロボットが、複数体でチームを組んで、作業をしている場面も見えた。重量物を運ぶモノ、掃除用具で床や壁を拭いているモノ、草むしりをしているモノ、…それぞれの仕事を果たしているように見えた。

間も無く、案内係が『院長室』のプレートが嵌め込まれた扉の前に立ち、ノックをする。 

「雲真先生、お見えになりました」
「どうぞ」

中から入室の許可が降りたところで、案内係が扉を開けた。促されるまま、三人は院長室へと足を踏み入れる。

「ようこそ、皆さま。さくら園の院長をしております、雲真です。ツバサさん、お久しぶりですね。まあ、ご立派になられて…。
 さあ、お掛けください。ちょうど、お茶の用意が済んだところでして。温かいうちに、喉を潤してくださいませ」

雲真は柔らかい雰囲気で出迎えてくれた。彼の言う通り、机の上に置かれたティーセットからは、湯気が立っている。
案内係が静かに去って行くのを確認してから、ツバサが手に持っていた紙袋を、雲真へと差し出した。

「こちら、つまらないものですが。弊社で取り扱っているものの一つですので、どうぞお役立てください」
「まあ、まあ、お心遣いありがとうございます。ツバサさんは、昔から心配りの利く素敵なお嬢さんでしてね、…おや、失礼しました。そういうことを話す場面でもありませんでしたか…」
「いいえ、私の過去のことをお話して頂く機会でもありますから、あながち間違いでもないかと思います、院長先生…。
 ところで、脚の調子はいかがでしょうか」
「見ての通りです。もうすっかり立たなくなってしまい…。定年後は、郊外で車椅子生活を予定しようかと思っています」

雲真の言葉を受けたツバサは、山札から会話のカードを引くことにした。お茶に手をつけるソラと琉一を横目に、会話を続けるカードをオモテ表示で出す。

「定年、ということは、ご子息様が此処の経営を引き継ぐのですか?」
「ええ、やっと重い腰をあげてくれましてね。息子とて、都会でサラリーマンをしている方が気楽ではありましょうが…、私のていたらくを見て、呆れ半分で、此処の院長業務の引き継ぎを承諾してくれましたよ。どうにも息子の話を聞くに、独身の身軽さを糧に、流行りの投資系配信者というモノをしているようで、本業とは別に投資関連で収入があるとか…、おっと失礼…、どうにも話題がズレますなあ。いやはや、久しぶりに養護院の卒業生の顔を見て、はしゃいでいるのやもしれません」
「大丈夫です、院長先生。私たちは、間違えませんから…」
「ありがとうございます。…ところで、お茶の方は、お口に合いましたか?」

ツバサの台詞を受けてから、雲真はおもむろにソラと琉一の方を見た。二人共、茶器を置いたところである。琉一が口を開いた。

「否定します。この程度の量の睡眠薬で、我々を落城させようなどと、笑止」

驚くべき言葉が出る。だが、その場の誰もが、表情を変えない。ソラが続ける。

「素人集団め。ナメた真似をするなら、こちらとて遊んでやろう。さっさとかかってくるがいい」

ソラがそう言って、鞄からアストライアーの刃を出したのと、琉一が太腿のホルスターからユースティティアを引き抜いたのと、ツバサが雲真を庇うかのように立ち上がったのと。そして、院長室の扉から作業服姿のロボットの集団が雪崩れ込んできたのは、同時で。

≪どうか抵抗しないでください≫
≪我々は彩葉様の保護を、第一の目的としております≫
≪無意味な戦闘は回避するよう、命令を受けております。武器を置いて、速やかに降伏してください≫

作業服のロボット兵たちは、ハンドガンを構えたまま、口々に言う。だが、それを聞いたソラも琉一も、一笑に付しただけで。

「随分とお喋りな戦闘ユニットなことだ。うちのグレイス隊の方が余程賢いぞ。まあ、俺が育てているのだから、それも当然か」
「肯定します。ですが、ソラが手塩にかけたグレイス隊と、三下が付け焼刃で教育したユニットを比較するのは、余りにも酷です」

どうやら、このロボットたちは、作業服に身を包んで園の仕事を請け負った労働用ロボットに擬態しただけの、戦闘ユニットだったようだ。だが、そんなことをソラも琉一も、問題視はしていない。彼らの目的は、既にこれから巻き起こる戦闘の先に在る。

「さて、何処まで叩き壊せば、指揮官が出てくるのか。楽しみなことだ」
「否定します。案外と焦れやすい指揮官だと予想します」

そこからは火花が散った。戦闘ユニットはソラと琉一の排除に舵を切る。彼らはそこにつけこんだ。
ソラはアストライアーを派手に振り回しながら、戦闘ユニットを叩き壊していき、物理的な量を減らしていくことで、敵陣の危機感を煽る。そして琉一はソラが漏らした残党の処理を中心に、ソラの間合いから外れたものの破壊と、遠距離射撃要員の排除をしていった。そうして二人は、敵陣を追いやっていき、やがて院長室周辺から、中庭まで戦線をあっという間に押し上げて行ったのである。

音は衝撃などでそれらを確認したツバサは、羽織っていた上着の懐からスタンガンを取り出した。顔色の悪い雲真を背にして立ち、院長室の扉に向かって、スタンガンを構えた。すると、ハンドガンを構えた作業服の男が現れる。―――受付に座っていた、あの案内係だ。この男こそ、指揮官である。

「抵抗しないでください、彩葉お嬢様。我々の目的は既に分かっているはずです」

指揮官は鋭い目線でツバサを射抜きながら、ハンドガンを突きつけようとする。だが、ツバサは強い意志を込めた緑眼を彼に向けて、スタンガンの電源を入れた。それは護身用の域を越えないものではあるが、ツバサが彼に抵抗する気持ちを表現するには十分である。

「…プリンス・テトラのヴァイオレット様は寡黙で多くを語らない。己の剣と行動で、全てを語る…。だからこそ、オニキス将軍が懐刀として傍に置いている。その意味が、分かる…?」
「…?」

不意に語ったツバサの言葉に、指揮官は疑問符を飛ばした。その瞬間。

「吹っ掛けられた戦いに、安っぽい対話なんて不要なの!」

そう叫んだツバサがスタンガンを、手土産として持ってきた紙袋に突き立てた。途端、音を立てて袋が裂けて、煙幕が立ち込める。―――菓子折りに擬態させた、煙幕を張るための装置だったのだ。ツバサがスタンガンを持っていたのも、彼に抵抗するためではなく、この煙幕を発生させるためで―――、

「お兄様!指揮官は院長室です!お早く!」
「! チッ!」

ツバサが連絡をする声が聞こえた。それに、この煙の中ではツバサの収容など無理だ。援護を呼ばれる前に、自分だけでも撤退しないと。
指揮官はそこまで考えて舌打ちをした後、院長室から転がり出て、鉄屑と化した戦闘ユニットたちの残骸が転がる廊下を疾走する。

「こんなん聞いてないぜ…!でもせめて、あのガンマンだけでも始末しないと…!おれの首が飛ぶだろーが!」

指揮官はそう独り言ちながらも、ハンドガンの状態を確認して、中庭に辿り着いた。そこには戦闘ユニットと切り結ぶソラと、彼の援護射撃に徹する琉一が居る。―――こっちもデマか…!ソラは此処に居るじゃないか!だが、今、院長室に戻ったとしても、既にもぬけの殻に違いない!

「クッソがァァ…!」

指揮官のハンドガンが、琉一に向けられた、その時。

バラバラバラバラ!!とヘリコプターのプロペラ音が聞こえた。指揮官は「撤退用のヘリだ!助かった!」と確信して、上空を見上げる。―――が、低空飛行、且つ、爆速でやってきたのは指揮官の知らない塗装と武装を積んだ軍用ヘリであり、しかも、そのドアからオレンジ色の布の塊が降ってきた。否、布の塊ではなく―――…!?

ダァン!!、と中庭のど真ん中に、クレーターを作りながら、ヒーローのように着地したのは、青色の髪の少女。だが、その両脚は機械義足。そう、彼女こそ。

「偉大なる母は降り立った!さあ、命なき子らよ!この母の躾を余すことなく受けなさいッ!!
 
 ―――マム・システム、≪鉄槌≫、解放!!」

青、黄、アクアの三色の瞳をギラつかせ、そう高らかに宣言したアンジェリカは、機械義足から青白い電磁パルスを激しく迸らせながら、立ち上がる。
誰がどう見ても分かった。アンジェリカは戦闘モードに入っている。だが、これこそ、ソラが掛けた保険でもあった。

戦闘ユニットたちは、アンジェリカに銃を向ける。だが、発砲を許す前に、アンジェリカが右足を大きく上げた。

「―――蹴雷一閃ッッ!!!!」

アンジェリカが吼えたと同時に、彼女は上げた右足を振り被る。途端、巻き起こった烈風。ヒリつくのは電磁パルスの片鱗。咄嗟に伏せたソラと琉一以外の、戦闘ユニットたちは。あっという間にアンジェリカが巻き起こした衝撃波に揉まれて、バラバラに切り裂かれてしまい、沈黙にして、壊滅。
一方、呆気に取られていた指揮官も吹っ飛ばされたが、彼は背後の壁に叩きつけられてしまったことで、そのまま気を失っていた。

即座に指揮官の確保の走った琉一に対して、ソラはアストライアーを肩に担いでから、アンジェリカに向かって口を開く。

「ありがとうございます、弓野入一級高等幹部。おかげ様で、敵陣の生きた人間の確保が叶ったうえに、戦闘ユニットの解析も進みます」
「お礼を言うべきは私の方よ。長年動かしていなかった戦闘モードが錆び付いていないことを確認は出来たし、おまけに今日の手柄を譲って貰えるだなんて。
 ルカの部下たちは、この母を立てるのが、実に上手だわ。関心、関心」

アンジェリカはそこまで言ってから、おもむろに上空に視線を投げた。つられるようにソラも上を向くと、そこには旋回しながら待機している軍用ヘリ。アンジェリカを此処まで運んできた機体だ。まさかあのようなモノで彼女を運んでくるとは、さすがのソラも予想はしていなかったが。…まあ、頼んだ相手がルカだしな…、と納得することにした。
万が一、アンジェリカの武力で一網打尽が叶わなかった場合、おそらく、あのヘリの武装を使わせる気だったのだろう。ということは、ルカのホルダーであるツバサは、既に安全圏に居るという証拠。―――、さくら園には、非常用の地下シェルターが設置されている。ツバサなら煙幕を出して指揮官を中庭へと炙り出した時点で、即座に雲真の車椅子を押し、彼と共に地下シェルターへと避難する、という行動くらいは可能だ。ルカは地下シェルターにツバサが入ったのを確認した段階で、アンジェリカへの降下指示を出したはず…。

「ソラくんってば、この作戦を練る段階で、「今回はルカをヒルカリオから出すつもりはない」と言ったそうね。
 それは正解よ、大正解。ルカはヒルカリオから出てはいけないの。だって御覧なさい?ツバサちゃんに煙幕装置を持たせるだけで、そして軍用ヘリを一機を飛ばすだけで、この地を意のままに掌握せしめる子だもの。
 ルカは、あの島から出てはいけないわ。あの子自身が納得しているならば、尚更よ」

アンジェリカはそう言い切ると、飛んでいたヘリに向かって右手を振る。それを合図としたヘリは、待機行動を止めると、旋回の軌道を変えた。

「さくら園の裏手にあったらしい広大な耕作放棄地が、さっき上空から確認したら、見事な更地になっていたの。ヘリはあそこに着陸させるわ。同乗していたスタッフやロボット兵たちは、そこから合流してくれるでしょう。
 さて、ツバサちゃんを迎えに行かなくては。ルカから厳しめに言われているの。彼女だけは傷付けてはいけないんだよ母さん、って。
 まったくもう、この母の偉大さを、まさか息子が信用していないとでも言うつもりかしら」

そう零しながら地下シェルター方面へと歩き出すアンジェリカの隣を同じく歩きながら、ソラは敢えて遮るように、言う。

「弓野入一級高等幹部に於きましては、そろそろ、『貴女自身のお話』を聞かせて頂きたい。
 残念ながら、ルカとレイジ以外の誰もが、貴女のことを何一つ把握が出来ないでいます。混乱するほどの我々ではありませんが、これ以上の余計な混迷は避けたい所存です。
 近々、Room ELにて席を設けますので、是非ともよろしくお願いいたします」

ソラの言葉を聞いた、アンジェリカは地下シェルターの扉に手を掛けながら、彼の方を向いて、微笑んだ。

「ええ、勿論よ。この母がどのように生まれ、どのように生きて来たのか。そして、この母が内包したる『マム・システム』のことも、分かる範囲で話して差し上げましょう。
 安心なさい。母は全てを受容する。あなたたちが私を測るための価値観、死生観、人生観、倫理観、道徳観が如何に変わろうとも、母は全てを受け入れると約束しましょう」

アンジェリカがそう答えるなか、地下シェルターの扉が音を立てて開く。

シェルター内でミネラルウォーターのペットボトルを握り締めていたツバサと雲真の姿を視界に収めた瞬間。ソラは肩に担いだままだったアストライアーを降ろして、その柄を仕舞ったのだった。

真実の深淵には、まだ手を掛けたばかりである。これからそこを覗き込む覚悟を決めて、待ち受けている闇の中から、光と希望と未来を見抜かなければならない。

楽園都市・ヒルカリオの胎内で、静かに、確かに培養されてきたであろう――この少女という存在。そして今、それは『偉大なる母性少女・アンジェリカ』として、ついに顕現した。
我々人間は、この真実の重みに、しかと目を開かねばならない。



――fin.
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