第四章 純粋培養
【Room EL】
ある程度の、あんや騒動や、こんな大波小波が収まってきた、今日この頃。―――…Room ELに、また小さな波動が巻き起ころうとしている。
「まあ~~ぁ?ルカったら正気?ガールフレンドがいながら、自分の母を、二人のデートに同伴させるなんて?本当に正気かしら?え?正気なの、私の息子って?」
「三回も同じことを言わなくても良いよ。そういうのはソラが得意だから。あと、オレは一応、機械製とはいえ生命体だから、生命活動をしているワケ。だから、他人の言葉に反応が出来るほどの自我はあるんだからね?
それで?オレは母さんに一級高等幹部として、一番、最適解の仕事をして欲しいんだケド?どうするの?行くの?行かないの?」
そんなルカとアンジェリカの会話を聞きながら、これは地獄への入り口を前にした応酬か?、と、ソラは考えつつ。彼は仕事用のタブレット端末に指を滑らせていた。この親子が言い合いをしている議題は、以下の通り。
ヒルカリオの最東部に、新しい遊興施設がオープンする。その中に、ヒルカリオにはありそうでなかった、『水族館』が出来るのだ。その水族館の建設に、ROG. COMPANYが出資したため、オープンセレモニーが開催されるこの度、ルカがゲストとして招待されている。招待状によると、セレモニーにはルカと、彼が選定したゲスト二人までが同伴可能と書いてあった。ルカが選択肢を与えられるうえで、誰かを誘うのならば、該当するのはツバサが第一優先となる。そして、残りの一席を、彼はアンジェリカに差し出そうとして、―――上記のやり取りに戻る。
ソラの頭痛の種になっていることは当然に知らず、アンジェリカはいつものトーンとテンションで続けた。
「そうだわ。どうしてもこの母に噛ませたいというのならば、私が手ずからサンドイッチ弁当を作ってあげましょう。貴方たちは母が愛情と希望を込めて作りあげたサンドイッチを挟んで、仲良く恋でも未来でも過去でも語り合いなさい。
それで良いのであれば、母は喜んで、二人の噛ませ用の潤滑油になりましょう。そのためには、まずツバサちゃんの好きなサンドイッチの具を知らなくてはならないわね」
アンジェリカは淀みなく提案をする。が、それを聞いたルカは、ふ、と笑い、口を開いた。
「母さん。招待されている水族館には、綺麗なレストランが併設されているんだよ。セレモニーの日は、そこで特別なメニューが提供される予定になってるんだ」
ルカのその言葉を聞いたアンジェリカは、一瞬だけ、きょとん…、とした後。
「色恋沙汰で盲目になったのは、この母であったようだわ。だって、渦中の二人は余りにも現実を良く見ている。
先走りすぎたわ。ごめんなさい、ルカ。迷惑をかけた責任を取って、この母が残りの一席に相応しい人物を推薦しましょう」
【四日後 アクアリウム・リゼーラ】
そして迎えた、ヒルカリオの新しい水族館のオープンセレモニー。その来賓用の控え室に居たのは、ショートカットにした髪型に、ブラックスーツ姿のルカと、レンデロール号の際にもお世話になった貸衣装屋で借りた、スカートタープになった薄紫色のスーツドレスを着たツバサ。そして。
「…で?弓野入一級高等幹部が「妄想が先走った責任を取る」と謳って、自信満々に推薦したのが、俺(社長)ってことー…?仮にも何にも、折衷案に社長を表に出すっていうカードを、迷いなく引くとこ、あー、センスが斜め上だわー…。さすが、ルカ兄の母親って感じがするー…」
レイジだ。
気怠い様子で座っているが、着こなしているライトグレーのスリーピースには決してシワを寄せないようにしている。
ルカがおもむろにコメントを飛ばした。
「ついでに、社内でひっそりと始まってるらしい、『若社長の嫁探し』、自分でもやっちゃえば?こういう場でも来ないと、見つかるモノも見つからないでしょ?」
「うわあ、勘弁してー…。てか、ルカ兄、それ知ってたんなら、止めてくれよー…」
「育ての親認定されているとしても、レイジのお嫁さん探しまで、オレが口出しする場ではないのは分かるケド~?」
レイジの『嫁探し』というのは、重役たちが勝手に騒いでいる事案に過ぎない。読んで字のごとく。ROG. COMPANYの社長夫人になる女を、重役たちは探しているのである。レイジの意思関係なく。割と勝手に。
天井を仰ぐレイジに対して、ルカはからりと笑って、話題を戻した。
「まあ、母さんに関しては、ああ見えて、案外、考えなしなところあるし。自分の影響力を考慮しないというか、自分に行動の先の想像が出来ていないっていうか。そんなひとだよ、母さんって」
「確かに。その息子もそうだもんなー…」
「え?」
「え?」
もうだめだ。此処の会話は終わっている。ツバサは早々に見切りをつけて、沈黙することで会話への参加、もとい、この疑似親子の仲裁を諦めた。
詳しい経緯はともかく、ジョウの育児放棄を見かねて、レイジの育ての親になってしまったルカと。その最強の軍事兵器にオムツ交換からおやつの選定、格闘技の師匠までして貰っていたレイジ。一応、「兄」と呼んで慕ってはいるものの、レイジにとってルカはやはり父親代わりなのだ。そして、そのルカのホルダーであるツバサのことを、レイジは「姉」と呼び、同じく慕う。―――超然的に俯瞰すると、レイジはある種の家族というものを欲してるようにも見えた。ちなみに、会社を去った直後に逮捕され、刑務所に収監されているジョウのもとには、レイジは一度も面会に行っていないようである。
そうこうしているうちに、時間を告げに来た警護により、三人は控え室を後にしたのだった。
――――…。
アクアリウム・リゼーラのスケールは、さすがのものだった。ヒルカリオに新設されるというだけで、かなりのレベルのモノは要求されるのは理解が出来る。だが、リゼーラが見せてきた世界は、そのプレッシャーを跳ね返すほど、圧倒的だった。
例えば、水中トンネルをイメージした通路、という展示方法は、本土の水族館にもごまんとある。だが、リゼーラが有している水中トンネル型の展示は、一味違う様子。なんと、大きな体躯を持つサメが悠々と泳ぐ姿を、その巨躯の真下に近い角度から仰ぎ見ることが可能。更に、その先にも別の水槽で作られた水中トンネルがあり、そちらでは群れを成す小魚の煌めきを堪能できる。水面の上の照明も相まって、そこはさながら、幻想的な海底の如き。誰もが目を輝かせて、魅入っていた。
だが、ルカと腕を組むようにしてエスコートされているツバサと、その二人の横を随伴するように歩くレイジ。という絵面は、周囲の来賓たちには、少し異様に映っていたようで。…ROG. COMPANYの若社長を横目にして、あの男女は一体何様のつもりだ?、とか何とか、ひそひそと根も葉もないことを噂しようとしている。と、言ったところで。
「あら、ごきげんよう。一際目を引く御三方が、何処のご来賓かと思えば。前岩田の若社長様に、ルカ三級高等幹部殿。それにツバサさんまで。お変わりありませんこと?」
三人にそう声を掛けたのは、ミセス・リーグスティだった。パールホワイトのマーメイドライン風ドレスに身を包んだその姿は、シンデレラ女帝の異名に相応しい妖艶さと強さがある。隣には桜色のフリルが愛らしいワンピースを着て、綺麗なヘアセットを施された優那が居た。優那の眼鏡はいつものフルフレームではなく、この日のためにあつらえた、存在感の薄い、チタン製の細いフレームである。普段の通学用の薄化粧とは違う、社交用のメイクまで施されている優那だったが、…立ち姿そのものは、社長令嬢としての教育が行き届いているのが見て取れた。この親子二人して、トルバドール・セキュリティーからの招待客であることは、素人でも予測が出来る。「優那、ご挨拶をなさい」と、ミセス・リーグスティに促された優那が、ROG. COMPANY側の三人に向かって、自己紹介をする。
「リーグスティ家の長女、優那・リーグスティと申します。…ツバサ先輩、その説は大変お世話になりました」
「こちらこそ。お元気そうで何よりです」
優那の言葉と、ツバサの返答のやり取りに、あら?、とミセス・リーグスティは反応した。
「優那ったら、ツバサさんとお知り合いだったの?」
「はい、お母様。先輩が聖クロス学園にお越しだった際に、お声掛けを頂きまして…」
それを聞いたミセス・リーグスティは納得したように頷く。レイジが口を開いた。
「随伴は、ご息女だけですか?ミセス・リーグスティともあろう御方の右手側が、随分と寂しそうですね」
嫌味を放ちよった、この男。と、ツバサは瞬時に胸中で思う。思うだけ。表情には出さない。だが、気分は、ちょっと愉快かもしれない。
「あら、そう思ってくださるなら、若社長様がエスコートしてくださってもよろしくてよ?そこの高等幹部殿と事務員さんの、お二人のように」
「これはまた、恐れ多いことを仰る」
「本当に恐れているのなら、そんなことは言わないでしょうに。さすが、玩具会社の社長は、冗談がお好きなご様子ね。ROG. COMPANYの将来が、実に楽しみだわ」
レイジとミセス・リーグスティの間に、火花が散っている気がした。少なくとも、ツバサにはそう見える。どうやら、先日の対談インタビューでレイジ側に火が点いたのだろう。自分が毒親育ち故、レイジはミセス・リーグスティを敵とみなしているようだ。そして、その攻撃性を見逃す彼女でもない、と言ったところか。
そのまま、社交辞令とお世辞と嫌味を飛ばし合う、極めて社交性の高い会話型バトルを始めたレイジとミセス・リーグスティのことは、互いに気が済むまで放置するが吉、とツバサは判断した。彼女は、己の母親とレイジを困惑したように見ている優那に声を掛ける。
「優那さん、あれから美術の制作は順調ですか?」
「え、あ、はい。Room EL様からの寄進のおかげで、画材が沢山買えて…。美術部の皆が、とてもとても喜んでいました。今は、次のイラストコンクールの入賞を目指して、鋭意制作中です」
優那はそこまで答えると、彼女の頬が、わずかに熱を帯びるのが見えた。豊富な画材に囲まれた、充足の日々を思い出したのかもしれない。何せ、ツバサが声を掛けたときは、スケッチブックの最後の一枚を惜しんで、とっておきの作品を描くことに悩みの吐息を零していたぐらいだから。…すると、優那がおもむろにルカを見上げた。視線が合ったルカは、ん?、と小首を傾げる。優那が言った。
「あの、ルカ三級高等幹部さま、改めてお礼申し上げます。ありがとうございました」
「どういたしまして。若い才能の芽が枯れるのは防げたようで、何よりだよね~」
その礼の言葉の意味。それは、聖クロス学園での決闘騒ぎの際に、ツバサが高校生たちに約束した、Room ELからの寄進は、当然、ルカの名義で行われたことに帰結する。それを鑑みると、優那はきちんと礼を尽くすべき相手を知っていたようだ。ミセス・リーグスティの娘ということを差し引いても、良く出来た子どもである。兄・輝の派手な振る舞いと、彼自身の目立ちたがり屋な性分の陰に隠れていただけで。妹・優那にもスポットライトが当たるべき、然るべき光る部分を有しているのが分かった。
「キミはどんな作品を描いてるの?良ければ、今度ウチに自信作の一部でも送ってよ。受付窓口は―――」
「―――こちらになります。メールにデータファイル添付して、お送りください。宛所は、私、「ツバサ事務員」でお願いいたします」
ルカが言えば、流れるようにツバサが手持ちの小さな鞄から、名刺を取り出し、優那へと渡す。優那は「は、はい…!」と若干もたつきながらも、それを受け取った。
社交辞令であろうにしても、取引先の社長の娘であるにせよ。大手玩具会社の高等幹部であろう超常的な地位に在る男が、たかが十六歳の少女の美術作品を見たがる素振りを見せるなんて。(何か裏があるのでは…?)、と優那は内心、訝った。そのとき。
「二時の方向。そこのワインレッドのドレスのキミ、動かないで?」
ルカがそう鋭く言った瞬間。彼の視線の先に居た、ワインレッドのドレス姿の女性が、鞄に手を入れた状態で、ぎくり、と身体を強張らせる。何事か、とレイジとミセス・リーグスティも、そちらに視線を寄越したとき。
「この悪女め!!覚悟ッ!!」
ワインレッドの女が、鞄からナイフを取り出して、ミセス・リーグスティに向かって、刃を突き付ける。ただ、相当に手が震えており、眼は血走って、呼吸は荒い。―――かなり興奮している。犯罪に手を染める覚悟が完全に出来ていない分、激しい感情が先走っているようだ。こういう人間は、かける言葉を間違えると、途端に周囲を巻き込む、無差別殺人犯になりかねない。
「そのナイフを下ろしなさい。貴女の罪が重くなるのではなくって?」
「黙れ!!私の夫を過労とストレスで殺しておきながら!!一体どの口がほざく!?」
ミセス・リーグスティが交渉を試みるが、どうやら逆効果だったようだ。ワインレッドの女はヒステリックに叫び始めた。
「奇跡を起こした女社長だの何だの!!あんたばかりが無駄に称賛されて!!裏で必死に働いていたうちの夫や、他の社員たちを蔑ろにしてたくせに!!
所詮、便所掃除係の女なんて、そこまでの女よ!!殺してやる!!あんたなんて私が殺してやる!!自殺した夫の仇!!私が殺す!!」
「貴女は、私に言いたいことがあるのね。いいわ、ちゃんとマンツーマンで聴いて差しあげるから、まずはそのナイフを下ろしなさい」
「この大嘘つきめ!!そうやって都合の良いことだけ言って、あのひとのことも騙して!!最期は自殺に追い込んだ!!このクソッタレ!!埃かぶり!!」
「周りをご覧なさい。貴女の意見に同調しているひとはいないわ。此処は、私との交渉に乗るのが賢明でしてよ。さあ、そのナイフを―――」
―――ミセス・リーグスティの言葉の途中で、ワインレッドの女が動く。隙を突かれたが故に、ミセス・リーグスティは、咄嗟に自分の顔を両腕で庇った。だが、女が向かったのはそちらでなく―――、
「―――もうお前が死ねぇええ!!!!」
優那だった。ナイフを振り上げた女の鬼の形相を、優那は呆気に取られた表情で見ている。まるで他人事のように。身体が動かない。逃げないといけないのに。―――すると、割って入ってきた、ライトグレーの背中。レイジだ。
レイジは、ナイフを持った女の勢いを自分の片手でいなし、瞬時に彼女の腕を捻り上げ、いとも簡単に制圧する。
「標的を弱い奴に変えるってのは、自分が弱いって白状してるよーなもんだっつーの…。ほら、神妙にしな。どーせ、ルカ兄が動く気になってたら、あんたなんてコンマで捕まってたんだから…。仇に自分の思いの丈が言えただけでも、まあ良しと思えよ」
レイジはそこまで言うと、警護役に容疑者と成り果てた女を引き渡した。そして、彼は優那の方に向いて、口を開く。
「大丈夫そ?」
「…。…、…えっ、あ、あ…、は、はい…」
「ビックリしたよなー…。まあ、俺もルカ兄が動かなかったことに、マジでビックリしてるからさー。ビックリさせられたモン同士、仲良くルカ兄のせいにしてやろーぜ」
「……あの、えと…?」
レイジの冗談には軽いモノだったが(※当社比)、優那は現実についていくのに、必死だった。
母親のミセス・リーグスティに対して、始終、紳士的な態度を取っていた、あのROG. COMPANYの社長が?こんなダウナー気味な口調に変わっている?…というか、良く見ると、否、見なくても、とても、とてもイケメンでは?それに、咄嗟に自分を庇ってくれたうえに、犯人を抑え込んだのって…―――、
「レイジ?うら若き令嬢に、オレの悪口をナチュラルに吹き込まないで?何か最近、キミって、ソラに似てきた感じ?」
優那の妄想が行き渡りそうになったところで、ルカの軽口が飛んでくるのが聞こえて、彼女はハッと我に返った。
――――…。
かくして。アクアリウム・リゼーラのオープンセレモニーは、ひと騒動を交えての終幕を迎える。
来たときよりも多くの警護に護り固められたミセス・リーグスティは、隣を歩く優那を、彼女に気取られないように見やった。優那の何処か夢見心地になった瞳を見て、ミセス・リーグスティは、これまた音もなく、ふ、と笑い…、…たくなるのを、何とか堪える。パールホワイトの布地に包まれた胸中で、彼女は思う。
(―――年頃の少女なんて、案外とチョロいものよ。だって、所詮は、子どもなのだから…―――)
病没した元旦那に見いだされる前は、商業施設の便所掃除を請け負い、頭から埃をかぶって働いていた、その女は。今や、シンデレラ女帝の名を冠した、たった一人の人間だった。その女の秘めたる思惑を、巨大な水槽の向こうの魚だけが、黙って見ている。…だなんて。
to be continued...
ある程度の、あんや騒動や、こんな大波小波が収まってきた、今日この頃。―――…Room ELに、また小さな波動が巻き起ころうとしている。
「まあ~~ぁ?ルカったら正気?ガールフレンドがいながら、自分の母を、二人のデートに同伴させるなんて?本当に正気かしら?え?正気なの、私の息子って?」
「三回も同じことを言わなくても良いよ。そういうのはソラが得意だから。あと、オレは一応、機械製とはいえ生命体だから、生命活動をしているワケ。だから、他人の言葉に反応が出来るほどの自我はあるんだからね?
それで?オレは母さんに一級高等幹部として、一番、最適解の仕事をして欲しいんだケド?どうするの?行くの?行かないの?」
そんなルカとアンジェリカの会話を聞きながら、これは地獄への入り口を前にした応酬か?、と、ソラは考えつつ。彼は仕事用のタブレット端末に指を滑らせていた。この親子が言い合いをしている議題は、以下の通り。
ヒルカリオの最東部に、新しい遊興施設がオープンする。その中に、ヒルカリオにはありそうでなかった、『水族館』が出来るのだ。その水族館の建設に、ROG. COMPANYが出資したため、オープンセレモニーが開催されるこの度、ルカがゲストとして招待されている。招待状によると、セレモニーにはルカと、彼が選定したゲスト二人までが同伴可能と書いてあった。ルカが選択肢を与えられるうえで、誰かを誘うのならば、該当するのはツバサが第一優先となる。そして、残りの一席を、彼はアンジェリカに差し出そうとして、―――上記のやり取りに戻る。
ソラの頭痛の種になっていることは当然に知らず、アンジェリカはいつものトーンとテンションで続けた。
「そうだわ。どうしてもこの母に噛ませたいというのならば、私が手ずからサンドイッチ弁当を作ってあげましょう。貴方たちは母が愛情と希望を込めて作りあげたサンドイッチを挟んで、仲良く恋でも未来でも過去でも語り合いなさい。
それで良いのであれば、母は喜んで、二人の噛ませ用の潤滑油になりましょう。そのためには、まずツバサちゃんの好きなサンドイッチの具を知らなくてはならないわね」
アンジェリカは淀みなく提案をする。が、それを聞いたルカは、ふ、と笑い、口を開いた。
「母さん。招待されている水族館には、綺麗なレストランが併設されているんだよ。セレモニーの日は、そこで特別なメニューが提供される予定になってるんだ」
ルカのその言葉を聞いたアンジェリカは、一瞬だけ、きょとん…、とした後。
「色恋沙汰で盲目になったのは、この母であったようだわ。だって、渦中の二人は余りにも現実を良く見ている。
先走りすぎたわ。ごめんなさい、ルカ。迷惑をかけた責任を取って、この母が残りの一席に相応しい人物を推薦しましょう」
【四日後 アクアリウム・リゼーラ】
そして迎えた、ヒルカリオの新しい水族館のオープンセレモニー。その来賓用の控え室に居たのは、ショートカットにした髪型に、ブラックスーツ姿のルカと、レンデロール号の際にもお世話になった貸衣装屋で借りた、スカートタープになった薄紫色のスーツドレスを着たツバサ。そして。
「…で?弓野入一級高等幹部が「妄想が先走った責任を取る」と謳って、自信満々に推薦したのが、俺(社長)ってことー…?仮にも何にも、折衷案に社長を表に出すっていうカードを、迷いなく引くとこ、あー、センスが斜め上だわー…。さすが、ルカ兄の母親って感じがするー…」
レイジだ。
気怠い様子で座っているが、着こなしているライトグレーのスリーピースには決してシワを寄せないようにしている。
ルカがおもむろにコメントを飛ばした。
「ついでに、社内でひっそりと始まってるらしい、『若社長の嫁探し』、自分でもやっちゃえば?こういう場でも来ないと、見つかるモノも見つからないでしょ?」
「うわあ、勘弁してー…。てか、ルカ兄、それ知ってたんなら、止めてくれよー…」
「育ての親認定されているとしても、レイジのお嫁さん探しまで、オレが口出しする場ではないのは分かるケド~?」
レイジの『嫁探し』というのは、重役たちが勝手に騒いでいる事案に過ぎない。読んで字のごとく。ROG. COMPANYの社長夫人になる女を、重役たちは探しているのである。レイジの意思関係なく。割と勝手に。
天井を仰ぐレイジに対して、ルカはからりと笑って、話題を戻した。
「まあ、母さんに関しては、ああ見えて、案外、考えなしなところあるし。自分の影響力を考慮しないというか、自分に行動の先の想像が出来ていないっていうか。そんなひとだよ、母さんって」
「確かに。その息子もそうだもんなー…」
「え?」
「え?」
もうだめだ。此処の会話は終わっている。ツバサは早々に見切りをつけて、沈黙することで会話への参加、もとい、この疑似親子の仲裁を諦めた。
詳しい経緯はともかく、ジョウの育児放棄を見かねて、レイジの育ての親になってしまったルカと。その最強の軍事兵器にオムツ交換からおやつの選定、格闘技の師匠までして貰っていたレイジ。一応、「兄」と呼んで慕ってはいるものの、レイジにとってルカはやはり父親代わりなのだ。そして、そのルカのホルダーであるツバサのことを、レイジは「姉」と呼び、同じく慕う。―――超然的に俯瞰すると、レイジはある種の家族というものを欲してるようにも見えた。ちなみに、会社を去った直後に逮捕され、刑務所に収監されているジョウのもとには、レイジは一度も面会に行っていないようである。
そうこうしているうちに、時間を告げに来た警護により、三人は控え室を後にしたのだった。
――――…。
アクアリウム・リゼーラのスケールは、さすがのものだった。ヒルカリオに新設されるというだけで、かなりのレベルのモノは要求されるのは理解が出来る。だが、リゼーラが見せてきた世界は、そのプレッシャーを跳ね返すほど、圧倒的だった。
例えば、水中トンネルをイメージした通路、という展示方法は、本土の水族館にもごまんとある。だが、リゼーラが有している水中トンネル型の展示は、一味違う様子。なんと、大きな体躯を持つサメが悠々と泳ぐ姿を、その巨躯の真下に近い角度から仰ぎ見ることが可能。更に、その先にも別の水槽で作られた水中トンネルがあり、そちらでは群れを成す小魚の煌めきを堪能できる。水面の上の照明も相まって、そこはさながら、幻想的な海底の如き。誰もが目を輝かせて、魅入っていた。
だが、ルカと腕を組むようにしてエスコートされているツバサと、その二人の横を随伴するように歩くレイジ。という絵面は、周囲の来賓たちには、少し異様に映っていたようで。…ROG. COMPANYの若社長を横目にして、あの男女は一体何様のつもりだ?、とか何とか、ひそひそと根も葉もないことを噂しようとしている。と、言ったところで。
「あら、ごきげんよう。一際目を引く御三方が、何処のご来賓かと思えば。前岩田の若社長様に、ルカ三級高等幹部殿。それにツバサさんまで。お変わりありませんこと?」
三人にそう声を掛けたのは、ミセス・リーグスティだった。パールホワイトのマーメイドライン風ドレスに身を包んだその姿は、シンデレラ女帝の異名に相応しい妖艶さと強さがある。隣には桜色のフリルが愛らしいワンピースを着て、綺麗なヘアセットを施された優那が居た。優那の眼鏡はいつものフルフレームではなく、この日のためにあつらえた、存在感の薄い、チタン製の細いフレームである。普段の通学用の薄化粧とは違う、社交用のメイクまで施されている優那だったが、…立ち姿そのものは、社長令嬢としての教育が行き届いているのが見て取れた。この親子二人して、トルバドール・セキュリティーからの招待客であることは、素人でも予測が出来る。「優那、ご挨拶をなさい」と、ミセス・リーグスティに促された優那が、ROG. COMPANY側の三人に向かって、自己紹介をする。
「リーグスティ家の長女、優那・リーグスティと申します。…ツバサ先輩、その説は大変お世話になりました」
「こちらこそ。お元気そうで何よりです」
優那の言葉と、ツバサの返答のやり取りに、あら?、とミセス・リーグスティは反応した。
「優那ったら、ツバサさんとお知り合いだったの?」
「はい、お母様。先輩が聖クロス学園にお越しだった際に、お声掛けを頂きまして…」
それを聞いたミセス・リーグスティは納得したように頷く。レイジが口を開いた。
「随伴は、ご息女だけですか?ミセス・リーグスティともあろう御方の右手側が、随分と寂しそうですね」
嫌味を放ちよった、この男。と、ツバサは瞬時に胸中で思う。思うだけ。表情には出さない。だが、気分は、ちょっと愉快かもしれない。
「あら、そう思ってくださるなら、若社長様がエスコートしてくださってもよろしくてよ?そこの高等幹部殿と事務員さんの、お二人のように」
「これはまた、恐れ多いことを仰る」
「本当に恐れているのなら、そんなことは言わないでしょうに。さすが、玩具会社の社長は、冗談がお好きなご様子ね。ROG. COMPANYの将来が、実に楽しみだわ」
レイジとミセス・リーグスティの間に、火花が散っている気がした。少なくとも、ツバサにはそう見える。どうやら、先日の対談インタビューでレイジ側に火が点いたのだろう。自分が毒親育ち故、レイジはミセス・リーグスティを敵とみなしているようだ。そして、その攻撃性を見逃す彼女でもない、と言ったところか。
そのまま、社交辞令とお世辞と嫌味を飛ばし合う、極めて社交性の高い会話型バトルを始めたレイジとミセス・リーグスティのことは、互いに気が済むまで放置するが吉、とツバサは判断した。彼女は、己の母親とレイジを困惑したように見ている優那に声を掛ける。
「優那さん、あれから美術の制作は順調ですか?」
「え、あ、はい。Room EL様からの寄進のおかげで、画材が沢山買えて…。美術部の皆が、とてもとても喜んでいました。今は、次のイラストコンクールの入賞を目指して、鋭意制作中です」
優那はそこまで答えると、彼女の頬が、わずかに熱を帯びるのが見えた。豊富な画材に囲まれた、充足の日々を思い出したのかもしれない。何せ、ツバサが声を掛けたときは、スケッチブックの最後の一枚を惜しんで、とっておきの作品を描くことに悩みの吐息を零していたぐらいだから。…すると、優那がおもむろにルカを見上げた。視線が合ったルカは、ん?、と小首を傾げる。優那が言った。
「あの、ルカ三級高等幹部さま、改めてお礼申し上げます。ありがとうございました」
「どういたしまして。若い才能の芽が枯れるのは防げたようで、何よりだよね~」
その礼の言葉の意味。それは、聖クロス学園での決闘騒ぎの際に、ツバサが高校生たちに約束した、Room ELからの寄進は、当然、ルカの名義で行われたことに帰結する。それを鑑みると、優那はきちんと礼を尽くすべき相手を知っていたようだ。ミセス・リーグスティの娘ということを差し引いても、良く出来た子どもである。兄・輝の派手な振る舞いと、彼自身の目立ちたがり屋な性分の陰に隠れていただけで。妹・優那にもスポットライトが当たるべき、然るべき光る部分を有しているのが分かった。
「キミはどんな作品を描いてるの?良ければ、今度ウチに自信作の一部でも送ってよ。受付窓口は―――」
「―――こちらになります。メールにデータファイル添付して、お送りください。宛所は、私、「ツバサ事務員」でお願いいたします」
ルカが言えば、流れるようにツバサが手持ちの小さな鞄から、名刺を取り出し、優那へと渡す。優那は「は、はい…!」と若干もたつきながらも、それを受け取った。
社交辞令であろうにしても、取引先の社長の娘であるにせよ。大手玩具会社の高等幹部であろう超常的な地位に在る男が、たかが十六歳の少女の美術作品を見たがる素振りを見せるなんて。(何か裏があるのでは…?)、と優那は内心、訝った。そのとき。
「二時の方向。そこのワインレッドのドレスのキミ、動かないで?」
ルカがそう鋭く言った瞬間。彼の視線の先に居た、ワインレッドのドレス姿の女性が、鞄に手を入れた状態で、ぎくり、と身体を強張らせる。何事か、とレイジとミセス・リーグスティも、そちらに視線を寄越したとき。
「この悪女め!!覚悟ッ!!」
ワインレッドの女が、鞄からナイフを取り出して、ミセス・リーグスティに向かって、刃を突き付ける。ただ、相当に手が震えており、眼は血走って、呼吸は荒い。―――かなり興奮している。犯罪に手を染める覚悟が完全に出来ていない分、激しい感情が先走っているようだ。こういう人間は、かける言葉を間違えると、途端に周囲を巻き込む、無差別殺人犯になりかねない。
「そのナイフを下ろしなさい。貴女の罪が重くなるのではなくって?」
「黙れ!!私の夫を過労とストレスで殺しておきながら!!一体どの口がほざく!?」
ミセス・リーグスティが交渉を試みるが、どうやら逆効果だったようだ。ワインレッドの女はヒステリックに叫び始めた。
「奇跡を起こした女社長だの何だの!!あんたばかりが無駄に称賛されて!!裏で必死に働いていたうちの夫や、他の社員たちを蔑ろにしてたくせに!!
所詮、便所掃除係の女なんて、そこまでの女よ!!殺してやる!!あんたなんて私が殺してやる!!自殺した夫の仇!!私が殺す!!」
「貴女は、私に言いたいことがあるのね。いいわ、ちゃんとマンツーマンで聴いて差しあげるから、まずはそのナイフを下ろしなさい」
「この大嘘つきめ!!そうやって都合の良いことだけ言って、あのひとのことも騙して!!最期は自殺に追い込んだ!!このクソッタレ!!埃かぶり!!」
「周りをご覧なさい。貴女の意見に同調しているひとはいないわ。此処は、私との交渉に乗るのが賢明でしてよ。さあ、そのナイフを―――」
―――ミセス・リーグスティの言葉の途中で、ワインレッドの女が動く。隙を突かれたが故に、ミセス・リーグスティは、咄嗟に自分の顔を両腕で庇った。だが、女が向かったのはそちらでなく―――、
「―――もうお前が死ねぇええ!!!!」
優那だった。ナイフを振り上げた女の鬼の形相を、優那は呆気に取られた表情で見ている。まるで他人事のように。身体が動かない。逃げないといけないのに。―――すると、割って入ってきた、ライトグレーの背中。レイジだ。
レイジは、ナイフを持った女の勢いを自分の片手でいなし、瞬時に彼女の腕を捻り上げ、いとも簡単に制圧する。
「標的を弱い奴に変えるってのは、自分が弱いって白状してるよーなもんだっつーの…。ほら、神妙にしな。どーせ、ルカ兄が動く気になってたら、あんたなんてコンマで捕まってたんだから…。仇に自分の思いの丈が言えただけでも、まあ良しと思えよ」
レイジはそこまで言うと、警護役に容疑者と成り果てた女を引き渡した。そして、彼は優那の方に向いて、口を開く。
「大丈夫そ?」
「…。…、…えっ、あ、あ…、は、はい…」
「ビックリしたよなー…。まあ、俺もルカ兄が動かなかったことに、マジでビックリしてるからさー。ビックリさせられたモン同士、仲良くルカ兄のせいにしてやろーぜ」
「……あの、えと…?」
レイジの冗談には軽いモノだったが(※当社比)、優那は現実についていくのに、必死だった。
母親のミセス・リーグスティに対して、始終、紳士的な態度を取っていた、あのROG. COMPANYの社長が?こんなダウナー気味な口調に変わっている?…というか、良く見ると、否、見なくても、とても、とてもイケメンでは?それに、咄嗟に自分を庇ってくれたうえに、犯人を抑え込んだのって…―――、
「レイジ?うら若き令嬢に、オレの悪口をナチュラルに吹き込まないで?何か最近、キミって、ソラに似てきた感じ?」
優那の妄想が行き渡りそうになったところで、ルカの軽口が飛んでくるのが聞こえて、彼女はハッと我に返った。
――――…。
かくして。アクアリウム・リゼーラのオープンセレモニーは、ひと騒動を交えての終幕を迎える。
来たときよりも多くの警護に護り固められたミセス・リーグスティは、隣を歩く優那を、彼女に気取られないように見やった。優那の何処か夢見心地になった瞳を見て、ミセス・リーグスティは、これまた音もなく、ふ、と笑い…、…たくなるのを、何とか堪える。パールホワイトの布地に包まれた胸中で、彼女は思う。
(―――年頃の少女なんて、案外とチョロいものよ。だって、所詮は、子どもなのだから…―――)
病没した元旦那に見いだされる前は、商業施設の便所掃除を請け負い、頭から埃をかぶって働いていた、その女は。今や、シンデレラ女帝の名を冠した、たった一人の人間だった。その女の秘めたる思惑を、巨大な水槽の向こうの魚だけが、黙って見ている。…だなんて。
to be continued...