第三章 カリスマ・アディクション

【二週間後 文丘小学校 職員室】

「藤井先生、あの…」

国語の授業のまとめをしていた藤井は、ふと呼ばれて、視線を上げた。そこに居たのは、クッキーの入った小さな籠を持った熊見。小麦粉アレルギーの藤井は、思わず身構える。だが、熊見は大きな体躯を縮こませるかのようにして、彼へ持ってきたクッキーの説明を始めた。

「ベースに米粉を使い、甘さは、カボチャ、人参、サツマイモといったお野菜を練り込んで、つけました。 藤井先生はいつも白湯を召し上がっておられますので、お砂糖も制限されているのかと考え、勝手ながらお節介を…」

熊見の言葉に、藤井は目を丸くする。何故なら、その台詞の意味を噛み砕くならば・・・。

「ぼ、僕のために…、わざわざ、小麦粉も砂糖も抜いたクッキーを…?」

藤井が糖質を極端に取らず、職場でも家でも白湯を好むのは。勿論、アレルギーのこともあるが、つまるところ、藤井個人の体調管理のためだったのだが。それでも、あの熊見が理解を示してくれたうえに、クッキーまで自作して持ってきてくれた事実に、ただただ、驚く。

「い、頂いても…?」
「勿論です。貴方との友情を思って、焼きました。私のクッキーが食べられないと損、だなんて、過去に何度も不遜な発言を致しましたこと、お詫び申し上げます。
 この熊見、襟を正しますゆえ。藤井先生とは、仲良くなりたい所存…!」

熊見にそこまで言わせておいて、藤井は無下に出来るような男ではなかった。籠に盛られたクッキーを摘まみ上げて、恐る恐る、一口。
カリッと焼けた香ばしい匂いに、野菜由来の自然な甘味。
藤井が幼い頃に口にしたことがある、どの市販品のアレルゲンフリーのクッキーより、幸せを感じる味がした。

「お、美味しいッ…、クッキーって、こ、こんなに…、お、美味しいんだ…ッ!」

藤井の眼から、自然と涙が溢れる。幼い頃から厳しい制限があったがゆえ、殆ど口にしたことのないクッキーというお菓子。

「めっちゃ、うまい…ッ!うまいっす、熊見先生…ッ…ありがとう、ございますッ…!お、俺なんかの、ために…!」
「俺なんか、ではありません…!私の目を覚ませた光景を見せてくれた藤井先生だからこそ、です…!
ああ、美味しいですか…。良かった、本当に良かった…!この熊見、家庭科教師に於ける、至極の喜びを感じます…!」

互いに涙を流しながらも、しかと手を繋ぎあう、藤井と熊見は。歴数は違えど、同じ教師人生を歩む同士として、しかと友情を結んだのだった。

職員室内の皆が、二人の絆が生まれたことを、ほんわりとした空気で見守っていると。そこで、ふと、熊見がしみじみとしたように、溢す。

「…願わくば、鈴ヶ原先生にも、召し上がって頂きたかったものですな」

そう偲ばれたナオトは、既に期日を迎えて、文丘小学校を去った後である。当然のように引き留める声は多く上がったものの、それも然もしかりとばかりにナオトは受け止めつつ。しかし、己の職務に忠実にある彼は、誰の声にも振り向くことなく、穏やかな春風のように、小学校を後にしたのだった。

「お元気にしてると良いですけれど。…いいえ、あのひとなら、きっと。何処に居たとしても、あの優しい笑顔のままで…」

そう呟く藤井のデスクには、ナオトが残した一枚の書類がある。『安藤クリスティーナ医師の復職に関する意見書』という文字が伺えた。―――これは、ナオトの置き土産。前任の安藤女医を、文丘小学校へ呼び戻すことに、ナオトが残りの一週間で全力を尽くした結果である。
その成果は、意見書に捺された、樹中校長の確認印と。彼の直筆による『採用』の文字が、明るい未来として指し示されていた。

そして、換気のために少し開けられた職員室の窓の、すぐ傍にある花壇では。泥塗れの作業服を着た樹中が、吹き出す汗をタオルで拭っている。その傍らには、ワンコインショップで売られている小綺麗な箱に入った、熊見お手製の米粉クッキー。
水筒に入った冷えた麦茶を呷りながら、樹中はクッキーを齧る。もぐもぐ、と咀嚼してから、飲み込んで。麦茶で流し込み、青空を見上げた。

「本日も、晴天なり」

樹中がそう呟いたのは、一体、誰に向けたモノだったのかは。本人にしか、分からず。あるいは、彼が丹精込めて育てたハーブたちは、知っているのかもしれない。…なんて。


【Room EL】

本日のRoom ELには、珍しく凌士が訪れている。名目は、身柄を預かっているナオトの仕事ぶりを視察しにきた、というものではあったが。病気がちで外に出る機会が余りない凌士にとって、ジョウの謀略の毒から解放された今、そして、少しでも体力が戻りつつある今日(こんにち)。僅かな隙をついてでも、外出したいという欲求が生まれるというもの。
電動車椅子から応接ソファーに移り座った凌士が、隣り合った席に居るナオトを見ながら、口を開く。

「本当に良かったのですか?あのまま、小学校の産業医に就き続けたとしても、更生プログラムは何も言わなかったと思いますが…」
「ご安心ください、凌士さん。僕の界隈は、あくまでRoom ELですから」

凌士の問いかけにも、ナオトはブレない。自分の推し活兼仕事が出来うる現場は、あくまで此処だ、と。すると、そこへ。

「オレも喉が渇いたあぁ。ねえ、混ぜて混ぜて~」

ルカが、自分の飲み物を左手に持って、応接ソファーの方へ現れる。ナオトも凌士も拒否する理由は無い、むしろ、どんどん混ざってくれ、の気概なので、笑顔で彼を迎え入れる。
『期間限定 ジャスミンミルクティー 微糖仕上げ』と印字された、有名飲料メーカーの紙パック飲料に差したストローを咥えて、ちゅー、と吸うルカの姿は。正直、そこだけ切り取れば、大手玩具会社の三級高等幹部の一息、というより、その辺のヒラ的サラリーマンの休憩中、である。まあ、此処までの人外級な美貌を持つ一般人が居るわけがないので、結局、この議論は机上専用。ただの空論。そうすれば、今度は。

「ただいま戻りました…」

ツバサの声がした。出入り口から、琉一と共にやってくる。二人で、社内の部署にて確認されたハラスメントに関する、クレーム対応をしに行ったのだ。ソラが出迎える。

「お帰り。どうだ、進捗は?」
「ルカ三級高等幹部がサルベージした、該当のカメラ映像を提出したところ、クレーム先が容疑を認めました。
 社内規則と、現法に則った行動を取るよう、前岩田社長への進言をする書類を作成します」

ソラの問いかけには、琉一が答えた。それもそう。ツバサは少し、お疲れ気味の様子だったから。

「アリスちゃん、飲み物を持って、こっちにおいで。少し休もうね?」

ルカがそんなツバサを見逃すはずがないので。彼はすかさず、自分の隣を、ぽんぽん、と優しく叩いて、彼女の着席を促す。言われたツバサは、自分のデスクから飲みかけのアイスカフェラテが入ったタンブラーを持ってくると、素直にルカの隣に座った。
そして、ツバサの頭を撫でながら、そういえば、と、ルカは思いついたように、ナオトへと問う。

「そう言えば、ナオト。結局、文丘小学校の児童たちの不調の原因って、何だったの?あの教員たちの言う通り、キミのカウンセリングの不手際?そんな確率、天文学的数値でしかないケド」

問われたナオトは、「ああ、それですか」と零した後。カップを一度置いて、答える。

「最終的には、ルーティンワークの崩れによるものが原因、と判断しました。
 カウンセリング後の安藤先生が敷いた『おやくそく』は、熊見先生お手製のクッキーを用いたモノでしたので、該当の児童たちは、僕がキャンディーを取り出した際、皆一様に落胆しておりました。つまり、「カウンセリングが終われば、クッキーが食べられる」という「いつもの流れ」、すなわち、決まったルーティンワークに変化が起こったことにより、日常生活に変調をきたした、と帰結しました。子どもにとって「いつもの流れ」は、『安心』そのものです。大人でも、そうなのですから。
 その他、とある児童の体調不良や、思想の変化などは、受験勉強による過度のストレスと、それを扇動した熊見先生が誘因です。この児童の場合、病名は付けられない段階にありましたが、同じ塾の仲間にまで思想と言動の変化を強く言及されていたとなると、一種の人格的な乖離があったとも捉えられます。つまり、現実逃避、とも片付けられますね」

そこまで聞いてから、凌士は感心したように頷いた。ルカも彼の回答に満足したような笑みを浮かべている。ナオトの手腕が確かなモノである、という何よりの証拠。

ツバサは(すごいなあ…)と思いつつも、喉の渇きと疲労が先んじてしまい、賛辞を後回しにしてしまう。だが、ナオトは他人の評価を気にしない性質であることを、十二分に知っている。でなければ、女性と見紛う美貌と差し引いたとしても、その勘違いを助長するロングヘアーや、大ぶりなピアスとったアクセサリー、細身のラインを強調する中華風スーツなどを、ナオトが続けるはずがないのだ。
そこまで思考に耽っていたツバサの耳朶に、ルカの声が響く。

「アリスちゃん、これ試してみる?期間限定のジャスミンミルクティーだって。売店エリアに置いてあったんだ~」
「え、いいの…?それじゃあ、一口、頂きます…」

ルカの提案に、ツバサはいとも簡単に乗った。これも信頼の証。ルカが差し出したストローの先を、ツバサは咥えて、ちゅう、とジャスミンミルクティーを吸い込む。嚥下した瞬間、彼女の周囲に花が舞った気がした。

「美味しい…!」
「ね?なかなかイケるよねぇ、コレ。微糖仕上げっていうのも、紅茶飲料にありがちな、特有の甘ったるさが無くて、良い感じ~。その代わり、香料がたくさん使われているみたいだケド」

もう一口あげるよ、とルカがすすめれば、ツバサは普段は陰鬱な緑眼を、今だけ僅かにきらきらとさせて、こくん、ともう一口、ジャスミンミルクティーを飲む。
ありがとう、とお礼を言いながら、紙パックを返してくれるツバサの頬と、ルカは黒革の手袋の指先で、つんつん、と撫でながら。唐突に、対面の方に言葉を投げた。

「凌士、お行儀が悪いんじゃないの?オレのホルダーを凝視するなんて。キミが夢中なのは、ソラとローザリンデの組み合わせでしょ?」

凌士は、んぐ、と傾けていた湯呑みのお茶を、むせそうになって、堪える。ルカの言う通り、彼はルカとツバサを凝視していた。だが、軍事兵器に追及されようと、折れない胆力の持ち主、それがこの男、凌士・テイスワート。

「…バレてた。どうしよう?鈴ヶ原先生?」
「では、開き直って、言い訳でも述べてはいかがでしょうか。ルカさんに人間の言い訳如きが通じる保証は、一切、出来かねますが」

ナオトに助言を求めても、その助け舟は泥で出来たモノだった。
だが、挫けない。何故ならこの男は、ROG. COMPANYの筆頭株主、凌士・テイスワート(二回目)。彼はルカとツバサを見ながら、愉悦と言った声色で告げる。

「良いなあ。ルカくんと、ツバサさんの組み合わせ…!
 美男美女なのは勿論、史上最強の軍事兵器と、その命令権を持つ女性。嗚呼、ビジュアルも性格も最高なうえに、設定まで最高なんて…!!」


ばさーーーーーーーッッ!!


「ソラ、書類が丸ごとデスクから雪崩落ちて、…ソラ?」

ソラのデスク方面から、書類の山が落っこちる音がした。そして、それを確認した琉一の声も聞こえる。皆が皆、ソラのデスクを見ると、そこには。

「…………ゆるさん」
「「「え?」」」

ソラが握っていたのは、仕事用のペンではなく。ルカが下賜したバトルアクス『アストライアー』だった。その光景に誰もが、正確には、ルカと琉一以外のモノが、間抜けな声を出す。
ソラが地を蹴ろうとした瞬間と、琉一が彼の身体を羽交い絞めにして止めたのは、同時だった。ゆえに、怒気を孕んだソラの翡翠の瞳が射抜く先の凌士は、アストライアーの餌食にはならずに済んだ。…とはいえ、凌士は、にこにこ、と笑っている。それを見たソラが吼える。

「貴様ァァ!!いい加減にしろ!!!!俺とローズで済ませておけば良いものを!!よりによって!!俺の妹に!!そのカプ厨趣味を!!向けよって!!!!許さんッ!!絶対に許さんッ!!!!
 離せ琉一!!さっさと離せ!!離せと言っている!!離せってば!!!!チカラ強いなお前??!!なんで??!!」
「肯定します。弁護士とガンマンは、筋肉と体幹と根性があってこそです」
「離せ!!!!俺はお兄様だぞ!!!!」
「否定します。兄であるこそ、妹姫の前で、筆頭株主を血祭りにあげるのは厳禁です」

ウヴァァァァァァァッッ!!!!といったような、ソラの怒りの咆哮を背景に。凌士は、ルカとツバサを改めて見ながら、一人、納得するかのように零す。

「ルカ、と、ツバサ…。るかつば、うーんちょっと語感が…、…あ、ルカくんはツバサさんのこと、アリスちゃんって呼んでるね?
 ルカとアリスで、ルカアリ、だ。うんうん、ルカアリ、ルカアリ!
 軍事兵器と、命令権を持つ女性。そして、上司と部下。大手企業の高等幹部と、直属の事務員。うんうん、良いカップリングじゃないか、ルカアリ!」

全く反省していない。を、通り越して、もう自分のワールドに入って完結させていた。ソラの雄叫びのBGMは鎮まらない。

「ふーん、ルカアリ、ねえ。オレとアリスちゃん、そういう風に見えてるんだ?」

ルカは何処か感心したかのように言いながら、ツバサの頭を、ぽんぽん、と優しく撫でている。ツバサは特に言いたいことは無いようだ。元々、自分たちのことを外野がどう見ようと勝手にしろ、の精神を持つのが、この二人の共通スタンスである。

琉一の冷静な声が聞こえた。

「そろそろ大人しくしましょう、ソラ。
 では、バンプの美学をご覧ください。―――懲罰バックドロップ」
「~~~~~ッッ!!!!」

これまたユニークなセンスを持つ技名と共に、ソラが後ろにひっくり返された状態で投げられる。脳天直下だが、気絶はしておらず。されとて解放されたソラは、ぐぬぬ…、と言った表情で琉一をねめつけていた。…どういう形であれ、自分が仕掛けた勝負で、床に膝をついた以上、負けを認めるしかないのが戦人(いくさびと)というモノ。

一連の騒動を、極めて穏やかな顔色で眺めていたナオトは。置いていたカップを持ち上げて、すっかりぬるくなったコーヒーを飲む。

本土の小学校の職員室では、『真のカリスマ』として完璧に振る舞って、完全なる仕事を納めた彼らでも。
Room EL(此処)に戻ってしまえば、カリスマ同士が併殺しあって、それは、ただの個性的な集まり。この本社ビル内では化け物と言われているとしても、その声が届かない本土には、全く関係がない。
だって、小学校の教員たち―――つまり、本土の人間たちは。ルカが軍事兵器であることは当然知らないし、天才児のソラが実は不器用な愛情の持ち主であることは考え至らないし、ツバサがルカの命令権を持つホルダーなる存在であることなんて思いつきもしないだろうし、琉一が神経質な顔して超絶な甘党である事実は全く想像がされてなかったし、ナオトがどうして更生プログラムに入っているのかさえ、彼らは知ろうとしなかったのだから。

仮初のカリスマを崇めるしかない本土の凡人よ。見るがいい。これが本当のカリスマである。
『charisma』=天におわす神から賜ったモノである。…という意味があるのならば、地上を歩く我らが人間は、有難くその恩恵を頂戴する権利がある。
故に、神から授かったカリスマとは崇めたり、ましてや、依存したりするのではなく。人間が上手く使うモノであるにして。ナオトは正しく、その権利を行使しただけ。そして、文丘小学校の案件を解決に導いた。それだけ。
まあ、そんな小難しい講釈を垂れることより。ナオトには重要なことがある。


ー――本日も平和なり。いま、眼の前のRoom EL内の、こんな騒動の一つや二つ、些事である。何故なら…―――


「僕の最推しは、今日も尊いからです」




――fin.
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