第三章 カリスマ・アディクション
【翌日 職員室】
革命の風が吹き込んだ昨日とは打って変わって、職員室には、にわかな騒ぎと焦燥が滲み出ている。
職員室の隅に設置されている応接ソファーに腰かける藤井の眼の前には、同じく対面に座る警察職員と、嗚咽を零すエリゼ。そして、彼女の傍で床に直接、跪いて背中をさする、ナオト。藤井は一生懸命、状況を整理しようとする。警察職員に促されたエリゼが、昨夜、その身に起こったことを藤井に喋るため、泣きながらも必死に口を開いた。
「…じゅ、塾から帰ろうとしたら…、塾の出口の近くで、へ、変なおじさんが…ッ、私に近付いてきてッ…、私、怖くて動けなくて…、そうしたら海斗が「やめろ!エリゼに近付くな!」って叫んで…、そこでリュックにつけてる防犯ベルを鳴らしてくれて…、そうしたら、近くにいたお巡りさんと、塾の先生が、来てくれて…、……ひっく、ひぐ、えぇーーん!!怖かったよぉぉおーー!!」
想起させた恐怖が、とうとうエリゼの臨界点を越えた。抑えていた声が決壊し、彼女は泣き喚く。五年生。大人しい性格。受験勉強に勤しむ、聡い子。だが、それでも。エリゼは、まだ「子ども」だ。そして、子どもは大人が護るべき存在なのだ。
にもかかわらず。何処の誰とも知れぬ変質者が、彼女の心に『消えない傷』を植え付けた。その罪は、あまりにも重い。
海斗が鳴らした防犯ベルの音を聞きつけて、近くにいた警ら中の警察官はすぐに現場に駆け付けた。だが、あと一歩間に合わなかった。犯人はその場から逃げ去っていた。
だが、警察官はその後ろ姿を視認している。そして、現場に居た海斗から得た証言と照合すれば。――変質者は、中年の男、痩せ細った体躯、がらがらに枯れたの声の持ち主、濃い煙草の匂いがした、という情報が、くっきりと浮かび上がったのだ。
Room ELのメンバーは、他教員と共に、遠巻きに応接ソファーの一画を眺めている。…と、思えば。ツバサが手に持っていたRoom EL専用のタブレット端末が受信した通知を確認して、報告を始めた。
「ルカ、到着しました。文丘小学校の裏手の通用口を、通過。
職員室まで、あと二百メートル、…百八十メートル、…重量物を引き摺っている模様です。現着まで、あと百十メートル」
「おい、ツバサ。ルカが連れて行ったレオーネ隊はどうなっている?」
ツバサにソラが問いかける。文丘小学校にアンジェリカと共に派遣されているはずのレオーネ隊は、今は、此処に一体も居ない。ルカの方に寄越したのだ。だが。
「熱源が感知できないため、恐らく、ルカの傍には一体も居ません。…現着まで、あと五十メートル」
「ルカが作戦中に使い切ったか、…まあ、仕方がない」
どうやらレオーネ隊はルカに「使われた」らしいことを、ソラは察知した。彼はツバサの、ルカ到着のカウントをする声を背景に、琉一に向かって指示を飛ばす。
「琉一、職員室の扉を開けろ。アイツが自分で開けるわけがない。蹴り破られたりでもしたら、困る。ルカの秘書官の俺が、非常に困る」
「肯定します。少々お待ちく、―――否定、遅かったようです」
ガララーーンンッ!!
「ほらね?母さんが電話番なんてわざわざ言いつけなくても、結局、オレが動くコトになったでしょ?」
勢いが良すぎるほどに職員室の扉が開かれて、そこから入り込んでくるのは、目が覚めるような深青のロングポニーテールを揺らした、長身の美丈夫。あまりにも身長が高すぎて、股下が二キロメートルはありそうな、…そんなわけが無いのに、教員たちは一様にそう思った。
美丈夫―――ルカは、左手で簀巻きにした細身の男性を、文字通り、引き摺りながら、応接ソファーへと歩いてくる。その間も、ルカは喋るのを止めない。まるで、今この瞬間、この職員室が、ルカ専用の舞台になったかのようだ。
「とはいえ、『不審者探しを一晩でやってのけろ』なんて無茶なオーダー、オレにとっては自然なオーダーではあるケドね。まあ、ホルダーであるアリスちゃんからのお願いだったしさ。それなら一晩でやっちゃうよねえ。
でもさ、その子の学習塾の監視カメラの角度、ちょっとおかしいよ?あんな角度で、誰と何を映そうっていうの?オマケに古い型式のモノだし、ロクにメンテナンスもされてないしで、画像不明瞭極まる~って感じぃ~。オレじゃなきゃ見逃しちゃうね!
…というわけで、ほら、どうぞ?幼い命を危ぶんだ、汚い大人の欲望の塊だよ~」
ルカは応接ソファーのすぐ傍までやってきて。まるで飼い猫が獲物の鼠を、飼い主に見せびらかすかのように、簀巻きにされた細身の男を床に膝をつかせると、頭を引っ掴んで、その顔を上げさせた。―――瞬間、エリゼがナオトに縋りつき、更に大きな声で泣き叫ぶ。
間違いない。この男こそ、学習塾の前でエリゼに対して、不審な行動を見せた変質者だ。
職員室内の教員たちが、容疑者たる男に、侮蔑と軽蔑の視線を向ける。
その直後。簀巻きにされた状態で、変質者が、あひゃひゃひゃひゃひゃーーー!!!、と不気味で、且つ、甲高い大きな声で、笑い始めた。
さすがに不意を突かれたのか、誰もが変質者を見つめる中、彼はエリゼだけを見ながら、口を開く。
「かぁぁいいねええええ!!!!泣き顔も!!怯えた表情も!!誰かに縋るしかない弱いところもぉぉぉお!!かぁぁぁぁいいぃぃねええええええ!!!!
おれはお前みたいな『かぁいい子』が恐怖で引き攣る顔を見るのがだーーーいすきなんだァァァァァアア!!!!ひゃーーーはっはっはっはっはっはっ!!!!これだから「声かけ」は止めらんねぇぇぜぇぇえ!!!!あーーひゃっひゃっひゃっひゃっひゃ、―――ー……ひゃ…ぁ…ぁ…??」
変質者の歪んだ身勝手すぎる主張が叫び散らかしているのを、皆が茫然と聞くしかないなか。急にエリゼと変質者の間に割って入った、大きな体躯の影。どだんッ!、とわざと大きく立てた足音一つで、変質者は声を止め、簀巻きにされた自由の利かない首回りを目一杯に動かして、真直線に上を見やる。そこから、彼を見下ろす、大熊の如き、巨体。
――…熊見だ。いつものカッターシャツの上から羽織った、ファンシーな熊のフェルトが縫い付けられたエプロン姿。だが、腕組みをして、変質者を、ぎろり、と睨み下ろすその様には。まるで、不釣り合いで。否、むしろ、不釣り合いだからこそ、熊見の放つ覚悟と威圧が、際立っていて。
熊見は、ぽかん、と自分を間抜けな顔で見上げてくる変質者に向かって、言葉を紡ぐ。
「子どもの怯える顔がお好きとな?そのために「声かけ」をしていたと?
ほうほう、これはこれは、教職に就く人間としては、いかにも聞き捨てならない言葉が聞こえたものです。
子どもの怯える顔をさせないのが、私たち大人の役割。そしてその手段の一つとして行われる「声かけ」行動で、貴方は大人が守るべき子どもを―――…我が文丘小学校の女子児童を泣かせた、と。…そう仰るか?」
熊見はそこまで言うと、己の両手で簀巻きにされた男の両肩を持ち、ふんっ!、と一息で持ち上げて。無理矢理、自分の目線と同じ位置に、変質者の顔を持ってくる。
その光景に呆気に取られつつあるほぼ全員を尻目に、熊見は唸るような低い声で、怒気を紡いだ。
「許せませんな。ええ、到底、許せませんなぁ…!この熊見、教師人生最大の怒りを覚えております所存…!!
はて、それにしても、なんと細くて軽いお身体でしょうな?!毎日きちんと三食、食べておりますかな?!それとも、三度の飯より、子どもの怯える顔とやらを追いかける方がお忙しいのですかな?!
この家庭科歴二十五年の熊見が、お手製のオムライス定食、お野菜入りコンソメスープ付きでも、お出しして差し上げましょうか?!―――それが娑婆での最後の食事になっても宜しいのでしたらなァァッッ!!!!」
吼えた熊見によって、ギリギリギリ!、と両肩を彼の握力で圧迫されたことで、変質者が、うああ~~~!!、と痛みの悲鳴を上げる。
「今すぐお約束しなさい!!この熊見の前で!!二度と不埒な真似は行わないと!!」
「や゛く゛そ゛く゛し゛ま゛す゛ぅぅぅう゛う゛!!!!た゛す゛け゛て゛マ゛マ゛ァァァァ!!!!」
「…。咄嗟に助けを求める親御さんがいらっしゃるのであれば、このような愚行は繰り返さないことですな」
熊見は悲鳴を上げ続ける変質者を解放する意味を込めて、ルカを見た。ルカは、にこ、と笑って、簀巻きの変質者を担ぎ上げると、口を開く。
「ナオトから問題視されているカリスマ教師って、キミのことでしょ?オレからすれば、キミ、案外と『普通な先生』してるんじゃないかなあ。
まあ、オレみたいなモノには、人間のなかのヒエラルキーやカーストって、特に意味は持たないんだケド。
じゃあ、容疑者確定ってコトで、…ほら、そこの警察制服のキミたち?この簀巻きを豚箱に連れて行ってあげて?オレの本土の滞在可能時間のリミット、あと六十分、切ってるんだよね」
ルカの命令を受けた警察職員が、慌てたように動き出した。意味の分からないことを喚く簀巻きの変質者を引き渡された警察職員は、主任と校長に挨拶をした後、その場を辞していく。
「じゃあ、オレも帰るよ。もー、昨日から寝てないんだからー」
ルカはそう言うと、職員室を後にしようとして、その扉に手を掛けた、そのとき。
「あれ?この部屋の扉、ちょっと曲がってるね?此処の小学校ってば、扉一枚の修理費用まで捻出が出来ないの?」
きょとんとするルカに、ソラが呆れたように言葉を投げる。
「…それは、お前が実に勢い良く開けたせいで、扉が曲がったんだ。本土の於いて、お前の『勢い』に耐えられる一般的な備品など、存在しない。
よって、ルカ個体による物損と判定し、扉の修理費用は、来月のお前の給料から差し引かせて貰う」
ソラの台詞に、ルカは深青の瞳を、ぱちくり、とさせてから。「あーね」と零してから、曲がった扉を労るようにさすりつつ、口を開いた。
「ありゃまあ、オレが壊しちゃったのか。ごめんなさい。
ということで、ソラの言う通り、オレの給料から修理費用を受け取っておいて。それじゃあオレは、さっさと楽園都市へと帰るよ。お疲れさまでした〜」
曲がったが故に、歪な音を立てて開けられた扉の向こうへ。青色の異物は、颯爽と消えて行く。誰かが、「な、何だったんだ…?」と、ごく小さく呟いたのが聞こえた。
だが、そこに割って入る、穏やかな男声。―――ナオトである。
「熊見先生、お見事でした」
ナオトのその声を聞いた熊見は、ハッとした表情で彼を振り向いた。すると、事を静観していたアンジェリカが一歩前に出てきて、拍手を送る。
「本日も晴天なり。空は青く、雲は白く、波は高し。
己の巨体を活かした圧力の掛け方、されど、児童の心までは惑わせず。教師的立場からの言い分で、変質者側の言い分をへし折っておく。家庭科教師の矜持を保ち、且つ、それを武器に、相手を為すすべなく追及。
貴方、児童を守る教師として、立派だったわ。これぞ、天晴」
アンジェリカの評価と拍手が、静かな熱を以て、職員室内に浸透していって。…気が付けば、室内の皆が、熊見へ称賛の拍手を視線を送っていた。
「…わ、私を、評価してくださる…と…?」
「ええ、当たり前だわ。正当な仕事には、正当な報酬と評価を。それが仕事。それが会社組織。
少なくとも、この母は、貴方の仕事ぶりを、しかと見届けたわよ。誇りなさい、ひとの子よ。貴方は「生まれた責任」を遂行しているわ」
熊見は茫然としながらも、自身に向けられる惜しみない評価を、一身に浴びる。
すると。
「―――I am M.A.M.
この地の人間の「責任の遂行」を、確認。
本案件のために起動していたマム・システムを終了する」
アンジェリカが、そう独り言のように呟けば。彼女の両脚の機械義足が淡く発光した後。―――すぐに、元に戻った。
「マム・システムは、刹那の眠りについた―――。
―――よって、この弓野入アンジェリカが、本案件『クリーンアップ・ナイアガラ』の終了を、此処に宣言するわ。
皆、お疲れさま。よく頑張ったわね。これで母は胸を張って、弊社へ良い報告書を持って帰ることが出来る。ありがとう」
そう言うと。アンジェリカは、義足の片方を後ろに引き、頭を下げる。
人外級にして、絶対的母性の象徴である存在たる少女が魅せた、その優麗なカーテシーが、この物語の幕を下ろしたのだった。
to be continued...
革命の風が吹き込んだ昨日とは打って変わって、職員室には、にわかな騒ぎと焦燥が滲み出ている。
職員室の隅に設置されている応接ソファーに腰かける藤井の眼の前には、同じく対面に座る警察職員と、嗚咽を零すエリゼ。そして、彼女の傍で床に直接、跪いて背中をさする、ナオト。藤井は一生懸命、状況を整理しようとする。警察職員に促されたエリゼが、昨夜、その身に起こったことを藤井に喋るため、泣きながらも必死に口を開いた。
「…じゅ、塾から帰ろうとしたら…、塾の出口の近くで、へ、変なおじさんが…ッ、私に近付いてきてッ…、私、怖くて動けなくて…、そうしたら海斗が「やめろ!エリゼに近付くな!」って叫んで…、そこでリュックにつけてる防犯ベルを鳴らしてくれて…、そうしたら、近くにいたお巡りさんと、塾の先生が、来てくれて…、……ひっく、ひぐ、えぇーーん!!怖かったよぉぉおーー!!」
想起させた恐怖が、とうとうエリゼの臨界点を越えた。抑えていた声が決壊し、彼女は泣き喚く。五年生。大人しい性格。受験勉強に勤しむ、聡い子。だが、それでも。エリゼは、まだ「子ども」だ。そして、子どもは大人が護るべき存在なのだ。
にもかかわらず。何処の誰とも知れぬ変質者が、彼女の心に『消えない傷』を植え付けた。その罪は、あまりにも重い。
海斗が鳴らした防犯ベルの音を聞きつけて、近くにいた警ら中の警察官はすぐに現場に駆け付けた。だが、あと一歩間に合わなかった。犯人はその場から逃げ去っていた。
だが、警察官はその後ろ姿を視認している。そして、現場に居た海斗から得た証言と照合すれば。――変質者は、中年の男、痩せ細った体躯、がらがらに枯れたの声の持ち主、濃い煙草の匂いがした、という情報が、くっきりと浮かび上がったのだ。
Room ELのメンバーは、他教員と共に、遠巻きに応接ソファーの一画を眺めている。…と、思えば。ツバサが手に持っていたRoom EL専用のタブレット端末が受信した通知を確認して、報告を始めた。
「ルカ、到着しました。文丘小学校の裏手の通用口を、通過。
職員室まで、あと二百メートル、…百八十メートル、…重量物を引き摺っている模様です。現着まで、あと百十メートル」
「おい、ツバサ。ルカが連れて行ったレオーネ隊はどうなっている?」
ツバサにソラが問いかける。文丘小学校にアンジェリカと共に派遣されているはずのレオーネ隊は、今は、此処に一体も居ない。ルカの方に寄越したのだ。だが。
「熱源が感知できないため、恐らく、ルカの傍には一体も居ません。…現着まで、あと五十メートル」
「ルカが作戦中に使い切ったか、…まあ、仕方がない」
どうやらレオーネ隊はルカに「使われた」らしいことを、ソラは察知した。彼はツバサの、ルカ到着のカウントをする声を背景に、琉一に向かって指示を飛ばす。
「琉一、職員室の扉を開けろ。アイツが自分で開けるわけがない。蹴り破られたりでもしたら、困る。ルカの秘書官の俺が、非常に困る」
「肯定します。少々お待ちく、―――否定、遅かったようです」
ガララーーンンッ!!
「ほらね?母さんが電話番なんてわざわざ言いつけなくても、結局、オレが動くコトになったでしょ?」
勢いが良すぎるほどに職員室の扉が開かれて、そこから入り込んでくるのは、目が覚めるような深青のロングポニーテールを揺らした、長身の美丈夫。あまりにも身長が高すぎて、股下が二キロメートルはありそうな、…そんなわけが無いのに、教員たちは一様にそう思った。
美丈夫―――ルカは、左手で簀巻きにした細身の男性を、文字通り、引き摺りながら、応接ソファーへと歩いてくる。その間も、ルカは喋るのを止めない。まるで、今この瞬間、この職員室が、ルカ専用の舞台になったかのようだ。
「とはいえ、『不審者探しを一晩でやってのけろ』なんて無茶なオーダー、オレにとっては自然なオーダーではあるケドね。まあ、ホルダーであるアリスちゃんからのお願いだったしさ。それなら一晩でやっちゃうよねえ。
でもさ、その子の学習塾の監視カメラの角度、ちょっとおかしいよ?あんな角度で、誰と何を映そうっていうの?オマケに古い型式のモノだし、ロクにメンテナンスもされてないしで、画像不明瞭極まる~って感じぃ~。オレじゃなきゃ見逃しちゃうね!
…というわけで、ほら、どうぞ?幼い命を危ぶんだ、汚い大人の欲望の塊だよ~」
ルカは応接ソファーのすぐ傍までやってきて。まるで飼い猫が獲物の鼠を、飼い主に見せびらかすかのように、簀巻きにされた細身の男を床に膝をつかせると、頭を引っ掴んで、その顔を上げさせた。―――瞬間、エリゼがナオトに縋りつき、更に大きな声で泣き叫ぶ。
間違いない。この男こそ、学習塾の前でエリゼに対して、不審な行動を見せた変質者だ。
職員室内の教員たちが、容疑者たる男に、侮蔑と軽蔑の視線を向ける。
その直後。簀巻きにされた状態で、変質者が、あひゃひゃひゃひゃひゃーーー!!!、と不気味で、且つ、甲高い大きな声で、笑い始めた。
さすがに不意を突かれたのか、誰もが変質者を見つめる中、彼はエリゼだけを見ながら、口を開く。
「かぁぁいいねええええ!!!!泣き顔も!!怯えた表情も!!誰かに縋るしかない弱いところもぉぉぉお!!かぁぁぁぁいいぃぃねええええええ!!!!
おれはお前みたいな『かぁいい子』が恐怖で引き攣る顔を見るのがだーーーいすきなんだァァァァァアア!!!!ひゃーーーはっはっはっはっはっはっ!!!!これだから「声かけ」は止めらんねぇぇぜぇぇえ!!!!あーーひゃっひゃっひゃっひゃっひゃ、―――ー……ひゃ…ぁ…ぁ…??」
変質者の歪んだ身勝手すぎる主張が叫び散らかしているのを、皆が茫然と聞くしかないなか。急にエリゼと変質者の間に割って入った、大きな体躯の影。どだんッ!、とわざと大きく立てた足音一つで、変質者は声を止め、簀巻きにされた自由の利かない首回りを目一杯に動かして、真直線に上を見やる。そこから、彼を見下ろす、大熊の如き、巨体。
――…熊見だ。いつものカッターシャツの上から羽織った、ファンシーな熊のフェルトが縫い付けられたエプロン姿。だが、腕組みをして、変質者を、ぎろり、と睨み下ろすその様には。まるで、不釣り合いで。否、むしろ、不釣り合いだからこそ、熊見の放つ覚悟と威圧が、際立っていて。
熊見は、ぽかん、と自分を間抜けな顔で見上げてくる変質者に向かって、言葉を紡ぐ。
「子どもの怯える顔がお好きとな?そのために「声かけ」をしていたと?
ほうほう、これはこれは、教職に就く人間としては、いかにも聞き捨てならない言葉が聞こえたものです。
子どもの怯える顔をさせないのが、私たち大人の役割。そしてその手段の一つとして行われる「声かけ」行動で、貴方は大人が守るべき子どもを―――…我が文丘小学校の女子児童を泣かせた、と。…そう仰るか?」
熊見はそこまで言うと、己の両手で簀巻きにされた男の両肩を持ち、ふんっ!、と一息で持ち上げて。無理矢理、自分の目線と同じ位置に、変質者の顔を持ってくる。
その光景に呆気に取られつつあるほぼ全員を尻目に、熊見は唸るような低い声で、怒気を紡いだ。
「許せませんな。ええ、到底、許せませんなぁ…!この熊見、教師人生最大の怒りを覚えております所存…!!
はて、それにしても、なんと細くて軽いお身体でしょうな?!毎日きちんと三食、食べておりますかな?!それとも、三度の飯より、子どもの怯える顔とやらを追いかける方がお忙しいのですかな?!
この家庭科歴二十五年の熊見が、お手製のオムライス定食、お野菜入りコンソメスープ付きでも、お出しして差し上げましょうか?!―――それが娑婆での最後の食事になっても宜しいのでしたらなァァッッ!!!!」
吼えた熊見によって、ギリギリギリ!、と両肩を彼の握力で圧迫されたことで、変質者が、うああ~~~!!、と痛みの悲鳴を上げる。
「今すぐお約束しなさい!!この熊見の前で!!二度と不埒な真似は行わないと!!」
「や゛く゛そ゛く゛し゛ま゛す゛ぅぅぅう゛う゛!!!!た゛す゛け゛て゛マ゛マ゛ァァァァ!!!!」
「…。咄嗟に助けを求める親御さんがいらっしゃるのであれば、このような愚行は繰り返さないことですな」
熊見は悲鳴を上げ続ける変質者を解放する意味を込めて、ルカを見た。ルカは、にこ、と笑って、簀巻きの変質者を担ぎ上げると、口を開く。
「ナオトから問題視されているカリスマ教師って、キミのことでしょ?オレからすれば、キミ、案外と『普通な先生』してるんじゃないかなあ。
まあ、オレみたいなモノには、人間のなかのヒエラルキーやカーストって、特に意味は持たないんだケド。
じゃあ、容疑者確定ってコトで、…ほら、そこの警察制服のキミたち?この簀巻きを豚箱に連れて行ってあげて?オレの本土の滞在可能時間のリミット、あと六十分、切ってるんだよね」
ルカの命令を受けた警察職員が、慌てたように動き出した。意味の分からないことを喚く簀巻きの変質者を引き渡された警察職員は、主任と校長に挨拶をした後、その場を辞していく。
「じゃあ、オレも帰るよ。もー、昨日から寝てないんだからー」
ルカはそう言うと、職員室を後にしようとして、その扉に手を掛けた、そのとき。
「あれ?この部屋の扉、ちょっと曲がってるね?此処の小学校ってば、扉一枚の修理費用まで捻出が出来ないの?」
きょとんとするルカに、ソラが呆れたように言葉を投げる。
「…それは、お前が実に勢い良く開けたせいで、扉が曲がったんだ。本土の於いて、お前の『勢い』に耐えられる一般的な備品など、存在しない。
よって、ルカ個体による物損と判定し、扉の修理費用は、来月のお前の給料から差し引かせて貰う」
ソラの台詞に、ルカは深青の瞳を、ぱちくり、とさせてから。「あーね」と零してから、曲がった扉を労るようにさすりつつ、口を開いた。
「ありゃまあ、オレが壊しちゃったのか。ごめんなさい。
ということで、ソラの言う通り、オレの給料から修理費用を受け取っておいて。それじゃあオレは、さっさと楽園都市へと帰るよ。お疲れさまでした〜」
曲がったが故に、歪な音を立てて開けられた扉の向こうへ。青色の異物は、颯爽と消えて行く。誰かが、「な、何だったんだ…?」と、ごく小さく呟いたのが聞こえた。
だが、そこに割って入る、穏やかな男声。―――ナオトである。
「熊見先生、お見事でした」
ナオトのその声を聞いた熊見は、ハッとした表情で彼を振り向いた。すると、事を静観していたアンジェリカが一歩前に出てきて、拍手を送る。
「本日も晴天なり。空は青く、雲は白く、波は高し。
己の巨体を活かした圧力の掛け方、されど、児童の心までは惑わせず。教師的立場からの言い分で、変質者側の言い分をへし折っておく。家庭科教師の矜持を保ち、且つ、それを武器に、相手を為すすべなく追及。
貴方、児童を守る教師として、立派だったわ。これぞ、天晴」
アンジェリカの評価と拍手が、静かな熱を以て、職員室内に浸透していって。…気が付けば、室内の皆が、熊見へ称賛の拍手を視線を送っていた。
「…わ、私を、評価してくださる…と…?」
「ええ、当たり前だわ。正当な仕事には、正当な報酬と評価を。それが仕事。それが会社組織。
少なくとも、この母は、貴方の仕事ぶりを、しかと見届けたわよ。誇りなさい、ひとの子よ。貴方は「生まれた責任」を遂行しているわ」
熊見は茫然としながらも、自身に向けられる惜しみない評価を、一身に浴びる。
すると。
「―――I am M.A.M.
この地の人間の「責任の遂行」を、確認。
本案件のために起動していたマム・システムを終了する」
アンジェリカが、そう独り言のように呟けば。彼女の両脚の機械義足が淡く発光した後。―――すぐに、元に戻った。
「マム・システムは、刹那の眠りについた―――。
―――よって、この弓野入アンジェリカが、本案件『クリーンアップ・ナイアガラ』の終了を、此処に宣言するわ。
皆、お疲れさま。よく頑張ったわね。これで母は胸を張って、弊社へ良い報告書を持って帰ることが出来る。ありがとう」
そう言うと。アンジェリカは、義足の片方を後ろに引き、頭を下げる。
人外級にして、絶対的母性の象徴である存在たる少女が魅せた、その優麗なカーテシーが、この物語の幕を下ろしたのだった。
to be continued...