第三章 カリスマ・アディクション

【翌日 文丘小学校 職員室】

アンジェリカが要請した人員は、約束通り、文丘小学校の職員室へと到着する。

「ROG. COMPANY 特殊対応室、ルカ三級高等幹部専属秘書官、ソラだ」
「同じく、ルカ三級高等幹部直属事務員、ツバサでございます」
「特殊対応室の顧問弁護士、琉一=エリト=ステルバスです」

――――なんか、凄そうなのが、来た――――……!!??

自己紹介をしただけのRoom ELのソラ、ツバサ、琉一を前にして、教員たちの心が一つになる。…三人はまだ、自己紹介をしているだけなのに。

まずはソラが口を開く。

「先んじて、申し開きをしておく。こちらの琉一弁護士の二挺拳銃については、どうぞ寛容な態度をお願いしたい。彼は正式に武装が許可されている人間につき、簡単に武装が解けない存在となっている。そこに立っているレオーネ隊のロボット兵たちとは、まるで訳が違うことを、どうか心の隅に置いて頂きたい。
 だが、その代わりに、琉一弁護士に於いては、有事の際以外、職員室からは一歩も出さないことを約束する」

ソラの台詞の通り、職員室の皆が琉一の太腿に嵌っているホルスターへと向いた。皆が皆、ヒルカリオには特殊なルールが敷かれているのは知っているが、それが本土に在る、この文丘小学校内に適応される日が来るとは思わず、眼を剥いている。

次は、ツバサの番だった。彼女はRoom EL専用のタブレット端末を片手に、淡々と告げる。

「事前に計画してきましたところ、我々三人の役割は、文丘小学校職員室の潤滑油になることを、ゴールとしています。
 その傍らで、弓野入一級高等幹部とナオト先生には、職員室の外、すなわち、児童たちに対するケアと聞き取り調査を担います。
 弓野入一級高等幹部の容姿については、我々は特に問題視はしておりません。何故なら、彼女自身が気にしていないこと、そして、文丘小学校の児童たちが持つ無限の柔軟性を、我々は夢と希望を造る玩具会社の社員として、心の底より信じているからです」

ツバサの言葉に、教員たちは、職員室の空気が入れ替わるような気持ちになった。
その光景を見たナオトのオッドアイが微笑みで細まる。

―――…まずは、最初の一手。


*****


【数時間後 職員室】

職員室内は、目まぐるしい改革に見舞われていた。

まず動きを見せたのは、事務員のツバサ。豊満なバストが目を引くだけの、ぱっとしない印象、むしろ光の差さない緑眼が虚ろなまである彼女が、始めたのは。文丘小学校の事務処理系に関する、データ処理ソフトが入ったパソコンのアップデート。文丘小の歴代の事務係が代替わりをする度に、ロクな引き継ぎ業務をせず、結局、個人が勝手に弄り回した結果の果てに生まれた、煩雑極まるパソコン画面。誰もが触るのを躊躇っていたそれに、ツバサは真っ先に手を付けた。
高速タイピングと、キーボードのショートカットキーを駆使するツバサは、容量を無駄に食っているだけの不要なソフトの削除から始め、どれが何を意味するのかも分かっていなかったショートカットアイコンたちを、用途別に仕分けて。必要な書類やデータが揃ったものから、誰が見ても分かるようなシンプルな名前を付けたファイルへと、カテゴリー別に入れ込んでいく。その様、まるで自宅の本棚を整理するが如く。
ぱっとしない女性事務員、な印象だったはずのツバサは、このとき既に教員たちから。救いの天女が後光を差して現れた、とでも表現するべき、尊敬の眼差しを向けられていたのだった。

次に、琉一。神経質そうな瞳、度が入っている眼鏡、立ち姿勢は軍人みたいなそれに加えて、彼は何といっても「弁護士」。これらを加味すれば、琉一はてっきり法律を盾に調査をするのだと誰もが思っていたが。…彼が提案したのは意外なものだった。それは、『保護者からの苦情の電話窓口(※臨時)』。

「はい、文丘小学校職員室、臨時電話窓口でございます。…はい、三年二組の浅田龍太くんのお母様でいらっしゃると、…はい、お箸の持ち方?それを小学校で訓練せよと?
 ………、…なるほど、そちらの言い分は理解いたしました。よって、僭越ながら進言をいたします。
 小学校というのは教育施設。これは現法の上に定められた条件を満たしたものとなります。ですが、教育と躾は、概念上、切り分けられるべき。よって、家庭と学校における教育は、ひとの思念と主義の上で区別されるべきです」

恐るべき、正論の弾丸。普通の教員ならば、此処までは言えない。否、胸中で思っていても、言えるわけがないのだ。教員というには、ひとの子を教育する立場に居ながらも、その職務の価値がイマイチ伝わっていない舞台の上のモノ。苦情の入電中に反論しようものならば、「たかが教師風情が!」(※正当な免許が必要な仕事です)、「まともに子育てしたことないくせに!」(※若干のおまいう感)、「○○くらい学校でやって貰わないと困るんだよ!」(※それは各ご家庭でお願いします)と、それはもう精神的な修羅場が、血祭り状態になる。
だが、教員たちの視線の先の琉一は、実に真面目に、誠実に、正当に。事実と現実と真実を述べ続ける。そう、述べているだけ。押し付けも、押し通しもしない。
彼が耳に宛てている受話器から、何か怒鳴り声めいたものが漏れ聞こえてくる。

「否定します。貴女様は、最後まで自分の話を聞くべきです。此処で電話を貴女様側から遮断するのは、学校側である自分の主張を最後まで聞かなかったことになり、それは司法の場に於いて、非常に不利となります」

琉一がそう毅然と、自然と、返した瞬間。受話器越しの怒鳴り声が、急に静かになった。彼は続ける。

「…して、お話の続きですが、お箸の持ち方の訓練、というのは、概念上、家庭での教育と仕分けられます。現法上、小学校で使用されている教科書には「箸の持ち方」に関する教育は掲載されておりません。よって、お箸の持ち方の訓練は、家庭に行われるのが道理であり、合理。……はい、もうよろしいでしょうか。…ご納得を頂けたのであれば、何よりです。この度は貴重なご意見ありがとうございます」

そこまでやり取りを終えて、琉一は受話器が置いた。彼が涼しい顔で電話内容を書き込むテンプレートに情報を書き込むのを見て。…これが今後の苦情に繋がりはしないか、という不安は、最早、誰も抱かなかった。

最後に、ソラ。黒色の髪の毛は、毛先に行くにつれて緑色のグラデーション。翡翠の眼は冷たい光が宿るが、それが味方ともなれば安心感が凄まじい。左眼下の古傷は…?但し、自他共に認めざるを得ない、一際、見目が麗しいその男の顔立ちに見惚れるのも、束の間。ただの泡沫。
ソラは溜まりに溜まっては、計算や報告が滞っていた経費関連の伝票たちを、大きなクリップで一纏めにしたかと思えば。それを左手で爆速で捲りながら、空いた右手では豪速で計算機を叩き始めたではないか。皆が目を見開くなか、あれよあれよと伝票計算は終わり、ソラはツバサが新しく組み直した関数が入った計算表に、その数値を叩き込む。およそ三ヶ月分の経費関連の伝票は、ソラの手により、たったの七分で綺麗に整理、計上された。
それが終わるや否や。琉一が上げてきた苦情電話の報告書の複数枚を一気に検めて、「主任の確認印を貰うように」と、その辺の教員に指示を出す。指示と共に報告書を受け取った教員は、何処か夢見心地な顔で、主任のデスクへと向かって行く。いつもなら、誰もが後回しにするような雑務だというのに。

他教員と共に、それらの光景の全てを眺めていた熊見は、茫然としていた。すると。

「ちょっと、貴方。よろしいかしら?」

アンジェリカが、熊見の隣に急に現れて、彼に声を掛ける。驚きの余り、悲鳴も上げられない熊見は、ただただ震えて、アンジェリカを見下ろすだけ。彼女はそんな熊見の様子など知らないとばかりに、手に持っていたものを差し出す。それは、『校内見学者』と印字されたカードが入った名札であった。

「貴方は、本日は休日扱いにして、この校内を見学をする立場のモノ。これを首から提げて、己の立場を明確に提示しておきなさい」
「…は、はい…」

アンジェリカの言うことは正しい。最早、熊見が反論できる隙間は、何処にも無かった。
そしてアンジェリカは、自分の更に後ろに控えていたナオトを振り返ると、彼に向かって、指示を飛ばす。

「次は、エリゼという子の証言を確かめなくては。私たちが入り込む授業は、一体なにかしら?」
「五年生の図工になります。エリゼさんの「焦るとハサミが上手く扱えない」という旨の発言から、僕が推測した仮説の裏を取りたいのです」
「把握したわ。では、エリゼちゃんの相手は、ナオトくんに任せるわ。他の子の注意を引くのは、この母にお任せなさい」
「はい、よろしくお願いいたします」

そう応酬していたアンジェリカとナオトは。間も無く、授業に向かう準備を終えた、五年生の図工担当である藤井に呼ばれた。
廊下を歩く三人の後ろを、熊見の大きな体躯が、とぼとぼ…、とついていく。


【図工室】

「初めまして。私は、弓野入アンジェリカよ。皆と楽しいモノづくりがしたくて、本日、こちらの図工の時間にお邪魔させて貰うわ。よろしくね」

そう手短に自己紹介したアンジェリカは、藤井が心配していた児童の混乱や不安を、特に引き起こすことはなく。ごくごく自然と、五年生の児童たちの輪の中へと入り込んでいった。ツバサの言った通り、彼女の特異な容姿に関しては、子どもたちは別段気にしていない様子である。むしろ、「ちょっと年上の優しいお姉さんが遊んでくれる」という事実が、図工の授業の楽しさを、良い意味で嵩上げしてくれているぐらいである。
きゃいきゃい、と楽しそうに、児童たちとコラージュ作品を一緒に生み出す、その光景。藤井の眼には、アンジェリカという存在が、大手玩具会社から派遣されてきた超常的な役員である事実は、とうに理解はすれど、極端に恐れ戦くような畏怖の存在には思えない。
一方で。ナオトはエリゼの隣で、彼女とその輪の中で静かな談笑をしながら、アンジェリカ同様に、共にコラージュ作品を生み出そうとしていた。

「エリゼさん、此処には何色の紙をあてたいですか?」
「うーん、と…、あ、青色かな?隣の黄色と補色になって、きっと綺麗!」
「まあ、補色だなんて知識を、既にご存じですか」
「前に、海斗が、塾の前に教えてくれたんです。色には、対になっている色が存在するんだって」
「そうですか」

エリゼが、ナオトの意図しないタイミングで、ストレス源の一つになっているであろう「塾仲間の海斗」の話題を出した。一瞬、警戒したナオトだったが。エリゼの手元を注意深く観察していれば、それも杞憂だと分かる。今の彼女は、かなりリラックスした状態で、丁寧にハサミを扱っていたから。先に聞いたような「手の震え」や「焦り」などは伺えない。
これさえ確認が出来れば、ナオトにはもう十分だった。

図工室の全体を俯瞰している藤井は、素直に驚き、そして、そんな己の感情も、きちんと受け止めていた。

―――あんなにも自然に、子どもたちの「今」の中に入り込める大人が、この世に居るなんて…、と。

その反面。
図工室の片隅で、パイプ椅子に座って、茫然自失と室内を見渡すだけの熊見の姿に。藤井は、何処か、胸の痛みに似たナニかを覚えたのである。



to be continued...
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