第二章 Rumble Angel, Silent Devil

【二日後 Room EL】

約束通り、Room ELへと来訪したミセス・リーグスティは。まず、ソラが作成したグレイス隊、レオーネ隊の運用に関する、完璧な報告書を受理。それから、各隊の訓練状況を観察。そして、今度は自ら、武装関連の運用データを検めたいと申し出たが、そこはルカが正式に却下とした。曰く、「さすがに当室の機密事項に当たるから、そこを外部の人間に見せるわけにはいかないな~」とのこと。

そして、ミセス・リーグスティは現在、再び案内されたRoom ELにて、出された紅茶を口にしている。隙のない所作に見えるが、ルカには分かっていた。―――先ほどまで居なかった存在に、意識が捕らわれつつあることに。だが、彼女はその感情の振れ幅を見せまいとしている。ティーカップから唇を離したミセス・リーグスティは、感激したように零した。

「まあ、美味しい。私の大好きな、レミサレ・ブレンドをご用意して頂けたどころか、その淹れ方まで完璧だなんて。是非、うちの使用人にも、ご教授願いたいですわ」

称賛はすれど、その瞳は然程に笑っていない。むしろルカの視界には、「眼前の三級高等幹部の相手だけをしたい」という自己暗示を、ミセス・リーグスティ自身が、一生懸命に己に掛けようと足掻いているようにしか映らないのである。だからこそルカは、敢えて人間らしく、揺さぶりをかけてみた。

「オレに向かって褒めるんじゃなくて、その紅茶を淹れた相手を褒めてくれると、嬉しいかな」
「では、その誉れ高き御仁は、何処に?」
「キミの左斜め四十八.三度の方角に立っている、オレの専属秘書官だよ。ちなみにこの紅茶に合う茶菓子のリサーチは、右斜め五十度に立っている、うちの新任の顧問弁護士。茶器の選定は、アリスちゃんの隣に座っている、このたび復権した一級高等幹部の、弓野入アンジェリカ。俺の母さんだよ」
「あらまあ、随分とお若いお母様だこと。ですが、ルカ三級高等幹部は、軍事兵器でしょうに。まさか、母なる胎から生まれ出た存在だったと、新しく証明されたとでも?」

ルカの言葉を一笑に付したつもりのミセス・リーグスティだったが。対面から聞こえてきた、クス…、という密やかな笑い声を聞き逃しはしなかった。誰であろうと説明することもない。アンジェリカである。
アンジェリカの同席は、ソラのセッティングによるものだ。名目上の視察を終えた後のお茶会の席で、彼女が割り込んできた場合。ミセス・リーグスティは、どういった反応をするのか。そして、アンジェリカはどのような対応をしてくれるのか。ソラは是非とも、拝見したかったのである。

案の定。レミサレ・ブレンドでは邪道とされる、ミルクを入れたティーカップを傾けながら、アンジェリカは、暗に自分に話題を振ってきたミセス・リーグスティへと口を開いた。

「ひとの子は、皆、母の胎から生まれる。それまさしく、世の常識、自然の掟、現代社会の楔。
 でも、おかしいことを言うわ。ルカを軍事兵器と正しく認識しているのならば、この母が胎を痛めて産み落としたはずがないというのに。まさか、私の両脚だけを見て、「機械仕掛けの女が、その体内に、同じく機械仕掛けの子の命を孕んだ」とでも考えたのかしら?」

アンジェリカの台詞の重みは、圧倒的である。ミセス・リーグスティが否応が無く、彼女へと意識を向けざる得なくなった姿を見て、ルカは音もなく、笑った。

ミセス・リーグスティが、アンジェリカへと言う。

「この現代に必要なものは、多様性、柔軟性、そして先人たちへの敬意。
 明らかに幼い少女にしか見えない弓野入一級高等幹部が、成人男性の姿をしたルカ三級高等幹部の母親を名乗ること、私は否定はしませんわ。…でも、「同じ母親としての立場」となると、…話は別でしてよ」
「あら、そう。なら、その別のテーマを、どうぞ、ご披露して頂戴」

アンジェリカは、全く動じない。それどころか、会話の主導権を握ろうともしている。ルカは止めない。そして、此処の室長であるルカが止めないとなれば、後の誰もストップなどかけない。
ミセス・リーグスティは、レミサレ・ブレンドでは王道とされる、レモンを浮かべたティーカップを置いてから、―――ルカとアンジェリカに挟まれる形で座っている、ツバサと目線を合わせた。

「ツバサさん、と言うそうね。いいえ、そう名乗っている…。
 先日は、私の息子と娘が、お世話になりましたわ。息子にはよく言い聞かせましたので、今後はあのような愚行は二度と起こらない、…いいえ、母として、起こしたくない所存です」
「…。」

ツバサは答えない。高等幹部付きとは言え、ただの事務員が、自社の取引相手である社長へ取る態度にしては、些か不遜である。だが、ミセス・リーグスティは気にしていないと言う風に、続けた。…否、続けることを許された。

「我が子を母が胎を痛めて産むというテーマは、―――私こそ、その答え。
 
 ツバサさん、―――…いいえ、彩葉(いろは)。
 私が、このイヴェット・リーグスティが、貴女の母親よ」

―――爆弾が、落とされた。
ソラの手がバタフライナイフに伸びかけて、琉一の指先が銃のホルスターをなぞった、そのとき。

ツバサの声が、静かに響く。

「そうですか」

その言葉には、一点の曇りも無ければ、動揺すら感じ取れない。だが、ツバサの陰鬱な緑眼は、確かにミセス・リーグスティに対して、何らかの複雑な感情を抱いていた。

そこでルカが優しく、しかし確固たる声音で締める。

「お茶もなくなったし、そろそろお引き取り願うよ、ミセス・リーグスティ。次はもっと正式な議題と、必要な書類や道具を持ってきて貰えると、助かるかな。
 いくら自分がトルバドール・セキュリティーのトップだからって、軍事兵器のオレの前で、そのホルダーであるアリスちゃんの情報を好き勝手に開示するのは、決して褒められない行為だよ。
 次は無い、と思って?」
「ご忠告、ありがとうございます。ですが、私が彩葉の母親であることは、絶対的な事実。それに、彩葉は必ず、この私のもとに帰ってくることになります。ルカ三級高等幹部、貴方の手元から離れて…」

ミセス・リーグスティの返答を聞いたルカが、僅かに目元を細めた。だが、その口元はゆるりと弧を描く。そして、ミセス・リーグスティは、ツバサを見て、口を開いた。

「…逃れられないと思いなさい、彩葉。
 子にとって、母親の言うことは絶対なのよ」

そう言ったミセス・リーグスティが退席のために立ち上がった瞬間、ツバサがまるで囁くように、彼女に向かって呟く。

「貴女が私の母だと言うのなら…、最後は自分のもとに戻ってくると言い切るなら、―――…どうして、私を捨てたんですか?」

ピタリと止まる、ミセス・リーグスティのヒールの音。
そして彼女は、肩越しに視線を寄越して、ツバサへと言葉を返した。

「彩葉。お母様は、…私は、―――幸せになりたかったの。ただ、それだけよ」
「…。私の名前は、ツバサです」

ミセス・リーグスティの言葉にそう返したツバサは、彼女がRoom ELから退室するまで、背筋を伸ばして、立っていた。
が、それも長くは持たず。ミセス・リーグスティが完全に去ったのを確認したと同時に、ツバサは膝からくずおれて、―――しかと抱き留めたルカの腕の中で、泣いた。


――――…。

【定時過ぎ 社長室】

ルカ、ソラ、琉一が出してきた「残業手当申請書」に直にサインをしつつ、他にも必要なタスクをこなしながら。レイジは、録画されていた昼間のRoom ELの有り様を、パソコン画面で眺めていた。

「やーっぱし、食いついてきた…。姉ちゃんの元弁護士に、口止め料として渡したカネが溶かされたクラブが、一晩で潰されて…。そこの現場処理に来たロボット兵が、俺の指揮のモノ…、となったらさあ…、そりゃ、まあ、ウチにカチコミしたくなるってもんよな…」

…レイジが言っている台詞の意味は、こうだ。

木島の借金の出所を確認する名目だったにせよ、結局、クラブ「ROYALBEAT」そのものを文字通り、潰す羽目になってしまった。その張本人であるソラと琉一は、Room EL所属。そして、クラブでの騒ぎの現場処理は、ROG. COMPANYの社長であるレイジが指揮権を持つ、イルフィーダ隊が行った。

騒ぎを聞いたミセス・リーグスティからすれば、決して、捨て置いて良い現状ではない。

レイジの言及通り、ツバサの元弁護士である木島は、ミセス・リーグスティから多額の口止め料を貰っていた。だが、それに目が眩んで、クラブで多額の借金を作り上げた結果、弁護士の職を追われ、今や本土で日雇いバイトにて食い繋ぐ日々へ。舞台から転落した人間のことまでは監視していなかったのだろう。ミセス・リーグスティは焦ったのだ。木島のカネの流れが自分だと知れたとして、万が一、ROG. COMPANY本社を通じて、ルカが国家に報告でもしたなら…。転落するのは、ミセス・リーグスティの方になる。
だから、彼女はどうしても先手を打ちたくて、ツバサの母親であるという情報を、Room ELのメンバーに開示してきた。勿論、これがホラではないことは、現在、裏取りを進めている。が、十中八九、真実だろう。
『ルカのホルダーであるALICE』=『ツバサ』が、自分の実の娘である、ということをカードにして、ルカが余計な動きを取れないように策略を巡らせてきた。

レイジが、クラブでの騒動が起きる、あの夜の前。ルカからレオーネ隊の出動を申告されたとき。彼は、おおよそこうなると思って、敢えてイルフィーダ隊を動かす決断を下した。…ただ一点、全くの予想外があったとすれば。それはやはり、「ツバサが、ミセス・リーグスティの娘だった」、という情報。ミセス・リーグスティがツバサに関する重要な情報を握っている存在であるところは、ある程度まで予想が出来ていた。そもそも軍事兵器であるルカの周辺の情報は、基本的に、国家レベルで管理されている。ならば、ルカそのものを檻として繋いでいる、このROG. COMPANYと提携しているトルバドール・セキュリティーのトップたる彼女が、ルカに関しては何も知らないです、とは、まずならないのである。そこに賭けたレイジだったのだが…、…規格外の大きさの獲物が釣れた。自らが姉と慕う、唯一無二の同士にして、大切な友人の涙と一緒に。

「まあ、ルカ兄の行動理念は、あくまで『ホルダー自身を傷付けないこと』だから…。その血縁関係になるミセス・リーグスティも、ソラさんも、関係ないっちゃない。……って問題でもねえーわーー……。あー…、姉ちゃん、ごめん…。ホント、ごめん…。アンタを泣かす気なんて、俺、無かったよー…」

そう嘆きながら、社長室の天井を仰ぐレイジ。彼がツバサの涙の誘因になんてなりたくなかったのは、至極当然である。だが、それ以上に嘆かわしいことが、眼の前に広がっている気が、レイジにはした。

「…、幸せになりたいとか抜かして…、自分から手を離したくせに…、…今更、母親ヅラとか…」

苦々しい思いで、そう零したレイジは、知っている。子にとって親は、唯一の存在。だが親にとって子は、時に所有物同然。少なくとも、レイジは実父・ジョウに見向きもされなかったがために、此処に至るまで、ルカに育てられてきたも同然の人生を送ってきた。というか、レイジにとっては既に『育ての親』=『ルカ』と、認識済みだ。ルカが軍事兵器としての厳しく重たい制約さえなければ、戸籍にまで言及したいくらいには。
だからこそ、レイジは。ミセス・リーグスティの身勝手な言動が、許せない。都合良く見放しておきながら、いざ都合が悪くなってきたら、「親だから」と主張して、子を抑えつけようとしてくる。その光景は、レイジはジョウを前にして、幾度となく体験してきた。

(…俺が散々、味わってきた、あんな思いは…―――)

サインを書き終えたペンを置き、レイジはその手で、オニキス将軍のアクリルスタンドを持ちあげる。

「―――この世界に、正しき革命をもたらさん」

レイジの最推し・オニキス将軍が、作中で常に掲げる言葉。レイジは今一度、それを自分の口から音にして、己の胸に刻むのだ。

反撃の旗は、最初は身幅が小さくとも。それはいつだって、このヒルカリオの頂上から振られる。
喧騒を愛する天使と、沈黙に祈る悪魔。再び暗雲が立ち込め始めた、この楽園都市の未来を切り開くのは、果たしてどちらか―――…。




――fin.
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