第二章 Rumble Angel, Silent Devil
【ヒルカリオ アヴァロンタワーβ】
ヒルカリオには、『双子の塔』と呼ばれる、一等級のタワーマンションが建っている。それが、『アヴァロンタワー』。双子と呼ばれているのは、四十五階建てのビルがふたつ、互いに三百メートル以内に聳え建っていることから。そして、このふたつの塔を区別するため、それぞれのビルに『α(アルファ)』と『β(ベータ)』という名前が付けられていた。
このアヴァロンタワーαの頂上である四十五階には、ルカが住んでおり。もう一方の片割れのβ、同じく頂上の四十五階は、ソラの自宅となっている。正確に詳細を明かすなら、ルカがソラを専属秘書官として抱え込むうえで、ルカが事前に買い取っていたβの四十五階を、ソラがROG. COMPANYに内定を貰った時点で、彼に与えたのだ。さすがに恐縮したソラだったが。そんな彼を前にした、ルカ曰く。
「オレの専属秘書官になる、って、そういうコトだよ」
とだけ言い放ち、名義変更の書類の確認を、笑顔で命じた。とのことで。
…これまた、スケールの大きな逸話が残っているものだ、と、ツバサは、そのアヴァロンタワーβの玄関ロビーで、ぼんやりと考えていた。
すると。
「遅れてすまない、ツバサ。勝手の分からない場所で待たされて、心細かっただろう」
「いいえ、平気です。此処のロビーは明るいですし、お兄様の思っているようなことは、何も…」
ツバサのもとに現れたのは、ソラだった。ツバサは急遽、ソラの部屋に上がらせて貰うことになったのである。ソラからは「泊まり支度をしてから来い」と言われたので、その通り、ツバサは、一旦、聖クロス学園から自宅を経由して、アヴァロンタワーβまでやってきた。だが、直前になって、「琉一が割り込んできた。迎えに行くから、少しだけロビーで待っていてくれ。警備スタッフに身元を聞かれたら、四十五階に住んでいるソラの妹だと言えば良い」とメッセージが。なので、言いつけられたままに、ツバサはアヴァロンタワーβの玄関ロビーで、ソラが迎えに来てくれるまで、大理石の床の模様を眺めていたのだった。ちなみに警備スタッフには視線は寄越されたものの、ツバサが小さく会釈をすれば、同じくそれを返してきただけ。
ソラの案内で、四十五階の彼の自宅までやってきたツバサは、素直に溜め息を吐いた。勿論、感激の意味で。
まず、広い。四十五階のフロアの全てを抜いて、居宅として改築されているのだ。高級ホテルのスイートルームなんて、目じゃない。
「今後、お前が使う客間として、こちらを宛がおう。消火器と手洗い場が一番近いし、部屋を出て右に真っ直ぐ行けば、俺の寝室と書斎に行き着く」
そう言われながら通された客間も、正直、ツバサが住んでいる女性専用アパートの一室分はある広さ。
ふかふかのベッド、硝子製のテーブル、座り心地の良さそうなソファー。大きな窓の向こうには、小さなベランダ。それに、ベッドサイドには小さな冷蔵庫まで。
手荷物を適当な場所に置いたツバサを見ながら、ソラが続ける。
「シャワーを浴びさせてやりたいんだが、まだ琉一が使っているだろうから、……おい、待て、なんだその眼は?さてはお前、ちょっと勘違いしてるだろう?」
「あ、ごめん…。そういえば、お兄様って、バイセクシャルだったなあ、ってことを思い出してしまって、つい…」
「こらこら。いくら何でも、親友の身体を食い散らかすほど、飢えてはいない。そこそこで発散してるつもりだ」
「そうなんだ…。それなら、良かった…。誤解してごめんなさい」
「いや、構わない。大丈夫だ。…ただ、その遠慮のない物言い…、俺に似るのはともかく、ルカにそっくりだな」
ツバサの遠慮のない台詞に、ソラが押し負け気味になっていた。だが、端から見ている分には、実にテンポの良い、きょうだいのやり取り。ついこの前まで、この二人がそんな関係だなんて、少なくとも、ツバサは全く知らなかったというのに。それだけ、二人の関係値が高い、ということなのだろう。一度でも己の懐に入れた相手のことを甘やかす、という点を鑑みるならば、それはまさしく「ルカと同じスタンスだ」とも言えた。きょうだい良く似通るとも、強烈な上司像が部下に影響を与えているとも。どちらにせよ、ソラとツバサのきょうだいに於いて、引いては、Room ELにとっては、良い作用である。身内に優しくも厳しくも出来ない社員が、その身内の外の人間に、色々な意味で容赦のない振る舞いなど出来はしないのだ。
そのとき、コンコン、と扉をノックする音が聞こえた。ソラが「琉一か?」と問えば、「肯定。バスルームを空けました。勝手ながら浴槽に湯も張っています。次をどうぞ」という淡泊な声が返ってくる。ツバサが挨拶をするべきかと悩んだのも一瞬で、琉一の足音はすぐに扉の前を去って行くのが分かった。
「琉一は、眼は勿論、耳も本当に良くてな。シャワーの音に混じって、俺たちのきょうだいの会話も、聞こえていたのかもしれないな。
まあいい。これで、妹に温かい湯を浴びさせてやれる。琉一の気遣いには、後で感謝の言葉を送っておこうか」
「はい、お兄様。…では、お風呂、お借りします」
立派な部屋を宛がってくれるソラ。自分のシャワーの合間で、ツバサのために湯舟の用意をしてくれる琉一。何より、此処がヒルカリオである以上、この状況を知っているであろうルカが、現時点で何も干渉してこないこと。
ツバサにとっての、温かい居場所は、顔も名前も知らない血の繋がった母親の腕の中ではなく。―――こういう仲間の心の温度を感じられる場所にこそ、在るのかもしれない。
素直に甘えて、湯舟にゆっくりと浸かったツバサが、リビングルームに入ったとき。そこには、ソファーに対面で座りつつ、大きなテレビ画面でニュース番組を眺めているソラと琉一が居た。二人の間にあるローテーブルには、素焼きナッツとチョコレート菓子が盛ってある皿と、炭酸水が入っているグラス。ツバサがお土産として持ってきた、練り切りもある。ソラの隣にあたる席には、空っぽのグラスが逆さまになって置いてあった。どうやら、そこがツバサの位置になるらしい。
二人の会話が聞こえてきた。
「さすがに全国版のニュースにさせるほど、メディアも大馬鹿ではないらしい」
「否定。今や、個人間のSNSも立派なメディアです。それで大騒ぎになっている以上、全国版のニュースと大差ありません」
「国が与えている公共の電波上では、という意味だ。個人発信の現代SNSをナメているわけじゃあない」
「肯定に続き、納得」
ツバサがスリッパの音を立てて近付く、…前に、ソラと眼が合う。
「ああ、こちらに。今日の成果物の確認をしようか」
そう言うと、ソラは自分の隣のソファーへとツバサを手で促した。言われた通り、ツバサは彼の隣へと座る。琉一が炭酸水のボトルを掲げたのが見えたので、ツバサはグラスを手に持った。注がれる炭酸水は、しゅわしゅわ、と音を立てながら、細かい泡を硝子の中で躍らせる。
ボトルを置いた琉一は、次いで、傍らに立てかけていたタブレット端末を持った。数度タップした後、画面をソラとツバサの方へと向ける。若者向けのショートタイム動画発信専用SNSだ。そこには、昼間の聖クロス学園の中庭で起こった、ツバサと輝の『決闘』を映したものが、ずらり、と検索結果として並んでいる。
まず、ソラが口を開いた。
「まず確認しておくが、リーグスティの長男坊を狙ったのは、わざとか?」
どうやら、昼間の騒ぎの真意を、ツバサに問いたいらしい。ツバサは、動画の検索欄を指でスライドしていきながら、答える。
「いいえ。私の本来の狙いは、我が母校では、昔から予算のつきにくい美術部へ大幅な寄進を約束することを足掛かりにして、ルカに内部を探って貰おうとしてた…。話しかけた女の子が美術部だったことと。先日結果が発表された、弊社協賛の高校生イラストコンクールの最優秀賞に、聖クロス学園の子の名前があったことを思い出して、即座に練った作戦だったのだけど…」
「…思わぬ大魚が釣れた。それが、輝・リーグスティだった、ということか。それに、お前が話しかけた相手が、たまたま、彼の妹の優那であり、イラストコンクールの入賞者であったことも、また立派な釣果と」
「はい。でも、輝くんとこんな大きな勝負ごとになったのは、向こうの勝手な思い上がりの結果に過ぎない…。現に、私は何度も彼にヒントとチャンスを与え続けた…。「私を相手にサッカー勝負で、本当に大丈夫なのか?」と確認させるように、促したよ…。…え、チャンスカードの枚数、足りなかったのかな…?」
きちんと話しながらも、自分の仕事内容が不安になってきたらしいツバサが、最後に漏らした言葉。そこに反応したのは、琉一だった。
「否定します。妹姫と輝氏の決闘前のやり取りの一部を収めた動画も確認しましたが、貴女は確かに、輝氏に撤退の機会を何度も与えていました。
それに、輝氏は妹姫を侮辱する言葉も投げています。子どもとはいえ、貴女が容赦をするべき場面とは言えません。よって、妹姫の判断と行動は正しかったと、自分は賛同します。現法上にも、特に問題はありません」
琉一のコメントは、的確である。だが、ツバサには引っ掛かる点があった。思わず、疑問が口から零れる。
「琉一さん個人の所感としても、現在の法律にも違反していないことにも、安心はしていますが、…あの、琉一さんの妹姫という呼称に、私的な疑問を感じます…。妹はともかく、姫と呼ぶ、その心は…?」
ソラも初見でツッコんだ、「妹姫」呼び。否、正確に言うなれば、ソラはツッコもうとして、止めていた。琉一の感性がユニークであることを理由にして。
だが、これは、肝心の本人であるツバサの、真っ向からの質問。しかし、琉一は涼しい顔で、淀みなく答える。
「肯定します。いきなり、このような異名では誰しも戸惑うことでしょう。
妹姫と呼ぶ理由としてまして。自分にとってソラは友人であり、護るべき対象にして、自分に指示を出す司令塔。さすれば、その妹となる貴女は、自分にとっては姫に当たると帰結しました。勿論、公に呼ぶつもりはありません」
川の流れのように。だが、その流速は理知の大河の如く。堰き止められるモノなど存在しない。琉一の知性的回答は、生まれ持った天才児であるソラよりも、なまじ切れ味が鋭い気がした。勝手ながら解釈を加えるとすれば、ソラが「人間味のある天才児の暗殺ナイフ」とすれば、琉一は「頭脳派ならでは必殺正論弾丸」とでも言って良いだろう。
無糖ナッツを摘まんだソラが、ぽりぽり、とそれを噛み砕き、炭酸水で流し込む。そして、再び、口を開いた。
「さて、独特な教育方針を弊社の若社長にぶつけてくれた、リーグスティ家の家長、…すなわち、あのミセス・リーグスティは。一体、自分の息子を此処までコケにされて、どのように駒を打ってくるというのか。それが見ものだな」
ソラの思考は既に、先を読もうとしている。ツバサがそれに随伴した。
「間違いなく、最初の矛先はルカに向かうんだろうけれど…、ルカ、どう躱すのかな…?うーん…?」
「やめろ、やめろ、ルカの言動を予測するなど。それは恐らく、この惑星上で一番、時間の使い方として無駄なものだ。史上最強の軍事兵器だぞ?俺たち人間の知恵など、拳一つで軽く粉砕してくるだけだ。
…まあ俺としては、ミセス・リーグスティがルカを通して、お前に何かしらの宣戦布告をしてくる可能性が大いにあると、思ってはいる。そちらの方が、まだまだ現実的な予測だろう?
とは言え、あれこれ並べたとしても、一番手っ取り早いのは、息子への名誉棄損か、SNSにおける一斉の情報開示請求あたりか?その辺りは、どう思う?顧問弁護士?」
ソラがそこで琉一へと会話のボールを投げる。練り切り相手に、どう黒文字を入れようかと思案顔をしていた琉一が、すぐさま反応した。
「否定します。ミセス・リーグスティの教育方針を鑑みるに、息子への名誉棄損の線は極めて薄いと判断します。彼女は「競わせる」ことを教育とし、弊社の社長に堂々宣言しました。よって、「妹姫に勝負を挑んだ結果、負けてしまい、無様な姿を晒した息子」に関しては、会社でいう「営業不振」とでも烙印するでしょう。
次に、情報開示請求とありますが、こちらは一般的に知らされ、そして大衆が予想しているモノより、何倍も手順と予算がかかります。シンデレラ女帝と名高い女社長である、ミセス・リーグスティが、そちらに労力を割くとは考えられません。何より、相手は現役高校生が九割九分でしょうから、むしろ、情報開示請求をしたミセス・リーグスティの方が、下手をすれば、名声とイメージを失墜させると予測します」
琉一の弾丸のような正論に、「なるほど、な」と、ソラが納得していたとき。彼のスマートフォンが着信を告げた。液晶画面に表示された相手の名前は―――『LUKA』。
ソラがスピーカーモードにしてから、受話する。
「はい、ソラ、…と、ツバサと琉一、共々」
『あはは、オレはソラのそういう素直なところが好きだよ。
で、キミたちが楽しい会話をしているところに、オレが面白いネタを放り込んであげるね?』
ソラの台詞に、ルカが楽しそうな声音で返してきた。だが、相手は軍事兵器。何もかもが、人外級のスケール。果たして、本当に面白いネタと収まる情報で済むモノか。
ルカが続ける。
『明後日、トルバドール・セキュリティーのミセス・リーグスティが、Room ELに配備されているロボット兵の視察を名目に、オレへの面会を申し込んできたよ。その際、「是非とも、そちらの事務員様も、ご一緒に」ってさ。
あ、その場で、即「いいよ」って言ってあるから、あとはオレの秘書官が、必要な準備さえしてくれれば良いからね』
「…いいだろう。お望み通り、お前の優秀な専属秘書官である俺が、受けて立つ」
『ええー?喧嘩を売られちゃったのはオレとアリスちゃんであって、ソラじゃないと思うケド?』
「身内に手を出される可能性を前にして、黙っていられるほど、俺は大人しいお兄様ではないからな」
『あ、そう。じゃあ、死傷者が出ない程度に、ヨロシクね』
じゃあね、素敵な夜を。と、言い残したルカは、そのまま一方的に電話を切った。ツーツーツー、と無機質な音が響くのを即座に落としたソラは、その翡翠の双眸に闘気を宿す。それに射抜かれたツバサと琉一もまた、それぞれの瞳にオーラを灯す。
「さて、お前たち、円陣でも組むか?」
「否定。戦争と法律の前では、人類は何を決意しようと、平等にして、無力です。故に、全ての疑問点から視線を逸らすことが、最大の禁忌であり、罪となります」
「私は…、ちょっと組みたい、かも…、…冗談です。
足掻ける分には、足掻く。そして模索するべき点は、とことん、隅から、端から、探しましょう…。
ROG. COMPANYは大切なお客様と、未来ある子どもたちの夢のために在る会社。そして我々Room ELは、社員一人一人の声を大切にする部署です」
戦いへの想い、掲げるべき旗印、武器を持つための信念。
それら諸々を胸に抱いて、今宵、「楽園都市」と「監獄の島」に二面性を覗かせる、ヒルカリオに。―――最強の男の祝福と庇護を受けた人間たちの牙が、静かに剥こうとしている。
to be continued...
ヒルカリオには、『双子の塔』と呼ばれる、一等級のタワーマンションが建っている。それが、『アヴァロンタワー』。双子と呼ばれているのは、四十五階建てのビルがふたつ、互いに三百メートル以内に聳え建っていることから。そして、このふたつの塔を区別するため、それぞれのビルに『α(アルファ)』と『β(ベータ)』という名前が付けられていた。
このアヴァロンタワーαの頂上である四十五階には、ルカが住んでおり。もう一方の片割れのβ、同じく頂上の四十五階は、ソラの自宅となっている。正確に詳細を明かすなら、ルカがソラを専属秘書官として抱え込むうえで、ルカが事前に買い取っていたβの四十五階を、ソラがROG. COMPANYに内定を貰った時点で、彼に与えたのだ。さすがに恐縮したソラだったが。そんな彼を前にした、ルカ曰く。
「オレの専属秘書官になる、って、そういうコトだよ」
とだけ言い放ち、名義変更の書類の確認を、笑顔で命じた。とのことで。
…これまた、スケールの大きな逸話が残っているものだ、と、ツバサは、そのアヴァロンタワーβの玄関ロビーで、ぼんやりと考えていた。
すると。
「遅れてすまない、ツバサ。勝手の分からない場所で待たされて、心細かっただろう」
「いいえ、平気です。此処のロビーは明るいですし、お兄様の思っているようなことは、何も…」
ツバサのもとに現れたのは、ソラだった。ツバサは急遽、ソラの部屋に上がらせて貰うことになったのである。ソラからは「泊まり支度をしてから来い」と言われたので、その通り、ツバサは、一旦、聖クロス学園から自宅を経由して、アヴァロンタワーβまでやってきた。だが、直前になって、「琉一が割り込んできた。迎えに行くから、少しだけロビーで待っていてくれ。警備スタッフに身元を聞かれたら、四十五階に住んでいるソラの妹だと言えば良い」とメッセージが。なので、言いつけられたままに、ツバサはアヴァロンタワーβの玄関ロビーで、ソラが迎えに来てくれるまで、大理石の床の模様を眺めていたのだった。ちなみに警備スタッフには視線は寄越されたものの、ツバサが小さく会釈をすれば、同じくそれを返してきただけ。
ソラの案内で、四十五階の彼の自宅までやってきたツバサは、素直に溜め息を吐いた。勿論、感激の意味で。
まず、広い。四十五階のフロアの全てを抜いて、居宅として改築されているのだ。高級ホテルのスイートルームなんて、目じゃない。
「今後、お前が使う客間として、こちらを宛がおう。消火器と手洗い場が一番近いし、部屋を出て右に真っ直ぐ行けば、俺の寝室と書斎に行き着く」
そう言われながら通された客間も、正直、ツバサが住んでいる女性専用アパートの一室分はある広さ。
ふかふかのベッド、硝子製のテーブル、座り心地の良さそうなソファー。大きな窓の向こうには、小さなベランダ。それに、ベッドサイドには小さな冷蔵庫まで。
手荷物を適当な場所に置いたツバサを見ながら、ソラが続ける。
「シャワーを浴びさせてやりたいんだが、まだ琉一が使っているだろうから、……おい、待て、なんだその眼は?さてはお前、ちょっと勘違いしてるだろう?」
「あ、ごめん…。そういえば、お兄様って、バイセクシャルだったなあ、ってことを思い出してしまって、つい…」
「こらこら。いくら何でも、親友の身体を食い散らかすほど、飢えてはいない。そこそこで発散してるつもりだ」
「そうなんだ…。それなら、良かった…。誤解してごめんなさい」
「いや、構わない。大丈夫だ。…ただ、その遠慮のない物言い…、俺に似るのはともかく、ルカにそっくりだな」
ツバサの遠慮のない台詞に、ソラが押し負け気味になっていた。だが、端から見ている分には、実にテンポの良い、きょうだいのやり取り。ついこの前まで、この二人がそんな関係だなんて、少なくとも、ツバサは全く知らなかったというのに。それだけ、二人の関係値が高い、ということなのだろう。一度でも己の懐に入れた相手のことを甘やかす、という点を鑑みるならば、それはまさしく「ルカと同じスタンスだ」とも言えた。きょうだい良く似通るとも、強烈な上司像が部下に影響を与えているとも。どちらにせよ、ソラとツバサのきょうだいに於いて、引いては、Room ELにとっては、良い作用である。身内に優しくも厳しくも出来ない社員が、その身内の外の人間に、色々な意味で容赦のない振る舞いなど出来はしないのだ。
そのとき、コンコン、と扉をノックする音が聞こえた。ソラが「琉一か?」と問えば、「肯定。バスルームを空けました。勝手ながら浴槽に湯も張っています。次をどうぞ」という淡泊な声が返ってくる。ツバサが挨拶をするべきかと悩んだのも一瞬で、琉一の足音はすぐに扉の前を去って行くのが分かった。
「琉一は、眼は勿論、耳も本当に良くてな。シャワーの音に混じって、俺たちのきょうだいの会話も、聞こえていたのかもしれないな。
まあいい。これで、妹に温かい湯を浴びさせてやれる。琉一の気遣いには、後で感謝の言葉を送っておこうか」
「はい、お兄様。…では、お風呂、お借りします」
立派な部屋を宛がってくれるソラ。自分のシャワーの合間で、ツバサのために湯舟の用意をしてくれる琉一。何より、此処がヒルカリオである以上、この状況を知っているであろうルカが、現時点で何も干渉してこないこと。
ツバサにとっての、温かい居場所は、顔も名前も知らない血の繋がった母親の腕の中ではなく。―――こういう仲間の心の温度を感じられる場所にこそ、在るのかもしれない。
素直に甘えて、湯舟にゆっくりと浸かったツバサが、リビングルームに入ったとき。そこには、ソファーに対面で座りつつ、大きなテレビ画面でニュース番組を眺めているソラと琉一が居た。二人の間にあるローテーブルには、素焼きナッツとチョコレート菓子が盛ってある皿と、炭酸水が入っているグラス。ツバサがお土産として持ってきた、練り切りもある。ソラの隣にあたる席には、空っぽのグラスが逆さまになって置いてあった。どうやら、そこがツバサの位置になるらしい。
二人の会話が聞こえてきた。
「さすがに全国版のニュースにさせるほど、メディアも大馬鹿ではないらしい」
「否定。今や、個人間のSNSも立派なメディアです。それで大騒ぎになっている以上、全国版のニュースと大差ありません」
「国が与えている公共の電波上では、という意味だ。個人発信の現代SNSをナメているわけじゃあない」
「肯定に続き、納得」
ツバサがスリッパの音を立てて近付く、…前に、ソラと眼が合う。
「ああ、こちらに。今日の成果物の確認をしようか」
そう言うと、ソラは自分の隣のソファーへとツバサを手で促した。言われた通り、ツバサは彼の隣へと座る。琉一が炭酸水のボトルを掲げたのが見えたので、ツバサはグラスを手に持った。注がれる炭酸水は、しゅわしゅわ、と音を立てながら、細かい泡を硝子の中で躍らせる。
ボトルを置いた琉一は、次いで、傍らに立てかけていたタブレット端末を持った。数度タップした後、画面をソラとツバサの方へと向ける。若者向けのショートタイム動画発信専用SNSだ。そこには、昼間の聖クロス学園の中庭で起こった、ツバサと輝の『決闘』を映したものが、ずらり、と検索結果として並んでいる。
まず、ソラが口を開いた。
「まず確認しておくが、リーグスティの長男坊を狙ったのは、わざとか?」
どうやら、昼間の騒ぎの真意を、ツバサに問いたいらしい。ツバサは、動画の検索欄を指でスライドしていきながら、答える。
「いいえ。私の本来の狙いは、我が母校では、昔から予算のつきにくい美術部へ大幅な寄進を約束することを足掛かりにして、ルカに内部を探って貰おうとしてた…。話しかけた女の子が美術部だったことと。先日結果が発表された、弊社協賛の高校生イラストコンクールの最優秀賞に、聖クロス学園の子の名前があったことを思い出して、即座に練った作戦だったのだけど…」
「…思わぬ大魚が釣れた。それが、輝・リーグスティだった、ということか。それに、お前が話しかけた相手が、たまたま、彼の妹の優那であり、イラストコンクールの入賞者であったことも、また立派な釣果と」
「はい。でも、輝くんとこんな大きな勝負ごとになったのは、向こうの勝手な思い上がりの結果に過ぎない…。現に、私は何度も彼にヒントとチャンスを与え続けた…。「私を相手にサッカー勝負で、本当に大丈夫なのか?」と確認させるように、促したよ…。…え、チャンスカードの枚数、足りなかったのかな…?」
きちんと話しながらも、自分の仕事内容が不安になってきたらしいツバサが、最後に漏らした言葉。そこに反応したのは、琉一だった。
「否定します。妹姫と輝氏の決闘前のやり取りの一部を収めた動画も確認しましたが、貴女は確かに、輝氏に撤退の機会を何度も与えていました。
それに、輝氏は妹姫を侮辱する言葉も投げています。子どもとはいえ、貴女が容赦をするべき場面とは言えません。よって、妹姫の判断と行動は正しかったと、自分は賛同します。現法上にも、特に問題はありません」
琉一のコメントは、的確である。だが、ツバサには引っ掛かる点があった。思わず、疑問が口から零れる。
「琉一さん個人の所感としても、現在の法律にも違反していないことにも、安心はしていますが、…あの、琉一さんの妹姫という呼称に、私的な疑問を感じます…。妹はともかく、姫と呼ぶ、その心は…?」
ソラも初見でツッコんだ、「妹姫」呼び。否、正確に言うなれば、ソラはツッコもうとして、止めていた。琉一の感性がユニークであることを理由にして。
だが、これは、肝心の本人であるツバサの、真っ向からの質問。しかし、琉一は涼しい顔で、淀みなく答える。
「肯定します。いきなり、このような異名では誰しも戸惑うことでしょう。
妹姫と呼ぶ理由としてまして。自分にとってソラは友人であり、護るべき対象にして、自分に指示を出す司令塔。さすれば、その妹となる貴女は、自分にとっては姫に当たると帰結しました。勿論、公に呼ぶつもりはありません」
川の流れのように。だが、その流速は理知の大河の如く。堰き止められるモノなど存在しない。琉一の知性的回答は、生まれ持った天才児であるソラよりも、なまじ切れ味が鋭い気がした。勝手ながら解釈を加えるとすれば、ソラが「人間味のある天才児の暗殺ナイフ」とすれば、琉一は「頭脳派ならでは必殺正論弾丸」とでも言って良いだろう。
無糖ナッツを摘まんだソラが、ぽりぽり、とそれを噛み砕き、炭酸水で流し込む。そして、再び、口を開いた。
「さて、独特な教育方針を弊社の若社長にぶつけてくれた、リーグスティ家の家長、…すなわち、あのミセス・リーグスティは。一体、自分の息子を此処までコケにされて、どのように駒を打ってくるというのか。それが見ものだな」
ソラの思考は既に、先を読もうとしている。ツバサがそれに随伴した。
「間違いなく、最初の矛先はルカに向かうんだろうけれど…、ルカ、どう躱すのかな…?うーん…?」
「やめろ、やめろ、ルカの言動を予測するなど。それは恐らく、この惑星上で一番、時間の使い方として無駄なものだ。史上最強の軍事兵器だぞ?俺たち人間の知恵など、拳一つで軽く粉砕してくるだけだ。
…まあ俺としては、ミセス・リーグスティがルカを通して、お前に何かしらの宣戦布告をしてくる可能性が大いにあると、思ってはいる。そちらの方が、まだまだ現実的な予測だろう?
とは言え、あれこれ並べたとしても、一番手っ取り早いのは、息子への名誉棄損か、SNSにおける一斉の情報開示請求あたりか?その辺りは、どう思う?顧問弁護士?」
ソラがそこで琉一へと会話のボールを投げる。練り切り相手に、どう黒文字を入れようかと思案顔をしていた琉一が、すぐさま反応した。
「否定します。ミセス・リーグスティの教育方針を鑑みるに、息子への名誉棄損の線は極めて薄いと判断します。彼女は「競わせる」ことを教育とし、弊社の社長に堂々宣言しました。よって、「妹姫に勝負を挑んだ結果、負けてしまい、無様な姿を晒した息子」に関しては、会社でいう「営業不振」とでも烙印するでしょう。
次に、情報開示請求とありますが、こちらは一般的に知らされ、そして大衆が予想しているモノより、何倍も手順と予算がかかります。シンデレラ女帝と名高い女社長である、ミセス・リーグスティが、そちらに労力を割くとは考えられません。何より、相手は現役高校生が九割九分でしょうから、むしろ、情報開示請求をしたミセス・リーグスティの方が、下手をすれば、名声とイメージを失墜させると予測します」
琉一の弾丸のような正論に、「なるほど、な」と、ソラが納得していたとき。彼のスマートフォンが着信を告げた。液晶画面に表示された相手の名前は―――『LUKA』。
ソラがスピーカーモードにしてから、受話する。
「はい、ソラ、…と、ツバサと琉一、共々」
『あはは、オレはソラのそういう素直なところが好きだよ。
で、キミたちが楽しい会話をしているところに、オレが面白いネタを放り込んであげるね?』
ソラの台詞に、ルカが楽しそうな声音で返してきた。だが、相手は軍事兵器。何もかもが、人外級のスケール。果たして、本当に面白いネタと収まる情報で済むモノか。
ルカが続ける。
『明後日、トルバドール・セキュリティーのミセス・リーグスティが、Room ELに配備されているロボット兵の視察を名目に、オレへの面会を申し込んできたよ。その際、「是非とも、そちらの事務員様も、ご一緒に」ってさ。
あ、その場で、即「いいよ」って言ってあるから、あとはオレの秘書官が、必要な準備さえしてくれれば良いからね』
「…いいだろう。お望み通り、お前の優秀な専属秘書官である俺が、受けて立つ」
『ええー?喧嘩を売られちゃったのはオレとアリスちゃんであって、ソラじゃないと思うケド?』
「身内に手を出される可能性を前にして、黙っていられるほど、俺は大人しいお兄様ではないからな」
『あ、そう。じゃあ、死傷者が出ない程度に、ヨロシクね』
じゃあね、素敵な夜を。と、言い残したルカは、そのまま一方的に電話を切った。ツーツーツー、と無機質な音が響くのを即座に落としたソラは、その翡翠の双眸に闘気を宿す。それに射抜かれたツバサと琉一もまた、それぞれの瞳にオーラを灯す。
「さて、お前たち、円陣でも組むか?」
「否定。戦争と法律の前では、人類は何を決意しようと、平等にして、無力です。故に、全ての疑問点から視線を逸らすことが、最大の禁忌であり、罪となります」
「私は…、ちょっと組みたい、かも…、…冗談です。
足掻ける分には、足掻く。そして模索するべき点は、とことん、隅から、端から、探しましょう…。
ROG. COMPANYは大切なお客様と、未来ある子どもたちの夢のために在る会社。そして我々Room ELは、社員一人一人の声を大切にする部署です」
戦いへの想い、掲げるべき旗印、武器を持つための信念。
それら諸々を胸に抱いて、今宵、「楽園都市」と「監獄の島」に二面性を覗かせる、ヒルカリオに。―――最強の男の祝福と庇護を受けた人間たちの牙が、静かに剥こうとしている。
to be continued...
