第二章 Rumble Angel, Silent Devil

【聖クロス学園 第二グラウンド】

学園長の新城のすすめ通り、ツバサは『来客』の名札を提げた状態で、懐かしい母校の学内を見回っていた。すれ違う生徒たちは、皆、礼儀正しく「こんにちは」、「ようこそおいでくださいました」と、ツバサに挨拶をしてくれる。ツバサからすると手前味噌かもしれないが、さすが名門と言える高校。基本的には、行儀のよろしい子たちが多い。
そして、今、ツバサが辿り着いたのは、第二グラウンドと呼ばれる場所。整備こそ行き届いているものの、第一グラウンドよりも面積が狭いということと、遊戯用のサッカーゴールとバスケットゴールがあることから、グラウンドというより、生徒の遊び場と言った扱いを受けている。その事実は、どうやらツバサの時代から今に至るまで、変わらないらしい。その証拠に、放課後に差し掛かった現在は、この第二グラウンドのあちこちで、各々の時間を過ごす生徒が点在している。
その中に、スケッチブックを広げているのにも関わらず、酷くボンヤリとしている、ひとりの女子生徒を見つけた。ボンヤリとは言ったものの、ツバサは一目見た瞬間、分かる。あの子は疲れている、と。ツバサは真っ直ぐにその女子生徒のもとへ歩いて行った。

「こんにちは」
「え、あ、…こんにちは」

ツバサが声を掛けると、女子生徒はどもりながらも、挨拶を返してくる。

「私は、聖クロス学園の卒業生の、ツバサ。隣、いいかな?」
「あ、はい、あの…、どうぞ…。私は、優那です…。二年生です…」

女子生徒は、優那だった。美術部の部室から、息抜きと称して、抜け出してきていたのだ。
優那と視線を合わせながら、ツバサは適度な距離に座りつつ、彼女に質問をする。

「優那さんは、今、何をされてたの?」
「えと…、スケッチブックが…、最後の一ページに、なったので…、何を描こうかな、って、考えていました…。
 せっかくだから、最後は、素敵な一枚にしたい、って思って…」
「最後?次のスケッチブックは無いの?」

優那は答えながら、手の中のスケッチブックを抱え直した。その表紙には日常的な汚れが付着しているし、使用済みにページたちはくったりとヨレている。きっと、その中には、たくさんの絵やアイデアが描き込んであるのだろう。だが、そんなになるまで使い込むというのに、まるで優那は次のスケッチブックが無いとばかりの言い方をしているのが、ツバサは気になった。

「えと、お小遣いが足りなくて…、あ、どうでもいいですよね…、す、すみません…」
「いいえ。不躾なことを聞いてしまった私が悪かったみたい。こちらこそ、ごめんなさい」

優那の返答から、どうやら金欠が理由で、画材難民になっているのだろう。と、ツバサは結論付けることにする。学生には良くある話だ。給料を貰っている社会人にだって、同じような状況が度々あるのだから。とはいえ、個人の財布事情に突っ込む羽目になったことは、誠意をもって謝罪を入れるべきだ。
そんなツバサの態度に、優那が何処か安心したような表情を見せた。そのとき。

「やあ、優那じゃないか。奇遇だね。今日もスケッチかい?」
「―――あ…、兄さん…」

―――輝だ。優那の肩が震える。ツバサは輝に視線を向けたことで、それに気が付かない。
輝は優しい表情を浮かべながら、言葉を続ける。

「はじめまして、輝・リーグスティです。ぼくの妹の話し相手になってくださり、ありがとうございます。
 本来、兄であるぼくが妹を気に掛けるべきだと思うのですが。何せ、生徒会長としての仕事や役割が立て込みがちで…、はは、ぼくもまだまだ未熟者です」

妹・優那を気に掛ける兄として演じつつも、そしてしっかりと生徒会長である自分の肩書きを見せびらかす。輝は、内心、己の完璧な振る舞いを称賛する。だが。

「そう。高校の生徒会室のマルチタスクもこなせないとなると…、確かに未熟者と言えるかもしれない。社会に出る前に、そこのスキルは磨いておくことを、先輩として、おすすめしておくね…。
 あと、いい子ぶってる裏で、平気で他人を踏み台にしていると、怖い大人に怒られちゃうかもしれないよ…?その辺に、心当たりはない…?」

ツバサの光の差さない緑眼が、真っ直ぐに輝を射抜いて。薄いグロスを塗った唇から、鋭いメスのような言葉が飛び出る。それを聞いた瞬間、今度は輝の肩が震える番だった。だが、彼は瞬時に立て直そうとする。

「―――!? え、あ、あはは!
 一体、何を仰っているのか。先輩ほどの御方になると、冗談も高尚なようですね。
 ですが、あまり、ぼくを下に見ない方がいいですよ?これでもぼくは、あのリーグスティ家の長男で―――」
「―――中身のない人間ほど、大したことのない肩書きに縋りつくのは、社会人になればたくさん見る光景だね…。
 …もしかして、身近に、貴方と同じような振る舞いをする人間が、お手本として居たりするの…?」
「!! …ッ!!」

輝は、己の本質を見破ってきたツバサに対して、得も言われぬ恐怖を抱く。だが同時に、大いなる不快感も覚えた。

(こ、この俺を…!!よくも馬鹿にしたな…!!思い知らせてやる!!)

輝の胸中で、怒りが爆ぜる。だが、かろうじて表情には出さず、彼は続けた。

「…、どうやら、偉大なる我が学び舎出身ともあろう御方にも、俗物が混じっているようだ。
 謂れのないことを好き放題に吹聴されては、さすがのぼくにも傷付くプライドがあるというもの。
 さあ、先輩、ご起立ください。ぼくと勝負しましょう。
 ぼくが勝ったら、先輩は社会人として、誠意ある謝罪をください。逆にぼくが負ければ、貴女の要求を呑みます」

好き放題に言っているのは、果たしてどちらだろうか。
だが、ツバサはもうその辺りの論点には構わず、淡々と答える。

「私からの要求は…、そうだね。ただ、貴方がこれからの人生を、真っ当に歩んでくれると約束してくれればいいな」
「……随分と、余裕ぶってますけれど、…あとで後悔しても知りませんが?」
「余裕はあるよ。私は大人で、貴方は子どもだから」
「…、ぼくと、何で勝負がしたいですか?レディファーストとして、決定権はお譲りしますよ」

なけなしのプライドで、輝は紳士的な対応こそ見せるものの。内心は、既に脳髄が沸騰しそうだった。
対して、ツバサは。相変わらずの冷静なまま、返す。

「貴方の好きな項目で、決めていい。事務員は臨機応変に立ち回れるからこそ、事務員だよ」

事務員、と聞いた輝が、はっ、と微かに嗤った。―――明確に、ツバサを見下した。

「大口を叩く割には、貧しい役職に就いているようですね。
 では、決闘はサッカーで行うとしましょうか?事務職先輩殿?」
「サッカー…?本当に、それでいいの?私に事前確認したいことは、本当にないの?」

ツバサはあくまで輝に、情報の確認を促そうとする。だが、輝はそんなものは不要とばかりに、オーディエンスとして群がってきた外野たちに声を掛けた。

「誰か!サッカーボールと、スニーカー、それからキーパー用のグローブを貸してくれないかな?!
 今から、この輝・リーグスティ!一世一代の大勝負をすることを、此処に宣言するよ!」

なんだ?なんだ?と外野の生徒たちが、ざわめく。中には、スマートフォンのカメラで動画を回し始める者まで出てきた。練習で第二グラウンドに来ていたサッカー部の部員たちが、輝が指定した用具を持って、近付いてくる。
輝がスニーカーを受け取るのを横目に、ツバサがサッカー部員に、わざと潜めた声音で問うた。

「レッドヴィレン製のキーパーグローブ、Mサイズを持っているひとはいないかな…?もし、この試合中に壊れちゃったら、プロ仕様にアップグレードしたうえで、新品で弁償するから、貸してくれない…?」

ツバサのその言葉を聞いた部員たちが、ギョッとする。だが、ツバサは、「しーっ」と騒がないように彼らを制した。呆然とし始めるサッカー部員たちに、ツバサは変わらずひそひそ声で続ける。

「私、あのグローブじゃないと、ボールが上手くキャッチ出来ないの…。ね?貸してほしい。万が一の際の約束は、絶対に違えない」
「ぜ、是非、こ、これを使ってください…!あと、あの…!使った後に、そのグローブにサインしてくれませんか…ッ!?」
「サイン?…ツバサ、としか書けないよ?」
「~~~~!! お願いします…ッ!ツバサ先輩…ッ!」
「分かった。じゃあ、契約成立。グローブ、借りるね」

明らかに部員たちの興奮度が上がっているが。声を潜めているおかげで、輝には聞こえていないようだ。むしろ、「あんな事務職なんかに媚びやがって」と言わんばかりの、馬鹿にしたような目線すら寄越している。もう既に、自分がこの勝負に勝った気分でいるようだ。

サッカーボールを抱えた輝は、我先にとグラウンドに入る。
そして、グローブを嵌めたツバサも一歩遅れて入る…、その前に、サッカーゴールに向かって、一礼した。その所作を目にしたオーディエンス、特にサッカー部員たちのボルテージが、一気に上がる。その異様な興奮値に、輝は思わず眉をひそめた。
誰かが回しているスマートフォンのカメラが、ツバサを抜く。
ゴール前に立った彼女が、パァンッ!、とグローブの嵌った掌と拳を打ち鳴らした瞬間、―――カメラの持ち主の小さな声が、入り込む。

「―――…伝説って、本当に、生きてるんだ…!」


一方、輝は。観客の騒ぎなど気にも留めてないという素振りを見せつつ、ツバサに言う。

「シュートの一本勝負とします。ぼくが打つシュートがゴールすれば、ぼくの勝ち。先輩殿が無事に受け止めれば、先輩の勝ちです」
「本当にそれで大丈夫…?どちらかが先にゴールを割るまで、ポジションを交代し続ける、というルールの方が、まだ現実的だよ…?」

自信満々の輝に、ツバサは最期の慈悲を投げた。しかし、それすら気が付かず、輝はボールを靴底で固定すると、堂々と宣誓をする。

「ご心配なく。ぼくは、運動は大の得意でして。生徒会長の役割を拝命していなければ、今頃は何処かの運動部のエースとして、名を馳せていたに違いありませんから。
 それに、男に二言はありませんよ」

「そうなんだね。

 ―――じゃあ、もう、何も遠慮しないでおく」

ツバサがそう答えたと同時に、構える。―――瞬間、ピシリ、と確かに、空気が変わった。

光の差さない緑眼は、先ほどまで陰鬱でしかなかったのに。今、まるで獰猛な獣に似た、明確な闘牙のようで。

もう一方で、完全に蚊帳の外になっていた優那は。そのツバサの姿を見た途端、自分の中の創作意欲が激しく刺激されるのを感じた。
最後の一ページを飾るスケッチは、きっと―――。
優那は、真っ新の紙と、ツバサを交互に見やりながら、スケッチ用の鉛筆を握り込んだ。

輝が、ホイッスルを咥えたサッカー部員に向かって、くい、と顎先だけを動かす。「始めろ」の合図。
部員が笛を鳴らした。

今やオーディエンスの声は。輝にとって、自分への期待と羨望、約束された勝利への道筋にしか、聞こえていない。

助走をつけて、フェイントをかけて、―――シュートを放つ。完璧な軌道。ツバサの利きの逆を抜けるボールを見て、輝は「貰ったぁ!!」と叫んだ。しかし。

ツバサが地面を蹴る。左手を振りかぶったかと思いきや、次の瞬間、―――輝には、何が起こったのか。最初は、本当に、理解が出来なかった。

自分の顔の横を、サッカーボールが吹っ飛んで行った。ヒュッ!!という、ボールが空気を切り裂く音も、はっきりと聞こえた。そして、そのボールが、自分の背後にあったバスケットゴールの支柱にめり込む、あらぬ音がしたのも、また認識した。


―――うおぉぉぉおおおおおおッッッ!!!!

―――伝説の『ウルトラセキュリティー』だぁぁぁぁ!!!!

―――幻のパンチングが生で見れたぁぁぁぁあああ!!!!

―――ツバサ様ぁぁ!!!!こっちに目線くださぁぁぁいい!!!!


観客となっていた外野の生徒たちが一斉に歓声を浴びせるのは、輝ではなく。―――ツバサだった。

輝はそこで、やっと、思い知る。

ボルテージが上がったのは、自分の栄光を見たいのではなく。―――ツバサの勇姿を、見たがっていたのだ。
それは、何故か。―――輝は、余りにも無知だった。
ツバサがサッカー部員から尊敬の眼差しを向けられていた時点で、察知するべきだった。…否、もっと早い段階で。ツバサ自身が、輝に何度も、己に関する情報を把握するチャンスを与えてくれていた。それなのに、ロクに確認もしないで、サッカー勝負を挑んだのは、紛れもない、輝自身だ。

ツバサこそ、聖クロス学園サッカー部伝統『ホームゲーム無敗』を死守した、かつての伝説的ゴールキーパー、通称『ウルトラセキュリティー』だったことを。―――輝は、冷静に把握が出来なかった。それが、敗因。

気絶しそうなほど冷や汗をかく輝からは、ふいと視線を逸らしたツバサは。未だ熱狂する観客に向かって、口を開いた。

「改めまして。皆さま、こんにちは。
 私はROG. COMPANY本社 特殊対応室 通称・Room ELに所属しております、ルカ三級高等幹部直属事務員、ツバサでございます。
 我々、ROG. COMPANYは、大切なお客様と、未来ある子どもたちに、夢を与えることを第一の信条とし、微力ながら、日々邁進しております。

 Future in your hands. ―――夢を、あなたの手に。
 こちら、弊社が公に掲げているテーマにございます。この素晴らしいエンターテインメントを与えてくださった皆さまへの感謝の証としまして、私が全責任を以て、ルカ三級高等幹部へ、私の愛するこの母校にある全ての部活動・愛好会への活動予算に寄進を進言させていただきます。以上の項目を確認のほど、よろしくお願いいたします」

そこまで、淀みのないスピーチを終えると、ツバサは丁寧に腰を折る。ワァァァアアアッッ!!!!と歓喜の叫びと、割れんばかりの拍手が、第二グラウンドに響き渡った。

そして、輝はというと。―――彼は、誰からも自分が注目を浴びていない事実を認知した瞬間。どしゃっ、と、膝から崩れ落ちた。

誰かのスマートフォンのカメラが、やっと輝を抜く。その姿を見た、カメラの持ち主の小さな声が、入り込んだ。

「ざまぁみろ」



to be continued...
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