『余渡』本編小説

今日は、ソラが最期の客を取る日だった。身請けが決まった彼の『最期の客』になれるかもしれない、ということで。予約の倍率は凄まじく、余渡屋のサーバーが一時的にダウンしてしまうほどのもので。その光景は、如何にソラという男娼が人気者だったのかを、如実に物語る。
結果。彼の最期の客になれたのは、今日が超絶的にラッキーだった、普通レベルの常連の女性客だった。

だが。今日を過ぎれば、ソラは完全に座敷を降りる。一体、どんな殊勝な態度を取ってくるかと思ったら。――――…ソラはいつも通りだった。

女性客があれこれを詮索してくるのを、座椅子に腰掛けたまま、躱す。それでも尚、「何処に、身請けされるの?」や、「此処を辞めても、夜職としてまた帰ってくるんでしょ?」や、「今更、普通のカップルがヤるようなノーマルなセックスで、満足できるの?」等など…、実にあれこれと突っ込んでこようとする女性客に対して。ソラは。

「インタビュアーも伝記作家もコメンテーターも、何も誰も招いた覚えはない。俺の座敷に来たのは、俺の客だけのはずだ。
 男娼としての俺に用が無いのなら、さっさと帰ってしまえ」

…この通り。通常運転だった。何なら、少し機嫌が悪そうでもある。
通常運転でも、ある種、威嚇された女性客は。肩を竦めて、自ら服を脱いだのだった。


――――…。

最期の客が、座敷を去って行った。

ソラは座敷のシャワールームで、入念にカラダを清めた後。いつもの浴衣ではなく、店の重役が差し出してきた、仕立ての良いスリーピースへと着替えていた。
これから、ソラを身請けすると言い出して、大金を支払った張本人がやってくるという。…もう逃げられない。もとより、逃げ場など無かったのだが。

「ソラ様、お見えになりました」

襖の向こうから、重役の声がした。

―――いよいよか。一体、何処の物好きが、俺の籠の外への自由を奪ってくれたのか…。その腑抜けた顔、とくと拝んでやる。

ソラが居住まいを正したとき。襖が静かに開き、重役が「どうぞ」と言う催促と共に、入ってきたのは。

「―――…………は……?」

ソラの口から、滅多には聞けない間抜けた声が零れ出てきた。彼の翡翠の視線の先に居たのは。

「……カノン……?」

そう。あのカノンであった。だが、いつもの仕事帰りのオフィスカジュアルではなく。これから嫁入り話でもするのかと思うほどの、見るも立派な晴れ着を召している。

「えへへ、驚いた?驚いたでしょ?普通って、感じじゃないでしょ?」
「あ、ああ、まあ、…普通は、お前とは思わんだろうな…、その、なんだ?…うん…?」
「ソラの鳩豆顔なんて、初めて見ちゃった。貴方って、やっぱり最高よ、ソラ」
「…。…、どういうことか、さすがに説明して貰うぞ…?」

カノンの面白がる反応に、さすがに冷静さを取り戻したソラは、彼女に問い詰める。
振袖に臆することなく、優雅に座ったカノンは。悠々と口を開いた。

「改めまして。私は、カノン・フィレスター。
 テトラ・エネルギー代表取締役社長にして、このヨシワラ・フュストを動かすスペランツァの設備責任者。
 そして、この度、余渡屋のソラの身請けを申し出た、張本人」

この場にやってきたということは、そういうことだろうとは。思っていた。突拍子のすぎる話でもある。だが。

「何となく…、納得している俺がいる。
 思えば、お前からは個人を特定できる背景や生活の匂いが、全くしなかった。…どうやら、上手く隠されていたらしい」

ソラの言葉に、カノンは微笑む。滅多なことで動じない女であることは百も承知だが。やはり只者ではなかった。むしろ、とんだ曲者。
カノンとソラの応酬は、続く。

「うん。テトラ・エネルギーの社長の顔は知られていないとはいえ、此処に出入りしていることが原因で、社長が私だとバレたら、まあ、そこそこの騒ぎになっちゃうし。
 …、さすがに座敷に名札を落として忘れたときは、肝を冷やしたかな…、はは…。あれは社長室の社員たち全員から、随分と怒られちゃったよ…」
「正式な社員証じゃなくて良かったな。俺なら、そこからお前の個人情報まで辿り着けたやもしれんぞ?」
「…、やっぱり、普通のキャストじゃないんだね。ソラって。
 昨日になって、余渡屋の重役から聞いたの。ソラは、政府機関のエージェントで、ヨシワラ・フュストには潜入捜査をしている身なんだって」
「ああ、その通りだ。…それで?俺を本土へ還してくれる代わりに、今度は、お前の作った籠の中で大人しくしていろ、ということだろう?」

ソラの言葉には、憂いと捻り、そして、一抹の悲哀があった。一瞬、カノンが押し黙る。
…肯定、ということだろうか。やはり、己に自由など無かったと、天は言いたいのだろうか。

陰鬱な気持ちがせりあがってきたソラが、押し黙る絵面に対して。カノンは、慎重に言葉を紡ぎだした。

「正直、最初はさ、ソラのこと囲っちゃおう、って思った。だから、ヨシワラ・フュストは身請けが出来るって知ったとき…。自分で稼いでるとはいえ、使い道の無い大金なんて、せっかくだから自分の欲のために使おうって思いついた。
 …でも、昨日。ソラが本当は本土へ正式送還される日が決まっていたのに。私が身請けしたばかりに、撤回になったことを知って…。これは、さすがに、申し訳なさすぎるよ。…ヨシワラ・フュストは大人の楽園と銘打っても、地獄だった部分だってあったはず。…だったら、そこから抜け出すなら、せめてその先は、少しでも居心地の良い場所が良くない?
 だから私は、ソラに選択肢をあげたい」

カノンは意を決して、言った。

「私が作った鳥籠で大人しく囲われるか。それとも、私を後見人として、我が社で社員として働き始めるか…。
 ごめん。結構な大口を叩いておきながら…。でも、身請けした以上、私が用意してあげられる道は、これくらいだったわ。 
 でも、これが私の精一杯。ソラ、選んでよ。貴方の好きなように」

そう言い切ったカノンの瞳には、決意した色と、しかしその裏に隠された不安が見て取れる。―――その瞬間、ソラの中にあった憂いが、一気に吹き飛ぶ。何を迷うものか。此処まで選択肢を与えられて、今更、うじうじとしていられようものか。
ソラは、ふぅ…、と溜め息にもならない、だが、スルーするには美しい吐息を、ひとつ。そして、翡翠の双眸をカノンに向けて、数々の客を虜にしてきた花の唇を開く。

「囲うも、放し飼いにするも、好きにすれば良いだろうが…。…カノン、お前はまだ俺を見くびっているのか?
 お前が本当に望んでいるものが、別にあることくらい、すぐに分かる」

ソラの言葉に、初めてカノンの顔から動揺が見えた。客として来ていたときから、彼女のこういう顔は見たことがない。感情的になる、ということが一切、無かった。それほど、カノンはソラにとって『理想の客』だった。だからこそ、今こうして、ソラは問い直している。 

「…その顔、何故分かったのか?、と言いたげだな。
 俺を、誰だと思っている?ヨシワラ・フュストで一番売れている男娼にして、カノンという一番の客のことを誰よりも理解している、たったひとりの人間だ。
 いつものように、己の欲を晒せ。…言えないのか?それとも、俺から言って欲しいのか?
 さあ、何が望みだ?言ってみろ、カノン」

「―――じゃあ、もう言っちゃう。欲のままに振る舞うし、普通なんて今度こそ投げ出す。
 ソラ、私と結婚して。子どもはいなくていいし、普通の家庭なんてなくていいし。ただただ、私が貴方を手に入れる最善にして、一番、素直な方法は、これなの。ソラとずっと一緒にいるには、これしかないの」

ソラの言葉に焚き付けられたカノンの欲望が、晒される。ソラを心の底から手に入れたい、という、此処一番の欲望。
カノンの返答を聞いたソラが、翡翠の瞳を細めた。

「此処は、ヨシワラ・フュスト。客が発する素直な欲が渦巻いてこそ、その動力源。
 カノン。俺は喜んで、お前に婿入りするとしよう。
 
 …俺も、お前と、ずっと一緒にいたい」


*****


【ヨシワラ・フュスト 渡船場】

「ソラ様。長きにわたる大役、お疲れ様でございました。
 どうぞ、お幸せに」

余渡屋の重役が、そう言うと、深々とお辞儀をした。それに「ありがとう。世話になった。元気で」と返したソラは、カノンと共に、渡船へと入った。



汽笛が鳴る。船が出る。海を渡り始める。ヨシワラ・フュストから、今日も人々を乗せて、この船は往来をするのだ。だが、今この瞬間のソラにとっては、ヨシワラ・フュストから解放してくれる、奇跡の箱舟に等しいモノ。

夜明けの近い、薄暗い天の下。寒い潮風を浴びながら、ソラはカノンと手を握り合って、遠くなっていくヨシワラ・フュストを眺めていた。
あの機械仕掛けの楽園は、ソラがいなくなっても。変わらず、大人とカネと欲望で、巡り巡って、回り続ける。ソラはもう二度と、あそこへは戻らない。戻らなくていい。
これからは、この手を握り締めてくれているひとと、一緒に歩んでいく。

不夜城の鳥籠から、花婿という肩書きが付いた鎖へ。ひとり思うままに、この空の下を羽ばたくことは叶わぬが。愛するものが傍にいてくれる。いさせてくれる、という。
羽ばたけなくても、いい。ふたりで共に、同じ道を歩けばいい。ゆっくりと、同じ歩幅で。

「ソラ、その涙は、どういう感情?」

隣のカノンに言われて、ソラは気が付いた。自分の頬に、涙が伝っていることを。

「…、わからない。だが、カノンの前で泣けることは、素直に嬉しい…」

そう答えるソラの瞳からは、どんどんと雫が落ちてくる。
もう、自分の感情に、想いに、気持ちに、心に、無理やり、蓋をしなくてもいい。客を前にして理想の男娼であり続けるためにと、完璧に振る舞う必要もない。

ぽろぽろ、ほろりほろり、と涙の粒をしとどに流し続けるソラを、カノンが真正面から抱き締める。嗚咽を漏らす彼の背中を、赤子をあやすかのように、よしよしと撫でた。

「ソラが欲しがった自由とは、意味が違ったかもしれないけれど…。それでも、もう、あの島に囚われていたときみたいに、自分を極端に殺す必要はないの。
 これからは、己の欲のままに、自由に生きていいんだよ。だから、一緒に生きようね、ソラ」

幸せになろう。この愛しい温もりと共に。
これから渡り歩いて往ける、心から求めていた『本物の楽園』に広がる、大空の下で―――。


――― 完。
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