『余渡』本編小説

ヨシワラ・フュストに、テトラ・エネルギーの社長が視察に訪れる。

という話を、ソラが耳にしたのは。キャスト用の大風呂の中だった。
夜を徹して酷使したカラダを、温かい湯で労わる。その時間の最中に、たまたま湯舟で隣り合った同僚から話しかけられたことで、知る運びとなったのである。

湯上がりの酒でも飲もうという誘いをやんわりと辞して、ソラは早々に自分の座敷へと戻った。
店を閉じた直後の、この朝の早い時間帯。余渡屋のキャストたちの殆どは、休憩室となっている大広間で、酒を飲んだり、ゲームや世間話などに興じる。なかには、広間の隅っこで仮眠という名の雑魚寝をする者たちもいる。だが、ソラは営業時間外にあっても、自分の座敷に籠りがちな男だった。

ソラは座敷へと帰るや否や、電子ロック付きの棚を開けてから、そこからタブレット端末を取り出す。そして、定位置の座椅子に腰掛けて、端末を起動した。
画面に『YOSHIWARA FYST』のロゴが映ったかと思えば、すぐに電子署名を求められる。指先で『SORA』と書けば、『判定中…』と文字が出て、数秒後、『おかえりなさいませ、ソラ様』というテロップが出てきた。それには特に反応せず、ソラは無表情で画面をタップしていき、目的の情報を見つけ出す。
間も無く、彼の翡翠の視線の先には『テトラ・エネルギー代表取締役社長による、ヨシワラ・フュスト訪問について』という電子書類が出てきた。だが、その表紙には、政府機関のロゴが捺印されている。国家機密が内包されている可能性を示唆しているのだが、それにも構わず、ソラはタブレット端末の操作を続けていった。平時と変わらぬ涼しい顔で、書類の中身を順当に読み進めていく。

先んじて述べたことがあるが。ヨシワラ・フュストは機械島。そして、その動力源になっているのが、テトラ・エネルギーが開発した次世代エネルギー『スペランツァ』である。
詳細は伏せられているが、このスペランツァは、テトラ・エネルギーの現社長が、たったひとりで開発に着手した果てに、完成したモノだと言われている。故に、その功績を大いに称えられて、社長の椅子に収まった人物だとも。…伝承めいた話になっているのには、ワケがある。

テトラ・エネルギーの現社長は、ファミリーネーム以外の全てが秘匿されているのだ。曰く、「大層な偏屈」とのことで。社外はおろか、社内の人間ですら、社長の顔を直接拝むことは出来ないと言われている。必要な会議には、自分の代理として、AIスピーカーに出席させているという徹底ぶりから、その変わり者具合は、十二分にお察し可能。

その変わり者の社長が、ヨシワラ・フュストにやってくる理由。それは、『スペランツァの点検のため』とのこと。今、ソラが眺めている政府機関公式の書類に、そう明記されていた。自分で開発したエネルギー機関の働きぶりを、この眼で確かめたいのかもしれない。と、考えてみたり。

「テトラ・エネルギーの、フィレスター社長か…」

そう呟くソラとて、かの社長にお目にかかったことはない。今後も、その機会は無いだろう。
だが、ついつい、個人的な感情を抱いてしまう。大層な偏屈とて、組織の頂きに立つ身分である以上、少しの礼儀は見せないのだろうか。多様性を謳う現代社会、と言えば、聞こえは良いものの。社外秘で顔写真くらい公開して、自分の会社の末端を担う社員たちへ、誠意は示すことは出来ように…。

(……何でも自由に手に入れられるであろう身分にいるはずなのに。自ら望んで、籠に閉じこもるとは……)

―――…そこまで考え至って。ソラはハッと我に返った。
ソラとて人間。感情はあるし、それが思考の海の中で暴走するときだってある。…まあ、これまでの人生、感情に振り回されて無礼を働くという経験は無かったが…。

(…少し、疲れているのかもしれない…)

ソラは瞬時にそう思うことで、気持ちを切り替える。
タブレット端末を棚にきちんと仕舞ってから、仮眠用に敷かれた布団の中に入り込んで、数分の後。彼はすうすうと、寝息を立て始めたのだった。


――――…。

その日の最後の客は、カノンだった。最近、カノンは足繁く通っているものの、予約の時間はラストか、その付近になることが多い。どうやら、それより早い時間帯を選べる段階にあるにも関わらず、カノンの意思で閉店間際を狙っているようだ。もれなく朝帰りコースだが、本人曰く、「シャワーは座敷で浴びれるし、朝ご飯ならコンビニで買って、会社のデスクで食べれば良いもん」や、「昔から、出張や泊まり込みが多かったから、着替えなんて会社のロッカーにいつも置いてるし」や、「メイクなら他の社員が出社してくる前に、女子トイレで終わらせば問題なし」などなど。中々の猛者っぷりが伺えた。というか

「最早、社畜だな」
「しょうがないじゃない。うちの社長がヨシワラ・フュストに来るための準備に追われているんだから。おカネを使ってセックスでもしないと、激務のストレスが溜まりすぎて、どうにかなりそうだもの。
 ソラだって、どうせ、うちの社長の視察の話は、もう知ってるんでしょ?」
「まあ、キャスト同士の世間話と、その他諸々の噂などから、少々な。
 だが、テトラ・エネルギーの社長は、この島にも噂が流れてくるほどの『秘密主義』なようだが…。本当に視察など成立するのか?」
「珍しく突っ込んでくるじゃないのー?やっぱり、ソラも俗世のことが気になるときがあったり?」
「座敷に閉じこもっているのも、酷く退屈なときがあるだけだ」

少し喋り過ぎた、と、ソラは思った。カノンとのやり取りを終える意思を見せるために、小説本に視線を落とす。が、カノンは特に気にする素振りは見せず、シャワー上がりの自分の顔に、試供品サイズの美容液を塗る作業を続けている。最近の彼女は、こういうアメニティまで持ち込むようになった。曰く、「付き合いで色々な試供品を貰っては、部屋に溜め込んでいるので、この機会に使って、片付ける」とのこと。
仕事で抱えるストレスを発散するには、カネを使いたい、だが、セックスもしたい。それなら両方の良いとこ取りが出来る、此処を利用する。そして、ついでに自室の片付けのきっかけも作る。当然、会社にも行く。

したたかな女だ。それに、フィジカルもメンタルも、凄まじいパワーがある。
社長の視察の準備に追われている、と発言したということは、テトラ・エネルギー内では、それなりの役職についている可能性を内包している。そういえば、前に『普通に飽きた』という旨の発言をしていた。仕事で日々刺激を受けていると、プライベートに平穏を求めたくなるものだが。カノンは逆を突いている。そうなると、プライベートも、かなり充実しているのかもしれない。だからこそ、『普通』に飽きているのだろう。…、ソラはそんな風に考えた。

すると。自分のスマートフォンで、ヨシワラ・フュストの渡船の時刻表を眺めていたカノンが、声を上げた。

「えッ?もう最終便、接岸してるの!?
 ソラ、ごめんッ!試供品のゴミ、放置して帰るけど、あとヨロシク!」
「清掃係に任せればいいだけだ。それより、船に置いて行かれるなよ」
「うん!じゃあ、また!」

ばたばたと洋服を身に着けて、手荷物を纏めて、カノンは座敷を後にしていった。

その足音が消えていく頃に。ソラは、雑念を払うため、と、読みかけの小説本を閉じて。その翡翠の眼を伏せたのだった。


*****


テトラ・エネルギーのフィレスター社長による視察は、現地本人不在のもとで行われた。どうやら、役員に高精細カメラを持たせて、それから送られてくる映像を、社長は本土の何処ぞより眺めていたとのことで。…余程、衆目に晒されるのが嫌なのだろう。

だが、今のソラにとって。その情報は、どうでもいいことだった。自分の眼の前に、もっと優先して処理されるべきモノがある。
余渡屋の重役から受けた報告に、ソラは瞠目していた。

「俺が、身請け…?」
「はい。現在の規約上、何処の誰かに、とは、当日まで申し上げられませんが…。
 ソラ様の身請けを希望している御方より、先日、当店指定の口座にお振込みがございました」
「…、……。」
「…申し訳ございません、ソラ様。ですが、我々も心苦しく――――」
「――――もういい。下がれ」

ソラの冷たい声が、重役の言葉を遮る。だが、ただただ冷たいだけではない。ハッキリとした拒絶の色が含まれていた。
突き放されはしたが、自分の役割を終えた重役は。ソラの指示に従って、静かに彼の座敷を去って行った。

残されたソラは、腰掛けた座椅子の袖机の引き出しから、私用のスマートフォンを取り出す。先週、政府機関から受信したメールがあった。

『エージェント20187 ソラ殿
 ××××年〇月△日付けで、貴殿の本土への帰還を命ずる。 以上』

そう書かれた内容のメールのあとに、新着でもう1通、同じ送信元からのメールが入っている。ソラはタップして、新着メールを開封した。

『エージェント20187 ソラ殿
 身請け制度が行使されたことにより、貴殿の帰還命令を撤回とする。現場の指示に従うように。 以上』

簡潔な、業務内容。己の職務に忠実なソラからすれば、こういう指示書などは、シンプルで分かりやすいものほど、嬉しいことはない。だが、今の彼にとって、このメールは残酷すぎる現実だった。

―――…ソラは、普通のキャストではない。ソラの正体は、ヨシワラ・フュストを統括している政府機関に所属する、エージェントである。

4年前。彼が政府機関から、特殊任務を拝命した。それは、最初から、裏で政府機関と繋がりのある余渡屋の男娼として、この島に潜入捜査を行うこと。そして、キャストに成りすますことで、島全体の情勢を監視し、適宜、機関へ報告することである。

ヨシワラ・フュストにやってきて、4年。ソラも今年で27歳だ。まだ若さがあるうえに、客からも大層人気がある。潜入捜査はまだ続くだろうと思っていた。が、1通目のメールを受信したとき、ソラは思った。「やっと解放される」と。

それなのに。現実は非情だった。

ソラは『身請け』されることを、通達された。すなわち、余渡屋でソラを買ったこと経験のある客の誰かか、店に多額のカネを払い、ソラの身柄を引き取るというのだ。これも流刑同様、ヨシワラ・フュストに敷かれた、特異なルールのひとつである。
ソラは確かに政府のエージェントだ。しかし、本土に正式に帰還する日が来るまでは、余渡屋のキャストとして振る舞う必要がある。
故に、帰還命令の日付がやって来るまでに、身請けの制度が行使されれば、エージェントとしてではなく、男娼としてのルールが施行される。…お役所仕事も甚だしい。しかし、それに抗えるほどの権力や地位は、ソラには与えられていない。
端から、ソラが反抗が出来ない基盤が作られているのだ。政府機関は、ソラをヨシワラ・フュストに差し向けるにあたり、彼が外への自由を求めても。それがその手に渡らないように、上手く仕組んでいた。万が一、ソラが抗おうという感情を芽生えさせたとしても、彼ほどの聡明で勤勉な男が、理性をかなぐり捨ててまで、最終的に自由を追い求めるような『愚行』に走るとは、思えない。例え、お役所仕事であっても、ヨシワラ・フュストの特異なルールと、ソラ自身の個性を、巧みに利用して。政府機関は、ソラを島の中に深く縛り付けていた。

本土への帰還命令が通知されて、やっと島から解放されると、思っていた。本土へ帰ったとしても、もう普通の生活には戻れないが。それでも、毎夜、男娼としてカラダを売り続けて。その傍らでは、エージェントとして情報収集と、その報告に務めて。そうして過ごしてきた中で、擦り減らしてきた己の中のナニかが、悲鳴を上げてしまう前に。―――解放される、と思っていたのに。

解放される前に、身請けが決まってしまった。何処の誰かに知れぬ者の家に、召し上げられる羽目になってしまった。
それが意味するのは。ソラの『働く場所』が変わるだけで。なにひとつ、彼を現状から解放してはくれないということ。

―――…一度でも籠の中に放り込まれた鳥は、二度と大空の下を羽ばたけない、とでも言うのか。

『ソラ』という名前を持つ男は、『空』と銘打たれた座敷の中で。
このヨシワラ・フュストに来てから、初めて、悲しみの涙を流した。それでも嗚咽は押し殺されていて、誰にも届かない。届けなくていい。

所詮、自分は。誰かのためにしか使われない、籠の鳥。
天の下を自由に羽ばたくことを取り上げられた鳥は、美しい鳴き声の出し方も、忘れてしまったのだ。


――fin.
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