『余渡』本編小説

「私、妊娠したの。絶対に貴方との子どもだから。ねえ、責任取ってよ」

座敷に上がってきた女性客から、告げられた言葉。だが、こういうパターンのやり取りは、もう何千回としてきた。

「まず、あり得ないことだと、一応、申告はしておくが…」

ソラは対応しながらも、内心、辟易するが。決して、その感情を表には出さず、淡々と告げた。

「まあ、いい。確たる情報が出たら、店を通して、また報告をしてくれ。
 俺の方からも、お前に提示できる情報があれば、用意ができ次第、適宜、公開していく」
「え、…それだけ?」

ソラの冷たい言葉に、女性客は顔を青褪めさせる。しかし、ソラは涼しい表情ひとつ崩さずに、脱ぎかけた浴衣を直していた。仕事を始めるという直前で、妊娠のカミングアウトをされたのだ。間が悪い、というか。何と言うか。
そして、帯を締め直したソラは、硬直したままの女性客へと畳み掛けた。

「妊娠したのだろう?しかも、その誘因は俺にあると、お前は主張している。
 故に、胎児のDNA鑑定の結果が出るまで、当面、お前はヨシワラ・フュスト全エリアに於いて、出禁だ。
 無闇に島に出入りを繰り返されて、何が何やら分からなくなったり、情報が錯綜しても、困るからな」
「ちょ、ちょっと待って!?女を妊娠させておいて、その冷たい態度はなに?!」

女性客は、我が子が宿っているという腹を両手で押さえながら、感情的に叫ぶ。が、ソラは態度をいっぺんも変えずに、続けた。

「俺はあくまで、余渡屋のキャストだ。そして同時に、それはヨシワラ・フュストの法律に則った行動を求められることを意味する。
 万が一、お前の腹の中にいるという胎児が、俺の子であると判明したら、きちんと取るべき責任は取る。
 だが、そうでなかったとしたら、…次は、お前は処分される側に回るかもしれんぞ?」
「脅して、口封じしようって言うわけ…?!男なら、黙って責任取ってよ!!」

黙って、の単語を聞いた瞬間。ソラの双眸が、怒りに細まった。一瞬にして、座敷内の空気が冷え込む。女性客は、びくっ、と肩を震わせ、慄いた。

「事実を述べているだけだ。そして残念ながら、俺は責任を取ることは出来るが、黙ることは不可能だ。
 何故なら、お前には異性の配偶者がいるという情報が、あるからだ。
 風俗通いを認めるかどうかの議論は、各家庭内でして頂きたいものだが。…そこに『俺がお前を妊娠させた可能性が浮上する』と、今度は、『不義密通』という犯罪になりかねん。
 …ヨシワラ・フュストには、本土とは別の法律が敷かれていることを、知らない、とは言わせない」

絶対零度の怒気を含んだソラの言葉は、女性客の心を、刃のように抉る。そして、まもなく。女性客は退店して行ったのだった―――…。


――――…。

数時間後。

あれから、別の客を挟んで。最後の予約客であるカノンを迎え入れたソラは、彼女の相手をしていた。

今日はオプション料金を支払ったらしいカノンは、座敷に運ばれてきた酒を飲んでいる。当然、お酌はソラだ。

「…ちょっと薄いね、この日本酒。知ってる銘柄を聞いたから、期待していたのに…」
「すまないな」

客に出す酒を薄める、というのは。残念ながら、然程、珍しい行為ではない。だが、不義理ではあるまいか?と、ソラは個人的に思っている。故に、カノンの言葉も、彼なりに受け止めて、店のキャストとして答えられるだけの真摯な対応をした。
だが、カノンは、フッと笑っただけで。御猪口を傾けながら、口を開いた。

「まあ、こういうのって、雰囲気込みのメニューだしね。実際、ちょっと気分が良いかもしれない。
 買った男娼にお酌して貰いながら飲む、お酒…。…うん、口に出すと、益々、悪くないわ」
「そうか。商品価値を理解しているようで、何よりだ」

カノンは、本当に良く出来た客だ、と、ソラは思う。良く出来すぎて、たまに空恐ろしいという気持ちが、少しよぎってしまうくらいには。

ツマミとして一緒に出てきたたくあんを、楊枝で突き刺して、カノンが口に運ぶ。ぽりぽりぽり…、と小気味の良い咀嚼音が聞こえた。

「あ、このたくあん、すっごく美味しい。ソラも食べる?」
「大門前の土産屋に置いてあるものだ。気に入ったなら、買って帰るといい」

キャストとして、客と同じ皿のものを食べることに抵抗があるソラは、さり気なく話題を逸らした。

「あら、良いこと聞いちゃった。自分のおやつと、会社の子たちに、買っちゃお。
 普段はね、やっぱり差し入れとか、お土産とかって、甘いものばかりで。いい加減、しょっぱいものが恋しいのよね」

対してカノンは、ソラの振った情報を、嬉しそうにスマートフォンのメモに書き込む。

次の酒を注ごうとしたソラだったが。カノンは御猪口を盆に置いたのを見て。自身も瓶を置いた。
カノンがソラに向かって、軽く両手を広げながら、言葉を紡ぐ。

「良い感じに酔ってきちゃった~…。ねえ、ソラ。今夜は、優しめにしてほしいわ。
 近々、大きな仕事が待ち構えてるせいで、実はストレスマッハなの」
「それで、わざわざ店で酒を飲んだのか?まあ、別に良いが…」

ソラは冷静な声で答えながらも、カノンの両腕の中に、するり、と入り込んで。そのまま彼女を畳の上に押し倒すと、酒に濡れた唇を、自分のそれで塞ぐ。
舌を絡めた、甘いキス。表面上だけの、甘さ。そこに営業のための、優しさを溶かす。

蕩けた視線と、溢れる吐息が艷やかになったところで。ソラは、カノンの服に手をかけた。


――――…。

カノンが余渡屋を出たとき。店の前で、スタッフたちを相手にして、何やら騒がしくしている女性を見かけた。

「ソラに会わせてよ!!私は彼の上客よ?!カネなら払うって言ってるじゃない!!」
「申し訳ございませんが、お客様は現在、島そのものを出禁に―――」
「―――客の言うことが聞けないっていうの?!私を妊娠させたくせに!!」

―――『妊娠』。
その言葉に、カノンは思わず、反応してしまった。すると、騒がしくしている女性と、がっつり、視線が交叉する。あ、と思ったときは、もう遅かった。

「なによ?!何か文句あんの?!じろじろ見ないで!!見世物じゃないから!!
 あんたみたいなのと違って、私は遊びじゃなくて、本気なんだからッ!!」

女性がカノンに向かって、ヒステリックに叫ぶ。おやめくださいお客様、と、スタッフが間に入って、阻止した。別のスタッフが、カノンに向かって「申し訳ございません。どうぞ、お気をつけてお帰りくださいませ。本日のご来店、誠にありがとうございました」と言って、こうべを垂れる。
カノンはそれに会釈で答えた後。騒ぐ女性の声を背に、さっさと大門に向かって、歩いていったのだった。


【4日後 余渡屋 座敷『空』】

見慣れない客が上がってきたとは思っていたし、何やらおかしな雰囲気を抱えているのも一目で分かった。

来客用の座布団に正座したまま、膝の上で両手を固く握りしめては、黙りこくっている男性客に対して。座椅子に腰掛けたままのソラは、冷たい声音を紡ぐ。

「…カネを払い、俺の座敷に来てまで、何をしに来たつもりだ?」

ソラの言葉に、男性客は、びくり、と肩を震わせた。が、意を決したように、息を呑むと。口を開いた。

「…おれの女房を、孕ませたんだろ?
 あんた、どうしてくれるんだ…?!せっかく、10年も連れ添った、おれの大切な女房を…!」
「…、その話か…」

今のソラにとって、一番、蒸し返して欲しくない話題だった。どうやら、この男性は客ではなく。先日の妊娠のカミングアウトをしてきた女性客の夫。故に、ソラにとって、彼は客ではない。だが、男がカネを払って、此処まで来た事実は変わらない。ソラは読んでいた小説本から顔を上げて、男を見やった。

「俺に、何が言いたい?」

そう言うソラの双眸は、真冬の温度を思わせる、氷のようで。その冷酷さに、男は怯みながらも、用件を告げる。

「自分の女房に、他の男の子どもは、産ませたくない…。それに、夫のおれがいながら、女房の腹の中に、あんたの宿した赤ん坊がいることが、…かなり苦痛だ。
 …、慰謝料をくれ、なんてことは言わない。だが、せめて、中絶の費用だけでもいい。それだけでも、あんたから支払ってはくれないか…?!
 情けないことに、おれは、稼ぎが少ないんだ…。これからも大切な女房を愛していくには、どうしても、腹の中の赤ん坊をおろして貰わないといけない…!
 頼む…、いや、お願いします…!」

男はそこまで言うと、頭を勢いよく下げた。綺麗な、土下座である。だが、ソラの目線は冷たいままだ。それが気に触ったのか。男はこめかみへ僅かに血管を浮かばせながら、ソラの翡翠の眼を睨み返して、己の主張を続ける。

「ひとの女房を孕ませておいて、その態度は無いだろ?!
 それに、おれは別に、謝れとか、土下座しろとか、大金を寄越せとか、そんなことは要求してない!
 ただ、中絶に必要なカネさえくれれば、それでいいって言って――――」

「――――黙れ。控えろ。それ以上、さえずるな」

絶対零度のソラの声に、男の主張は斬られた。…気に触ったのは、男だけではなかったらしい。
怒りに細められた翡翠の双眸を向けながら、ソラは萎縮した男に向かって、口を開いた。

「用件を述べろと言ったのは、確かに俺だ。だが、これ以上、自己中心的な戯言を抜かす気でいるなら、俺とて容赦はしない。
 俺はお前の女房、…あの客に対しても、『確たる情報が出たら、店を通して報告しろ』と通告したし、それは俺にとっても同じことだと言った。
 …分からないか?
 好き勝手な主張も、そろそろ止めてくれ、と言っている。揃いも揃って、いい加減しろ」

ソラがそこまで言い切ると、男はわなわなと震える。怒り心頭。だが、無防備なソラに手を上げれば、客扱いの自分が処分されるだろう。此処はヨシワラ・フュスト。本土はルールが違うのだ。それに、今ここで男が暴力に振るったが故に、処分を受ければ。今度は芋づる式で、自分の妻にも罰が下るかもしれない。彼女はソラの上客なのだから…。

「おれが…!不甲斐ないばかりに…!でも、こんなことになるなんて…!」

男が苦し気に呻く。風俗通いが派手とはいえ。心から愛する妻に、自分の間違った振る舞いのせいで、嫌な気持ちはさせたくない。男は歯を食い縛った。ぎり、と奥歯が鳴る。

その様子を見たソラは。ふ、と考える素振りを覗かせた後。おもむろに、座椅子の袖机の引き出しから、封筒を取り出した。その所作を、他人事のように眺めている男に対して、ソラは口を開く。

「数多くありすぎる前例に倣うなら、此処はとっくに暴行及び傷害未遂事件の場になっていただろうが、…お前は己の律することが、十二分に出来るようだ。
 一時的な激しい感情に振り回される側面と、少々短慮な一面は見受けられるが、総じて、身の丈にあった立ち居振る舞いを見せるのは、評価に値する。 
 よって、本案件を引き起こした人物の配偶者、ということに免じて、俺の情報を、俺自身の権限に基づき、お前に先んじて開示しよう。
 これで納得が出来ないというなら、それでも良い。次のフェーズに移るだけだ。…ほら、検めるといい」

そう言いながら、ソラは座椅子に腰掛けたまま、封筒を男に向かって差し出した。男は座布団から腰を上げて、膝立ちのまま、ソラに近付き、封筒を直接受け取る。そして、言われた通り、中を開けて、出てきた書面を確認した。次の瞬間。

「え、う、嘘だろ…?あ、いや、でも…、水商売をしているなら、当然のことなのか…?
 で、でも、パイプカットなんて…、普通、そこまでするもんなのか…?!しかも、政府公認なんて…!」

男が驚愕に震える。ソラが渡した書面には、ソラが『政府公認のもと、パイプカットを施術している』という旨が明記されていた。更に、その理由が『ヨシワラ・フュストで働くため』の一点集中と極めていることが、男を震わせる。何故なら。

「パイプカットって一生モンだろ…?!あんただって若さが無くなれば、座敷を降りるだろ…?!いや、あんたがいつから此処に居るのかとか、いつまで居るのかとか、おれは知らないけど…。それでも、あんただって、ゆくゆくはこの島を出て、普通の生活に戻るんじゃないのか…?!それなのに…!」

男が言いたいことは、ソラには分かる。パイプカットを施せば、今後一生、己の子は望めないに等しい。一応、自然妊娠の可能性は、2000分の1という確率で残されてはいる。だが、それは決して、現実的な数字ではない。
男館で身を売るならば、女性客を妊娠させるリスクは絶対に回避するべき。だが、現代技術は、着実に発達している。コンドームは日々進化しているし、避妊に対応する薬にも、開発・改良、そして法整備が進んでいる。女性側が使う避妊用具さえ、数多く、存在する。
だが、ソラが選んだのは、自分に身体に、直接、医療的メスを入れることだった。

「俺のパイプカットに対する、お前の心配は、有り難く受け取っておこう。だが、俺は座敷を降りたところで、普通の生活とやらに、戻れる保証はないのでな」
「それって、どういう、―――あ…」

ソラの意味深な言葉に、男が突っ込もうとしたとき。男のスマートフォンが鳴った。妻からだ。
反射的に不安が募ったことで、ソラを見た男に対して。ソラは涼しい表情のまま、「出てやるといい」とだけ告げる。それに背中を押されて、男は電話に出た。

ソラは座椅子に腰掛け直し、ふ…、と息を吐く。男が妻であり、ソラの客である、あの女と会話している音をBGM代わりに、珍しく、ぼう、と思考を投げ出した。…が、それも男が電話を切った気配を感じ取った途端、すぐに元通り。何食わぬ顔で、ソラは男を見やった。

「…、想像妊娠、だったと…。
 検査の結果、医者が撮ったエコー写真、その他色々…。とにかく、うちの女房が妊娠した事実は、世間的には、認められない…」
「そうか」

男の報告したことは、ソラの想定内の内容。故に、ソラの口からは淡白な答えしか出なかった。男は項垂れつつも、続ける。

「…、あいつ、電話越しで、泣いてた…。
 …想像妊娠だったことが、とても恥ずかしいって…。
 ただでさえ、風俗通いが派手だと、近所で笑い者にされていたのに、…今回のことがバレたら、もう、近所にも、ヨシワラ・フュストにも、居場所がなくなるって…」

涙声になりながらも、男はソラにしかと報告をした。ソラは沈黙だけで答える。冷たい視線も、態度も、こんなときですら、彼は変わらない。だが、それは何処までも公平さを重んじるソラの信念でもあった。
そのソラの静かなる肯定に後押しされて、未だ両目に涙を溜めているものの、男は姿勢を正すと。口を開いた。

「おれ、もっと立派な男になります…!
 風俗通いを許可したのはおれですが、…それは、おれが稼ぎが少ないことを理由にして、仕事にかまけて、女房に寂しい思いをさせてたのも理由だろうし…。
 近所に居場所がないっていうなら、おれがもっとあいつに対して、向き合ってやればいいって…。
 ヨシワラ・フュストや、あんたを否定するわけじゃなくて…。家庭っていう、ひとつの居場所が、あいつにとって、…愛する女房にとって、もっともっと、安心できる場所になれるように、おれ、頑張ります…!」

襟を正した男の言葉を、しかと聞き届けたソラは。腰掛けていた座椅子から、おもむろに立ち上がった。不意のことに驚く男の前に、ソラは膝をつく。

男の頬を、自分の両手で軽く包み込んで、くいっ、と上げさせると。その氷のような翡翠の眼で、男のそれを覗き込みながら、色素の薄い唇を開いた。

「決意したからには、この不夜城の螺旋から、愛する女を護ってやれ。俺との約束だ。
 …頼む」

そう言いながら、男の眼の中に映り込んだソラは。この島一番の男娼にして、此処で何が渦巻いているのかを一番理解しているが故の。ひとりの人間の憂いを帯びていたのだった―――…。


【一ヶ月後】

ソラは、牡丹雪が降り注ぐ窓の外を眺めていた。そろそろ、冬が佳境を迎えようとしている。明日の朝は酷く積もるだろう。…とか、ぼんやりと考えていたときだった。
背後の布団の中で、もぞり、と、カノンが動く気配を感じて。ソラはそちらに視線をやった。

「んぬぅ…、いまなんじ…?」

カノンは寝ぼけた声で、枕元のスマートフォンを手に取った。ソラの体内時計では、カノンが激しい情事に疲れて、寝落ちしてから。30分程度しか経っていない。そのリカバリーの早さたるや、ソラがカノンを評価している点のひとつだったりする。
下着も身につけていない、無防備なカノンを何となく、眺めていると。

「ソラ、今日、ちょっと機嫌が良かったりする?」

カノンが不意に問いかけてきた。その質問に、ソラは内心、ハッとする。…少々、思い当たる節があった。

「…だとしたら?」

といえども、ソラの口からは、相変わらず、冷たい声と言葉しか出てこない。
だがカノンは、そんなソラの態度を特に気にした素振りは見せず、むしろ、これぞ通常運転と知り尽くしたとばかりに。「ううん、なんとなく思っただけ」と返して。ふああ、と欠伸をした。

ソラの定位置である座椅子。その袖机の引き出しには、今朝、ソラ宛として店に届いた手紙が入っている。差出人は、先日の想像妊娠の騒動を起こした、あの夫婦。
風俗通い、すなわち、ソラのもとへ来るのをやめた妻は、その後、夫との子を無事に身籠ることが出来たという内容のもの。
子どもが生まれたら、名付けてほしい。という旨の一文は、ソラの翡翠の眼を、酷く動揺させた。が、同時に、忘れかけていた感情を揺り動かすきっかけにもなった。

カノンが「機嫌が良い」と評するのも、間違いではない。

春の陽気が優しい頃に、生まれてくる生命。それに名付ける役割。
過去に読み漁ってきては、山のように積みあがる本たちを、今一度、読み返すときがやってきた、とさえ。密かに、心嬉しく考えてしまうくらいには。


――fin.
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