『余渡』本編小説

ヨシワラ・フュストは、政府が直轄する色街の島。故に此処に関する法律は、本土に敷かれているそれとは、一線を画すものがある。
その最も代表格と言われているのが、―――『流刑』。
本土では太古の時代に実在していた刑罰の一種で、罪人を辺境の地や離島などに送致し、拘禁、または強制的に定住させるものである。なので、『島流し』という別称も持つ。

そして、ヨシワラ・フュストで重罪を犯した者は、しばしば、この『流刑』に処されることがある。時の政府に於いては、ヨシワラ・フュストの持つ特異性を守り、そしてそこから発生する責任を取りたい形で、この流刑を採用しているのだ。

では、今のこの国における、そしてヨシワラ・フュストに敷かれている、流刑とは?
まず、本刑罰を下された罪人は、この世界の地図に描かれていない離島の何処かに送られる。罪人は、初期に必要な最低限の金銭と生活用品だけを持たされて、後は離島にて自活や労働をすることを求められる。ただ、そこは地図にない島。つまり、世界そのものが、存在を認めていないに等しい場所。外国との交易などは一切無い。
一応、一年に一度。政府関係者が様子を見てくることが義務付けられており。決められた日程で、流刑の地へと船を出すが。…持ち帰ってくる報告は、大体、いつも同じ。罪人のものである白骨か、それに準じた遺品めいたナニかである。つまり、大抵の罪人は、野垂れ死んでいる。飢えか疾病か、はたまた自死か。政府の方から、その詳細が語られることは、まずあり得ない。

その痛ましい現実を前にしては、誰もが口を閉ざすしかない、そして、悪行を働いてはならない、と。目を伏せるのだ。
そうして、ヨシワラ・フュストという、色街の全てを司る機械島は。大なり小なりの暗闇を抱えて、今日も不夜城と、海上へ聳え浮かぶのである。


【余渡屋 座敷『空』】

しまった、と思ったときは。もう遅かった。帰り支度をしていた彼女は、時間を気にして焦る余り、自分の鞄をひっくり返した。不幸にも、鞄のチャックは閉じられておらず、中身が畳の上に散らばる。

財布、スケジュール帳、ボールペン、ハンカチ等…。一般的な会社員の女性が持っている、ごくごく普通の鞄の中身。
彼女の傍で、同じく自分の浴衣の帯を締めていたソラが、自分の方へと飛んできたものを拾い上げる。

その様子を見た彼女は、またしても、しまった、と思った。
ソラが拾ったもの。それは、彼女の社員証だった。

「テトラ・エネルギーの正社員か…。道理で、こんな短期的なスパンで、この俺を買えるわけだ」

ソラのコメントに、彼女は「まあね」とだけ返した。

テトラ・エネルギーとは。この国一番の規模を誇る、次世代エネルギー会社である。機械島であるヨシワラ・フュストをに動力源も。このテトラ・エネルギーが開発した次世代エネルギー『スペランツァ』が使われているのだ。

それを知らないソラではない。だが、だからといって、彼女を見る目に、いっぺんの変わりも無いし、曇りも差し込まない。

彼女はお礼を述べてから、社員証を受け取り。そのまま、スマートフォンの時計を確認して、早く退室しなければ…!、と立ち上がる。彼女は今日も、ソラとセックスした後。爆睡してしまったのだ。当然、ソラは起こさなかった。スマートフォンのアラームは、確かに鳴っていたはずなのに。

案内役のスタッフを待たせていることが心苦しいこと、そして、この座敷を仕切るソラに迷惑をかけたくないという、ふたつの気持ちから。彼女はなるべく早くこの場を去るため、ぶちまけた鞄の中身も、ぞんざいに突っ込んで。襖に手をかけた。その時。

「待て、カノン」
「―――…!」

不意に自分の名前を呼ばれた彼女は。―――そう、まるで初めて、その響きを耳にしたかのような。そんな驚きの表情で、ソラの方を振り返った。

「髪の毛が、背中のリボン飾りに絡まっている。…動くな、…、よし、解けた」

ソラが彼女―――カノンが羽織っているレザージャケットの飾りに、彼女の髪の毛が引っかかっているのを、発見してくれたようだ。そして、それを解いてくれたことも、理解する。…助かった。このまま帰宅していたら、カノンは自宅のウォークインクローゼット内で、大惨事を見る羽目になっていたかもしれない。

「ありがとう、ソラ。…またね」

カノンはそう言うと。今度こそ、座敷を後にした。

残されたソラは、清掃スタッフが来るまでの間に、と。いつもの座椅子に腰掛けて、束の間のうたた寝を始めた。


*****


カノンの次に予約が入っていた男性客は、元々、ヒステリックで、且つ、過剰な妄想癖を抱えているきらいがあった。

ただでさえ他人より言葉の少ないソラに対しても。彼が言ってもないことを「言った」だの。態度に示していないことを「思わせぶりだ」だの。そういう風に被害妄想を繰り広げては、喚き散らす悪癖を晒している日々。
…それが、今日は、一等酷い。理由は、分かっている。分かっているからこそ、ソラは娼館のいちキャストとして、真摯に対応しようとした。が、そこが裏目に出た。

「この名前のオンナに気があるんだろ??!!誰にでも冷たい態度取ってるとかいうのはセールス文句で!!ホントは裏で贔屓の固定客と繋がってるんだな?!!」

男性客は、その手に持った小さなプレート状の名札を、ソラに掲げながら。事実無根なことを、さも真実のように喚いている。

事の発端は。ソラの座敷にやってきた男性客が、布団と畳の間に挟まっていた、…ともすれば、見つけるには少々難しい位置に落ちていた、名札を発見したことによる。
その名札には、テトラ・エネルギーのロゴマークと、『KANON』という名前が刻印されていた。十中八九、カノンの落とし物であり、彼女の仕事道具としての名札である。鞄をひっくり返したときに転がり落ちて、布団と畳に間に挟まってしまったのだろう。
そして、ソラとカノンはおろか、清掃スタッフも気が付けず、次の客を入れてしまい、客がそれを発見し、勝手な被害妄想を繰り広げては喚いている。という、現在の流れに繋がる。

「結局、太い客にイイ顔してんだな?!ソラがそんなサイテーなヤツだとは思わなかった!!」

ソラがどれだけ説明しても。男性客は変わらず、無知蒙昧なことを叫んでいた。さすがのソラも、そろそろ、馬鹿正直に相手をしていられなくなってきている。

「それ以上の妄言は、やめておけ。俺とお前、そして、その名札の持ち主のためにも」

だが、実に冷静なソラの言葉は、客の神経を逆撫でするだけだった。

「このオンナの味方をするのか?!!やっぱり繋がってるんじゃないか!!!このクソビッチめ!!!こうなったらお前の首を絞めてでも分からせてやる!!!!今すぐそこに寝転んで、服を脱げ!!!!」

「――――退店命令を下す」

突然、ソラの声が、ピシャリ、と、男性客のなじりを斬って捨てる。咄嗟のことに固まる客を前にして、ソラは普段より一層冷たい眼を向けて、口を開いた。

「速やかに座敷を去り、退店しろ。今後のお前への対応は、店と話し合ったうえで、ヨシワラ・フュストの正式機関を通して、お前に通告させて貰う。
 …聞こえたか?何を呆けている?
 俺はお前に、さっさと帰れと、言っているんだ」

氷のような瞳と声で、そう告げられた男性客は。まさしく、冷や水をぶっかけられたように顔を青褪めさせて。逃げるように、ソラの座敷を去っていった――――…。


【3日後 余渡屋 座敷『空』】

自分の座敷に、一切の客の予約を入れなかった本日。ソラは、定位置の座椅子に腰掛けてはいるものの。その傍では、余渡屋の重役が控えていた。重役は緊張した面持ちで、ソラに報告する。

「テトラ・エネルギー様より、当店に正式なクレームが寄せられております。
 先日、ソラ様の座敷で拾った名札に名前が書かれていたオンナを出せ、謝罪しろ、慰謝料を寄越せ、ソラ様との関係を解消しろ、等という、一方的な言いがかりをつけてくる電話が、一日に70本近く、テトラ・エネルギーのカスタマーセンターにかかってくるとのことです」
「テトラ・エネルギーは、店と俺に対して、何と?」

重役の報告を聞いたソラは、長い睫毛の生えた瞳を細めてから、話の続きを促した。

「御心広くも、余渡屋とソラ様も被害者であることを理解してくださっております。
 そのうえ、テトラ・エネルギー内のことは、社内で対応する故、余渡屋ではキャストのケアを尽くして頂きたいと、代表取締役社長様より、秘書様を通じて、メッセージを頂戴いたしました」
「…、有り難いことだ。クレームというより、気遣いの塊だな」

そうは言いつつも、ソラは鬱陶しそうに己の前髪を掻き上げる。何処か歯痒そうな表情が、垣間見えた。重役が続ける。

「現在、対象のクレーマーの行方を、警察が捜索しております。既に令状は出ておりますので、確保も時間の問題かと」
「そこのフォローに回りたいが、俺自身、ヨシワラ・フュストから出られないからな…」
「その点は、どうかお気に病まず。我々にお任せください、ソラ様」

重役の言葉に、ソラは、ん…、と頷き。そして、人前では非常に珍しく、重たい溜め息を吐いてから。座椅子に深く腰掛け直した。
年季の入ったスプリングが、ぎしり、と鳴る。


【10日後 余渡屋前】

ソラの座敷で暴れた、例の元男性客が、警察に拘束された状態で、余渡屋の前に跪かされていた。
彼の前に立っているのは、店の重役と、数人のスタッフたち。そして。―――ソラだった。

氷の瞳で今や罪人と成り果てた男を見下ろしながら、ソラは色素の薄い唇を開く。

「お勤めご苦労。最早、今生では相まみえることは叶わんだろうが、特に俺からの餞は持ち合わせてはいない。精々、骨と土にならないよう、努力してみせることだ。
 ……連れて行け。もう顔も見たくない」

ソラはそれっぽっちのコメントだけ残すと、警察官たちに命じるように言った。そして、自身は踵を返して、店の中へと入っていく。余計な嘘や世辞を一等嫌うのが、ソラという男だ。仕事中でも何でもない空間で、客でもない、むしろ罪人相手に話して聞かせる世間話は、彼の中の会話集には編纂されていない。

身体の真芯から絶望した表情を浮かべて、ソラの浴衣の背中を見る男には。ソラはもう、一瞥もくれない。


――――…。

その日最後の客が、座敷に上がってきた。が、ソラはその客の顔を見るなり、思わず、ぽかん、と、呆けてしまった。

「へー、ソラって、そんな顔も出来るの?
 てっきり、貴方の表情筋のシフトって、組まれてないのかと思ってたわ」

いけしゃあしゃあとそう言ってのけるのは、間違うものか。―――カノンである。今日最後の客は、彼女だったらしい。不覚にも確認を怠っていたソラではあるが、さすがに面食らった。

「まあ…、もう来ないと思っていたからな…」
「普通は、二度と来たくないと思うかもね。でも残念ながら、私、『普通』には、とっくの昔に飽きている人間だから」

ソラの言葉にも、カノンはケロリとした表情で答える。

自分が買った男娼絡みで、勤務している会社がトラブルに見舞われたというのに。まあ、プライベートと仕事を分けて考えている、公私混同しない、とでも言い訳してしまえば、それもそれで議論は終わる。
何故なら、ヨシワラ・フュストで起こった出来事は、基本的に、本土には持ち込まれないからだ。法律で、そう決まっている。

「うちに鬼電してきたクレーマー、結局、流刑になったんだって?可哀想に。
 ヨシワラ・フュストの火遊びを、本土に持ち込むからよ。自業自得ね」
「随分と、綺麗に割り切っているな。…俺の言えた口ではないが、痛む心は無いのか?」

カノンの潔いコメントに、ソラは思わずツッコミに等しい台詞を飛ばす。しかし、カノンは、あっけらかんとした顔のまま、答えた。

「無いわよ、そんなもの。だって、ヨシワラ・フュストは、本土から切り離された場所だもの。
 同じようなことを繰り返すけど、ここで済ませるべき遊びを本土に持ち込んだ時点で、アウトに決まってる」

実に合理的な回答。端から見れば冷淡とも取れるかもしれないが、…ソラにとって、カノンの出したその答えは、大正解だった。

ヨシワラ・フュストは、本土から完全に隔絶された、不夜城の島。隔(かく)されているのだから、本土に此処の事情を持ち出してはならない。そのための、機械の島。そのための、海の上の色街。そのための、―――流刑。

特別な刑罰が制定されているこの地は、ある種、神聖な場所とも言える。何故なら、ヨシワラ・フュストとは、カネで買える一夜の夢を提供する、大人のための楽園なだから。

とはいえ、流刑だろうと、通行証で大門を潜ろうと。ソラにとって、それら全ては、『この島からの出入りの仕方の違い』でしかない。
重たい刑罰を受けた罪人に馳せる気持ちは、ソラはいっぺんも持ち合わせていないが。それでも、流される、という行為自体。一種、憧れのような思いはあった。

―――…自分の気持ちや本心を丸ごと無視して、世界が起こす波の流れに身を任せて、自由に生きる世界へ…。

「ソラってば、今日、おセンチ?」
「気にするな。仕事に支障はない」

この巨大な機械の島に閉じ込められたソラは。
『空』という名前の座敷を持ち、本物の空を飛ぶことを忘れそうになっている、籠の中の鳥なのだ。

だとしても、この島で生きると決め、この地へ足を踏み込んだ以上。閉じ込められた己の身を嘆いてはいけない。
眼前で起こった流刑案件につられた連想ゲームだったとしても。間違っても、籠の中にいるが故に、外を自由に飛べないことに涙してはいけない。
ましてや、罪人相手に、ほんの一瞬でも「島を出られて、羨ましい」という念を抱くなど…――――…。

「ねえ?やっぱり調子が悪いんじゃないの?
 払い戻しはもういらないから、私、キャンセルしてもいいよ?どうせ、また来るつもりだし」
「……、お前は本当に、ヨシワラ・フュストの客として、百点満点だな。
 だが、大丈夫だ。座敷まで来て貰った以上、手ぶらでは帰さん」

危うく、自分に与えられた立場を飛び越えた思想を抱きそうになったソラだったが。
改めて、眼の前にいる『理想の客』であるカノンに、自分のカラダを通して、不夜城の夢を提供するのであった。


――fin.
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