『COMPANY's Pawn』短編・番外編

あれから3日、経った。今日は土曜日。作り置きや、備蓄のレトルト食品を消費しているので、買い物には出ていない。でも、それも。そろそろ底が見えてきた。ネット通販でお急ぎ料金を払えば、今日中に何かしらは届くかもしれない…。
別に、外に出るのが怖いとかではなく、酷く億劫なのだ。スーパーたコンビニに行くのにも、着替えないといけないし、化粧もしないといけない。ここは会社から近いから、どの知り合いに会うかも分からない。きちんとしなくては。……、今までは、そこに、「ソラの恋人として」の詞が付いていた。でも今は。もう言えない。
ここ3日間で、ずっと考えていた。私は一体、ソラの何処が好きだったのか、を。
誰もが見惚れる美貌、一部の隙もない立ち居振る舞い、破綻のない論理的思考、多忙と重責を極める職務につき余裕のある財力。…全てを掌握した、完璧な男。
そこまで考えてから、私の思考はずっと止まっている。私はもしかして、ソラの上辺、外見、肩書き、財力…。謂わば『ソラの概念』にしか目にしていなかったのではないか?、と。そこに至ってからは。自分で自分を軽蔑し続けている。ソラを上っ面でしか見ていなかったかもしれない自分に。合理・非合理で恋仲をしていたかもしれない自分に。
誰にでも欲望はある。ハイスペのイイ男と付き合いたいとか、抱かれたいとか、貢がれたいとか。逆も然り。私にだって欲深い所がある。人間だもの。…でもそれを、よりにもよって、ソラに向けていたかもしれない可能性があることが、何よりも嫌すぎて。
別れ話の際に、ソラは言っていた。「恋仲になる前から、リスクは承知していた」、「俺の仕事のせいで、お前の身に危険が及ぶようなことは金輪際、ごめんだ」と。彼はずっと案じていた。付き合う前から、ふたりの仲を壊すであろう、その危険因子を。それを知らず、ワガママに振る舞って、この関係を崩したのは、私だ。でも思ってしまう。キスをひとつ。たったひとつのキスを。恋人に強請っただけ。それだけだったのに。

―――…「何も知らなかったから」を言い訳にするには、支払った代償が大きすぎる。

その時。私のスマホが、視界に入ってきた。ソラに電話をしてしまいそうで、怖くて。わざと電源を落としてある。
震える手で起動した。メーカーのロゴが浮かんだあと、馴染みのある壁紙が出てきて、アプリがズラリと表示される。メッセージアプリに未読を報せる数字が付いていた。3日もスマホ自体を見ていなければ、まあ、妥当とも取れる数値。その中に、ソラは…―――……、いない。
個人メッセージを開く。「通話」をタップしかけて、留まった。次にメッセージ欄をタップして、……「会いたい」とだけ、打って、送信した。既読はつかない。上司からのメッセージを秒で返すソラなら、元カノからのメッセージは後回し…、いいや、ブロック案件だろう。メッセージの送信そのものを取り消そうとして、再び、画面に指を滑らせたときだった。―――既読が、ついた。あ、と思う間もなく。次いで、通話を受信した画面が表示される。『ソラ』の名前の下に、受話の是非を問うボタン。話ができるのだろうか。もう一度、ソラと…―――

―――震える手で「受信」をタップして、電話に出る。もしもし、という私の声は、自分でも驚くほどにか細かった。

『どうした?何かあったのか?』

電話の向こうのソラの声は、事務的だった。

「…、…あの…」
『…。何か必要なものが出てきたんじゃないのか?』
「それは…」

確かにそうだ。そろそろ買い物に行かなくてはいけないとは思っていた。しかし、今はそれを話したい訳じゃない。それなのに、言葉が上手く出てこない。

『いま必要なものを教えてくれ。ツバサに届けさせる。男の俺より、女のツバサの方が、お前も対応しやすいだろう?』
「え、…あ、ちが…、ッ…」

ソラはあくまで「仕事中」なんだ、と思った。涙が零れてくる。ぐす、と鼻をすすってしまった。嗚咽が漏れそうになったのは、何とか堪える。

『おい、どうした?何か―――』

ソラの台詞の途中で、ピロルン、という音が耳元で鳴った。私が通話を、切った。
再びスマホの電源を落としてから、私はソファーに身を沈めて。そのまま、意識が揺蕩うのを感じ取った。

インターホンが鳴る音がした。びくり、と全身を震わせて、飛び起きる。時計を見た。1時間ほどが経っている。寝落ちしたんだ、と考えながら、玄関に向かった。きっと、あの事務員さん…、ツバサさんが来たに違いない。社畜のソラが、仕事の延長線を見逃すはずがない。とりあえず、物資を受け取って…、可能ならお茶でも淹れた方が…―――

「―――訪問客のことをよく確認もせずに、玄関を開けるな。不用心なヤツめ…」
「―――…! ソラ…ッ!?」

つらつらと考え事に耽りながら玄関を開けると。そこにいたのは、予想していない人物…、ソラだった。
ソラの横にRoom ELのロゴが入った段ボール箱が置いてあった。会社からの正式な物資だ。やっぱり、仕事で来たんだ…。

「あげてくれないか?物資の支援と、聞き取り調査がしたい」
「……、うん、いいよ」

虚しさを覚えながら、同時に、虚無を感じる自分の未練深さに嫌悪しつつも。ソラを迎え入れた。
リビングに通して、聞き取りをするなら、お茶でも淹れようとソラに背中を向けたときだった。
急に、後ろから抱きすくめられる。冬の外気の冷たさを含んだ、手触りの良いコートに包まれた腕。その合間に立つ、ソラの香水の匂い。

「…だめ、だよ…」
「…ああ、全然、だめだ…」
「……ねえ、離れられなくなっちゃうよ…?」
「……構わない…」

…社畜のくせに。仕事を理由にして、元カノとヨリを戻しに来るなんて…。馬鹿だ。でも。

「…だいすき」

そう零した私の唇に、白手袋の指先が這った。キスを強請る合図。
首を傾ければ。与えられたそのキスは、とても熱くて、優しかった。
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