第一章 ALICE in New World

『ROG. COMPANY』(ログ・カンパニー)とは―――?
創業200年近く、資本金250億、従業員数1900人を誇る、巨大な玩具会社である。

ROG. COMPANYの主力商品であり、抱えているビッグコンテンツが、国民的変身ヒーローアニメーション作品『プリンス・テトラ』の玩具と、それに関連したグッズの販売。
初代の作品が放映されて、世代を引き継ぎ、時代を数え、今年でプリンス・テトラは20周年を迎える。


*****


Room ELに降りてきている『調査業務』があるといえど、それとは関係の無い、通常の業務も待っている。

右藤の遺書の話は一旦預けておいて、3人はそれぞれのタスクをこなしていた。
ツバサは今、ROG. COMPANYの商品開発に関するデータ入力を任されている。一般事務時代にも同じようなことをした経験があるが、その時とは違い、扱う数値の桁が段違いだ。軽く見積もっても、ゼロがみっつは増えている。

キリの良い所で、手を止めて、紅茶を飲む。ストロベリーの甘酸っぱい香りが、仕事で凝り固まった心身に、一筋の癒しを与えてくれた。ついでとばかりに、チョコレートも口に放り込む。
ツバサはデスクで紅茶以外の飲み食いするのはあまり得意ではないのだが、一番の上司であるルカが、菓子をちょくちょく摘まんでいること。そして意外にも、ソラが野菜スティックや、キャンディチーズなど(甘いものが苦手らしい)の間食が多いことが関係して。必然的にツバサの間食も容認されている。
というか。そもそも、Room ELが社内の飲食・売店エリアから遠く離れている、文字通り『隔離エリア』であることから、滅多にカフェテリアスペースに行けないのも、大きな要因であろう。

そんなことをつらつらと考えていると。ふと、気配を感じた。ツバサが視線を上げると、そこにはソラが立っている。いつの間に…と思っていると、ソラが口を開いた。

「思慮深いのは結構だが。不意を突かれて、背後から攫われるなよ?」
「…重々、気を付けます」

ソラのジョークは、些か重めだ。冷静な声音であることや、本人の厳格な性格を加味すれば、それも納得できる。
対して、同じジョークセンスならば、ルカがシニカルなことを言ったりもするが。…あちらは口調が軽い分、正面から食らえば、割と大きなダメージが通ったりする。シンプルイズベストのソラと厄介レベルで競えば、ルカの方が圧倒的に上である。

「16時頃より、俺の仕事に同行して貰う。残業になるが、手当は支給される。
 終わったらそのまま直帰だ。社用端末はこちらで回収するので、携帯してくれ」
「? 外回りですか?」
「いいや、違う。
 右藤さゆりの部屋…、すなわち、現場を見に行く許可が降りた。本来なら俺ひとりで向かう所だが、経験を積ませる意味を込めて、お前も連れて行く」
「! 現場って…!公的機関の捜査しているのでは…?!そもそも公務執行妨害…!」
「我々Room ELでは、…否、ルカ三級高等幹部の指示下では、それも問題ないということだ。
 では、準備をしておくように」

指示を与え終わると、ソラは背を向けてしまい、自分のデスクへと戻ってしまった。ツバサは暫し、ぽかん、とする。Room EL、引いてはルカは、一体どこまで超常的な権利を有しているのだろう…?、と。


*****


16時08分。
ツバサはソラに連れられて、エレベーターで地下2階を目指していた。
もとより口数の多くないもの同士。道中は沈黙で支配されている。が、居心地は悪くない。

間も無く。エレベーターが到着し、扉が開く。ソラが先行して降りて、ツバサはその後に続いた。
非常灯しか灯っていない廊下だったが。感知式センサーがあるのか、ソラが迷いなく歩を進めれば、暗かった廊下に、電灯による白い光が差し込まれる。

一度、右に曲がると、すぐに重厚な扉が現れた。『GRACE』という単語が、大きく印字されている。その下には一回り小ぶりなフォントで、『Troubadour Security』とも書いてあった。

―――『トルバドール・セキュリティ』。
法人向けの軍事警備会社の最大手。ROG. COMPANYも、この会社と警備関連の専属契約をしており、本社のセキュリティ関連の9割近くが、このトルバドール・セキュリティの設置品だったり、派遣されてきた人員である。

ソラが扉の横のスキャナーに社員証を翳し、続けて、もう一枚、別のカードをスキャンした。電子音が鳴った後、ソラは嵌めている白手袋を外すと、己の掌を直に液晶へと押し付けた。

ガコン!という重たい音が響く。扉が開錠されたのだ。
そのまま機械が動く低音が鳴る中でも構わずに、ソラが口を開く。

「紹介しよう。Room ELから配備されている俺の部隊、『グレイス隊』だ」

ソラがそう言い終えると同時に、扉は完全に開き、中が露わになった。

「……ッ!」

瞬間、ツバサは息を呑む。彼女のエメラルドの瞳に映り込んだもの。それは。

――人型ロボットの、隊列。
ただのロボットではない。防弾チョッキを着込み、手に機関銃を装備している。フェイスはアイカメラが4個、全体的に丸みを帯びて、無機質な印象。背丈は、177cmのツバサと並んで、ちょうど目線(?)が合うくらい。
間違いない。このロボットたちは、兵隊だ。…これら全ての兵士も、その武器も、トルバドール・セキュリティが用意しているということなのか。

「グレイス隊、気を付け」

ソラの事務的な声に応じて、グレイス隊が一斉に姿勢を正す。元より直立不動だろうが、それでも、皆が一様に背筋を伸ばし、顔を上げた。直ったグレイス隊に向かって、ソラが命じる。

「先より回線経由で下した指令内容に、以下のことを加える。

 ここにいるツバサ事務員の警護をせよ。絶対に外的要因からの危害を与えるな。
 守れなかった隊員は、もれなく初期化し、再訓練とする。以上だ」

《命令を確認しました》

グレイス隊兵たちが、一斉に返事をする。機械らしい合成ボイス。

非現実的な光景にツバサが目を白黒させていると、ソラが少し柔い声音で彼女へと話しかけた。

「驚かせてすまなかった。だが、説明するより、見せた方が早いんでな」

ソラの言葉に、ツバサは「大丈夫です」と返事をしたかったが。やはり受けた衝撃が大きかったのか、ツバサの喉から声は上手く出ず。代わりに彼女は、首を縦に振った。

「彼らは、見ての通りの機械の塊だが…、人工知能が搭載された、れっきとした戦闘ユニットだ。
 任務の中で体験したことを、経験値として積み、いくつもの思考と行動パターンを覚えていく。
 その中でも、ここにいる個体たちは、比較的ラーニングを重ねている者たちだ。手酷いミスをする可能性は低い、とだけ言わせてくれ」
「…。はい…」

グレイス隊を信用してくれ。…ソラはそう言いたいのだろう。それぐらい、ツバサにも理解できた。そのうえ、『ルカが与えたものを、ソラが統括している』という図式が成り立っているこの部隊なら、例えロボットであっても、きっと信じるに値する。ツバサは素直にそう思えたのだった。


*****


右藤さゆりの自宅は、ROG. COMPANY本社から、程近い場所にあった。バス1本で、片道30分。近所には、年中セールをしているようなスーパーは無いが、24時間営業のコンビニエンスストアとドラッグストアがある。通勤しやすく、また住みやすい。一等地だ。家賃もそこそこ高いようである。

グレイス隊に脇も背後も固められた状態で、ソラとツバサは右藤自殺の現場になった、彼女の自室に上がった。
制服に身を包んだ警察官が数人いるが、捜査をしているというよりは、やってきたふたりを見守る、もとい、見張るように立ち、こちらにチラチラと目線を寄越してくる。
ツバサは、少し歳の若そうな男性警官が、自分の全身を舐めるかのように見回しているのに気がついたが、慣れているので特に申告しないでおく。ソラの仕事についてきているだけの身である手前、面倒なことは避けたかった。

部屋の中を歩き、各所を観察し始めるソラに対して。ツバサはリビングの出入口付近に立って、そこからぐるりと室内を見回す。
指定のゴミ袋が、少し溜まっている。不燃、ビン・缶類が数袋。可燃が一袋。不燃ごみの袋は、発泡トレー、スナック菓子の袋、デリバリーピザの箱が見える。ビン・缶類には、ストロング系チューハイの缶がぎっしりと。可燃ごみは生ごみのようで、肉の揚げ物の骨、千切りのキャベツ、丸まったアルミホイル等が入っていた。少しだけ匂う。

ツバサはそのまま、キッチンスペースに入ってみた。まな板シートのロールが、封を切られていない状態で、放置してある。大手ネット通販サイトのロゴ入り。安くて使いやすいことで有名だ。
洗い物を置くカゴには、菜箸、マグカップが、それぞれひとつずつ。菜箸を手に取り、確認してみる。柄のプリントは剥がれてかけているが、先端はさほど摩耗はしていない。次にマグカップ。底に茶渋がついている。食器ふたつを元に戻してから、ツバサは今度はシンクを見た。
洗剤をつけなくても落ちるというキャッチフレーズで有名な、スポンジ。指先でツンツンと突いてみた。弾力は充分に感じる。食器用洗剤は無く、代わりにクリームクレンザーが置いてあった。蓋を開ける。液だれの跡はない。持ってみた感じでは、中身もあまり減っていない印象を受ける。何だかそういう予感がして、ツバサはクレンザーの容器を逆さにしてみた。…案の定、出てこない。中身が固まっているのだ。蓋を閉めてから、クレンザーの容器を元の位置に戻す。
反対側を向くと、電子レンジとオーブントースターがあった。電子レンジは随分と型の古いものに見えるうえ、使い込んである。扉のガラスに油汚れが付着している所を見ると、恐らく中はもっと悲惨かもしれない。掃除の行き届いていないレンジを見るのは憚られて、開けるのを躊躇った。なので、ツバサはそのまま、隣のオーブントースターに視線を移す。上下のヒーターがついた、お高めのもの。こちらは普通に綺麗だ。
更に隣の、冷蔵庫。だが、開ける気は無かった。電源ケーブルが抜かれているのが見えたからだ。だから、代わりにツバサは、冷蔵庫の側面に貼りついている、マグネット式の小物入れに目を向けた。アルミホイルと、ラップ。開けてみる。あまり減っていないラップに対して、アルミホイルはもう無くなる寸前だ。付近を眺めてみる。補充分のアルミホイルが買い置きしてあるようには、到底、見えなかった。

ツバサは、キッチンスペースを出る。そこで色々と見ている間にも、彼女の後ろにはグレイス隊兵の一体が、ついて回っていた。更にスペースの出入口に待機していたもう一体が、合流するかのように、ツバサの脇につく。すると。

《異常な視線を感知しました》

「!?」

背後にいた兵士が突如、喋りだす。

《異常の発信源を特定。警戒します》

次いで、脇についた兵士もそう言うと、機関銃を前方へと向けた。そこにいたのは…

ツバサの全身を見ていた、あの年の若い男性警官だった。「え?!なんだよ…!?」と、狼狽える警官に対して、兵士2体が銃を向けたまま、近寄る。

《貴官は対象に、8分26秒間、視線を集中させていた疑いがあります》
《貴官は対象の胸部に、総合5分以上、視線を収束させていました。性的に執着している疑惑があります。対象の安全のため、貴官を拘束します》

どうやら警官は、ツバサのバストを見ていたらしい。要はそれを兵士たちが「危険」だと判断した訳だ。ツバサからすれば手を出されないだけマシというレベルなのだが…、どうやらソラがグレイス隊に下した『指令』というのは、余程、厳格に守られるべきものらしい。

「おい!下がれよ!俺は警察だぞ?!」
《暴れないでください》
《不用意にヒトを傷つけるのは、我々の本意ではありません》

警官と兵士2体が、軽く揉みあう。止めた方がいいのではないか、とツバサは思い、ソラに指示を仰ごうと、彼がいるであろうリビングの中心を見ようとして―――


「―――…そうか、ネズミは貴様か」


氷のように冷たいソラの声が、響いた。閃く、銀色。ソラの手に握られたバタフライナイフが、警官の首筋を狙っている。…兵士2体が警戒している警官……“ではない方の、もうひとりの警官”へ向けて―――。

「…ッ?!」

自分を見ていた警官の方ではない、もうひとりの方へ。文字通り、刃を向けているソラの行動の理由が分からず、ツバサは激しく混乱した。すると、

「ッ!おらぁぁぁぁ!!!」

ソラにナイフを突きつけられていた警官が叫びながら、両腕をめちゃくちゃに回転させる。ソラが一瞬だけ、距離を取りかけた。その隙に、警官はスラックスのポケットから何かを取り出す。

「死ねえぇ!!化け物の狗共がぁ!!」

警官がそう喚くと同時に、機関銃の発砲音がした。グレイス隊のロボット兵士が発砲したのだ。鼓膜を突き抜ける音に、ツバサは思わず悲鳴を上げて目と耳を閉じる。撃たれたのか、警官の悲鳴が上がった。

《警告!》
《危険です!》
《対象を警護!》

次いで、複数のロボット兵たちの声がする。目を開けたツバサの前方に、3体の兵士が壁になるかのように立っていた。直後。

――――ドパァァァァァンンッッッ!!!!!

「きゃあああぁぁああ!!!!!!」

今度こそ鼓膜が破れるかのような、激しい破裂音と、何かが崩落する音。同時に、衝撃と熱風を全身に感じた。ツバサの口から悲鳴が迸る。衝撃と熱風で、ツバサはキッチンスペースの床に叩きつけられるかのように転がってしまった。が、痛みを感じる暇などなく、そのままツバサは意識をなくしてしまったのだった――――……



――――…。

約2時間後。Room EL。

自分のデスクに座ったまま、また黒革の指先で、自身の横髪を弄りながら。ソラの報告を聞き終えた、ルカがいた。
頭に包帯を巻き、頬にガーゼを当てたソラが、パソコンの画面の向こうにおり、ルカとリモートで繋がっていることが分かる。節電のために余計な照明を落としている室内で、ルカのデスクのライトが、ぼんやりと照っていた。

ソラがルカに報告したのは、右藤の自室で起こった、警官による事件のことである。…より正確に言うなら、警官に化けて現場に入り込んでいた闖入者による、自爆テロだ。

闖入者は身体に爆弾を巻き付けており、スイッチを押すことで着火。そのまま爆発し、周囲を自身諸共、崩壊させた。不幸中の幸いだったのは、爆弾の火薬量が一般的な自爆テロより『は』少なかったことで、右藤の自室の5割弱を吹き飛ばしただけで済んだ、という点だった。しかし、現場には監視のために入っていた本物の警官たちもいて、その中で死傷者も出ている。おまけに、犯行の30分後に、ROG. COMPANYの総合窓口に、匿名からの犯行声明が届いていた。……誰を狙ったか?、など。そんなのは、火を見るよりも明らかで。

報告を終えたことで、ルカの回答を待つ画面内のソラに対して、彼は青色の瞳を瞬かせて、口を開いた。

「爆破で壊れた6体はともかく、…現場にいた他のグレイス隊兵は、回収の後、解体ね?」
『! 待て。残った4体は、俺の指示で、ベランダ付近から外を警戒していて―――』
「―――でも、ソラもアリスちゃんも怪我しちゃったし。そもそも爆破物の危険性を察知できなかったのは、致命的だよ?」

ルカの宣告に、ソラが僅かに焦りを滲ませて答える。しかし、ルカは動じない。ソラが続ける。

『この戦闘ユニットは、まだハードの段階を抜けきっていない。
 壊れた6体は組み直せばいい。…せめて生き残った4体は、今回のことをラーニングさせたうえで、再訓練をすれば、最悪、初期化しなくても―――』
「―――壊れた6体の組み直しも、残った4体を再訓練させるのも、どちらもコスパが悪すぎ。予算は潤沢にあるとしても、有限なんだよ?
 それに、オレたちに必要なのは、『ヒト以外の戦闘力』であって、『ヒトらしくなったロボット』じゃないワケ。
 ソラはやたらとひとつひとつの個体に執着するケド…、消耗品に愛着を持つのは止めた方がいいと思うなあ」
『……。』

とうとう、ソラが沈黙した。それを見たルカが、フッと笑う。

「あんまし思いつめないでいいんだよ?
 今夜はもう帰って、ゆっくりおやすみ」

そう言って、ルカは一方的に通信を切った。接続が切れる寸前にもソラが何かを言いかけていたが、気がつかなったのか、それとも知らないふりをしたのかは、誰にも分からない。

パソコンの画面が暗転したことで、更に光源を失い、Room EL内の暗闇が濃くなる。

ルカがおもむろに、脇に放置していたタブレット端末を手に取った。電源を入れると、『Troubadour Security』の文字が浮かんで、消える。

『type : combat』と表示されたのは、グレイス隊にもいた兵士たちの型番。その横に、『type : snipe』とされた、アイカメラが単眼タイプの個体が登録されている。そして、ルカがまだいくつも空いているスロットをタップして、操作を続けた。間も無く、新しい型番の兵士が、新規登録される。『type : protection』。先のふたつの型よりもマッシブなボディラインを持ち、片手に大きな盾を装備している。

バックキーをタップして、画面を戻す。『GRACE』、『LEONE』、それから『整備中』という、みっつのタグが一瞬だけ見えたが。ルカにより電源を切られたせいで、すぐにそれも液晶から消えた。

ふぅ、と短く吐いた息と共に。ルカは、完全に冷めてしまった缶コーヒーを飲み干すと。空き缶をゴミ箱に捨てて、そのままデスクから立ち上がった。自分のロッカーから荷物を出して持ち、扉の打刻機に、社員証を翳した。


――『おつかれさまでした。現在の時刻、午後7時15分です。
   全てのスタッフの帰宅を確認いたしました。照明をオフにします』


無機質な音声が響いたと同時に、Room ELの照明の全てが完全に落ちる。そして、扉に鍵がかかった。

それを確認したルカは、ロングポニーテールを翻しながら、廊下を往く。そのハイヒールの踵の音は、殆ど聞こえない。




to be continued...
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