第三章 『Perfect BLACK SWAN』

ソラ、ツバサ、ナオトの3人は、一旦、各々の控え室に通されてから。改めて、ひとつの会議室に集まった。ソラとルカは先に着いて、用意しており。ツバサとナオトは、セイラに案内される形で、会議室へと入った。
セイラは緑茶を淹れて、配膳すると。「それでは、ごゆっくりー」と、無気力な声で挨拶を残してから、その場を流れるように去っていった。

セイラが退室した後。ソラが口を開く。彼だけが立っているところを見るに、プレゼン役はこのひとなのだろう。

「さて…、本来なら、エルイーネ主任からの説明して貰おうとしたのだが…、あの調子では時間がかかりすぎて埒が明かないと予測が出来たので。ここからは、俺から説明させて貰うことにした。
 これからふたりに話すことは、弊社最大の機密情報ゆえ、取り扱いには最新の注意を払って欲しい。そして、万が一、何者かの不手際で情報が外部に漏れた場合、該当する人物には然るべき処分が下される。肝に銘じておくように」

ソラの厳格な言葉が、さほど広くはない会議室に静かに響く。ツバサは無言で頷き、ナオトは目線だけで了承の意を示した。
当のルカは、ツバサの右隣を陣取っている。いつもなら上座にいるべき存在だが。ここは社外だからか。それとも、単にそういう気分だったのか。真意の読めない男である。

「まず、ルカは人間ではない。現在は軍事兵器として、改良、開発、調整されているが…。元々は、未知の機械的生命体だ。
 ルカは、今から、約230年前に、現ヒルカリオ、当時のヒルタス湾の調査の際に、海底の、更にその地中から発見されたスリープ装置の中で眠っていた。
 調査チームが装置ごと地上に持ち帰ったところ、勝手に装置の扉が開いて、ルカが起動したとのことだ」

SFの設定メモでも聞いている気分だ。だが、ツバサとナオトは特に取り乱さない。それどころか、ナオトはソラに質問を飛ばす。

「ルカさんに、その辺りの記憶はないのでしょうか?」

その疑問は、当然と言えた。ソラがわざわざ説明しなくとも、ルカ自身が紹介すればいい。これではまるで…―――、

「ごめんね~。オレも覚えていたらいいんだけど~…、曖昧どころか、全く記憶ないんだよねぇ。
 少なくとも、オレがはっきりと記憶として覚えているのは、装置から起動して、30年は経った後なんだ」

ルカが薄く笑いながら、答えた。―――やはり、ルカには当時の記憶が無い様子だ。予想の範疇である。
ソラが続ける。

「当時、ヒルタス湾付近では、海外からの違法な船舶、所謂、海賊による犯罪行為が頻発していた。我が国の漁船を始め、時には公的機関の船も、攻撃や強盗被害に遭っていた。人的被害も、無視できない数になっていたらしい。
 そこで、当時の政府は、ヒルタス湾に人工の島を造ることで、そこを軍事拠点にする計画を立てた。その前乗りの調査をするためのチームが、ルカを発見した、というのが、ここまでのより詳しい流れだ」

そこで区切ると、ソラは一旦、緑茶を口に含んだ。ツバサとナオトも倣い、湯呑みを手に取る。ルカは「それ、玉露なんだって~。セイラが買い出しに行ってんだ」と、隣のツバサに軽い口調で話しかけていた。ツバサはそれを聞いたものの、玉露などという高級な茶葉を飲んだ経験が無いため、精々、「そうなんだ…」くらいのコメントしか思いつかない。それでも、ルカは気にせず、にこにこと微笑んでいる。ツバサのことが、愛しくて堪らないといった笑みだ。

喉を潤したソラが、湯呑みを置き、続きに入る。

「…さて、続けよう。
 ルカを発見・保護した政府機関は、ルカを調べたうえで、彼に驚異的な軍事力があるという事実を掴んだ。そこで、ヒルタス湾を防衛する兵器として運用するために、ルカに改造と調整を施した。ルカ自身に記憶はないが、政府と弊社に残っている記録上では、「双方、合意の上」となっている。
 そして、ルカ自身に記憶がある時代、…起動してから30年後。今から、約200年前、ルカがヒルタス湾に出没する海賊掃討作戦へと、初出撃をした。そして―――、

 ―――、我が物顔で跋扈していた海賊船はおろか、ルカの警備、護衛、後方支援のために、同時に出撃した自軍の戦艦諸共。全てを、たったの一発の爆撃で、跡形もなく、吹き飛ばしてしまった。
 それだけではなく、戦場は50㎞以上は離れていた沖合であったにも関わらず…。ルカの放った一撃のせいで海底が大きく揺らぎ、結果、ヒルタス湾内に、約500m級の津波が押し寄せた。
 幸い、と言ってもいいのか。ルカの出撃前に、ヒルタス湾付近は事前避難が徹底されていたようで、そういう意味では、民間人の人的被害は一切なかったらしい」

ソラが淡々と告げてくるだけで。その内容は酷く恐ろしいものだ。
要するに、初出撃をしたルカが、沖合で激しい爆撃をした衝撃で、海底地震を引き起こし、それに伴って、津波被害を出した、ということである。民間人の人的被害が無かったと言えば聞こえは良いが。ルカの後方支援についていた戦艦の隊列には、当時の軍人に値する人間たちが乗っていたはずである。…そこは、正当に殉職扱いされている、と思いたい。

ツバサもナオトも、ソラがこちらがなるべくショックを受けない言葉や表現を選んでいるのが、手に取るように分かった。
『ルカは軍事兵器』という一言に、ここまでの大惨事が隠れていようとは。だが、同時に湧き出る疑問もある。ツバサは小さく挙手をした。ソラが「どうぞ」と促す。発言を許可されたツバサが、口を開いた。

「我が国の建国からの年数を鑑みると…、230年前のこと、というのは、割と現代寄りのお話だと思います…。ですが、私たちは、何処の教育現場、及び、歴史に触れる機会においても、そのようなお話を耳にしたことはありません…。
 それが『政府が隠している歴史』というならば、分かります。ですが、ソラさん先ほどから、こう仰っています。『弊社』と。
 政府だけで取り扱っている事案である、というのは理解が出来ますが…、もし、ROG. COMPANYがルカのことに関与しているのならば、ルカのことを秘匿して約230年…、というのは矛盾します。何故なら、弊社は今年で、創業213年ですから…。少なくとも、当時の政府と弊社の間に、少なくとも17年のズレがあります…。
 政府がルカのことを隠したがる理由は、何となく察することは出来ても…、そこにROG. COMPANYが関わっている、というのは疑念を抱かざるを得ません…」

ツバサがそう言うと、ナオトも「僕も概ね、ツバサさんと同じ意見です」と声音静かに、付け足してきた。
それを受けたソラは、一瞬だけ目を伏せた後。おもむろに湯呑みを持ち上げて、その中身を一口飲む。そして、音もなく戻すと。ツバサの疑問に答えてくれる。

「ROG. COMPANYの前身が、当時の軍事機関の一部だった、というのが正解だ。より詳しく切り込むなら、ルカのことを世間から隠すため、軍部から切り離された組織部分が、カモフラージュとして玩具会社を創業したのが、弊社の始まりだとされている。よって、当時の政府の動きと、弊社の発足に17年のズレがあるのは、ルカの初出撃の事後処理と、弊社の玩具会社としてのカモフラージュが成立するまでの時間がかかりすぎた、ということだ。
 そして、当時の政府から現代の政府に至るまで、世間からルカのことを隠し切れている最大の理由は、…このヒルカリオにある。先述の通り、ヒルカリオは元々、軍事拠点の島として建設予定だった。しかし、ヒルタス湾の掃討作戦の結果を受けた当時の政府は、方針を変えることにした。
 先の掃討作戦から引き起こされた津波で、ヒルタス湾付近の家屋には重大な被害が出ていた。故に、政府はヒルカリオを軍事拠点ではなく、そこの家屋の住人たちの新しい住まいの地として、提供することに決定した。同時に、衣食住、雇用、商売、教育を成立させるため、島全体をひとつの巨大な都市と育てるプランを立てる。
 そうしてROG. COMPANYは、ヒルカリオ発達のシンボルとして本社ビルを建てると同時に、この島の成長を見守りながらも、ルカの監視をする役割を、時の政府から賜ることとなった。…その役目は、今も引き継がれている」

話に流れ的に、山場なのだというのが分かる。そろそろ、ツバサとナオトにも見えてくるはずだ。この島と、ROG. COMPANYの正体が。
ソラが続ける。

「ROG. COMPANY、…否、ヒルカリオは、ルカを無闇に島外に出さないため、ひいては、二度とこの男が本気で武力を振るうことがないように造られた。謂わば、ルカを閉じ込めておくための、『檻』だ。
 弊社がルカを三級高等幹部に据えているのも、高等幹部は秘匿される存在、という理由をつけて、内部の者にルカの情報を渡さないため。併せて、特殊対応室も、ルカに高等幹部としての仕事を与えるためと、設立された部署だ。…ここまで聞けば、さすがに分かるとは思うが…。当室も、本社ビルの更に深い部分に造られた、『もうひとつの檻』とも言えるだろう」

――――このヒルカリオは、ルカを閉じ込めておくための『檻』。

衝撃的な答えに行き着いた。
仕方がないとはいえ、何も知らないで、暮らしていた。この島全体が、自分が勤めている会社そのものが。ルカを監視、管理して。凶悪な破壊能力を有する軍事兵器の彼を、丸ごと封じ込めている場所なのだ。籠の中の鳥、などという言葉では、到底、似つかわしくないし、至らないだろう。もっと過酷で、厳しく、冷たいものだ。少なくとも、この場にいる人物の語彙力では、表現しきれないくらいには。

本土の人間からは『楽園都市』とも称されている、このヒルカリオ。その実態は、たった一体の軍事兵器を封印するためと、街に擬態した、監獄の島。魔境の檻。

「オレのこと、怖くなっちゃった?」

ツバサの右隣が聞こえた、声。視線を向ければ、ルカが頬杖をついたまま、空いた手の指先で、湯呑みの縁をなぞっている。その深青の視線は、珍しくツバサと交叉しなかった。

「逃げてもいいよ?追っかけたりしないから。
 そもそも、オレに去る者を追う権利はないし。檻に繋がれているからね。
 ここまで話を聞いちゃった限り、ソラは逃がしたくないかもしれないケド。オレの権力を使えば、アリスちゃんとナオトの身の安全を絶対に保障したうえで、ふたりをヒルカリオから出してあげられるよ?その代わり、ふたりとも、二度とヒルカリオには入って来られなくなるケドね」

そう言いながら、今度こそルカは、ツバサと目線を合わせる。青色の眼は、凪いだ湖面のように静かな色で。感情の機微は、感じ取れない。ただ、ルカは無駄な嘘は決して吐かない。今、ふたりに宣言したことは、本当だろう。それでも。

「…ヒルカリオからは、出て行かないし、会社も辞めない…。私は、Room ELが好きだから…」
「僕も、界隈を降りる気はありませんね。それに、課せられている更生プログラムは、まだまだ途中ですし」

ツバサとナオトは、真っ直ぐにルカを見つめて。心からの気持ちを、零した。
ルカは、正真正銘の『化け物』だった。それは分かった。だが、そうだと言って、何になる?
ルカから与えられたものは大きく、また、彼の傍らにいるソラから支えられている事実は、無かったことにはしたくない。人類史上最強クラスでありながらも未知の軍事兵器が、すぐ横にいて、ほぼ秘匿されている状態とはいえ、人間の社会に溶け込んでいる。その事実が全然怖くないと言えば、嘘になるかもしれないが。それでも。

「正直、僕としては、恐怖よりも、安堵の方が大きいですね。
 得体の知れない上司、と言っては何ですが…。ルカさんが、明らかに人間の範疇を越えている存在であるのが分かっているのにも関わらず、それを有耶無耶にされて放置され続けるより…。こうして、包み隠さずにお話してくださったことへ、多大な安心と信頼を覚えています」

ナオトはそう言うと、女神の如く、微笑んで見せた。医者としてのプライドがある彼もまた、余計な嘘は嫌う。

「私も、同じ意見です。…だから、あの、ソラさん。左手…、もう解してください…。爪が食い込むと、怪我をしますから…」

ツバサがナオトと同意を示し、次いで、ソラを気遣う。彼女の言葉で、ソラはハッとしたように、握りしめていた己の左手を開いた。無意識に握り込んでいたのだろう。あのソラが、そこまで緊張してしまうほど、ルカの情報を開示することは、重たい任務だったのだ。

「…ああ、ありがとう…。お前たちには、本当に感謝しても、足りない…」

そう脱力したように零しながら、ソラはやっと椅子に座ったのだった。


*****


【第1区画】

エルイーネが苛立ったまま、デスクで仕事をしている。周囲のスタッフは、そんな彼女のことは横目に見ているだけで。相変わらず、いつもの風景、として処理していた。
そこへ、セイラが現れる。彼女は迷うことなく、エルイーネのデスクまで真っ直ぐに歩いていった。気配を察知したエルイーネが顔を上げて、セイラと視線を合わせると。セイラが口を開いた。

「主任。アタシ、休憩、行ってきますんで」
「あ、そう。勝手に行けばいいじゃないの。わざわざ許可を取らないと、気が済まないわけ?
 高校生のアルバイトだからって、指示待ちは勘弁してちょうだい」
「え?先週、アタシが時間通りに休憩に行ったら、帰ってきた後に「なんで一言ないの?!」って怒ってきたじゃないっすか?
 覚えてない?もしかして、主任、めっちゃ疲れてる感じ?なんか今もさ、イラってしてるみたいだし」

セイラの言葉に、エルイーネのこめかみが、ぴきり、と、ヒクつく。…だが確かに、先週、そんなことをセイラに言ったような記憶が、微かに蘇ってきた。
痛いところをつかれたことで、エルイーネは、ぎろり、とセイラを睨むも。当のセイラはそんなことは知らないとばかりに、エプロンのポケットから、何かを取り出して、エルイーネのデスクへと置いた。

「疲れたときには、甘いもの、っすよー。
 ほい、どうぞ。ポップンキャンディー、ブドウ味。舐めてるだけでも、気晴らしになりますよー。
 じゃ、アタシ、休憩入るっすねー。おつよろー」

無気力なトーンの台詞と、ブドウ味の棒付きキャンディーを残して。セイラはエルイーネに背中を向けて、ラボを去って行った。

扉の向こうにセイラが消えると同時に。エルイーネは、彼女が厚意で差し入れてくれたはずのポップンキャンディーを、セイラ自身が100円ショップで調達して備え付けてくれた、小さなゴミ箱の中へと、容赦なく投げ捨てる。そして、チッ!と大きく舌打ちをして、先ほどよりも更に苛立ちを募らせたエルイーネは。机の上を己の指先で、トントントントン、と落ち着きなく、叩き続けた。

すると。エルイーネのデスクの電話が鳴った。『外線』の文字を見た彼女は、すぐさま受話器を取る。

「はい。KALASのエルイーネです。…はい、お世話になります。…、まあ、本当ですか?小芝さんはお仕事が早くて、本当に助かりますわ。…ええ、勿論ですとも。それでは近々に、お会いできればと―――」

苛立ちであんなに刺々しかったエルイーネの声色が、あっという間に『仕事が出来る女性管理職』としてのそれに切り替わる。

上機嫌で電話の向こうの相手と予定を擦り合わせるエルイーネが、おもむろに脚を組んだとき。パンプスを履いた彼女の足先が、デスク横のゴミ箱に当たった。小さなゴミ箱は、蹴られた衝撃で、いとも容易く倒れてしまった。しかし、エルイーネはそんなことは微塵も気に留めず。自分のスケジュール帳を開きながら、椅子を回転させて姿勢を戻し、電話対応を続けている。

ゴミ箱が倒れた際に、僅かに散らばったゴミの中に紛れたポップンキャンディーは。物言わずに、床に転がっていた。



to be continued...
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