第二章 Burn down The FAIRY TALE

午後13時55分。
ツバサはカウンセリングが行われる会議室の前に並んだ、椅子に座り、自分の順番を待っていた。椅子をひとつを空けた隣には、仲良しグループらしい女性社員たちが、スマートフォンで動画を見ながら、はしゃいでいる。

「てか、現役高校生で、療養施設の院長って、やばくない?」
「ね?やばいよね?この前のショート動画見た?ホントすごいよ?」
「確かにー。まじすごすぎて、リスペクト〜」

…、なにひとつ、会話の内容も主旨も目的も、見えてこない。非生産的すぎる。というより、カウンセリングの待合スペースなのだから、はしゃぐのは止めて欲しい。ここは高校生が放課後に集うファミレスではなく、れっきとした会社の一区画なのだ。
つらつらと胸中で所感を述べていると。

「特殊対応室のツバサさん、5番にお入りください」

誘導係が、ツバサの名を呼んだ。彼女は小さく返事をした後、『⑤』と印刷された紙が貼られた、会議室の扉をノックした。中から、男性の声で「どうぞ」という返答が聞こえたのを確認してから、ツバサは入室する。

備品の簡素の机と、それに合わせて用意されたパイプ椅子にそぐわぬような、美貌の男性が座っていた。彼が、今朝、ソラが言っていた医師のことだろう。
まず、目を引くのは、左右で色の違う瞳。右が黄色、左が薄紫色。オッドアイだ。次に、グレーの長い髪。ツバサの周辺の人物を物差しにするならば、長さはローザリンデのそれくらい。だが、ストレートヘアの彼女とは違い、医師の髪には僅かにウェーブが掛かっている。前髪も、左側だけ編み込みが施してあった。アシンメトリーがもたらすアンバランスさが、彼の美貌に拍車をかけている。不均衡だが、決して不完全にはならない、完全な美。

そして、医師の美貌にも目が行くが。机の上に飾られた一輪挿しに、ツバサは視線が惹かれた。チグリジアの花。珍しい。

「おかけください」

優しい笑みを浮かべた医師は、白魚のような綺麗な指先を揃えて、ツバサに対面のパイプ椅子を示し、すすめる。「失礼します」と一礼してから座ったツバサを見て、医師は口を開いた。

「はじめまして。カウンセリングを担当する、鈴ヶ原ナオト(すずがはら なおと)と申します。まず、貴女のお名前と、所属する部署を伺ってもよろしいでしょうか」
「特殊対応室・三級高等幹部直属事務員の、ツバサです」
「ありがとうございます。本日は短い時間ですが、どうぞよろしくお願い致しますね、ツバサさん」
「こちらこそ、お世話になります」

鈴ヶ原医師の声は、ツバサが今まできちんと聞いてきたどの男性の声とも、パターンが違っていた。
そう、例えば。ルカが、ハツラツ、明るい、しかし人間味は薄い、といった声。ソラが、冷たい、厳格、しかし人間味が垣間見える、といった声。ならば。
眼前の鈴ヶ原医師の声は、柔和、穏やか、しかし私情は抑え込んでいるかのようなもの。とでも、表現するべきか。あくまでツバサ個人の主観なので、正解は分からない。

「それでは、早速、本題に入りますが…。
 事前記入して頂いた問診票に、『前の部署では、朝に起きられなかったのが、今の部署になってからは、それがほぼほぼ解決した』とありますね。
 これについて、僕からいくつか質問をさせてください」
「はい…」

鈴ヶ原医師が、穏やかな笑みと声のまま、カウンセリングを始める。時間は有限だ。ツバサとて、早くに終わるのならば、それが良い。ただ、スタートが異動の話となれば、少々厄介な気がした。一般事務時代の話は、あまり蒸し返したくないというが、ツバサの本音だからだ。

「今の部署の方々は、ツバサさんに良くしてくれるひとたちですか?」
「…え、…あ、はい。とても、お世話になっております…」

…てっきり、前の部署の話題を振られると思っていたのに。今の部署の質問から始まった。不意を突かれた気分になったツバサは、思わず間の抜けた声を漏らす。が、鈴ヶ原医師は、特に気にしていない様子で、穏やかな空気を醸し出したまま、続ける。

「ツバサさんは、きっとお仕事が丁寧なお方なのでしょうね」
「ありがとうございます…。でも、どうして、先生はそう思うのでしょう…?」
「記入された問診表から推測した…、とでも答えるのが、妥当です。
 手短に、且つ、的確に、伝えるべきことを纏めてあり、そして何より、質問に対する答えとして、それがきちんと示されている。
 言葉にすれば簡単なことに聞こえるかもしれませんが…、実際はそうはいかないものですよ」

鈴ヶ原医師はそこまで言うと、オッドアイを細めて、ふふ、と笑った。彼は、尚も、続ける。

「とはいえ、仕事の質を維持するには、それなりのモチベーションが必要になります。
 きっと、ツバサさんのことを正当に評価し、そして褒めてくださる上司や同僚の方々が、貴女の周囲にはいらっしゃるのでしょうね。
 勿論、それはツバサさんご自身の能力の高さがあってこそ、です」
「…ありがとうございます」

鈴ヶ原医師の言葉に嘘やお世辞は見えない。彼の瞳は、穏やかでありながらも、真摯な光を宿している。鈴ヶ原医師は、ドクターとしても、そして人間としても、信頼を寄せられている人物に違いない。ソラが調べても「問題ない」と判断したのは、社会的信用に基盤があったが故か。
何より、ツバサは、自分のことを介して、ルカとソラのことを称賛する鈴ヶ原医師の優しさが、心地よかった。Room ELはツバサにとって、自分の職場でもあり、心落ち着ける場所になりつつあるのだから。

「ああ、すみません。僕ばかりがお話をしてしまいましたね。
 ツバサさんも、何かお話したいことがあれば、どうぞ、遠慮なく」

鈴ヶ原医師は、ハッと気が付いたように言うと。ツバサにターンを譲ってくれる。が、肝心のツバサは、そもそもカウンセリング自体に意義を見出せていないせいで、何も会話の手札を用意していなかった。とはいえ、手札が無いなら、山札から引けばいい。ツバサはずっと気になっていた、机の上の一輪挿しに目を向けた。

「そのチグリジアのお花は、先生がお好きなのですか…?」

ツバサが質問を投げると、鈴ヶ原医師は、まあ、と嬉しそうに反応して、答えてくれる。

「ツバサさんは、お花に詳しいのですね。皆さん、お花が綺麗、とは仰いますが、…これがチグリジアだと断定したのは、今日で貴女が一番乗りです」

すごいですね、と鈴ヶ原医師は称賛しながら。自分が左手に持っていたボールペンの先を、紙の上に滑らせる。彼は、左利きらしい。ルカと同じだ。鈴ヶ原医師は、続ける。

「個人的に、最近、お花の勉強をしていまして…。お花の世界は興味深いですね。あと、花言葉などを見ると、美しい花にも、意外な怖い言葉などが宛がわれていたり…。調べると、時間が溶けます。
 今日のチグリジアも、僕なりに選んで、飾らせて頂いたものなんですよ」

このチグリジアの花は、鈴ヶ原医師自ら選んだものらしい。そして、彼は最近、花の勉強をしている、とも。ツバサは、どうやら自分は山札から、良い札を引いたのでは、と勘付いた。紙面に書き物を続ける鈴ヶ原医師を見ながら、ツバサが口を開く。

「…私も、お花や宝石などの意味を調べたり、星座の由来や、それにまつわる神話などを知識として巡るのが、好きなんです…。
 私がそれらをするきっかけは、自分の趣味を満喫するためですが…。先生は、お花の勉強をするのに、何かきっかけになる理由があったのですか…?」
「ええ。僕は、子どもたちのために、勉強を始めました」

ツバサが問いかけると、鈴ヶ原医師は、そう答えた。彼は、再度、ふふ、と笑う。まるで花のような、傍らに飾ってあるチグリジアに負けない、美しい微笑み。
鈴ヶ原医師は既婚者なのか、とツバサは一瞬だけ思ったが。証の指輪が見当たらないこと、そして、彼から所謂『家庭の匂い』がしないことから。彼が発した『子ども』という言葉に、何か別の意味合いがあることを、すぐに汲み取る。が、容易に踏み込んでもいい話題ではない。

「すみません。デリケートなお話を…」
「いいえ、どうぞお気になさらず。隠していることでもありませんし。そもそも、僕は独身なので…」

ツバサが謝罪を申し入れると、鈴ヶ原医師からは想定内の答えが返って来た。とはいえ、小首を傾げるツバサに対して、鈴ヶ原医師は、なんてことない、といった風で、説明を始める。

「僕がドクターとして出向している、療養施設がありまして。そこに入院している子どもたちが、少しでも心豊かに過ごせるようにと、院内に飾るお花の勉強を始めた、…というのが、この話題の本質的な答えですね」
「療養施設…、それは、もしかして、子ども向けのですか…?」
「ええ。『鈴蘭』という、未就学児向けの療養施設です」
「…申し訳ございません。存じ上げません…。
 …ですが、先生のような優しいお医者様がいらっしゃれば、きっと、子どもたちも安心ですね…」
「…ふふ、本当にそうだと良いのですが…」

鈴ヶ原医師のオッドアイに、初めて、少しの憂いが見えた。それを見とめた瞬間に、ツバサの本能ともいえる部分が、「ここだ!」と、内なる彼女自身に告げる。
ツバサが鈴ヶ原医師に、問うた。

「あの…、鈴蘭のご住所を、頂戴してもよろしいでしょうか?」

ツバサの突然の申し出に、鈴ヶ原医師はきょとんとする。左手に持っているボールペンが、瞬間的に、宙ぶらりんになる。ツバサは畳みかけるように、しかし、圧はかけないように、自分の提案を持ち出した。

「我がROG. COMPANYは玩具会社として、子どもたちの幸せを一番に願っております。その理念に則り、定期的に弊社の社員がチームになって、子どもたちへ向けて訪問・慰問をするのが、社の慣習となっているのです…。
 まだ現時点ではハッキリとは申し上げられませんが…、私たち特殊対応室は、始動したばかりの部署なので、未だ、一番最初の慰問先を探している最中でして…」
「…その一番最初の慰問先の候補に、我が鈴蘭を、選んでくださる、と…?」
「はい、そのようにしたいと思っております」
「なるほど…」

ツバサの提案に、鈴ヶ原医師は色違いの瞳を、伏せ気味にして考える素振りを見せる。そして執秒後、傍らに置いてあったメモ帳に、さらさらとペンを走らせて。ピッ、と千切ると、ふわりと微笑んで、ツバサに差し出した。

「必要な情報は、こちらになります」
「頂戴します。ありがとうございます」

ツバサが受け取ったメモ用紙には、『鈴蘭』という施設名と、そこの住所、電話番号、窓口の営業時間、そして、『鈴ヶ原ナオト』の署名が、実に流麗な字で書かれていた。

「どうぞ、よろしくお願い致します」
「こちらこそ。良いお返事が出来ますよう、尽力致します」

鈴ヶ原医師とツバサが、互いに頭を下げ合ったとき。こんこん、と扉を叩く控えめなノックが、響いた。どうやら、時間が来たらしい。



⑤の紙が貼られた会議室の扉から出てきたツバサを見た、待合スペースの社員たちが、一斉に悪いものにでも遭遇したかのような表情をした。だが、ツバサはそんな者たちには一瞥もくれず、手荷物のトートバッグの持ち手をしかと握りしめたまま、彼らの前を素通りしていく。
ツバサが去った後に、「化け物の部下だ…」、「怪物め…」という陰口が、聞こえた気がした。…気がしただけである。気にしなければ、どんな声も、ただの日常的な雑音でしかない。



【Room EL】

帰室したツバサは、挨拶をした後。ルカのデスクへと向かった。「んー?どうしたのー?」と、呑気な声を出しながら、紙パックの紅茶飲料に差したストローに吸い付くルカを見ながら、ツバサは鈴ヶ原医師から受け取ったメモ用紙を差し出す。それを見たルカは、咥えていたストローから口を放し、メモを受け取った。

「Room ELの最初の慰問先の候補に、いかがでしょうか」

ツバサの言葉を聞いたルカは、深青の瞳を細めると。「なるほどね~」と、どこか面白そうに笑いながら、メモ用紙を黒革の手袋が嵌った手の中で弄ぶ。
そして、音もなく近付いてきたソラに、メモ用紙を手渡すと、改めて、ルカはツバサに向き直り、口を開いた。

「自分からお仕事を取ってきてくれるなんて、さすがアリスちゃんだね♪
 …それで、カウンセリングを担当してくれたドットーレ(ドクター)は、どんなひとだった?」
「とても穏やかで、優しくて、理知的で…。お医者様としても、人間としても、秀でている方かと…」
「そっかあ。それは良かった~」

そう言うと、ルカはのんびりとした動作で、机の上に置いていたガラス製の瓶の蓋を開けて、そこから個包装されたキャンディーを取り出すと。はい、どうぞ。と、ツバサに差し出した。彼女はそれを受け取ると、一礼して、自分のデスクへと戻る。
ツバサは席に着くと、早速、貰ったキャンディーを開けて、口に放り込んだ。いちご味だった。



to be continued...
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