第一章 ALICE in New World

ツバサは一方的に罵られるのは、慣れている。しかし、今日は、一段と酷いものだった。

日常的に行われているツバサの手料理の点数付けから始まった時、彼女は適当にいなそうとした。だが、それがいけなかった。適当に対応しようとしたのを見抜かれてしまったのだ。

「お前はいつも―――おれが言わないと―――ほんといつもいつも―――」

罵倒の台詞が並ぶも、ツバサの耳にはもう殆どの内容が入ってこない。否、入ってきているかもしれないが、脳が処理を拒否している。
結局。恋人である彼は、「お前とはもう終わりだ!もう通ってやんねえから、お前も二度とおれの前に顔見せんなよ!」と、一方的に告げて。ツバサの部屋に放置していた自分の手荷物を纏めると、出て行ってしまった。
夜中の2時のことである…―――。




翌朝。殆ど眠っていないツバサは、自分のスマートフォンで上司にメッセージを打ち込んでいた。「寝不足で体調が悪いので、お休みさせてください」。既読が付いた数分後。電話がかかってきた。通話ボタンを押すと、上司である女性の声がした。

「寝不足なんて皆一緒でしょ!?皆も苦労して会社に来ているのだから、そんな小学生みたいな理由で、仕事を放棄しないでくれるかしら?!ツバサさんってば本当に社会人としての自覚はあるのッ?!」

ツバサの耳朶に、上司のキンキンとした怒鳴り声が響く。彼女は酷い頭痛を覚えたが、結局、謝罪の言葉を述べた後、休みの申請を取り下げた。

電話を切ったツバサは、のろのろと出勤の支度を始めた。




ツバサは自動運転の巡回バスに乗り込んだ。彼女の自宅からだと、モノレールの方が早いうえに安上がりなのだが、あの満員の車内がツバサはどうしても受け入れられない。過去に数度、ナンパや痴漢の被害にあったこともある。
この自動運転のバスだと乗り込める人数に制限があるので、満員電車特有の恐怖は無く、確実に席に座れることなど、ツバサにとってのメリットが多かった。唯一のデメリットは、やはり交通費が嵩む点。
席に座り、ペットボトルのカフェオレの蓋を開ける。新発売のバニラミルク味。SNSで見かけてから、密かに発売を待ち望んでいた物だ。一口飲むと、バニラの甘い香りと、コク深いミルクの味が、コーヒーの程よい苦味とマッチして、ツバサの舌に広がる。美味しい。これはリピートしよう、とツバサは心に決めた。
カフェオレを楽しみながら、スマートフォンでSNSを眺めていると。


―――『次は、ROG. COMPANY前。ROG. COMPANY前でございます』


アナウンスが聞こえた。ツバサはペットボトルを仕舞い、降車の準備を始めた。





ツバサが勤める会社『ROG. COMPANY』のロゴが掲げられた、本社ロビーを通過しようとすると。…前方に人だかりが見えた。

女性社員ばかりの人の山の中心にいるのは、一等、背が高いシルエット。長い青色の髪をポニーテールにしているのが分かる。白色のスーツのジャケットを、肩で羽織っている背中を見ていると。

不意に、その背が、こちらを向いた。あ、と思う間もなく、ツバサは、その髪と同様の深青の瞳と、視線が合った。すると。

にこり、とそのひとが笑ったかと思えば。人だかりに軽く手を振りながら、それをかき分け、ツバサの方へとやってくる。太腿まで覆うニーハイブーツの脚の、長さたるや。しかも、ハイヒールだ。
肩だけで羽織ったジャケットと同じ素材且つ、同色の白のベスト。その下のカッターシャツは黒色。袖を捲っているうえに、襟元が僅かに開いている。そこに青色のネクタイを、緩めに巻いている。両手には黒革の手袋が嵌っていた。
このひとは、女性?男性?というより、何故こちらに来ている?逃げた方がいい?
…ツバサがぐるぐると考えていると、そのひとは、あっという間に彼女の前まで来て。

「Buon giorno, gattina.」
「え…」

艶を感じる低音ボイス。男性だ。しかし、間近で見ると、その美貌と迫力が凄まじい。

「オレは、ルカ。『特殊対応室』で指揮を執ってる立場にあるよ。よろしくね」
「い、一般事務の、ツバサです…。よろしくお願い致します…」

ルカ、と名乗ったその美丈夫は、自らの社員証をツバサに見せる。本社のロゴマークに、『LUKA』という名前、顔写真も入っている。本物だ。…しかし、『特殊対応室』という部署は、初めて聞いたものだ。

「オレね、キミを待っていたんだ。
 はい、辞令だよ~」
「じ、辞令…?!」
「うん。ねえ、確認してくれる?キミがこれを確認する場面に、オレが直接、立ち会わないといけないんだ」
「な、内示がありませんでしたが…?」
「それについては、オレの執務室でゆっくり話すから。とりあえず、開けちゃって?」
「…は、はい。…拝見いたします…」

ルカの爽やかな笑みと言葉の裏で、妙な圧を感じ取ったツバサは、大人しく封筒を開ける。紙が一枚、出てきた。


『ツバサ 殿 ××××年〇月△日をもって特殊対応室 三級高等幹部直属事務員を命ずる。』


以上。それだけ。あまりのことにツバサが虚無になっていると、それを見たルカが心配そうに覗き込んできた。

「大丈夫そ?顔色悪いよ?」
「………。」

大丈夫な訳が無いのだが。それはそうと、ツバサは頭痛が酷くなった気がした。
彼氏(もう元カレ?)からのモラハラ、睡眠不足、朝ごはんは食べていない。そもそも今日は休みたかったが、上司(こっちも元?)が許してくれなかった。…ぐるぐるする。考えることが多すぎる。目の前が回る。

「ねえ?本当に大丈夫?一旦、休む?」
「だ、だいじょ―――」

ツバサが答えようとした所で。
ぐぎゅるぅぅ…、という音。ツバサが顔を真っ赤にして、自身のお腹を押さえた。
ツバサの、腹の虫が鳴ったのだ。彼女は今日の朝ごはんを食べていない。というより、昨夜もろくに食べていない。

羞恥で頬が赤くなるままに、ツバサは思わず、目の前のルカを見上げる。と。
ルカが、きょとん、としていたのも一瞬だけ。彼はすぐに、にっこりと笑い。

「オレの執務室に行く前に、カフェテラスに寄って行こうか――、って、おっとぉ~?」

ルカがポケットからバイブレーションで震えるスマートフォンを取り出した。秒で画面を数回タップした後、仕舞い込んで。

「オレの秘書官がお待ちかねみたいだから、売店にしよっか。カフェテラスはまた今度ね~?」

ルカはそう言うと。色々と情報が渋滞しているがゆえに、ほぼ直立不動で硬直状態のツバサの手を取ると。ごく自然と、自分の腕に絡ませた。振り払うとか、周りの目とか。そういうのはもう、何もかも吹っ飛んでしまい、ツバサはリードされるまま、社内の売店部へとルカと共に赴いたのだった。


*****


売店部のある5階から、エレベーターに乗り込むと。ルカが17階を押そうとして…、既にそれは光っていた。自分たちが最後である事を確認すると、黒革に覆われた長い指先が、「閉」のボタンを押す。
殆どの者が12、13、14階で降りていく。ここには総務、経理、広報、そして人事部が集中している。17階は、秘書課の専属フロアだ。残ったルカとツバサ、そしてふたりの社員が、17階で降りた。『この』エレベーターでは、17階までしか昇れない。

秘書課に行くのだろうか、ツバサが考えていると。ルカが、穏やかな声で言った。

「オレとキミは、こっちだよ」

手を引かれるまま、ついていく。秘書課とは反対方向だ。その先には。
もう一基の、エレベーター。普通のエレベーターとは違い、社員証をかざすスキャナーが設置されている。このエレベーターの先が、特別なフロアであることを示唆していた。
ルカはスキャナーに社員証をかざし、エレベーターを呼ぶ。よほど動くことがないのか、すぐに来た。乗り込んで、ルカは25階を押す。

「オレの執務室は25階だよ。いま来た道のりも含めて、覚えておいて」
「は、はい…」
「あまり緊張しなくても大丈夫。今日からキミの職場でもあるんだから」

…無茶な事を言う男である。

そして。辿り着いた、25階。ルカは静かに降りて、誰もいない廊下を歩いて行く。ツバサはそのあとをついていった。程なくして、唐突に、タイムカードの打刻機がついた扉が現れた。しかしルカは慣れた様子で、それにも社員証をかざす。

――『おはようございます。只今の時刻、午前8時45分でございます』

無機質なオペレーションボイスが流れた。

次いで。ルカはどこからか、ICカードを出して、ツバサに差し出す。

「はい。これがキミの新しい社員証。かざしてみて?」

ルカがツバサを促す。慌てて、受け取ると、それは確かにツバサの名前と顔写真が印じられた『社員証』だった。催促されているので、ツバサも社員証をスキャナーにかざした。

――『おはようございます。只今の時刻、午前8時46分でございます。
   ツバサ様。ようこそ、『Room EL(ルーム・エル)』へ。我々サポートチーム一同、あなた様を歓迎いたします』

ルカの時と同様に無機質なボイスが鳴る。が、歓迎の言葉が述べられた。所詮はプログラム上のものであろうが、何となく心地が良い。
だが、感傷に浸る間も無く、ルカがその長い脚を進めて、開いた扉の中へと入っていくのを見て、ツバサも後に続くのだった。

「おはよ~」
「お、おはようございます…」

軽快に挨拶するルカに反して、おどおどとするツバサ。今日任じられて、今日オフィスにやってきて。当たり前だった。のだが。

「おはようございます」

室内から返ってきた、その冷たい声音に、ぞわり、とツバサは背筋を凍らせた。本能的に、とも言えるべきか。これまで踏んできた数々の負の経験から、ツバサの精神に警鐘を鳴らす。
…が、漂ってきた、甘い香りに。少しだけ、拍子抜けした。これは…?

「あ!わざわざ用意してくれたの~?ソラってば、やっさしい~♪」
「これが俺の仕事だ」

上機嫌になるルカとは対照的に、無表情のその男は。切れ長の翡翠の双眸を、ツバサに向けて、「どうぞ」と、ティーセットが設置された応接用のソファーをすすめてきた。
ツバサが下座に腰かけると。真正面に翡翠の目の彼、そして上座にルカが、それぞれ座る。

「はじめまして。俺はソラ。ルカの専属秘書官をしていて、このRoom ELのサブリーダーを務めている。
 …ああ、食べながらで良い。抜く習慣が無いのなら、食事は摂ってくれ。お茶も、口に合えば…」

ソラの言う通り。ルカが既にカスクートを食べ始めているのを見て、ツバサもたまごサンドを取り出した。
目の前のティーカップに注がれている紅茶からは湯気が立っており、ラ・フランスの甘い香りが漂ってくる。カップに淹れたフレーバーティーなんて、随分と久しぶりに飲む気がする…と、ツバサは思わず手を伸ばした。
丁度いい温度にまで下がった紅茶を口に含むと。ラ・フランスの香りが鼻孔を抜けて、その合間に紅茶そのものの芳醇な味わいが舌に広がった。…美味しい。

「ツバサ。お前は本日付けで、この『特殊対応室』こと、Room ELの事務員となる。ここの所属になるという事は、全てがルカの直轄になるという事だ。ここだけは押さえていて欲しい」
「はい…」

ソラが説明してくれるのはありがたいが、残念ながら、分からないことが多すぎる。すると。

「オレの事、説明してあげれば?たぶん、ソラが思っている以上に、彼女、何も知らないんだと思うよ~?」
「…は?道中でお前が説明したのでは…?」
「え?してないよ?だってこの隔離エリアでもない…、普通の社内で、オレの事を堂々と自己紹介できる訳ないじゃん」
「……、……」
「うわああぁぁ、怒んないでぇぇぇ」

ソラの瞳に厳しい冷たさが増した瞬間、すぅ…、と室内の温度が下がった気がした。ルカが慌てる所を見ると、どうやら「怒らせると厄介なタイプ」なのだろう。というより、怒気を撒き散らす様が、普通に怖い。

「……自分の事をロクに言いもせずに、お前は彼女にベタベタと引っ付いていたのか…?」
「え、あ…そっち…?」
「そっちもどっちもあるか。セクハラで訴えられたいか?貴様?」

ソラの言葉に、ルカがきょとんと言い返す。何の話をしているのかツバサにはさっぱりで、ぽかんと見ていると。ソラが急にツバサの方を向いた。

「ツバサ。このポンコツ青色上司を、赴任初日からセクハラで訴える気はあるか?こいつが自身の身分を明かさなかった、という点においては、場合によっては、パワハラにもなりえる」
「え、え…」
「安心しろ。全面的に協力してやる」
「…、…え、あの…その…。たぶん、大丈夫、だと、思います…」
「そうか。…まあ、その気になったら、いつでも言うと良い。相談に乗る」

ソラは自分の直属の上司に、そこまで噛み付いていいのだろうか。というか、ルカはそんなに偉いひとなのか?

「ソラってさ、何か年々、オレに冷たくなってない?気のせい?
 世の中、温暖化だよ?何でソラのオレへの態度だけ逆行しているの?」
「…。ツバサ。信じられないかもしれないが、この空っぽすぎる発言を繰り返す、この男が、弊社…『ROG. COMPANY』の『高等幹部』のひとりだ」
「…えッ?!」

お茶を噎せそうになったのは何とか我慢した。ツバサのような一般事務の端くれでも、聞いた事くらいはある。

―――『高等幹部』。
ROG. COMPANY本社に所属する、たった15名しかいない、超常的な役員。その業務や多岐に渡る、とは言われているが、詳細は社内の人間にも、あまり明かされていない。社内名簿でその存在は確認できるものの、15名全員の顔、名前、職域などが載っていることはなく。全てが秘匿されている人物もいた。

(…そうだ。名前以外の全部を隠されている高等幹部が、ひとりだけ、いた…―――…)

ツバサがひとつの答えに辿り着く。たった一度だけだが。同僚たちが冷やかし目的で社内名簿を広げていた時だった。高等幹部の欄にあった、名前以外の、顔写真、生年月日、職域等、全てが『閲覧不可』となっていた人物が、ひとりだけいたのだ。その名前が…

「…『LUKA』…」

ツバサの唇から、ぽつり、とその単語が漏れた。

あれ?そういえば、…?

ツバサは鞄を開けて、ルカから拝命した辞令を出す。広げて、中身を確認する。


『ツバサ 殿 ××××年〇月△日をもって特殊対応室 三級高等幹部直属事務員を命ずる。』


…『三級高等幹部』、これがルカのこと。そして、自分は彼の『直属』になる、と。これはソラも言っていた。全てがルカの直轄になるという事だ、と。


「答え合わせは、済んだか?」
「!」

ソラの声が聞こえた事で、ツバサは深い思考の海から帰ってきた。ソラの人間味の薄い翡翠の瞳が、ツバサを射抜き、その口を開いた。

「高等幹部は15名。彼らには順列があり、等級の数字が若い程、立場が上になる。つまり、ルカはどうなると思う?」
「…三級、高等幹部…。15名中、3番目に権限が強い…?」
「いいこだ。
 それくらいの賢さと、物言いが出来れば、少なくとも、『隣』や『近所』とは渡り合えるだろう」

ソラの台詞が、己への称賛だと気が付いたツバサは、「あ、ありがとうございます…」と小さく首を垂れた。
そして、そのまま。ルカを見やる。ツバサと視線が合ったルカは、人懐っこい笑みを浮かべると、言葉を紡ぎ始めた。

「改めまして。オレは、ルカ。ROG. COMPANY三級高等幹部。
 所属は『特殊対応室』、通称・Room EL(ルーム・エル)。ここの指揮、すなわち、リーダーを任されているよ。
 お仕事の内容は、…まあ、時と場合によって、様々だけど。キミの業務に差し障りのあるような事を放り投げたりはしないから、安心して?
 あと。分からない事、困った事、他諸々に聞きたい事があったら、遠慮しないで、たくさん聞いて。オレでも、ソラでも…、どっちでも大丈夫だよ。
 もしオレたちふたりでも分からない事があったら。…まあ、マニュアルなんていう便利なものが、会社にはごまんと存在するんだし…。その時は、一緒に分厚い書類たちを捲る作業、しようね?
 そして、こっちの冷たい視線のイケメンが―――」

「―――改めて、ソラだ。ルカ三級高等幹部の専属秘書官をしている。
 ルカの言う通り、疑問点や質問は、遠慮せずにしてくれ。お前が混乱した結果、業務に支障が出るのは、宜しくない。
 それから…、これを渡しておく」

ソラが改めて自己紹介をして、その手に持っていた2台のタブレット端末のうちの1台を、ツバサに差し出した。

「この執務室専属の社内用タブレットだ。業務時間内は常に持ち歩くように。お前が社外へ持ち出す場合は、ルカか俺の許可がいる。持ち出しの際は、必ずどちらかに申告しろ。
 Room EL内にしか降りていない機密情報が内包されている場合がある。くれぐれも、取り扱いには注意してくれ」
「はい…」

一度に沢山の事を言われるのは混乱しそうなものだったが。ツバサは意外と冷静に事を受け止めている自分自身に、正直、驚いていた。
何故だろう?今日いきなり辞令を下されて。今日初めて会った上司ふたりに加えて、今日初めて訪れた執務室だというのに…。

「何色がいいかなぁ~♪ねえ、ソラ~?鏡ある~?」
「そこのロッカーの備え付けを使ってくれ。それと…、もう『それ』を渡すのか?」
「え?逆に渡さない理由が無いってカンジ?」
「あ、そ…」

ルカがソラとそんな会話をしながら、ツバサの手を取って、優しくリードする。手を引かれるままのツバサは、執務室の隅にあったロッカーの横に鎮座する、姿見の前に立たされた。…いつもの自分が映っている。
177cmの高身長。大きなバストとヒップ。スポーツの経験があるので、脚全体に僅かな筋肉がついていて、少しだけ逞しい印象。
明るい茶髪を、ハーフツイン風に纏めているが。本人に特に髪型のこだわりはない。瞳はエメラルドを彷彿させる色。だが、光が無く、常に不安そうな態度をしている事も相まって、少々陰鬱な視線。

ルカがツバサの後ろから覗き込むようにしながら、彼女の首元に布を当てていた。…スカーフだ。そう言えば、「何色がいいか?」とか何とか言っていた気がする。

「瞳の色に合わせるなら、緑だけど。でも、グレーも綺麗だねえ。
 キミは、何色が好き?」
「え、えっと…?これは…?」
「ん?支給品。オレのオフィスに出入りしてるっていう証。
 昔は制服があったんだケド、時代の流れで廃止されてね~。今は、…ほら、スカーフの布地に、微かに本社のロゴが入っているでしょ?
 これとね~、コレ!この『六角形の社章バッジ』を組み合わせて、高等幹部直属の部下だよ~、ってコトを、周囲に静かに報せるんだよ~?」

説明をしながら、ルカは、オレンジ、ピンク、紫、白、と、次々にツバサの首元にスカーフを当てては、うーん?と、自身の首を傾げながら、取り替えていく。
すると、スカーフを出していたルカの手元が、化粧箱に入ったスカーフを拾い上げた。

「あれ?これって何だろ?ソラ~、このスカーフは社員用?」
「ロット番号は?」
「28500-AL-BE000」
「……、7年前の『不思議の国のアリス』とのコラボレーション企画で作った製品のひとつで、その中はやはりスカーフだ。展開している色は、赤、黒、白、グレー、水色の5色。その番号だと、水色だな」
「ありがとう~」

ルカとソラが応酬する。
一方、ツバサは、『7年前の『不思議の国のアリス』コラボ』と聞いて、内心、体温が上がった気がした。当時の自分はまだ17歳だったので、アクリルキーホルダーひとつしか買えなかった、コラボ企画だ。他にも色々と欲しいものがあり、その中にスカーフもあった。が、1枚で万札が飛ぶ値段がついていた為、とても手が伸びる代物ではなかったのだ。

「ねえ、キミはこのコラボ、知ってるでしょ?」

ルカがそっと囁くように問うてきた。艶のある低音ボイスが、耳を掠める。

「鞄に付けてるあのアクキー、当時の本社直轄の物販エリアでしか手に入らなかった、限定の柄だよね?ブラインド販売されてた商品だけど、何個で引き当てた?」
「………、5つ…です」

そう。ツバサの通勤用の鞄に、当時買い求めたアクリルキーホルダーが、今も揺れている。
お小遣いの関係で5個し買えなかったが。20種類の柄のなかで、ツバサは見事、『自引き』したのだ。一番欲しかった絵柄を。
大切な思い出の品として。そしてお守りとして。今もツバサはそのアクリルキーホルダーを大切に扱っている。透明の小物入れに入れて、保護しながら。

ルカに何もかも見透かされているかのような気になってしまい、少々怖くなったが。それでも不思議と、嫌悪感が無い。今までの経験からだと、自分の周囲の事を把握してくるタイプの人間は、異性同性関係なく、接するのを苦痛としてきたというのに…。

「あ!水色、可愛い~♪ねえ、これにしない?」
「え、でも、それはコラボの時に売られた、商品だったものじゃあ…?」
「これは社内用のサンプル品。オレがプレゼン用に会社から貰ったものだから、備品扱いだよ。ヘーキヘーキ」

ツバサの疑問は、ルカの流れるような回答に見事放られて、消える。
そして。水色のスカーフが、ツバサの首元に巻かれた。リボンの形で結ばれる。そして、結び目に、六角形の社章バッジが留められた。
よく見ると、スカーフの両端に、赤色のハートのモチーフと、ウサギの懐中時計のモチーフが、それぞれ付いている。

「ハイ、出来上がり。かーわいいねえ♪アリスちゃん♪」
「あ、ありすちゃん…?」
「あの『アリス』コラボ、実は当時のファンからはあまり好意的な評価が得られなかったんだケド…。でも、キミは今でもそのアクキーを持ってるってコトは、『不思議の国のアリス』モチーフそのものが好きなのかな~って思っただけ。…ダメだった?」
「い、いいえ…、でも、あの…恥ずかしい、かも…」
「大丈夫。可愛いよ♪」
「…。」

ルカの回答は、時折、ツバサの求めている答えと至極ズレている事が多いようだ。しかし、ソラの言う通り、「空っぽの発言の多い」人物なのだとしたら、それも一種のキャラクターなのかもしれない。普段の発言の内容がどうにせよ、彼が三級高等幹部の地位を維持しているだけの実力を有しているのは、確かなのだ。

ぼんやりと考えていると、ソラの声が聞こえた。

「お召し替えは終わったか?
 可愛い可愛いと着せ替え人形ごっこするのも、いい加減に悪趣味だぞ?ルカ」
「ねえ?ちょいちょいオレを悪く言うのは何なの?喧嘩を売ってるつもりなら仕舞ってくれない?どうせ買っても、オレがソラに勝てるワケないんだからさ~」
「抜かせ、化け物。目当ての女相手だからって、いいこぶるんじゃない」
「うっわ!ひっどい!逆パワハラだ!」

ルカとソラが、またツバサの頭上で応酬する。

これが新しい職場かあ…、とツバサはひとり俯瞰しつつも、改めて姿見をちらりと覗いた。
水色のスカーフ。そこに留められたバッジ。これが意味するのは、『ルカの直属』だということ。
ツバサがその真意を知るのは。もう少し、先の事である。




to be continued...
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