投げキッスはきみだけに

 座長の山田率いる、曲馬団『ヤマダ一座』主催の樺太大サーカスを大成功に導いた鯉登たちは、豊原の特に高級とされる旅館に宿を取っており、鯉登の采配により鯉登と月島は特別室の二人部屋。そして杉元と谷垣は普通の一般客が泊まる部屋と既に取り決めてあったので、曲馬団を後にした一行は早速、旅館へと向かっていた。
 そしてその最中、杉元の恨み節を聞いたが軽く無視して笑ってやる。
「私があまりにも華麗なので驚いたのだろう。貴様の血みどろハラキリ芸も何とか成功したのだし、いいのではないか? なあ? 少女団の月島、谷垣」
 静まる一向。
 誰もぐうの音も出ない様子に、鯉登の高笑いは止まない。何しろ本日の主役は鯉登と言っても過言ではないほどに活躍してしまったのだ。それが例え、月島の目論見から外れてしまったとしてもだ。
 そして旅館に着くと、すぐに支配人が挨拶に来る。
 何しろ特別室へ泊まる客だ。お値段も相当なものだが、何しろボンボンの鯉登。金なら唸るほど持っているということで、支配人の挨拶もそこそこに切り上げさせると、仲居が部屋に案内してくれる。
 ここで杉元たちとは別れ、早速仲居の後に続く鯉登と月島だ。
 長く、そしてくねくねとした廊下を歩き、そして到着した部屋は流石に特別室だけあって、とても贅沢な造りの部屋は鯉登を大いに満足させた。
 広い部屋の真ん中には大きなテーブルがあり、広縁も広くテーブルセットが用意してある。外の景色も見事なもので、坪庭も素晴らしく鹿威しの音色が耳に心地いい。
 畳もきれいなもので、照明も明るく、活けてある花も豪華でありながら、奥ゆかしさもあり、見るものの気持ちが落ち着くような、そんな豪奢な造りの部屋を見渡し、早速、座椅子に腰掛けるとふかふかの座布団が疲れた身体に心地いい。
 月島も正面に座ったところで改めて、仲居の挨拶が始まる。
「ようこそ、鶴亀楼へいらっしゃいました。わたくしは仲居の中田と申します。お客様のお世話をさせていただきます、よろしくお願いいたします。では、お茶とお茶菓子の方、お持ちいたしますね」
 それには鯉登が答えた。
「よろしく頼む。確か夕食は部屋で摂ることになっていたな? よし、時間が来たら運んでくれ」
「はい、かしこまりました」
 その間にも仲居の手は止まらず、優雅な仕草で二人分の茶を湯のみに満たし、まずは鯉登を優先にして湯呑みが目の前へと運ばれ、次に月島。そして徐に部屋から出て行くと、持って来たのは雪の結晶をモチーフにした針切り造りの白色の練り切りだった。
「こちら、本日のお茶菓子になっております。ごゆっくりお召し上がりください。では、何か御用がございましたらお気軽にお声がけくださいませ」
 そう言って仲居は扉を閉めて引っ込み、改めて鯉登と月島は二人きりになることができた。
 だが、何故か月島が視線を合わせようとしないのだ。
 鯉登としては互いに想い合っている身として、今からはお愉しみの時間が始まるかとウキウキしていたらこの態度。
 頬を膨らませながら、湯呑みを持ち早速文句を言い渡す。
「月島、さっきから態度が悪いぞ。私がなにかしたか。言ってみろ。因みに、私に身に覚えはない」
 堂々とそう言って練り切りに黒文字を差し込むと、ぼそぼそと何事か返ってくる。それに耳を澄ますと、その内容に思わず顔を赤くしてしまう。
「いえ、昼間の曲馬団での鯉登少尉殿はとても、素敵だったなと。作戦は失敗しましたが、とてもきれいで……まるで、普段のあなたではないようで何だか、緊張します」
「……そんなに、よかったか、私は」
 こくんと頷く月島の顔はほんのり赤く染まっており、いつもの月島ではないようにも見える。
「ご、ごほん! それはそうだろう。私は優雅で洒落男だからな。だが……お前がそう言ってくれるならちょっと張り切ってしまおうか。褒めてくれた礼だ。言っておくが、これはお前がそんな言葉をかけてくれると思わなかったから、することだということを覚えておけ。……というわけで、私がいいというまで振り向くな。さ、後ろを向いていろ」
 納得のいっていない月島に指をさしてジェスチャーすると、漸く後ろを振り向いたので早速、準備を始める。
 月島を悦ばせるための鯉登なりのサービスだ。
 荷物の中には例のモノが入っている。そのためにはまず、軍服を脱がねばならない。上着は脱いだが、軍服は着たままだ。
 月島がちゃんと後ろを向いているのを確認しつつ、するすると服を脱いで荷物の中から探り出した服に着替えてゆく。
 鏡台でしっかりと自分の姿が完璧なのを確認しつつ、くるりと一周回って月島を呼ぶ。
「もういいぞ、こちらを向け月島」
 訝しんだ顔で振り返った月島を見ていると、ピタリと身体の動きを止めてしまい、中途半端に開いている口が間抜けだと思う。
「どうだ! 記念に舞台衣装を買い受けてきた。お前のことだから、きっとそう言ってくれるだろう私の判断は間違っていなかった! どうだ? 似合うか。因みに、小道具の傘もあるぞ」
 そう言ってポーズを決めてみせると、だんだんと月島の顔がさらに赤みを増してどす赤くなってしまう。
 その顔を見ながら、さらにいろいろな角度で月島を挑発するように、さらには投げキッスまでしてみせると、突然だった。
 向かいに座っていた月島がテーブルを飛び越えてきて、そのままの勢いで床に転がされてしまう。
 その身体は畳を滑り、身体に乗りかかってくる月島を恫喝する鯉登だ。
「おいっ! 貴様月島っ!! 何をする!!」
「あなたがいけないんですよ、挑発ばかりするから……あなたが悪い」
「わ、私のなにがっ……それより上から退けっ!! 恋人同士だからってやっていいことと……っあ!! うぁっ!! や!!」
 何しろ気の強い鯉登。悪いと言われ、即座に言い返そうとしたところで、月島の手が着物の合わせ目にかかり、がばっと思い切り左右に割り開かれてしまう。
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