秋が見ている

 月島軍曹のお気に入りは、鯉登音之進だ。
 という下世話な噂が流れたのは、夏も終わりかけの肌寒い秋を感じさせるようなそんな日々の中だった。
 鯉登がその噂を耳にしたのは同期から仕入れたもので、眠る前の自由時間の一時、ベッドで本を片手に寝転んでいた鯉登に対し、ニヤニヤと下世話に笑いながらまるで取り囲むようにして数人の同期が如何にも新鮮なネタを提供とばかりに訊ねてきたのだ。
「なあ、ここのところ月島軍曹とやけに仲がいいそうじゃないか。どうやって取り入ったのか教えてくれよ。それとも、教えられない仲なのかな」
 一瞬黙る鯉登だが、すぐに立ち直り目線を本に移した。
「下らん。実に下らないことで俺に喋りかけるな。大体、軍曹が俺に構う理由がまず無いだろう。あの人と俺は、なんの関わり合いも無い。ただの上司と部下だ。お前らと同じくな」
 言葉を口に出して、早速落ち込む鯉登だ。
 同期もその鯉登のすげない様子に「行こうぜ、つまんねえ」そう言って立ち去り、残された鯉登は本を胸の上に置き、先ほど話題に上った月島のことを考えていた。
 ただの上司と部下、ならば本当にくだらない話だ。だが、そう考えられない自分こそが実に下らない。一度接吻をしてもらっただけの、月島の気紛れに振り回されること数ヶ月。すっかりと憔悴しきった鯉登は、淋しい毎日を送っていた。
 確か、あの暑い夏の日に「元気になったら」と約束を交わしたはずだ。元気になったらなんだと言われてしまえばそれまでだが、鯉登としてはもっと先の関係を欲していたので、あの言葉を使ったのだ。「元気になったら、オイのことを考えてくださいね」と。そういう意味合いを籠めての言葉だったが月島には伝わらなかったのだろうか。
 確かに、以前は鯉登から月島に喋りかけることの方が圧倒的に多かったことは確かだ。そして、近頃になって急接近してきたのは月島。それに間違いはないが、恋人同士が交わすそういった事柄に対して、月島は動いてくれない。
 何度も誘ってみたりもした。言葉で直接言わないものの、明らかに隙を見せたり、それらしい行動を取ってみたりもしたが、それで月島が動くことは無かった。たった一度たりとも。
 ただ、あの夏に交わした口づけだけが、宙ぶらりんに二人を繋いでいる。あの日から、今までを。
 しかし、いい加減なにかアクションがあってもいいと思う。
 少なからず自分を好いてくれていて、口づけまでしているのならその先へ行くことを考えてくれてもいいだろう。しかし、月島はそうしない。あくまで上司と部下の関係を推し進めてきている。
 その気が無いのならば、放っておいて欲しいと思うが、それはそれで淋しいことも確かだ。月島に声をかけてもらえると心が躍る。ドキドキもするし、身体がなんとなく疼くような、言ってしまえばときめきのようなものすら感じる。
 そして思うのだ。ついに、惚れてしまったと。月島に惚れている自分はきらいではない。寧ろ、人らしい感情が持てたことで有頂天になっていることも確かだ。しかし、月島はそうではないようで、まるでからかわれている気分だ。
 期待させるだけさせておいて、あとは放ったらかして終わり。いつもそのパターンだ。遊ばれているのだろうか。気持ちを弄ばれているとも思える月島の行動。
 それにいい加減、終止符を打ちたい。
 そんな思いが溢れ出た、ある日の夜のことだった。その日は揃って色街に繰り出す同期連中も多く、そういったことに興味が湧かない鯉登はその晩も本を読んで過ごしていたが、ふと何か胸騒ぎがしてなんとなく、兵舎の窓際へと足を運んで見て仰天した。
 というのも、月島の姿を見つけたのだ。それも、数人の上級将校たちと連れ立って歩いている。あれは、色街を目指しているんじゃないのか。となれば、月島は今宵、女を抱くことになる。その情景を頭に浮かべたところでカッと頭に血が上り、バンと窓を叩いて慌てて制服に着替え、兵舎を飛び出す。
 止めなければ。何故、女に靡くのか。だったら、あの夏の日に口づけなどしなければよかったのだ。そうすれば、無駄な期待などせずに済んだのに。月島に、本気で惚れずに済んだのに。
 全速力で走って月島の後ろ姿に追いつくと、自然に怒鳴っていた。
「月島軍曹!」
 一瞬、月島の足が止まるがそのまま歩き出してしまい、その肩に手をかけると乱暴に振り払われてしまう。
「なんだ、鯉登」
 それはこっちのセリフだと言いたいが、何故か言葉が出てこない。そのまま黙り込んでいると、また月島は歩き出してしまい、反射でその手を握るがそれも払われてしまう。
「い、行かないでっ……行かないで、ください。おねがい、です」
 すると、月島は一つ大きな溜息を吐き、同じように足を止めていた連中に対し「先に行っててくれ」とだけ言って、その場には二人が残される。
「はあ……俺は性欲処理も満足にさせてもらえないのか。なあ、鯉登。こんなところまで追いかけてきて」
 ふと気づくと、そこは既に色街の入り口で、派手な化粧を施した女たちがしきりに男を誘っている。
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