夏のたましい


 不器用な人間ほど、損をするのが軍隊というわけだ。だが、そんな鯉登を、月島は誇らしく思った。こうでなくては、上に登っていく人間にはなれない。鯉登のような人材は、あって損なことは無いのだ。
「お前は、頑張っているよ。誰よりも頑張っているから、皆それを嫉妬しているんだ。自分にはできないことを、お前は精一杯の努力で補っている。そういうことができる人間は、なかなかいない」
 その言葉に、鯉登は背けていた顔を月島へと向けた。その表情には驚きが濃く出ている。
「オイが、頑張っとる……? あなたは、そう言ってくれるんですか」
「ああ、何度でも言おう。称えてやろう。お前は頑張っているから疎まれるんだ。けれど、努力をすることを止めてはいけないよ。それも、一種の才能だ。それをつまらない人間のために捨てるのはそれこそ、ばかのすることだ。ばかに付き合う時間があったら、自分を磨きなさい」
「月島、軍曹……」
「ああでも、身体もちゃんと労わらないとな。自分しか、自分の身体を大事にはできないからね」
「ぐ、軍曹っ……ふっ、ううっ、ぐん、そうっ……」
 とうとう本格的に泣き出してしまった鯉登の表情はそれでも幸せそうで、目を瞑りながら大粒の涙を零し、両手を彷徨わせている。そして激しく泣き出してしまい、ぜいぜいと肩で呼吸をしながらしきりにしゃっくり上げている。
「落ち着きなさい、鯉登! 鯉登、大人しくしてないと熱は下がらないぞ。こい、音之進! 音之進静かにしなさい!」
 するとぴたっと動きを止めた鯉登は、明らかに熱の所為ではなく顔を赤くして月島を見つめてくる。
「今、オイの名前っ……」
「ああ、いい名だな、音之進。鯉登音之進。響きがきれいだ」
「そりゃ、オイの父上が考えてくださった名ですから。それに、オイも自分の名前が好きです」
「ん、そうか。自分のことが好きだと言える人間は強い。覚えておきなさい、その心を。さ、そろそろ寝なさい。俺は行く。ゆっくり休んで、早く元気になれ。お前の元気が無いとこちらも淋しい」
 そう言って席を立つ月島だったが、その袖を引いたのは鯉登だった。
「あ、あのっ……あの、オイが眠るまででいいんです。その、もうちょっと傍に、いて欲しい……」
「随分と甘えただな。まあ、お前がそう言うならそうしようか。ただし、眠ったら俺は行くぞ。軍曹にえこひいきされていると広まっても具合が悪いのでな」
「そう……そうですね。じゃあ、眠るまで」
 鯉登が改めてベッドへ沈むと、差し出されてくる色黒の手。なんとなくの流れでその手を取って握ると、それは幸せそうな顔を見せじっと月島を見つめてくる。
「なんだ、目を瞑らなければ眠れないぞ」
 すると、だんだんと鯉登の顔が赤く染まっていって、熱が上がったのかと慌てて額に手を当てたところで、ボソッと何かを彼が言った。
「えっと……眠ります、眠りますけれど……さっき、軍曹はオイが頑張ったと言ってくださった。だったら、褒美が欲しいです」
「……月寒あんぱんか」
「ち、違います。えっとその……その、せ、接吻、接吻して欲しい……」
 一瞬、頭の中が真っ白に染まる月島だ。今、この男はなんと言ったのか。
「は……? せ、接吻って」
「月島軍曹と、オイは接吻がしたい」
 キッパリハッキリと言われ、さらに頭が混乱してくる。鯉登が自分にそういった気持ちを抱いていることすら今の今まで知らなかったのに、それを通り越して口づけなど。
 ちらりと彼を見ると、その眼は揺れていて月島を見つめてくる。その眼には期待と不安が宿っていて、それと共に少しの欲情も見え隠れしていてその真っ黒な瞳を見ていると、断るのも気が引けるどころか、ぐんぐんとその誘惑に惹かれていっているのが分かる。
 無言で席を立ち、身体を屈めると早速鯉登の両腕が上がって月島の首に絡みつき、さらに二人の距離が縮まる。
「……鶴見中尉でなくていいのか。本当に俺で、お前は構わないのか」
「鶴見中尉は……オイの憧れです。確かに、好きではありますが軍曹に向ける好きとはまた違っていて……軍曹には」
 最後まで言わせず、鯉登の唇を奪うと途端、唇にとても柔らかな感触が拡がり、次いで鯉登の味も感じる。どことなく甘いそれはすぐに月島の心を捉え、ちゅっちゅと唇を啄むように口づけると、鯉登の身体がビグッと跳ねた。
「んっ……! んンッ!」
 だが気にせず無視してそのまま唇を吸っていると、鯉登の身体が身じろぎし、口づけの合間から熱い吐息をつく。
「あ、はあっ……ぐ、ん、そうっ……んっ!」
 随分と、甘い声を出すと思った。
 一瞬頭の中が飛び、熱の所為だろう少し蒸れたにおいのする鯉登の着ている寝間着から露出している肌に、何度もキスをして肌に吸い付く。
「あっ! あっちょ、ああっ! ま、待って、待ってください軍曹っ、あっやっ!」
 逃げようとしているのだが、身体に力が入らないようで、それをいいことにさらに肌に吸い付き、ボタンを一つ外し、さらにたくさんのキスを落とす。
「やっ! いやです、恥ずかしい待ってください! 軍曹、月島軍曹!」
 随分と自分が必死になっているのを感じる月島だ。もっと彼を味わいたい。隅から隅まで、自分のモノにしたい。だが、それは一生叶わない。
 その絶望がさらに月島に拍車をかけ、首筋に噛みついたところでいきなりだった。頭に衝撃が走り、その一瞬後、叩かれたのだと知る。
 改めて鯉登を見てみると、荒く息を吐きながら顔を真っ赤にして身体を震わせている。
「す、済まない。その、今のは」
「……も、もう少し、待ってください。オイが元気になって、軍曹のことをもっと知ることができたらその時に、つ、続きを……続き、してください」
「いいのか。お前、いやだろう? 無理して俺に付き合わなくてもいいんだぞ」
「い、いやでは、ないです。寧ろ……う、嬉しい。軍曹に襲われるのは、嬉しい」
 思わず絶句してしまう。
 今の鯉登は色気が駄々洩れで、見つめてくる目も上目遣いだ。
「元気になったら……」
 その時は。
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