世界一の色男


 鯉登は軍病院の一室のベッドの上にて、懐中時計を五分刻みで見つめ、そして閉じて外を見つめるという行動を、約一時間前から繰り返していた。
 今日は、月島の到着が遅い。
 いつもであればもっと早い時間に見舞いに来てくれるはずが、今日に限ってやたらと遅いのだ。
 月島を想っている一人の男としては、早く顔が見たいというのに一向に姿を現さない。だが、自分で歩いて見に行けるほど傷は浅くはなく、だからこそ焦れる想いを胸に、こうしてベッドの上で伏せっているのだ。
 それからさらに三十分ほどが経つと、いい加減我慢も限界に来てベッドから起き上がろうとすると、聞こえる特徴ある足音。あれは、月島の足音だ。
 すぐに床に降ろしかけていた足を引っ込め、ワクワクとしながら病室の扉が開くのを待つ。
「失礼します、鯉登少尉殿、具合はいかがですか」
 扉が勢いよくぶわっと開かれると同時に顔を出したのは間違いなく月島で、つい大声で名を叫んでしまう。
「月島! 遅かったではないか! 早く、早くこっちへ!」
 両手を開き、早くこちらへ来いという行動を示すと、これ見よがしに溜息を吐かれたが気にせずにそのまま腕の中に入って来いといわんばかりにさらに腕を拡げると、すっぽりと収まるようにして身体を抱いてくれ、鯉登からも月島の腰に腕を回す。
「……何をしていた。随分と遅かった。待っていたんだぞ」
 そう言ってすりすりと腹に頬を擦り付けると、まるでそれを宥めるかのように頭を撫でられる。
「すみません、ちょっと買いたいものがありまして。拗ねないでください」
「もっと、強く抱きしめてくれたら……許す」
 しかし、月島はなかなか行動に移してくれず、思わず上を見るとそこには困り顔があり、ふと気づくと周りのギャラリーは完全に引いている様子。だが、そんなことは鯉登には関係ない。
「月島、これは命令だ。もっと強く抱きしめろ」
「でもしかし、ここではちょっと……」
 しかし、鯉登は引かずに無理やり抱きつくと、ぼそっと低い声が聞こえた。
「始まった。鯉登少尉殿と月島軍曹殿の男色。いやだなあ、不潔だなあ」
 その言葉に、いち早く反応したのは鯉登だった。
「何が不潔だ! 言ってみろ二階堂一等卒! 私と月島の何処が不潔だっ? だったら貴様が頭に巻いている変な被り物の方が不潔ではないか!」
「いいから、落ち着いてください。傷が開きますよ。二階堂も、いい加減にしておけ。さ、抱擁でしたね? 仕方がない人です」
 窘められたのは悔しいが、月島からの抱擁は嬉しい。すぐに笑顔になった鯉登は、自分を抱きしめてくる強い力に身を委ねる。
「ああ、安心する……月島はいいな、やっぱり」
 しみじみそう言ってさらに抱きつくと、くすくすと鈴を転がしたような笑い声が聞こえた。
「仲、よろしいですね。羨ましいです」
 そう言ったのは谷垣の帰りを待つインカラマツで、少し月島から離れて声のした方へ向くと、ニコニコと機嫌良さそうに美麗な顔が笑んでいる。
「いいだろう、それは羨ましかろうな。おい月島、もっとだ。もっと抱きしめろ。抱擁の続きだ」
「もういいでしょう。今日も土産が……」
「土産も気になるが、目下のところ私は月島と接吻がしたい。接吻だ、月島。今すぐ私に接吻しろ」
 ぎゅっと抱きつきながらそう強請ると、仕方が無いといった諦めの雰囲気の後、ゆっくりと屈みこんできたのでそっと、眼を閉じると唇にふわりとした柔らかな感触が拡がる。
 それが心地よく、強請るように月島の唇を吸うと、今度は吸い返され、とうとう吸い合いになり、夢中になって月島の味や感触を愉しむ鯉登だ。
 やはり、いつ交わしても月島との口づけは心が躍ると思う。
 優しい味はどんな時も鯉登の心を落ち着けさせ、そして包み込んでくれるような日向のような、そんなイメージが湧く。
「ん、ん、んンッ……ん、は、つき、しま……は、んむっ」
 腕を伸ばし、月島の首へと手を回して爪を立てると、今度はその拍子に開いた口のナカへと舌が入り込んできて、ナカを大きく舐め上げられる。その感触に身体を震わせると、のど奥で月島が笑ったのが分かった。
 だが、それは分かっただけに終わり、つい夢中になって口づけに溺れていると今度こそ大きな声で二階堂が独り言を叫んだ。
「あーあー! 男の喘ぎ声なんて聞きたくないぃー! 鯉登少尉殿の声なんて、いやぁー!」
 驚いた拍子に口づけが解かれ、月島が動いたと思ったら、二階堂の頭にかなり痛そうな拳骨が振り下ろされる。
「よくやった! 月島、さあ続きだ!」
 傍に戻ってきた月島に抱きつくと、優しく抱き返されるが口づけがされる気配はない。
「月島? どうした」
「いえ、ちょっとあんまりにもさすがに行き過ぎではないかと……。他の患者もいますし。一人は妊婦ですが」
 だが、それには唇を尖らす鯉登だ。人前など、鯉登にとってはどうでもいいのだ。月島が傍に居ること、それだけで鯉登は充分であり、そして満足なのだ。
 だが、今は満足していない。口づけが足りない。もっと濃くそして激しい口づけがしたい。誰が見ていようが、その場に居ようが居まいが、いつだって全力でぶつかっていきたいのだ。今回の怪我で思い知ったことがある。いつ死ぬか分からない今、自分の気持ちに嘘を吐きたくないのだ。何事も全力で、死んでも悔いが残らないよう欲しいものは欲しいと叫びたい。その気持ちを、大切にしようと思ったのだ。
 想いをぶつける相手が、例え困っていたとしても走っていきたい。実際には走れなくとも、せめて気持ちだけでも走りたい。
「月島……おねがいだ、接吻……」
 このおねだりの仕方が弱いのは、既に把握済みだ。月島にこれをやると、必ずどんな時でも乗ってきてくれる。それが分かってのおねがいに、早速心が揺れ動いている様子。
 ダメ押しとばかりに、軍服を両手で掴み、上目遣いで再度畳み掛けを図る。
「おねがいだ、月島。私はお前と接吻がしたい。……月島……」
 若干、眼を潤ませるとこれで最後とばかりに唇を人差し指でちょんちょんと突けば、とうとう月島が折れてそして欲情を滲ませた瞳で迫ってきてくれ、当たり前の如く眼を閉じると唇に柔らかな感触が拡がる。
 勝った、そう思える瞬間だ。
 そのまま深い口づけに持っていこうと、月島の唇を吸うとまたしても吸い合いになり、ちゅっちゅと水音が立つが気にせず続ける。
「はあっ……つきしま……ん、もっと、もっとだ」
 先ほどと同じく手を月島の首に回し爪を立てる。すると唇を吸ってくる力が強くなり、水音はさらに大きくなる。ちゅうっと月島の唇を吸い、誘うように口を開けて舌で挑発するように合わさっている唇を舐めると、今度こそやる気にでもなったらしい。
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