待チ焦ガレ
そのうちにだんだんと何故か焦り出してしまい、自然と早足になる。それについてかなり勇作は戸惑っているようで、尾形の方を何度もちらちらと見てはその様子に訝しんでいるようだった。
「あの、兄様、兄様。何をそんなに急いでいるんです? 店が閉まりますか?」
「え? あ、ああ……いえ、そうではなくて……いえ、そうかもしれません。時間はかなり遅いですし……」
「未だ、なにか?」
「なんでもありませんよ。店はもうすぐです。少し入り組んだ路地に入りますが心配なさらず」
「それについては兄様がしっかりしていらしてるから安心でしょう? 私はただ、ついていくだけです」
随分な信頼を得ているものだ。
笑顔で答えるその顔が、どんな風に歪むのか。考えるだけで高笑いしてしまいそうになるのを、尾形は必死でこらえていた。
そろそろ迷路のような路地が見えてくる。この路地は、かなり複雑な造りになっており、所謂そういった秘密を守りたいような輩が使う茶屋が密集している一角で、奥へ入れば入るほどにさらに複雑な道になり、利用したい客の秘が深ければ深いほどに奥に入っていく寸法になっている。
わざわざ、そういった造りにしてあるのだ。
尾形はその茶屋の密集地域でもさらに奥まった場所へ勇作を誘うつもりでいた。勇作は、戸惑いながらも黙ってついてきている。
そのうちにさらに路地は複雑さを極め、さすがに勇作も不安になってきたらしい。
「あ、あの兄様。ここは一体……」
「もうすぐそこです。安心してください、二人だけでゆっくり呑みたいと思っているだけですから」
「は、はあ……そ、そうですか。それなら、いいのですが……」
さすがにお人よしの勇作でも怪しく思えてきたのだろうか。それはそうだろう、路地には殆ど人影は見えず、見えたとしても隠れるようにして逃げていき、あっという間に視線の先からいなくなるのだ。
秘密にしておきたいのはお互いさまというやつだ。
さらに路地を歩き、一軒の店の前で足を止めた。
薄ぼんやりとした灯りが眼に優しく、ひっそりと佇んでいるそこはいつもと変わらず、秘密めいた雰囲気を醸し出している。
「ここです。入りましょう」
尾形が先導して店の戸を開けると、既に入り口には老婆が正座して座り込んでおり、尾形と勇作をちらりと見た後、意味深に頷きこんなことを言ってきた。
「猫の間が空いてございます。そちらへどうぞ」
たったそれだけで、尾形にはどこの部屋を指しているのか分かり、頷く。
「熱燗三本、部屋に用意してくれ」
「かしこまりました」
会話はたったそれだけで、老婆はさっさと奥へと引っ込んで行ってしまい、尾形と勇作だけがその場に残される。
「部屋は、二階の角部屋です。行きましょう。……勇作殿?」
「あ、兄様、本当にここでいいのですか? どういった……場所なのです」
「呑んで寝るだけの場所ですよ。さあ、靴を脱いでください」
尾形はさっさと靴を脱ぎ、手招くと勇作も大いに戸惑いながら靴を脱いで尾形に続いてくる。
そのまま二階へと上がり、角部屋へ行くと襖には灰色を使った猫の絵が描いてある。
襖をすっと開けると、小さなテーブルに大きな布団が置いてあるだけの空間が拡がっており、そこでも勇作はどうしていいか分からないようで部屋の前で足が止まってしまった。
「勇作殿? さあ、こちらへ……」
充分な他意を含ませ、そっと勇作の手を取って握り部屋へと誘うと漸く足が動き、部屋へと入ってくる。
先に尾形が腰掛け、二つしかない座布団の一つをぽんぽんと叩いて促してやると、恐る恐るといった体で勇作が腰掛けてくる。
「漸く、二人きりになれましたね」
にこりと隣に座る勇作に笑いかけると、漸く勇作の顔にも笑みが浮かび大きく頷いてくる。
「まるでここは、秘密基地みたいですね。私と兄様だけの場所と思うと何故だか楽しいです」
まったく、笑ってしまうと思う。
「俺も、楽しいですよ」
そう言ってさらに笑むと、勇作の頬が赤く染まり、笑みはますます深くなる。
そうしたところで酒が運ばれてきたので、それは尾形が受け取りテーブルの上に並べて勇作の猪口に酒を満たして自分は手酌で猪口に酒を注ぎ入れ、同時ほどにぐいっと猪口を傾ける。
「ふうっ、美味しい。兄様と飲む酒はいつも美味しいです」
「そうですか。俺も同じです。勇作殿と酒を呑むのは楽しい」
嘘八百は得意だ。勇作と酒を呑んで楽しいと思ったことなど一度もない。どころか、イラつきは増すばかりで、素直な勇作がここでもやはり、疎ましい。
その気持ちを誤魔化すよう、手酌で杯を重ねていく。すると、勇作もいつになく尾形と同じペースで乗って来て、彼がリラックスしていることを知らせてくれる。
だんだんと酒が入るにつれ、気持ちが大胆になってくる。そろそろ頃合いだろうか。勇作を見ても、酒の所為だろう頬を赤くして眼が少し潤み始めている。
行動へ移す時だ。
「勇作殿……俺が、好きですか」
存外ストレートな言葉が出たと思った。こんなことを言うつもりではなかったが、やはり少し酔ったらしい。けれど、当初の目的を忘れたわけでもなく意味深に目を細めて勇作を見る。
そして、膝に手を置きさらりと股間に向かって撫でてみる。
「あ、兄様?」
「聞いているんですよ。俺が好きですか、勇作殿は」
「そ、それはもちろんです。私の兄ですから。好いております」
「ふうん……」
ちらりと勇作の唇を見る。薄くて、形がよくて色もいい。自分とは大違いだ。いつも顔色が悪く、唇にも色が無い自分とは違う。
二つが交われば、どうなってしまうのだろう。