待チ焦ガレ


 堕としてやる。
 尾形百之介は強くそう思った。最早たらしこむだけじゃ足りない。自分の居るところまで堕としてやらなければ気が済まない。
 例え、自分の身体を使っても。
 そう心に決めたのは、女を抱かせ、そして童貞喪失を狙っていた目論見が見事に外されたその日の夜遅くのことだった。
 兵営の自分のベッドでじっと一点を見つめながら勇作を思う。
 何故あそこまで清くいられるのか。自分には持っていないものを、勇作はたくさん持っている。確かに、それも気に食わないが尾形にとって勇作の存在は気に障るどころではなく、疎ましさそのものだった。
 なんの屈託もなく笑顔で自分に懐いてくる勇作。いくら邪険に扱おうとも、めげずに自分に近づいては兄様といって慕ってくる。
 鬱陶しかった。
 そして、その天真爛漫さが何より羨ましい。
 何故自分ばかりが業を背負って生きていて、彼は清いまま生きているのか。
 堕ちてくればいい。その先で見る光景を勇作がどう受け止めるのか見てみたい。どんな表情をするのだろうか。
 明日にでも、堕としてみようか。
 尾形は自分の中に溜まった黒い澱のようなものが蠢くのを感じた。
 そして、三日後の夜のことだった。
 少尉にはべつに個室が設けられているため、消灯時間ギリギリまで待ち、風呂にも入った尾形の足は勇作の部屋へと向かっていた。
 本当は軍服ではない方がいいのだが、生憎とこれしか持ち合わせが無い。それに、周りに不審に思われても困る。
 今から行く場所は、決して誰にも知られてはならないのだから。
 こつこつと足音を響かせながら廊下を歩き、目的の部屋まで行き着くとそっと、扉を指で叩いた。
「勇作殿、俺です。尾形……もう眠ってしまいましたか」
 すると中からバタバタと忙しく何かが動く音が聞こえ、後すぐに扉が開く。
「兄様っ……どうしました、こんな時間に。どうぞ、中へ入ってください。温かいお茶でも」
「いえ、いえいえ。実は、折り入って勇作殿にお話したいことがありまして。ここではなんですから、着替えてもらってもいいですか。出かけたいと思います」
「え……」
 勇作は大いに戸惑っているようだった。また、遊郭にでも連れて行かれるとでも思っているのだろう。
 尾形は人の良さそうな笑みを浮かべ、わざと勇作の手を引いた。他意を含めたような、そんな手つきで。
「違いますよ、あなたをどうこうしようというのではなく、寝酒の一杯でも引っ掛けに行きませんかと、そういった誘いです」
「けれど、消灯時刻が……」
「そんなに渋るということは、俺と出かけるのはそんなに気が重いと?」
 すると勇作は慌てたように首を振って寝間着のボタンを外し始めた。
「ち、違います! すぐ、すぐに支度しますから待っていてもらえますか? そうですよね、兄様のお誘いを断るなんてばかなこと……すみません」
「いえ、出る気になってくれて嬉しいです。じゃあ、身支度が整うまで廊下で待っています」
 すぐに扉が閉まり、独り尾形が廊下に残される。
 ああ言えば勇作が断れないことを知って、そういう言葉を選んだ。尾形の作戦勝ちだ。素直なお坊ちゃんは手玉に取りやすい。
 ほくそ笑む尾形だ。実際、声に出して笑っていたかもしれない。今から何が始まるかも知らず、のこのことついてくるだなんて、世間知らずもいいとこだ。
 だがしかし、そういうところも妬ましい。擦れてしまった自分と、勇作のこの純粋さを比べると、歯噛みしたくなる。
 いつからこんなに汚れてしまったのか。
 頭を振って考えを追い出す。この思考は危険だ。考えてはいけない。ただ、勇作を穢すことができればそれで満足なのだから、今からのことを考えようと尾形はまた笑む。
 どう料理してやろうか。
 まずはじっくりと行きたい。何しろその方向には長けている。女を何十人と抱いてきて、その手管が勇作で生かせるとは意外だが、これもまた一興だ。
 そうやっていやな笑みを浮かべながら待っていると、勢いよく扉が開き軍服に着替えた勇作が出てくる。
「お待たせしてしまって……」
 軽く息が上がっている。これは、相当急いだと見た。だが、尾形にそんなことは関係なく早速、先導して廊下を歩き始める。
「では、行きましょうか」
 尾形は勇作と共に背中で消灯の時間を知らせる音を聞きながら、兵営を後にした。
 これで、今晩はもう帰ることはできない。共に朝を迎えるまでだ。童貞を奪えるかどうかはべつにして、とにかくこの取り澄ました顔を快楽に歪ませてやりたい。それがどんなものなのか、ぶつけてやりたい。
 その時、勇作はどんな顔を見せてくれるのだろう。
 尾形の笑みは止まない。
 しかし、今から茶屋に直行するわけだが勇作はそのまま素直についてくるだろうか。隣を見ると、明らかに浮かれた様子で整ったきれいな顔には笑みが浮かんでいる。
 まったく何も分かっていない。
 それはそうだろう、実の兄がまさか自分の童貞を狙っているなど、健全な思考しかできない勇作にとっては思ってもみないことだろう。
 だが、尾形はそれが欲しい。
 他にも勇作に仕掛けたいことは山ほどある。まずは、無事に茶屋に行き着かねばならない。怪しまれることなく連れ込むのは、勇作に関しては簡単そうに思える。
 何しろ、尾形を信じ切って慕っているのだから、それを逆手にとってある意味悪魔の所業だが、尾形にそれは関係ない。
 とにかく、邪魔の入らない二人きりの場所へ行かねば。
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