All love forgotten


 テーブルの上の時計を見てみると、もはや朝食の時間はとっくに過ぎており、それでも未だ寝ている彼は一体、何時まで起きていたのだろう。寝たとは言っていたが本当だろうか。
「つきしま、起きろ月島。朝だぞ」
「ん……」
 さらにぎゅっと抱きつかれ、突然だった。心臓がものすごい勢いでドクドク言い出し、顔に熱が集まってくる。
 同衾してしまった。昨日に引き続き、今日も。少しの間だったが、寝ぼけていて気付かなかった。
 月島が無防備に眠っている。私に抱きつきながら、寝息を立てている。
 カキンと身体が固まってしまい、ドキドキと胸を高鳴らせながらもう一度、彼の名を呼んでみる。
「つ、つきしま……? 寝ているのか」
 未だ規則正しい呼吸音が聞こえていて、そろっと動いて月島の腕を退かし身体を反転させて真正面から彼の寝顔を見てみることにする。
 なるべく起こさないよう慎重に動き、改めて彼を見てみるとそれは穏やかな顔で寝入っていて、正直、見惚れた。
 決してきれいとかそういう風な顔の造りではないのに、何故かとても美しく思えて見入ってしまっていると、瞼がピクピクと動き、ゆっくりと瞼が開いていく。
 その様もとてもきれいで、つい口を開けて見てしまうと、彼は驚くべきことを口にして、唇に吸いついてきた。
 彼の本当の想い人、その名は。
「篤四郎さん……」
「えっ……んむっ! んン……!!」
 今までになく情熱的に唇を吸われ、驚きと共に何故か、諦めのような感情が芽生えた。言ってみれば、やはり、というやつだ。
 ただならぬ関係だったのは、やはりあの二人だった。月島の想い人が私ではないという勘は、見事に当たったことになる。
 所詮、替え玉だったのだ。私は、あの人に勝てない。女にも勝てなければ、鶴見中尉にはさらに勝てない。
 不思議と、怒りは湧いてこなかった。ただただ、失望と後はなんだろうか。訳の分からない焦燥感に身体が包まれてしまい、ぼーっと月島の口づけを受け入れているとふっと唇が離れ、ぎゅっと抱きつかれたがそのままにしていると、漸く自分が誰に抱きついているのか分かったらしく、顔を青くして見上げた顔はそのままだった。
 やらかした。
 そういう顔で私を見て、そして唇を戦慄かせた。
「こいと、少尉殿……」
 この時ほど、月島の動揺した顔を見たことが無い。それほどまでに彼は取り乱していて、言葉も出ないようだった。
 無言で彼の首筋に顔を埋め、そしてにおいを嗅いでみると微かに、鶴見中尉のにおいがすることに気づき、途端燃えるような嫉妬が湧いてくる。
「あ、あの鯉登少尉殿これはっ……!」
「これは、なんだ。何か言い訳があるのなら言ってみろ。……それすらも出てこないのなら、出て行け。部屋から去れ。私が怒りを抑えていられる間に、さっさと出て行け月島」
 するとうるっと月島の眼が潤み、そのまま出て行くのだと思っていた。けれど、彼は驚くべき行動に出た。
「いやだっ……! いやだ、いやだっ!! いやですっ……!! 鯉登少尉殿!!」
 今度はべつの意味で驚いて言葉が出なくなり、そんな私をどう思ったのか、彼はがばっと腕を回して抱きついてきて胸に顔を押しつけ、泣きじゃくり始めた。
 何をどう対処していいか分からず、取りあえず月島の身体に腕を回して引き寄せると、胸元の寝間着を握ってしきりにしゃっくり上げている。
「お前は……誰に抱きついて泣いているのか、分かっているのか」
 これだけは、どうしても聞いておきたかった。でなければ、彼を部屋から追い出さなくてはならない。
 彼は涙声で、叫ぶようにこの名を口にした。
「こいとっ、少尉殿です!!」
「私の胸で泣いておきながら、お前は違う男のことを想って恋しがるのだな。随分と面の皮が厚いじゃないか。本当は、違う男の胸で泣きたいのだろうが、お前は」
「ちがう、違うっ! わたしは、あなたの胸で泣きたい。あなたがいい、嘘じゃない、本当です! 本当に、そう思って……」
 頭に手を置き、じゃりじゃりと撫でるとすりっと胸に擦り寄ってきたのでその手を背に回し、ぎゅっと抱いてやる。
「だったら、他の男のにおいをつけて私のところへ来るな。それは、できない相談なのだろう? お前が本当に好きなのは、私じゃない」
 途端、ひくっと彼ののどが鳴って、身体が固まる。
「ち、ちがっ……」
 言葉は途中で途切れ、さらに激しく泣き始める。肩を引っ切り無しに上下させながら噎び泣く彼はひどく痛々しく、見ていられないものだった。
「……泣かないでくれ、月島。そんな風に……私の前で他の男を想って泣くな。私にはどうしてあげようもない。分かるだろう、それくらい」
 しかし彼は首を何度も横に振るばかりで、離れようともせず息を荒くしてしがみついてくる。
「わたし、私はっ……っく、わたしはっ……!!」
「都合のいい男になれと、お前は私に言いたいのか。傷ついた時だけ傍に居てくれるような……そんな男になれと。だが、私はそんなのは御免被る。お前がすべてを投げ捨てて私の元へ来たなら受け止めて抱きしめて……接吻もするが、お前には誰か他の男が居るからな。二股なんて冗談じゃない。さあ、分かったら今すぐ部屋から……」
 顔を上げたその時の月島の顔を、きっと私は一生涯、忘れることはないだろう。そのくらい、彼を傷つけてしまったようで、涙で濡れたその顔はひどく歪み、眼は縋るようにこちらを見ている。
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