デキる月島は今日も憂鬱~金曜日の夜編~
俺の名は月島。
ただの平凡な一介の会社員だ。ただ、一つ例外を除いては。
以前は単純だった俺の日常生活。だが、ある日を境にとんでもない人物と暮らすことになった。
これはそんな俺の生活を垣間見てもらおうという物語である。
今日は金曜日だ。所謂、花金というやつである。花の金曜日、という意味だが俺にとっては花金というよりも世話金と言った方が正しく、平日よりもずっと、忙しいし大変だ。
というのも、一緒に暮らしている人物に大いなる問題がある。
態度はデカいし、尊大でわがままな俺の、大切な人。欠点は上げれば多いが、それよりも何よりも、俺も好いているのだから仕方がない。
いや、その人物も俺を好き過ぎているのは分かる。好き過ぎて、離してくれない。だからこそ、尽くすことができる。手を貸してやりたくなる。
やはり、惚れた弱みだろうか。
気を取り直し、時計を確認するともうすぐ時刻は五時を迎えようとしていた。おっと、いけない、そろそろ帰り支度だ。
俺は仕事は必ず定時で終わらせるようにしている。その人物と暮らし始めて以来、定時以外で帰ったことは無い。
何しろ、家に帰ったらやることがてんこ盛りだ。そのため、定時で帰らざるを得ないのだ。
なかなかに、俺は忙しい男なのである。
ブルーライトカット眼鏡を外し、ごそごそと帰り支度をしていると、何やら部下がこちらへ向かってくる。
「あの、月島さん。この書類なんですが……」
うるさい、俺は帰らなければならないんだ。書類など月曜でいいだろうが。
精一杯の威嚇を篭めた眼つきで部下を見ると、俺の中の何かを察したのか苦笑いを浮かべた。
「あー……書類は、月曜日にでも見てください。机の上、置いておきます」
「分かった。月曜には少し会社に早く来て書類には目を通しておく」
さて、今日の仕事も無事終わった。帰るか。
「私は帰る。一週間、ご苦労だったな。では」
さっさとオフィスから出ると、さっと身を隠して中の様子を窺う。すると、先ほどの部下が嘆かわしい声を出した。
「ああー、あの人怖ぇよ! なんで書類の一枚くらい見てくれねえんだ!! あの眼つき……!! おー、怖!!」
「ばっか、それはお前が悪い。あの人は定時でしか帰らねえんだから。何があっても、ぜってー定時で帰ってるし」
それに乗ったのはまた違う部下で、両手を上げて降参のポーズだ。
「飲みに誘っても絶対に来ないしな。来たこと無くねえ? 一体定時で帰って何してるんだか」
すると今度は女性社員がそれに乗っかり、からかうような口調で笑った。
「もしかして……彼女、とかっ?」
「いや、それはねえっしょ。あの堅物に彼女とか……あり得なくねえ?」
そこまで聞いたところでふと、時刻が気になった。例の想い人にプレゼントされた腕時計を見ると、なんともう五時から五分も過ぎている。
部下たちの雑談に付き合うんじゃなかった。いや、勝手に自分が聞いただけなんだけどな。
しかし、俺の苦労も分かって欲しいものだ。以前は残業など当たり前にして引き受けていたが、今はとてもじゃないが無理だ。
帰ってからの仕事が多すぎる。
それもこれも、手のかかる想い人のためと思うと不思議なものだが、できてしまうのだ。俺の中の、七不思議の一つ。
以前は他人なんてどうでもよかった。ただ、日々を淡々と過ごして行けばいいと思っていた日常に、非日常が飛び込んできた。
そのおかげで、俺の生活は一変したわけだが、何となく、これでいいんじゃないかと思っている自分もいる。
このまま一生一緒に過ごす相手として、不足はない。
そう思っているのは自分だけかもしれないが、俺の中では想い人とゆっくりとした老後を過ごすことまで考えていて、そのために二人で貯金もしている。
ということは、その想い人も俺と同じことを思っていることになる。それは俺の心を浮き出させ、初めてこの話を持ち出された時は随分と驚いたものだ。
なにせ、わがままを絵に描いたような人なものだから、いつか俺は愛想を尽かして自分から出て行くだろうと思っていた。けれど、あの人の傍は随分と居心地がよく、何よりも安心する。
あのわがままも、甘えられていると思えばかわいいものだ。
さて、会社から出たら電車に乗って、帰宅だ。急がねば。金曜日の夜は特に忙しくなる。いつも忙しいが、さらに忙しくなるため時間はいくらあっても足りない。
早足でエレベーターへと向かい、乗り込んで会社を出る。
すると、ひゅうっと冷たい風が足元を流れ、羽織っているトレンチコートの裾を揺らす。
そうか、もう季節は秋も中盤。こんな日は温かいごはんを作ってあげたい。何か、あったまるようなもの。
スーパーへと寄るのは日課なので当たり前だが、何かいい食材が無いか見ていこう。
しかし、陽も短くなったものだ。未だ五時だというのに、空は既に暗くなりかけていてそこでも季節の移ろいを思わせる。
本格的に寒くなったら、二人でこたつを囲んでみかんなど食べたい。ビールに山ほどのみかん、最高だ。そして想い人が真正面にいてくれたら、さらに幸せな気分になれる。
あの人は、俺の幸せの塊だ。塊が、傍に居てくれるのは嬉しい。
その塊のため、俺は日々、その人がくれる愛情を少しでも返せるよう頑張るのだ。それが、俺の幸せだ。
幸せのために頑張ることは、自分の幸せにも繋がる。そして相手もそれを喜んでくれたら、倍の幸せが手に入る。
幸福に貪欲なのはなにも悪いことじゃないと、俺はあの人に教わった。
だからこそ、あの人を想いながら作るごはんや、その他のことも苦にならずにやっていけているのかもしれない。
幸せのために、頑張る日々が俺はきらいじゃない。そういう風に思える自分が、まず好きだ。
そう思わせてくれるあの人が、愛おしいし恋しい。多少性格に難があったとしても、それはそれで片づけられる。
それほどまでに惚れていることをあの人は知っているのだろうか。……知らないだろうな。けれど、それでいいと思う。
傍に居る幸せのため、自分の生きている時間を使うのは幸福の証。
愛おしい彼、鯉登音之進と共に人生を歩むと決めたのは、他でもない自分なのだから。
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