ツチノコノコイ

 ひょんなことから、私の家にはツチノコがいる。
 趣味の山登り中、上の方から自分の尾を咥え、丸まって落ちてきて、目が合った。そこで一旦すれ違い、頂上まで登った私が下山するのをわざわざ待ってから、後をついてきたのだ。
 どうやら、私の背負ったリュックが大層気に入ったらしい。アパートの五階まで頑張って後をついて上り、たどり着いた私の部屋で、放り出したリュックに体をなすりつけて嬉しそうにしていた。多分このツチノコの、タイプだったのだ。
 ツチノコは伝承通りに胴体の膨れた蛇といった趣で、見た目に反して俊敏だ。けれども基本的にリュックから離れようとしない。リュックを移動させるときだけ、やたらと素早い動きでついてくる。ちょっと気になって、別の部屋からこっそり覗いてみると、こちらが恥ずかしくなるくらい、リュックに対して熱烈な愛情を示していた。慌てて私は部屋に戻り、リュックをしまった。きっとどうしたって実らぬ恋は、ツチノコの体に悪影響だろうと思ったのだった。
 ツチノコは何を食べるのだか、私にはわからない。だから、初めて家にやってきた彼に何を供すればいいのやら、私はすっかり困ってしまった。何せ空想上の生き物とされる存在なのだ、情報の宝庫であるインターネットの海を彷徨っても、食べ物なんてわからない。
 だから私は、当のツチノコに選んでもらうことにした。冷蔵庫にあった野菜やきのこ、肉に魚といった食材を取り出して、食べたいものはなんなのか、お伺いを立てたというわけだ。果たしてツチノコは、肉に飛びついた。多分、生でいいのだろうと判断して、私はツチノコに鶏肉を四切れほど分け与え、残りは自分の夕飯に使った。
 夕飯を食べてから、ひょっとしたら満足して帰るかもと思い、玄関まで連れて行って見守ったのだが、彼は帰ろうとしなかった。
 そんなわけで、今も私の家にはツチノコがいる。

 私のリュックは緑色をしている。結構頑丈な作りで四角ばっていて、ポケットも多いので人気なのか、同じタイプで別色のものを使っている人を結構見かける。けれども、緑色のを使っている人は、ほとんど見かけたことはない。
 ツチノコは、やはりそのリュックにゾッコンのようだ。試しに別のカバンやリュックを持ち出して目の前に置いてみたけれども、彼が靡くのは緑色で四角いリュックだけだった。
 ツチノコは扁平な体つきをしている。蛇のような鱗、縞模様があり、大きな目はガラスのように光を反射する。その体はいつでもリュックの側面に張り付くようにあり、頭部はリュックの上部に乗っている。その目には、常にリュックの緑色が映り込んでいる。
 私にはツチノコの感情がわかるわけではないけれど、それでも彼がリュックと共にあるとき、幸せそうだというのはよくわかる。
 彼はこのリュックの何が好きなのだろう。
 私はそれを調べるために、彼の前に緑色の小物とそれ以外の色の小物を置く実験を行った。例えば緑色のミニカーと、赤色のミニカーのような物を置き、ツチノコがどちらに向かっていくのかを調べたのだ。
 しかし、結果は芳しくなかった。彼はどんな小物にも、それほど興味を抱いた様子はなかった。ミニカーを置こうがスタンドライトを置こうがスピーカーを置こうが本を置こうが、大した違いは見当たらなかった。なんなら途中から飽きた様子さえ見せて、なんの意味もなくぴょんぴょんと垂直跳びを始める始末だ。
 仕方なく色の線は諦めて、私は次に四角いものとそれ以外の形の小物で実験した。が、ほとんど結果は同じだった。彼は別に、緑色にも四角にも、興味はないようだった。
 だったら一体、なんなのか。彼をリュックに惹きつけるものは。

 私の実家には、可愛い可愛いマルチーズがいる。可愛すぎるので、名前はカワイイという。母と父が溺愛しつつ育てており、もうすぐ三歳になる。私が実家に行くたびに全身で喜びを表現し、私が家に帰ろうとすると全力で引き止めようとする、そういうところが犬らしくて可愛いのだ。
 でも、もう数ヶ月は会っていない。だから、久しぶりの休日に、実家に帰ることにした。ツチノコには留守番を頼み、と言っても言葉は通じないので、ただ単に食料と水だけ一緒に置いて、私は出かけた。
 緑色の四角いリュックを背負い、地下鉄に乗り、実家にたどり着いてリュックを開くと、中にツチノコがいた。いつの間にか入ってしまっていたらしい。相変わらずキラキラした目で私を見上げ、リュックの中で軽く飛び跳ねて見せた。私は彼がついてきたことより、家に置いてきた鶏肉の行末が気になった。二日の間に異臭を放たなければいいのだが。
 両親に紹介する間、ツチノコは落ち着きなく床を這い回った。なんだか興奮しているようだ。両親があらあらとかふむふむとか言っている間にも、部屋の隅から隅まで細かく行ったり来たりを繰り返し、止まろうとしない。両親が市の懸賞金の話を口にしかけたとき、ツチノコはとうとう垂直に飛び上がった。
 彼の目の前に、カワイイがいた。
 カワイイは久々に会った私を歓迎すべく、尻尾を振り、可愛い声で鳴き、私の方に走ってきた。ツチノコは相変わらず興奮した様子で、その後を追う。それはまるで、リュックの後を追う時のように。
 そこで私はピンときた。
 元々、緑の四角いリュックに体を擦り付けるのは、カワイイの特権だった。人間はそんなことをしないから。カワイイを見た、いやその存在を感じた時からの興奮を考えるに、ツチノコはリュックを気に入ったのではない。カワイイの匂いに惹かれたのだ。
 ツチノコは今や、カワイイの白くてもふもふした体に飛びかからんばかりに、彼女に夢中になっていた。
 私たちは懸賞金の話をすっかり忘れて、彼の熱烈な愛情に目を奪われるばかりだった。

 あれから数ヶ月が経った。ツチノコのいない家は少しだけ広く感じる、なんてことはなく、私は特に変わらぬ日常を送っている。
 両親から送られてくるメッセージの内容は、少し変わった。どうやら彼らは懸賞金の話を本当にすっかり忘れたらしい。カワイイだけでなく、ツチノコの写真まで送られてくるようになって、笑ってしまう。
 さて、今日はどんな写真だろう。
 メッセージアプリを開いて見て、さすがの私も声を上げた。
 マルチーズとツチノコの間にできた赤ん坊は、見たことのない姿をしていた。
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