ふたつ星には届かない

 十年よりもさらに昔、俺がまだほんの子供だった頃、見上げる星空は遠かった。星間運輸はその頃既に現在と同じ程度に発達を遂げ、適切な訓練さえ受ければ資格を得て航行することができたが、子供には遠い夢だった。
「よう、ダイチ! 今晩も星を見るのかい」
 近所に住む宇宙船員のお兄さんは、俺が毎晩星を見に丘の上へ駆け上がっていくのを楽しそうに見ていた。きっと、自分の幼少時を重ねていたのだろう。
「うん!」
「あの子も一緒かい」
「ポル? もちろん!」
 俺が住んでいた街はそこそこ大規模だったけれど、それでも人家のない場所というのは存在していた。あの丘もその一つだ。俺が毎晩、親に許可を得て深夜十二時過ぎまで過ごしていた場所。家から徒歩十分の距離にあり、子供の足でもすぐに駆け上がってしまえる高さの、本当に小さな丘だった。高さはそれほどでもないのに星がよく見えたのは、そのすぐ近くに消灯時間以後は真っ暗になる病院があり、それ以外には建物がなかったためだ。街の明かりが遮られて、端的に言えば、とても暗かった。
「ポル!」
 俺が丘に登る頃には、既にポルがいるのが常だった。翡翠色の髪と目をした涼しげな佇まいの少年は、俺を見るといつも控えめに笑った。
「ダイチ。今日も来たんだ」
「当たり前だろ。お前と星を見るの、俺の楽しみなんだよ」
「ふうん」
 ポルは不思議そうに言って、それからまた夜空に目を戻した。目が慣れてきて、俺にも星の明かりがよく見えるようになってくる。星を見るのが好きな俺とポルは、その実、有名な星座すらまともに覚えていなかったのだが、それでも好き勝手に星に名前をつけては笑い合った。……いや、笑っていたのは俺だけだったのかもしれない。
 ポルは、学校では変わり者で通っていた。そもそも髪と目の色が地球人のそれではなかったからその時点で閉鎖的な国の小さなコミュニティの中では浮いていたし、いつもどこかぼーっとしていて、みんなの輪の中に入ってこようとしなかった。まあ多様性が叫ばれて久しい時代にあってそのくらいのことは大したことではなかったが、それでもほとんど誰ともつるもうとせず、何だかここではないどこかを夢見ているような態度は、他の子供を寄せ付けなかったのだ。
 だからポルと共通の話題を持っているのは俺だけで、ポルの友達は俺だけだった。
「ダイチは、いつも楽しそうだね」
 流れ星を見つけようと躍起になっていた俺に、ポルは言った。
「そう? まあ別に悲しいこともないし。ポルは楽しくないの」
 何の気なしに放った言葉に、ポルは短く「うん」と答えた。俺は衝撃を受けて、彼を見つめた。幼かった俺にとって、世界は自分を中心に回っていた。親も兄弟も友達もみんな俺に優しかったし、悲しくなることなんてほとんどなかった。世界はワクワクと驚きに満ちているのだと、無邪気に信じていたのだ。
 それなのに、同い年で毎日が楽しくない人間がいるなんて。
 言葉が出せないでいる俺に、ポルは言った。
「僕はね、何だか誰かに置き去りにされたような気がしているんだ」
「置き去りに……」
 ポルは夜空に向かって手を伸ばした。光を透かすように眉を寄せて、小さな光の粒から何かを見つけ出そうとでもするように。
「遠い星のどこかに、その誰かがいる。僕はそう思ってる」
 冷たい風が、ポルの髪を揺らした。俺は何だか、ポルが急に遠くなったような気がして、その肩を掴んだ。
「ポル、」
「何?」
 俺を見ているのだか見ていないのだかわからないような透き通った緑色の瞳を、まともに見ることができなかった。俺は視線を空に向けて、殊更明るく言った。
「それじゃあさ、一緒に宇宙船員になろうぜ! 資格さえ取れれば誰だってなれるんだ。一緒に色んな星を見に行ってさ、俺は美味しいもん食べて、ポルはその誰かを探せばいいよ」
 ポルが一人でどこかへ行ってしまうような気がして、それを引き留めたくてそんなことを言った。星は好きでも、宇宙船員になるなんて考えたこともなかったのに。
 ポルはその時、どんな顔をしていたのかわからない。でも、「それはいいね」と言ってくれたことだけは覚えている。
「それはいいね……そうか、僕の方から探しに行けばいいんだな」
 その晩から、俺とポルは宇宙船員になるための勉強を始めた。本当はそれよりもサッカーとか野球とか、外で体を動かしていたかったのだが、自分から言い出した手前、やっぱりやめるなんて言えなかったのだ。それに、いつもぼうっとしていたポルが勉強に打ち込むその隣で一緒に参考書を開いて、他の友達にはわからない話題で盛り上がれることが、何だかとても嬉しかった。誰にも心を開かないポルが、俺にだけは本心を見せてくれているような気がした。
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